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ブロークバック・マウンテン

映画:ブロークバック・マウンテン あらすじ
※レビュー部分はネタバレあり

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 1963年、アメリカ・ワイオミング。ブロークバック・マウンテンでの仕事にジャック・ツイストとイニス・デル・マーという二人の若者が雇われた。二人はこの山で過ごすうち、互いに愛情を持つようになる。やがて、季節が過ぎ、山での仕事が終わった二人は再会を約束することなく別れた。
互いに結婚し、家庭を持った二人はそれぞれの人生を歩み始める。子供も生まれ、日常の生活に追われる日々を送っていたイニスだったが、ある日、ジャックからの4年ぶりの手紙を受け取る。

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イニス・デル・マー(ヒース・レジャー)   /   ジャック・ツイスト(ジェイク・ギレンホール)

 イニス・デル・マーを演じたのはヒース・レジャー。ヒースは2008年に「ダークナイト」でジョーカーを演じた。狂気と哀しみを内に秘めたジョーカーと、イニス・デル・マーの役柄は全く違うように思えるが、両者に共通するのは、追い詰められ、ぎりぎりの淵に立たされた人間の苦悩である。ヒースは「ブロークバック・マウンテン」で、ジャックとの愛に揺れる青年の葛藤と苦悩を繊細に演じることに成功した。28歳にして夭折した彼の才能は惜しいというだけでは言葉足らずだ。

 ジャック・ツイストを演じるのはジェイク・ギレンホール。「遠い空の向こうに」(1999)では、宇宙ロケットを作るため、失敗を繰り返しながらも仲間と夢を追いかける少年を演じていたことが印象的だった。それから6年後、「ブロークバック・マウンテン」でイニスへの愛と現実の激しい落差に追い込まれていく青年の不安定な心理を絶妙な演技で魅せてくれ、演技派俳優として目覚ましい成長を遂げた姿を披露している。

■「ドニー・ダーコ」『解説とレビュー』はこちら
■「遠い空の向こうに」『解説とレビュー』はこちら



【映画データ】
ブロークバック・マウンテン
2005年(日本公開2006年)・アメリカ
監督 アン・リー
出演 ヒース・レジャー,ジェイク・ギレンホール,
アン・ハサウェイ,ミシェル・ウィリアムズ,ランディ・クエイド,
リンダ・カーデリーニ,アンナ・ファリス,ケイト・マーラ



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映画:ブロークバック・マウンテン 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり

★理想郷、ブロークバック・マウンテン

 現実と理想。その二つが完全な一致をみせることはまず、ありません。現実と理想のはざまに落とされ、叶えられぬ夢を見て苦悩する日々。イニスとジャックの二人もその苦しみを味わった者たちでした。

 ブロークバック・マウンテンには蒼く連なる峰々があり、人を遠ざける深い森があり、とうとうと流れる川がありました。外界から閉ざされた美しい自然のなかで、若者たちはブロークバック・マウンテンという一つの幻想を見ました。それは儚い夢のようで、掴みどころのないもののようでありながら、現実世界に生きる彼らを縛りつけ、苦しめる、断ち難い苦難の鎖ともなりました。「夢」や「理想」、そして何より「愛」をブロークバック・マウンテンに置き去りにせざるを得なかった二人の目の前には「現実」という高い壁が立ちふさがったのです。

 ブロークバック・マウンテンには自由がありました。純粋さ、美しさ、現実からの解放…母なる大地は二人にありのままの自分でいることを赦し、全てを包みこんで受け入れてくれました。外界から隔絶されたこの地だけでは全てのくびきから解放され、イニスとジャックは自らの感情に対して素直になることができたのです。ブロークバック・マウンテンでは、いわゆる「常識」は存在しません。既成概念から解放されたこの世界では、自らの振舞いが妥当であるかどうかは他人に判断されることはなく、自らの心だけが自分自身を先導していくことができるのです。イニスとジャックの関係が世間的にどう評価されるか、それが許される関係なのかを全く考慮する必要がなく、ただ、純粋な気持ちのままに生きることのできる世界、それがブロークバック・マウンテンでした。

