※レビュー部分はネタバレあり
ユアン・マクレガーが主人公のサムを演じている。ステイの中で、唯一安定していて頼れる存在の精神科医がサムだ。そして、ナオミ・ワッツがその恋人役で共演している。ナオミ・ワッツのはかなげな美しさは作品全体に漂う不安定な雰囲気によくあっている。
ステイは近年、珍しくなくなってきた心理・不条理系の映画だ。
それでも、ステイが二番煎じの後追い映画にならないのは、映像演出の巧みさ、ステイ全体を包むファンタジスティックで温かい雰囲気だろう。
ニューヨークで精神科医をしているサム。恋人のライラと同棲し、充実した毎日だ。
サムの同僚の女性精神科医が休職してしまったため、サムは彼女の患者を代理として引き受けることになる。その一人、ヘンリー・レサムは大学生の患者で、頻繁にサムのもとに訪れていた。
ヘンリーはある日、ふらっとサムのもとを訪れ、3日後の誕生日に自殺すると予告する。彼を死なせまいと必死にサムの行方を追うサムは説明のできない不思議な現象に見舞われる。
時折よみがえる車のクラッシュするフラッシュバックは何なのか…最後の展開に向けて収束していく過程に面白さを感じる映画。
ステイは結末を知って観ると1回目とは違う味わいがある。
ステイの脚本は『25時』『トロイ』のデイヴィッド・ベニオフ。
彼が初めて売った脚本がこの『ステイ』なのですが、映画化が随分ずれ込みました。もっと早くステイの映画化が実現していたら、新人脚本家の作品として注目度はもっと高かったでしょうね。
ステイのひとつの特徴はその映像美。
建物の高層階の窓から流れるようにしてタクシーの中の人物にスライドしたり、公園の人物から部屋の一室にある写真にスライドしていく映像表現は自分が空を飛んでいるよう。その滑らかな動きの巧みさと美しさでステイに魅せられます。
【映画データ】
ステイ -stay-
2005年 アメリカ
監督 マーク・フォスター
出演 ユアン・マクレガー、ナオミ・ワッツ、ライアン・ゴズリング
映画:ステイ -stay- 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり
★ステイ-stay- の結末
ステイのストーリーを整理すると、この映画には現実の出来事と夢(又はもう一つの世界)の出来事の両方が描かれています。
ステイの本編にあたる部分は全て夢(またはもう一つの世界)です。ステイの中で現実なのは、ブルックリン橋の上の自動車事故及びヘイリーが瀕死になっていること。
事故現場のブルックリン橋は現実と夢(もう一つの世界)の分岐点。そして、ヘンリーはこの事故で瀕死の重傷を負って死亡しました。
★ステイ-stay- は本当に「夢」の世界を描いたのか
自動車事故のシーンがステイの冒頭に提示され、ステイ本編中でフラッシュバックが繰り返されるにつれて事故の経過がより詳しく明らかになっていきます。
最後には両親およびヘンリー、そして恋人の4人が車に乗っており、両親および恋人は既に死亡、ヘンリーは瀕死の重傷を負ってサムとライラの救助を受け、後に死亡したことが分かります。
では、ステイの本編は一体何?
