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ヒトラー〜最期の12日間〜

映画:ヒトラー〜最後の12日間〜
※レビュー部分はネタバレあり

ヒトラー〜最期の12日間〜↑ナチス=ドイツ時代のドイツ軍旗。.png ヒトラー〜最期の12日間〜↑現在のベルリン官庁街。.jpg

ヒトラー〜最期の12日間〜1942年6月1日作戦の指揮を執るヒトラー。ドイツ連邦文書館提供。.jpg

ヒトラー〜最期の12日間〜↑荒廃したベルリンの街。イギリスダックスフォード帝国戦争博物館所蔵。.jpgヒトラー〜最後の12日間〜↑1945年5月3日付ヒトラーの自殺を報じるアメリカ軍機関紙・スターズ&ストライプス紙提供。.jpgヒトラー〜最後の12日間〜↑ベルリンで演説するアドルフ・ヒトラー。後にイギリス.jpg

ヒトラー〜最期の12日間〜↑ナチス総統官邸にあったとされる青銅の像。イギリス・ダックスフォード戦争博物館所蔵。.jpg ヒトラー〜最期の12日間〜↑騎士鉄十字章。約7千名に与えられた。.png


 1945年4月、ドイツ・ベルリン。ソ連軍の砲火が迫るなか、総統官邸にある総統地下壕に入ったヒトラーと側近たちは、大きな地図を囲んで最後の作戦指揮を執っていた。とはいえ、もはや壊滅状態のドイツ軍には戦力と呼べる戦力がなく、降伏が秒読みと言える状況に入ってきていた。

 従って、ヒトラーの側近たちの関心は、いつ、どのように、降伏をするのかということに向かっていたが、ヒトラーは絶対に降伏は認めないと主張し、ベルリンでの最終決戦を命令していた。ベルリンの市街には土のうが積み上げられ、塹壕が掘られ、市街戦の準備が進む。10代の少年・少女がヒトラー・ユーゲント(ナチスの青年組織)として活動し、それらの準備を手伝っていた。

 総統地下壕には、軍の高官やヒトラーの側近ら、それに愛人のエヴァ、さらに秘書のユンゲたちが残っていた。ユンゲらはヒトラーに避難を勧められるが、それを拒み、最後まで残ることを決意する。ヒトラーは、ベルリン陥落を目前にして、自殺することを周囲に匂わせていた。そして、いよいよ最後のときが近づいてくる。

 冒頭、ヒトラーの秘書として働いていたユンゲがヒトラーのことを「怪物」と呼んで非難する場面から映画がスタートする(DVD版)。しかし、この映画自体は、ヒトラーを「怪物」のような人間として描いてきた今までの歴史をやんわりと非難している。

 "独裁者"ヒトラーは人間だった。人間味ある優しさを併せ持つ人間がなぜ、強制収容所の悲劇を引き起こし、第2次世界大戦を引き起こしていく怪物としてドイツに君臨したのか。そして、その怪物から人間たちが逃げられず、逆に怪物を崇め、怪物につき従うようになるのはなぜなのか。

 ヒトラーを「怪物」「独裁者」と片付けてしまえば、ヒトラーの周囲にいた人々に咎めは及ばず、ヒトラーだけに悪魔の濡れ衣を着せることができる。しかし、その陰に隠れてしまう真実がある。悪魔を生んだのは神ではない。人間たちだったことを忘れてはならない。ヒトラーを「怪物」で片付けてしまうと、決して理解することのできない苦い真実を知るべきときが来ている。

【写真の説明】
1段目
左:ナチス=ドイツ時代のドイツ軍旗。
右:現在のベルリン市街。
2段目
1942年6月1日作戦の指揮を執るヒトラー。ドイツ連邦文書館提供。
3段目
左:荒廃したベルリンの街。イギリスダックスフォード帝国戦争博物館所蔵。
中央:1945年5月3日付ヒトラーの自殺を報じるアメリカ軍機関紙・スターズ&ストライプス紙提供。
右:ベルリンで演説するアドルフ・ヒトラー。後にイギリスに飛んで捕虜になるルドルフ・ヘスやヨーゼフ・ゲッペルス国民啓蒙・宣伝相、独ソ不可侵条約を締結してポーランド侵攻の道筋をつけたヨアヒム・フォン・リッベントロップ外相の姿が見える。1939年10月6日。ドイツ連邦文書館提供。
4段目
左:ナチス総統官邸にあったとされる青銅の像。イギリス・ダックスフォード戦争博物館所蔵。
右:騎士鉄十字章。約7千名に与えられた。



【映画データ】
ヒトラー〜最後の12日間〜
監督 オリヴァー・ヒルシュビーゲル
出演 ブルーノ・ガンツ,アレクサンドラ・マリア・ララ,ユリアーネ・ケーラー,トーマス・クレッチマン,コリンナ・ハルフォーフ,ウルリッヒ・マテス,ハイノ・フェルヒ,ウルリッヒ・ノエテン,クリスチャン・ベルテル



ヒトラー〜最後の12日間〜↑アドルフ・ヒトラー。1933年撮影。ドイツ連邦文書館提供。.jpg

↑アドルフ・ヒトラー。1933年撮影。ドイツ連邦文書館提供。


ヒトラー〜最後の12日間〜↑エヴァとヒトラー。1942年6月撮影。.jpg

↑エヴァとヒトラー。愛犬とともに。1942年6月撮影。


映画:ヒトラー〜最後の12日間〜解説とレビュー
※以下、ネタバレあり

★夢の続きを… - ユンゲの場合 -

 ヒトラー、その愛人で後に妻となるエヴァ、秘書のユンゲやドイツ軍将校たち、そして市井のベルリン市民は、ベルリン陥落をそれぞれに経験することになりました。ベルリンの市民は国民突撃隊としてベルリン防衛戦に強制徴用されたり、あるいはナチス=ドイツに対する忠誠心から武器を取り、10代の少年少女たちはヒトラー・ユーゲントとして徴用され、ベルリン防衛戦に参加しました。あるいはベルリン市街の地下道や地下壕に逃げ込み、息をひそめて隠れていました。

 ナチス=ドイツ政権の幹部たちは総統地下壕に避難し、あるいはベルリン郊外で戦い、またはいち早くベルリンから避難していきました。総統地下壕に残った者たちは軍人だったり、秘書だったり、下働きの者だったりしましたが、いずれの人々も、ベルリンの陥落をそれぞれに見守ることになります。

 一方で、総統地下壕に残った者たちの行動パターンは実に簡単に説明することができます。夢を見、現実から逃げようとしていること。そもそも現実が見えていないこと。そして、何も考えていないこと。

 愚かで、無知で、現実逃避的で、夢の続きを何とか見たいと思って、すでにない希望にすがろうとする。彼らの思考はすでに停止しています。ユンゲは後年のインタビューで、「何も考えず…(ナチスやヒトラーに従った)」と言いますが、本当に、彼らは何か考えているようで、実は何も考えていない。