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★既成概念の支配する世界

 しかし、このありえないほどの自由な感覚は山を降りたイニスとジャックにある種の恐慌状態をもたらしました。それは不安や恐怖でした。山を下りれば、そこは社会の目が光る現実の世界です。イニスとジャックの関係が一体、どのように評価されるかは誰かに聞くまでもなく、明らかなことでした。山を降りた2人は、恐ろしい秘密を抱え込んでしまったことに気が付いたのです。この今まで経験したことのない不安にどのように反応し、対処するかはイニスとジャック、それぞれに異なっていました。イニスは常に抑制的、ジャックはより素直な反応を見せました。その違いはやがて、二人にすれ違いを生じさせていきます。

 山を降りた地上の世界はブロークバック・マウンテンとは正反対の世界でした。この世界には、「常識」なるものが存在し、既成概念の枠から外れた者は容赦なく断罪されます。1960年代、保守的で閉鎖的なアメリカの田舎町で、イニスやジャックのような同性愛の関係に対する風当たりは強く、同性愛者は孤独感や疎外感を味わうのみならず、はては生命の危険すら覚悟しなくてはなりませんでした。

 イニスやジャックには「男性」という枠の中でのみの自由が許されていました。男らしい振舞いや嗜み、行動が要求され、「家族」という枠組みの中でも夫、あるいは父親として生きることが要求されます。自分の振舞いがその枠から外れてはならない。この枠組みに忠実であろうと努力したのはイニスでした。彼はカウボーイという自らの選んだ職業に忠実であり、家族に対しては良き夫、良き父親であろうと努力していました。しかし、その努力を重ねるたびに、イニスの心は悲鳴をあげていました。世間的に見て良き男性であろうとするために、イニスは最も痛烈で、真摯な感情を押し殺していたからです。

 それは、愛でした。ジャックへの感情は紛れもない愛でした。その感情はとても自然で、嘘偽りのないもの。純粋で無垢な愛でした。しかし、世間はその「愛」という感情にまで枠をはめようとします。同性同士の愛は世間一般の「愛」の既成概念からは大きく外れるものでした。

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★「自由」な社会

 アメリカは自由の国であることを国是としています。自由な国において、人には自由に生きる権利があるはずです。とりわけ、「愛」という人間の生存において最も核心的な感情の部分においては。しかし、社会には倫理、道徳、あるいは常識と呼ばれるものが存在しています。その枠におさまっている限りでは自由を享受できますが、既成の枠からはみ出す者に対しては有形無形の容赦ない非難が加えられることになります。

 社会の多数派に共有されている既成概念から外れた者は少数派です。少数派に対しては多数派から偏見の目が寄せられ、それは少数派に対する差別感情へと発展していきます。かくして、蔑まれた少数派には社会的、あるいは実力による制裁が加えられ、少数派は排除されるのです。これはある社会的な集団において保持されるべき既成の価値観を守るために起こる、一種の"浄化作用"といってもいいでしょう。

 社会は例外を好みません。なぜなら、既成の枠からはみ出た例外の存在は既成の枠内にいる多数派を混乱させ、不安にさせるからです。一般に言う、「自由な社会」には限界があり、「自由」の定義は思っているよりも、狭いのです。

 これはアメリカ社会に限った話ではありません。どの社会、コミュニティにも程度の差はあれ、当てはまる話です。確かに、時代、あるいは場所によって、「自由」の定義は変わるでしょう。1960年代初頭を時代背景に持つ「ブロークバック・マウンテン」では、同性愛の存在すら口にするのがはばかられるアメリカの田舎町が舞台になっています。しかしながら、現在では同性愛そのものの存在は認められ、そこから一歩進んだテーマが議論の対象とされるようにはなってきています。同性愛者の存在すら、社会的には認められなかったイニスやジャックの時代とは変わってきたといえるでしょう。

 このように、時代によって「自由」の定義が変わりはすれど、世間一般で容認される「自由」はあくまで、予測可能な範囲においてのみ、です。人は予測不可能な選択肢の可能性を認めようとはしません。社会は急激な変化を好みません。既成の価値観が覆される恐怖や、未知の可能性に対する恐怖は想像しやすく、世間一般に漠然と共有されやすいからです。

