※レビュー部分はネタバレあり
ワールドカップ開催国として注目を集める南アフリカ。その裏で、発展の恩恵を受けられず、取り残された者たちがいる。貧困・犯罪・エイズ―南アフリカの抱える深刻な社会問題を1人のツォツィ(チンピラの意)を通して描く。

南アフリカの旧黒人居住区、ソウェト。ここにはプレハブで作った小屋が立ち並び、昼間から暇を持て余した若者たちがたむろしている。ツォツィもその一人。ツォツィは仲間を従え、毎日のように強盗、窃盗を働いていた。ツォツィは必要なら殺人もいとわず、仲間ですら半殺しにするときがある。
そんな彼の日常に思いもかけぬ事件が起きた。ある日、ツォツィはいつものように強盗を働こうと高級住宅街へと向かう。ツォツィは運転していた女性を銃撃して車を奪い取り、逃げ出すことに成功する。しかし、なにやら後ろの座席から泣き声がする。奪い取った車の後部座席には赤ちゃんがいたのだ。ツォツィは何を思ったか、赤ちゃんをソウェトの家へと連れ帰るのだった。

↑南アフリカ・ヨハネスブルグのパノラマ写真。都市部は日本の都市とそれほど変わらないくらい発展している。
2010年サッカー・ワールドカップの開催に沸く南アフリカ。かつてアパルトヘイト政策(人種隔離政策)に苦しんだかの国は急速な経済発展を遂げている。その一方で、南アフリカでは貧困層の固定化と拡大が進んでいる。旧黒人居住区には相変わらず黒人ばかりが住み、しかも極度の貧困にあえいでいる。基礎的なインフラも十分に整わないソウェトのような地域はその代表格だ。
南アフリカ最大の都市、ヨハネスブルグを訪れると、日本と何ら変わらない、高層ビルの立ち並ぶ市街を見ることができる。その近代的な都市風景からは、ツォツィたちのような人々が暮らす地域があることは想像しにくい。

↑南アフリカ共和国、ソウェト地区。バラックが立ち並ぶ。アパルトヘイト時代に比べ、何倍もの面積に広がった。貧しさはとまらない。
旧黒人居住区であり、貧困地域として有名になったソウェトは観光で訪問することもできる。その際には、ガイドから治安状況について厳しい注意を受けることになる。外国人が1人でソウェトに行くのは少々勇気がいる。ソウェトでは傾きかけた掘っ立て小屋のような家々が立ち並び、入り組んだ道がその間を走っている。
一方、そのソウェトを目前に望む小高い場所にはこじんまりとした、全く同じデザインの建て売り住宅がマッチ箱を並べたように整然と建ち並んでいる。さらに、ケープタウン市街に近接する地域では緑の美しい芝生を敷き詰めた、プールのある広い庭付きの大きな邸が建ち並ぶ。このような街では住宅街全体が高い塀で囲われ、出入り口では住民以外を通さないために警備員が立っている姿を見ることができる。
まるで土地に線引きがされているかのように、貧困層、中間層、高所得者層が住み分けをしている。このモザイク模様をアパルトヘイト時代の地図に重ねてみるとある特徴に気が付くだろう。かつての黒人居住区がそのまま、現在の貧困層居住地なのだ。しかも、その範囲はアパルトヘイト時代よりも拡大している。
ツォツィはそんな旧黒人居住区ソウェトで生まれ、育った人間だ。ツォツィや彼の家族の姿からは南アフリカの抱える深刻な社会問題が見えてくる。『解説とレビュー』では南アフリカの現状とツォツィの抱える問題を、ヨハネスブルグやソウェト地区の写真を交えて見ていこう。
【映画データ】
ツォツィ
2006年アカデミー賞外国語映画賞
2005年(日本公開2007年)・イギリス,南アフリカ共和国
監督 ギャヴィン・フッド
出演 プレスリー・チュエニヤハエ,テリー・ペート,ケネス・ンコースィ

