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マルホランド・ドライブ

映画:マルホランド・ドライブ あらすじ
※レビュー部分はネタバレあり

 不可思議で、ユニークな世界観を持つ映画を多々、世に送り出してきた監督デウィッド・リンチ。「マルホランド・ドライブ」でもその腕をいかんなく発揮し、謎めいたストーリーを展開している。主人公の女性を演じたのはナオミ・ワッツ。「マルホランド・ドライブ」は彼女の出世作となった。本作は映画祭での評価も高く、2001年の第54回カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞した。

 あらすじ以降の『解説とレビュー』では、「マルホランド・ドライブ」の解説と謎解きをしています。この映画は決して、わけのわからない"アートな"映画ではありません。『解説とレビュー』では、「マルホランド・ドライブ」の全体像を概観した後、細かい部分の謎解きをしていきます。

dongato_woman_mujer_858797_tn.jpgマルホランド・ドライブ.11.jpgマルホランド・ドライブ,3.jpg
マルホランド・ドライブ,3.jpgabigfave_dongato_woman_858793_tn.jpgマルホランド・ドライブ.jpg


 ロサンゼルス、ハリウッド。深夜、マルホランド・ドライブを走る一台の車があった。乗っているのは黒い髪の女性、リタ。しかし、暴走する若者たちに巻き込まれ、リタの乗る車は事故に遭ってしまう。幸運にもリタは生きていた。彼女は命からがら現場を逃げ出し、そのまま住宅地へと降りていく。リタは、一軒のマンションへ忍び込むのだった。

 翌朝、ロサンゼルスの空港に1人の女性が降り立つ。ベティというこの金髪の女性は女優を目指してハリウッドへとやってきたのだった。彼女は女優である叔母の家へとやってくる。叔母が留守の間、彼女の家を借りる約束になっているのだ。

 しかし、ベティは家にリタがいるのに気が付く。リタはベティの叔母の知人だと嘘をつくが、実際には彼女は記憶喪失になっていた。リタに興味を持ったベティは彼女の記憶探しに協力することにする。




【映画データ】
マルホランド・ドライブ
2001年(日本公開2002年)・アメリカ,フランス
監督 デウィッド・リンチ
出演 ナオミ・ワッツ,ローラ・ハリング,ジャスティン・セロー,
アン・ミラー



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映画:マルホランド・ドライブ 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり

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(左)"ベティ"ことダイアン   /   (右)"リタ"ことカミ―ラ


★ダイアンの夢、辛い現実

 「マルホランド・ドライブ」のストーリーは"ベティ"ことダイアンの夢と妄想の産物です。マルホランドを生みだしたのは、ダイアンの愛した"リタ"ことカミ―ラとダイアンの現実に存在した愛憎劇でした。そして、この2人の悲劇を眺めていたのはカウボーイこと死神です。カウボーイはカミ―ラの死、そしてダイアンの死を見届け、「クラブ・シレンシオ」という舞台を用意して、カミ―ラとダイアンの悲劇を「マルホランド・ドライブ」というドラマに仕立て上げました。

 ダイアンの見た夢とは一体何だったのでしょうか。そして、彼女がどうしてそのような夢を見てしまったのか。ダイアンの夢の謎解きをしつつ、「マルホランド・ドライブ」のストーリーを整理してみましょう。

 ダイアンの見た夢は現実とは正反対の、何もかもがうまく行っているもう一つの並行世界でした。この夢の世界ではダイアンは女優の卵で、その叔母は名優として知られる女優です。才能に溢れたダイアンはオーディションで神がかり的な演技を見せ、監督やプロデューサーを圧倒する実力を持っていました。ダイアンには女優として成功する将来が見えていました。一方、カミ―ラは記憶喪失になり、ダイアンに頼り切りになっています。カミ―ラはダイアンの言いなりで、ダイアンの助けなしには何もすることができません。ダイアンとカミ―ラは愛し合うようになり、その幸せを邪魔する者はいませんでした。

 ダイアンは完璧すぎる、都合の良い現実を夢想し続けていました。現実は正反対、ダイアンの予想を越えて厳しいものでした。

 カナダの故郷を出て、やって来たハリウッド。そこは「夢の都」でした。ダイアンの夢は映画女優としてスターになること。しかし、オーディションを受けても、ダイアンの才能は認められることはなく、つまらない端役がせいぜいでした。かつてダイアンが故郷で夢見たような華々しいスクリーンでの活躍は望めません。一方、当時無名だったカミ―ラも、ダイアンと同じく、女優を目指していました。ダイアンとカミ―ラは同じ映画のオーディションを受けたこともありました。その後、主役の座を射止め、成功したのはカミ―ラ。カミ―ラは映画の撮影現場でダイアンに出会います。

 ダイアンにとってこれは運命の出会いでした。ダイアンはカミ―ラは愛し合うようになります。しかし、その幸せは長くは続きませんでした。カミ―ラは映画監督のアダムと出会い、恋人関係になったのです。カミ―ラはダイアンに対して、つれない態度を取るようになりました。カミ―ラとダイアンはアダムのことでケンカをするものの、ダイアンはまだ、2人の関係が修復できるという希望をもっていました。しかし、このはかない希望が葬り去られる日が来ます。カミ―ラはパーティにダイアンを招待し、アダムとの婚約を発表したのです。それだけでなく、ダイアンの目の前でカミ―ラが彼女の新しい女友達とキスをする様子を見たダイアンは激しいショックと憤りを隠せませんでした。

 そして、ついにダイアンは重大な決断を下します。彼女はカミ―ラを殺害する決心をしたのです。ダイアンはウィンキーズというダイナーで殺し屋の男に会い、カミ―ラの殺害を依頼しました。殺害は実行され、成功します。カミ―ラはこの世から消えました。カミ―ラの殺害が成功したサインは青い鍵。この鍵がダイアンに届けられたなら、それはカミ―ラの死を意味していました。

