※レビュー部分はネタバレあり
マーティン・スコセッシ監督とレオナルド・ディカプリオによる骨太な人間ドラマ。1840年代から1860年代南北戦争のころまでの激動の街、ニューヨークを描く。
ギャング・オブ・ニューヨークの主眼はアメリカ移民の歴史を描くことにある。その歴史を動かした人間たちが移民だった。
民族・宗教・家族愛・恋愛・愛国心。全ての要素を織り込んで展開するアメリカ南北戦争前の時代。それを一度に描き上げたギャング・オブ・ニューヨークはスコセッシ監督が何十年もの間、温めてきた企画の映画化である。
「ホワイト・ニガー」と呼ばれて、黒人同様の差別を受けるアイルランド系の移民とWASPの衝突が繰り返され、流血事件が頻発していた。
主人公アムステルダムの父親はアイルランド系デッド・ラビッツのリーダーであった。しかし、WASPで構成されるネイティブズとの抗争で殺され、孤児となったアムステルダムは孤児院で育つことになる。
そして、時は流れ、成長した青年は街に戻ってくるが、そこは父を殺害したネイティブズのリーダーが牛耳っていた。アムステルダムはその組織に入り、次第に頭角を現していく。
ギャング・オブ・ニューヨークは脚本や演出がしっかりしており、往時のニューヨークの雰囲気が堪能できる。いい映画だが、舞台背景になじみがないせいか、日本ではあまり評判にならなかった。
ラストシーンの情景変化が素晴らしい。何度も繰り返し見たくなる。ラストの曲はU2が提供しており、さすが、アイルランド出身のグル―プだけのことはあるか。
U2は出身国アイルランドの歴史にちなんだ楽曲もいくつか発表していて、本作のエンディング「The Hands that Built America」もその一つだ。
ギャング・オブ・ニューヨークで描かれるWASPとの対立を経たアイルランド移民の時代が終わり、次に来るのはイタリア系移民の増加である。そして、1890年代。時代はイタリア・マフィアの時代へと移る。
※WASP…アングロサクソン系プロテスタントの白人のこと。アイルランド系移民はカトリック。
【映画データ】
ギャング・オブ・ニューヨーク
2001年 アメリカ
監督 マーティン・スコセッシ
出演 レオナルド・ディカプリオ、ダニエル・デイ・ルイス
↑アイルランドのケルティッククロス。十字架に丸い円がつきます。これはケルト教がキリスト教化された名残。写真は上部が欠けています。今でもニューヨークの一部の地域など、墓石にこのクロスをみることができます。
映画:ギャング・オブ・ニューヨーク 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり
ギャング・オブ・ニューヨークのラスト、最後の決闘の場面。徴兵暴動でお流れになり、あれあれ、とがっかりされた方もいたのかな、と思いますが、そのような展開になる理由がちゃんとあります。
★親子の愛
ギャング・オブ・ニューヨークには様々な愛が描かれていますが、軸にあるのは親子の愛です。特に、ネイティブズのリーダー、ビルと、アムステルダムの親子類似の関係には非常に注目されるところでしょう。
アムステルダムにとってはビルは父親の仇であり、復讐を果たすため、その命を狙って、ビルの組織に加入したはずでした。
しかしながら、当初は組織のボスと下っ端の上下関係に過ぎない二人の関係は次第に変化していきます。
ビルの暗殺未遂事件の際にとっさに身を呈してビルの命を救ったことに象徴されるように、次第に親子に似た感情を抱くようになっていくのです。
ビルは「俺には息子がいなかった」といいます。今はいるのだ、という気持ちが暗示されているように聞こえるセリフですね。
そして、アムステルダムは父の仇としてのビルと、父親としてのビルを同時に見ることとなり、その狭間で感情的に揺れ動くことになります。
しかし、そこで、そのままビルとの関係を続けることは周囲が許しません。
アムステルダムは、かつてのデッドラビッツの残党で、ビルに与しない立場の者からはデッド・ラビッツを再結成するように発破をかけられます。
ビルはビルで、ジョニーからアムステルダムがヴァロン神父の息子であり、ビルの命を狙っていると密告を受けます。
そこで、ビルとしてはいくらかわいがっていたアムステルダムであっても組織の秩序を守るために、アムステルダムを殺さざるを得ない情況になっていくのです。
それは、ふたたび運命が回り始めた瞬間でもありました。
↑ケルトのクロスはいろいろなバリエーションがある。見た目にデザイン性が優れているので、現在でもアクセサリーのデザインでよく見かけますね。
★なぜビルは一度暗殺に失敗したアムステルダムの命を救ったのか
さらに、ギャング・オブ・ニューヨークのドラマに深みを与える解釈があります。それは、既にビルはアムステルダムがヴァロン神父の息子であることを知っていたというものです。
となると、ビルとしては既にに知っていた事実ではあるが、密告を受けた以上、組織のボスとしてその事実を確かめざるを得なくなるのです。
しかし、もしかしたら、アムステルダムは復讐の念を捨てたかもしれない。
そこで、それを確かめるために、ジェニーを立たせて、きわどくナイフ投げのショーをして見せ、さらに、デッドラビッツを倒した日に感情的な演説でアムステルダムを煽ったのでしょう。
果たして、アムステルダムはビルにナイフを投げました。やはり復讐心は消え去ってはいなかったのです。
ビルの目的は果たされました。後はアムステルダムを反逆者として処刑すればいいのです。今、彼を放てば、再び復讐を果たしにやってくることは歴然としているからです。
しかし、ビルはそうはしませんでした。その後のアムステルダムの行動は非常に挑発的なものになり、ビルは暗殺者を仕向けることになりますが、命令する彼の目には涙が。
そう、彼にはアムステルダムを殺すだけの意思も気概もなくなっているのです。こう考えると、最後の見せ場と言うべき決闘の場面についてすんなりと納得できます。
最後の決闘。しかし、徴兵暴動と砲撃の開始により、決闘に至ることはありませんでした。もうもうと舞う視界を遮るほどの砂埃が舞う中で、あっさりとビルはアムステルダムに殺されて最期を迎えることになります。
一連の流れからは、息子のように愛したアムステルダムに殺されることを意図的に受容したと考えるべきでしょう。
★ディカプリオがアムステルダム役というキャスティング
童顔すぎてとてもじゃないが、ギャングの首領には見えない?
確かにそれはそうかもしれません。
でも、ギャング・オブ・ニューヨークはギャングの抗争を描く、というよりは、アメリカのアイルランド移民の歴史を背景に、ビルとアムステルダムの関係を主題に描いた作品です。
そこで、アムステルダムはいかにも、な狡猾で残忍なイメージの、ギャングにぴったりな男ではだめなのです。
アムステルダムは悩み、迷いのあるギャングなのです。
父の仇と分かっていながらも、いつしか芽生えたビルに対する、父に対するような親愛の情と板挟みになって復讐に踏み切れない、そんな優柔不断さをもつ性格を演じる必要があります。
というわけで、ディカプリオは適役だったと思います。
【『か行』の映画の最新記事】