※レビュー部分はネタバレあり
クリスチャン・ベール主演でおくる、アメリカ現代社会を鋭く風刺するブラックコメディ風味のサスペンス。アメリカン・サイコって本当にクリスチャン・ベールが演じる殺人鬼のことだけなのか?
周りの人間も十分にアメリカン・サイコの素質はあったりする。そこが怖い。
1980年代のNY。パトリック・ベイトマンは投資銀行に勤めるエリートサラリーマン。
豪華なマンションに住み、婚約者もいて、何不自由ない裕福な暮らし。秀でた頭脳に完璧なルックスと美しい肉体。もちろんそのためには肌の手入れや筋トレを欠かさない。
しかし、彼にはもう一つの顔があった。そう、彼は人を殺さずにはいられない性癖をもっていたのだ…。
クリスチャン・ベールとレオナルド・ディカプリオが主役を巡って競合したが、監督の強い要望でベールに決まった。クリスチャン・ベールの方があってるかも…ディカプリオでは童顔すぎて冷徹でストイックな感じが出ない気がする。
また本作はジャンル的にはサスペンスながらも、ブラックコメディを基調としているので、その意味ではベールは適役。ディカプリオが演じるとリアリティが出すぎてまた別の作品になった可能性がある。
クリスチャンベールは『マシニスト』という映画では1年間眠っていない不眠症のガリガリ君を演じたり、後の『バットマン・ビギンズ』では筋肉ムキムキになったり、と肉体改造に忙しいことでも有名。
いずれにしても、ストーリーは秀逸。脚本も素晴らしく、全体的にはコミカルなタッチで、見て損はしない、と思います。
特に映画の最初の方で展開される「名刺バトル」は有名なシーン。
主人公および周辺の友人たちの滑稽さが象徴的に描かれています。あまりの可笑しさに何度も見直してしまいました。
スーツのブランド、食事をするレストラン、名刺などなどカネと見た目で競う愚かさを風刺する、この映画の象徴的なシーン。
【映画データ】
アメリカン・サイコ
2000年(日本公開2001年)・アメリカ
監督 メアリー・ハロン
出演 クリスチャン・ベール、ウィリアム・デフォー、ジャレッド・レト、クロエ・セヴィニー
映画:アメリカン・サイコ 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり
★映画を貫く現代人の病理
斧で殺害したり、チェーンソーで殺害したり…アメリカ田舎町でのサイコホラーの道具立てがNYという都会のど真ん中で、スーツを着こなす主人公によって使われる演出がなんともセンスを感じさせます。
また、最後のシーン。結局主人公は一連の殺人行為にもかかわらず、なんと逮捕されずに終わります(本人は捕まりたいと思っているにも関わらず)。
それは、都会人の「無関心」という病理によるものです。
友人も弁護士もパトリック・ベイトマンや被害者ポールの名前と顔を一致させて覚えていないことが終盤のシーンで明らかになっています。
具体的にはまず
1, ポールと殺害日以後にロンドンで一緒に食事をしたとの友人の証言
2, パトリックはポール殺害後にロンドンに行っていないという事実、
3, 証言をした友人はパトリックの名前を誤っている(そのうえ、誤りに気がついてもいない)ことから、友人はポールを誰か別人と勘違いしていたことが(観客に対しては)ラストで明らかになります。
弁護士は関わりたくないので、パトリックの殺人の告白には聞く耳を持とうとしません。
友人の証言の誤りは写真を見せるなどして調査すれば明らかになるだろうと思われるのにバレないのは探偵のいい加減な捜査の現れでもあるのでしょう。
★主人公パトリックは殺人を本当に行っていたのか
この映画の結末には実はパトリック・ベイトマンが全ての殺人を行っておらず、ポールの殺害を除いては妄想だったとする見解もあります。
しかし、友人や弁護士がパトリックの名前を誤っていることの説明がつきません。全部妄想なら、何度も出てくる名前を混同するシーンは不要だからです。
また、ポールのマンションを再訪するパトリックをマンションの管理人の女性が事件なんて何もなかった、と言って追い払うシーンが「妄想説」の根拠にされますが、それは違います。
実はここにも無関心の病理が働いています。
管理人にとっては不動産の価値が下がるような事実…その部屋が実は殺人があった部屋であること…が知れたら、一等地の超高級マンションの価値が下がります。
新しい買い手に買い叩かれるでしょうし、今の入居者からも不満が出かねません。裁判になって、賠償金を請求されるかも。
殺人事件があったことは、彼女としても詮索されたくない、葬るべき事実なのです。
女性の背景で、壁から床まで全てをはがして塗り直しや壁紙の張り直しをする作業員が映っています。
単なる転居後の掃除でそこまでするでしょうか。
また、「二度と来ないで」という言い方は普通、友人の住所を訪ねて来ただけの者に対して言うセリフではありません。
殺されたポールに関係する人物がやってきて新しい入居者に真実が判明することは好ましくないので、きつく言い渡したのでしょう。
以上から、やはりポールの部屋が殺人現場であったことが推察されます。
友人の無関心、弁護士の無関心、探偵の無関心、マンション管理人の無関心が絡まって、ポール殺害事件をはじめとする一連の殺人事件は闇の中ということになったのでしょう。
あり得ない?でもこれはキツイ社会風刺コメディなので、そういう結末でもいいのです。
この映画について、クリスチャン・ベイルが二重人格の殺人鬼と解説されていることが多いですが、単にそうではないところが面白いです。
彼は本当に殺人を犯していても周囲は彼を罪人にしてくれない。それが正にアメリカンサイコ。アメリカって、あっちこっちで戦争をしたり、矛盾した自己中心的な行為で色んな国を蹂躙したとしても、許されてしまう。
パトリックはまさに「アメリカ」そのものだな。と感じました。
80年代のポップスを真剣に語る辺りとか滑稽だし、友人との会話にもバブリーな風刺がたっぷり入っていて、コメディータッチに描かれてますよね。
かなり面白い映画なのに、この映画について語り合える人が周りにいなくて、何年もモヤモヤしてます。
たなかさんのコメントは『アメリカン・サイコ』に対する適確なご意見だと思います。
クリスチャン・ベール演じるパトリックは二重人格者ではありません。殺人を犯さずにはいられないパトリックは自らの罪に対して十分に自覚的です。だからこそ、罪悪感にさいなまれる彼は自分を誰かが捕まえてくれることをどこかで期待していた。
彼の犯罪は「なかったこと」にされただけ。パトリックの名前をうろ覚えで他人と勘違いしている友人たちが、本当に興味のあるのは美しい名刺や仕立ての良いスーツ。
外見や服装、他人からどう見られるかには異常な関心を示す人々。音楽雑誌の批評を暗記したかのようなポップスの批評を語るパトリックも例外ではありません。しかし、その中身は空っぽです。
連続殺人の衝動にかられるパトリックは十分に異常な人間ですが、それ以上に、周囲の人々や社会環境が病んでいる。
ブラック・ユーモアが胡椒のようにピリッときいていて、お洒落でかつ、そら恐ろしい気分になる映画ですね。
もっと評価されてしかるべき映画だと思います。ある程度の映画好きでないと、知らない映画、というのではもったいないですね。
コメントのお返しが遅くなりまして、申し訳ありませんでした。
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