 殺し屋にカミ―ラの殺害を強い決意で依頼したダイアンでしたが、激しい後悔と自責の念にかられ、カミ―ラの殺害が失敗したらいいのに、と考えるようになりました。彼女は3週間もの間、まるで死んだかのように部屋に閉じこもり、カミ―ラとの理想的な人生を夢想し続けます。しかし、その夢が破られるときが来ました。死神がダイアンを起こしにやってきたのです。

 ダイアンはふらふらと起き上がりますが、もう彼女は抜け殻のよう。カミ―ラの幻影を見たり、過去の記憶を辿りながらソファに座りこんでいました。そして、目の前のテーブルの上には青い鍵。カミ―ラの殺害は成功していたのです。そこに、激しいノックの音が聞こえてきました。ダイアンを探していたという警察でしょうか。追い詰められたダイアンはついに自殺してしまいました。

 ダイアンは現実から逃げるために夢想し続けていました。破れた女優への夢、そして、何より愛するカミ―ラを自ら手を回して殺してしまったことへの後悔。しかし、現実から逃げれば逃げるほど、心の重荷はダイアンを押し潰していきました。ラスト、ダイアンの部屋にドアをノックする音が響き渡り、扉の隙間から忍び込んできた2人の小人が大きくなってダイアンに迫ってきました。

 この2人はダイアンがロサンゼルスへ来る途中のフライトで一緒になった夫婦でした。現実には、ドアをノックしていたのは恐らく警察です。警察はダイアンを捜査対象に置き、彼女をマークし続けていました。夢の中で、ダイアンの家にカミ―ラとともにやってくる途中でカミ―ラが怯えていた車の中の2人の男は刑事だったのでしょう。警察に追われているという強迫観念、そして、カミ―ラを殺した罪悪感。これらに追われて、ダイアンは死を選択しました。

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★夢・回想・現実

 「マルホランド・ドライブ」はダイアンの夢(妄想)、回想、現実の3つの部分から成り立っています。大きく分けて、死神がダイアンを起こしに来るまでが主にダイアンの夢、そして、それ以降は回想と現実が入り混じっています。この3つを見分ければ、難解なストーリーを理解する助けになるでしょう。

 例えば、ダイアンを訪ねてきた隣人の女性は警察がダイアンを探していたことには触れますが、ベティとリタという2人の女が訪ねてきたことには全く触れません。ということは、ベティとリタという女の訪問は現実にはなかっただろうということが推測でき、ベティとリタの訪問の場面はダイアンの妄想に過ぎなかったということが分かります。

 また、ダイアンの夢は現実にあったことをベースにして展開していることがあります。例えば、カミ―ラがマルホランド・ドライブを走行中に車を止められるシーンは、ダイアンの妄想ですが、これは、マルホランド・ドライブの途中で車を停められたダイアンがカミ―ラにパーティへと連れて行かれる現実に起きたことの焼き直しです。

 また、ウィンキーズで2人の男性が会話するシーンは、ダイアンの妄想ですが、これは、ウィンキーズでダイアンが殺し屋にカミ―ラ殺害を依頼する現実の出来事に似ています。さらに、カミ―ラがウィンキーズのウェイトレスの名札を見てダイアンという名前を思い出すシーンは、ダイアンの妄想ですが、これは現実にダイアンがウィンキーズのウェイトレスのベティという名札を見るシーンによく似ています。また、ダイアンの妄想の中での名前ベティはこれに由来するものです。

 ダイアンは「こうであったら良かったのに」という自らの強い願望も夢の中に織り込んでいました。彼女の願望ですから、夢の中では現実と正反対の出来事が展開することになります。例えば、夢の世界では、カミ―ラの恋人・アダムには妻がいることになっています。しかも、妻は家に出入りする業者の男と不倫中で、情事の最中にアダムが踏み込んでしまうという喜劇のような落ちまでついています。さらに、監督の仕事は彼の思うようにはいっておらず、映画の制作会社からの圧力を受け、キャスティングを巡ってトラブルになっていました。このように、ダイアンの夢の中では、現実と異なり、アダムは散々な目に遭っています。これは、恋人のカミ―ラを奪われたダイアンのアダムに対する復讐心、そしてダイアンと違い、映画の仕事も順調なアダムに嫉妬する心が生み出したものです。
 
 また、映画の主役女優として選ぶように圧力を受けたアダムが選んだ女優はカミ―ラ・ローズ。この"カミ―ラ"は現実にはカミ―ラの友人の一人です。彼女はアダムとカミ―ラの婚約発表の席で、ダイアンの目の前でカミ―ラとキスをしていました。ダイアンとしては、カミ―ラがアダムと婚約したことと同じか、それ以上にカミ―ラとこのカミ―ラの友人の親密な関係に傷つきました。ダイアンの夢の中では、カミ―ラとその友人は知り合いですらなく、カミ―ラと親密な関係になる可能性すらありません。加えて、ダイアンとカミ―ラのどちらも主演女優に抜擢されることはありません。現実には、カミ―ラとダイアンの関係はカミ―ラが人気女優になるにつれて崩れていきました。ダイアンは2人の関係を崩す要素を排除しようとしていました。これもダイアンの願望が反映された部分です。

 他には、褒められすぎるオーディションのシーンや、間抜けすぎる殺し屋のシーンがあります。夢の中でのダイアンのオーディションは大成功です。プロデューサーは手放しで彼女を称賛し、監督のボブは慎重な言い回しながらもダイアンの才能を認め、さらにキャスティングエージェントにスカウトまでされる、というまさに夢のような展開になるのです。ハリウッドに来て初めてのオーディションで一気にスターダムへの道筋をつけるという夢想。これはまさにダイアンの抱いていた願望そのものであり、逆に言えば、これはダイアンの経験した現実の裏返しであるということになります。

