※レビュー部分はネタバレあり
若きミッキー・ロークが主演。最近復活してきましたね。なかなか味のある演技をなさる俳優になってました。もうごたごたは片付いたのかなぁ。
そのミッキー・ロークが演じるのは探偵。追うのは訪ね人。エンゼル・ハートとというタイトルから連想されるのとは裏腹の暗めの映像が観る者に光と影の印象を残す。
解説とレビューではエンゼルハートのストーリー展開を詳しく解説していきます。
1955年。私立探偵のハリー・エンゼルは、弁護士を介してルイ・サイファーという男から仕事の依頼を受ける。
その内容は、戦前に人気歌手であったジョニーという男を探してほしいというものであったが、ジョニーは戦争に従軍後、精神を病んで精神病院に収容されているはずであった。
そこで、病院に行ってカルテを見せてもらうが、そこには退院したとの記載が。そこでハリーはカルテに署名した医師を訪ねて行くが…。
ハリーを次々と襲う事件。彼は真相に到達できるのか。ミステリー・サスペンスの潮流を変えた記念碑的作品。
【映画データ】
エンゼル・ハート
1987年・アメリカ
監督 アラン・パーカー
出演 ミッキー・ローク、ロバート・デ・ニーロ
映画:エンゼル・ハート 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり
★『エンゼル・ハート』の影響
この作品を観て、1987年にこの「本人落ち」の作品が出ていたのかということにまず驚かされました。この手の落ちの作品は「ユージュアル・サスペクツ」(1995年)「シックス・センス」(1999年)で趣向を変えつつ、さまざまなバリエーションで用いられています。
本作品は主人公の精神構造に決着するストーリーを採用しつつ、サスペンスミステリーとして完成された初期の作品でしょう。ストーリー・映像・演出・音楽…全てが高い完成度で出来上がっています。
先に述べたようにこの作品が後進の作品に与えた影響は「落ち」だけではなく、その映像・演出も同様です。
回る換気扇・昇降するエレベーターの光と影、黒と白の対照、薄汚れた下町の道端で規則的に刻まれるタップダンスの靴音、踊る少年の絡み合って倒れてしまいそうな足元のクローズアップ。
こういったシーンは一見、何の関係もないように思えます。
それでも観客は何かあるのではないかという不安感を拭いきれず、言いようのない焦燥感や不安感に胸を満たされたまま一気にラストまで引っ張られていく。
このような映像は(特に換気扇のシーンは良く見る)本作以降の作品に多用され、類似の場面が登場しています。
★ジョニーとハリー
それではストーリーを見てみましょう。ジョニーの体を持つジョニー&ハリーの二重人格ということですよね。以下、詳しく解説していきますが、最終的な結論はそういうことになるでしょう。
ハリー・エンゼルとルイ・サイファーという名前、そしてタイトルの『エンゼル・ハート』とを考え合わせれば英語圏の人なら特にぴんとくるのかも知れません。今では、ここまで名前でヒントを出すと落ちがばればれですね。
サイファーという名前は『マトリックス』でも使われています。
映画のストーリーに従うと、
1, ジョニーは戦争前に悪魔と契約し、人気歌手になります。そして、
2, 悪魔との契約から逃れるために偶然見かけた若い軍人の心臓を食ってジョニーはハリーの記憶と人格を得ます。
このときにジョニーとしての記憶は奥底に隠蔽されてしまいます。そして、
3, 負傷して復員し、顔を整形し、新しい記憶に基づいて、ハリー・エンゼルと名乗って新しい生活を始めます。
ジョニーがハリー、その逆もまた真なので、いつまでたってもハリーは真相に近付けず、ぐるぐる真実の周りを周回していたわけです。
★ジョニーと悪魔の契約
ジョニーが悪魔と契約するに至るのはなぜでしょうか。
恋人の占い師マーガレットは、人間の手のミイラを鏡台の小箱に入れていたことから、悪魔崇拝者であったのでしょう。それをきっかけに悪魔の力に魅入られたと思われます。
そして、その悪魔との契約から逃れるために黒人でブゥードゥー教の巫女であり、エピファニーの母親である愛人の力を借りることにします。それは、儀式により心臓を食って、ジョニーが新しい人格と記憶を得るというものでした。
そして、復員後は新しい生活を始めることに。
ところが、悪魔は、整形や他人の記憶と人格の乗っ取りくらいではごまかされません。
今はハリーとして生活する男がジョニーであることは百もお見通しで契約の履行を迫るべくハリーにジョニーの捜索を依頼する…。というわけ。あえて、本人にジョニーを捜させるのは悪魔流のジョークというわけなのでしょう。
あとは人格崩壊の過程をを見てみたい、そして、その苦しみをジョニーに契約から逃げた罰として与えてやりたい、ということでしょうか。
★人格の統合
最後に、ハリーは自分こそがジョニーであると気が付くことになります。
隠蔽されていたジョニーとしての人格はハリーがジョニー探しを依頼されたことで完全に目覚め、ジョニーは、ハリーに自分の存在を知られないように殺人を繰り返して真実を知る者を抹殺していました。
ハリーはそんなジョニーとしての人格から逃げようと、自分こそがジョニーであることを頑強に認めようとしません。しかし、最後に、刑事にエピファニーを殺したことを詰問され、「人を殺した」ことを認め、自分がジョニーであることを認めます。
その瞬間に人格は一つにまとまり、一気に今までの殺人の記憶が戻ってきます。そして、エレベーターを降りていくジョニー(ハリー)。行き先は?魂はルシファーのもとに、肉体は殺人犯として電気椅子に行くことになるのでしょう。
★なぜ、この時期にジョニーを連れに悪魔が来たのか
なぜ、終戦後何年も経って、ルシファーはジョニーを連れに来たのか?
なんででしょうね。
ずっと探していてやっと見つけ出したのでしょうか?でも、ジョニーのごまかしを見破るくらいですから、それもどうでしょうね。
ひとつ考えられるのは、これも悪魔なりのジョニーに対する制裁であるということ。
なぜ、これが制裁なのか?
最後のシーン、エピファニーの子は目が光っています。それはエピファニーの子供、すなわち、ジョニーの孫は悪魔の子だからです。
エピファニーは父親は誰かという質問に曖昧に答えていますが、父親は悪魔だったのでしょう。ルシファーは子供が生まれて成長が確実になるのを待ってジョニーを連れに来たというのはどうでしょう。
せっかく生まれたジョニーの孫も悪魔…と分かったジョニーの心境はどのようなものでしょうか。
ちなみに、冒頭で突然出てくる犬と猫、そして死体。この死体は単なる演出です。恐らく浮浪者か誰かの死体です。
これは心臓を食べられた若い軍人の死体ではありません。なぜなら、彼は戦後には既に死んでいます。彼が死んだのは戦前または戦中。冒頭の死体の映像は戦後です。
さらに、ジョニーの死体でもありません。心臓を食べたのはジョニーです。軍人からは心臓を頂いただけで、軍人の体を乗っ取ってハリーになったわけではありません。
あくまで、体はジョニーのままです。