 「ヒトラー〜最後の12日間〜」は秘書のユンゲの手記に基づく映画です。彼女は総統秘書として採用され、敗戦までを地下壕で過ごし、ドイツの降伏と、ソ連のベルリン占領を体験することになりました。彼女が敗戦間近に地下壕で何をしていたかといえば、とにかく、心配すること、そして、何とかなると自分を慰め、エヴァや秘書仲間と慰め合うこと。そして、また心配になったら周りにいる軍人たちに情勢を聞き、また不安に駆られ、再び、自分を慰める。その繰り返し。

 彼女は刻々と状況が悪化しているにもかかわらず、そうした情報には断固拒否を表明します。なぜなら、「総統が言ってらしたわ ! 」。常に「総統」を持ち出して正当化し、解決策は全て、「総統」に頼り、大丈夫だという全ての理由を「総統」に持ち込む。

 ユンゲにとって、「総統」という理由付けは実に便利なのです。都合の悪いことは何もかも「信じないわ」と否定する。そして、その理由は「総統が…」の一言でけりがつく。何か考えているようで、何も考えていない。ユンゲは、自分でも状況の悪化や、「総統」という理由付けにどこか不安を感じています。だから何度も状況を確認しようとはする。

 そして、やはり、都合の悪い情報しかないのにもかかわらず、「大丈夫よ」と自分にウソをつく。「なんとかなるわ」。しかし、自分を自分でだましていることに心のどこかで気がついていて、やっぱり不安になってきます。そして、再び、通りがかる軍人に情勢を聞いてみる。そして結論は「総統を見捨てるわけにはいかない」。

ヒトラー最期の12日間↑トラゥドゥル・ユンゲ 1945年11月にベルリンを占領したソ連軍によって撮影されたもの。2002年2月10日没。.jpg

↑総統秘書・トラゥドゥル・ユンゲ。総統地下壕を脱出した後、ソ連軍に捕えられたが、釈放された。1945年11月にベルリンを占領したソ連軍によって撮影されたもの。2002年2月10日没。

★夢破れて - ユンゲの場合 -

 しかし、ユンゲの出口のない堂々巡りの問答にもついに現実が訪れます。ヒトラー亡き後、ドイツがついにソ連に降伏するのです。ユンゲたちは、ベルリン脱出を図り、ついに総統官邸の地下要塞を出ることになりました。そこで見た光景は悲惨としか言いようのないものでした。

 地下道にひしめくようにしてうずくまる市民。汚い服を着て、生気のない目をしていて、酷い臭気でむせるような地下道。軍服を着て通り過ぎていくユンゲらを彼らはじっと見つめています。そして、傷病兵がうめき声をあげている緊急治療所。地下道の一角に、血に染まった軍服を着た兵士たちが寝かせられ、手術台では医者が白い白衣を真っ赤に染めて、のこぎりをひいています。負傷者の手足を切断しているのです。

 彼女は、初めて見るむごたらしい光景に目をそむけ、うつむくようにして通り過ぎていきます。そして、一角では、大量の鉄十字勲章を配るように若い兵士に与えている光景も。彼女は実際に見たことはなかったでしょう。地上でどんな地獄絵図が繰り広げられているのかを。どれだけ多くの人々が命を落とし、家族も家も財産も、全てを失って逃げ惑っていたかを。

 ユンゲがエヴァらと「苦しまずに美しい」死に方を相談しているときに、地上では悲惨な外科手術で多くの兵士が耐え難い苦しみを受け、多くの兵士がソ連の大軍を前に命を落としたのです。10歳そこそこの子供たちも、ヒトラー・ユーゲントとして戦争に協力し、中には自決した子供たちもいました。

 ゲッペルス夫人が遺言したように、「死こそ救い」などと、この光景を前にして言えるのでしょうか。ユンゲやエヴァ、ゲッペルス夫人は現場で起きている悲惨な現実を知らず、見たこともありません。だから想像することもできない。

 上滑りした事実しか見ずに、全てを知ったつもりになっている。だから、エヴァのように、コーヒーやタバコの遺贈先を遺言したり、持っている宝石類の行き先を心配したりする。現実の戦場は言葉で言うよりもはるかに悲惨です。ユンゲらが地下要塞で、答えの出るはずのない不安から自分をだまし続けている間に、かつてのベルリンは崩れ去っていたのです。

ヒトラー・ユーゲントとは10歳から18歳の青少年からなる組織。参加が義務付けられ、1944年に突撃隊に併合された。.jpg

↑ヒトラー・ユーゲントとは10歳から18歳の青少年からなるナチス党の組織。参加が義務付けられ、1944年に突撃隊に併合された。

ヒトラー〜最後の12日間〜↑ソ連軍の捕虜になったヒトラー・ユーゲントの少年たち。1945年、ソ連軍により撮影された。ロシア連邦公文書館所蔵。.jpg

↑ソ連軍の捕虜になったヒトラー・ユーゲントの少年たち。1945年、ソ連軍により撮影された。ロシア連邦公文書館所蔵。


ヒトラー〜最期の12日間〜↑1944年9月、大戦末期に16歳から.JPG

↑1944年9月、大戦末期に16歳から60歳の幅広い年齢から国民突撃隊が組織された。制服はなく、私服に配られた腕章をつけ、自前の武器もしくは数少ない支給された武器で戦った。写真の男性たちが担いでいるのは「パンツァーファウスト」とよばれる簡易だが、有効な効果を発揮する対戦車用無反動砲。これで戦車や車両を破壊することが突撃隊の重要な任務だった。1945年3月撮影。ドイツ文書館所蔵。

↑捕虜になった国民突撃隊員たち。第1次世界大戦の従軍経験があるだけで徴用された。1945年撮影、ロシア連邦公文書館所蔵。.jpg

↑ソ連軍の捕虜になった国民突撃隊の隊員たち。第1次世界大戦の従軍経験があるだけでも徴用された。1945年撮影、ロシア連邦公文書館所蔵。

★自分をだまして… - ヒトラーの側近たち -

 ヒトラーの側近たちも、思考停止と現実逃避の出口のない迷路に迷い込んでいました。ヒトラーの側近たちも、ユンゲに負けず劣らず、自分をだますことに必死になっていたのです。

 彼らはまず、降伏するなんてとんでもないことだと考えていました。それはなぜか、といえば、これも実に単純で、1つにはヒトラーの下した総統命令だから。そして2つ目には、ハンス・クレープス陸軍参謀総長の言葉を借りれば、「降伏の屈辱は一度でたくさん」だから。

 かつて、ドイツは第1次世界大戦でも降伏し、ベルサイユ条約という過酷な降伏条約に調印させられました。そのため、今度の大戦でも降伏すれば2度目の降伏をすることになります。彼らはその屈辱を再び受けることを拒む心情がありました。

 一方、ヒトラーの命令が支離滅裂になり、ヒステリックな表情を見せるようになる中で、ドイツ軍将校たちの現状認識は正当でした。すでに、満足に戦える師団は残っておらず、ヒトラーが最後の望みをかけるシュタイナー師団もすでに戦闘能力を喪失しかけていることなど、情報は把握していたし、ベルリンがソ連に包囲され、すでに絶望的な状況であることも理解していました。ヴィルヘルム・ブルクドルフ陸軍人事局長が言ったように、「状況は絶望的、いわゆるドツボ状態」だったのです。

