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2010年06月07日

シャッターアイランド

映画:シャッターアイランド あらすじ
※レビュー部分はネタバレあり

 「今」は現実か、それとも狂気に囚われた妄想の世界か。両方の世界を垣間見た男の葛藤をレオナルド・ディカプリオが見事に演じ切った。『解説とレビュー』では結末についての3通りの解釈と、ディカプリオ演じる主人公のテディの心理について読み解いていく。


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(C)2009 by PARAMOUNT PICTURES.All Rights Reserved.


 アメリカ本土から遠く離れた孤島、アシュクリフ。この島には重大犯罪を犯した精神病者たちが収容されるC病棟があった。”伝説の男”と呼ばれた優秀な連邦保安官・テディ・ダニエルズは女性患者の失踪事件を捜査するため、アシュクリフへと向かう。しかし、テディを出迎えた島の警察官や医者たちはどこかよそよそしく、何か隠し事をしているかのようだった。

 アシュクリフでは何かが起きている―捜査を続けるテディの前には彼の過去が関係する恐るべき“真実”が明らかになろうとしていた。



【映画データ】
シャッターアイランド
2010年・アメリカ
監督 マーティン・スコセッシ
出演 レオナルド・ディカプリオ,マーク・ラファロ,
ベン・キングスレー,ミシェル・ウィリアムズ


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左からDr.コーリー、相棒チャック、テディ・ダニエルズ連邦保安官。
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(C)2009 by PARAMOUNT PICTURES.All Rights Reserved.


映画:シャッターアイランド 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり

★アシュクリフの患者だったテディ・ダニエルズ

 テディ・ダニエルズは殺人犯でした。彼は最愛の妻を殺し、それ以上に愛していた大切な子供たちを死から救うことができなかったのです。逮捕されたテディは孤島にひっそりと建つ精神病犯罪者のための病院・アシュクリフに収容されることになります。これは2年前の出来事でした。

 彼は仕事熱心な連邦保安官ですし、事件の真相究明にかける熱意は本物でしたが、彼は自分自身について""真実""を見つけることができないでいました。つまり、テディの頭の中では、自身は現役の連邦保安官であり、唯一の家族である妻を放火により失った独り身の男だったのです。そして、アシュクリフには妻を殺した放火犯”アンドリュー・レディス”なる男が収容されているはずであり、テディにはアシュクリフに隠された暗い真実を究明すべき使命があるのだと考えていました。

 今、アシュクリフでは事件が起きました。3人の自分の子を殺したレイチェルという患者の逃亡事件です。テディはレイチェル捜索とアシュクリフの陰謀をあぶり出すことを目的にアシュクリフに降り立ちました。

 ところが、これは全部テディの妄想です。レイチェルなんて女はいないし、アンドリュー・レディスなんて放火犯も存在しません。テディには3人の子供がいて、放火をしたのはテディの妻ドロレスでした。その後、ドロレスとテディは3人の子供たちを連れて湖畔の家に引っ越します。本当の悲劇はそれからでした。ドロレスが子供たちを湖に沈め、全員殺してしまったのです。帰宅してそれを知ったテディは逆上してドロレスを殺してしまいました。これがテディの過去の全貌だったのです。

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★シャッターアイランドの結末―3通りの解釈―

 さて、シャッターアイランドの結末については幾通りかの解釈ができます。まずはどのような解釈が考えられるかを考えてみましょう。

 まず、1.最初から最後まで全て夢という解釈が成り立ちます。テディは島に着いたのち、薬を盛られて幻覚を見始め、最後には自分が妻を殺した殺人犯だという妄想を抱くに至りますが、その妄想から醒めたテディは相棒の"チャック"だと思い込んでいる男に島からの脱出計画を打ち明けたため、病気が治っていないと思われ、ロボトミー手術されてしまいました。従って、テディは妻殺しをしていないし、現役の連邦保安官です。

 2つ目の解説はこうです。テディに投薬治療をしていたというDr.コーリーの言うとおり、テディは妻を殺してアシュクリフに収容された精神病者です。そして、妻を殺したという現実から逃げていました。今回、妻を殺したという現実に一瞬向き合うことができたのですが、再び、自分が現役の連邦保安官だという妄想に逆戻りしてしまいました。そのため、Dr.コーリーは外科的処置を主張する同僚の医師にテディを委ね、テディはロボトミー手術をされることになってしまいました。従って、妻を殺したテディは最後まで妄想から覚めることはありませんでした。

