※レビュー部分はネタバレあり

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ダークナイトを文章化した詳しいあらすじを公開しています。
完全ネタバレなので未見の方はご注意ください。→ここ。
「ダークナイト」の『解説とレビュー』を4つのタイトルに分けてご紹介しています。その2つ目のタイトルとなる本ページでは「ダークナイト【トゥーフェイス研究】」を掲載しています。
「ダークナイト【トゥーフェイス研究】」はこちら。
「ダークナイト【バットマン研究】」はこちら。
「ダークナイト【バットマンの世界観と論理】」はこちら。
ジョーカーはバットマンとハーヴェイ・デント、ゴードンの「正義」が食い違っている点に目をつけ、それを利用して一連の計画を立て、ハーヴェイ・デントを"トゥーフェイス"に変貌させました。
そこで、1, バットマンとハーヴェイ・デント、ゴードンのそれぞれの「正義」を概観したうえで、
2,【ジョーカー研究】【ハーヴェイ・デント研究】【バットマン研究】と題してそれぞれを分析していきます。
【ハーヴェイ・デント研究】【バットマン研究】のページはこちら(本日中にアップします)

★狂気と正義
「死ぬような目に遭ったやつはイカれる」これはジョーカーの言葉。
ダークナイトには3つの狂気がでてきます。ジョーカー、ハーヴェイ・デント、そしてバットマン。
一見、3人はばらばらなように見えるけれど、奥底にあるものは皆同じ。
抗えない気持ちのやり場を向けた場所がそれぞれ違うだけ。それぞれが世の中の不条理をかいくぐって生きてきました。
皆が「生きること」にキズを抱え、それがふとした拍子にうずきます。そして、なんとかその傷跡を癒し、覆ってしまおうと生まれるエネルギー。
そのエネルギーを、ひとりはそれを「正義」に向け、ひとりはそれを「悪」にむけました。そしてもうひとりはそれを「力」にむけました。
その3人が出会ったとき、ゴッサムシティーを揺るがす戦いが始まることになります。それを描いたのが『ダークナイト』。
ジョーカーが目を付けたのは、デント、ゴードン、バットマンの3人が「正義」を巡ってすれ違っていること。
「正義」を巡って内部対立が生じている、ジョーカーはそれを見逃しません。そこにつけ込み、デントをトゥーフェイスに変貌させました。
そこで、デント、ゴードン、バットマンの3人の正義とは何だったのか、それを考えてみましょう。

★レイチェル爆死のきっかけ 【「正義」とは:ハーヴェイ・デントの場合】
ハーヴェイ・デントは最愛の人、レイチェル・ドーズを失った悲劇の人であり、"トゥーフェイス"として殺人を繰り返す殺人者でもありました。
一方で、地方検事として働くデントは「正義」を信じ、自分を「善」の体現者と任じていました。
ハーヴェイ・デントはゴッサム・シティーの「正義」を象徴する人。そんな彼が「悪」に染まってゆく。その様子をジョーカーは楽しんだことでしょう。
トゥーフェイスになる前、本来のハーヴェイ・デントは「正義」の人。「悪」や「不正義」を許さない正義の人でした。完璧な「正義の味方」だった彼をゴッサム・シティの市民は熱狂的に支持します。
ハーヴェイ・デントは市民の待ち望んだ"光の騎士"でした。
彼の「正義」はバットマンの「正義」やジム・ゴードンの「正義」とは違う。そこが重要な点です。
ハーヴェイ・デントの「正義」は純粋な正義でした。
それが象徴的に現われるのは、ゴッサム・シティ警察にはびこる汚職の問題。
ハーヴェイ・デントはその摘発に内部調査部時代から熱心に取り組んでいましたが、ジム・ゴードンはそうではありません。ハーヴェイ・デントのことを"トゥーフェイス"と呼んでいたことからも分かるように、この件に関してはゴードンは熱心ではありませんでした。
ゴッサム・シティの警察は本来正義の側です。正義であるはずの警察に汚職という悪がはびこるのはおかしいではないか、これがハーヴェイ・デントの考え方。
一方、ジム・ゴードンは違います。今は、マフィアの資金源が摘発されようとしているとき。そうならば、汚職という小さな悪はさておき、マフィアの壊滅という「大きな正義」を実現すべきだ。
ささいなすれ違いにも思えます。実際、デントもゴードンも些細な考え方の食い違いであると思っていました。
内部調査部にいたとき、新任検事として着任したとき、ラウ社長がさらわれたとき。
映画「ダークナイト」の中で、最低でも都合3回はデントはゴードンに内部汚職を告発します。そのたびに、2人は衝突しながら結局はうやむやになっていました。
結局は、その些細な違いが大きな事件に発展してしまいました。
もちろん、レイチェルが爆死し、デントが重傷を負ってトゥーフェイスになるきっかけとなったあの事件です。