 現実にはオーディションは失敗でした。ダイアンはボブに才能を認められることはなく、リニーにスカウトもされません。ダイアンは自らの才能を認めない監督に深い失望感を抱きました。夢の中でダイアンをスカウトしたキャスティング・エージェントのリニーはボブの才能をけなす発言をしています。これはダイアンが現実世界で感じたボブに対する失望感が反映されたものです。ダイアンの才能を見出せない監督のボブ―ダイアンは自分に女優の才能があると思っていた―をリニーの口を借りてけなすことで、ダイアンは傷ついたプライドを取り戻そうとしていました。

 間抜けすぎる殺し屋のシーンもダイアンの夢であり、また、彼女の願望が反映したシーンです。殺し屋はターゲットを殺す際にへまをして、次々に他人を巻き込み、大騒動を引き起こしてしまいます。まるでコメディ映画のワンシーンを見ているかのような展開です。このどたばたコメディの筋書きを書いたのはダイアン。女優志望だった彼女らしい"映画のような"展開です。もし、現実の殺し屋が間抜けで仕事のできない男だったら良かったのに、そう願うダイアンの心情が反転して反映されたシーンの一つです。

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★ダイアンの回想

 さらに、ダイアンは過去に起きた出来事を思い出していることがあります。これは、ダイアンの夢あるいは妄想とは異なり、現実にあった出来事をダイアンが回想しているシーンです。これらの回想シーンはおおむね、真実なのですが、細部についてはつくり変えが起きています。誰しもそうですが、しばしば、過去の記憶というものは完全なものではなく、部屋のインテリアやレストランの食器などの、ストーリーの大筋を外れる部分は記憶がおろそかになるものです。ダイアンも全く同じでした。そのため、ダイアンの回想シーンをよく見ていると、小物がおかしいところが何点か出てきます。例えば、茶色のコーヒーカップ。下部が膨らんだ形のこのコーヒーカップは「マルホランド・ドライブ」中、3回出てきます。

 最初の登場シーンはウィンキーズで2人の男性が会話しているシーン。2度目はダイアンが自宅でコーヒーを淹れているシーン、そして最後はやはりウィンキーズでダイアンが殺し屋にカミ―ラ殺害を依頼しているシーン。確かに、ダイアンの家のコーヒーカップとウィンキーズのコーヒーカップが同じものだったということも考えられなくはありませんが、あまりにも奇妙な一致、と言わざるを得ません。

 この3つのシーンのうち、現実の場面は2度目のシーンだけです。1つめのダンともう1人の男性が話をしているシーンはダイアンの夢の中ですし、3回目のダイアンと殺し屋のシーンはダイアンの回想。従って、このコーヒーカップは本来、ダイアンが家で使っているカップであるということが分かります。

 また、茶色のコーヒーカップと同じ現象が起きている部分があります。それはダイアンとカミ―ラがソファで戯れたのち、アダムのことでいさかいをするシーンです。2人がいるソファの前に置かれたテーブルにはピアノを象った灰皿が置いてあります。しかし、この灰皿はダイアンと部屋を交換した隣人女性のものでした。彼女はダイアンの部屋に置きっぱなしだった荷物を引き取りに来た際に、この灰皿も持って帰っています。しかし、このシーンの時点では、ダイアンは部屋を交換していないはずです。

 なぜそれが分かるかというと、隣人女性の荷物と彼女の言動です。彼女は3週間も呼び鈴に応じなかったダイアンを責めていました。部屋に荷物があるのに引き取れないからです。ということは、ダイアンは彼女と部屋を交換した直後に失踪したか、部屋に閉じこもっていたということになるでしょう。荷物を早く引き取りたがっていた隣人の言動を考えると、部屋を交換してから何日も他人の部屋に自分の荷物を放置しておくことは考えにくいからです。一方、カミ―ラとダイアンはケンカした後、カミ―ラからの電話を受けてダイアンはカミ―ラの婚約発表パーティへと行っています。そして、ダイアンはカミ―ラ殺害を決意し、殺し屋にカミ―ラ殺害を依頼する、という流れになるわけです。

 ケンカから殺し屋の依頼に至る一連の流れが1日や2日で過ぎるものであるとは思えません。ケンカした時点より前にダイアンが部屋を交換したなら、隣人は荷物を取りに来る余裕があったはずです。ダイアンが深刻な精神状態に追い込まれるのはパーティに出席して以降のことです。このような状況の中では、ダイアンが部屋の交換に応じるような余裕があるとは思えません。従って、ダイアンが部屋を交換したのはケンカの後、という推論ができます。そうだとすると、カミ―ラとケンカをしたとき、ダイアンの部屋にこのピアノ形の灰皿があるのは本来はおかしいのです。従って、このシーンもダイアンが回想しているシーンであるということになるでしょう。

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★ウィンキーズの謎

 ごくごく平凡な、町のダイナー、ウィンキーズ。しかし、ここではさまざまな出来事が起きていました。このダイナーが初めて登場するのは、2人の男性が会話をするシーンです。そこでは、1人の男が夢の話をしていました。彼は2度、このダイナーを夢で見たと言い、相手の男性がカウンターのところにいて、怯えているのを見て自分はもっと怖くなった、と話しています。そして、その恐怖の原因は店の裏にいる男のせいだというのです。

 さて、実際に店の裏には不気味な姿の人間がいました。黒ずんだ顔にはまるで生気がなく、生きている人間とは思えないような恐ろしい顔をしていました。

 次にこのダイナーが登場するのはベティことダイアンと、リタことカミ―ラが警察に電話をするシーンです。ダイアンは警察にマルホランド・ドライブで事故があったかどうかを問い合わせるため、ダイナーの外に設置された公衆電話を使用していました。そして、その後、2人はウィンキーズで食事をしています。そこで、カミ―ラはウィンキーズのウェイトレスの名札を見て、"ダイアン"という名を思い出すのでした。

 最後にウィンキーズが登場するのは、ダイアンと殺し屋の男が会っているシーンです。2人は待ち合わせ場所にウィンキーズを選び、ここでダイアンはカミ―ラ殺しを依頼することになりました。
 これらのエピソードが意味するところは何でしょうか。