 さて、それで、彼らはどうしたか ? ヒトラーに交渉を勧める者はいませんでした。すでにこの段階に至っては、降伏交渉しか途はありませんでしたが、ヒトラーの強い降伏拒否の姿勢の前に、彼らは沈黙しました。また、ヒトラーのまるで妄想のような、現実味のない反撃戦略に対してその誤りを適確に指摘し、状況認識を正せる者はいませんでした。

 皆、ヒトラーのいないところで、不安がり、絶望的な状況であることを嘆き、心配するばかり。ヒトラーの不安定な精神状態についても危ぶみながら、いずれ、「気を取り直される」。

 このどうしようもない現況を理解しつつ、正面からこの難局を打開しようと積極的な行動をとる者はいませんでした。事態の打開を将校らに提案し、降伏交渉を匂わせたフェーゲライン中将は「保身だ」「出世主義者」と非難され、議論は権力闘争の様相を帯びる始末。

 結局、ただ、彼らがしたことは酒を飲み、歌を歌ってどんちゃん騒ぎをすることだけ。酒に酔い、大騒ぎしている間は現実から逃げることができる。ベルリンに向かって進撃してくるソ連との戦闘を現場で指揮していたヘルムート・ヴァイトリング陸軍砲兵大将が地下要塞に姿を見せたときも彼らの様子は変わりません。

 「早く指揮所に戻らねばならん」と地上の様子を心配するヴァイトリングに対しても、「まあ、飲んで ! 」とハンス・クレープス陸軍参謀総長は酒を勧める始末。そして、「シュタイナー(師団)は期待薄か ? 」とヴァイトリングにたずねます。ヴァイトリングはついさっきまで、戦場で爆撃に吹き飛ばされそうになっていたのだから、正確な情報などあるはずがありません。

 ヴァイトリングが言うように、ずっと総統地下壕にいるクレープスの方が情報には詳しいはずです。クレープスはすでに、シュタイナー師団が絶望的なことを分かっていながら、それでも、かすかな望みはないかとはかない夢を探し求めていました。酒を浴びるように飲んでいる地下の世界と熾烈な死闘を繰り広げている地上の世界。

 この2つの信じがたいような落差のある世界が、ソ連侵攻下のベルリンに同時に存在していたのです。この地下の世界では、ナチス=ドイツ、第三帝国、ヒトラーの夢がまだ息を保っているけれど、地上の世界では、いよいよ終焉が近づいている。酒や歌があり、銃弾が飛んでこない地下の世界にはまだ、終わりの気配が見えてこない気がする、もしくは現実に目を閉じて、見えないふりをしていられる。 

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↑ヘルムート・ヴァイトリング首都防衛司令官。1955年ソ連捕虜収容所にて没。1943年撮影、ドイツ文書館提供。


ヒトラー〜最後の12日間〜↑ハインリヒ・ヒムラー。冒頭部に登場。副官のフェーゲラインに対して、降伏しないヒ.jpg

↑ハインリヒ・ヒムラー。冒頭部に登場。副官のフェーゲラインに対して、降伏しないヒトラーを非難していた。内務大臣であり、警察長官でもあったが、何より、親衛隊の全国指導者として親衛隊を一手に掌握し、絶大な権力を誇っていた。しかし、副官のフェーゲラインの処刑その他の理由からヒトラーの逆鱗に触れ、1945年4月28日にヒトラーから解任される。1945年5月23日、イギリス軍の捕虜になったのち、自決。アメリカ国立公文書記録管理局所蔵。

ヒトラー〜最後の12日間〜↑ヘルマン・フェーゲラインSS中将。.jpg

↑ヘルマン・フェーゲラインSS中将。1945年4月27日、ヒトラーの出頭命令に応じず、国外逃亡の恐れもあるとして逮捕。翌28日銃殺刑に処される。

★熱烈な崇拝者、現実を見た支持者、そして、ヒトラーに尽くした忠臣たち

 ヒトラーの周りからはどんどんと人が減っていき、後には、酒を飲んで現実逃避をする者がたむろし始めた総統官邸の地下壕。しかし、中には、ヒトラーを熱烈に崇拝し続ける者や、ヒトラーを支持しつつ、見切りをつけた者、そして、最後までヒトラーの命令に忠実に尽くした者たちがいました。

 熱烈な崇拝者とはゲッペルス国民啓蒙・宣伝大臣。そして、ローベルト・リッター・フォン・グライム空軍元帥・空軍総司令官。空軍パイロットのハンナ・ライチェ。彼らは総統の命令には決して反対せず、どんなに不利な状況でも、ヒトラーを持ち上げ、ヒトラーの命令を正当化する方向に力を尽くします。彼らは決してノーとは言わない。

 そして、アルベルト・シュペーア。軍需大臣を務め、ヒトラーのお抱え建築家でもあった彼はヒトラーを何でも一から十まで肯定する単純な崇拝者ではありませんが、かといって、ヒトラーの言うことに表だって反論することはありません。彼は、ベルリンにとどまることを決意したヒトラーにこぞって将校たちが反対したとき、決して、脱出すべきと進言することはありませんでした。

 シュペーアの言葉は、「主役は常に舞台に」。主役はドイツという舞台にいなくてはならないから、とりあえずはベルリンから脱出したほうがいいということなのか、主役はベルリンという舞台にいなくてはならないから、ベルリンにとどまった方がいいということなのか、両方の意味にとることができます。ヒトラーはすでにベルリンにとどまることを決意していました。

 当然、彼はシュペーアが自分の提案を支持してくれたのだと考えます。ヒトラーの妻エヴァに、「総統はシュペーアの進言を喜んでいた」と聞いたシュペーアは黙り込んでいました。彼は確かにイエスマンではなかったかもしれませんが、ヒトラーに対してどちらともとれるような曖昧な進言しかしなかったところに、彼の性格がよく現れています。

 彼は今まで、そういう政治的ポジションを取りながら、権力闘争に生き残ってきたのでしょう。シュペーアにはヒトラーとともに沈没する気はさらさらありません。彼は沈みかけた泥船からは逃げ出すつもりです。体裁を取り繕いつつも、シュペーアも実質的にはヒトラーのイエスマンであったことに変わりはありません。

 ヘルムート・ヴァイトリング首都防衛司令官やヴィルヘルム・モーンケSS少将・官庁街防衛司令官はヒトラーの命令に従い、勝ち目のない首都防衛戦を続行していました。何のために ? 彼らは、忠義を尽くした勇気ある将官なのでしょうか ? シュペーアはヒトラーに、「国民はご容赦を」と言います。ヒトラーは「彼らが選んだ運命だ。自業自得だろう」。そしてシュペーアは黙りました。

 ヴィルヘルム・モーンケSS少将はヒトラーに、「恐れながら、女子供はどうなります ? 負傷者や年寄りは ? 」と進言しました。ヒトラーは「戦時に市民など存在せん」。随所随所で、市民の犠牲について、進言しながら、彼らはヒトラーに拒否されれば黙ってしまいます。それでは、ただ言ってみただけに過ぎない。意味のない進言です。