★警察汚職を放置した理由 【「正義」とは:ジム・ゴードンの場合】
ジム・ゴードンはなぜ、ゴッサム・シティ警察の汚職を放置したのでしょうか。
実際、ゴードンも内部汚職の深刻さは理解しているのですが、ゴードンは今、マフィアの捜査で手がいっぱいです。
ゴッサム・シティ警察の汚職摘発をすることになれば、人員が不足するばかりか、マフィア捜査にあてていた捜査官からも逮捕者が出てくる可能性がある。
そうなると、今までの捜査の信ぴょう性が疑われ、捜査の積み上げがふいになり、もうすぐ摘発にこぎ着けられるところまで来たマフィア捜査がとん挫しかねない。
ところが、それだけではありません。
ハーヴェイ・デントが内部調査部時代から指摘していたということはかなりの年数、警察汚職が放置されていたということです。恐らく、マフィアのマネーロンダリング摘発が本格化する前からです。
それなのに、何ら改善されなかった。
ゴードンは警察組織の身内意識の強さをいやというほど知っています。それに、ジム・ゴードンもやはり警察の人間です。結局、身内の犯罪を暴くことにはどうしても熱が入らない。
彼は警察組織の汚職については支障がない限りは目をつむることで対処し、捜査を動かしてきました。その結果、マフィアのマネーロンダリングの摘発直前までこぎつけた。
ゴードンは今まで汚職があるにせよ、警察をうまく回してきたという思いがあったに違いありません。そうであるならば、わざわざ火種を掻きまわして火を大きくするようなことはしたくない。しかも、摘発直前というこの時期に。
彼自身、マフィアのボス・マローニとはそれなりの付き合いがありました。ハーヴェイ・デントの病室の外にマローニが待ち受けていたのは決して偶然ではありません。
マローニはゴードンの言うとおり「ピエロの箱を開けた」人その人です。しかし、マローニはジョーカーが"やり過ぎ"であり、このままではゴッサム・シティ自体が崩壊して、マフィアの稼ぎ場所がなくなってしまうことを心配していました。
それで、ジム・ゴードンにジョーカーを逮捕させ、収集をつけようとしたのです。この時点で、ゴードンとマフィアの利害はジョーカー逮捕に関して一致したわけです。
利害が一致したなら敵であっても柔軟に利用する。これがゴードンの考え方です。
結果的には間に合いませんでしたが、ゴードンはマローニからの情報をもとに、ジョーカー逮捕の手はずを整えました。
ジョーカーが「マローニは来ないのか?」とマローニの手下にたずねながら、金を燃やして喜んでいた、あの倉庫に踏み込む予定だったわけです。

