※『解説とレビュー』はネタバレあり
リュック・ベッソンの究極の娯楽映画、それがフィフス・エレメント。ブルース・ウィリスはセクシーだし、ミラ・ジョヴォヴィッチは超キュート。
映画は楽しむもの! そんな当たり前の原点に返らせてくれるSFアクション。
『解説とレビュー』ではじつは楽しいだけじゃない、奥行きのあるフィフス・エレメントの世界をご紹介しています。

2214年、ニューヨーク。すっかり未来都市化したこの都市には統一宇宙連邦政府の本部がおかれ、世界の指揮をとっている。
そのトップであるリンドバーグ大統領は正体不明の物体が地球に接近していることを知り、統一宇宙連邦軍にミサイルを撃ち込ませるが、逆に反撃されてしまう。
そこに現れたのはコーネリアス神父。彼はリンドバーグ大統領に謁見し、正体不明の物体について説明する。
コーネリアス神父によると、それは"5000年に1度やってくる邪悪な物体"で、撃退するにはモンドシャワン人の持つ4つの石が必要であるという。
そして、地球を救うためにモンドシャワン人がその石を持って地球に向かっていると大統領に報告する。
しかし、そのモンドシャワン人の宇宙船は武器商人ゾーグの操るエイリアンにより撃墜され、4つの石はどこかにいってしまう。

タクシー運転手のコーベン(ブルース・ウィリス)は元統一宇宙連邦軍のエリート。
妻に逃げられ、狭いアパートの一室でペットの白い猫と共に暮らしている。
そんなある日、空から美しい少女が降ってきた。
コーベンのタクシーに激突してきた彼女はリールー(ミラ・ジョヴォヴィッチ)。
人間の言葉が分からない彼女に対してコーベンは身振り手振りで会話を試みる。
リールーは統一宇宙連邦政府から追われていたため、コーベンはとりあえず、彼女をコーネリアス神父の元に連れていく。
リールーは何者か?
地球は正体不明の物体により破壊されてしまうのか?
平凡な生活を送っていたはずのコーベンは予想もしなかった運命に巻き込まれていく。
【映画データ】
フィフス・エレメント
1997年・アメリカ,フランス
監督 リュック・ベッソン
出演 ブルース・ウィリス,ミラ・ジョヴォヴィッチ

映画:フィフス・エレメント 解説とレビュー解説とレビュー
※以下、ネタバレあり
実にお気楽、それ以上でもそれ以下でもないフィフス・エレメント。
観終わった後に印象に残るのはオレンジ色の明るい世界。
ミラ・ジョヴォヴィッチの髪が鮮やかなオレンジ色だし、ブルース・ウィリスの服もオレンジ。そのほか、セットにもオレンジ色を基調にした暖色系カラーがちりばめられています。
そんな画面を126分も見ていれば、映画が終わってもその色が目に残ってオレンジのフィルターをかけられたような気分。
結末を超簡単にまとめると、4つの石とは火・水・土・風の要素を表し、リール―が5番目の要素=elementだったというもの。
そして、リールーとコーベンの愛によって邪悪な物体は避けられ、地球は救われる。

単純 ! しかし、映画とは楽しいもの。
これこそ、映画 ! と言いたくなるような楽しい作品であることは間違いありません。
衣装や未来都市の街並み、室内のセット、そしてエイリアン。
全てカラフルで、どこかおもちゃのような感触のある作り。
エイリアンは皆着ぐるみで、それがまた何ともいえずいい。
決して見ていて情けなくなるような出来ではありません。逆に存在感がありますし、フィフス・エレメント独特の造形と色彩です。
衣装デザインがファッション界でかの有名な ジャン・ポール・ゴルチエJean Paul Gaultier だというのもまた、お洒落なセンスの源なんでしょう。

★愛は地球を救う
フィフス・エレメントで中心にあるのは「愛」。「愛は地球を救う」。
まず、リール―が地球を救う5番目の「要素」であるわけですが、彼女は地球の歴史を見て人類を救う価値が本当にあるのか悩み始めています。
彼女が心変わりすれば、地球は救われません。
彼女は5番目の要素として地球を救うのに不可欠の要素だからです。
そこで、コーベンは彼女に人類には救う価値があることを説得します。
それは人間には「愛」があるということ。
「愛」があるから、人類には価値がある。
そしてコーベンはリール―に、彼女を愛していると告白し、二人の愛のちからで地球は救われるのです。
さて、この場合の愛はコーベンとリールーの男女の愛ですが、コーベンは人間の「愛」についてもっと普遍的に語っています。
リールーへの愛はその一つとして表現しているのです。
すなわち、人間を救う愛、人間を価値あるものにする「愛」とは世の全ての愛情関係を指すということ。
リールーが人間をすくうかどうか迷ったのは戦争の記録フィルムを見たからでした。

