※レビュー部分はネタバレあり
エドワード・ノートンとエドワード・ファーロング主演、アメリカン・ヒストリーX。
アメリカ社会の病理を描いた社会派の怪作であり名作。特筆すべきは、人種差別問題を過去の出来事としてではなく、現在の出来事として描く衝撃だ。
KKKや燃える十字架は本当に過去の問題のなのか。
そして、アメリカン・ヒストリーXの「X」の意味するものは無限の希望か、絶望か。
カリフォルニアの高校に通うダニー・ビンヤードはある日、校長に呼び出される。その原因は彼の提出したレポート。ヒトラーの手記、『わが闘争』をテーマにするものだった。
ダニーはスキンヘッドにし、部屋はハーケンクロイツ(ナチスの鉤十字)がでかでかと飾られている。彼はネオナチのグループに属し、校内では黒人の同級生と険悪な関係にあった。
そんなダニーの様子に校長は気が付いていた。そして、彼に、改めてダニーの兄、デレクについてのレポートを出すように命じる。タイトルは「アメリカン・ヒストリーX」。
デレクは刑務所に服役していたが、今日出所の予定だ。服役前の彼は白人至上主義者でネオナチのリーダー。黒人を殺して逮捕されていた。弟のダニーは兄を尊敬していたのだった。
父親の死。差別と偏見、怒り、そして憎しみ。振るわれる暴力。
図らずも、ダニーとデレクのたどった軌跡、アメリカン・ヒストリーXはアメリカの憎しみの連鎖を象徴するものになっていた。
憎しみの連鎖を描き出した秀作。アメリカン・ヒストリーXは人種差別やネオナチに対する非難を超え、人間の本質をえぐり出すことに成功している。
【映画データ】
アメリカン・ヒストリーX
1998年 アメリカ
監督 トニー・ケイ
出演 エドワード・ノートン、エドワード・ファーロング
↑アメリカのネオナチを自称する白人グループ。2,3人の小グループから民間武装組織の体裁をとる1万人を超える大規模なものまで多数存在する。
映画:アメリカン・ヒストリーX 解説とレビュー
※以下、ネタバレしています。
★アメリカン・ヒストリー「X」
X。XYZのXですが、なぜ、アメリカン・ヒストリーXなのでしょう。
Xは辞書で引くとローマ数字、数学の変数などいろいろな意味が出てきます。
アメリカン・ヒストリーXのような人種差別を扱った映画の場合、黒人の姓名の姓の方を意味するものとして使われることが多いです。これは、奴隷時代に黒人が字を書けず、Xと署名したことに由来します。
新興国アメリカの建設期から南北戦争を経たのち、キング牧師やマルコムXの公民権運動。長い年月をかけた人種差別の解決への努力の歴史です。
アメリカが並々ならぬ時間と熱意を持って、この問題に取り組んできたことは間違いありません。
その象徴が2009年1月20日のオバマ氏の大統領就任でしょう。
その一方で、近年は、ネオナチや極右勢力、そして一部のキリスト教原理主義や超保守主義、国粋主義や白人至上主義が融合して過激派としての活動を再活性化する試みが注目されています。
彼らのリクルート先は、失業や貧困に悩む若い白人です。
若い彼らは就職難や貧しさに対して怒りを溜め、吐き出す先を求めています。
彼らの苦い感情を移民や有色人種に向けさせ、利用するのは実に効率的なリクルートです。
アメリカン・ヒストリーXの主人公はやはり怒りを持つ青年です。
アメリカ中流家庭に生まれ、、真面目に授業に取り組む高校生だった彼はなぜ、ネオナチに属し、白人至上主義を取るようになったのか。
公民権運動当時に比べて、人種差別に対する派手な社会運動はなりをひそめました。その陰で、枯れることなく流れ続ける差別感情がむくむくと頭をもたげるときがあります。
本作はそのうごめきを捉え、表層だけでは理解できない、人種差別の本質的な構造を描きました。
従って、Xにはアメリカ社会史の裏歴史、表立って描かれない歴史というような意味合いもあるのでしょう。
人種差別をテーマにする作品の中でも、心の奥底に潜む差別感情の下地を描く映画としてアメリカン・ヒストリーXは特異な作品だと思います。
★刑務所仲間のラモントと「黒人」
さて、この作品には取り上げたい場所がいくつかありますが、一番本質をついている場所は物語の中盤。
刑務所の中でデレクが出会った黒人のラモントがシーツを被り、KKKの真似をして叫んでみせます。
「黒人を憎め!今日も明日も黒人を憎め!黒人ってどんなやつだっけ?まあ、いいや、なんでもいいからとにかく憎め!」
↑現代のKKK活動家。背後には南軍旗が。かつては、第28代アメリカ大統領のウィルソンも会員だったほど、政界・経済界に浸透していた。現在でもKKKのパレードが残る地域がある。(残念画質ですみません)
これは「憎悪」の構造を適確に言い表しています。
服役前に白人至上主義者だったデレクは黒人をはじめとした有色人種を徹底的に差別し、暴力さえいといませんでした。
しかし、その憎悪の対象は「ラモント」という黒人ではありません。
彼らが憎んでいたのは「黒人」や「アジア系」という生き物。
そこには個人を識別する要素はなく、人間が無個性にカテゴライズされています。
彼が憎んだのは「黒人」、それは父を殺した黒人から生まれた想像上の、記号としての黒人たちでした。
↑骸骨(南北戦争時代の北軍兵士)の背後は南軍旗。南北戦争時代の南部の象徴であり、現代では人種差別や白人至上主義の象徴である。南部では今でも根強い人気があり、星条旗の代わりに使う者も少なくない。
父を殺されたデレクの感情は強いパワーを持って、彼をネオナチ組織に入会させ、最後には殺人を犯させました。
そして、周囲にデレクの増幅された憎しみが伝染していきます。
