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シャッターアイランド

映画:シャッターアイランド あらすじ
※レビュー部分はネタバレあり

 「今」は現実か、それとも狂気に囚われた妄想の世界か。両方の世界を垣間見た男の葛藤をレオナルド・ディカプリオが見事に演じ切った。『解説とレビュー』では結末についての3通りの解釈と、ディカプリオ演じる主人公のテディの心理について読み解いていく。


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(C)2009 by PARAMOUNT PICTURES.All Rights Reserved.


 アメリカ本土から遠く離れた孤島、アシュクリフ。この島には重大犯罪を犯した精神病者たちが収容されるC病棟があった。”伝説の男”と呼ばれた優秀な連邦保安官・テディ・ダニエルズは女性患者の失踪事件を捜査するため、アシュクリフへと向かう。しかし、テディを出迎えた島の警察官や医者たちはどこかよそよそしく、何か隠し事をしているかのようだった。

 アシュクリフでは何かが起きている―捜査を続けるテディの前には彼の過去が関係する恐るべき“真実”が明らかになろうとしていた。



【映画データ】
シャッターアイランド
2010年・アメリカ
監督 マーティン・スコセッシ
出演 レオナルド・ディカプリオ,マーク・ラファロ,
ベン・キングスレー,ミシェル・ウィリアムズ


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左からDr.コーリー、相棒チャック、テディ・ダニエルズ連邦保安官。
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(C)2009 by PARAMOUNT PICTURES.All Rights Reserved.


映画:シャッターアイランド 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり

★アシュクリフの患者だったテディ・ダニエルズ

 テディ・ダニエルズは殺人犯でした。彼は最愛の妻を殺し、それ以上に愛していた大切な子供たちを死から救うことができなかったのです。逮捕されたテディは孤島にひっそりと建つ精神病犯罪者のための病院・アシュクリフに収容されることになります。これは2年前の出来事でした。

 彼は仕事熱心な連邦保安官ですし、事件の真相究明にかける熱意は本物でしたが、彼は自分自身について""真実""を見つけることができないでいました。つまり、テディの頭の中では、自身は現役の連邦保安官であり、唯一の家族である妻を放火により失った独り身の男だったのです。そして、アシュクリフには妻を殺した放火犯”アンドリュー・レディス”なる男が収容されているはずであり、テディにはアシュクリフに隠された暗い真実を究明すべき使命があるのだと考えていました。

 今、アシュクリフでは事件が起きました。3人の自分の子を殺したレイチェルという患者の逃亡事件です。テディはレイチェル捜索とアシュクリフの陰謀をあぶり出すことを目的にアシュクリフに降り立ちました。

 ところが、これは全部テディの妄想です。レイチェルなんて女はいないし、アンドリュー・レディスなんて放火犯も存在しません。テディには3人の子供がいて、放火をしたのはテディの妻ドロレスでした。その後、ドロレスとテディは3人の子供たちを連れて湖畔の家に引っ越します。本当の悲劇はそれからでした。ドロレスが子供たちを湖に沈め、全員殺してしまったのです。帰宅してそれを知ったテディは逆上してドロレスを殺してしまいました。これがテディの過去の全貌だったのです。

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★シャッターアイランドの結末―3通りの解釈―

 さて、シャッターアイランドの結末については幾通りかの解釈ができます。まずはどのような解釈が考えられるかを考えてみましょう。

 まず、1.最初から最後まで全て夢という解釈が成り立ちます。テディは島に着いたのち、薬を盛られて幻覚を見始め、最後には自分が妻を殺した殺人犯だという妄想を抱くに至りますが、その妄想から醒めたテディは相棒の"チャック"だと思い込んでいる男に島からの脱出計画を打ち明けたため、病気が治っていないと思われ、ロボトミー手術されてしまいました。従って、テディは妻殺しをしていないし、現役の連邦保安官です。

 2つ目の解説はこうです。テディに投薬治療をしていたというDr.コーリーの言うとおり、テディは妻を殺してアシュクリフに収容された精神病者です。そして、妻を殺したという現実から逃げていました。今回、妻を殺したという現実に一瞬向き合うことができたのですが、再び、自分が現役の連邦保安官だという妄想に逆戻りしてしまいました。そのため、Dr.コーリーは外科的処置を主張する同僚の医師にテディを委ね、テディはロボトミー手術をされることになってしまいました。従って、妻を殺したテディは最後まで妄想から覚めることはありませんでした。

 3通り目、最後の解説をしてみましょう。それは、途中までは2通り目の解説と同じです。すなわち、テディは妻を殺したが、その事実を受け入れられず、現実逃避をしていました。しかし、Dr.コーリーの投薬治療を受け、覚醒することができます。テディはDr.コーリーが述べている通り、今までに何度も覚醒と逃避のサイクルを繰り返していましたが、今度の覚醒は本物でした。彼は自分が妻を殺し、3人の子供たちを助けられなかったという現実を受け入れました。

 しかし、です。この真実はテディにとってあまりに酷いものでした。そこで、テディは決断します。彼の下した結論は「死ぬ」ということ。彼は再び狂気に囚われたフリをすることにしました。テディは"相棒チャック"こと、主治医のレスター・シーハンに素知らぬ顔で"連邦保安官"テディとして話しかけます。

 テディのもくろみは当たり、Dr.シーハンはDr.コーリーに目で合図しました―「テディの狂気は抑えられていなかった」、と。Dr.コーリーは外科手術を主張する医師にテディを委ねました。ロボトミー手術をされたテディはロボット同様の人間となってしまうことでしょう。テディは彼の望み通り、テディは人間としては死んだのです。

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★シャッターアイランドの結末―どの解釈が真実か―

 テディは最後の場面で主治医のレスター・シーハンに言います。「ここにいるといろいろ考えさせられる。モンスターとして生きることと、善人として死ぬこと、どちらが嫌だ?」

 Dr.シーハンはその瞬間に理解したことでしょう。「テディは正気だ」、と。しかし、Dr.シーハンはテディを手術へと連れて行かせるままにしました。Dr.シーハンはそれがテディの望みであることを知ったからです。テディは妻を殺した殺人犯として生きることを望んではいない。彼は"連邦保安官テディ・ダニエルズ"として死ぬことを望んでいる。

 Dr.シーハンが正気のテディを制止しなかったのは主治医として、何よりわずかな時間ながらも"相棒チャック"としてテディに付き添い、妄想の中ではありますが、危険を冒してチャックを救おうとしてくれたテディに対する、できる限りの優しさだったのかもしれません。

 このテディとDr.シーハンの最後の会話は「シャッター・アイランド」の結論を方向付けています。先ほどの解説でいえば、最後の解釈です。ここでもう一つ、テディが妻を殺したというのは、妻を失ったテディの心の傷につけこまれて治療薬で見させられた妄想で、テディはそれを真実と思いこんだ。そして、最終的に狂気を装ってロボトミー手術を受ける決断をした、という解釈がありえます。

 しかし、それでは説明が付かないことがあります。それは、この映画が「誰にでも内在する人間の暴力性」をテーマにしていることとの関連です。テディは一見、正義感に溢れた男でとても人殺しなどしそうにない人間に見えます。しかし、その実、妻を殺していました。

 自身の奥底に潜む人間の暴力性。これに自分自身も他人も全く気が付いていません。テディも例外ではありませんでした。このサブテーマに説得力を持たせるためにはテディの暴力性を裏付ける事実が必要になってきます。そこで、テディが妻を殺していた、という事実は真実でなくてはなりません。従って、シャッターアイランドの結末を説明するには、3番目、最後の解釈が妥当でしょう。

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★"人間"を殺すアシュクリフ

 テディの話も全てウソではありません。アシュクリフで行われている外科的脳手術。過剰な薬の使用。廃人になった患者たち。

 Dr.コーリーは優秀な精神科医師であり、精神病は薬の使用により、治療すべきという考え方を持つ医師です。一方、外科的処置、すなわちロボトミー手術によって治療をすべきという考え方の医師もいました。どちらが正しかったか、は歴史を見れば分かる通り、ロボトミー手術は現在は行われていません。この点ではDr.コーリーは正しかったといえるでしょう。

 しかし、問題は"患者"の位置づけです。確かにDr.コーリーは優秀ですし、テディを薬によって救おうとはしていました。一方で、テディは精神医学界の論争におけるモルモットでしかなかったというのは否定できない事実です。テディがだめなら、Dr.コーリーは次の患者を探すまで。

 Dr.コーリーは誰でもいいから、1人でも医学的に”重症”の患者を回復させ、自己の治療法が正しいことを確かめたいだけなのです。Dr.コーリーがテディに述べたように、テディの治療の成否は精神医学会の最先端にいる」のは事実ですが、そこでは患者は「人間」ではなく、研究の「対象」としかみられていません。患者はもはや、人間ではありません。

 テディはC棟に行ったとき、そこに収容されているゾンビのような囚人たちから「あんたも俺も皆死んでる」と言われます。皆、病院に閉じ込められ、ここから出る希望はありません。重大な犯罪を犯したとしてC棟に収容された患者たちが治療が成功したとして退院する日は決してやってきません。脳を手術されて廃人になるか、薬漬けになって廃人になるか。いずれの道を選んでも、そこに人間として生きるという道は残されていません。人間として扱われていない彼らには未来への希望はないのです。