 3通り目、最後の解説をしてみましょう。それは、途中までは2通り目の解説と同じです。すなわち、テディは妻を殺したが、その事実を受け入れられず、現実逃避をしていました。しかし、Dr.コーリーの投薬治療を受け、覚醒することができます。テディはDr.コーリーが述べている通り、今までに何度も覚醒と逃避のサイクルを繰り返していましたが、今度の覚醒は本物でした。彼は自分が妻を殺し、3人の子供たちを助けられなかったという現実を受け入れました。

 しかし、です。この真実はテディにとってあまりに酷いものでした。そこで、テディは決断します。彼の下した結論は「死ぬ」ということ。彼は再び狂気に囚われたフリをすることにしました。テディは"相棒チャック"こと、主治医のレスター・シーハンに素知らぬ顔で"連邦保安官"テディとして話しかけます。

 テディのもくろみは当たり、Dr.シーハンはDr.コーリーに目で合図しました―「テディの狂気は抑えられていなかった」、と。Dr.コーリーは外科手術を主張する医師にテディを委ねました。ロボトミー手術をされたテディはロボット同様の人間となってしまうことでしょう。テディは彼の望み通り、テディは人間としては死んだのです。

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★シャッターアイランドの結末―どの解釈が真実か―

 テディは最後の場面で主治医のレスター・シーハンに言います。「ここにいるといろいろ考えさせられる。モンスターとして生きることと、善人として死ぬこと、どちらが嫌だ?」

 Dr.シーハンはその瞬間に理解したことでしょう。「テディは正気だ」、と。しかし、Dr.シーハンはテディを手術へと連れて行かせるままにしました。Dr.シーハンはそれがテディの望みであることを知ったからです。テディは妻を殺した殺人犯として生きることを望んではいない。彼は"連邦保安官テディ・ダニエルズ"として死ぬことを望んでいる。

 Dr.シーハンが正気のテディを制止しなかったのは主治医として、何よりわずかな時間ながらも"相棒チャック"としてテディに付き添い、妄想の中ではありますが、危険を冒してチャックを救おうとしてくれたテディに対する、できる限りの優しさだったのかもしれません。

 このテディとDr.シーハンの最後の会話は「シャッター・アイランド」の結論を方向付けています。先ほどの解説でいえば、最後の解釈です。ここでもう一つ、テディが妻を殺したというのは、妻を失ったテディの心の傷につけこまれて治療薬で見させられた妄想で、テディはそれを真実と思いこんだ。そして、最終的に狂気を装ってロボトミー手術を受ける決断をした、という解釈がありえます。

 しかし、それでは説明が付かないことがあります。それは、この映画が「誰にでも内在する人間の暴力性」をテーマにしていることとの関連です。テディは一見、正義感に溢れた男でとても人殺しなどしそうにない人間に見えます。しかし、その実、妻を殺していました。

 自身の奥底に潜む人間の暴力性。これに自分自身も他人も全く気が付いていません。テディも例外ではありませんでした。このサブテーマに説得力を持たせるためにはテディの暴力性を裏付ける事実が必要になってきます。そこで、テディが妻を殺していた、という事実は真実でなくてはなりません。従って、シャッターアイランドの結末を説明するには、3番目、最後の解釈が妥当でしょう。

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★"人間"を殺すアシュクリフ

 テディの話も全てウソではありません。アシュクリフで行われている外科的脳手術。過剰な薬の使用。廃人になった患者たち。

 Dr.コーリーは優秀な精神科医師であり、精神病は薬の使用により、治療すべきという考え方を持つ医師です。一方、外科的処置、すなわちロボトミー手術によって治療をすべきという考え方の医師もいました。どちらが正しかったか、は歴史を見れば分かる通り、ロボトミー手術は現在は行われていません。この点ではDr.コーリーは正しかったといえるでしょう。

 しかし、問題は"患者"の位置づけです。確かにDr.コーリーは優秀ですし、テディを薬によって救おうとはしていました。一方で、テディは精神医学界の論争におけるモルモットでしかなかったというのは否定できない事実です。テディがだめなら、Dr.コーリーは次の患者を探すまで。