デレクの憎しみは、ネオナチのメンバーにはデレクのカリスマ性を核にした結束力を与えました。
しかし、彼の行動と犯罪は母を追い込み、妹との関係には亀裂を生じさせました。
そして、ついにもたらされたのは究極の結末。弟の死だったのです。
★兄弟が白人至上主義者になったわけ
弟のダニーは兄を慕っていました。そんな兄が刑務所に収監されてしまい、頼るものがなくなってしまったダニーの取った行動は、在りし日の兄の姿を真似ることでした。
頼りにしていた兄が突然、いなくなってしまったダニー。兄のしていたことや考えていたことを真似すれば兄のようになれる。
意識してかどうか、ダニーは兄と同じ思想と行動をとるようになります。
ダニーがそうしたのは、兄を尊敬しているからですが、それだけではありません。その理由を探るため、兄、デレクを考えてみましょう。
★父の死とデレクの心
デレクが父の死後、ネオナチに傾倒したのは何故でしょうか。
確かに、父は黒人に殺害されました。そして黒人への怒りに燃えたデレクが白人至上主義に傾倒した…という説明は正当ですが、彼の心理を完全に捉えたものではないでしょう。
彼が感じたのは怒りだけでしょうか。
それよりも大きな感情が彼にはあったはず。
それは喪失感です。
穏やかで平和な家庭から突然消えてしまった父親。
消防士として、危険から人命を助けるという勇気ある職業に就く父親をデレクは尊敬していました。
それに、彼の言動にはデレクの考え方に少なからず影響を与える力がありました。
それは食卓で二人が教師が黒人文学を授業で扱うことについて会話するシーンからもうかがえます。
心に空いた大きな穴。支えてくれる者を失った頼りなさ。デレクは埋めようのない寂しさと不安を感じたでしょう。
そこで出会った、ネオナチの組織。
彼らを束ねるキャメロンは父と同じ年代で、自分を見込んでくれる、頼れるリーダーです。
そして何よりも、人種差別を叫び、アジア人の店を襲撃し、組織の仲間と騒いでいるときには父親を失ったという心の隙間を感じずにいられるということ。
デレクが組織に求めたのは思想に共鳴した、というよりは、そこに自分の居場所と安心感を求めたからでした。
ここに、ダニーがデレクの姿を追った理由があります。
父が死に、頼りにしていた兄のいない喪失感。
兄が父の死をきっかけにネオナチに傾倒したように、弟ダニーも兄が刑務所行きになったことで組織によるべを求めたのです。
★受け継がれる人種差別
高校生のころのデレクと父親の食卓での会話。父親はさらりと黒人文学に対する偏見をのべ、アファーマティブアクションの不当性について語っています。
アファーマティブ・アクションの妥当性については諸説あるでしょうが、少なくとも、黒人教師が黒人文学を二・三取り上げたからと言って、すぐにそれが偏向教育だとする父親の発言は明らかに黒人への差別意識が見て取れます。
ところが、父親にはそんな意識はないでしょう。彼には自分の発言が差別的であるとの認識はないはずです。
白人の差別意識といってもさまざまです。
デレクのように武装闘争も辞さないとして、実際に犯罪行為を行う者、あるいはレストランから追い出すとか、野次を浴びせる、もしくは電車で有色人種の隣には座らないなど、公には判然としない差別までいろいろあるでしょう。
差別が意識的か否かは別として、それらの人に共通するのは程度の差はあれ、ある人種を自分より劣った者として見る態度です。
デレクの父親は、息子の学ぶ文学が何であれ、根本的に黒人の教師が白人の生徒を教えるという関係自体について不満を持っています。
それなのに、息子が黒人教師をほめたことが気に入らなかったのです。そこには、黒人が白人の上に立つなんて好ましくないことだ、と思う意識が潜在的に働いています。
彼はネオナチでも、白人至上主義者でもありません。彼は、消防士として社会的名誉あるれっきとしたアメリカの一市民です。仮に、生前に息子がネオナチに加入していたら父は息子を止めたでしょう。
ここに、アメリカ社会の人種差別の根深さがあります。
一見、差別意識がなく、本人もその自覚がないのに、その根底に脈々と流れる白人優越主義の考え方です。
なにせ、本人が無意識なので、考え方や行動が差別的であることにも気がつくことはありません。
なぜ、白人優越主義的だと気がつかないのでしょうか。
それは、彼の父、または母、もしくは親戚や周囲の人々もまた同じだからです。繰り返される世代交代となくならない差別意識の負の連鎖がここにあります。
★人種差別は他人事?
人種差別はアメリカに限った事ではありません。民族紛争はその極限の表象ですが、もっと身近なところにも差別は潜んでいます。
自分の属するアイデンティティーに誇りを持つのは良いことです。
自分のよって立つものがあるということは人間に安定をもたらしますし、人間社会はアイデンティティーを同じにする者たちの集まりによって発展してきました。
しかし、誇りを持つことと、他の人種または国の人間を見下すことは同義ではありません。
この違いは分かっていても、つい混同してしまいがちであることは否めません。
その間違いを防ぐには、何よりもまず、それが誤っているという認識を持つこと、そして、相手を知ろうとする姿勢です。
デレクのように「黒人」と相手をカテゴライズしてしまった瞬間に扉は開かなくなってしまいます。
アイヌ民族の同化政策、同和問題もしくは在日韓国・朝鮮人の方々、日本とアジアの国際関係を考えて、この『アメリカン・ヒストリーX』を引き直して見るとより身近な問題として捉えられるのではないでしょうか。