※レビュー部分はネタバレあり
さよなら。いつか分かること、は9.11後のイラク戦争をある家族の視点から見つめた映画。
家族の絆と妻への愛、戦争と死。イラク戦争があるアメリカの一家族にもたらしたのは母親がもう帰ってこないという事実だった。
スタンレーはホームセンターで働き、ハイディとドーンの娘たち二人と暮らしている。スタンレーの妻、グレースはアメリカ軍軍曹としてイラクに赴任中。
ある日、スタンレーの元を訪れる軍服姿の二人の男たち。応対に出たスタンレーは彼らを見たとたん、恐れていた事態が起きたことを悟るのだった。
茫然自失の状態のなか、スタンレーは娘たちと旅に出ることにする。仕事を休み、娘二人に学校を休ませて、行き先は娘にまかせ、ただ、車を走らせていく。
戦争をテーマにしながら、戦争が人々に与える影響を新しいかたちで取り上げる、さよなら。いつかわかること。ジョン・キューザックが演技で、クリント・イーストウッドが音楽で、映画を盛り上げる。
【映画データ】
さよなら。いつかわかること
2007年 アメリカ
監督 ジェームズ・C・ストラウス
出演 ジョン・キューザック,シェラン・オキーフ,グレイシー・ベドナーチク

↑ノース・ダコタに戻った棺. アメリカ軍・軍事情報センター提供.
映画:さよなら。いつかわかること 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり
★スタンレーの心。
妻が死んだ。その死の事実を分かっていても、一方で彼女の死を受け入れられない夫としてのスタンレー。そして二人の娘の父としての、スタンレー。
何もかもが重さをもって、彼の肩にのしかかってきます。
妻の死、娘たちの将来、その死を娘に伝えなければならないということ、そして何よりもグレースの死を受け入れきれない自分。
旅に出たのはそれらすべてから逃れるため。
他人の憐れみの視線、たとえそれが本当にお悔やみの気持ちがあるものだとしても、弟や母であっても、今のスタンレーには重いものでした。
★スタンレーと二人の娘。
映画の冒頭では、きしみの見える親子関係が描かれています。
決して仲が悪いわけではありませんが、親子の間に緊張して伸び切ったピアノ線があるような、なにか緊迫した雰囲気がある親子関係になっています。
それが旅を通して次第に心が通うようになっていきます。これは親子の関係の修復の旅であるわけです。
この家族は仲の良い家族だったのでしょう。
でも、それは父と母、そして姉と妹。この四人で完成する関係でした。
母であり妻である女性がいなくなってしまったということは、残された家族の心に想像以上の大きな穴をあけたのです。
こぎれいだけれど、どこか、生活感のない、がらんとした室内。
スタンレーが妻の死を知らされてから次々と家の中の様子のカットが挟まれて、寂寥感を誘います。

↑イラク市街掃討作戦 アメリカ軍・軍事情報センター提供
.jpg★スタンレーとグレース、夫婦の関係。
本当はグレースのイラク赴任に反対したスタンレー。
「謝りたいんだ、君を送って行ったときに起こっていたことを」と留守電の妻の声に語りかける彼の様子からそのことが推測されます。
妻の赴任前に夫婦はイラク行きを巡って口論したのでしょう。
イラクに赴任している軍人の妻たちの集まりに出たスタンレーが馴染めずに浮いていたのは周囲が女性ばかりで、初めての出席だから、というだけではありません。
彼女たちが夫婦の仲むつまじい時間を過ごしたのに対し、スタンレーとグレースの夫婦はイラク赴任を巡って考え方に溝ができた関係になっていました。
少なくとも、スタンレーは彼女らが夫を送り出したように、戦地に妻を送り出す気持ちにはなれませんでした。
スタンレーは彼女の命の危険と二人の娘たちのために反対しました。
しかし、グレースは軍人としての仕事に対する誇りと国を愛する心、そして何よりも家族を愛するために、イラク行きをやめるつもりはありませんでした。