 まず、3つのエピソードのうち、実際に起きたのは1つしかないことに注意する必要があります。それはダイアンと殺し屋の面会のシーンです。この部分だけは現実に起きた出来事でした。それでは、残り2つは何だったのかというと、これらはダイアンの妄想です。

 1つめのエピソード、2人の男性のシーンにダイアンは登場しません。しかし、このシーンこそ、マルホランド・ドライブの謎を解く上で、もっとも重要なシーンであるとも言えます。まず、夢を見たと話しているダンという男は現実にダイアンが見かけたことのある男性でした。彼は、ダイアンが殺し屋にカミ―ラ殺しを依頼しているちょうどそのときに、ダイナーに居合わせ、ダイアンと目が合っているのです。ダイアンは店の入り口側に向かって座っていました。彼女はカウンターで支払いをしようとしているダンにたまたま目を遣り、ダンと視線が合ってしまいます。

 ダイアンとダンが知り合いだったかどうかは定かではありませんが、恐らく、ダンはダイアンと何の関係もない、偶然居合わせただけの人物であったのでしょう。ではなぜ、ダイアンの妄想に出てくるほど、ダンはダイアンに強い印象を与えたのでしょうか。それは、ダイアンが今まさに、カミ―ラを殺すという重大な決断を下した瞬間にダンと目があったからです。殺し屋にカミ―ラの写真を渡し、カネも渡した。そして、殺し屋が青い鍵をダイアンに取り出して見せた次のタイミングでダンと目があった。ダイアンの妄想の中で、ダンはカウンターのところにいる相手の男性が怯えているのを見て自分も怖くなった、と話しています。しかし、実際には、怯えていたのはダイアンでした。ダイアンが踏み出してはならない道へと踏み込んだそのときに、ダイアンを直視していたダンの印象はダイアンに深く刻みつけられ、ダンはウィンキーズの裏手に男がいるかどうか確かめに行くという役割を果たすことになりました。

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★黒い男は何者か

 では、このウィンキーズの裏手にいた不気味な黒い男は一体何者でしょうか。この男は「マルホランド・ドライブ」の中で2度、登場しています。1度目はダンがウィンキーズの裏手に行ったとき、そして2度目はダイアンが妄想から覚め、カミ―ラとの過去を回想した後でした。

 この黒い男はダイアンの後ろめたい気持ちや自責の念が形となって現れたものです。ダイアンの妄想の中では、ダイアンはときに別人となって行動しています。ウィンキーズのエピソードでもそうでした。繰り返し夢を見、ウィンキーズの裏手にいる男に怯えるダンはダイアンその人です。彼女はカミ―ラを殺してしまったという罪悪感に苛まれ、眠れない日々を送っていました。朦朧とするダイアンの意識のなかで、蘇るのは殺し屋にカミ―ラの殺害を依頼したあの場所、ウィンキーズです。あのとき、カミ―ラ殺しを依頼しなければ…と、ダイアンは後悔していました。あのダイナーが全ての出発点になった、その思いがダイアンの中にありました。黒い男がウィンキーズの裏手に潜んでいるのはそのためです。

 また、ダイアンの妄想の中で、ダイアンとカミ―ラがダイアンの部屋を訪れたとき、寝室に横たわる死体は黒くミイラ化した顔でした。この顔はウィンキーズの裏手にいた黒い男の顔と同じようにも思えます。実際にはダイアンが寝ていただけでした。この段階ではダイアンはまだ生きています。自殺するのは妄想から覚めた後のこと。生きているダイアンが黒い男と同じ顔をしていたというのはこれもまた、ダイアンの罪の意識が現れたものであると言えます。それと同時に、ダイアンにはもっと利己的な欲求がありました。それは妄想から覚めたくないという願望です。少しづつほころびかけてはいますが、妄想の世界では何もかもがうまくいっている。現実には目覚めたくない。その思いが、ベッドで眠るダイアンの顔を分からなくさせた理由であり、ウィンキーズの裏手の男を確かめに行ったのがダイアン本人ではない理由でした。

 2度目に現れたウィンキーズの裏手の男は青い箱を紙袋に入れ、足元へボトリと落とします。地面に落ちた紙袋からは2人の小人が笑いながら出てきました。この小人たちはダイアンの家に入りこみ、最後にはダイアンを自殺へと追い込んでいきます。

 青い箱はダイアンにとって、青い鍵をカミ―ラの殺害成功の合図以外の用途に使うことのできる唯一の道でした。その箱を紙袋に入れて捨てるということは、ダイアンがカミ―ラを殺してしまったという現実を変えることはできないことを悟ったことを意味しています。そして、紙袋に入れて捨てられた青い箱からでてきた小人たちはダイアンの焦燥感や危機感、世間の目の現れです。カミ―ラを殺したダイアンがこれから受けるであろう警察の追及や、世間の非難…ダイアンはカミ―ラを殺した罪の意識に加えて、その後に巻き起こる数々の試練を思い起こし、その圧力に耐え切れずに自殺していきました。

 黒い男はダイアンその人だったのです。
 
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★青い箱から出てきた小人たち

 青い箱から出てきた2人の小人はダイアンが空港でたまたま会ったあの老夫婦です。彼らはダイアンの部屋に入り込み、最後はダイアンに叫び声を上げながら迫ってきました。この老夫婦はダイアンが希望に満ちあふれていた時期に出会った人たちです。これからハリウッドで成功するのだという強い意気込みでロサンゼルスに降り立ったダイアンに対して、老夫婦はダイアンを励まし、期待の言葉をかけてくれた人たちでした。しかし、現状はどうでしょう。女優の仕事は鳴かず飛ばず、愛する人にも裏切られ、ダイアンはどん底です。しかも、その最愛の人を殺害するという行為にも及んでしまった。かつて、ダイアンがまとっていたあの空気、田舎から出てきたばかりの、清純で、夢に溢れて輝いていたあの雰囲気はもうどこにもありません。