ここに2つの解釈を提示したいと思います。
1、全部夢。ステイの本編はヘンリーが死亡直前に観た夢。
2、別の異世界。ステイの本編ではヘンリー、そして精神科医サムを始めとした全員がもう一つの世界に行った。
どうでしょう。1・2はともに現実世界ではないという点で共通しますので、どちらの考え方でも映画の本編は広い意味で「夢」であるとはいえるでしょう。
そして、ヘンリーは誕生日に自殺すると予告します。「3日後に自殺する」と言っているのは3日後が事故の日だから。彼はその日に事故で死んでいるのです。
また、「生きることは美しい」とライラの言葉を引きながら思い直すように迫るサム。ヘンリーは「そうだね、でもどうしようもないことなんだ」と自殺を思いとどまるには至りません。
これは、ヘンリーが自分が事故で死ぬことを知っており、その結末は変えられないことを知っているからです。
以下は先に示した解釈を順に詳しく検討していきます。
1、夢
全部夢であるという根拠は、ヘンリーの周りに集まった人々が全員本編のいずれかに出てきているということです。本編のなかには双子や三つ子が繰り返し登場しますが、瀕死のヘンリーの元に集まった人のなかに双子がいますね。
夢というものは意識に浮かんだ人を自分で色付けして役割を与え、構成し直して見ることがあります。この場合は、ヘンリーが薄れていく意識の中で周りに集まった人を認識し、彼らを自分の夢の中でヘンリーなりの役柄を与えて登場させたというわけです。
よって、本編はあくまでヘンリーの夢であり、ヘンリーの思惑によって夢の内容が左右されることになります。
例えば、サムがヘンリーを探して立ち寄ったアート系書店の店主がヘイリーの絵の評価についてサムに幾分執拗に「将来高く評価されると思わんかね」と尋ねるシーンがあります。
サムは、閉店後に駆け込んできた客で、明らかに急いでいる様子です。
しかも、店主にはサムが芸術に造詣が深いかどうかも分かりません。それなのに、この状況で、店主が若手画家の将来の評価をサムに求めるのは不自然です。
すなわち、店主がサムにヘイリーの絵の評価を求めるのはヘイリーの画業への不安と希望の現れです。また、今現在、無名画家に過ぎない自分が死後には評価されたいという願望の現われでもあります。
さらに、目が見えないはずの父親の目が見えるようになったり、サムを介してですが、母親と和解したり、死んだはずの犬が出てくること。
そして憧れの女の子がヘンリーを気にかけていてくれること、しかも彼に対して懐かしいような感情を持つといいます。
現世において気にかけていたことや大切な人々が登場し、ヘンリーの望む態度や立ち振る舞いをしてくれます。
現実には恋人なのに、夢のなかでは話したことすらない女性という設定になっているのは、ヘンリーがプロポーズに失敗して彼女を失うかも知れないという不安の表れでしょう。
2、異世界
事故が起きたのはブルックリン橋の上。ヘンリーを探してサムが立ち寄るアート系書店の店主がヘンリーからもらったという絵画のモチーフはブルックリン橋。
ブルックリン橋はあの世とこの世を結ぶ橋。瀕死のヘンリーに向こう側の世界が開かれ、同時に橋にいた人たちも異世界に行ったという考え方ができます。
そして、こちら側の世界では現実とは少々異なる設定で生活していることになります(異世界ではライラは元患者で教師だが現実は看護師でサムとは知り合いですらない)。
なんといっても、観客は精神科医サムの姿を追い、サムと共に現実の世界に目覚める構造になっています。瀕死のヘンリーが夢を見たとするならば、なぜ、本編はヘンリーではなくて精神科医サムの視点で進行するのか。
それは映画の本編は単なるヘンリーの夢ではなくて、現実とは次元の違うもう一つの世界の出来事であるから。そこではその世界の「現実」が存在するのです。
そして、サムが長年の友人だといい、ヘンリーが父親だといった老いた男性は最後に光に飲み込まれるようにして去っていきます。
そしてライラはヘンリーの絵画の中にブルックリン橋のモチーフを見つけた後、螺旋階段を駆け降りた先で白い光に飲み込まれます。
以上の退場の仕方は彼らが異世界から現実世界に戻っていったことを表すと解釈できます。
★1と2どちらが正当か
どちらかというと、最初は2.異世界の解釈を取っていました。精神科医サムの視点で進行するステイ本編とのリンクを重視したからです。
しかし、最終的には結論を変えました。理由は以下の通りです。
まず、一、公園でこっちを見るヘンリーの姿がデスク上にある写真に変化する場面があったこと、これで、精神科医サムの視点の場面にもヘンリーの視点が介在することが暗示されています。
次に、二、事故現場、すなわち現実世界ではヘンリーが指輪を持っているが、本編の中では精神科医サムが指輪を所持していて、ヘンリーではなくてサムがプロポーズするかどうか迷っていること。
これは現実にプロポーズしようと悩んでいたヘンリーの意識が夢に持ち込まれたということでしょう。
最後に、最も大きな理由として、ステイ本編が精神科医サムの視点であること。
この理由は、2、異世界との解釈の理由になるはず。ところが、1、ヘンリーの夢と言う解釈の味方でもあることに気がつきました。