 海岸の洞穴に隠れていたレイチェルは言います。「灯台では脳の手術をしている。ゴーストを作ってる」。ロボトミー手術にせよ、Dr.コーリーの主導する投薬治療にせよ、いずれの治療法によっても「ゴースト」を作りだすことに違いはありません。外科的に神経回路を切断するか、それとも、薬漬けになるかの違いしかないのです。行きつく先は人間としての尊厳を失った、ただのロボット人間。

 レイチェルは大量のナトリウムの使用に疑問を持ったといいます。このレイチェルという女性医師はテディの妄想が作りだした幻覚ですが、その主張する内容はテディが認識していたアシュクリフの現実そのものでした。

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★解放されたテディの暴力性

 脳手術にせよ、投薬治療にせよ、アシュクリフにおいて、なぜそのような治療法が要求されるかといえば、前科のある精神病患者の"凶暴性"を抑制するためです。この暴力性を奪い取って、穏やかな人間にすることができれば、"治療"できたと言えることになるかもしれません。

 しかし、暴力性の発言や抑制を司るのは人の脳です。個人の暴力性を他者が外側からコントロールしようとすれば、コントロールされる側の自主性を制限するか、はく奪せざるを得ません。暴力性をコントロールしようとする視点から患者を扱えば、彼らの人間性や尊厳は奪われざるを得ないことになるのです。

 テディはかつて兵士として経験した第2次世界大戦の記憶に悩まされていました。ダッハウ強制収容所に積み上げられた収容者たちの死体。母と子が抱き合うようにして死んでいるのが見えます。怒りに駆られた連合軍の兵士たちは逃げ遅れたナチス親衛隊(SS)の兵士たちを壁際に並べ、一斉に銃殺します。その中にはテディの姿もありました。

 戦争には命の奪い合いが必然的に伴いますが、テディにとってこれは異質の体験でした。テディはダッハウに至るまで、数々の戦闘を経験してきました。しかし、反撃する武器もなく、追い詰められた人間を殺すという経験は、テディにとって初めての経験だったのです。

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★暴力性との対面

 強制収容されていた人々を家畜を殺すように"処分"したSS、そして、無抵抗のSSを容赦なく射殺したテディたち。戦争は人の暴力性をむきだしにしていきます。最前線に投入されたテディたちのような兵士たちは自己に潜む暴力性をその場で初めて自覚することになります。

 戦争が終わっても、その惨たらしい記憶が簡単に消えることはありません。また、何よりも、自分の暴力的な面を見てしまったという生々しい記憶は人間の心に消えることのない深い傷を残します。無意識下に追いやられていた人間の暴力性に気が付いたテディはそれを忘れるため、酒を飲むようになりました。

 収容者をむごたらしく殺したSSとその彼らを問答無用で銃殺したテディに何か、差があるのか。テディ自身の中にも、SSと同じ、暴力性が潜んでいる。テディは自分の取った行動に対して恐怖を抱いていました。

 テディが思い返す妻との生活は絵にかいたような幸せな生活です。しかし、テディと妻との生活は本当に幸せなものだったのでしょうか。テディのきれぎれの記憶のなかには、酒瓶をあおる自分の姿が見えてきます。テディの前に現れた妻は「私は不幸せだった」とテディに言っていました。

 一度解放された暴力性は人に鋭い爪あとを残していきます。人間の暴力性は暴力の対象となった人間のみならず、その暴力性を解放した自分自身にも大きな傷跡を残すのです。テディはただ忘れたかったのです。自分が取った恐ろしい行動を。あれは自分ではなかったと思いたい。しかし、引き金を引いたのは紛れもない自分自身の指でした。テディは酒に逃げ、仕事に逃げました。辛い記憶を忘れるために何か、他のことに熱中すれば良かったのです。

 テディの熱中した仕事が保安官という仕事だったことは象徴的です。テディは犯罪が許せなかった、それ以上に、一方的に行使される暴力に我慢がならなかったのです。それはかつて、自分がしたことを想起させるから。いずれにしろ、自分のことで精いっぱいのテディには妻のことまで気にかける余裕はありませんでした。

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★残酷な真実、死という選択

 その間に妻ドロレスは病んでいきました。酒に溺れる夫、そして仕事にしか興味がない夫。夫の心の中に妻の存在する余地はないようです。彼女は寂しかったでしょう。テディの心を自分に向けさせるため、気を引くためにマンションに火をつけてしまいます。移り住んだ湖畔の家では幸せな生活が約束されているはずでした。しかし、相変わらずテディは仕事にばかり執心し、毎日のように家を空ける生活を続けています。
これは、すっかり気の滅入っていたドロレスには打撃でした。病んだ彼女は3人の子供たちを殺してしまいます。

 一方、テディにはドロレスが病気になっているという事実は認めたくない真実でした。なぜなら、妻が病気になりかけていると認めるなら、酒に溺れていた自分、仕事にしか目が向いていない自分が妻をそこまで追い込んでしまったということを認めることになるからです。テディは妻に対する罪悪感を背負いたくないために、妻の病気を病気と認めなかったのです。

 テディはドロレスの病気に気がつかぬふりをすることにしました。うすうす気がついてはいつつも、大丈夫、と自分に言い聞かせてごまかしていたのです。だから、テディの記憶の中の妻は理想の女性。放火犯でもなく、子供を殺してもいません。妻は大家に放火されたときに、煙にまかれて死んだということになっています。そして、テディは目の前に現れた妻が湖畔の家で暮らしたころは楽しかったわね、と言うまで、湖畔の家に引っ越したことすら忘れていました。テディにとってあの家は最愛の子供たちを失った場所という辛い記憶でしかないからです。

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★病む兵士たち―『タクシー・ドライバー』と『シャッターアイランド』―

 「君は凶暴な男だ」。副所長はテディに対して意味深な言葉を投げかけます。テディは不審な顔をしていましたが、結末を知った今となっては、副署長の一言はテディの真実を突いていたことが分かります。
辛い記憶から逃げ続けてきたテディ。そのテディが真実に直面したときに知った現実の世界は妄想の世界と同じくらい、いや、それ以上に“狂っている“という事実でした。

 アシュクリフは脳手術と投薬で「ゴースト」を作りだし、戦争は人間の暴力性を解放させて「ゴースト」を作りだしました。アシュクリフも、戦争も、共に、テディの人間性の崩壊に手を貸しました。戦争とアシュクリフの両方を経験したテディは最期の選択をします。それは正義感に燃える連邦保安官―「伝説の男」として"死ぬ"という道でした。

人間の肉体はただの容れ物でしかありません。その中身がなくなってしまえば、残った肉体はただの空容器でしかない。自ら考え、行動し、喜怒哀楽がある。理性や感情を失った人間はもはや人間とはいえなくなります。暴力性ですら、"人間らしさ"の一つです。それを奪おうとすれば、人間は人間でなくなります。理性や感情は外から出し入れすることのできず、他者や外部からコントロールすることもできないものです。

 "普通の"生活をしていれば、テディのように、自らの暴力性と対面を強いられることはありません。それを知ることなく、暮らすことができるということが、いかに幸せなことか。そして、その暴力性を知ってしまった人間がいかに脆い生きものとなってしまうのか。

 現実と妄想、真実と嘘が入り混じる世界―戦争から帰還した兵士の病んだ精神を描く名作として、シャッターアイランドと同じ、マーティン・スコセッシ監督、ロバート・デ・ニーロ主演の『タクシー・ドライバー』が挙げられます。

 戦争という"むきだしの暴力"に身をさらすしかなかった人間の精神はかくも脆いものとなる。暴力との出会いと精神の崩壊を描く「シャッターアイランド」は『タクシードライバー』と共通のテーマを持っているといえるでしょう。

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【追記】
記事を上げて以来、さまざまなコメントを頂きました。記事本文中、説明不足と思われる部分がありましたので、コメントへ付けた管理人の回答部分をコピーし、【追記】というかたちでここで補足させて頂きます。


(問題点)

■テディは妻を殺したか
■レイチェルは実在するか
■テディの顔になぜ傷があるのか(2010年11月19日/加筆訂正の上、追記)
■テディの額の傷は手術の跡か【2010年11月19日追記】

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■テディは妻を殺したか

 テディが妻を殺したという根拠として、この映画におけるテーマとして、「内なる暴力性」があることを挙げていました。確かに、このテーマを根拠づけるだけなら、テディが戦争中に無抵抗のSSを殺したことだけで足りるとも思えます。

 そこで、他の根拠を挙げておきます。

 テディが真実に覚醒したにも関わらず、狂人を装ってロボトミー手術を選んだという結末を前提にした場合、テディがあえて、狂気を装った動機が必要となってきます。正気に戻ったテディはなぜ、ロボトミー手術を受けるという死に等しい選択をしたのでしょうか。
 
 それは、「死んだ方がまし」な真実を知ってしまったからです。では、その真実とは何でしょうか。収容所にいたSSを殺したことでしょうか。たしかに、彼らSSは無抵抗でした。テディがまるで、人形を撃つかのように、彼らを銃殺したことは事実です。

 しかし、それが、死を選ぶ動機になるでしょうか?あれは戦争中の出来事でしたし、殺した相手は敵軍の兵士です。そのときのテディには殺すしか選択肢がなかった状況であるともいえます。

