※以下、ネタバレあり
ジョーカーとトゥーフェイスについてここまで見てきました。ここではバットマンに焦点を当てていきます。
「ダークナイト【あらすじ】」はこちら。
ダークナイトを文章化した詳しいあらすじを公開しています。完全ネタバレなので未見の方はご注意ください。
「ダークナイト」の『解説とレビュー』を4つのタイトルに分けてご紹介しています。その3つ目のタイトルとなる本ページでは「ダークナイト【バットマン研究】」を掲載しています。
「ダークナイト【ジョーカー研究】」はこちら。
「ダークナイト【トゥーフェイス研究】」はこちら。
「ダークナイト【バットマンの世界観と論理】」はこちら。

Presented by WARNER BROS. PICTURES.
【バットマン研究】
★バットマンとジョーカー
ジョーカーはバットマンに「おまえはバケモノさ』と言い、「俺と同じ」だと言ってのけます。
まさか、と思うでしょうが、これは事実。
狂気と混沌がなければ2人とも存在できないという点で2人は似ています。暴力をいとわず、どんな方法も躊躇せずに選択する2人はその方向性が違うだけ。
ジョーカーは狂気と混沌を広めようとしますが、バットマンはそれを抑えようとします。
正反対の方向に動こうとする2人だけれど、2人ともお互いがいなければ存在価値がありません。
ジョーカーの凶悪性を止められるのは、バットマンだけですし、バットマンの「力の正義」はジョーカーくらいの強さのある「悪」に対してのみ行使されるべきもの。

上のマトリックスを見てください。
ジョーカーとバットマンは線を一本隔てた場所にいるだけ。
ひょいと飛び越せば、バットマンはジョーカーになり、ジョーカーはバットマンと入れ替わることができる。
では、ジョーカーとバットマンを分け隔てるものはなんでしょうか。
ラストシーン、高層ビルからバットマンに突き落とされ、落下しかけたところをバットマンにロープで吊りあげられたジョーカーはバットマンのことを「モラルを捨てないガンコな奴だ」、「高潔な精神を持ってるらしい」といって悪態をつきます。
ジョーカーは、バットマンがジョーカーを殺さないことを知っています。
それはバットマンとジョーカーを明確に隔てるものがあるからです。それは「モラル」・「ルール」あるいは「正義」と呼ばれるもの。
レイチェルとデントの居場所を聞き出そうとするバットマンに「ルールを破れ」、そうジョーカーは呼びかけます。「ルールを無視するのが賢い生き方だ」とも。
ジョーカーによれば、「モラルや倫理なんてのは善人のたわごと」であり、「足元が危うくなればポイ」されるもの。

しかし、バットマンは違います。
基本的には敵を殺さず、持つ力はゴッサム・シティのために使い、私利私欲のために使わず、もちろん悪のためにも使わない。
そして、ジョーカーも殺さない。バットマンにはゴッサム・シティの市民を守るという強い使命感があるのです。
ジョーカーとバットマンは薄い壁一枚隔てたところにいます。バットマンは最も「悪」に近い者。
ジョーカーとバットマンを分けているのは使命感というロープ一本。
バットマンは「悪」と「善」の境界線上の存在として、危ういところでバランスを取っているのです。
これは並大抵の精神力や使命感ではできないこと。
ひょっとした拍子にバランスを崩し、まっさかさまに「悪」に落ちて行くことがある。”トゥーフェイス”のように。
マトリックスをみてください。ハーヴェイ・デントは一番「悪」から遠い存在だった。なのに、レイチェルの死という一事をもってまっさかさまにジョーカーの仲間入りを果たしてしまいました。
「善」と「悪」、「正義」と「不正義」の危うい駆け引き。
「ダークナイト」という映画はこの綱引きを見事に表現して見せた映画だということができるでしょう。