 今のダイアンを見たら、あの老夫婦は何と思うでしょうか。きっと、ダイアンのことを大きな夢を見過ぎた愚かな娘と蔑み、嘲笑するに違いない。それだけではない、女優になれるなどと浅はかにも思いこみ、夢を語っていた私を、「女優になどなれるわけがないのに」と初めからバカにしていたのだろう、とダイアンは思い込みました。ダイアンの妄想の中で、老夫婦は彼女と空港で分かれた後に、タクシーの中で膝を叩いていやらしく笑っています。
そして、それは老夫婦のダイアンに対する評価というだけでなく、ダイアンに対する世間の評価でもあるでしょう。ダイアンにとって、あの老夫婦は世間の目、愚かなダイアンに対する社会的評価の象徴的存在でした。

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★ダイアンの夢見たハリウッド―映画の冒頭から―

 「マルホランド・ドライブ」の冒頭はダンスを踊る人々のシャドーで幕を開けます。そして、突如、中央に現れるのは白い人影。3人一組のものと、ダイアン単独のものがあります。3人のうち、中央にいるのはダイアン。これらはダイアンの故郷、オンタリオで行われたダンスパーティーの様子を表したものです。ダイアンはこのパーティでクィーンに選ばれたのでしょう。3人の人影のうち、ダイアンの両脇にいるのは年格好から見て彼女の両親ではないでしょうか。そして、中央に1人だけ現れるダイアンの白い影は女優として成功し、賞賛を浴びる将来のダイアンの姿。これはダイアンの追い求めた姿でした。

 つまり、故郷のパーティで女王に選ばれ、女優になる決心をして、ハリウッドへと夢を抱いてやってきたダイアンの前半生を描くオープニングになっているのです。両親とともに賞賛を浴びる姿が出てくるのは、両親の娘に対する期待をダイアンが感じていたことを示しているのかもしれません。だとすると、ダイアンを死へと追い込む老夫婦の姿には、両親の期待を裏切ったことに対するダイアンの自分自身に対する失望も含まれていると考えることもできるでしょう。

 白いダイアンの幻影は結末にも現れます。ここでは夜景をバックに、やはり、賞賛を浴びるダイアンの姿。これはもはや、幻です。命を失ったダイアンにはもはや永遠にかなえられぬ夢となってしまいました。

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★美しいウェイトレスたち

 ウィンキーズのウェイトレスにも、少し注目してみましょう。ダイアンの夢の中で出てくるウェイトレス「ダイアン」や、ダイアンが殺し屋と会っているときにテーブルのそばで食器を落として謝っていたウェイトレス「ベティ」。彼女らが"美しすぎる"とは思いませんか。一介の町のダイナーで勤めるウェイトレスがどうして、こんなに美人なのか。そして、ダイアンが殺し屋との面会という気の張る場面にも関わらず、「ベティ」というウェイトレスの名を覚えていたのはなぜなのか。よほどの常連客でもない限り、ウェイトレスの名前を覚えていることはないでしょう。

 ハリウッドにはたくさんの俳優や女優の卵たちが集まってきます。皆、それぞれに夢を抱いて、この街にやってくるのです。しかし、そのうち、夢を叶えることのできる人間はごくごくわずか。残りはあきらめて別の職を探すか、たくさんのオーディションを受けながら、いつか来る日を待ち続けるしかありません。ハリウッドにはたくさんの"ダイアン"がいるのです。ウィンキーズのウェイトレスが美人なのは、彼女が女優志望だからでしょう。いつか、夢のかなうときを待って、ウェイトレスで食いつないでいるか、それとも、もう、女優になる夢をあきらめているのか。ダイアンもウェイトレスをした経験があるのかもしれません。端役ばかりで映画の仕事だけでは食べていけないダイアンと、ウィンキーズのウェイトレスは同じ境遇にある。仲間として彼女を見るダイアンの目が、ウィンキーズのウェイトレス・「ベティ」の名前を記憶に残したのかもしれません。

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★「彼女だ」―This is the girl

 アダムがオーディション会場に来たダイアンをじっと凝視していたのはなぜでしょうか。また、アダムが死神に言われた通り、「彼女だ」と言ったのは仕事を失いたくなかったから、でしょうか。

 アダムがオーディション会場に来たダイアンをじっと見る場面があります。ダイアンは途中で抜け出したときも、アダムは首をひねってダイアンを凝視し続けていました。これはダイアンに見覚えがあったからという理由ではありません。このシーンもあくまで、ダイアンの頭の中で構成されたもの、つまりダイアンの妄想です。従って、ダイアンの妄想の中のアダムはダイアンとは初対面のはず。しかし、ダイアンの中にはカミ―ラを殺した自分をアダムはきっと恨んでいるだろうという想像がありました。アダムは自分を憎んでいるに違いない、この思いがダイアンの妄想にも影響を与えます。

 また、アダムはあまりにも、現実世界でダイアンの愛憎に深く関わっていた人物でした。妄想の世界であれ、これ以上、アダムに深入りすると、この妄想世界が崩れ、恐ろしい現実に向き合わねばならなくなる。ダイアンはその恐怖に怖じ気づき、オーディションを受ける前に現場から逃げ出してしまったのです。

 また、アダムは結局、映画製作会社の意向に沿い、主演女優を入れ替えるという決断をしました。その言葉は「彼女だ(This is the girl.)」。これはダイアンがカミ―ラ殺しを依頼するときに殺し屋に使った言葉と同じです。ダイアンの妄想は常にカミ―ラを殺さなければよかったという思いから始まっています。殺し屋にあの言葉を発しなければ、カミ―ラは生きていたのに…。ダイアンはこの言葉をアダムに使わせることで、自分が発した言葉だという記憶をすり替えようとしました。ダイアンは少しでも苦しい記憶から逃れたかったのです。そして、この醜い言葉を憎い恋敵であるアダムに言わせ、苦渋の決断をさせることで、ダイアンはある種の復讐心をも満足させることができたのです。