 なぜ、彼らが黙ってしまうのかといえば、結局、根底にはヒトラーへの盲目的な忠誠心があるのです。シュペーアはベルリン市街の破壊命令を無視したことをヒトラーに告白しつつ、「忠誠は今も揺らいでいません」と付け足します。また、モーンケはソ連に降伏後、ソ連包囲網をかいくぐってもヒトラーの遺書を次期総統に指名されたカール・デニッツ元帥に届けようとします。

 結局、彼らはヒトラーへの忠誠、その一言で、市民の犠牲という至極もっともな心配事も片づけ、自分の中で合理化してしまいます。「ヒトラーのためなら仕方がないことだ」、と。

 彼らは美しき忠臣などではありません。彼らもやはり、ヒトラーと同じように、自分たちが本来、何のために尽くしているのかを忘却してしまっている。ヒトラーもナチス党も、ドイツのために、ドイツ国民のために、ドイツに尽くすという目的を持っていたはずです。ヒトラーのために尽くすのではない。

 しかし、ベルリン戦は全てヒトラーのためと言っても、過言ではありません。誰だって死にたくはない。まだ、最後の希望が残されているのではないか ?

 ヒトラーが、もはや希望のまったくないことを確認し尽くすまで、首都防衛戦を続けて時間稼ぎをし、彼が自殺の決意を固めるまで、勝ち目のないベルリン戦を続けたことにヒトラーや彼の側近が言い訳をすることはできません。

 結局、後世、"独裁者"と言われるようになってしまったヒトラーに対して、彼の暴走を止められる者は誰もいませんでした。この状態に陥ったのはなにも、地下要塞に移ってからではないでしょう。それ以前、第2次世界大戦が始まったころにはすでに、今の惨状に至る道筋がつけられていたのではないでしょうか。

 誰の目にも、明らかに間違っている問題をそうと指摘できず、権力のため、地位のために見てみないふりをする。皆が権力や名声に目がくらみ、当座の利益に汲々とする。気がついたときには、大惨事が起きている。それでも、黙殺する。そして、マジックワードは「総統」。

 「総統が言ったから…」「総統に忠誠を…」。「総統」が登場した途端に、思考停止に陥り、全ては正当化されてしまう。「最期の12日間」と言いますが、この12日間を見るだけで、第2次世界大戦中に繰り返されたヒトラーの側近たちの行動を凝縮して一覧することができます。

 ベルリン陥落が迫ったからその恐怖で急に思考停止に陥った、というような根の浅いものではない。骨の髄まで染みついた、「総統への忠誠」が人の思考を止めてしまうのです。善悪の判断も、人の生き死にも、全て「総統」の言うがまま。それが政権内部の現実でした。

ヒトラー〜最期の12日間〜↑ニュルンベルグ裁判でのシュペーア。彼は禁固20年の判決を受けた。.jpg

↑ニュルンベルグ裁判でのシュペーア。彼は禁固20年の判決を受けた。シュペーアはヒトラーお抱えの建築家としてのみならず、軍需相として、連合軍の激しい空爆で生産性が低下していたドイツ国内の軍需産業の立て直しにも力を発揮。ヒトラーの信任も最後まで厚い側近の一人だった。1981年9月に死去。

ヒトラー〜最期の12日間〜↑カール・デーニッツ海軍元帥。ヒトラーの死後、ドイツ大.JPG

↑カール・デーニッツ海軍元帥。ヒトラーの死後、ドイツ大統領になる。ニュルンベルク裁判で10年の禁固刑。1980年没。1943年4月撮影。ドイツ文書館所蔵。

ヒトラー〜最後の12日間〜↑パウル・ヨーゼフ・ゲッペルス。国民啓蒙・宣伝大臣としてナチス台.jpg

↑パウル・ヨーゼフ・ゲッペルス。国民啓蒙・宣伝大臣としてナチス党台頭時から権力をふるった。ヒトラー自決後、総統に指名されるが、ソ連降伏が避けられないことから、1945年5月1日自決。1942年撮影。ドイツ連邦文書館提供。

宣伝省の新庁舎。1939年撮影。現在はドイツ連邦労働社会省が入居している。.jpg

↑国民啓蒙・宣伝省の新庁舎。1939年撮影。現在はドイツ連邦労働社会省が入居している。


★民主的に誕生したヒトラー政権 - ドイツ国民に責任はあるのか -

 ヒトラーやゲッペルスは「国民が選んだ運命だ ! 」「自業自得」だと同じ言葉を使ってドイツ国民の犠牲を正当化します。「我々は国民に強制などしていない。彼らが我々に委ねたのだ。自業自得さ」。

 確かに、ナチス党は選挙で多数の支持を得て、ドイツ政界に台頭してきました。ナチス党は最盛期には、ドイツ議会の3分の1を占めていました。民主主義がナチスを選んだのです。その意味では、ヒトラーやゲッペルスの言い分はさもありなんということになるでしょう。

 しかし、国民はベルリンを地獄にするような政治を望んでいないことは確かです。市民はソ連との戦闘の巻き添えになったのみならず、子供も労働力とされ、戦争に非協力的とされた市民はナチス党支配下のゲシュタポによって殺されました。

 首を吊られたベルリン市民の横を白旗を持ってソ連陣営に向かって通り過ぎていくクレープス参謀総長。とても皮肉な光景です。殺された多くの市民は、ソ連軍に降伏しようと白旗を掲げたり、あるいは、武器を取って戦おうとしなかったという「敗北主義者」として殺されていたからです。その横を今まさにソ連に降伏しようと向かうナチスの高官。

 市民の犠牲は何のためだったのか。ヒトラー・ユーゲントの青年に指揮されて、10歳過ぎ位の年齢の子供たちも戦争に協力しました。愛国心に燃えて、ヒトラー総統への忠誠心に燃えて。彼らの若くして散っていった命は ?

 地下要塞でユンゲが堂々巡りの不安に追い回され、側近らが飲んだくれている間に、地上では、多数の市民の命が散っていきました。この責任を、ナチスを選んだからというだけで、ドイツ国民に帰責することは間違っています。

 そもそも、ヒトラーは国民のために、国民の利益となる政治をすることを前提に政治的権力を託されたはずです。それが、「師団に民間人を登用せよ」と命令したり、「戦時に市民など存在せん」と言い切って、ベルリン防衛戦で市民が武器を持って戦うことを強要したヒトラーの下、ドイツ国民はヒトラーの所有物になり下がってしまっている。

 ドイツ国民が権力を託した本来の趣旨から大きくズレてしまっているのです。ドイツ国民は、国民を煮て食おうが焼いて食おうが…という権力をヒトラーに託したのではありません。ドイツ国民の多数の犠牲を「それが彼らの運命だ」という権利はヒトラーにはないはずです。

 ドイツ国民にももちろん、ナチスを生んだ責任の一端はあるでしょうが、ヒトラー率いるナチスのしたことは第1次世界大戦の敗戦国ドイツの再興を託した国民の意図から明らかにかけ離れていました。