ヘイリーは自分が運転する車で事故を起こし、大切な人たちを全員死なせました。
ヘンリーが感じるのは酷い罪悪感と激しく後悔する気持ちのはずです。自分が最低の存在で、存在価値すらない最悪の人間だと思うでしょう。
一方で、彼の命は風前のともしび。このような状況下で彼が欲しいものは何でしょうか。
それは、彼を許してくれる存在です。
本当は精神科医ではないサムがなぜ、精神科医として登場したのか。
それはヘンリーが求めていたのは心の痛みを聞いてもらえる人であったから。
ヘンリーが犯した罪を許すのは本人であってはいけません。
ヘンリーの求める許しは、他者からの許し。
ヘンリーの自責の念を取り払ってくれるのは他の人の言葉です。だから、夢はヘンリーの罪を許し、ヘンリーの声を聞いてくれる存在であるサムの視点で進行したのです。
以上から映画の本編は1、ヘイリーの夢であったということで九割方は間違いないと思います。
ただ、単純な夢ではなくて、サムたちは無意識にその世界にヘイリーに連れられてトリップしたが、その世界は間もなく死ぬヘイリーしかとどまることができない世界であったということだろうと考えています。ただ、無意識なので、本人たちに記憶や自覚はないでしょう。
★ヘンリーの意識が夢に与えた影響
ヘンリーの夢の中の精神科医サムはヘンリーが欲するものが投影されたサムであり、ときにはヘンリーに代わって行動をしています。ヘンリーの夢なので、彼の意識が強く影響しているのです。
だからサムは指輪を所持していて、ヘンリー同様にプロポーズを思い悩んでおり、サムはヘンリーに代わってヘンリーの母親と和解し、飼い犬にも会っているのです。
ただし、サムはヘンリーそのものではありません。
彼の究極的な存在意義はヘンリーの価値を客観的に認めてくれる者であるということにあります。
だから、彼はヘンリーの所在を必死になって探し回ります。
サムはヘンリーという存在を認め、死なせてはならない、保護すべき対象として認識するからこそヘンリーを探すのです。
これはヘイリーがこの世における自分の存在意義を確認したかった気持ちの表れ。
また、前述の通り、サムはヘンリーの絵画の価値を書店の店主に尋ねられます。
さらに、サムはヘンリーに対して両親の死が彼の責任ではないと否定して彼を救済しようとしています。
これはヘンリーの両親に対する罪悪感の現れです。
そして、最期のとき。
いよいよ現実世界のヘイリーの意識は遠のいていきます。もう、夢の世界を維持できなくなってきていました。
それで、デジャヴが起こるようになり、やがて、登場人物たちは一人ひとりと消えていきます。
死期の近づいていない者たちは再び現実世界に戻ってきましたが、ヘンリーだけはその世界から戻ることはありませんでした。
恋人ではなく、相手がライラだということに気がつかないまま、現実世界に戻ってきていた指輪でプロポーズを果たし、ヘンリーは死んでいきました。
★ヘンリーの叫び
この映画を観て感じるべきことは、本当は、あの場面はどうなんだ、こうなんだと注釈をつけることではありません。
そんなことは実は分からなくてもいいこと。
本当に感じるべきなのは、へンリーがどうしようもなく苦しんでいたということでしょう。
自分の運転する車が事故を起こして、大切な者たちを全て失くした悲しみと自責の念。失ってしまったこれからの人生。将来の画家の夢。
悔やんでも悔やみきれないヘンリーのやるせなさと行き場のない感情が見せた夢。
それがこの映画に表現されているものなのです。
彼は死にたくなかった。生きたかったんだ…彼の心の叫びが聞こえてくるようです。
事故で死んだ両親や恋人への罪悪感、やり残した恋人へのプロポーズ、自分が夢見た画家としての将来…。
ヘンリーは死ぬ前にこれら全てに助けの手を差し伸べてくれる人が欲しかったのです。
そのヘンリーの理想は、事故現場でヘンリーを助けようと尽力してくれたサムに投影されました。
彼の最後の激情が見せた夢。
サムは精神科医として夢に登場し、彼に対して出来る限りのことをしました。
ヘンリーを待つ結末は変えることは叶わないことでした。それでも、ヘンリーの心の苦しみを取り除き、罪悪感を癒すことでサムはヘンリーをこの世から送り出す役割を果たしたのです。
読ませていただいて良かった!!
『ステイ』は本当に難しい映画でしたね。レビューを書いているときにも、自分が何を書きたいのか分からなくなってしまうときがありました。
できるだけ、理解していただけるように、書いたつもりですが、分かりにくいところもあるかと思います。「すっきり!!」したと言っていただければ、本望です。ありがとうございます。
コメントへのお返しが遅くなりまして、申し訳ありませんでした。また、感想等ありましたら、お寄せください。
レビューを楽しんでいただけたようで、幸いです。
「stay」はヘンリーの生への願いが切々と伝わる、美しい映画でした。ある人間の刹那の夢を切りとって、ここまでの映画にできるとは…本当に感服ものです。
ご訪問ありがとうございました。
またのお越しをお待ちしております。