 今では、同性愛者の存在を前提にして、その受容の程度についての議論が起きています。同性愛者の法的な結婚を認めるか、同性愛者のカップルが養子をもらうことを認めるべきか…。法律婚あるいは養子といった問題は多数派の異性愛者に取って、「普通でない」事態です。これまでなら、ありえない、想定外の出来事です。同性愛者の結婚・養子といった選択肢はまだ、多数派の人々の不安をかきたてます。この意味において、既成の価値観の持つ重み、それが揺らぐことで社会に与える強い影響はジャックやイニスの時代と何も変わっていません。

 イニスやジャックの時代、同性愛はタブーでした。同性愛については黙して語らず、同性愛者であることを公言することは社会的な死を意味していました。同性愛に対する理解や認容度は低く、同性愛を認めるという選択肢は世間一般の選択肢にすら、なってはいなかったのです。時代は下り、欧米では同性同士の法律婚の是非が議論されるに至っています。カリフォルニア州では2008年6月から同性婚が可能となりましたが、その後、同性婚の是非を問う住民投票が行われ、同年11月に同性婚反対派が勝利しました。その後、再度の住民投票を仕掛ける同性婚賛成派の動きもあり、状況は流動的です。

 人々の選択肢の中に、少なくとも、同性愛の是認という選択肢は入ってきたといってもいいでしょう。同性愛の存在、そしてその容認という点については人々が予測しうる射程に入り、「自由」の一つとして認められうるということです。しかし、その先の法律婚となると、まだ二の足を踏んでしまう。一般的な「自由」に対する思考の中に、同性法律婚はまだ、選択肢には入っていないからです。

 「ブロークバック・マウンテン」は同性愛をテーマにした映画です。しかし、この映画の主眼は「自由そうでいて、実は不自由な社会」、に向けられています。「自由な社会」で許される自由は実はとても狭いのだ、ということを自覚しないまま、その既成の枠の中で生きることに満足している人間のどれだけ多いことか。「ブロークバック・マウンテン」は既成の価値観が疑われないままの「自由な社会」に対して一石を投じています。

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★叶えられた夢、そして崩壊

 ジャックは金を稼いで独立するためにブロークバック・マウンテンに働きに来ていました。彼の父は元ロデオの人気選手で、ジャックもロデオの選手です。イニスはカネを貯めてアルマと結婚するための資金にしようと働きに来ていました。彼は兄も結婚し、居場所がない、と語ります。ジャックも、イニスも、現実世界では肩身の狭い思いをしている男たちでした。カネはなく、社会的な地位もなく、稼げる仕事口もない。彼らが口にする「独立」あるいは「結婚」は自らに「男」としての社会的なステイタスを与えるために社会一般に必要とされる典型的な人生の道しるべです。ジャックもイニスも、独立、あるいは結婚という目標を口にすることで、現在の自分をなんとか社会の枠内に位置づけようとしていました。

 この言葉通り、後にイニスはアルマと結婚し、子供をもうけます。ジャックもラリーンと結婚し、彼女の実家の事業に携わるようになりました。しかし、安定したはずの彼らの暮らしは徐々に崩壊していきます。ブロークバック・マウンテンに来た時に語っていた夢はそれぞれが叶えたはずなのに、その夢は二人を幸せにできなかったのです。

 2人のすべてはブロークバック・マウンテンにありました。あの山で過ごした日々が彼らの真実でした。その感情に背いて行動しても、どこかに無理があり、きしみが生じてきます。テキサスの牧場主になるというジャックの計画にはイニスと別れるという本意とは正反対の決断が必要でした。たとえ、ジャックがその決断をしたとしても、ラリーンとの結婚の二の舞になるだけで、やはり、またイニスのもとへ、ブロークバック・マウンテンのもとへと帰ってくるのではないでしょうか。本音を押し隠しつつ、それと異なる気持ちを装っても、また失敗するだけ。

 ジャックの亡き後、ジャックの父親はイニスに、ジャックがテキサスに牧場を持っている男と牧場の経営を一緒にするという計画を持っていたと語り、「あいつの考えはいつも中途半端に聞こえる」と言っていました。ジャックは本当にイニスと別れてやり直すつもりだったのか。