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★正義を「力」で実現する 【「正義」とは:バットマンの場合】
ジム・ゴードンは「正義」が「善」とイコールではなく、正義の語る「善」には限界があることを知っていました。
だからこそ、警察内部の汚職という小さな悪には目をつむり、マフィアの資金源摘発という大きな「正義」を実現しようとしたのです。
この構図は程度の差はあれ、バットマンに共通する「正義」の考え方。バットマンはゴードンと同様に「正義」が「善」とイコールではないことを知っています。
だからバットマンとジム・ゴードンは長年に渡ってコンビを組むことができるのです。
バットマンはゴードンがやろうとしてもできない、もしくは警察官としてしてはならない類の実力行使をして「正義」を実現しようとします。
バットマンはハーヴェイ・デントに「きれいなままでいてほしい」「ゴッサム・シティの市民の"希望の星"でいてほしい」と言いますし、ハーヴェイ・デントのことを「素顔のヒーロー」だと語ります。最後にはバットマンはデントの殺人を全て引き受けて去っていきます。
「正義」=「善」ではないことを知っており、実際にその考え方を行動に移して暴力や破壊をいとわないバットマンにはいわゆる"ヒーロー"の称号は与えられません。
ゴッサム・シティの一般市民にとって、"ヒーロー"とは「正義」。そして正義とは「善」。そして、ハーヴェイ・デントはそれらを体現する者。ゴッサム・シティの市民が希望を抱く"ヒーロー"になれるのはハーヴェイ・デントのみ。
ゴッサム・シティの市民に夢を与えるため、"ヒーロー"になれないバットマンはハーヴェイ・デントに「きれいなまま」でいてもらう必要がありました。
さて、ここまで、デント、ゴードン、バットマンの3人の正義観について見てきました。次に、ジョーカー、デント、バットマンのそれぞれを詳しく掘り下げて考察していきます。
彼らの抱える感情、過去の経験がどのように「ダークナイト」に影響したのか。
じっくりと見ていきましょう。
その過程を見ていくうちに、ダークナイトのストーリーをより深く理解することができるはず。

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【ジョーカー研究】
★ジョーカー
これだけ魅力的な悪役がこれまでにいたでしょうか?
ゴッサム・シティーの悪事を一手に引き受け、バットマンを向こうに回して大立ち回りを演じて見せた、したたかな悪役。
一見脈絡がなく、"ゲーム"と称しては思いつく限りの数々の悪事を働いているように見えますが、その実、それぞれの計画が有機的につながって、次の計画への下敷きとなり、橋渡しになっています。
そして、その顔には常に道化の化粧をし、ピエロというマスクを手放しません。相手の心をつかみ、ときに心酔させ、ときに相手の心を怒りで満たして操るたくみさ。
ジョーカーを嫌ったとしても、ジョーカーを自ら望んだとしても、いずれにしても、その相手はジョーカーの手のひらの上で踊るしかありません。

★レイチェルとデントは同じ監禁場所にいた?!
-レイチェル爆死の真相・ジョーカーの計画のすべて-
レイチェルを実際に誘拐したラミレス刑事はマフィアから賄賂を受け取り、レイチェルを誘拐しましたが、彼女はただの駒だったはず。
実際にレイチェルに爆薬を仕掛けたのはマフィアであり、もっといえば、それはジョーカーの発案に違いありません。
特に、縛られて動けない2人を互いに顔の見えない別の部屋に監禁し、わざとつながる電話を置いてレイチェルとデントを話させるあたりに底知れない悪意を感じます。
つながる電話があったことで、デントはレイチェルとどちらかしか助からないことを知ってしまったばかりか、「大丈夫だよ、きっと助かる」などとレイチェルに声をかけることになりました。
この最後の会話がトゥーフェイスに変貌するきっかけにもなったことを思えば、ジョーカーがこの計画を練ったに違いありません。
ジョーカーは、わざとゴードンに自分を逮捕させました。ジョーカーが逮捕されたのは、レイチェルとデント2人の監禁場所を自分自身の口からバットマンに教えるためです。
しかも、ジョーカーはバットマンに2人の監禁場所が違うと言って別々の住所を告げてバットマンを騙します。
実際には2人は同じ場所に監禁されており、それはデントの居場所として告げられた場所でした。このとき、バットマンがレイチェルを選択し、レイチェルの居場所と告げられた住所に行っていたらバットマンは空振りです。
レイチェルもデントも2人とも助けられなかったでしょう。