 Dr.コーリーは誰でもいいから、1人でも医学的に”重症”の患者を回復させ、自己の治療法が正しいことを確かめたいだけなのです。Dr.コーリーがテディに述べたように、テディの治療の成否は精神医学会の最先端にいる」のは事実ですが、そこでは患者は「人間」ではなく、研究の「対象」としかみられていません。患者はもはや、人間ではありません。

 テディはC棟に行ったとき、そこに収容されているゾンビのような囚人たちから「あんたも俺も皆死んでる」と言われます。皆、病院に閉じ込められ、ここから出る希望はありません。重大な犯罪を犯したとしてC棟に収容された患者たちが治療が成功したとして退院する日は決してやってきません。脳を手術されて廃人になるか、薬漬けになって廃人になるか。いずれの道を選んでも、そこに人間として生きるという道は残されていません。人間として扱われていない彼らには未来への希望はないのです。

 海岸の洞穴に隠れていたレイチェルは言います。「灯台では脳の手術をしている。ゴーストを作ってる」。ロボトミー手術にせよ、Dr.コーリーの主導する投薬治療にせよ、いずれの治療法によっても「ゴースト」を作りだすことに違いはありません。外科的に神経回路を切断するか、それとも、薬漬けになるかの違いしかないのです。行きつく先は人間としての尊厳を失った、ただのロボット人間。

 レイチェルは大量のナトリウムの使用に疑問を持ったといいます。このレイチェルという女性医師はテディの妄想が作りだした幻覚ですが、その主張する内容はテディが認識していたアシュクリフの現実そのものでした。

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★解放されたテディの暴力性

 脳手術にせよ、投薬治療にせよ、アシュクリフにおいて、なぜそのような治療法が要求されるかといえば、前科のある精神病患者の"凶暴性"を抑制するためです。この暴力性を奪い取って、穏やかな人間にすることができれば、"治療"できたと言えることになるかもしれません。

 しかし、暴力性の発言や抑制を司るのは人の脳です。個人の暴力性を他者が外側からコントロールしようとすれば、コントロールされる側の自主性を制限するか、はく奪せざるを得ません。暴力性をコントロールしようとする視点から患者を扱えば、彼らの人間性や尊厳は奪われざるを得ないことになるのです。

 テディはかつて兵士として経験した第2次世界大戦の記憶に悩まされていました。ダッハウ強制収容所に積み上げられた収容者たちの死体。母と子が抱き合うようにして死んでいるのが見えます。怒りに駆られた連合軍の兵士たちは逃げ遅れたナチス親衛隊(SS)の兵士たちを壁際に並べ、一斉に銃殺します。その中にはテディの姿もありました。

 戦争には命の奪い合いが必然的に伴いますが、テディにとってこれは異質の体験でした。テディはダッハウに至るまで、数々の戦闘を経験してきました。しかし、反撃する武器もなく、追い詰められた人間を殺すという経験は、テディにとって初めての経験だったのです。

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★暴力性との対面

 強制収容されていた人々を家畜を殺すように"処分"したSS、そして、無抵抗のSSを容赦なく射殺したテディたち。戦争は人の暴力性をむきだしにしていきます。最前線に投入されたテディたちのような兵士たちは自己に潜む暴力性をその場で初めて自覚することになります。

 戦争が終わっても、その惨たらしい記憶が簡単に消えることはありません。また、何よりも、自分の暴力的な面を見てしまったという生々しい記憶は人間の心に消えることのない深い傷を残します。無意識下に追いやられていた人間の暴力性に気が付いたテディはそれを忘れるため、酒を飲むようになりました。

 収容者をむごたらしく殺したSSとその彼らを問答無用で銃殺したテディに何か、差があるのか。テディ自身の中にも、SSと同じ、暴力性が潜んでいる。テディは自分の取った行動に対して恐怖を抱いていました。

 テディが思い返す妻との生活は絵にかいたような幸せな生活です。しかし、テディと妻との生活は本当に幸せなものだったのでしょうか。テディのきれぎれの記憶のなかには、酒瓶をあおる自分の姿が見えてきます。テディの前に現れた妻は「私は不幸せだった」とテディに言っていました。