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★人間の態度はある程度、その人間の人生を左右する

 「人間の態度はある程度、その人間の人生を左右する」。これはカウボーイこと、死神の言葉です。彼は「うまくやれば君はもう1回、私に会う。間違えたらもう2回会うことになる」とアダムに告げました。ダイアンの妄想の中でのアダムはダイアン自身でもあります。死神はアダムに向かってというよりは、ダイアンに向かって話していました。

 ダイアンの態度はどういうものだったでしょうか。カミ―ラの殺害を依頼し、それが成功した後、ダイアンがとった行動は現実逃避の一言につきます。過ぎ去った日々を後悔し、何とか、都合のいい展開を夢想する―彼女はどうしようもなく追い詰められた現実を直視することはできませんでした。

 ダイアンの最大の過ちは自分自身が行ったことを冷静に受け止めることができなかったこと。ダイアンは常に逃げていました。刹那的に犯した過ちであれ、それを後から振り返ることのできない人間は、また同じ過ちを繰り返します。

 ダイアンは死神の警告を受けた後も、態度を改めることはできませんでした。ダイアンは「間違えた」のです。彼女は結果的に、牧場で死神に会ったのち、2度、死神に会うことになります。1度目はカミ―ラとアダムの婚約発表がされたパーティで、2度目はベッドで眠るダイアンを死神が起こしに来たとき。ダイアンは妄想から自ら目覚めることができませんでした。ダイアンが死神の警告を聞き入れ、現実を見ることができたなら。それとも、辛すぎる現実を前にしては、死が唯一の道だったのか。

 死んだ方がいいかもしれない、そんなふうに思ってしまうほど辛い現実を目の前にしたとき、いばらの道を生きるのか、それとも安息の死を選ぶのか。どちらの道を取るか、それは各自の選択にかかっています。

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★クラブ・シレンシオ

 クラブ・シレンシオ。このクラブは、生者と死者の同時存在が許される異空間。このクラブへとダイアンを導いてきたのはカミ―ラの方でした。ダイアンはこのクラブの前座を務める男の口上を聞いているうちに、震えが止まらなくなり、ひどく怯えた様子を見せています。ダイアンはこのクラブに恐怖を感じていました。それは、この心地の良い夢から現実に引き戻されてしまうという恐怖です。

 前座の男の口上は、「楽団はいません、これは全部テープです。オーケストラはいません、これは全部まやかしです」というものでした。彼は今見ているもの、あるいは聞こえている音がすべて嘘であると言っているのです。ダイアンがカミ―ラと現在築いている愛情関係や、今の2人の暮らしが全部まやかし、全部嘘だとしたら…。男は口上を述べたのち、急に顔つきを変え、恐ろしい表情を見せます。青白い閃光、白い煙、そして彼の形相からも、彼が人間ではないことが分かるでしょう。

 前口上の男の後は泣き女の登場です。彼女は「あなたを想って泣いているのよあなたはさよならを言って私を1人置き去りにした…」と感傷的な歌を歌い、号泣して倒れて見せます。ダイアンとカミ―ラもやはり、抱き合いながら泣いていました。これらの意味することは何でしょうか。泣き女が倒れ、歌うのを止めても、歌はそのまま聞こえてきます。ここで思い出されるのは前口上の男の言葉。「これは全部テープです…これは全部まやかしです…」現実のダイアンの心情をそのまま歌にしたような歌詞、大げさに泣く泣き女。そして、カミ―ラとダイアンがこの歌を聞いて泣いている。まるで、カミ―ラがダイアンの苦しかった心情を察し、ダイアンのしたことを赦し、慰め合っているようにも思えます。これらの情景が全部嘘だとしたら。

 現実のダイアンを考えてみましょう。ダイアンはカミ―ラを殺した殺人者です。殺されたカミ―ラが真実を知ったら、決してダイアンを赦しはしないでしょう。あるいは、深く傷ついていたダイアンの心情を知ったら、カミ―ラを殺したことを赦してくれるでしょうか?ダイアンは自分がした殺人という行為をカミ―ラに赦してほしいと願っていました。そして、その殺人がどうしようもない辛い心情から発したものであることを理解してほしいとも思っていました。

 泣き女の歌は、ダイアンの身勝手な願望を反映したものでした。死神は、歌い手が倒れても歌が聞こえてくるという幻想をダイアンに見せることで、今、彼女がいるのが妄想の世界であり、カミ―ラの赦しはその妄想の一つに過ぎないことを警告したのです。あの前座の恐ろしい男は死神、またはその意を受けた者。クラブ・シレンシオで前座の男が白い煙と青い焔に包まれて消えるまで、ダイアンはけいれんを起こして、ガタガタと震えていました。ダイアンが怯えていたのは、前座の男ではありません。彼女が怯えていたのは、「現実」という恐怖。「全部まやかしです」と警告する前座の男はダイアンを居心地のいい夢の世界から現実へと連れ戻しかねない、その意味で、ダイアンにとって危険な存在でした。

 カミ―ラがマルホランド・ドライブで事故に遭ったとき、ダイアンが自殺したとき、そして、前座の男が消えるとき…全てのシーンに白い煙が出てきました。そして、ダイアンが自殺したときと前座の男が消えるときには青い光が見えます。そして、ダイアンを現実へと連れ戻すきっかけとなるあの小さな箱も青い色をしていました。青い色は死神の象徴、白い煙は死が訪れたことを意味しています。

 さて、青い箱が出てきたのはこのクラブから帰宅した直後のことでした。青い鍵の使い道。それは殺人の証ではなく、箱を開けること、であれば良かったのに。しかし、その箱の中は暗闇。暗闇の中には何もなく、ダイアンは死神によって、現実に連れ戻されたのでした。

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★カミ―ラになりたかったダイアン

 ダイアンの夢は青い箱を青い鍵で開けることで終焉を迎えます。このとき、箱を開けたのはダイアンではなく、カミ―ラでした。ダイアンは消えていなくなっていたのです。なぜでしょうか。