↑南アフリカ共和国はアフリカ大陸の最南端に位置する。
映画:ツォツィ 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり
★ツォツィの舞台―未知の国、南アフリカ―
南アフリカ共和国と聞いて何を思い出すでしょうか。
アフリカ大陸の最南端に位置する国、2010年ワールドカップ開催国、悪名高きアパルトヘイト政策を敷いていた国、マンデラ元大統領。様々なキーワードが顔を出しますが、南アフリカと言えば、“アフリカの優等生”といわれる国であることも確かです。
かの国は、近年目覚ましい経済成長を遂げており、成長率は2005年に5%を越えています。さらに、不動産価格は上昇し、大型ショッピングモールが次々に建設され、自動車販売台数も急激に増加していて、自動車産業界の熱い視線を集めています。
日本でも外貨投資が盛んになってきていますが、一時、南アフリカの通貨であるランドを買うのが流行したときがありました。当時、投資の相談カウンターに行くと、推奨外貨投資先として、ブラジルなどの他、決まって南アフリカの国名が並んでいたものです。
投資先を決めるときに考えるのは、まず、「リスク」です。アフリカに位置する南アフリカはアフリカ大陸にあるというだけで地政学的なリスクが大きいのです。アフリカ大陸は内戦や紛争に事欠かない地域。反政府勢力と言われる武装組織がない国が一体あるのか、という勢いで、内戦を繰り返してきた地域です。
ざっと思いつくだけでも、コンゴ・ソマリア・ナイジェリア・スーダンにモザンビーク…。統一された政府がある国でも、何がしかの内戦の火種を抱えています。その中で、南アフリカには安定した政府があり、民主的な政権が存続していることは奇跡とも言えるでしょう。まさに、南アフリカはアフリカの優等生、アフリカの盟主、アフリカの地域大国なのです。

↑中央に幹線道路が見える。ヨハネスブルグ東部の光景。
★もはや、これは戦争か―犯罪と戦う南アフリカ―
ところが、です。南アフリカに内戦はありませんが、それに近い状況を演出しているものがあるのです。それがこの「ツォツィ」で取り上げられる"犯罪"です。映画中であまりにあっさりツォツィたちが人を殺すのを見てびっくりした方も多いのではないでしょうか。彼らはナイフや銃を常に持ち歩き、必要を感じたら容赦なくそれらを行使します。
これは映画的演出ではありません。それを証明するのが南アフリカ政府が発表する殺人認知件数です。映画の公開された翌年、2006年には1万9千202人が殺されています。2007度は1万8千487件。人口10万人当たりに直して、日本と比較してみましょう。そうすると、南アフリカは10万人に40.5人が殺されており、これは日本の約40倍という数字が出てきます。これはもはや犯罪の域を脱しているとしか言いようがない数字です。
しかも、南アフリカ政府は少しでも数字を良く見せようと、殺人未遂を除外して計算しています。国際的なルールがあるわけではありませんが、日本を含めた多くの国々では殺人未遂を含めて計算しているので、実際の数字は日本の40倍以上になること疑いなしです。
別の数字と比較してみましょう。ベトナム戦争で亡くなったアメリカ兵の数は10年間で約5万8千人。1年平均約5千800人のアメリカ兵が死亡した計算になります。一方、南アフリカではその約3.2倍の約1万9千人が毎年、犯罪で殺されています。数字だけで見てしまえば、もはや戦争と犯罪の線引きが難しい状況にあることは間違いありません。
ツォツィの生活手段は強盗です。では、そんなに強盗事件が多いのか、と言うところですが、殺人事件の件数を見れば推測できるように、強盗発生件数もけた違いに多い国です。日本では年平均5千件の強盗事件が起きているのですが、南アフリカでは年間20万件をくだりません。ケタ違いに多いのです。これを人口あたりに直すと、日本の120倍の強盗事件が起きている計算になります。