 一度解放された暴力性は人に鋭い爪あとを残していきます。人間の暴力性は暴力の対象となった人間のみならず、その暴力性を解放した自分自身にも大きな傷跡を残すのです。テディはただ忘れたかったのです。自分が取った恐ろしい行動を。あれは自分ではなかったと思いたい。しかし、引き金を引いたのは紛れもない自分自身の指でした。テディは酒に逃げ、仕事に逃げました。辛い記憶を忘れるために何か、他のことに熱中すれば良かったのです。

 テディの熱中した仕事が保安官という仕事だったことは象徴的です。テディは犯罪が許せなかった、それ以上に、一方的に行使される暴力に我慢がならなかったのです。それはかつて、自分がしたことを想起させるから。いずれにしろ、自分のことで精いっぱいのテディには妻のことまで気にかける余裕はありませんでした。

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★残酷な真実、死という選択

 その間に妻ドロレスは病んでいきました。酒に溺れる夫、そして仕事にしか興味がない夫。夫の心の中に妻の存在する余地はないようです。彼女は寂しかったでしょう。テディの心を自分に向けさせるため、気を引くためにマンションに火をつけてしまいます。移り住んだ湖畔の家では幸せな生活が約束されているはずでした。しかし、相変わらずテディは仕事にばかり執心し、毎日のように家を空ける生活を続けています。
これは、すっかり気の滅入っていたドロレスには打撃でした。病んだ彼女は3人の子供たちを殺してしまいます。

 一方、テディにはドロレスが病気になっているという事実は認めたくない真実でした。なぜなら、妻が病気になりかけていると認めるなら、酒に溺れていた自分、仕事にしか目が向いていない自分が妻をそこまで追い込んでしまったということを認めることになるからです。テディは妻に対する罪悪感を背負いたくないために、妻の病気を病気と認めなかったのです。

 テディはドロレスの病気に気がつかぬふりをすることにしました。うすうす気がついてはいつつも、大丈夫、と自分に言い聞かせてごまかしていたのです。だから、テディの記憶の中の妻は理想の女性。放火犯でもなく、子供を殺してもいません。妻は大家に放火されたときに、煙にまかれて死んだということになっています。そして、テディは目の前に現れた妻が湖畔の家で暮らしたころは楽しかったわね、と言うまで、湖畔の家に引っ越したことすら忘れていました。テディにとってあの家は最愛の子供たちを失った場所という辛い記憶でしかないからです。

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★病む兵士たち―『タクシー・ドライバー』と『シャッターアイランド』―

 「君は凶暴な男だ」。副所長はテディに対して意味深な言葉を投げかけます。テディは不審な顔をしていましたが、結末を知った今となっては、副署長の一言はテディの真実を突いていたことが分かります。
辛い記憶から逃げ続けてきたテディ。そのテディが真実に直面したときに知った現実の世界は妄想の世界と同じくらい、いや、それ以上に“狂っている“という事実でした。

 アシュクリフは脳手術と投薬で「ゴースト」を作りだし、戦争は人間の暴力性を解放させて「ゴースト」を作りだしました。アシュクリフも、戦争も、共に、テディの人間性の崩壊に手を貸しました。戦争とアシュクリフの両方を経験したテディは最期の選択をします。それは正義感に燃える連邦保安官―「伝説の男」として"死ぬ"という道でした。

人間の肉体はただの容れ物でしかありません。その中身がなくなってしまえば、残った肉体はただの空容器でしかない。自ら考え、行動し、喜怒哀楽がある。理性や感情を失った人間はもはや人間とはいえなくなります。暴力性ですら、"人間らしさ"の一つです。それを奪おうとすれば、人間は人間でなくなります。理性や感情は外から出し入れすることのできず、他者や外部からコントロールすることもできないものです。

 "普通の"生活をしていれば、テディのように、自らの暴力性と対面を強いられることはありません。それを知ることなく、暮らすことができるということが、いかに幸せなことか。そして、その暴力性を知ってしまった人間がいかに脆い生きものとなってしまうのか。

 現実と妄想、真実と嘘が入り混じる世界―戦争から帰還した兵士の病んだ精神を描く名作として、シャッターアイランドと同じ、マーティン・スコセッシ監督、ロバート・デ・ニーロ主演の『タクシー・ドライバー』が挙げられます。