 「中途半端に聞こえる」ジャックの話は、彼自身が心のどこかで、その話が実現しないものであることを理解していたからでした。同性愛に対する風あたりの強い当時の状況下において、男2人で経営する牧場の夢が実現しないことは、その相手が例え、イニスであっても、テキサスの男であっても同じでした。ジャックにとって、愛する人と暮らし、共に牧場を営む夢は永遠に実現しない夢であり、それを知って語る夢であったのです。

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★「強い男」としての理想像―カウボーイ、ロデオ、そして父親

 ジャックの部屋にはカウボーイの置物が置かれていました。ジャックが子供時代を過ごした部屋に
置かれた小さな置物。これはジャックの男らしさへの憧れであり、男性としてこうあるべきというステレオタイプが具象化された置物でした。

 カウボーイという職業は男性を強く意識させる職業です。カウボーイハットを被った男が颯爽と馬にまたがり、草原を駆け抜ける…カウボーイのイメージは男らしさを集約しています。ジャックの父親はロデオの人気選手でした。荒々しく跳ねる馬を乗りこなすロデオもやはり、男性を強く意識させる競技です。そして、その競技で栄誉を得た父親はジャックにとって強い影響力を持つ存在であり、男性としての理想像でした。

 ジャックが無意識だったにせよ、彼の成長過程には父親という存在が強い影響を及ぼしていました。ジャックは常に父親のように、あるいは父を越える"男らしさ"を求めて成長してきました。しかし、父親にならってロデオに出るようになっても父親はジャックに関心を向けず、父子関係は冷え込んでいます。これはジャックがロデオで優勝し、金持ちの娘と結婚し、独立の夢へと近付いても同じでした。

 父親のように、と思い、その理想に近づいても認められないジャックは報われない思いをしてきたでしょう。同時に、男らしさのイメージとかけ離れた、同性愛者であるという事実はジャックに父親への裏切りにも似た気持ちを抱かせました。父親はジャックの死後、「あいつの話はいつも中途半端に聞こえる」と語りますが、これはジャック自身の問題のみならず、父親が息子に対して十分な信頼を置くことができなかったことにも由来しています。父親はジャックに対して、常に懐疑的でした。

 また、父親は息子が同性愛者であるという事実に直面することを拒んでもいました。これは父親とジャックの関係を決定的なものにしました。結局、父親への憧れ、あるいは押し付けられた男性としての理想像はジャックの感情を圧迫していきました。ジャックは死後に家の墓に入ることを望みませんでした。それは、ありのままの自分を受け入れてくれない父親に絶望していたからです。ジャックは一番自分らしくいられる場所がどこであるかを分かっていました。

 父親はジャックの遺言を受け入れず、遺骨をブロークバック・マウンテンへ散骨することを許しません。父親にとって、イニスとの思い出のあるブロークバック・マウンテンは息子を変えてしまった憎むべき地です。ブロークバック・マウンテンへの散骨を認めることは、父親がジャックが同性愛者であることを認めたことになる―彼は彼は息子が死んだ後も、「男」であることを息子に望んだのです。

 これはイニスも同様でした。イニスは幼いころ、父親に、父親が殺したとおぼしき同性愛者の男の死体を見せられ、「男」としてあるべき姿を父親に見せつけられます。イニスの父は、"同性愛者を断罪する強い男"、あるいは"良き社会秩序を守る男"を男らしさとしてイニスに提示しました。イニスは父の示したこの男性像に縛り付けられ、成長していきます。イニスの父も、ジャックの父と同様、息子に"男らしさ"を求めていました。

 共に、強い男性像を理想として成長し、"男らしさ"の象徴たるカウボーイという職業を選択したイニスとジャック。自らを"男らしさ"に縛り付けるようにして生きてきた二人は、ブロークバック・マウンテンというこの外界から閉ざされた地において、初めて本物の自分自身に向き合うことができたのです。

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★現実と理想、二人の選択

 しかし、山から下りた現実の社会は無情でした。事務所の駐車場で立ち話をするイニスとジャックには二人を吹き飛ばさんばかりの強烈な風が吹き付けています。この風はこれからの二人に対する世間の風当たりの強さを象徴しています。イニスはアルマと結婚し、子供をもうけるものの、仕事や家事、育児、金のやりくり、慣れない土地での生活に追われることになりました。ジャックはロデオで優勝し、金持ちの娘と結婚するものの、義父には嫌われ、なかば使用人のような扱いを受けます。

