※レビュー部分はネタバレあり
この『セルピコ』は1970年代の実話に基づく映画。
映像や演出が凝っているわけではなく、ストーリーもシンプルな映画なのに、強烈な印象があるのはアル・パチーノの異彩を放つ存在感だ。
また見たくなる魅力的な映画の一つである。
一言でいえば、セルピコが正義を貫く物語。そのセルピコの人物描写に、いくら実話だといっても美化しすぎでリアリティーがない、と思わないのはアル・パチーノの演技力だ。人間臭さのある、ヒーローになりすぎないセルピコを熱演している。
↑1970年代の写真.アル・パチーノではないですが.映画の最後の方、こんな感じになってきてましたね.
1971年のNY。雨の降る夜に病院に運び込まれる一人の男。彼は捜査中に銃で撃たれた警察官だった。即刻、24時間の警備態勢がとられることに。
一体何があったのか。
警察官の名前はセルピコ。
ニューヨークの一警察官であったが、同僚の警察官たちの腐敗を告発し、仲間の警察官にうとまれていた男だった。ここから話はセルピコの警察学校の卒業式まで遡る。
正義感に燃えて警察官に任官したものの、そこにあったのは、図り知れない闇。
セルピコは警察官内部にはびこる賄賂やみかじめ料の収受などの現実を知ることになる。
口止めをしようとする同僚の警察官はセルピコに賄賂の分け前を受け取らせようとする。頑としてそれを拒むセルピコは要注意人物扱いされて、ニューヨーク中の分署をたらいまわし。
セルピコは上層部に不正を訴えでて、調査を要求するが…。
正義を貫いた実在の警察官セルピコの真実の物語。
【映画データ】
セルピコ
1973年 アメリカ
監督 シドニー・ルメット
出演 アル・パチーノ
映画:セルピコ 解説とレビュー
※ネタバレしています
★「妥協する」ということ
この映画では、何があっても信念を曲げないセルピコの鉄の意志に圧倒され、そのあまりにまっすぐ生き方に驚きすら覚えます。
根深いニューヨーク警察内部の汚職の構図とそれを野放しにして黙認している警察上層部。
賄賂の分け前にあずかればいい。見なかったことにすればいい。皆と同じように何も知らぬふりをすればいいことでした。けれども、セルピコの正義心はそれを許しません。
自分の夢見た警察官と言う仕事は、正義のために働くのではないのか。理想と現実の超えられない壁にセルピコは突き当たります。
彼は妥協ができない人間でした。
「妥協」、という言葉は必ずしも悪いものではありません。
十人十色と言うように、人間がいればその数分の意見が出るものです。何かを決めるときには誰かが妥協するか、皆が妥協するかのどちらか、です。
そして、人間社会では多くの問題で妥協するのが常です。
それは決してマイナスの方向性ではありません。それどころか、問題解決の方法として、もっとも合理的です。
そのために、子供のころに通う学校では勉強だけでなく、クラスというグループで集団生活をします。人は成長する過程で人は妥協する、遠慮する、見過ごす、気を使う、ということを覚えていきます。
そして、これを身に付けた人間は社会性や協調性がある、といわれるようになります。おなかがすいたら泣いていた赤ん坊のころとは違うのです。
これは、重要なこと。誰もが自分の思うところを貫いては社会は成立しません。
妥協は人間社会を円滑に回すための人間の知恵なのです。
★「妥協」してはいけないこと
ところが、世の中には、譲り合って決着すべきことと、妥協を許してはならないことの両方があるように思えます。
警察官が賄賂を受け取るのを見逃していいという人はいないでしょう。なぜ、妥協してはいけないか、いろいろ理由はありますが、端的にいえば、それは正義にもとるからです。
つまり、ある種類の問題においては、結論の妥当性において一貫した価値判断が貫かれます。この場合、二通りの結論があって、その歩み寄りを図る、という問題ではないのです。
では、ここで、警察組織に与える傷というのはその判断を阻む理由になるのでしょうか。
それは理由になっていないことは明らかです。賄賂の発覚が警察組織にダメージを与えるということは、賄賂の収受そのものを正当化しません。
★セルピコの場合
上記の結論に従えば、この場合、社会に貢献する人間として、告発をするという道を選ぶべきです。
しかし、人間には人間社会の一員としての社会的な側面と個人として生きる私的な側面があります。
ここには、人間が社会的な動物として社会に貢献し、役割を果たすということの前に、自分という個体を保護すべきという前提が働いています。
従って、自分を守るという理由は、告発しない、という選択の十分な理由になるでしょう。告発して失業するかもしれませんし、セルピコの場合は命まで危うくなりました。命のためなら、不正を見逃したっていいはずです。
このときにどちらの道を選ぶかは自分次第。
汚職に気がついたのは、新米警察官のころ。刑事として警察で働くという将来のために自分の正義を折るか、それとも警察での未来を捨てることを覚悟して、告発するか。
彼は告発の途を選びました。
★セルピコの闘いとその孤独
汚職との闘いを選択したセルピコは苦難の道のりを歩むことになります。
真実を求めるほどに裏切られ、それでも妥協しない強い正義心と、それゆえに大切な恋人を失ったセルピコ。そして、その強い喪失感のために、さらに頑なに不正の告発を強く誓うようになります。
このドラマではセルピコが妥協しようかと悩むシーンは明確には描かれていません。
「賢い王様のはなし」をして郷に入れば郷に従えと諭す恋人の描写があるくらいです。
それでも、見る側にはセルピコの、次第に脅迫観念のようになってくる不正告発の意思とその苦悩が痛いほどに伝わってきます。
迷いなくセルピコは自己の信念を貫いた…というのは語弊があるでしょう。
正義を貫くゆえの圧迫感と疎外感に次第に浸食される私生活が随所に描かれています。
次第に増えていく動物たちはセルピコの人間不信と心のよりどころを求める気持ちの現れですし、理解者であったはずの恋人の心も離れていきました。
また、次第に浮浪者のようになっていくセルピコの外見にも反発する気持ちとその内面の苦悩が表れています。
この映画はとてもシンプルな構成です。
けれど、それゆえに、これが実話であることとも相まって、社会でまっすぐに生きることの難しさと痛さとを伝えてくれているように思います。