ヒトラー〜最後の12日間〜↑1933年3月23日、全権委任法の成立を受けて演説するヒトラー。これにより、彼は一挙に権力を手中にした。ドイツ連邦文書館提供。.JPG

↑1933年3月23日、全権委任法の成立を受けて演説するヒトラー。これにより、彼は一挙に権力を手中にした。ドイツ連邦文書館提供。

ヒトラー〜最後の12日間〜↑1938年3月、オーストリア併合を発表するヒトラー。上の写真(1933年)と比べて国会の雰囲気がガラリと変わっている。アメリカ国防総省提供。.jpg

↑1938年3月、オーストリア併合を発表するヒトラー。上の写真(1933年)と比べて国会の雰囲気がガラリと変わっている。アメリカ国防総省提供。

★責任から逃げたユンゲ

 後年のインタビューでユンゲは、「恐ろしい怪物の正体に私は気付けませんでした」と語ります。これは実にうまい表現です。ヒトラーに責任を押しつけ、ヒトラーを強く非難しつつ、ユンゲ自身の責任を回避している。この言葉の意味することを直接的に言うならばこういうことになるでしょう。

 「私はヒトラーが戦時中に何をしていたか、まったく知りませんでした」。従って、戦時中に起きた惨事について、ユンゲはその問題に気が付きながらも従ったという事実はないし、それについて直接的な責任はない、と釈明しているのです。

 ヒトラーを「怪物」と呼び、「気付かなかった」という表現でぼかしていますが、まぎれもなく、ユンゲは戦争中の政策、例えば、ユダヤ人強制収容所問題について、その事実を知らなかった自らが責任を負ういわれはないことを暗に言明しています。

 個人的には、総統秘書として1942年からヒトラーに従っていたユンゲがまったく、一点の曇りもなく、ユダヤ人の問題を知らなかったとは思えませんが、それを追及して、知っていたはず、とすでに亡くなっているユンゲに責任を問うても、今さら、得るものは少ないでしょう。

 しかし、彼女の責任逃れの論理には目を留めておく必要があります。知らなかったから、私は力のない秘書という立場に過ぎなかったから、責任を逃れられるというものではありません。その論理でいけば、ユンゲ以上に、ヒトラーと接触の機会すらない、ドイツ国民にはまったく責任がなかったことになるでしょう。

 責任のあるなしは、必ずしも、権力のあるなしには関係しません。ヒトラーを選んだドイツ国民にも、その非が少しでもあるとするなら、ヒトラーを直接的、間接的に支える立場にあったヒトラー政権に関わる人々は、ドイツ国民より少しばかり余計に責任を負うべきでしょう。ユンゲがまったく問題を知らなかったと言ったところで、その罪は決して軽くなるものではありません。

ヒトラー〜最後の12日間〜↑1934年、ヒトラーがシュペーアとともに設計図に変更を加えている様子。ドイツ連邦文書館提供。.jpg

↑1934年、ヒトラーがシュペーアとともに設計図に変更を加えている様子。ドイツ連邦文書館提供。


★愚かな人々、彼らの見た夢

 戦後、ヒトラーを「怪物」と呼ぶことで自らの責任から逃げたユンゲやシュペーア、その他の側近たちだけを責めても、問題は解決しません。問題は、戦争がないという意味で当時よりは幸運な時代に生まれた者が、そこから何を考えるかということ。

 ユンゲらの責任逃れの論理も注目に値しますが、何よりも重要なのは、人間がこんなにも、愚かになれるということです。「熱烈なナチではなかった」と後世に言明するユンゲが「総統を見捨てることはできない」、「総統がウソをつくわけがないわ」と言って最後までヒトラーにつき従ったのはなぜなのか。

 愚かと言えば、愚かですが、それだけでは済ませられない、人間心理があります。地下要塞にいたヒトラーの側近たちは最後の最後まで、戦争をどう終結させるかはそっちのけで権力闘争を繰り返し、戦後のドイツを見据えて、あるいは、ヒトラーの後を見据えて、互いにけん制し合いながら、虎視眈眈と権力の椅子を狙っていました。

 そのどさくさの中で、ヘルマン・ゲーリングドイツ空軍元帥のクーデター劇やヒムラーの一方的な連合軍への降伏劇が展開します。ゲーリングのクーデターがどこまで本気だったのか、逃げ出したフェーゲラインSS中将を銃殺するというヒトラーの判断が、フェーゲラインを嫌った誰かの入れ知恵だったのか。

 総統地下壕では、地上のベルリン市街で行われている生死を賭けた戦いには似つかわしくない将校同士、あるいは政府高官とヒトラーの権力闘争が展開されていました。もはやあってないようなナチス=ドイツの権力ですが、それを誰かに与えたり、剥奪したり。

 一方、ユンゲは今まで頼りにしてきた理想の総統像にしがみつき、何としても手離すまいと必死になっていました。その理想像が崩壊してしまえば、ユンゲは全てを失ってしまいます。今まで、信じてきたものがなくなってしまったら、彼女が今まで築いてきた自尊心や誇りは崩れてしまう。だからユンゲは最後まであの手この手で自分をだまし、最後まで総統を信じつづけました。もはや砂の塑像に過ぎないというのに。

 ヒトラーも、将校たちも、ユンゲも、ベルリン陥落が迫っているこの戦争にどうやって決着をつけるのかという最大の問題からは逃げ、その代わりに、目の前の、自分たちだけで決着をつけられる小さな問題に執着していたのです。

ヒトラー〜最後の12日間〜↑部隊を視察するゲーリング(奥の白服)とヒトラー(手前)。1945年4月撮影。ドイツ連邦文書館提供。.JPG

↑部隊を視察するゲーリング(奥の白服)とヒトラー(手前)。1945年4月撮影。ドイツ連邦文書館提供。


ヒトラー〜最後の12日間〜↑マルティン・ボルマン。1945年5月2.jpg

↑マルティン・ボルマン。1945年5月2日自決。ゲーリングの失脚を仕組んだといわれている。無益な権力闘争であったことは間違いない。

★本当に怖いものは…

 ヒトラーは、「市民が試練に負けても私は涙など流さん」といいつつ、「政治的遺言書」なるものには国民への愛と忠誠に動かされていた」などと書く偽善的な一面もあります。しかし、ユンゲらには優しく、自殺用のカプセルを渡しながら「すまんね」などと言って手を握る。

 ヒトラー・ユーゲントのペーター少年が戦車を破壊した業績を称えられ、総統官邸に呼ばれたときも、彼らを称えたのち、地下へ降りる階段で立ち止まり、涙をこらえていました。ベルリン陥落が近づく中、ヒトラーの目にも彼ら少年たちが不憫に映ったのでしょう。

 この映画ではヒトラーの人間的な面が描かれています。逆にいえば、ヒトラーは冒頭でユンゲが言うような「怪物」ではなかったことがよく分かります。死の数日前には、威勢の良かったあの表情や、偏屈な論理ですが、自信に満ちて弁舌をふるっていたあの勢いはなくなり、やや猫背気味になって、声にも張りがなくなっていきました。