↑イラク国内ある市街にて. アメリカ軍・軍事情報センター提供
グレースは娘たち家族を愛していました。
しかし、なぜ娘を残してイラクへ行ってしまうのか。毎日のようにイラクのニュースを見ながら、ハイディは母の選択に悩んでいたはずです。
イラクへ行くことを選択したのは、いずれ娘に自分の生き方が分かってもらえると思ったからです。彼女が娘たちに見せたかったのは自分のよしとすることや自分の心に正直に、貫かれたひとつの生き方でした。
一方のスタンレー。彼女の死を思わない日はなかったはずです。
妻の声が応答する留守電を聞くたびに思い出す彼女の面影やありし日の思い出は、グレースの死が幻でないことを彼に教えます。
やはり、グレースを何としても止めるべきだった、という後悔の念。
それでも、グレースはアメリカのために、世界のためにイラクに行き、死んだのだという思い。
連日ニュースで「大量破壊兵器はなかった、戦争は間違っていた」と報道されます。
ハイディにそのことを聞かれたスタンレーは他人に言われたことを全部うのみにするわけじゃないだろ、と彼女にいいます。
時には自分の正しいと思ったことを信じるはずだ。もしそうでないと…?一瞬言葉につまりながら、彼は言いました。
「全てを失う。」
イラク戦争が間違っていたといわれるのは、今の彼にとっては辛いことでした。もし、戦争が間違いだったというのなら、妻は何のためにイラクへ行き、家族を残して死んだのか。
妻の選択を頭では理解しても、家族を残してイラクへ行くことに感情的には最後まで賛成できなかった自分。
ニュースがたとえ事実だとしても、グレースがイラクへ行ったのは無駄ではなかったと思いたい気持ちがありました。そんな自分の心を自覚したからこそ、彼は言葉につまったのです。
★他人の意見を聞くということ
スタンレーの弟ジャックが、ハイディになぜ兄と仲が悪いのか、と聞かれ、仲が悪いわけじゃない、ただ、違うところがあるんだ、といいます。
ハイディが父親の考えに全て賛成できるわけではないのと同じで、人にはそれぞれ自分の意見があるものなんだよ、と。
この場合の意見は解釈された「事実」に基づいて形成された自分の意見、ということですが、その事実にはウソが多いとも言っています。
つまり、ジャックが言うのは、自分の考えだけではだめだということです。自分の意見だけではなく、真実を受け止めないといけない、そうでないと真実が見えなくなる。
彼の文脈では、「事実」=factと「真実」=truth は分けて使われています。前者の「事実」には人間の解釈が入り、後者の「真実」は客観的な生の事実を意味します。
つまり、事実とは真実を自分なりに解釈したもので、解釈された真実を元に私たちは意見を形成していることになります。
だからこそ、真実の声に耳を傾けることが必要なのです。

↑イラクのある都市の市街 アメリカ軍・軍事情報センター提供
ここでは、イラク戦争を決定したラムズフェルド国防長官を始めとするブッシュ政権中枢のイラク戦争の開戦決定を間接的に批判しています。
2002年9月、国防総省国防情報部(DIA)の「大量破壊兵器の証拠なし」との報告書を無視して握りつぶしたことが開戦後に発覚し、報告書を入手したCNNによって報道されました。
しかし、この世に、およそ、純粋な真実なんてあるのでしょうか。
テレビや新聞のニュースには報道各社の解釈が加わっています。では、せめてニュース映像は客観的でしょうか。
そうとは言えないでしょう。
例えば、イスラエル-パレスチナ問題や当のイラク戦争などの報道でもたびたび指摘されるように、映像が、一方の陣営から撮られている場合、イスラエル側・アメリカ側など一方の側からしか映りません。
なので、その映像を見ると相手が一方的に攻撃してきているように見えてしまいます。
つまりは、真実を受け止める前に、真実が何かを知ることする実は難しい現実があるのです。
全面的に信頼できる真実がもしないとするならば、他人の意見を聞くべきでしょう。
第三者の意見も当然、第三者の解釈に基づいた真実による意見です。
しかし、自分の意見とぶつけあい、互いの意見を理解しようとする努力の過程で自分の思わぬ認識の誤解やあるいは自分の意見に対する確信が見えてくるはずです。
★父の言葉
他人の言うことをうのみにせず、自分の信じるところを持て、というスタンレーの言葉は弟の言ったことと併せて考えると実に深い意味をもっています。
そう、議論をするには自分の意見があることが前提になります。意見を持つには、自分なりの事実認識を持ち、そこから考えて意見を形成していくわけです。
例えば、ニュースでキャスターが言っていることを繰り返すのは単なる受け売りです。それは意見ではありません。
ここで、他人の言うことを全部うのみにすれば自分を失う、という前述の父の言葉がつながってきます。
自分ならどう考えるか、その意見を他人の意見と区別してきちんと持つことの大切さをスタンレーの言葉は伝えています。