 また、テディがSSを銃殺したことを回想しているのは、テディがまだ狂気の中にいて、自分が連邦保安官であると思い込んでいるときです。

 つまり、テディは狂気の中にいたときから、SSを殺害した記憶を保っています。正気に戻ったときに、改めてSSの記憶に驚き、死を選択する理由にはなりません。

 従って、「死んだ方がまし」な真実とはSSを殺した記憶のことではありません。また、同様の理由で、狂気の中にあったときに保持していた記憶は、「死んだ方がまし」な真実には該当しないことになります。

 さらに、決定的なのは、テディが正気に戻ったときに、1952年の春、妻ドロレスを殺したことを思い出していることです。映画の冒頭、テディの妻は「死別した」と紹介されていました。「死別した」はずの妻を、本当は自らの手で殺していた…これほどショッキングな真実はありません。

 正気に戻ったテディがその後にとった行動は、"連邦保安官"テディとして"相棒チャック"ことDr.シーハンに話しかけることでした。先の3番目の解釈によるならば、テディはこのとき正気を保ったままです。彼があえてロボトミー手術の道を選ぶまでの短い時間に判明した真実には「妻の殺害」以外のものはありません。

 従って、「死んだ方がまし」な真実とはテディ自身が妻を殺したこと、であり、従って、テディは妻を殺していたということになります。

■レイチェルは実在するか

 次に、レイチェルの問題についてお答えしていきます。レイチェルは実在するのでしょうか。

 レイチェルの隠れていたところは、崖の下の岩場のようなところでした。また、彼女はアシュクリフの医師たちに見つからないように、頻繁に住みかを変えているとも言っています。

 しかし、そんなことが本当に可能でしょうか。アシュクリフのあるこの島はさほど、大きな島ではありません。医師の他にも、警察もいます。また、島は隔絶した環境にあり、食料や日常品の入手も難しい状況です。女ひとりとはいえ、アシュクリフの住人たちにまったく見つからずに暮らすことはほぼ不可能です。

 さらに、"レイチェル"という名前にも問題があります。レイチェル。この名前は最後の方でもう一度出てきます。それはテディの娘の名前として、です。

 テディの子供は3人いました。1人はサイモン、もう1人はヘンリー。そして、最後の1人は「レイチェル」。テディの娘は何度も登場してきます。テディが狂気の中に囚われているときも、テディの娘は繰り返し登場し、テディに話しかけてきていました。

 夢の中の娘はテディに何度も助けを求めます。「どうして助けてくれなかったの?」

 これはテディにとって、重たい言葉でした。テディは妻の狂気を知って放置していたからです。そして、テディが留守にしているときに、妻は3人の子供を殺してしまった。

 テディは苦しい記憶から逃れるため、"レイチェル"という娘の名前を忘れようとします。彼は「元医師で、アシュクリフの医師たちから隠れ住むレイチェル」という別人を作り出し、我が娘の記憶から逃れようとしていました。

 さらに、RACHEL SOLANDO(レイチェル・ソランド)という名前の綴りにも秘密が隠されています。これを並び替えるとDOLORES CHANAL。これはテディの妻の名前です。さらに、テディの名前EDWARD DANIELS(エドワード・ダニエルズ)をテディの本名、ANDREW LAEDDIS(アンドリュー・レディス)に並び替えることができます。以上の根拠から、やはり、アシュクリフに隠れていた医師のレイチェルが実在の人間であるということは難しいでしょう。【この段落のみ2010年10月24日追記】

 ここから先は、コメントに即してお答えしていきます。"少し違う"さんのコメントによると、『主人公は精神医学の専門家でないのだからロボトミー手術、投薬治療には知識が無い』はずとのご意見です。だから、ロボトミー手術等について語っていたレイチェルは実在するというわけですね。

 確かに、レイチェルはアシュクリフの精神治療のやり方について批判していました。しかし、彼女の話している内容を見てみると、向精神薬の使用や、ロボトミー手術の手法の概略を話しているのみです。彼女の話している投薬治療やロボトミー手術の知識は決して特殊な知識ではありません。

 テディがアシュクリフにやってきたのは、レイチェルの捜索を名目にこの精神病院を調査し、病院で行われている陰謀を暴くためでした。精神を侵されたテディがそう思い込んでいただけとはいえ、連邦保安官を自称する仕事熱心なテディならば事前に何らかの文献を読むくらいの下調べはしたでしょう。

 従って、テディの妄想の中の人物である元医師のレイチェルが投薬治療やロボトミー手術について批判的な物言いで説明をするのはさほど、不思議なことではありません。 

 次に、"レイチェルが実在である根拠"さんのコメントによると、テディが一度寝て、起きてもレイチェルがいたことが実在の根拠であるとのご指摘をいただいています。

 ここで整理しておきたいのは、「精神異常」と「夢」は別物であるということです。夢ならば、寝て起きれば醒めますが、精神異常ではそうではありません。寝ても起きても、妄想の世界に囚われたままです。

 テディは精神を侵されていました。テディが寝て起きても、妄想の世界から帰ってくることはできません。従って、テディが寝て起きたときに、レイチェルがその場にいたことはレイチェルが実在した根拠にはなりません。

 また、『主人公は狂人だが、レイチェルはまともな医者であることに真の恐怖がある』、との趣旨のコメントを頂いていますが、本当にそうでしょうか。

 「シャッターアイランド」は「精神病者は怖いね」という映画ではありません。この映画は「狂人」と「健常者」の対比を見せて、「狂人」に恐怖を感じさせる映画ではないのです。

 主人公のテディ、その妻ドロレス、そしてアシュクリフの医師たち。テディは妻を殺し、ドロレスは子供たちを殺し、アシュクリフの医師たちは患者を殺しています。

 医師たちは「殺人」という言葉に憤慨するでしょう。しかし、人間を廃人同様にしてしまう治療はもはや、治療とはいえません。テディも、ドロレスも、医師たちも、皆、それぞれの論理に従って、"殺人"を行ったのです。

 ここで分かるのは、それぞれの人間たちに人を殺す力があるということです。それは「内面的な暴力性」として既に取り上げた問題です。その暴力性が発揮された場面によって、テディのように「狂人」として扱われることもあれば、医師たちのように「治療」の一環と評価されることもある。

 テディは言います。「俺はダッハウを見た。そこで、人間が人間に何をするかを見た」。

 テディはダッハウ強制収容所で残虐な行為を目の当たりにし、自らもその行為を行った一人となりました。テディは人間の暴力性を目の当たりにしたのです。SSのユダヤ人虐殺は時と場面によっては、ナチス=ドイツの論理によって正当化されたでしょうし、テディの行為は戦争の論理によって正当化されました。どちらも突き詰めればただの「人殺し」なのですが、その暴力はときとして正当化されることがあるのです。

 そして、その正当化の枠を外れた暴力のみが、排斥され、非難される。テディの殺人のように。テディの妻殺しと医師たちの殺人はどちらも同じ、人間の暴力性に由来するものでありながら、医師たちの殺人は「治療」として正当化されるのです。

 「人間が人間に何をするかを見た」。全ての人に暴力性は内在しています。それがどのようにして発現するかは分からない。真の恐怖は、発揮された暴力性が正当化され、自らに内在する暴力性が自覚されないことにあるのです。

■テディの顔の傷【2010年11月19日/加筆訂正の上、追記】

 レディスはなぜ、映画の冒頭から顔に傷を作っていたのか。

 彼は自分を連邦保安官テディ・ダニエルズだと思っていましたが、その実、テディことレディスはアシュクリフの患者です。そして、レディスの収容されていたのはC棟。C棟は「危険な患者用の棟」とマクファーソン副署長に紹介されていました。つまり、C棟は人に危害を加えるような暴力を振るう患者が収容される棟です。

 前頭葉ロボトミー手術は、極度の興奮状態や強度の不安症状に襲われ、その感情を自身で抑制できない患者が対象とされる手術です。レディスはこのロボトミー手術の対象者でした。C棟の患者でもあったレディスは、恐らく、我を失って暴力を振るうときがあったのでしょう。暴れる患者は力づくで職員に取り押さえられる。そのようなときにできた傷が映画冒頭のテディに残る傷であると考えられます。


 つまり、テディの顔の傷は彼が患者の一人であることを示唆するものの一つとなっています。

 次に、レディスの顔の傷がなぜ、湖畔の回想シーンではなかったのかという点について、お答えいたします。

 湖畔の回想シーンというのは結末のあたり、レディスが、子供たちを殺した妻ドロレスを自宅湖畔で発見し、彼女を自身の手で殺したことを思い出しているシーンのことでよろしいでしょうか。

 まず、この回想シーンにキズがなかったことは簡単に説明がつきます。この回想シーンは、レディスが正気だったころのものです。彼はこの時点では、実際に保安官として働いていました。妻の狂気から目を背け、あえて仕事に熱中していたレディスが捜査のため、家を空けた隙に妻は子供たちを殺してしまった。彼はこの後、狂気の世界へと陥り、アシュクリフへと収容されました。

 回想シーンではまだ、レディスは正気です。だから、顔に傷はなかったと考えられます。

■テディの額の傷は手術の跡か【2010年11月19日追記】

 メールで質問を頂きました。そのまま転載させて頂きます。

 "デカプリオの額にあるキズテープは手術の後?"