 食事の時間にはいつも、同席した者に向かって休みなくしゃべっていたヒトラーは最後の食事ではほぼ無言で食事を取り、調理係のマンツィアリーに丁寧に礼を述べてから席を立つ。ここから伝わってくるのは、記録フィルムに残る、大勢の国民を熱狂させた力強い演説で見られるような、あの"独裁者"ヒトラーのイメージではありません。そこにあるのは1人の人間であり、夢に破れた1人の男の姿です。

 彼のような男がなぜ、"独裁者"といわれるようになったのでしょうか。なぜ、絶大な権力を持ち、天文学的な数字の犠牲者を生む第2次世界大戦を始めてしまったのでしょうか。なぜ、ユダヤ人収容所のような重大な問題を抱えた政策を、国家規模で大々的に実施してしまったのでしょうか。

 ヒトラーや少数の狂信者だけでこの計画全部を実行に移すことはできません。当然、政権全体がヒトラーの手足となってその方向に動き、ヒトラーの政策を推進したから実行が可能だったのです。つまり、ヒトラーを「独裁者」にしたのは、ヒトラー自身の力だけではありません。そこには、ヒトラーを「独裁者」の地位に押し上げる強い推進力が働いていたのです。

ヒトラー〜最後の12日間〜↑1933年、ヒトラーがゲッペルスの子供と遊んでいる。奥にいるのがゲッペルス。ドイツ連邦文書館提供。.jpg

↑1933年、ヒトラーがゲッペルスの子供と遊んでいる。奥にいるのがゲッペルス。ドイツ連邦文書館提供。


ヒトラー〜最期の12日間〜↑ゲッペル.jpg

↑ゲッペルスとその家族。1945年5月1日、妻マグダが子供たちに青酸カリを飲ませて殺し、その後、夫妻は自決した。写真中央奥・軍服の若い男性は長男(夫人の前婚の子供)。彼は捕虜となり、ゲッペルス家で唯一生き残った。ドイツ連邦文書館提供。

★〜あさきゆめみし〜

 人間たちが権力や物質的利益に目がくらみ、当座の欲求を追求した結果、ヒトラーという「独裁者」を生みだしました。ユンゲはヒトラーのことを「怪物」だといいます。しかし、一介の人間に過ぎなかったヒトラーを「怪物」に仕立て上げたのはヒトラーに反対できなかった幹部、ヒトラーを妄信して政権を支えた人々、ユンゲもその一人です。

 ヒトラー自身は怪物でもなんでもありません。ヒトラーに周囲の人々が付け足されることで、ヒトラーはようやく「怪物」になることができたのです。ヒトラー政権に加担したユンゲがヒトラーを「怪物」と呼ぶならば、ユンゲもその「怪物」の一部であったことを認めなくてはならない。怪物の血となり肉となり、尖った牙で人々の体を引き裂き、怪物の大きな足でたくさんの人間を踏み殺し、街を踏み荒らしたことを認めなくてはならない。

 ヒトラーの最期はヒトラーを支え、政権に関与した者たちの最期でもあります。彼らがヒトラーと一緒に見た夢。それが悪夢であったことに戦後になって気がついたとしても、一緒に夢を見ていたときは悪夢とは思わなかったはずです。夢破れたときに、それが悪夢だったことに気がついたとしても、もう、取り返しはつかないのです。

 願わくば、その悪夢を繰り返すことのないように。夢を見ているときに人はそれを夢だと自覚してはいません。まして、それが悪夢であるなどとは。だからこそ悪夢から醒めたとき、全てを"独裁者"ヒトラーに押し付けて、「なぜ悪夢を見てしまったのか」という本質的な問題から逃げてはならないのです。

1945年4月25日、アメリカ軍により爆破されたツェッぺリン広場のナチスの鉤十字(スワスチカ)。アメリカ国立公文書記録管理局提供。.gif

↑1945年4月25日、アメリカ軍により爆破されたベルリン・ツェッぺリン広場のナチスの鉤十字(スワスチカ)。アメリカ国立公文書記録管理局提供。
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この記事へのコメント
この批評自体が偽善であると思われる。
そんな、ヒトラーを怪物に押し上げた人々というまとめ方ほど浅はかな考え方は無い。
何故ドイツが第二次大戦までにいたったかを全く分かっていないのではないのか。第一次大戦でどれほどフランスや、その他戦勝国がどれほどの傍若無人なあてこすりをドイツに押しやった結果がこれだということを全く書いていないではないか。
この程度の文章では結局「勝ったら官軍、負ければ賊軍」との名言をただなぞっているにすぎない。
しかもユンゲはラストで「ヒトラーがユダヤ人を大量に殺していたことを知らなかった」で終わっているのではなく「しかしそれを知らなかったといって責任を負わなくてよいというものではない」と話しており、いかにこの批評を書いたレビュアーが作品をきっちり鑑賞していないかを如実に示すものである。
この程度の感想文なら「アメリカは日本に平和をもたらした」「日本は戦争を始めたのだから日本が悪い」という頭の悪さである。
このようなレビューがあっけらかんと公開されていることに寒気さえする。
Posted by sore at 2010年10月23日 21:31
2010年10月23日にコメントを頂いた方へ

 こんにちは。コメントにお返事いたします。

★ドイツの敗戦とヴェルサイユ条約

 第1次世界大戦で敗北が決したころは、ドイツ帝国が崩壊し、政治体制自体が揺らいでいる時期でした。新生ドイツへの期待と敗戦の不安に揺れるドイツに追い打ちをかけたのは、1919年のヴェルサイユ条約です。この条約で決定された戦後体制により、ドイツをはじめとする敗戦国には過酷な懲罰的な賠償、あるいは制裁が加えられました。

 ドイツには多額の賠償責任が科され、海外の所有領は没収されました。また、本国領土の一部も戦勝国に割譲され、あるいは国際連盟による管理下におかれました。こうした対外的な損失に加え、世界的な大恐慌の余波を受け、ドイツ国内は酷い不況にあえいでいました。第1次世界大戦の戦勝国によるドイツに対する経済的、あるいは政治的圧迫は次第にドイツを、そしてドイツ国民を追い込んでいきました。

 ヒトラーはこれを存分に利用しました。彼はナチス=ドイツが政権を掌握した2年後の1935年にヴェルサイユ条約の一方的破棄を通告します。

 これを後押ししたのは、ドイツ国民の強い支持でした。ヴェルサイユ条約という過酷な講和条約の締結された場所が、かつてドイツ帝国の成立を宣言したヴェルサイユ宮殿であったことに象徴されるように、戦勝国はドイツに対して徹底的な屈辱を与えることに執心したのです。多額に過ぎる賠償金も、あるいはドイツ本国領土の割譲にも、敗戦国ドイツを再起不能なまでに追い詰めようとする戦勝国の思惑がありました。

 このような近隣諸国の態度はドイツ国民の民族感情をひどく傷つけることとなります。このころのドイツは政治が安定しておらず、政治家や複数政党間の権力闘争が繰り返されていました。国内政治は安定せず、経済状況は悪い上、戦勝国のあからさまに強圧的な対応に対して何の有効な政治的解決手段を示すことのできない政治家にドイツ国民は失望していました。