 端的に言ってしまえば、ダイアンがカミ―ラになったからです。ダイアンはカミ―ラに憧れていました。彼女のようになりたい、彼女のように生きたい。カミ―ラはダイアンにとって、愛情の対象であるとともに、成功した女優の象徴でもありました。同じオーディションを受けていたころ、2人とも無名の新人でしたが、カミ―ラは一流女優として認められ、成功を収めました。一方、ダイアンは女優の道を諦めねばならない状況へと追い込まれています。カミ―ラへの愛情には強い憧れ、同一化への願望が包含されていました。それが表れているのはダイアンの服装です。カミ―ラはいつも、黒い服や赤い色を好んで着ていました。カミ―ラの婚約発表パーティに呼ばれたときのダイアンはカミ―ラと同じようなデザイン、そして色の、黒のスリップドレスを着ています。ダイアンはカミ―ラに寄り添いたいという強い願望を抱いていたのです。

 一方、ダイアンは自分自身に対しても、強い自信を抱いていました。仮にも、女優を目指し、田舎からわざわざハリウッドまでやって来た女性です。自身の容貌や能力にある程度の自信を持っていたはずです。そのダイアンの外見をカミ―ラが真似るということはダイアン自身をカミ―ラが認めたということになります。

 夢の中でのダイアンは最初、黒い服の多いカミ―ラとは正反対の白や水色といったパステル調の明るい色の服装ばかり。しかし、カミ―ラと親密になるにつれて、赤系統の服を着るようになります。一方のカミ―ラは、金髪のウィッグを着けてダイアンのような短い金髪の髪型にし、ダイアンそっくりの外見になります。夢の中のダイアンとカミ―ラは互いに接近し、カミ―ラは精神的にダイアンに頼るのみならず、外見までダイアンに近づいてきました。そして最後、ダイアンは自分の存在を消し、カミ―ラと同一化します。クラブ・シレンシオから帰宅した後、ダイアンの姿が消えてしまったのはそのためです。ダイアンはカミ―ラと一体になりたいという願望を達成することができたため、姿を消したのです。

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★カミ―ラはアダムを愛していたか
 
 カミ―ラはダイアンを愛していました。それは、ソファで戯れるカミ―ラとダイアンの仲睦まじい様子からも明らかです。アダムのことでダイアンとケンカした後、ダイアンの家から追い出されたカミ―ラはダイアンを必死になだめようとしていました。カミ―ラはダイアンとの関係について、本気だったのです。しかし、カミ―ラの愛はダイアンの愛とは異なるものでした。ダイアンはカミ―ラのためならば、自分を犠牲にすることをいとわないでしょう。しかし、カミ―ラは違いました。彼女は全ての目標を女優としての成功という夢に賭けていました。彼女はその目標を達成するためなら、どんなことでもする女性です。例え、その行為によって、本当に愛してくれる人を失ったとしても。

 カミ―ラがアダムと結婚したのは、ダイアンよりもアダムを愛していたからでしょうか。ダイアンから、アダムへと心が移った結果でしょうか。カミ―ラは合理的な計算高いところのある女性です。彼女はアダムの映画のオーディションで主役の座を掴んだばかりでした。婚約パーティで出てくるアダムの家はハリウッドの高台に位置する豪勢な邸宅です。アダムは既に映画界で成功した監督でした。アダムの撮る映画には製作会社の強力なバックアップがあり、派手なPRがなされ、大規模な観客動員数が見込めるでしょう。アダムの映画で主演をするということは、人気女優としての道が確立されるということです。この仕事を成功させれば、カミ―ラには一流女優としての道が開けます。

 カミ―ラにとってはアダムの映画で主演することは女優になるための必須条件でした。カミ―ラはアダムに気に入られるためならなんでもしたでしょう。そのためにはダイアンとの愛を裏切ると言う決断まですることができました。それがカミ―ラという女性です。彼女が真実ダイアンを愛していたとしても、ダイアンとの関係はスキャンダルになりこそすれ、何もカミ―ラの得にはなりません。彼女はアダムとの映画を成功させて人気女優としての道を歩むため、ダイアンとの関係を切る決断をしました。

 人気女優になる条件は何でしょうか。ただ美しいだけではだめです。美人はたくさんいます。では演技力はどうでしょうか。高い演技力はもちろん要求されますが、美人で演技力が高いだけならば、ハリウッドにはごまんといるでしょう。やはりまだ足りないものがあります。自分のキャラクターや雰囲気、年齢に合った映画・役柄がそのときにあり、しかも、その役がオーディションで募集されているものであり、さらに自分がそのオーディションで選抜されること。タイミングやチャンスがあること、要するに「運」がなければ、"数多くいる女優候補のひとり"から抜けでることはできません。

 カミ―ラはその「運」を掴んだ女性でした。ダイアンには決して巡ってこなかった女優としての「運」です。カミ―ラは巡ってきた幸運を最大限に活用しようとしました。カミ―ラの掴んだ「運」は天から降ってくるものではありません。ダイアンとカミ―ラは監督ボブ・ルッカーの映画に出るため、同じオーディションを受けていました。それが分かるのは相手役俳優の言葉からです。オーディション会場にやってきたダイアンを見た彼は「黒髪の子とやったようにくっついてやりたいな」と監督に持ちかけます。この「黒髪の子」とはカミ―ラのことに他なりません。現実に、相手俳優が「黒髪の子とやったように…」とダイアンのオーディションで言ったのかどうかは分かりませんが、カミ―ラは現実のオーディションで、自らの持つ色気を最大限に利用して妖艶な演技を披露したのでしょう。単なる実力だけではなく、色目も遣って主役の座を獲得しようとしたカミ―ラの姿が見えてきます。

 ダイアンが夢の中のオーディションで披露した、迫力のある、それでいて魅惑的な演技は、ダイアンが想像したカミ―ラの演技の反映です。そして、これは同時に、純粋な実力だけで役を勝ち取りたいというダイアンの願望の表れでもありました。しかし、現実にオーディションを勝ち抜いたのはカミ―ラでした。この映画はカミ―ラの出世作となり、ダイアンは端役に甘んじることになります。このあたりの事情は、カミ―ラとアダムの婚約パーティの席で、ダイアンがアダムの母ココに説明しています。カミ―ラはこの作品をきっかけにして、人気女優への道を歩みだしました。そして、アダムと出会うことになります。