 レオナルド・ディカプリオの演じるテディことアンドリュー・レディスは、映画冒頭から顔に傷をつけています。そして、その傷がなぜついたのかについては、上の項目で説明しました。「■テディの顔の傷」の項目をご覧ください。

 では、その傷が手術痕ではないか、という点について説明いたします。まず、この傷は手術痕ではないと思われます。レディスがロボトミー手術を受けるのは時間的にもっと後のことですから、少なくとも、額の傷は手術痕ではありません。

 また、テディが受けることになる前頭葉ロボトミー手術で手術痕が残るとすれば、側頭部になるようです。全ての症例でそうなのかは分かりませんが、典型的な手術法によれば、側頭部から頭蓋骨に穴を開け、そこからメス状の手術用具(ロイコトーム)を挿入し、上下に動かして前頭葉と他の脳部位と切り離します。図解を付けておきますので、参考になさってみてください。

シャッターアイランド,前頭葉ロボトミー手術の仕方(Freeman,W.&Watts,J.Psychosurgery 1942,Charles C.Thomas).gif

前頭葉ロボトミー手術の図解(Freeman,W.&Watts,J.Psychosurgery 1942,Charles C.Thomas/財団法人東京都医学研究機構・東京都神経科学総合研究所) 

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コメント・メールを頂きました方々に改めて、お礼を申し上げます。ありがとうございました。


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この記事へのコメント
はじめまして。
自分もシャッターアイランドを見て色々サイトの感想など
みてみたのですがこのサイトが一番しっくりきました。
しかし
★シャッターアイランドの結末―どの解釈が真実か―
の項目で
【 しかし、それでは説明が付かないことがあります。それは、この映画が「誰にでも内在する人間の暴力性」をテーマにしていることとの関連です。テディは一見、正義感に溢れた男でとても人殺しなどしそうにない人間に見えます。しかし、その実、妻を殺していました。
自身の奥底に潜む人間の暴力性。これに自分自身も他人も全く気が付いていません。テディも例外ではありませんでした。このサブテーマに説得力を持たせるためにはテディの暴力性を裏付ける事実が必要になってきます。そこで、テディが妻を殺していた、という事実は真実でなくてはなりません。従って、シャッターアイランドの結末を説明するには、3番目、最後の解釈が妥当でしょう。】


とありますが、テディは収容所でSSを殺しています。
それが裏付けだと自分は感じました。なので妻は殺してないと
思ったんですが、、、。
ほんとにモヤモヤする映画ですね。
Posted by 通りすがり at 2010年09月18日 05:16
私も3番目の解釈が正しいと思います

ただ、私は「海岸の洞穴に隠れていたレイチェル」は妄想ではなく実在ではないかと思います。主人公は精神医学の専門家でないのだからロボトミー手術、投薬治療には知識が無いと思うのです。レイチェルは実在の医師で主人公は島で偶然出会ったために妄想が現実味を帯びた。という解釈はどうでしょうか?
Posted by 少し違う at 2010年09月19日 03:10
主人公が一度睡眠から覚醒してもレイチェルが実在しています「早くここから出て行って私が見つかるわ」と言います。あえてこのように描くののはレイチェルが実在であることを強調するてめです。このように考えると・・・・・次の会話は一際恐ろしくなります。
「きっとあなたを助けだす」「私の話を聞いてなかったの?この島を出る手段は一つだけ。彼らのフェリーだけよ」主人公は「狂人」だがレイチェルは「まともな医者」。ここに、真の恐怖がある。
Posted by レイチェルが実在である根拠 at 2010年09月19日 03:17
私は正常なので…、やっぱり精神異常は危ない。犯した罪は正常者と同じように罰するべきだと考えさせられました。みなきゃヨカッタ
Posted by at 2010年09月19日 23:47
解釈は3番目のでいいんじゃないんですか?
1、2番目の解釈はもしそうだったら映画として面白くないです。
単純に私の感受性がないだけかもしれませんが…。
Posted by at 2010年09月25日 01:56
みなさん、いろいろ討論されていますが、原作は読みましたか?
原作を読めばモヤモヤがフッ飛びますよ。
ただ、ラストの台詞「モンスターとして生きるか〜」のくだりはスコセッシ監督の見解なのでは?
Posted by 通りすがり at 2010年10月11日 23:54
9月にコメントの投稿をされた"通りすがり"さん、"少し違う"さん、"レイチェルが実在である根拠"さん、2人の名無しさんのコメントにまとめて回答させていただきます。

 まずは皆さま、コメントありがとうございます。

 さて、いろいろと疑問点が挙げられていますので、まずは論点整理をしてみましょう。まず、結末については、『解説とレビュー』内に挙げられている3番目の解釈が大筋で当たっているという点では一致しているようです。

 ただし、主人公(テディ)が自身の妻を殺したかどうかの点について、"通りすがり"さんから疑問が出されています。

 次に、3番目の解釈をとるとしても、レイチェルは実在する人物ではないかとの意見が出ています。『解説とレビュー』内では、レイチェルが妄想の人物であるとされていることに対する疑問ですね。

 以上の2点についてお答えしていきます。まずは、テディが妻を殺したかについて。

■テディは妻を殺したか

 テディが妻を殺したという根拠として、この映画におけるテーマとして、「内なる暴力性」があることを挙げていました。確かに、このテーマを根拠づけるだけなら、テディが戦争中に無抵抗のSSを殺したことだけで足りるとも思えます。

 そこで、他の根拠を挙げておきます。

 テディが真実に覚醒したにも関わらず、狂人を装ってロボトミー手術を選んだという結末を前提にした場合、テディがあえて、狂気を装った動機が必要となってきます。正気に戻ったテディはなぜ、ロボトミー手術を受けるという死に等しい選択をしたのでしょうか。
 
 それは、「死んだ方がまし」な真実を知ってしまったからです。では、その真実とは何でしょうか。収容所にいたSSを殺したことでしょうか。たしかに、彼らSSは無抵抗でした。テディがまるで、人形を撃つかのように、彼らを銃殺したことは事実です。

 しかし、それが、死を選ぶ動機になるでしょうか?あれは戦争中の出来事でしたし、殺した相手は敵軍の兵士です。そのときのテディには殺すしか選択肢がなかった状況であるともいえます。

 また、テディがSSを銃殺したことを回想しているのは、テディがまだ狂気の中にいて、自分が連邦保安官であると思い込んでいるときです。

 つまり、テディは狂気の中にいたときから、SSを殺害した記憶を保っています。正気に戻ったときに、改めてSSの記憶に驚き、死を選択する理由にはなりません。

 従って、「死んだ方がまし」な真実とはSSを殺した記憶のことではありません。また、同様の理由で、狂気の中にあったときに保持していた記憶は、「死んだ方がまし」な真実には該当しないことになります。

 さらに、決定的なのは、テディが正気に戻ったときに、1952年の春、妻ドロレスを殺したことを思い出していることです。映画の冒頭、テディの妻は「死別した」と紹介されていました。「死別した」はずの妻を、本当は自らの手で殺していた…これほどショッキングな真実はありません。

 正気に戻ったテディがその後にとった行動は、"連邦保安官"テディとして"相棒チャック"ことDr.シーハンに話しかけることでした。先の3番目の解釈によるならば、テディはこのとき正気を保ったままです。彼があえてロボトミー手術の道を選ぶまでの短い時間に判明した真実には「妻の殺害」以外のものはありません。

 従って、「死んだ方がまし」な真実とはテディ自身が妻を殺したこと、であり、従って、テディは妻を殺していたということになります。

 ■レイチェルは実在するか

 次に、レイチェルの問題についてお答えしていきます。レイチェルは実在するのでしょうか。

 レイチェルの隠れていたところは、崖の下の岩場のようなところでした。また、彼女はアシュクリフの医師たちに見つからないように、頻繁に住みかを変えているとも言っています。

 しかし、そんなことが本当に可能でしょうか。アシュクリフのあるこの島はさほど、大きな島ではありません。医師の他にも、警察もいます。また、島は隔絶した環境にあり、食料や日常品の入手も難しい状況です。女ひとりとはいえ、アシュクリフの住人たちにまったく見つからずに暮らすことはほぼ不可能です。

 さらに、"レイチェル"という名前にも問題があります。レイチェル。この名前は最後の方でもう一度出てきます。それはテディの娘の名前として、です。

 テディの子供は3人いました。1人はサイモン、もう1人はヘンリー。そして、最後の1人は「レイチェル」。テディの娘は何度も登場してきます。テディが狂気の中に囚われているときも、テディの娘は繰り返し登場し、テディに話しかけてきていました。

 夢の中の娘はテディに何度も助けを求めます。「どうして助けてくれなかったの?」

 これはテディにとって、重たい言葉でした。テディは妻の狂気を知って放置していたからです。そして、テディが留守にしているときに、妻は3人の子供を殺してしまった。

 テディは苦しい記憶から逃れるため、"レイチェル"という娘の名前を忘れようとします。彼は「元医師で、アシュクリフの医師たちから隠れ住むレイチェル」という別人を作り出し、我が娘の記憶から逃れようとしていました。

 ここから先は、コメントに即してお答えしていきます。"少し違う"さんのコメントによると、『主人公は精神医学の専門家でないのだからロボトミー手術、投薬治療には知識が無い』はずとのご意見です。だから、ロボトミー手術等について語っていたレイチェルは実在するというわけですね。

 確かに、レイチェルはアシュクリフの精神治療のやり方について批判していました。しかし、彼女の話している内容を見てみると、向精神薬の使用や、ロボトミー手術の手法の概略を話しているのみです。彼女の話している投薬治療やロボトミー手術の知識は決して特殊な知識ではありません。