↑カラフルな街並みは重要な観光資源だ。観光客も多く集まる。
★頼れない南アフリカ警察―多すぎる犯罪―
「ツォツィ」に出てきた警察の対応が何か変だ、と気がついた方はおられるでしょうか。赤ん坊を乗せたままのBMWを強奪された夫は「スラムに逃げ込んだのは確かなんだろ ? 」と言って、語気鋭く警察に捜査をするように強く要請していました。そのときの刑事の対応は「スラムには人が多いし、車の追跡もできないようなところだし…」。
赤ん坊が生死不明のまま、行方不明だというのに、ずいぶん、のんきな対応です。車の発見場所はスラムを見おろす高台で、犯人はスラムに逃げ込んだか、スラムに住んでいる者であることは間違いありません。だとしても、邪魔になる赤ん坊はもう生きてはいまいと考えたのでしょう。これも南アフリカ警察の活動の実態をちらりと垣間見せるシーンです。
個人的な経験になりますが、日本に住んでいて、一軒家で空き巣に入られたことが2度、住んでいたマンションの別のお宅に強盗が入ったことが1度ありました。空き巣でとられたのは現金15万円ほどと商品券のみ、という事件としては小規模な事件でしたが、警察が捜査や鑑識活動を行い、空き巣の事件では犯人も逮捕されました。しかし、これが警察の対応として国際的に、常識的な対応だと思ったら大間違いです。
驚くなかれ、南アフリカ警察は"小さな事件"では大変に対応が鈍いのです。社会的に有名な人や有力者が事件に巻き込まれたのでない限り、強盗事件については原則、捜査はなし。現場に来てくれないことすらあります。これは決して、南アフリカの警察が怠惰な警察活動をしているというわけではありません。犯罪が多すぎて手が回らないというのが正確なところです。
かつて、大型ショッピングセンターで強盗事件があり、強盗と警備員が銃撃戦を展開した事件がありましたが、警察官が到着したのはその1時間後でした。ちなみに、強盗に襲われるのは、自宅、レストラン、ショッピングセンターだけではありません。強盗団は教会にもやってきます。日曜日ともなれば、礼拝に多数の人が集まりますし、それなりの経済環境にある人がいることが見込めます。つまり、金目のものを強奪するには、「効率がいい」。

★“要塞”のようなセキュリティ・システム
こんな状態なので、一般の人々はどうするかといえば、できるだけ「防犯」するしかない。日本でよく言われるような、「防犯意識の啓発」などというかわいいものではありません。自動車強盗を防ぐため、防弾ガラス入りの自動車に乗り、低速では走行しない。できるだけ、夜間の外出を避け、外出するときはどうしても必要な時だけにする。夜に寂しい道を1人で運転するのは論外で、夜間の交差点ではできるだけ止まらない。
玄関のカギを開けようとしたり、車庫に車を入れようと停車するときに襲われやすいので、門扉の開閉は全てオート式。ツォツィに襲われて車を奪われた女性は、車内にあった門扉を開閉するリモコンが故障していました。彼女がひどく焦ってドアベルを鳴らしていたのは、彼女がせっかちだからではありません。夜間に、女性が1人で車を停めていれば、強盗に襲われる可能性が高いからです。彼女が焦っていたのはいわば当然なのです。
また、中流家庭ならセキュリティ・システムは設置することが常識です。日本の警備会社がよくテレビなどで宣伝しているセキュリティ・システムは、窓やドアの開閉や破損によって異変を察知し、警備会社に通報するシステムが主流です。しかし、南アフリカの警備システムはそれだけでは足りません。室内に赤外線センサーを張り巡らし、自宅の周りのフェンスや塀には電気を流すというちょっとしたものです。
他にも、ツォツィが強盗に入ったとき、夫が鳴らした非常通報ボタンはキーホルダー式のものでした。日本の警備会社と契約しても、オプション契約しない限り、非常通報ボタンはキーホルダー式にはならないし、設置されるのは2〜3程度。一方、南アフリカの警備システムでは7つ以上の非常通報ボタンを設置することもざらだといいます。

↑ソウェトの住民たち。
★南アフリカの労働者たち
ツォツィは駅でホームレスの男性に出会います。彼は足を固定していて、車いすに乗り、物乞いをして暮らしています。彼につばを吐かれたツォツィは彼を追って駅の構内を歩いていきます。一方、ツォツィが追っていることに気が付かない彼はホームレス仲間に声をかけながら、車いすを押して進んでいきました。
この男性はかつて金鉱山で働いていましたが、足をけがして以来、仕事はありません。そして、彼の顔見知りであり、駅の構内で何やら新聞らしきものを販売している男性にも、きちんとした生活の手段はないようです。
ちなみに金鉱山というのはダイヤモンドと並んで南アフリカの白人層を狂喜させた大発見でした。1867年にダイヤモンド、1886年には世界最大級の金鉱脈が発見されたのです。鉱脈を開発するために、白人資本家は黒人社会を徹底的に破壊しました。それは、採掘の労働力を安価に、しかも大量に確保するためのものでした。
結果、土地を失っい、低所得の労働者となった大多数の黒人は土地を所有できず、小作人となるか、鉱山労働者となる道を選ぶしかなくなっていきました。そして、これはアパルトヘイト政策の端緒にもなっていきます。