 カミ―ラの場合、運は「巡ってくるもの」ではなく、「引き寄せるもの」だったのかもしれません。その運を掴んだときに、人はその誘惑に負けて、以前の自分なら決してしなかった行動をしてしまうかもしれない。少なくとも、ダイアンにはこの「運」は巡ってきませんでした。ツキから見放され、一向に女優としての芽が出ないダイアンはいろいろと想像します。撮影現場でのカミ―ラの様子や、ハリウッドで暮らすうちに見聞きした噂などから、ダイアンは映画製作の裏舞台を想像するようになっていました。きっと、華やかな映画界の裏側には汚く、暗い世界が潜んでいるに違いない…。

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★映画界の裏側

 ダイアンの夢には製作会社に呼び出され、キャスティングについて圧力をかけられるアダムや、別部屋で報告を受ける側近を従えた奇妙な男の姿を見ることができます。アダムが圧力を受ける会議室の場面のイタリア系のカスティリアーニ兄弟は出されたコーヒーを巡ってあからさまに嫌みな行動をしますが、イタリア人とエスプレッソ、脅迫的な言辞をするイタリア系兄弟はマフィアを連想させるというあまりにテンプレートな組み合わせです。また、会議室の奥に鎮座する奇妙な男の部屋はがらんとした部屋で、人物とともに、どこか、現実離れしています。

 現実のダイアンは映画界の末端に位置する存在です。彼女には映画界の上部に位置する人間たちに近づく術はなく、人から聞いた噂や想像から、その世界のことを思い描くしかありません。ダイアンがオーディションに四苦八苦している一方、人気女優への道を駆け上がっていくカミ―ラを眺めていたダイアンは、この映画界という世界が単純な実力の見では上へ行くことができない世界であることを理解し始めていました。ハリウッドへの純粋な憧れのみを抱いてやってきたダイアンでしたが、女の魅力を武器にするカミ―ラの立ち回りを見ているうちに、次第に映画界には裏の権力が働いているのではないかと考え始めます。

 会議室の場面や奇妙な男の場面が戯画的、あるいはステレオタイプな描き方になっているのは、この場面が現実に基づくことなく、ダイアンの想像からのみ作られた場面だからです。

また、奥の部屋に鎮座する奇妙な男は事故現場からいなくなった黒髪の女"リタ"を探す電話をかけています。これを見る限りでは、この男は"リタ"の殺害を巡る黒幕であるようにも見えます。映画の主役を巡る裏の権力者たちの駆け引きは、女優の命をも左右する―ダイアンは自らの知らない映画界の裏側を想像しつつ、自分の指示したカミ―ラ殺害の責任を自分の見知らぬ世界へと放り投げたのです。

 しかし、男の電話は次々にリレーされ、最終的には赤いシェードのランプのある部屋へと取り次がれました。ベッドサイドのボードに置かれた赤いランプの下にはモザイク模様の灰皿。この灰皿はダイアンの部屋にあったもの…"リタ"の殺害失敗を知らせる電話は最終的にはダイアンの部屋へと取り次がれました。夢の中ですら、ダイアンはカミ―ラの殺害という重い責任から逃れきることはできなかったのです。

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★結末―「…これは全部まやかしです…」―
 
 「マルホランド・ドライブ」の結末は泣き女のあいさつで締められます。彼女があいさつしているのはクラブ・シレンシオの観客席にいる者に対して、です。では、観客席にいる者は誰でしょうか。

 それは「マルホランド・ドライブ」という映画を見ていた観客たちです。「マルホランド・ドライブ」はダイアンの夢であり、クラブ・シレンシオの出し物でもありました。ラストに映るクラブ・シレンシオの舞台は「マルホランド・ドライブ」が実は始めから舞台で演じられている演劇であったことを示唆しています。

 「…これは全部まやかしです…」という前座の男の口上を覚えているでしょうか。クラブ・シレンシオはダイアンの夢の中で登場してきますが、決して、ダイアンのためだけに存在するクラブではありません。このクラブは現実を受け止めきれない者のために死神が用意した特別なクラブ。このクラブに招かれた者はダイアンと同じく、死神の警告を受けることになります。すべてがまやかしである、という警告を聞きいれ、現実に向き合うことができるか、それとも…。

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この記事へのコメント
こんにちは。はじめまして
いつも楽しく読ませていただいております。

突然ではございますが
レビューのリクエストはできますでしょうか?

もしお願いできるのであれば「REC2」という作品をお願いしたいです。
Posted by 霧 at 2010年09月13日 13:06
 霧さん、コメントありがとうございます。コメントの反映とお返しがおそくなってしまったことをお詫びいたします。

 リクエストの件、お受けいたしました。

 2009年のスペイン映画「REC2」ですね。この映画の前作「REC」は観た記憶があります。ブレア・ウィッチ・プロジェクトに似た映画があると薦められて観ました。

 「REC2」の方は、まったく観たことがないため、少々、お時間を頂くことになります。すみません。
 今後とも、応援よろしくお願いいたします。また、お気軽にコメントくださいね。

  
Posted by 管理人Naoko.H at 2010年10月03日 21:45
ありがとうございます!
楽しみにしてます!

実は
数々のレビューを読ませていただき
前回観たにもかかわらずもう何本もまたレンタルしてるんですよ(笑)

レビューは
映画に付加価値を与えてまた観たくなる…素晴らしいものですね。

応援してます!
これからもよろしくお願いします。
Posted by 霧 at 2010年10月05日 18:50
霧さん、こんにちは。

レビューをみて再びレンタルされたとのこと、レビューを書く者としては大変に嬉しいです。

更新がんばっていきますね!
コメントありがとうございました。
Posted by 管理人Naoko.H at 2010年10月15日 20:57
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