 テディがアシュクリフにやってきたのは、レイチェルの捜索を名目にこの精神病院を調査し、病院で行われている陰謀を暴くためでした。精神を侵されたテディがそう思い込んでいただけとはいえ、連邦保安官を自称する仕事熱心なテディならば事前に何らかの文献を読むくらいの下調べはしたでしょう。

 従って、テディの妄想の中の人物である元医師のレイチェルが投薬治療やロボトミー手術について批判的な物言いで説明をするのはさほど、不思議なことではありません。 

 次に、"レイチェルが実在である根拠"さんのコメントによると、テディが一度寝て、起きてもレイチェルがいたことが実在の根拠であるとのご指摘をいただいています。

 ここで整理しておきたいのは、「精神異常」と「夢」は別物であるということです。夢ならば、寝て起きれば醒めますが、精神異常ではそうではありません。寝ても起きても、妄想の世界に囚われたままです。

 テディは精神を侵されていました。テディが寝て起きても、妄想の世界から帰ってくることはできません。従って、テディが寝て起きたときに、レイチェルがその場にいたことはレイチェルが実在した根拠にはなりません。

 また、『主人公は狂人だが、レイチェルはまともな医者であることに真の恐怖がある』、との趣旨のコメントを頂いていますが、本当にそうでしょうか。

 「シャッターアイランド」は「精神病者は怖いね」という映画ではありません。この映画は「狂人」と「健常者」の対比を見せて、「狂人」に恐怖を感じさせる映画ではないのです。

 主人公のテディ、その妻ドロレス、そしてアシュクリフの医師たち。テディは妻を殺し、ドロレスは子供たちを殺し、アシュクリフの医師たちは患者を殺しています。

 医師たちは「殺人」という言葉に憤慨するでしょう。しかし、人間を廃人同様にしてしまう治療はもはや、治療とはいえません。テディも、ドロレスも、医師たちも、皆、それぞれの論理に従って、"殺人"を行ったのです。

 ここで分かるのは、それぞれの人間たちに人を殺す力があるということです。それは「内面的な暴力性」として既に取り上げた問題です。その暴力性が発揮された場面によって、テディのように「狂人」として扱われることもあれば、医師たちのように「治療」の一環と評価されることもある。

 テディは言います。「俺はダッハウを見た。そこで、人間が人間に何をするかを見た」。

 テディはダッハウ強制収容所で残虐な行為を目の当たりにし、自らもその行為を行った一人となりました。テディは人間の暴力性を目の当たりにしたのです。SSのユダヤ人虐殺は時と場面によっては、ナチス=ドイツの論理によって正当化されたでしょうし、テディの行為は戦争の論理によって正当化されました。どちらも突き詰めればただの「人殺し」なのですが、その暴力はときとして正当化されることがあるのです。

 そして、その正当化の枠を外れた暴力のみが、排斥され、非難される。テディの殺人のように。テディの妻殺しと医師たちの殺人はどちらも同じ、人間の暴力性に由来するものでありながら、医師たちの殺人は「治療」として正当化されるのです。

 「人間が人間に何をするかを見た」。全ての人に暴力性は内在しています。それがどのようにして発現するかは分からない。真の恐怖は、発揮された暴力性が正当化され、自らに内在する暴力性が自覚されないことにあるのです。
Posted by 管理人Naoko.H at 2010年10月15日 20:14
10月11日に投稿いただいた"通りすがり"さんにご返答いたします。

個人的には、映画と原作は別物として考えております。原作がある映画は多いですが、映画を観ている観客は原作を知らない者が多数であることを前提に映画は作られているものであり、映画は映画として、完結した作品であることが原則だからです。

一方で、2時間という時間枠がある以上、映画にはつみこみきれない部分が生じる可能性はあります。また、映画と本、あるいは映画とゲームのように、映画と違う形態をとるものが原作である場合、表現手法の違いから、メッセージが明確になったり、逆に不明朗になってしまうこともあります。

そのような状況では、読み取りきれないメッセージは原作から補完することができるかもしれません。その場合でも、映画と原作は別物である以上、原作の意識を補充的に映画に用いて解釈することが重要ではないでしょうか。

原作で示されている方向性に飛びつかず、映画内のみで提供される情報を元に解釈を組み立て、議論することは「シャッターアイランド」という映画作品を理解する上でとても有意義なことです。また、どこが原作のメッセージであり、どこが映画のメッセージであるかを区別する必要はありません。あくまで、これは「シャッターアイランド」という一つの映画であり、原作とは別個の一つの作品なのですから。

コメントありがとうございました。またのお越しをお待ちしています。
Posted by 管理人Naoko.H at 2010年10月15日 20:34
ラストシーンは再発したレディスの妄想ではないでしょうか?
劇中で描かれる真実のシーンは、グレーの囚人服を着たレディスが、
妻の殺害を受け入れ、一時的に正気を取り戻す場面だけの様な気がします。
現にラストシーンでレディスは囚人服を着ていませんし、仮に現実だとしても
ロボトミーで使用するアイスピックの様な医療器具を、剥き出しであの場に持ってくるでしょうか?

Posted by パラノイア at 2010年10月21日 00:28
とてもわかりやすい解説で納得できました。
正気に戻ったテディがあえて狂人を装い手術を受ける…
とても恐ろしい結末ですね。
正気を保ったテディだけがまともな(血の通った)
人間らしく感じます。
Posted by ちょび at 2010年10月21日 16:32
パラノイアさん

 こんにちは。コメントありがとうございました。

 「エドワード(テディ)・ダニエルズ」こと、本名アンドリュー・レディスの最期についてのご質問ですね。

 アンドリュー・レディスが相棒チャックことDr.シーハンと話す最後の場面は現実か。

 テディことレディスが囚人服を着ておらず、アイスピックのような医療器具を持っているレディスがいることから、妄想の場面ではないかというご指摘です。

★ラストシーンでテディが囚人服を着ていないわけ

 まず、囚人服についてお答えいたします。正気にもどったレディスは「連邦保安官テディ・ダニエルズ」として死ぬ道を選びました。だから、彼は外見も服装もテディ・ダニエルズにふさわしい服装を整えてきます。そして、テディが言いそうなことを相棒チャックことDr.シーハンに言う。

 「本土に戻ってここの悪事を知らせる。心配するな、相棒」。この言葉を聞いたDr.シーハンは同僚にレディスを連れていくように、と合図を送ります。

 テディが正気と分かれば、Dr.シーハンは絶対にテディにロボトミー手術を受けさせるようなことはしないでしょう。レディスは何としても、連邦保安官として死にたかった。そのために、あえて、レディスは服装を含め、テディ・ダニエルズとして振舞ったのです。

 彼は「殺人犯アンドリュー・レディス」として薬漬けで生きることを望みませんでした。そして、その希望は叶えられたのです。


★ロボトミー手術用具をもっていたレディス

 次に、アイスピックのような医療器具について、お答えします。

 まず、患者のレディスがそのような手術用具を持っているのはおかしいとのご指摘にお答えします。

 Dr.シーハンはレディスが正気になっていると思っていました。それに、ここは病院の中庭、多くの看護師や医師がいるところです。レディスがそれを振り回したところで他人に危害を加える危険性は薄い。

 それに、Dr.シーハンは相棒チャックとして数年、レディスに付き合ってきた仲です。仮にレディスが再び妄想の世界の人間になっていたところで、相棒思いのレディスがDr.シーハンを傷つけることはほぼありません。

 レディスが手術用具を見せてくれと頼めば、Dr.シーハンは見せてくれたでしょう。ロボトミー手術で使う手術用具を、これから手術を受けることになるレディスが持っていたというのは意味深です。彼はなぜ、手術用具を手にしたのか。

 これから自分の脳につき刺さり、最も人間にとって大事な感情を奪い去る道具。その道具を手にするということは、死を手に入れるということです。医師に薬漬けにされ、あるいは勝手にロボトミー手術を施されてしまえば、死すら、自分の支配下には置けなくなる。

 レティスが自らロボトミー手術を受けたのは、「尊厳ある死」を望んだからです。「尊厳ある死」には、自分の人生の終末を自分で決定するという意味も含む。レティスには、自分の死は自分で選びたいという気持ちがありました。自分の死は自分のもの。死ぬときは自分で決める。

 自分に死をもたらす道具を手にしたレティスは死に対する不安を和らげ、死に対する覚悟を固めました。この死の道具をいじるレティスの様子は、死に対するレティスの覚悟を表すものと解釈することができます。

 いかがでしょうか。いろいろな考え方があると思います。これはこれで一つの考え方がある、という程度でお読みいただければ幸いです。

 ご訪問に心から感謝いたします。ありがとうございました。
Posted by 管理人Naoko.H at 2010年10月21日 23:48
ちょびさん

 こんにちは。コメントをつけてくださり、ありがとうございました。この映画はちょっとしたホラー映画よりも、よっぽど怖いと思います。

 「シャッター・アイランド」のテーマは人間とは何か、ということです。人間でいるために重要なのは何か。ほんのちょっとのきっかけで、人間性というのは簡単に葬り去られてしまう。狂った人間と正常な人間の境目はなんだろう。狂気の世界を垣間見てしまった人間には、その境目が曖昧になってきてしまいます。

 考えれば考えるほど、恐怖の深淵へと沈んでいく。そんな魅力が「シャッター・アイランド」にはあるようです。

 ご訪問ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております。

  
Posted by 管理人Naoko.H at 2010年10月22日 00:42
シャッターアイランドは複雑で狂気的な映画でした

主人公が島にやってきた時
連邦保安官であるというのは事実で患者ではない
レイチェル失踪の事件は仮の代役を立てる事で
解決したものの
島の中で行われる非人道的な行為を
追ったために
薬剤投与を2年間続けていた患者ということにされてしまいました
そう思わせる演出は非常に巧妙でした

彼は刑務所の開放に立ち会った兵士であり
その時に流れていた曲が印象に残っていたので曲名を覚えていた

本物のレイチェルこと精神科医は
体を揺すって起こしていたので本物です
あの時点では現在も逃亡中です

C棟にジョージ・ノイスがいたことで
島内の非人道的な行為は事実だったと証明されました

チャプター14の警備員はDr達には従順だけど
テディが島内の非人道的な行為を解決する事を望んでいた
「目に噛み付こう(手術)とした時お前はどうする」

Dr.シーハンは相棒チャックの2役を演じていた
レイチェル失踪事件の解決までは
相棒チャックとして協力するけれども
島内の非人道的な行為を追うようであれば
Dr.シーハンとして処理する役目を持っていたのでしょう

100の会話の中に90の嘘と10の真実を
混ぜ合わせたような感じのする作品でした
Posted by チャック at 2010年10月24日 18:45
レティスの傷は何かをあらわしていたのでしょうか。

映画の初めから絆創膏をしていましたよね・・?