 現実に疲れた彼らは再び、ブロークバック・マウンテンへと戻ってきました。あの理想郷は今度も彼らを優しい包容力をもって迎えてくれます。しかし、この関係は世間に明らかにされてはならない関係でした。山を下りれば待ち受けている厳しい現実。理想と現実、落差の激しい二つの世界の繰り返しに、イニスもジャックも疲れ始めます。しかし、二人はこの現状をどうすることもできませんでした。彼らはこの苦しみから逃れるために、現実世界で別の愛情関係を作ろうとします。イニスは酒場で出会った女と、ジャックはテキサスに牧場を持つ男と。しかし、その結末は失敗が目に見えているものでした。

 イニスとジャックの別れは突然でしたが、これは予見されていたものでもありました。常々、二人の関係について「どうしようもない」と言っていたイニス。ジャックも、そんなイニスをなじりつつも、現状を「どういしようもない」ことが分かっていました。現実を生きる自分と、理想を生きる自分。この乖離に悩まされたイニスは、「あなたは誰なの」となじる女性の恋人に「最初からこうならなければ良かったと思うだろ?」と問い返します。しかし、これは彼女に向けられた言葉ではなく、イニス自身に投げかけた言葉でした。

 ジャックとの関係が最初からなかったならば、これほど苦しむことはなかったかもしれない…社会が押し付けてくる決まり切った価値観から逃げ出す心づもりができない限り、このジレンマから逃れられる術はありません。イニスにはその覚悟はありませんでした。しかし、結局イニスはジャックに葉書を出します。かつて、ジャックが葉書をよこして、離れていた二人を結びつけたように、イニスは二人の気持ちを再び結びつけようとしたのです。

 返ってきたのはジャックが死んだという知らせでした。イニスはすぐさま、真相を悟ります。ジャックは殺された、恐れていた悲劇が起きた…。

 しかし一方で、これは予測された悲劇でもありました。同性愛者であることを隠そうとしなければ、命を狙われる恐れがあることはイニスが一番よく分かっていました。ジャックもイニスも同じように悩み、ジャックは同性愛者である自分自身に正直であることを選びました。その代償が命になるかもしれないことは、覚悟していたでしょう。一方、イニスは現実を優先しました。彼はジャックとの関係を大っぴらすることはできませんでした。実直なイニスは子供のため、生きることを望みました。二人はそれぞれに悩み、それぞれの決断を下したのです。

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★「何も変わらない」、イニスの誓い

 ジャックの部屋には、二人が出会ったときに着ていた服が残されていました。ジャックのブルージーンズ地のシャツの下にはイニスがブロークバック・マウンテンで無くしたはずのシャツがかかっていました。イニスはこの服をジャックの母親からもらい受け、自宅へと持ち帰ります。息子とイニスの関係を理解していたジャックの母親はこの服をイニスに持っていてもらうことを望みました。彼女がイニスにジャックの部屋を見ていくように、と遠慮がちながらも熱心に勧めたのはそのためでしょう。

 この重ねがけされた2枚のシャツはジャックの真意、イニスに対する愛情の現れでした。小さなトレーラーで暮らすイニスはクローゼットのドアの内側に、ブロークバック・マウンテンの写真とともに重ねた2枚のシャツをかけています。

 結婚の報告に来た娘を見送ったあと、外に誰もいないか確かめてから、クローゼットを開け、「ジャック、俺は誓うよ」と呟くイニス。ジャックのシャツの上に、自分のシャツを重ねてあるのは、真実、イニスを愛していたジャックへの返答でしょう。二人がここまでくるのにはあまりに多くの出来事がありました。しかし、それらの出来事を全て捨象してしまえば、残るのは裸の真実ひとつのみ。

 それは、ジャックがイニスを愛し、イニスがジャックを愛したということです。現実世界の様々な出来事に目を曇らせ、ときに見失ってしまいそうになる愛。しかし、ブロークバック・マウンテンでは二人は素直な自分に向き合うことができる―シャツとともに掲げられたブロークバック・マウンテンの写真は今こそ真実の愛を掴んでいるというイニスの心、そして二人の心はブロークバック・マウンテンに共にあるというイニスの心を意味しています。