戦争で殺し合う人間たちの姿、捕虜となり強制労働させられたり、占領地で民衆が首をつるされたりする写真が連続で写されていくシーンがあります。
このシーンだけ、白黒。それまでオレンジ色の温かさに包まれていた観客の目を覚ませるシーンです。
徹底的な色彩転換と急に生々しくなる画面。
これは明らかにフィフス・エレメントに仕込まれた意図的な場面転換です。そして、フィフス・エレメントのメッセージはこの瞬間に決まっている。
"愛が地球を救う"なんて安っぽいキャッチフレーズですが、その愛には実はすごいちからがあるのだ、ということ。
これがフィフス・エレメントのすべてです。
戦争には「愛」が存在しません。
戦争とは本質的に人間同士が殺し合うもの。
戦地では、顔を見たこともない、顔も見えない敵と殺し合う、血で血を洗う戦闘が待っています。
戦争には愛は存在しない、存在しえないのです。
愛がないから戦争が起きると言うのは安直ですが、少なくとも、戦争には愛がないことは確か。
それをリールーは敏感に感じとっていました。

★敵は人間にあり
さて、フィフス・エレメントで石を横取りし、地球を滅亡の危機に追い込む敵は実はエイリアンではなくて、エイリアンを操る人間の武器商人ゾーグ。
敵は武器商人、なんてリアルなんでしょうか。
現実の戦争でも武器商人の暗躍は問題になっています。
ニコラス・ケイジ主演の「ロード・オブ・ウォー」なんて映画もありました。
また、武器商人のゾーグの外見はヒトラーをデフォルメしたもの。ナチスドイツの総統ヒトラー + 武器商人。完璧な悪役ですね。
武器商人のゾーグはエイリアンを配下に置き、彼らを操って統一宇宙連邦軍を翻弄します。
現実の戦争でも武器商人は裏方。決して自ら銃を撃つわけではありません。
しかし、裏で、小型銃火器や重火器、大型ミサイルから果ては戦闘用ヘリコプターや戦闘機まで売りさばき、戦争の勝敗の帰趨を決めるとさえいわれる事実上の大きな力を持っています。

武器商人のゾーグは自ら4つの石を手に入れ、権力を欲したことによって自滅していきます。
しかし、現実の武器商人はカネの出せるほうに売ります。
多くの場合、武器商人が取引するにあたって、政治的要素などは考慮されません。
彼らは「商人」ですから、あくまで権力ではなく「カネ」が目的なのです。
したがって、民族浄化を掲げて大量虐殺をやるといった問題のある国家に対しても平気で銃火器を売りさばきます。
国家がこういった国家と取引をすると、国際問題となり、国連での非難決議や経済制裁のおそれなどさまざまな厄介な問題に対処することを考えなくてはならないでしょうが、武器商人にはその心配はない。
しかし、商人は違う。例え、道義的に問題があったとしても、国際社会に非難されたとしても、関係ないのです。だってカネはカネだから。誰から、どんな取引で受け取ったとしても、カネの価値は同じ。
さらに問題なのは、もっとも世界で取引量が多く、もっとも世界で一番多くの人を殺しているのは小型銃火器。ミサイルではありません。
この事実が示すのは多くの人が目に見える距離、手の届く距離で殺されているということ。
その距離は小型銃火器で撃ち殺すにはちょうど良い距離ですが、同時に、殺す相手と歩み寄り、コミュニケーションをとることが可能な距離でもあるわけです。

★やっぱり愛は地球を救う
果たして、愛のちからはこのような場面でどのような解決策をもたらしてくれるでしょうか。
「愛」というのは抽象的ですが、「愛」というのは相互に理解し合うこと。
何世代にも渡って散発的な戦争が続き、政治的に具体的な解決策が取れない状況にある紛争地においてはこれは唯一取ることのできる解決策でもあります。
世界各地の紛争地では、にらみ合う双方の国民を引き会わせてお互いのコミュニケーションを図り、お互いを知るということから和解を始めるという試みがなされています。
実は、武力紛争終結後の住民の和解が一番の難題です。
何年にもわたって殺し合ってきたわけですから、お互いに親や子、親戚といった肉親を殺されています。
真に和解するには、まずは話ができる関係にならなくてはなりません。
そのためにはやみくもに自分の主義主張に取りつかれることなく、相手の話に耳を傾け、分かろうとする努力が必要です。
その繰り返しを続けるうちに、相手も自分の主張を聞いてくれるようになってきます。
受容と寛容の精神。
それも「愛」に含まれるでしょう。
ラストシーンのコーベンの言う「愛」はこのような愛を指した言葉であり、リールーへの愛はその象徴的表現として使われているのです。