最後のほうには若干の傷があります。

しかし、途中の湖畔の回想シーンでは傷はないようにみえます。


一体なんだったのでしょう、気になりませんか?!
Posted by ナビ at 2010年11月03日 00:00
チャックさんへ

こんにちは。

私はテディことアンドリュー・レディスが当初からアシュクリフの囚人であり、結末、自ら望んでロボトミー手術を受けたと理解しています。その根拠は全て本文中に記述していますので、ここでは省略いたします。上記の記事やコメントに対する私の返事等をお読みになって頂ければ、と思います。

コメントありがとうございました。またのご訪問お待ちいたしております。
Posted by 管理人Naoko.H at 2010年11月06日 22:14
ナビさんへ

こんにちは。テディことレディスの顔の傷についてのご質問ですね。

レディスはなぜ、映画の冒頭から顔に傷を作っていたのか。

彼は自分を連邦保安官テディ・ダニエルズだと思っていましたが、その実、テディことレディスはアシュクリフの患者です。そして、レディスの収容されていたのはC棟。C棟は「危険な患者用の棟」とマクファーソン副署長に紹介されていました。つまり、C棟は人に危害を加えるような暴力を振るう患者が収容される棟です。

そのC棟の患者だったレディスは恐らく、我を失って暴力を振るうときがあったのでしょう。そのような患者は力づくで職員に取り押さえられる。そのようなときにできた傷が映画冒頭のテディに残る傷であると考えられます。

つまり、テディの顔の傷は彼が患者の一人であることを示唆するものの一つとなっています。

次に、レディスの顔の傷がなぜ、湖畔の回想シーンではなかったのかという点について、お答えいたします。

湖畔の回想シーンというのは結末のあたり、レディスが、子供たちを殺した妻ドロレスを自宅湖畔で発見し、彼女を自身の手で殺したことを思い出しているシーンのことでよろしいでしょうか。

まず、この回想シーンにキズがなかったことは簡単に説明がつきます。この回想シーンは、レディスが正気だったころのものです。彼はこの時点では、実際に保安官として働いていました。妻の狂気から目を背け、あえて仕事に熱中していたレディスが捜査のため、家を空けた隙に妻は子供たちを殺してしまった。彼はこの後、狂気の世界へと陥り、アシュクリフへと収容されました。

回想シーンではまだ、レディスは正気です。だから、顔に傷はなかったと考えられます。

コメントありがとうございました。書き落としていたアンドリュー・レディスの顔の傷についてのご指摘を頂き、感謝いたしております。またのご訪問をお待ちしております。
Posted by 管理人Naoko.H at 2010年11月06日 22:54
一応補足。

ロボトミーのロボは、ロボットではありません。

lobotomy:前頭葉白質切截術

の意味で、まったく意味が違いますのでご注意あれ。
Posted by レディス at 2010年11月07日 11:27
最後のシーンで、Drが「テディ」と呼んでいますよね?
いくらDrが、レディスは善人として死ぬことを選んだ、ということを理解したとしても、
あぁも咄嗟に「テディ」と呼ぶでしょうか?

気になります。

あの一言で私は、「あの場所は病院ではなく軍施設であり、『薬を使わない洗脳』の実験台にされたのか?」と感じました。
しかし洗脳は完全ではなく、主人公は機会をうかがうために「レディス」としてDr達と話を合わせ、次の日一言。
「モンスター(ロボトミー手術の餌食)として生きるか、善人(保安官として真実を伝えるため脱走を試みる)として死ぬか」
Drは「洗脳は成功していない」と首を振り、ロボトミー手術の準備。
で、あのあと彼は脱走を試みるのでは…なんて思ったり。
軍施設なら大量の武装した警備員がいた理由も納得できますし…。

こんな見方もありな気がしますが、どうでしょうか?
Posted by ブラフ at 2010年11月09日 01:59
嵐の中墓場に行ったとき、建物に入った後、チャックが『お前はめられてるぞ』みたいなことを言ったのは妄想ですか?
Posted by チャックが不思議 at 2010年11月09日 20:22
こんにちは。
遅ればせながらDVDで「シャッター・アイランド」を観ました。
どう解釈すればよいのか記憶と整理作業がなかなか大変でネットを色々見て回るうちこちらの解釈を拝見させていただきました。

 順当にテディは妻殺しで患者であった、そして戦争でナチの収容所で善人として任務に当たったら、敵とまったく同じ「無差別な殺戮」をしてしまい、同じ穴のむじな、である矛盾に行き当たってしまった。


 院長の試みで正気を取り戻したが、妻も子どもたちも愛していたのに、その気持ちはまっとうな故に妻が子供達を殺し、自分がその妻を殺してしまった現実の結果が忘我を引き起こした。

 犯罪を犯した者を精神異常者とイコールにして扱う隔離病棟(隔離島)で矛盾に気付きながら外界に戻りたがらない収容者達が、テディに施設の異常さを気付かせる。


 しかし、外界に戻ることが幸せには思えない。手術を受けてもモンスター、無事島から出ても人間の善悪・正常異常の基準など確固たる区別がないことを身を持って体験してしまったから。



 以上のように自分の中で要点を整理しましたが、今になってもなお、テディがはめられた、という選択もあるような気がしてなりません。妻はどちらの女性が本当の妻なのか。チャックは途中から病院側に協力を要請されテディをはめたが、うまくすれば二人で脱出を試みられる公算をもっていたのではないか。もしくは医師の立場からも施設の異常性を感じ島から抜けださせようという意思を持っていた。
 こういう推理は無理があるでしょうか。



 2回観てもなおまだ見直してみたくなる作品です。「タクシードライバー」も有名ですが見ずじまいになっていたのでぜひ観たくなりました。




  
Posted by てふ at 2010年11月10日 18:10
2010年11月18日にメールを下さった方へ

ご質問に対する答えを本文記事内に掲載いたしました。
【追記】内、■テディの額の傷は手術の跡か【2010年11月19日追記】の項目をご覧くださいませ。

メールありがとうございました。

Posted by 管理人Naoko.H at 2010年11月20日 11:00
最後まで観て、内容がはっきりせず、調べるとここにきました。
とても参考になりました。
読みやすく分かりやすい。

やっぱり3番目でしょうかね。
そうであってほしいとも思います。

額の傷、手術ではなく、もしかしたらジョージ・ノイスを襲った時の傷かも、と思えました。
「誰にやられた?」「お前だよ」
Dr,コーリーも最後言ってましたし。
時期もわからないのではっきりしませんが。

いろいろ考えさせられる映画ですね。奥深いです。
ここが見つかって良かった。
おかげでこの映画も好きになれました。
ありがとうございました。
Posted by lice at 2010年11月21日 09:42
レディスさん

補足、ありがとうございます。ロボトミーの意味については映画の内容に直接の関係がないため、省かせて頂いておりました。

「ロボトミー」という語の意義については、インターネット百科事典ウィキペディアに説明がありますので、そちらをご覧ください。以下にURLを掲載しておきます。
ウィキペディア【精神外科】へのリンク:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E5%A4%96%E7%A7%91

またのご訪問をお待ちしております。
Posted by 管理人Naoko.H at 2010年11月21日 14:58
ブラフさま

 こんにちは。遅くなりまして、申し訳ございません。お尋ね頂きました件について、お答えいたします。
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最後のシーンで、Drが「テディ」と呼んでいますよね?
いくらDrが、レディスは善人として死ぬことを選んだ、ということを理解したとしても、
あぁも咄嗟に「テディ」と呼ぶでしょうか?
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 まずは、以上のご質問について、お答えいたします。

 テディはあえてロボトミー手術を受けるということは口に出しては言いません。しかし、口に出さずとも、Dr.シーハンはテディの真意を理解することができました。テディの決断を察することができるほど、2人の付き合いは深いものでした。

 Dr.シーハンはこの2年間、テディの相棒チャックとしてテディに付き添ってきました。レディスの主治医「Dr.シーハン」としての時間よりも、テディの相棒「チャック」としての時間の方が長かったのです。そんなDr.シーハンがとっさに"テディ"とレディスを呼んだとしても何ら不自然ではありません。