 かつて、「俺たちはどうなる?」と尋ねたジャックに「何も変わらない」と答えたイニス。ジャックの死後も、二人の愛は明かされることはなく、何も変わらない日常が流れていきます。イニスはジャックのシャツやブロークバック・マウンテンの写真を誰にも見られないように、非常に気を配っていました。二人の関係はずっと秘められたまま、時が過ぎていくのみです。当時のジャックはこのイニスの態度に耐えきれませんでした。しかしイニスには、二人が平穏なときを一緒に過ごすためには、現状を変えることはできないことが分かっていたのです。

 結末、イニスがジャックに誓ったのは、永遠の愛情であり、そしてまた、自らの決断の通りに生きるということです。そのために、イニスがジャックへの愛情を押し隠して生きなくてはならないとしても、自らの決断を変えることはないでしょう。「何も変わらない」のはジャックに対する愛情であり、その愛情を内に秘めて生きるというイニスの決断であるのです。

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★「幸せな」人生

 何も知らなければ、そのまま、生きていくことができるでしょう。ジャックもイニスも、ブロークバック・マウンテンを知らなければ、自らの生活に何ら疑問を抱くことなく、一人の男として、平凡な人生を送っていたかもしれません。

 それとも、このような考え方は間違っているでしょうか。「一人の男の幸せな生活」を勝手に規定して、一定の枠の中に縛り上げてしまっている社会一般がおかしいのではないでしょうか。平凡な人生といいますが、彼の人生が「平凡」であるかどうかを一般的に判断してしまうのはあまりにおこがましいといわねばなりません。

 「平凡で幸せな男の人生」とはすなわち、仕事に就いて、結婚して、子供をもうけて、やがて孫に囲まれて老いていくという人生を暗に指しているように思います。そのような、人生を送ることが幸せであるかのように言ってしまうのは、やはり、「平凡な人生」=「幸せな人生」という図式を無意識のうちに頭の中に描いているからでしょう。

 今あるものに満足し、何の疑問も持っていなければ、絵にかいたような人生を「幸せな」人生として思い浮かべることができます。しかし、今の社会に疑問を持ち、苦痛を感じるようになってしまったイニスとジャックには「幸せな」人生を思い描くことは困難なことでした。

 イニスとジャックは互いへの愛情を内に秘めながら、既成の価値観に縛られたこの社会で生きるうえで、それぞれの選択をしました。それは、それぞれがそれぞれに、「幸せな」人生を求めた結果でした。

 イニスは不自由であっても、社会の枠内で生きることを望み、ジャックはその生き方を望みませんでした。ジャックは既成の価値観を否定し、それから逃れようともがいていました。一方で、イニスは社会が押し付けてくる価値観を受け入れようとしました。それは双方にとって苦しみでした。ジャックは逃げるために苦しみ、イニスは受け入れるために苦しんだのです。

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★多数派の"制裁"

 この映画はイニスの選択、ジャックの選択のいずれも否定していません。この映画が非難の目を向けるのは、既成の価値観を受け入れるか否かの苦渋の選択を迫り、さらに選択を"誤った"者に対して制裁を加える社会の在り方に対して、です。既成の価値観を受け入れることを拒んだジャックに対しては死という容赦ない裁きが下されました。この「死」には文字通り、ジャックのように命を奪われることもあれば、社会的な「死」を意味することもあるでしょう。

 社会的な「死」とは、地域コミュニティから分断され、あるいは家族、親からもつながりを断たれるということです。同性愛者であることが知られ始めたジャックは町の酒場で冷たい対応をされ、蔑みの視線を向けられていましたし、後で分かることですが、父親は同性愛について強い拒否感情を持っていました。

 2010年9月末、アメリカニュージャージー州で男子学生が自殺する事件が起きました。彼は同性愛者で、ルームメートに恋人と会っているところを盗撮され、映像をネット上に公開されたのが原因とみられています。

 ルームメートは自殺した学生に制裁を加えたのです。ネット上で彼の盗撮映像を視聴した不特定の人々と共に。自殺した学生は1人の人間として生きる権利を持っていました。彼には愛する権利もありました。その彼の人生をゲームでもするかのように弄び、葬ってしまったことに対して、盗撮した学生、それを楽しんだ者たちは同様に責任を持たねばなりません。