 この絶望的なまでの閉塞感を打ち破るがごとく、登場したのはアドルフ・ヒトラーです。この若く、情熱的な弁舌をふるう新しい政治家に国民は強い期待を抱きました。国家社会主義ドイツ労働者党に所属するヒトラーは極端な民族主義、あるいはアーリア人至上主義、反ユダヤ主義を標榜し、ついに1933年、首相の座に登りつめます。

 ヒトラーの政治家への道は決して平坦だったわけではありません。ヒトラー自身の投獄や、ナチス=ドイツ党の活動禁止処分が科されるということもありました。1928年の国会選挙で当選させることのできたのはたったの12人。

 ヒトラーが首相に任命される直前に行われた1932年の国会選挙では、最大の得票を得ますが、議会においては単独過半数に至ることはできませんでした。しかし、その後の選挙で共産党が勢力を拡張したことに対して、共産主義勢力に対する危機感が高まります。経済界や、既存の政治勢力は共産党を抑えるため、ナチス=ドイツの力を頼ることにしました。結果、ヒトラーは首相に任命され、ヒトラー内閣を組閣するに至りました。

 ナチス=ドイツ及び、アドルフ・ヒトラーの台頭は何度も選挙で敗北し、弱小政党の一つに過ぎないという時期を過ごした末の躍進でした。誇り高き民族としてドイツ民族を鼓舞し、団結を促し、強いドイツを標榜する彼の政策は国民から熱狂的な支持を得ていきました。ドイツを貶め、国民のプライドを傷つけたヴェルサイユ条約の一方的破棄はヒトラーに対するドイツ国民の支持を決定的にした出来事の一つであるといえるでしょう。

 ヒトラーはよく、「独裁者」であると言われます。独裁者と聞いて抱くイメージは被支配民を抑圧し、彼らの犠牲のもとに過酷な政治を行う権力者というものが思い浮かぶのではないでしょうか。

 しかし、「独裁者」の定義が仮にそうであるとするならば、ヒトラーは独裁者ではありません。むしろ、彼は「ドイツ国民」を優越的な地位に置き、彼らを味方につける道を選びました。ユダヤ人やラマ(ジプシー)という"下等民族"を意識させ、共産主義者等の反体制者を排除することで、ドイツ人に民族的優越感情を植えつけ、民族的な団結と思想的な統一を図る方向へと導いていったのです。

 第1次世界大戦で傷つけられた国民感情のスケープゴートにされたのは主としてユダヤ人でした。彼らは、アーリア人種よりも劣った民族と定義され、ドイツ人とは違う人間として区別されたのです。

 もともと、ユダヤ人はキリスト教圏のヨーロッパ諸国においては根強い差別感情が向けられる民族でした。これはイエス=キリストを処刑したのがユダヤ人であるという宗教的理由が根底にあります。これらに加え、世界的な不況にあえぐ状況下において、ユダヤ人に銀行家や実業家が多く、相対的に裕福であることにも由来します。

 これら既存の差別感情をヒトラーは利用しました。ユダヤ人は国民としてどころか、人間として生きることさえ許されないという状況へと追い込まれていきました。

 ナチス=ドイツの絶滅政策を批判することが、戦勝国を正当化し、戦勝国の行為を是認することにはつながりません。戦勝国が何をしたにしろ、ユダヤ人絶滅政策という非情な行為が行われたことはヴェルサイユ条約の存在と同様、否定できない事実です。

 第2次世界大戦の戦勝国アメリカと敗戦国日本の関係についても同様です。敗戦国である日本が犯した行為を批判したからと言って、それがすなわち、アメリカを正当化することにはなりません。ましてや、おっしゃられるような「アメリカが日本に平和をもたらした」という結論には至りません。それは論理の飛躍です。

 ドイツが敗戦国として過酷な制裁を受けたことは事実です。しかし、それがユダヤ人絶滅政策の方便として使われてはなりません。ドイツが敗戦国として受けた懲罰的制裁が第2次世界大戦の誘因の一つとなったことはもちろんですが、だからといって、それがユダヤ人絶滅政策により600万人が死んだという事実を正当化する理由にはなりません。

 ある特定の事象を2つ選び出して結びつけ、それを原因と結果として考えることは可能です。しかし、過去と未来につながる時の流れは一つではありません。歴史とは、さまざまな事象が絡み合ってできている時の流れであり、様々な要因が一つの事実につながり、その事実がまた複数の事実の原因となっているものです。歴史を考えるときには常に多くの視点を持つという心構えが必要です。

 第1次世界大戦の戦勝国が敗戦国ドイツに対して犯した行為と、ドイツがユダヤ人に対して犯した行為について、それだけを取り出せば、それに原因と結果を見出すことはできます。しかし、それ以外に、原因はなかったのか。もう一度考えてみることが必要ではないでしょうか。

↓長いため、ここで中断です。↓
↓下のコメントに続きます。 ↓
Posted by 管理人Naoko.H at 2010年10月24日 16:50
★ユンゲの責任

 「ヒトラー〜最期の12日間〜」が画期的な映画だったのは。この映画がヒトラーを"怪物"として描いていない点です。むしろ、ヒトラーに憐れみすら感じてしまう。敗戦続きの戦況報告に怒り、落胆し、死を考えるヒトラーは"怪物"ではなく、独裁者でもない。「ヒトラー〜最期の12日間〜」ではヒトラーは人間臭い一人の男として描かれています。

 この映画が描こうとしたのはヒトラーではありません。むしろ、ヒトラーを取り巻く人間たちの人間模様です。窮地に追い込まれ、権力どころか、命のかかった状況で、ヒトラーの周囲の人間がどう動いたのか。彼らは何を考え、どのように行動しようとしたのか。

 彼らは動揺していました。そして、彼らは様々な道を選びます。しかし、その根底に共通するのは保身。敗戦の迫る中、彼らはヒトラーへの忠誠心と保身をはかりにかけ、敗戦後をにらんだ権力闘争を繰り返していました。

 ユンゲはその立場にはありません。しかし、ヒトラーの側近たちとユンゲ、その両方に通じるものがなにか、といえば、ユダヤ人問題を始めとする犯罪的な行為について、知らなかったと言い通し、責任を認めなかったという点です。

 ユンゲは側近たちとは違い、政治的方向性について感知できる立場にはありません。しかし、総統の秘書という立場にあり、彼の思考や政策について知りうる立場にあった。これは極秘事項を知りうる立場にあったと言っているのではありません。ただ、一般人として知ることのできる事実はもちろん、それ以上の事実についてもある程度は知っていたと推定できるということです。

 映画の結末のインタビューで、彼女は、「若かったというのはいい訳にならない。目を見開いていれば気づけたのだ」と回想していました。一方で、冒頭のインタビューではナチス=ドイツの犯罪について何も知らなかったと強調しています。「ただ夢中で何も考えず、秘書の依頼を受けました。熱烈なナチではなかったし、断ることもできたはずです」「でも好奇心に突き動かされ、愚かにも飛び込みました」。