 また、テディは正気に戻ったにも関わらず、自分がアンドリュー・レディスであることを否定し、これから"テディ"としてロボトミー手術を受ける決断をしている状況です。この状況下で、Dr.シーハンがテディのことを「レディス」と呼んだらどうなるでしょうか。

 自分はテディが狂気を装って手術を受けようとしていることを知っている、とテディに伝えてしまうことになります。Dr.シーハンは医者です。仮にも、正気に戻っている者にロボトミー手術を受けさせることは立場上してはならないことです。しかし、テディが殺人犯として生きることを望んでいないことはDr.シーハンも承知している。

 そこで、彼はテディが正気に戻っていることに「気がつかないふり」をすることにしました。そして、それが、テディの面目を保つことにもなる。また、テディもそれを望んだでしょう。正気の者に手術を受けさせるという医者の倫理に反することをテディは相棒に望まない。それには、テディが正気であることに気が付いたことを隠す必要がありました。

 テディは、Dr.シーハンがテディの真意に勘付いたことを薄々察していたと思います。だからこそ、「ここにいるといろいろと考えさせられる。モンスターとして生きることと、善人として死ぬことどちらが嫌だ?」とテディは言い残した。

 結末、テディとDr.シーハンに見られる関係は、医師と患者の関係ではありません。そこにあるのは"男同士の友情"でした。友人として、レディスの決断を尊重し、"男のプライド"を守ってやる。テディも、そのようなDr.シーハンの心を理解している。お互い口には出しませんが、2人には深い信頼関係がありました。

次の質問にお答えいたします。
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あの一言(結末、Dr.シーハンが「テディ」とレディスに呼びかけたこと:管理人補足)で私は、「あの場所は病院ではなく軍施設であり、『薬を使わない洗脳』の実験台にされたのか?」と感じました。
しかし洗脳は完全ではなく、主人公は機会をうかがうために「レディス」としてDr達と話を合わせ、次の日一言。
「モンスター(ロボトミー手術の餌食)として生きるか、善人(保安官として真実を伝えるため脱走を試みる)として死ぬか」
Drは「洗脳は成功していない」と首を振り、ロボトミー手術の準備。
で、あのあと彼は脱走を試みるのでは…なんて思ったり。
軍施設なら大量の武装した警備員がいた理由も納得できますし…。
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■映画の「解釈」について

 大変面白い意見ではあると思いますが、賛成はできません。その根拠を述べる前に、映画の「解釈」について、少し書かせていただきます。

 まず、映画の解釈についてですが、基本的に、「解釈」というからには、映画内で示された何らかの事実、あるいは映画全体の主題に基づいて、その根拠を示さねばなりません。根拠がなくても良いとなれば、どんな考え方でも可能になってしまいます。しかし、それは「空想」であって「解釈」とは言えません。

 また、結末後の展開についても同様で、映画内にそれからの展開を示す何らかの布石あるいは根拠がない限り、結末から先のストーリーについて話を進めることはできません。

 以上を念頭に、検討していきます。

■「薬を使わない洗脳」はあったのか

 「薬を使わない洗脳」という話は映画に出てきませんし、それを窺わせる事実も見当たりません。

「シャッターアイランド」で出てくる精神病の治療法は2つです。1つは投薬治療を推すグループで、これはDr.シーハンが与していた考え方です。もう一つは、精神外科治療を推すグループで、これはテディの受けることになるロボトミー手術もその一つに含まれます。

 今でこそ、精神外科の治療法は否定されていますが、かつてはこれが肯定され、盛んに手術が行われていた時期がありました。ロボトミー手術のような精神外科も、投薬治療も、いずれも、現実に存在する精神医学の考え方です。
 
 一方、「薬を使わない洗脳」という治療法は現実に存在するか、疑問です。先にあげた治療法が現実にある治療法なのに対して、「薬を使わない洗脳」という非現実的な治療法が突然出てくるのは唐突でしょう。

 この映画で重要なのは、自らが正しい存在であると思っているにも関わらず、それが実は真逆の存在、あるいは行動であったという点です。連邦保安官であるテディが実は殺人犯だったり、ロボトミー手術を推し進める医師たちがじつは患者を破壊する治療をしているだけだったというように。自分や自分の行動に対する自らの認識、すなわち主観的な認識と客観的な認識のズレがこの映画の"恐怖"です。

 過剰な投薬治療、あるいはロボトミー手術のような精神外科の恐怖は、それを推す医師たちに悪意はない、という点です。治療法として優れていると信じているのですから。「洗脳」のように、主観的にも客観的にも褒められた行為ではないことが認識できるならば、そこにズレは生じません。

 映画の主題から外れ、現実味に欠ける「薬を使わない洗脳」は「シャッターアイランド」という映画においては存在しないと考えるのが妥当でしょう。

■テディの脱走は可能か

 また、テディの脱走についても、それを根拠づける事実に欠けます。

 ロボトミー手術は前頭葉を他の脳部位から切り離すという治療法で、正常な判断力が鈍り、無気力状態に陥る、あるいは感情の起伏が極端になるなどの症状が起こるとされています。しかも、一度手術を受けてしまえば、それを回復することは不可能です。そのようなロボトミー手術を受けた状態で、警備の厳しいアシュクリフを脱走するというのは夢物語に近いと言ってよいでしょう。

 「大量の武装した警備員」がいるのは、アシュクリフのような巨大な精神病患者収容施設においては当然のこと、と説明できますし、そもそもアシュクリフには、殺人等の重大な犯罪歴のある精神病患者を受け入れるC棟というものが存在します。C棟はいわゆる精神病患者の刑務所ですから、そのような施設に刑務官、あるいは警備員が多く駐在しているのはそれほど驚くべきことではないでしょう。
 
 以上の理由から、脱走を試みるためにあえて手術を受けたというご意見には賛同しかねます。 

 コメントありがとうございました。またのご訪問をお待ちしております。
Posted by 管理人Naoko.H at 2010年11月21日 18:44
チャックが不思議さん

 こんにちは。遅くなりましたが、以下のご質問にお答えいたします。
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嵐の中墓場に行ったとき、建物に入った後、チャックが『お前はめられてるぞ』みたいなことを言ったのは妄想ですか?
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 答えは、妄想ではない、です。テディの相棒"チャック"ことDr.シーハンは精神薬理学派に属する医師でした。彼はチャックの精神病を薬で治したいと考えていました。一方、アシュクリフには精神薬理学派に対抗するグループがあります。それは精神外科治療を推す旧学派です。彼らはテディことアンドリュー・レディスの病気は外科的手術によって治療すべきと考えていました。

 テディは第2次世界大戦での経験を思い出しながら、アシュクリフに潜む陰謀を暴いてやると語っていました。これはテディが作り出したアシュクリフ陰謀論ですが、これに囚われ、自分が連邦保安官であると信じ切っている間は、テディは正気に戻れず、従って、Dr.シーハンの治療は成功しなかったということになります。

 Dr.シーハンはテディの主治医です。しかし、その治療が失敗に終われば、Dr.シーハンはテディを旧学派の医師に委ねねばなりません。それはすなわち、テディの「死」を意味します。ロボトミー手術によって、感情を奪われ、あるいは自らコントロールする力を失ってしまう可能性がある。

 Dr.シーハンはテディの相棒チャックとして、彼を正気に引き戻し、テディの本当の姿は「アンドリュー・レディス」であることを思い出させたかったのだと考えられます。だから、騙されてるぞ、とテディに警告した。Dr.シーハンは、アシュクリフ陰謀論を忘れて、現実に向き合って欲しかったのでしょう。

 付け加えておくと、Dr.シーハンがテディに警告したのは、対立する医師たちにテディを引き渡したくないという思いがあったからです。もちろん、自分の治療法が正しいことを証明したいという思いもあったでしょうが、もう一つには、純粋に相棒"チャック"としてテディを気遣う気持ちがあったと考えられます。テディは非常に相棒思いでしたし、チャックとの付き合いは2年に及ぶ仲でした。彼らには医師と患者の関係を越えた友情があったと考えて良いでしょう。

 コメントありがとうございました。またのご訪問をお待ちしております。
Posted by 管理人Naoko.H at 2010年11月21日 18:46
てふさん

こんにちは。遅くなりまして申し訳ございません。頂いたコメントにお答えしていきます。
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順当にテディは妻殺しで患者であった、そして戦争でナチの収容所で善人として任務に当たったら、敵とまったく同じ「無差別な殺戮」をしてしまい、同じ穴のむじな、である矛盾に行き当たってしまった。
 院長の試みで正気を取り戻したが、妻も子どもたちも愛していたのに、その気持ちはまっとうな故に妻が子供達を殺し、自分がその妻を殺してしまった現実の結果が忘我を引き起こした。
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■管理人から

 テディが正気を失った原因は戦争の経験ではないことに留意する必要があります。テディが正気を失った原因は妻が子供たちを殺し、さらに、その妻をテディが殺してしまったという戦争から帰ってきた後の経験の方です。

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 犯罪を犯した者を精神異常者とイコールにして扱う隔離病棟(隔離島)で矛盾に気付きながら外界に戻りたがらない収容者達が、テディに施設の異常さを気付かせる。
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■管理人から

