※以下、ネタバレあり
21グラムの解説とレビュー続きです。前回はあらすじのご紹介でしたが、この解説とレビューでは21グラムの内容を詳しく解説していきます。
21グラム前回分解説とレビューは→こちら

★21グラムの描く人生、そして感情。
ひき逃げ事故。それが全ての始まり。
悲劇と幸運、そして下降と上昇。二転三転しながら人生は動いていくもの。
いつしか、それが終着点を迎える。それが死。
その死を迎えるまでに、人間は何を経験するのでしょう。
愛、憎しみ、怒り、希望、孤独。数え切れないほどの感情の激流が死に向かって流れていきます。
そして、それが生きている人間と死んでいる人間の違いでもあります。
生きている限り、何も感じないなんていうことはない。喜び、怒り、哀しみ、浮き沈みする感情があることで人間は生きていることを実感するもの。
それでも、ときにはそんな感情の流れが速すぎてついていけなくなることがあります。
自分が感情を抱くのではなくて、自分が感情に押し流されてしまうのです。それがクリスティーナ。
彼女の感情の高まりはポールにジャックを仕向け、クリスティーナとジャックが対峙するラストへと3人を押し流していきます。
そしてやがて引いていく波。思い切り高ぶった感情のあとにあったのは何だったのでしょうか。

★クリスティーナ、ポールそしてジャック。
激しい運命の変転に翻弄される3人。
それが夫を亡くしたクリスティーナと心臓移植を受けたポール、そしてひき逃げをしたジャックでした。
ジャックはクリスティーナの家族をひき逃げし、罰も受けませんでした。
そして、ポールはクリスティーナの夫の心臓を移植されたにもかかわらず、心臓移植の拒絶反応により間もなく死ぬことになるでしょう。
クリスティーナは家族だけではなく、続いてポールも失うことになるのです。
3人の運命が激しく波打ったのはジャックの起こしたひき逃げ事故のせいでしょうか。
ジャックが事故を起こさなければ移植できる心臓はなく、ポールは病気で死んでいました。
ポールが死んでいたら、ポールとクリスティーナは出会わず、クリスティーナがポールの子を身ごもることもなかったでしょう。
そもそも事故がなければポールもクリスティーナもジャックもみんな赤の他人。お互いがそれぞれ別の道を歩んでいたはずでした。
もちろん、21グラムは事故が起きた後の人生と事故がなかったらあったはずの人生と、どちらが良い人生だったろうかということを問う映画ではありません。
21グラムが描くのは、ただ、ひき逃げ事故が「起きた」ということ。そして、その事故にもかかわらず、時は流れ続ける。生き残った人々が、事故がなかったら、と思い続けて苦しんだとしても、やはり時間は確実に流れていくのです。
「たら」、「れば」、では語れない世界。それが人生です。

★ラストシーンの意味。そして21グラムの結末とは。
何かが起きると誰のせいでこうなったのかを考えたくなります。
人間は機械ではありません。感情があります。
だから、ただ時間がそれまでと変わらず過ぎていくのだとしても、ひき逃げ事故が過去に「起きたこと」というようにあっさりとは割りきれません。
取り戻せないと分かっていても、ああだったらどうだったろうか、こうだったら、と尽きることない思いを巡らせ、悩み続けます。
クリスティーナはこう思います。ひき逃げ事故で夫と娘たちが死んだのはジャックのせい。
ポールはこう思いました。クリスティーナをドラッグ依存にし、悲しませるのはひき逃げ事故を起こしながら釈放されたジャックのせいではないか。
ジャックはこう思うでしょう。出所して立ち直り、手に入れた幸せな生活をぶち壊すひき逃げ事故を起こしてしまったのは神様が守ってくれなかったせい。

しかし、ジャックだって、ひき殺したくてひいてしまったわけではありません。あれはアクシデントでした。
もちろん、彼の責任であることは確かなことです。それでも、ジャックは警察に出頭し、なすべき責任は果たしました。
そのあと、釈放されてしまったことまで彼の責任にはできないでしょう。
もちろん、人としての責任があります。しかし、ジャックは心から悔いていました。
家を出て1人で暮らし始めたのは、クリスティーナの家族を奪い、彼女の生活をめちゃくちゃにした自分が、家に戻ってまた何事もなかったかのような生活をすることができなかったからです。
そして、ジャックがポールに銃で脅されて二度と戻るなと言われ、それでもモーテルのポールとクリスティーナの部屋に踏み込んで来たのはなぜか。
それは、ポールかクリスティーナが自分を殺して、自分が傷つけたクリスティーナの心が癒されるならそれはそれでいい、と思ったからです。
さらに、ジャックは自分のした罪の大きさにこのままでは耐えきれそうにありませんでした。
クリスティーナにめった打ちにされて彼ほどの大男が抵抗しなかったのは、抵抗できなかったからではありません。あえて、抵抗しなかったのです。