 彼女の主張をまとめると、戦時中は何も知らなかった。しかし、それについては、知らなかったと言えども、責任を負わねばならない、ということになるでしょう。

 犯罪を犯すとき、知っていてやることと、知らずにやることでは罪状が全く異なります。故意に殺せば殺人ですが、過失によるなら過失致死。そして、過失にさえよらないならば、それは罪にはなりません。人を裁くという場合、その人が知っていたかどうかということは非常に重要になってきます。そして、その人自身の罪悪感の形成過程においても。

 知らなかった、けれど責任は否定しない。この論理は非常に便利な構造です。知らなかったことにおいて、ユンゲに法的責任は発生しない。そして、責任は否定しないことによって、自らの罪悪感を慰める。ユンゲの認める責任は曖昧模糊としたものです。その責任を認めることによって何かユンゲに不利益なことが起きることはありません。逆に、ユンゲの罪悪感を慰めることに役に立つ。ユンゲの言葉は自身の過去と自尊心を守りつつ、罪の大きさを認めるという構造です。この構造は、当時の一般国民ならば、許されるいいわけかもしれませんが、当事者の一人と言えるユンゲが言ってはならない言葉です。

 「思いも知らぬ運命が待っているとも知らずに…。とはいえ、今も自分を許せずにいます」というユンゲ。自らの過去を「運命」で片付け、当時のドイツ国民全体の共同責任として受け止める。当事者が責任を語るとき、そこには常に自己防衛本能が働きます。特に、ユダヤ人絶滅政策のような、大きすぎる責任を前にして、その責任を全て引き受けようという者はいないでしょう。

 この議論は道義的責任と法的責任の関係の議論に直結していきます。道義的に問題になる行為であるけれど、法律で裁くことのできない行為というものは存在します。

 特に、戦時中の行為については、戦後に作られた法律で裁くことになるため、議論が入り組みやすい。事後法による処罰は民主主義国の罪刑法定主義に基づく考え方によれば、原則否定されるべきだからです。

 法的責任を問われない場所と環境において、後悔し、過去を懺悔する言葉を述べることは容易です。しかし、一方でその言葉を望んでも言わない者もいる。また、沈黙を選ぶ者もいる。当事者が過去をどれだけ語ろうが、罪の意識を伝えることができないと分かっているからです。

 自分の過去を守ろうという意識を働かせながら、過去について謝罪する。自己を守ろうとする意識はきっと無意識です。そして、謝罪する気持は真実なのでしょう。過去の自分を守りつつ、過去に対して懺悔の言葉を述べるのにどれだけの意味があるのか。

 ユンゲの言葉を分析的に見てみるといろいろと面白い問題が見えてくる気がします。個人的に、戦争責任と謝罪の問題を当事者の視点で見た映画として「愛を読む人」をお勧めいたします。

 これは恋愛映画でありながら、恋愛映画ではない、非常に心理描写にすぐれた素晴らしい映画です。当事者が謝罪するということと、社会の反応、そしてその相反する先にある当事者の苦悩。先ほど問題提起した道徳と法律の問題についても、言及されていますので、ぜひ、ご鑑賞なさってみてください。

★お勧めの本

 また、文献に興味がおありでしたら、以下の2冊をお勧めいたします。
・ギッタ・セレニー・小俣和一郎訳『人間の暗闇』(岩波書店・2005年)
・ヴォルフガング・ヴィッパーマン・林巧三・柴田啓二訳『議論された過去・ナチズムに関する事実と論争』(未来社・2005年)
 
 『人間の暗闇』はフランツ・シュタングルというユダヤ人絶滅収容所所長との対話を記録した本です。シュタングルは2か所の絶滅収容所の所長を務め、90万人の人々をガス室に送ったという罪で裁かれ、終身刑を受けました。筆者のセレニーは彼が死亡する直前まで彼のインタビューを行い、シュタングルの心理的側面の分析を試みています。しかし、それ以上に魅力的なのはシュタングルがとつとつと語る彼の半生についてです。彼の言葉から何を感じるか、それは読者次第。
 
 もう一冊はナチス=ドイツが行った政策全般について論点をまとめた本です。ナチス=ドイツのイデオロギー、外交、戦争、教会との関係、青少年への教育、女性政策等、幅広い論点を網羅した本で、一冊で主要な論点をさらうことができるという点で優れていると思います。
 
 コメントありがとうございました。ご訪問いただいたことに、心より感謝いたします。
Posted by 管理人Naoko.H at 2010年10月24日 16:51
歴史認識は個人により相違があるし、歴史は文献や証言が新たに加えれれば、加筆、訂正されるわけです。しかも、日本で教育される戦争への見解は、日本人の立場を考慮したものだと思います。これは朝鮮半島や中国、台湾とのアジアの関係において、それぞれの国の立場の言い分があるからです。同様に欧州でも、同じことが言えるのではないでしょうか? さらに欧州の歴史を遠いアジアから議論しても限界がある気もします。言葉や、習慣の違いは概してお互いの理解への障害になります。我々が生きている現在、この近代と言われる社会でも、911がそうであったように、容易に日常的な平和や均衡というものは、簡単にはかなく壊れてしまうということです。それだけ法律や倫理感で構築された人間の世界は、もろく、そして地球の大きな歩みの中で一瞬のような気がします。メッセージを発することが出来るあらゆる媒体を使って、常にそれを警告し続けることが個人的に必要だと考えます。そういう意味で、映画というのは効果的な手段であり、また、この映画も非常に価値のあるものだと思います。
Posted by 傍観者 at 2010年11月19日 08:26
傍観者さんへ

 共通の歴史観というものは夢物語にすぎません。個人によって抱く価値観が違う以上、同じ国に住んでいても個人により解釈が違います。アジアと欧州のように、地域が違えば、なおさら異なる解釈が出てくるでしょう。

 傍観者さんが指摘されるように、国の立場、あるいは文化や言語の相違がその要因になることは事実です。一つの歴史的事実に対し、それに対する共通の理解を形成しようとするのはほぼ不可能に近い。

 ただし、それを理由に、相手の立場や言い分を理解することをあきらめたり、放棄したりするのは誤りです。自分の意見に固執し、相手の言葉を端的に「間違っている」と断罪し、議論を拒否してはならない。

何が正しく、何が間違っているかは非常に相対的なものです。この人間の構築した世界は傍観者さんのおっしゃる通り、”もろい”もの。そして、その脆さを認識しているならば、その人は自身の価値観に凝り固まることはないでしょう。

 脆さを知る人は危うさを知っている。そのような人は自分の倫理観や世界観が絶対的なものであるとの確信を抱くことができないはずです。常に、自分の考えに疑いを持ち、疑問を投げかけ、検討の余地を残すこと。相手を糾弾せず、議論を受け入れ、相互に歩み寄る余地を残すことです。

 その意味で、「人間の倫理観の脆さ」は地球上における人間の意識の根底に置くことができるものであるかもしれません。

Posted by 管理人Naoko.H at 2010年11月20日 11:40
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