そもそも、ジョーカーがゴードンには居場所を告げず、バットマンを怒らせてから居場所を告げたのはなぜか?
バットマンがジョーカーを殴ったから? もちろんそうではありません。
冷静なバットマンにレイチェルとデントのどちらを選ばせるかを突きつけても全く面白味がありません。
ジョーカーとしては、混乱したバットマンが「正義」と「個人的感情」の間で苦しむ姿を見たい。
そこでジョーカーはハーヴェイ・デントを引き合いに出してレイチェル・ワイズとブルース・ウェインの関係に突っ込み、バットマンに自分をめちゃめちゃに殴らせました。
バットマンとして活動するときはゴッサム・シティの正義のため、バットマンの立場から判断しているブルースですが、レイチェルとの関係を突かれた彼はバットマンとしての思考を失い我を忘れます。
そんなときに、どちらかしか助けられないと言って2つの場所を教えたらどちらを選択するでしょう?
バットマンは最初、「レイチェルを助ける」といって飛び出していきますが、そのときの彼の思考はブルース・ウェインとしての思考。バットマンとしての思考ではありませんでした。
しかし、結局彼はゴッサム・シティの守護者、バットマンとして非情な決断を下します。
「ゴッサム・シティの"希望"ハーヴェイ・デントを助けに行くべきだ」。結果、レイチェルは爆死します。

さらに悲惨なのは、バットマンが真っ黒な焼け跡から見つけたコイン。
片面が焼けて潰れてしまっています。このコインは護送車に乗せられるデントが別れ際にレイチェルに渡したもの。
そのコインがデントを救出に来たはずのバットマンのいる場所にあるということは?
恐らく2人は一部屋と離れた場所にはいなかったのです。
つまり、2人は同じ建物にいて、監禁された部屋が違うだけ。レイチェルはバットマンの目の前で爆死していました。
しかも、レイチェルはバットマンが自分を助けに来たことをなじるハーヴェイ・デントの叫び声を電話を通じて聞いてしまいます。
このとき、レイチェルは自分が間もなく死ぬことばかりか、バットマンならぬブルース・ウェインが自分を選ばずにデントを助けたことを知ってしまうのです。
そうまでしてブルースが助けたハーヴェイ・デントは最後にはトゥーフェイス・殺人者となり、バットマンが友人でもあったトゥーフェイスを殺害する結果になってしまいました。
ジョーカーは頭に血が上ったバットマンが、結局はレイチェル・ワイズではなく、ハーヴェイ・デントを助けに行くことまで読んでいました。
そして、バットマンに助けられたハーヴェイ・デントをトゥーフェイスに変貌させることまで計画のうち。
ジョーカーの計画は完璧なはずでした。
唯一の計算違いは、ゴッサム・シティの市民がフェリーの爆弾を起爆させなかったこと。
必ず囚人か市民のどちらかの船が起爆装置を押すに違いないと思ったジョーカーは12時を過ぎたらジョーカーの手で2隻とも爆破するための手立てをとっていませんでした。
ジョーカーはまったく惚れぼれするような頭脳を持つ究極の悪役であるようです。

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★"Why so serious?"
ジョーカーの口には唇が裂けたように赤く大きく引かれたライン。その下に隠されているのは唇から耳元まで残る傷跡です。
ジョーカーはその傷跡が父によってつけられたと語ります。
毎晩のように泥酔して帰ってくる父親。その父が母に暴力をふるい、母親が自分の身を守ろうとナイフを持ち出しました。
しかし、父は母からそのナイフを奪い取り、母を殺害。
母は死にました。それを怯えながら見ていた少年時代のジョーカー。
彼が次に見たのは自分の目の前に立つ父親。父は息子に"そのしかめつらは何だ?""笑い顔にしてやるぜ"といいながらナイフをかざしたという話でした。
一方で、ジョーカーはパーティでレイチェルを脅迫したとき、こうも語っています。
かつてジョーカーの妻はレイチェルに似た美人でした。しかし、彼女の楽しみはギャンブル。次第に積み重なり、膨大な額になっていく借金。返済をせまられたあげくに暴行された妻が負ったのは顔面の大きな傷。
彼女は毎日、顔に残った傷を眺めては手術でこの傷を治す金がない、そういっては泣いていました。
ジョーカーは妻の笑顔が見たいと思いました。そして傷があってもいいと伝えたくて、自分で口を裂いたといいます。
しかし、妻はジョーカーの「醜い顔が見ていられない」と家を出て行ってしまいました。
そして、その妻の口癖は"Why so serious?"。
どちらの話が本当なのでしょうか。
仮に父親に傷つけられたと言うなら、すでに妻と出会ったころにはその傷跡はあったでしょうから、今さら「醜い顔が見ていられない」などといって妻が出て行くことは考えにくいでしょう。
父親に切られたのか、自分で傷をつけたのか。どちらが真実の話でしょうか。
以下では、それを考えてみます。