 戦争という"むきだしの暴力"に身をさらすしかなかった人間の精神はかくも脆いものとなる。暴力との出会いと精神の崩壊を描く「シャッターアイランド」は『タクシードライバー』と共通のテーマを持っているといえるでしょう。

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【追記】
記事を上げて以来、さまざまなコメントを頂きました。記事本文中、説明不足と思われる部分がありましたので、コメントへ付けた管理人の回答部分をコピーし、【追記】というかたちでここで補足させて頂きます。


(問題点)

■テディは妻を殺したか
■レイチェルは実在するか
■テディの顔になぜ傷があるのか(2010年11月19日/加筆訂正の上、追記)
■テディの額の傷は手術の跡か【2010年11月19日追記】

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■テディは妻を殺したか

 テディが妻を殺したという根拠として、この映画におけるテーマとして、「内なる暴力性」があることを挙げていました。確かに、このテーマを根拠づけるだけなら、テディが戦争中に無抵抗のSSを殺したことだけで足りるとも思えます。

 そこで、他の根拠を挙げておきます。

 テディが真実に覚醒したにも関わらず、狂人を装ってロボトミー手術を選んだという結末を前提にした場合、テディがあえて、狂気を装った動機が必要となってきます。正気に戻ったテディはなぜ、ロボトミー手術を受けるという死に等しい選択をしたのでしょうか。
 
 それは、「死んだ方がまし」な真実を知ってしまったからです。では、その真実とは何でしょうか。収容所にいたSSを殺したことでしょうか。たしかに、彼らSSは無抵抗でした。テディがまるで、人形を撃つかのように、彼らを銃殺したことは事実です。

 しかし、それが、死を選ぶ動機になるでしょうか?あれは戦争中の出来事でしたし、殺した相手は敵軍の兵士です。そのときのテディには殺すしか選択肢がなかった状況であるともいえます。

 また、テディがSSを銃殺したことを回想しているのは、テディがまだ狂気の中にいて、自分が連邦保安官であると思い込んでいるときです。

 つまり、テディは狂気の中にいたときから、SSを殺害した記憶を保っています。正気に戻ったときに、改めてSSの記憶に驚き、死を選択する理由にはなりません。

 従って、「死んだ方がまし」な真実とはSSを殺した記憶のことではありません。また、同様の理由で、狂気の中にあったときに保持していた記憶は、「死んだ方がまし」な真実には該当しないことになります。

 さらに、決定的なのは、テディが正気に戻ったときに、1952年の春、妻ドロレスを殺したことを思い出していることです。映画の冒頭、テディの妻は「死別した」と紹介されていました。「死別した」はずの妻を、本当は自らの手で殺していた…これほどショッキングな真実はありません。

 正気に戻ったテディがその後にとった行動は、"連邦保安官"テディとして"相棒チャック"ことDr.シーハンに話しかけることでした。先の3番目の解釈によるならば、テディはこのとき正気を保ったままです。彼があえてロボトミー手術の道を選ぶまでの短い時間に判明した真実には「妻の殺害」以外のものはありません。

 従って、「死んだ方がまし」な真実とはテディ自身が妻を殺したこと、であり、従って、テディは妻を殺していたということになります。

■レイチェルは実在するか

 次に、レイチェルの問題についてお答えしていきます。レイチェルは実在するのでしょうか。

 レイチェルの隠れていたところは、崖の下の岩場のようなところでした。また、彼女はアシュクリフの医師たちに見つからないように、頻繁に住みかを変えているとも言っています。

 しかし、そんなことが本当に可能でしょうか。アシュクリフのあるこの島はさほど、大きな島ではありません。医師の他にも、警察もいます。また、島は隔絶した環境にあり、食料や日常品の入手も難しい状況です。女ひとりとはいえ、アシュクリフの住人たちにまったく見つからずに暮らすことはほぼ不可能です。

 さらに、"レイチェル"という名前にも問題があります。レイチェル。この名前は最後の方でもう一度出てきます。それはテディの娘の名前として、です。

 テディの子供は3人いました。1人はサイモン、もう1人はヘンリー。そして、最後の1人は「レイチェル」。テディの娘は何度も登場してきます。テディが狂気の中に囚われているときも、テディの娘は繰り返し登場し、テディに話しかけてきていました。