 盗撮をしたルームメートは被害者のことを心底嫌って、このような事件を起こしたわけではないかもしれません。ただ、彼は、同性愛者のルームメートが「自分とは違うところのあるやつだ」と思っていただけかもしれません。同性愛であることを面白おかしく扱う風潮があることは否定できない事実です。そして、そのような感情が生まれるのは、彼らは自分たちとは違う、異質の人間だという意識が心のどこかにあるからです。「自分とは違う」というそのちょっとした感情が寄り集まって多数派を形成したとき、事態がエスカレートしてしまうことがあります。

 彼らは、被害者の学生に対して、「懲らしめてやろう」というような気はなかったかもしれません。しかし、結果的には、異質の者に対して、そのプライベートを晒し、社会的生命を断ち、結果的には命を失わせるという"罰"を加えてしまったのです。

 社会を構成するのはそこに暮らすひとりひとりの人間です。彼らには、個々人の生き方について、人を裁く権利はありません。分かり切ったことなのに、相変わらず、社会は有形無形の力を行使しようとしたがります。意識的であれ、無意識的であれ、そのコミュニティに暮らす人、ひとりひとりの意識が少数派を裁くのです。

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★多数派の"安住"、そして受容

 自分の考え方や価値観と異なった人々の中で生活することは予想以上に大変なことです。些細なことですれ違い、いちいち議論する必要が出てきますし、何より、相手が自分の考え方を理解してくれるかどうか、保証の限りではありません。既成の価値観はその面倒な作業を省いてくれます。ある社会で暮らす人々には「暗黙の合意」があり、その社会で醸成された価値観を前提に社会が回る。人間はとても便利で、合理的なシステムを作り上げてきました。

 しかし、これはその反面として、システムから外れた者を排除するシステムとしても機能します。システムから外れた、既成の価値観とは異なる考え方や生き方をする彼らを、社会は容易に受け入れることはできません。これまで、安全に機能してきた暗黙の合意が破られ、社会に混沌が生まれるかもしれないからです。今までの暮らしに一応の満足を見ている者たちは変化を望みません。彼らも何らかの不満はあったかもしれないが、それを押し殺して、現在の価値観に順応することで今の暮らしを作り上げてきました。従って、彼らは今ある価値観をぶち壊してまで、新しい価値観を持つ者を受け入れる勇気と気迫に欠けています。

 このように、多様性を認めることはとても難しいことです。多数派の中で安住することは実に楽で居心地がいい。これは今も昔も変わりません。そしてこれからもそうでしょう。多数派の"安住"は人間の営みがそこにある限り、ずっと続くでしょう。これを非難することはできません。それが人間社会の在り方として自然なことであり、合理的なシステムでもあるからです。

 しかし、多数派と異なる者たちを受け入れる心構えと準備はしておかねばなりません。自分と異なる人々を受容することは不安です。しかし、だからと言って、彼らを理解する努力すらせず、ただ否定し、拒否し続け、あるいは白眼視するだけならば、「ブロークバック・マウンテン」の悲劇は再び繰り返されるでしょう。それがとりわけ、人間の自然な感情に起因するものであるならば、余計に。

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★愛とは、普遍的で、自然なもの…

 ある日、トレーラーで一人暮らしをするイニスのもとに、娘が訪ねてきて、結婚の報告をします。一生を共にできる最愛の人を見つけた娘。イニスは彼女を祝福し、結婚式に出席することを約束します。これからの人生に胸を膨らませ、希望に満ちた顔で結婚報告をする彼女の表情とどこか寂しげなイニスの表情の対比は胸に迫ります。

 イニスの娘が掴んだ愛はイニスとジャックの愛と何か違うでしょうか?

 愛は愛。その普遍的で、自然な感情はすべて尊ばれるべきもの。同じ真摯な愛でありながら、祝福される愛と、そうではない愛があってよいものか。その愛が異性との愛であれ、同性との愛であれ、その真摯な感情にはまったく、差がないはず。

 イニスの娘はこれからの人生を愛する人と共に歩み、そして、イニスはジャックの記憶とともに生きていくことになるでしょう。全ての思い出をあの美しい場所、「ブロークバック・マウンテン」に残して…。

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