★ジョーカーの傷の秘密
ジョーカーは狂っています。
ジョーカーが言い分は錯綜していて、どれが本当かを判断するのは難しい。
しかし、ジョーカーが繰り返し語る、口の傷跡。そこにはジョーカーがジョーカーとなった一番の理由があるように思われます。
ジョーカーはウソもつきます。
しかし、こと、この傷跡の話に関して、ウソは言っていません。それをこれから見ていきましょう。
上でも書きましたが、仮に、父親にやられた傷だ、というなら、妻に出会ったころにはジョーカーの顔には大きな切り傷が残っていたでしょう。
妻が結婚した後になって、今さらその傷が醜くて見ていられない、と言いだすことは考えられません。
そして、妻は自分に残った傷跡を気にして泣き暮らしていたといいますから、妻は外見を気にする女性のようです。
それほど外見というものを気にする女性なら、「醜くて見ていられない」ほどの、顔面に目立つ傷跡のあるジョーカーと最初から結婚をしなかったでしょう。
つまり、父親に顔を切られたとすると、そもそもジョーカーに妻がいたとの話は全部ウソということになります。
しかし、レイチェルを見てナイフを振りかざし、あれほど執拗に話を続けるジョーカーがウソ八百の作り話を延々と披露していたのでしょうか?
もちろん、全部狂人の錯綜した考えが生んだ空想の産物ということも全く否定はできませんが、空想するにも、その基礎となる部分に何らかの真実は含まれているとみるべきでしょう。

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結論。
ジョーカーは自分で傷をつけたのです。自分でナイフを口に入れ、左右にかっ切った。
そして、矛盾するようですが、父に傷つけられたという話もウソではありません。
ジョーカーは父親の話を2回もしています。1回目は死体のふりをした自分を運び込ませてマフィアを殺すとき、そして2回目はレイチェルを脅す前にパーティ会場で白髪の男性を脅したとき。彼を「父親に似ている」と言いながらナイフを押しあてていました。
父親とジョーカー。
これはジョーカーをジョーカーたらしめたゆえんのエピソード。父と息子の関係はそのままジョーカー誕生の物語でもあります。

★ジョーカーと父親 - 父はどういう人だったのか -
父親が泥酔しては母親を殴る。
幼いころ、両親が口喧嘩しているだけでも子供は心底怖い思いをするもの。その父と母がナイフを持ち出して争った末、母親は殺された。
人が目の前で殺され、血が流れる。しかも、殺されたのは自分の母親。酔っている父は母を殺した興奮からか、わが子に向けてもナイフをちらつかせました。
幼い少年は"殺される"、そう思ったでしょう。
もしかしたら、母の血がついたナイフを口に入れられるぐらいのことはされたかもしれない。"そのしかめつらはなんだ?"といいながら。
父が息子を解放しても、その恐怖は消えません。
消えないどころかどす黒いしみとなって少年の心に沁みつきました。
「父に殺されかけた」。
その拭いきれない恐怖感は大きな傷となって永遠にその子の心に刻みつけられました。
この傷は物理的なものではなくて、心理的なもの。
目に見える傷ではありませんが、幼い日のジョーカーに確かに刻まれた消し去れない傷跡です。
ジョーカーは確かに父親に傷つけられました。ジョーカーはあのとき、確かに心に傷を負ったのです。