 犯罪歴のある精神病者を収容しているC棟とその他の棟の患者たちをまとめて収容している点に矛盾を感じたのではありません。テディがアシュクリフで知ったことは、主観的認識と客観的認識の落差です。テディは自分が連邦保安官であると思っていた、しかし、現実にはテディはアシュクリフのC棟収容者であり、妻殺しだった。あるいは、医師たちはよかれと思って、精神外科治療を推し進めているが、実はそれは患者の人間性を奪い去る非人道的な手術に過ぎない。

 自分自身では正義だと思い込んでいることが、実は真逆であり、対極に位置している。これが、テディの直面した問題でした。

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 しかし、外界に戻ることが幸せには思えない。手術を受けてもモンスター、無事島から出ても人間の善悪・正常異常の基準など確固たる区別がないことを身を持って体験してしまったから。
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■管理人から

 テディがアシュクリフを出ない決断をしたのは、正気のままでいてもいつ狂気の世界に逆戻りするか分からない不安に加え、妻を殺し、子供たちを救えなかったという罪の意識を持ち続けねばならず、それに、妻を殺した男として生きていかねばならないからです。

 それならば、連邦保安官テディ・ダニエルズとして死を迎えたい、テディはそう考えました。テディ・ダニエルズは悪に立ち向かう正義の男であり、人殺しのアンドリュー・レディスとは違います。これはテディの"プライド"の問題です。人殺しとしてアシュクリフの収容者として一生を終えるか、それとも、正義に殉職したテディ・ダニエルズとして死ぬか。

 ロボトミー手術で命が奪われることはありません。しかし、感情を奪われ、あるいはコントロールできなくなった人間など、もはや生きているとは言えない。これは「死」です。手術を受けるという決断はそのまま、人としては「死」を迎えるということを意味していました。

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テディがはめられた、という選択もあるような気がしてなりません。妻はどちらの女性が本当の妻なのか。チャックは途中から病院側に協力を要請されテディをはめたが、うまくすれば二人で脱出を試みられる公算をもっていたのではないか。もしくは医師の立場からも施設の異常性を感じ島から抜けださせようという意思を持っていた。
 こういう推理は無理があるでしょうか。
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■管理人から

 まず、妻についてのご質問ですが、「どちらの女性」というのが誰のことを指しているのか、分かりかねますので保留いたします。次に、チャックについてですが、彼はDr.シーハンというテディの主治医であり、2年前からテディことレディスを担当しています。

 まず、テディはアシュクリフに何らかの陰謀が隠されていると思い、捜査に励んでいましたが、これは全てテディ自身によって考えだされた話であり、チャックに唆されて捜査を始めたものではありません。むしろ、チャックはテディのアシュクリフ陰謀論に懐疑的な態度を取っていました。チャックは騙されていると警告し、「やつらの手の中にいる」とアシュクリフの関係者たちに手玉に取られている可能性を指摘してもいました。

 よって、チャックが率先してテディのアシュクリフ陰謀論を煽り、テディをはめたということはできないと思います。

 最後に、チャックことDr.シーハンはアシュクリフからの脱出を試みようとしていたのではないかとの点についてお答えします。

 まず、Dr.シーハンが、アシュクリフに陰謀が隠されているという妄想からチャックを抜け出させようとしていたことは確かです。なぜなら、Dr.シーハンはテディの主治医だからです。アシュクリフには2つの対立する学派があり、精神病の治療法についてどちらが優れているかを争っていました。

 Dr.シーハンは精神薬理学派に所属し、投薬による治療を推しています。そして、現在テディは投薬治療を受けている。しかし、この治療が失敗したと認定されれば、次に待ち受けているのは対立する旧学派による精神外科治療、いわゆるロボトミー手術です。Dr.シーハンはこれを避けたかった。そして、そのために、チャックを何とかして、アシュクリフ陰謀論から引き離そうと努力していました。

 しかし、Dr.シーハンはあくまで、アシュクリフに属する医師であり、テディを脱走させようとまではしていません。彼がテディを救おうとするのは、ロボトミー手術からであり、アシュクリフからではありません。

 Dr.シーハンが投薬治療にも否定的で、精神外科にも否定的ならば、アシュクリフ自体に疑問を持ったということも考えられなくはありませんが、少なくとも、チャックを演じていた間のDr.シーハンには疑問を抱く余地はなかったと考えられます。アシュクリフ自体に疑問を持っていたならば、結末のシーンで旧学派の医師に手術をするようサインを送ることはしなかったでしょう。

 テディが最後の瞬間、実は正気であることに気が付いたDr.シーハンは彼を黙って見送りました。それはテディと相棒チャックとしての信頼関係のなせる業でした。「死」を選ぶというテディの選択をDr.シーハンは友人として尊重した。

 テディを見送ったのち、Dr.シーハンがどのような心境になったのかは分かりません。もしかしたら、アシュクリフそのものに疑問を持つようになったかも。しかし、それ以降の話は推測の域をでません。

 コメントありがとうございました。「タクシー・ドライバー」も面白い映画ですよ。ぜひご覧になってみてください。それでは、またのご訪問をお待ちしております。
Posted by 管理人Naoko.H at 2010年11月21日 18:50
liceさん

 こんにちは。「シャッターアイランド」のレビューをお読みいただき、ありがとうございました。
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額の傷、手術ではなく、もしかしたらジョージ・ノイスを襲った時の傷かも、と思えました。
「誰にやられた?」「お前だよ」
Dr,コーリーも最後言ってましたし。
時期もわからないのではっきりしませんが。
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 テディの顔の傷ですが、ご指摘の通り、ジョージ・ノイスとのトラブルでついた傷という可能性はありますね。ジョージ・ノイスは学生時代、殺人を犯した罪でアシュクリフに送られ、テディことアンドリュー・レディスと同じC棟に収容されていた患者ですから、2人には接触の機会がありました。

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最後まで観て、内容がはっきりせず、調べるとここにきました。
とても参考になりました。
読みやすく分かりやすい。

やっぱり3番目でしょうかね。
そうであってほしいとも思います。

いろいろ考えさせられる映画ですね。奥深いです。
ここが見つかって良かった。
おかげでこの映画も好きになれました。
ありがとうございました。
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 こちらこそ、来ていただいて感謝しております。読んで頂いて、コメントを残していただけるというのは本当に励みになります。

 世にはまだ未見の素敵な映画がたくさんあるはず、そう思って時間を見つけては映画観賞を楽しんでいます。更新はのんびりですが続けていきますので、また、機会がありましたら、ご訪問くださいね。
Posted by 管理人Naoko.H at 2010年11月21日 19:06
「どっちがマシかな?
 モンスターのまま生きるか
 善人のまま死ぬか」

スコセッシとディカプリオの永遠のテーマ「狂気」ですね

今、国会で「暴力装置」が話題になってますが、
国家に暴力がなければ、秩序が得られなかったのが近代であり...

憲法第9条によるロボトミーまで行かないですが、
安保による外交の最終カードをアメリカに託している日本が
どうなっていくのか興味があります

東京は100km圏内に3600万人が暮らす世界最大の経済圏
をもっていて、世界一のコンパクトシティを形成しています
金で買えないのは治安だといいますが、こんなに治安の良い国も
ない気がします。満員電車をみんな平然と乗ってる。

「狂気」のスイッチはなんなんでしょうか?

子供を見ていると、残酷なことを平気でするけれども
衝動的な行動が将来の自由を奪うことを教えてあげると考えるようになります

インターネットによって、地域ごとの慣習がシェアされることで、
平和な時代に突入するのでしょうか?

とりあえず、歴史が嫌いな人は「狂気」を発生しやすい人かもしれない
自分の都合の良いように解釈したがる人と精神患者の違いは、
ファンタジーを心に留めるか、現実に行動しちゃうかの差しかないのか

精神は自由に、行動は秩序をもって!

人間ってなんなんでしょう。ベーシックインカムは実現するんだろうか。

とりあえず、まとも(?)な状態で世の中を観察してみるのが日課です。

管理人さんの記事は面白いです。また来ますねー
Posted by George.Nishimura at 2010年11月22日 00:51
George.Nishimuraさん

 こんにちは。
 コメント頂きましてありがとうございました。

 世の中にはさまざまな問題があります。ひとつひとつは全く別個の問題のように思えても、それらを抽象化していくと実は根底でつながっている部分が見えてきたりするものです。

 社会における自分自身の立ち位置について、一定のスタンスをもっておくということは非常に大切なことだと思います。どのような問題を突きつけられたとしても、そこを起点に考えることができる。

 そして、同時に、物ごとを多角的に見る視点を大事にしたいものですね。自分の意見に執着し、他の考え方を拒否してしまっては視野は広がりませんし、問題を解決することはできません。

 最後に、なりますが、マーティン・スコセッシ監督とレオナルド・ディカプリオのコンビにはこれからも期待したいですね。このコンビの映画には良作が多いと思います。たぶん、ほとんど見てますね。

 これからも、いろいろと映画のレビューをアップしていきます。のんびり週末の夜に更新することが多いですが、また、来ていただけたら嬉しいです。更新した日は更新情報と近況など何か一言、『映画レビュー集』トップページhttp://eiga-kaisetu-hyouron.seesaa.net/に掲載してますので、たまにのぞいてみてくださいね。
Posted by 管理人Naoko.H at 2010年11月24日 21:07
謎がたくさん解けました。
また遊びに来ます。

私のブログにURLを貼らせていただきました。
Posted by べてぃ at 2010年12月06日 11:20
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