↑アパルトヘイト時代、ソウェト蜂起で亡くなった息子を抱いて歩く母娘。アパルトヘイトが廃止されてからも、ソウェト地区の貧しさは変わらず、ソウェト地区の失業率は80%を越える。
★仕事がない
さて、話がそれましたが、そもそも、ツォツィだって、20歳前後の青年です。ところが、彼の仲間を含めて、スラムにたむろしている人々は、まったくの無職か、盗品売買や車の窃盗、転売を仕事にしているようでした。
昼間だというのに、スラムの飲み屋は満席で、昼からビールをあおる彼らはまともな仕事に就けないのか、それとも、就く気がないのか。彼らが個人的に今の生活をどう思っているのか分かりませんが、南アフリカの労働事情から問題背景を探ることはできるでしょう。
まず、南アフリカの失業率は毎年40%前後で推移していることが挙げられます。南アフリカでも、日本と同様、年齢が高くなるほど、就職は難しくなります。高齢者の多い駅のホームレスたちは、再就職をすることはほぼ絶望的です。
では、若いツォツィたちはどうでしょうか。そこで、給与水準を見てみましょう。外国人や富裕層の家に住み込みで働く家事手伝い、工事現場の作業員の給与は月給1300ランドが平均的な額。日本円にして約2万3千円程度です。そして、スーパーマーケットの店員や商店の店員など、読み書きや簡単な数字を扱えるレベルなら、高くて、月給5万4千円くらい。大企業の工場労働者なら月10万円から18万円くらいは所得があります。一方、大企業に就職した大卒者の給料は日本より多少安い程度にまで上昇します。
さて、ここで問題が出てきます。ツォツィたちは大学はおろか、そもそも学校に行っていません。ツォツィの仲間のボストンはかろうじて、学校に行っていたことがあるようです。だから彼は仲間に「先生」と呼ばれていました。彼らに基本的な学力がないことは基本的な足し算すら満足にできていないことからすぐに分かります。賭け事をしているとき、足し算の正否を巡って言い争う場面が2度も出てきていました。
つまり、彼らは、商店の店員を目指すことも難しく、給与の低い単純労働しか道はありません。そうなると、1日の拘束時間が長い割には生活するにも事欠くような安い給与しかもらえない仕事で暮らすしかなくなってしまいます。それなら、盗品の故買でもやっていた方が、よっぽど金になる。
そもそも、失業率が40%を越えるような国において、まったく学のないスラム街の若者たちが超単純労働であれ何であれ、定期的に賃金のもらえる定職を持てるなどということは夢物語に近い話なのです。
2004年の国連の推計によると、南アフリカの48.5%の人は毎月354ランド、およそ6300円の所得で暮らしています。毎日210円で暮らしている人たちが国の半分近くを占めているという現状はツォツィたちにも重くのしかかる現実なのです。