★ジョーカーと妻 - 妻はどういう人だったのか -
成長したジョーカーは1人の女性に出会います。のちに妻となる女性です。
彼女はジョーカーとは対照的に華やかで社交的、よくしゃべり、よく笑う女性でした。
一方、ジョーカーはその生い立ちや、あの父親に殺されかけた過去が影響して、どちらかといえば陰にこもったところのある性格。おとなしい、目立たないタイプの青年だったでしょう。
そんな彼は自分と正反対の性格の女性に惹かれました。2人は結婚。
しかし、妻の楽しみはギャンブル。そして借金がかさんでいきます。結果、妻は顔に大きな傷を負わされてしまいました。
傷があったとしても、ジョーカーが愛したのは妻という女性そのもの。
妻を愛する気持ちは変わらず、今までどおりの明るい、笑顔の絶えない女性であってほしいと思います。
しかし、妻の気持ちは晴れません。毎日、鏡を見てはため息をつき、泣く。
そんな彼女に自分の思いを伝えるにはどうしたらいいのでしょうか。
ジョーカーが選んだのは究極の選択。
そこでジョーカーは左右に口を切り裂きました。妻の言うとおり、常に笑っていられるようにしたかったから。
妻の笑顔を期待したジョーカーは見事に裏切られました。
妻は家を出て行ってしまったのです。ジョーカーの口に残る大きな傷跡。そんな醜い顔は見ていられない。
このとき、ジョーカーは再び傷を負うことになりました。愛する者に再び裏切られたという痛み、そして今度は、肉体的な損傷を伴う傷です。
この世界で保ちたかったつながりを全て失ったジョーカー。
もはや、ジョーカーは狂気への道を転がり落ちて行くしかありませんでした。

★ジョーカーがジョーカーになるまで
父親に殺されかけたジョーカーは心に大きな痛手を受けました。そのときの痛みは精神的なもの。しかし、その傷は何にもまして深くて大きくて痛いものです。その痛みは消えることはなく、常にうずきつづけました。
妻に出会ってもその傷は癒えません。
妻の以前からの口癖は"Why so serious?"。しかし、父親との一件以来、ジョーカーの心は笑うことを許しませんでした。
ジョーカーはその傷の痛みに一生耐えなくてはならないのです。
その傷の痛みはジョーカーの性格を影のある、深刻なものへと変えてしまっていました。
鬱々とした表情の多いジョーカー。そんな彼に投げかけられる妻の言葉は"Why so serious?"。
父の言葉と同じだ。
妻がその言葉を言うたびに、自分を殺そうとした父の幻影が甦ってきます。
父のことを思い出してしまえば、笑うどころではありません。ますます内にこもるようになり、妻と話すことも少なくなっていくジョーカー。
妻は満たされない寂しさからギャンブルに走りました。家に帰れば、暗い雰囲気しかない。
それなら、外の賭け場でギャンブルをし、はしゃいで騒ぐ方がどれだけ楽しいか。彼女は満たされない寂しさを吹き飛ばしてしまおうと、ますますギャンブルにのめり込んでいきます。
ジョーカーは妻を愛しています。ただ、それを伝えるだけのコミュニケーションをうまく取ることができないのです。
自分が抱えている傷の重さを妻に打ち明けることもできません。そして、全部自分で抱え込んでしまう。
悪循環です。

妻は顔面の傷を気にして泣いてばかり。ジョーカーは言葉で気持ちを伝えられないから、行為でその気持ちを表そうとする。
そして、ついに妻は家を出て行きました。
父親に殺されかけたという心の傷は妻との関係も破綻させました。
父は肉体的にジョーカーを傷つけなかったかもしれませんが、確実にジョーカーの心、そして彼の人生そのものを破壊したのです。
そして、父が切り刻んだジョーカーの心には大きな傷が残され、疼きつづけるその痛みは彼を狂気の世界へと追いやってしまいました。
ジョーカーが父から受け継いだもの。
それは、目の前で流された母親の血とナイフの痛み。暴力とナイフ、そして狂気。
ジョーカーが人を自ら殺すときはナイフを好んで使用します。ナイフでないと、「味わえないから」だといいます。
ナイフでないと味わえないもの。
それは死にゆく者の恐怖とナイフでえぐられる痛みです。そして、その恐怖と痛みはジョーカーが父親に味わわされたものと共通しています。