では、あのような暴力をジャックに振るおうとしたクリスティーナとポールを責めるべきでしょうか。
クリスティーナは危うくジャックを殺すところでした。
しかし、クリスティーナの感情を分からない人はいないでしょう。突然奪われた幸せな生活、大事な家族。それだけで理由は十分です。
ポールは自分の愛する人を苦しませ、悲しませる男をクリスティーナの代わりに罰しました。
ポールがやらなければ、クリスティーナが罪になる暴力をジャックに振るうおそれがありました。
彼女に罪を犯させないためにも、クリスティーナに代わってジャックを罰する必要があったのです。
ポールもクリスティーナもジャックも皆、それぞれに責任があって、それぞれに理由があったのでした。

ポールはもう長くない。今回の事件で、自ら左胸を撃って重傷を負いましたし、もとより拒絶反応により体には限界が来ています。そして、新たな移植手術を受ける気は彼にはありません。
けれども、ポールの命はクリスティーナとの間にできた新しい命に引き継がれました。
クリスティーナはジャックを殴り、喪失感とやりきれなさ、言葉にはならないほどの感情を流出させました。ラスト、病院にいる彼女の姿にはどこかこれからの決意のような、静かな強さを感じさせるものがありました。
ジャックはクリスティーナの怒り、その感情を自分自身をもって受け止めました。彼は家族の元に戻ることでしょう。愛する妻と幼い娘、そして息子が待っています。
そして、ラストで病院の窓際に立ちつくすジャックとクリスティーナの間には感情をぶつけ合った後の虚脱感と共に、お互いを受容する空気感がありました。
そして、ジャックがあんなに熱心に信仰していたキリスト教の精神は「赦し」にあります。
クリスティーナの暴力を赦し、クリスティーナにひき逃げ事故で娘と夫を死なせた自分を赦してもらうこと。それがジャックにとって今、最も必要なことでした。

ジャックは出所後、信仰に傾倒していました。度をこした、敬虔すぎるクリスチャンでした。それは一方で、ジャックの更生の手掛かりになっていました。
ジャック自身も信仰のおかげで自分が救われたと考えていました。それは事実でしょう。
「神のおかげで」とジャックは思っていたかもしれません。
しかし、それだけではありません。
ジャックは彼自身によって立ち直っていました。そして、今回のひき逃げ事故も神が守ってくれなかったからではありません。ひき逃げ事故はジャックの起こしたこと。
つまり全ては自分のなしたこと。神がジャックの人生を決めているわけではありません。人生の全てを神に頼り続ける限り、ジャックは自分の人生を自分で歩むことはできません。
神はジャックの人生を見守るだけ。
自分の人生は自分のもの。最後に自分を救えるのは自分だけです。
「神に見放された」と感じたジャックは「生きる」ことをひき逃げ事故を起こした後に身を持って学びました。それはあまりにも大きな代償でした。
しかし、「それでも人生は続く」。ジャックの人生もこれから続いていくのです。

★21グラム。その重さ。
「生きるということ」。それが21グラムのテーマです。
悪いことも良いことも、罪を犯しても、善行をしても、いずれにしろ、人生は続き、そして生きているということ。それが21グラム。
誰もにある21グラムは良い人にはあって、悪い人にはない、というものではありません。
死ぬと失われると言われる21グラムは人間の全て。何もかもを包含するもの。
21グラムこそが人間の全てであり、「生きる」重さでもあります。21グラムの重さにはその人の人生全てがつまっています。
「その人が人生で刻んだ感情のすべて」。それが21グラム。
その21グラムのためだけに人間は生き、そして死ぬのです。
生きることは辛いこと。生きるより死ぬ方が楽だと思うこともあるかもしれません。
それでも生きるということ、人生はいいことも悪いことも全てを包含しています。幸せな瞬間ばかりが人生ではない。生きることの苦さや痛みが、よりその人の人生を魅力的にするのです。

21グラムの重みを持たない人はいません。
この21グラムを感じて生きることができるかどうか、少なくとも、今、呼吸をしている人全てにこの21グラムがあるのです。
もし人が死んだら21グラムはどこに行ってしまうのでしょうか。
「死んだらそこで終わり。21グラムが体から抜けていってしまう」というのは本当なのでしょうか。
21グラム。たったの21グラム。
もし、天国があるのだとしたら、死んだ人間の魂が21グラムを携えて、天国に行くのかもしれません。
21グラムは人間が人間として生きるためにはどうしても必要な部分なのだから。
ポールの命は尽きても、クリスティーナと生まれてくる子、そしてジャックの人生は続きます。
これからも、何があろうとも人生は続いていくのです。