★ブルース・ウェインとレイチェルの愛
バットマンも完全無欠ではありません。
「バットマンの正体を明かせ」、と迫るジョーカーの策略により、市民が殺され、市長が狙われ、それでも現われないバットマンにゴッサム・シティの市民たちはいらだちを募らせます。
「人が死んでいく」。ブルースはアルフレッドに溜まった胸のうちを明かしました。
「もう限界だ」「もう憎しみには耐えられない」。
そしてマスクを脱ぐ決意をします。
一方、バットマンの私生活、ブルース・ウェインとしての生活も満たされません。
ウェイン・エンタープライズの会長であるブルースにはカネも地位も、権力も名声もあります。女性にも不自由しません。それでも愛するレイチェルの心はハーヴェイ・デントに向いていました。
ボリショイ・バレエ団のプリマを連れて高級レストランに現われ、レイチェルとデントに出くわしてみせたり、自分のレストランだといって指一本で席の支度をさせたりする。
ハーヴェイ・デントの資金集めパーティを企画し、支援者となる金持ちやセレブを集めて華やかなパーティを開く。そして、そのパーティに、美女を両脇に添え、派手にヘリで登場する。ブルースはパーティの主賓であるはずのデントよりも目立って見せます。
ブルース・ウェインはプライドが高い。
ウェイン・エンタープライズの会長、高級マンションの豪勢なペントハウスに暮らし、人もうらやむ生活をしている。悩みや不満など一切見せない、強くて、魅力にあふれたブルース・ウェイン。
ブルースはそういう自分、世間が考えているブルース・ウェイン像に沿った演出をしています。
バットマンとしての自分を人には話せない、あまりにも大きな秘密を抱えているという事情ももちろん、ブルースの心をより複雑にはしています。
しかし、根本的に、ブルース・ウェインは不器用な性格なのでしょう。

だから、レイチェルをハーヴェイ・デントに奪われたことはブルース・ウェインのプライドをひどく傷つけましたし、彼女を愛する1人の人間としても、ブルースは傷つきました。
ブルースがデントの前で必要以上に見栄を張り、対抗心をむき出しにするのはその傷を見せまいとしているからです。
レイチェルはブルースのその心を分かっている。あまりにも一生懸命なのがかわいそうになるほど、ブルース・ウェインはレイチェル・ワイズを愛している。このことをレイチェルは理解していました。だから、デントのプロポーズにも即答しなかったのです。
もちろん、レイチェルはハーヴェイ・デントを愛しています。
しかし、ここでデントと結婚してしまえば、ますますブルースを傷つけることになるでしょう。
レイチェルはブルースをおもんばかって、プロポーズに即答することはできなかったのです。
しかし、レイチェルはアルフレッドに託したブルース宛ての手紙にこう、したためました。
「ハーヴェイと結婚するわ。あなたはバットマンを捨てることはできない。もし、あなたにマスクを脱ぐ日が来たなら、私はそばにいるわ。親しい友としてね」。
レイチェルはブルースがバットマンであることを知っています。そして、レイチェルはブルースのことを良く理解しています。
「バットマンをやめたらブルースと結婚する」。
その気持ちは本当だとしても、レイチェルにはブルースがその使命感の強さから絶対にバットマンをやめることなどできないことを知っていました。
このバットマンの強すぎる使命感はバットマンをジョーカーと隔てる唯一のもの。
バットマンは正義と悪の狭間で生きる者、「ダークナイト」です。この使命感に妥協した瞬間に、危ういバランスは崩れ、”トゥーフェイス”の二の舞になる。
この使命感はすべてゴッサム・シティを狂気と混沌から守るため。レイチェルと結婚するために妥協することはあり得ないし、レイチェルもそのことをよく分かっていました。
この使命感はバットマンを悪から守ると同時に、ブルースを悪との戦いに駆り立てる原動力でもあります。
だから、レイチェルはブルースがバットマンをやめられるはずもないことも分かっていました。