★おしゃべりなジョーカー
ジョーカーはよくしゃべる。しゃべり過ぎるくらいしゃべる。
結末、バットマンに高層ビルから突き落とされているときには笑い続けていますし、バットマンにロープで吊るされ、助けられたときにもバットマンに悪態をつきながらしゃべりっぱなしです。
よく笑い、よくしゃべる。話している内容を抜きにすれば、道化師として、ジョーカーは優秀なエンターテイナーです。
しかし、狂気に落ちる前のジョーカーはそうではありませんでした。
今まで書いてきた通り、どちらかといえば内向的な性格でした。それが、道化師を演じられるほどに舌のよく回る男になりました。
ジョーカーはゴッサム・シティでの居場所を見つけたのです。
父親には心を打ち砕かれ、妻には裏切られました。この世界には自分の居場所はありませんでした。
狂気に落ちた男はジョーカーとなり、そして見たのはゴッサム・シティの裏の世界。

狂気に満ちた裏側の世界ならジョーカーはジョーカーでいられる。ジョーカーという今の自分をありのままに受け入れてくれる世界。
表の世界では底辺をはいずりまわるしかなく、自分の抱く痛みや苦しみを覆い隠そうと苦労しなくてはなりませんでした。
しかし、この裏の世界でなら、彼は堂々と顔をあげていられます。
父親や妻に与えられた痛みや苦しみは全て怒りとして吐き出してしまえばいい。
殺人・狂気・混沌・恐怖。
そのなかにいると、今も疼く傷の痛みが軽くなる。それら全てを支配する者としてジョーカーは裏の世界に君臨することになりました。
今の彼は自分を解放しています。彼は自分の居場所をついに見つけたのです。

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★だからジョーカーはバットマンを殺さない
彼がバットマンを殺さないのは、バットマンの信じる「正義」や「善」に憎しみやあざけりを覚えるから。
「正義」なんてものが本当にこの世にあるなら、なぜ、ジョーカーの受けた苦しみ、今も彼を苦しめる痛みが存在するのでしょうか。
父親に殺されそうになったあの経験はウソではない。「正義」が本当にこの世にあるのなら、なぜ、あのようなことが起きてしまうのか。
バットマンの正義に対する嘲りはジョーカーが"ゲーム"を続ける原動力になる。
「本当に正義があるのなら、自分を負かして見ろ」。
正義を否定するのに一番有効なのはバットマンを悪の道に誘い込むことです。そこで、ジョーカーは「今日、お前もルールを破れ」とバットマンを誘います。
バットマンが怒りにまかせて、ジョーカーを殺してしまえばジョーカーの思うつぼ。
くだらない「正義」の側に立つバットマンを「悪」に落とし込むことはジョーカーにとって究極の目標なのです。
しかし、それでもバットマンはジョーカーを殺しません。ダークナイトの結末でも結局はジョーカーを救い、司法の手に委ねました。
再び、対決することがあっても、やはりバットマンはジョーカーを殺さないでしょう。

ジョーカーは「悪」そのもの。
その「悪」をどこまでも追ってくるバットマンは貴重な存在です。
悪をやっつける存在があるから、悪は悪でいられる。
ジョーカーはマフィアでさえ恐れる闇の帝王です。「ダークナイト」でもジョーカーを雇ったマフィアのボス・マローニは最後にはゴードンにジョーカーを売った。
マフィアも制御できない悪、それがジョーカー。
しかし、ジョーカーが完全なゴッサム・シティの覇者として、表も裏も両世界の支配者になってしまえば、悪は「悪」でなくなる。
なぜなら、もはやジョーカーを「悪」として追う者がいなくなってしまうから。ところがそれではジョーカーは面白くない。
ジョーカーは、嫌われ疎んじられる存在としての「悪」でありたい。
ジョーカーの願いはゴッサム・シティの支配者として堂々と君臨することではありません。悪が放置されているなら、それは「悪」ではない。嫌われ、うとまれてこそ、このゴッサム・シティに恐怖と混沌をもたらすことができるのです。
「悪」をやっつける存在があるから悪は「悪」でいられる。これがすべて。
ジョーカーにはバットマンが必要なのです。

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【トゥーフェイス研究】【バットマン研究】につづく
★【トゥーフェイス研究】【バットマン研究】の内容 ★
・なぜ、デントはジョーカーを殺さなかったのか
・デントのコインの秘密
・バットマンとジョーカーの関係
・燃やされたレイチェルの手紙 などなど。
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