お読みいただきましてありがとうございます。
明日はスティーブン・スピルバーグとトム・ハンクスが監督・製作総指揮をした戦争ドラマ「バンド・オブ・ブラザーズ」をアップする予定です。よろしければお付き合いください。
【『な行』の映画の最新記事】
先日、深夜テレビでこの映画を見ました。
最後、ポールは死んでしまったのかと思いました。
クリスティーナがかわいそうだと思いました。
ジャックはもっと重い罰を受けるべきじゃないのかと思いました。
こんにちは。コメントありがとうございました。
21グラムは本当に難しい映画だと思います。見るたびに印象の変わる映画です。もどかしさや、悲しさ、やるせなさの残る結末。この結末には納得がいきにくいかもしれません。
クリスティーナは不運な人です。交通事故で家族を失い、そのあと、恋人ポールも失う。りささんのコメント通り、ポールは間もなく死ぬでしょう。
『解説とレビュー』でも書きましたが、ポールは移植手術の拒絶反応に苦しんでいました。そして、自ら左胸を撃っています。さらに、ポールはこれ以上の移植手術は受けるつもりがないことを生前に表明していました。
彼女は全てを失って、その痛みとともに生きていかねばなりません。けれど、クリスティーナにはポールの子供が授かっている。それは彼女の生きる糧であり、生きる希望となります。
交通事故を起こしたジャックは、何も罰を受けませんでした。しかし、21gには"罰"を十分に受けた彼の姿が丁寧に描かれています。彼は十分に罰を受けた。確かに、法律的な制裁は受けなかったけれど、道義的な制裁を受けました。
人に本当に罰を受けたと感じさせるにはどうしたらよいでしょうか。何十年か刑務所に入れれば良いでしょうか。それとも、人の命を奪った者には死の制裁を与えるべきでしょうか。
一時の復讐感情をぶつけるには命を奪うのが良い。他人の命を突然奪った者にはふさわしい罰です。あるいは刑務所に放り込めばいい。何十年か放り込んでおけば、少しは後悔するでしょう。
しかし、そのような罰に何の意味もないときがあります。罪を犯した本人に何の罪悪感もない場合です。死の制裁は一瞬です。制裁を受ける者には何の後悔もないかもしれない。それでも命は奪えます。刑務所も同様です。強制的に放り込むことはできる。
それで、クリスティーナは満足できたでしょうか。確かに、ジャックに対する復讐心は満たされたかもしれない。しかし、虚しさを埋めることはできない。クリスティーナの虚無感を埋めるのは自分自身の足で歩いていこうとする前向きな希望です。
クリスティーナはジャックへの激しい憎悪に燃え、復讐感情に支配されていました。その苦しみを和らげるため、彼女はお酒とドラッグに走ります。そして身も心もぼろぼろになっていました。ポールと出会ってからも、ドラッグをやめられません。
ジャックへの復讐。確かに、彼のしたことは酷いことでした。重大な罪です。しかし、怒りや復讐、憎しみに囚われ、将来のない、悲惨な生活を送ることは、クリスティーナにとってこの上ない悲劇です。今のままではクリスティーナも薬で体が駄目になる。
怒りや憎しみを糧に生きていくことはできます。そういう選択肢はあっていい。しかし、クリスティーナの場合は怒りや憎しみが身を滅ぼすことになるでしょう。クリスティーナにとって必要なのは、赦しの心。ジャックを赦し、自分を赦すことです。
「赦す」。これはとても高度な感情です。自らを傷つけた者を寛容の心で受け止めるということですから。憎しみの心としばらくは相克が続くでしょう。結末、クリスティーナは決してジャックを拒否する態度を示していません。ジャックに対して憎しみを噴出させたあのときの怒りは既にクリスティーナから消え去っている。
過去は変えられない、しかし、未来は変えられます。クリスティーナには新しい命が宿っている。この命を守り、育てることこそが、彼女の新しい人生を作ってくれるのです。
本日はご訪問いただき、本当にありがとうございました。また、お気軽にコメントくださいね。
きょうでこの映画を観たのは二回目です。
一回目見たときはボーッと見てたのでいまいちでしたが、今回はすごく感じるものがありました。
赦す、これってキリスト教になれていないと分かりにくいと思いますが、やはりこれしかないと自分も感じました。
解説はすごく分かりやすかったです。
他の映画でも参考にさせてもらいますね。
コメントありがとうございました。
実は私も同じでした。1回目は良く分からなかったです。2回目を観て、こうなのかな、という輪郭を掴みました。
あくまで私の解釈であり、これが正しいかどうかは分かりませんが、『21グラム』という映画の一つの見かたとして参考になったなら嬉しく思います。
またお気軽にコメントくださいね。本日はご訪問ありがとうございました。