★燃やされたレイチェルの手紙
ブルースが「マスクを脱いだら結婚するとの約束は本気だったか?」と聞いたとき、レイチェルの答えは"Yes."。
アルフレッドはレイチェルが"デントと結婚する"と書いてよこした手紙を燃やしました。ブルースは結局手紙のことは知りません。
アルフレッドはバットマンが市民に憎まれる存在であっても、バットマンには「人にできない、正しい判断ができるはず」といって、ブルースを励まします。
バットマンとしてゴッサム・シティの市民の憎悪の対象となっても、その市民を守るために活動し続ける使命感を支えているのは何でしょうか。
それは「レイチェルがブルースを選び、愛していてくれたのだという思い」です。バットマンを悪と隔て、正義の側につなぎとめるのは強い使命感。その使命感の源はレイチェルの愛です。
ここで、レイチェルが実際にはデントを選び、デントとの結婚を決めたということをブルースに知らせて、何になるでしょうか。
アルフレッドはそれを理解していました。彼女の愛を失ったと知れば、バットマンはもはやバットマンでいられなくなるかもしれない。
信じるものに裏切られたハーヴェイ・デントは”トゥーフェイス”となりました。レイチェルの愛を信じているブルースにその愛を失ったと知らせれば、ブルースの心が壊れてしまうかもしれない。
ブルースにこれからも”バットマン”でいてもらうため、アルフレッドは手紙を燃やすという選択をしたのです。

★人は「真実だけでは満足しない、幻想も満たさねば」
これはバットマンが最後にゴードンに告げるセリフ。
「真実」とは、ハーヴェイ・デントが人殺しだったという事実、そして、「幻想」とは、ゴッサム・シティの市民がデントに抱く"光の騎士"としての幻想です。
ゴッサム・シティの市民の幻想はそのまま「希望」となり、市民が良心を失わずに生きる"よすが"となっていました。
その希望を奪ってはならないと考えたバットマンは最後にトゥーフェイスの罪を引受け、闇に姿を消すのです。
人は幻想を抱いて生きている。それはときに希望ともよばれるもの。
その希望に現実味があると信じ、「いつかは実現できる」と思って今を生きています。
バットマンも人間です。ブルース・ウェインもまた、幻想を抱いて生きています。
彼の場合は、レイチェルがデントと結婚せず、ブルースをそのレイチェルの人生の伴侶に選んでくれたという幻想。
現実にはレイチェルはハーヴェイ・デントとの人生を選択していました。しかし、その秘密はアルフレッドの心に秘されています。
ブルースはこれからもレイチェルがデントを選んだという事実を知らず、レイチェルの愛という幻想を抱いたまま、バットマンとして生きていくことになるでしょう。
デントが市民の希望の星であることも、ブルースがレイチェルの愛を信じていることも、客観的に見ればすでに2つとも敗れた夢です。
しかし、市民はデントが人殺しであることを知らないし、ブルースはレイチェルの愛を失ったことを知りません。

つまり、「幻想」が現実化する希望があるうちは「幻想」は希望の対象となるでしょう。しかし、「幻想」が幻想であることが分かれば、どうなるでしょうか。
例えば、ハーヴェイ・デントが信じた「正義」や「善」は絶対的に正しく、最後には「悪」に勝つものであるはず。
しかし、レイチェルを殺したのは「善」であるはずの警察側の人間でした。
デントが信じた絶対的な「正義」や「善」は幻想でした。
「幻想」が幻想だと分かったとき、現実味を失った「幻想」は"希望"ではなくなります。その通り、「正義」が「善」ではないことを知ったデントはこの世界に希望を失い、トゥーフェイスに変貌しました。
バットマンはゴッサム・シティの市民に「幻想」、すなわち"希望"を抱かせ続けるために自分がデントの身代わりとなり、市民に憎まれる存在となることを選びました。
もちろん、レイチェルの愛という「幻想」を抱きながら。
ハーヴェイ・デントも、バットマンも何かの幻想を持っていました。
やはり、人間は「真実だけでは満足できず、幻想も満たさねばならない」ようです。

次はいよいよ最後の『解説とレビュー』、バットマンの世界観を通したダークナイト全体の考察に入っていきます。続き、「ダークナイト【バットマンの世界観と論理】」はこちらです。
「ダークナイト【あらすじ】」はこちら。最初から結末まで文章で「ダークナイト」を再現しています。
「ダークナイト【ジョーカー研究】」はこちら。
「ダークナイト【トゥーフェイス研究】」はこちら。

タグ:ダークナイト クリスチャン・ベール