↑ツォツィたちがこの暮らしをするにはあまりに高いハードルがある。
★ツォツィの悲劇―アルコール依存症が家族を壊す―
ツォツィの生涯を追っていくと彼は南アフリカの病根を全て抱え込んでいる人生を送っていることが分かります。彼が育ったのはやはりスラム街の小さな小屋。父親は飲んだくれで母はエイズにかかって瀕死の状態。父は息子を母親に近寄らせず、酔っ払っては暴力を振るう。
父親がどんな仕事をしているかは定かではありませんが、酒ばかり飲んでいるアルコール依存症の男にまともな職がないことは想像するに難くありません。実は、この酒びたりの父親はエイズにかかった母親とともに、南アフリカの貧困層が抱える社会問題を象徴的に表しています。
アパルトヘイト時代、都市部の黒人社会にアルコール依存症が急拡大していきました。銃犯罪の38%、ナイフを使った犯罪の72%が飲酒時に起きているとの統計があります(南アフリカ政府機関の統計)。職がなく、昼間から酒を浴びるように飲む若者たちは、刑務所に近い存在となってしまうのです。
ツォツィの家庭は母親がエイズで死に、父親は犯罪者として刑務所に入れられ、ツォツィ以外には誰もいなくなったのでしょう。いずれにしても、ツォツィがついぞ、両親の愛情を受けたことなく、物ごころついたころから、孤児同然に土管の中で育ったのは確かなことなのです。

↑整備された住宅地。住環境が整っている地域に住むには一定額の定収入が必要だ。
★ツォツィの悲劇―エイズが家族を壊す―
それに輪をかけて恐ろしいのは、エイズです。ツォツィの母親もエイズで瀕死の状態でしたし、「ツォツィ」で映される街や駅のシーンにはよく見ると、エイズの大きな啓発広告が掲示されているのが見えています。
なぜ、エイズが強調されているのかといえば、南アフリカは世界一、エイズ感染者が多い国であるからです(2009年国連統計)。意外に思われるかもしれません。確かに、南アフリカは世界初の心臓移植手術をした国であることからも分かるように、医療技術の発展が特に遅れている国とはいえませんし、経済的にもアフリカ諸国の中では恵まれているといえます。それでも、エイズの感染者数世界一という不名誉な数字を誇る国なのです。
約570万人という南アフリカの患者数は人口の12%に達します。毎日1000人以上がエイズで死亡し、毎日1400人の新規感染者が生まれているのです(JVC、英インディペンデント紙調べ)。そして、南アフリカではエイズに対する偏見が根強く、エイズウィルス(HIV)検査に対しても強い抵抗感が残っています。
2009年5月、南アフリカのズマ大統領は、自らが率先してHIV検査を受診すると発表し、偏見の除去に努めています。ツォツィの父親もエイズに対して間違った知識を持っていました。父親はエイズにかかっている母親に触っただけで感染すると思い込んでいますが、エイズはウィルス感染です。血液や体液に直接接触することは危険ですが、患者の肌に触るだけでは絶対に感染することはありません。

↑アフリカ全土でエイズは深刻な問題になっている。ある村に掲示されたエイズ啓発の看板。『あなたはエイズに感染しているかもしれない』と記されている。
★ニンニク、レモン、オリーブ油でエイズ予防―誤ったエイズ政策―
なぜ、経済的発展に恵まれ、安定した統一政府を持つ南アフリカがエイズ感染者世界一になってしまったのでしょうか。そこには不幸な「エイズ否定政策」と呼ばれる歴史があります。
アパルトヘイトを廃絶したことで有名なマンデラ大統領を継いで大統領になったのはムベキ大統領。彼は1999年から政争で敗れる2008年まで大統領職にあったですが、ムベキ大統領が保健相と組んで進めたのは「エイズウィルスによるエイズ感染を否定する」という政策でした。
そんなばかな、と思われるかもしれませんが、ムベキ大統領は本気です。彼は有名なエイズウィルス否定論者でした。そのムベキ大統領に任命された保健相は抗エイズウィルス薬を否定し、「ニンニク、レモン、オリーブ油でのエイズ予防」(CNNの報道による)を推進したのです。その結果、南アフリカにおける抗エイズウィルス薬の普及はアフリカで最も遅くなり、南アフリカはアフリカ大陸で有数の富裕国であるにもかかわらず、HIV陽性者の3分の1にしか薬が行きとどかない状況が出現してしまいました。
また、妊娠した女性がエイズにかかると、胎内で子供に感染し、いわゆる母子感染が起きる可能性があります。深刻な薬不足とお粗末で不正確なエイズの知識が広まったことにより、、いよいよ感染者は増えていくのです。非科学的なHIV予防の知識を国家が流布してしまったためにHIV予防策は行きとどかず、偏見はいよいよ根強いものとなり、世にも不幸なHIV大国が出現してしまったのです。