 夢の中の娘はテディに何度も助けを求めます。「どうして助けてくれなかったの?」

 これはテディにとって、重たい言葉でした。テディは妻の狂気を知って放置していたからです。そして、テディが留守にしているときに、妻は3人の子供を殺してしまった。

 テディは苦しい記憶から逃れるため、"レイチェル"という娘の名前を忘れようとします。彼は「元医師で、アシュクリフの医師たちから隠れ住むレイチェル」という別人を作り出し、我が娘の記憶から逃れようとしていました。

 さらに、RACHEL SOLANDO(レイチェル・ソランド)という名前の綴りにも秘密が隠されています。これを並び替えるとDOLORES CHANAL。これはテディの妻の名前です。さらに、テディの名前EDWARD DANIELS(エドワード・ダニエルズ)をテディの本名、ANDREW LAEDDIS(アンドリュー・レディス)に並び替えることができます。以上の根拠から、やはり、アシュクリフに隠れていた医師のレイチェルが実在の人間であるということは難しいでしょう。【この段落のみ2010年10月24日追記】

 ここから先は、コメントに即してお答えしていきます。"少し違う"さんのコメントによると、『主人公は精神医学の専門家でないのだからロボトミー手術、投薬治療には知識が無い』はずとのご意見です。だから、ロボトミー手術等について語っていたレイチェルは実在するというわけですね。

 確かに、レイチェルはアシュクリフの精神治療のやり方について批判していました。しかし、彼女の話している内容を見てみると、向精神薬の使用や、ロボトミー手術の手法の概略を話しているのみです。彼女の話している投薬治療やロボトミー手術の知識は決して特殊な知識ではありません。

 テディがアシュクリフにやってきたのは、レイチェルの捜索を名目にこの精神病院を調査し、病院で行われている陰謀を暴くためでした。精神を侵されたテディがそう思い込んでいただけとはいえ、連邦保安官を自称する仕事熱心なテディならば事前に何らかの文献を読むくらいの下調べはしたでしょう。

 従って、テディの妄想の中の人物である元医師のレイチェルが投薬治療やロボトミー手術について批判的な物言いで説明をするのはさほど、不思議なことではありません。 

 次に、"レイチェルが実在である根拠"さんのコメントによると、テディが一度寝て、起きてもレイチェルがいたことが実在の根拠であるとのご指摘をいただいています。

 ここで整理しておきたいのは、「精神異常」と「夢」は別物であるということです。夢ならば、寝て起きれば醒めますが、精神異常ではそうではありません。寝ても起きても、妄想の世界に囚われたままです。

 テディは精神を侵されていました。テディが寝て起きても、妄想の世界から帰ってくることはできません。従って、テディが寝て起きたときに、レイチェルがその場にいたことはレイチェルが実在した根拠にはなりません。

 また、『主人公は狂人だが、レイチェルはまともな医者であることに真の恐怖がある』、との趣旨のコメントを頂いていますが、本当にそうでしょうか。

 「シャッターアイランド」は「精神病者は怖いね」という映画ではありません。この映画は「狂人」と「健常者」の対比を見せて、「狂人」に恐怖を感じさせる映画ではないのです。

 主人公のテディ、その妻ドロレス、そしてアシュクリフの医師たち。テディは妻を殺し、ドロレスは子供たちを殺し、アシュクリフの医師たちは患者を殺しています。

 医師たちは「殺人」という言葉に憤慨するでしょう。しかし、人間を廃人同様にしてしまう治療はもはや、治療とはいえません。テディも、ドロレスも、医師たちも、皆、それぞれの論理に従って、"殺人"を行ったのです。

 ここで分かるのは、それぞれの人間たちに人を殺す力があるということです。それは「内面的な暴力性」として既に取り上げた問題です。その暴力性が発揮された場面によって、テディのように「狂人」として扱われることもあれば、医師たちのように「治療」の一環と評価されることもある。

 テディは言います。「俺はダッハウを見た。そこで、人間が人間に何をするかを見た」。

 テディはダッハウ強制収容所で残虐な行為を目の当たりにし、自らもその行為を行った一人となりました。テディは人間の暴力性を目の当たりにしたのです。SSのユダヤ人虐殺は時と場面によっては、ナチス=ドイツの論理によって正当化されたでしょうし、テディの行為は戦争の論理によって正当化されました。どちらも突き詰めればただの「人殺し」なのですが、その暴力はときとして正当化されることがあるのです。