↑ソウェト地区の遠景。遠くに見えるのは整備された住宅街。中央のグリーンゾーンを挟んで、格差が歴然と存在する。
★生き残るために
ツォツィの母親はその間違ったエイズ政策の被害者であり、ツォツィはその2次被害者です。家族を知らない少年は成長しても言葉を知りません。彼が幼いころから生きてきたのは力がものを言う世界。仲間を従え、対立するグループと抗争し、仲間が死んだら新しい仲間を補充して、毎日のように強盗を働き、殺人を犯す。文句があったら、ナイフや銃が持ち出され、拳を使って言うことを聞かせる。気に食わないことがあったら相手を徹底的に潰せばいい。そうしたら、文句も言えなくなる。
ツォツィは仲間にも容赦しません。彼は自分だけで生きてきたし、頼れるのは自分しかいないと思っている。だから、仲間にもそっけないし、気にいらなければ仲間のボストンにしたように殴りつけて、重傷を負わせてしまいました。ツォツィは愛情とか優しさとか、気遣いとかは無縁の世界で生きてきました。また、そうしなければ、生き残れない世界でもあったからです。
ツォツィの顔は感情と言うものを知らない者の顔です。笑うこともなければ、怒ることもありません。常に無表情で相手を威圧するような鋭い視線を向けています。相手にやるかやられるかの世界で生きてきたツォツィには相手が力で倒せるか、つまり、相手の存在が自分の上か下かしかないのです。常に相手を値踏みして、自分の力が勝るかどうかを考えています。
それを覆したのが、赤ん坊でした。小さくて、無力な存在である赤ん坊は本来はツォツィの下の存在です。しかし、赤ん坊は完全にツォツィを支配してしまいます。彼の行動や彼の感情はこの赤ん坊には直接的に向けられません。簡単に殺せる相手なのに、ツォツィは赤ん坊に完全に心を奪われていました。
そして、次の例外は赤ん坊を授乳させようとツォツィが脅した女性です。彼女は銃を突きつけて脅迫するツォツィの意のままでしたが、ツォツィの踏み込めない、ある力を持っていました。彼女が赤ん坊に注ぐ愛情や、彼女が赤ん坊をあやす姿はこれまでツォツィが生きてきた上か下かを力で決める関係を完全に破壊する光景だったのです。

★「何で、生きてる?」
力だけでは決まらない関係性はツォツィを混乱させました。彼は理解できない力を前に立ちすくんでしまったのです。彼はホームレスの男性をこづきまわし、赤ちゃんを誘拐した家からミルクを奪うべく、強盗に向かいました。
赤ちゃんに愛情を抱き、赤ちゃんのために強盗をするツォツィ。ツォツィは赤ん坊を見て不思議な気持ちになります。とにかく生きるために暴力を振るい続けてきたツォツィには、こんなに小さいものが生きていけるということが良く分かりません。ツォツィは生きるということの本当の意味、そして愛情というものを理解できていないのです。
だから彼はホームレスの男性をこづきまわします。ホームレスの男性はけがをしてからは車いすで物乞いをするしか生きるすべがありません。まるで、自分では歩けず、泣いてミルクをもらうしかない赤ん坊と同じではありませんか。
ツォツィが幼いころに可愛がっていた犬のことも思い出されます。あの犬は父親に背骨を蹴られて、歩けなくなってしまいました。それでも、犬ははいずって鳴き声を上げていました。ツォツィは犬や赤ん坊と違って、口をきくことのできるホームレスの男性に話を聞きたいと思うようになりました。「何で、生きてる ? 」
ツォツィは赤ん坊やホームレスの男性など、今回の経験を通して出会った人々がいなければ、最後の場面で撃ち殺される方を選んだかもしれません。ツォツィは警察に捕まり、刑務所に入れられるくらいなら、死んだ方がましだと思っていたでしょう。しかし、彼は生きる道を選びました。
生きるということはどういうことか。強いものだけがこの世で生きる価値があるのではありません。弱きものも、この世の全ての生ある人がそれぞれに生きる価値を持っています。最後、ツォツィはその意味を彼なりに理解することができたのです。

↑南アフリカ共和国ケープタウンの子供たち