 そして、その正当化の枠を外れた暴力のみが、排斥され、非難される。テディの殺人のように。テディの妻殺しと医師たちの殺人はどちらも同じ、人間の暴力性に由来するものでありながら、医師たちの殺人は「治療」として正当化されるのです。

 「人間が人間に何をするかを見た」。全ての人に暴力性は内在しています。それがどのようにして発現するかは分からない。真の恐怖は、発揮された暴力性が正当化され、自らに内在する暴力性が自覚されないことにあるのです。

■テディの顔の傷【2010年11月19日/加筆訂正の上、追記】

 レディスはなぜ、映画の冒頭から顔に傷を作っていたのか。

 彼は自分を連邦保安官テディ・ダニエルズだと思っていましたが、その実、テディことレディスはアシュクリフの患者です。そして、レディスの収容されていたのはC棟。C棟は「危険な患者用の棟」とマクファーソン副署長に紹介されていました。つまり、C棟は人に危害を加えるような暴力を振るう患者が収容される棟です。

 前頭葉ロボトミー手術は、極度の興奮状態や強度の不安症状に襲われ、その感情を自身で抑制できない患者が対象とされる手術です。レディスはこのロボトミー手術の対象者でした。C棟の患者でもあったレディスは、恐らく、我を失って暴力を振るうときがあったのでしょう。暴れる患者は力づくで職員に取り押さえられる。そのようなときにできた傷が映画冒頭のテディに残る傷であると考えられます。


 つまり、テディの顔の傷は彼が患者の一人であることを示唆するものの一つとなっています。

 次に、レディスの顔の傷がなぜ、湖畔の回想シーンではなかったのかという点について、お答えいたします。

 湖畔の回想シーンというのは結末のあたり、レディスが、子供たちを殺した妻ドロレスを自宅湖畔で発見し、彼女を自身の手で殺したことを思い出しているシーンのことでよろしいでしょうか。

 まず、この回想シーンにキズがなかったことは簡単に説明がつきます。この回想シーンは、レディスが正気だったころのものです。彼はこの時点では、実際に保安官として働いていました。妻の狂気から目を背け、あえて仕事に熱中していたレディスが捜査のため、家を空けた隙に妻は子供たちを殺してしまった。彼はこの後、狂気の世界へと陥り、アシュクリフへと収容されました。

 回想シーンではまだ、レディスは正気です。だから、顔に傷はなかったと考えられます。

■テディの額の傷は手術の跡か【2010年11月19日追記】

 メールで質問を頂きました。そのまま転載させて頂きます。

 "デカプリオの額にあるキズテープは手術の後?"

 レオナルド・ディカプリオの演じるテディことアンドリュー・レディスは、映画冒頭から顔に傷をつけています。そして、その傷がなぜついたのかについては、上の項目で説明しました。「■テディの顔の傷」の項目をご覧ください。

 では、その傷が手術痕ではないか、という点について説明いたします。まず、この傷は手術痕ではないと思われます。レディスがロボトミー手術を受けるのは時間的にもっと後のことですから、少なくとも、額の傷は手術痕ではありません。

 また、テディが受けることになる前頭葉ロボトミー手術で手術痕が残るとすれば、側頭部になるようです。全ての症例でそうなのかは分かりませんが、典型的な手術法によれば、側頭部から頭蓋骨に穴を開け、そこからメス状の手術用具(ロイコトーム)を挿入し、上下に動かして前頭葉と他の脳部位と切り離します。図解を付けておきますので、参考になさってみてください。

シャッターアイランド,前頭葉ロボトミー手術の仕方(Freeman,W.&Watts,J.Psychosurgery 1942,Charles C.Thomas).gif

前頭葉ロボトミー手術の図解(Freeman,W.&Watts,J.Psychosurgery 1942,Charles C.Thomas/財団法人東京都医学研究機構・東京都神経科学総合研究所) 

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コメント・メールを頂きました方々に改めて、お礼を申し上げます。ありがとうございました。




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posted by なお at 22:29 | 『さ行』の映画

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