※レビュー部分はネタバレあり












浴槽の中で溺れそうになり、目を覚ましたアダムは見知らぬ部屋にいることに気が付き、恐慌状態になった。どうして自分はこんなところにいるのか?!薄汚い洗面室のようなこの部屋にはもう1人、男が座っている。彼の名はローレンス・ゴードン。外科医だ。どうやら2人はこの地下室に監禁されたらしい。部屋を見渡したアダムはさらに驚愕する。中央には血だまりが広がり、そこに横たわる男の死体。2人の片足は部屋の隅の柱に鎖で繋がれており、逃げ出すことができない。
やがて、2人はテープがあることに気が付く。その内容は"ジグソウ"と名乗る男からのメッセージだった。
シチュエーション・スリラーの最高峰、SAW(ソウ)。ショッキングな映像が多いことでも有名なSAWだが、それ以上に張り巡らされた伏線を読み解くのが楽しい。SAWに隠されたその秘密を探っていこう。
【映画データ】
SAW -ソウ-
2004年・アメリカ
監督 ジェームズ・ワン
出演 ケイリー・エルウィス,リー・ワネル,ダニー・グローヴァー,
トビン・ベル

映画:SAW -ソウ- 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり
★SAW -ソウ-
SAWにはどういう意味があるでしょうか。のこぎりという意味でのSAWはもちろん、です。ゴードンの足を切るのに使われたのこぎりです。そして、「see」の過去形としての、「saw」があります。その意味は「見た」。ジグソウは中央の死体を演じ、ゲームの全てを見ていました。その意味の「見た」。
そして、もうひとつ、観客の視線もあります。SAWの観客は見ています。SAWの結末を決定づける重要な場面、例えば、映画の冒頭で、浴槽の排水溝にカギが吸い込まれていくのを。そして、結末、「GAME OVER」と表示されるのを。
観客はアダムとゴードンの運命、全てを見たのです。

★アダムとゴードンの生死は如何に?
アダムとゴードンは死んだのでしょうか、生き抜いたのでしょうか。この点については明らかにされていません。ジグソウは地下室の扉を閉めて歩き去っていきます。残されたアダムは暗闇の中、片足を鎖でつながれ、銃創から出血した状態で放置されます。
ゴードンはどうでしょうか。彼は片足首を切断し、深手の傷を負いつつ、地上へ助けを求めに行きました。ゴードンは優秀な外科医ですし、足首を切断する前に止血をしています。だから、いずれ出血は止まり、助けを呼びに行けたとも考えられます。一方で、ゴードンは蒼白な顔をしていました。足首を切断した後の彼の表情はもはや死人のようです。声は弱々しく、もはや一息に喋る力すらありません。明らかに死相が出ていました。
しかも、です。ゴードンはジグソウの提示した条件を履行できていません。ゴードンがアダムを撃ったのは、期限の6時を過ぎてからですし、そのアダムは死んでいません。ジグソウは6時までにアダムを殺さなければ死ぬことになる、とテープに録音していました。その言葉通りなら、ゴードンはタイムアウトで死んでいなくてはなりません。実際、ジグソウの仕掛けた他のゲームでは、時間切れで死亡する被害者がいました。それなのに、ジグソウのルールを破ったゴードンが助かるというのでは、ジグソウのゲームが不成功だったことになります。しかし、ジグソウの堂々の退場シーンでは「GAME OVER」と出てきます。ゲームの世界で、「GAME OVER」と言えばそれはプレイヤーの死を意味するはず。ジグソウのゲームのプレイヤーはゴードンです。ジグソウのルールにのっとって考えるなら、ゴードンは助からなかった、と考えるのが自然でしょう。

★ゴードンの死
ならば、ジグソウがゴードンに追いついて彼を殺したという可能性はあるでしょうか。この解釈はあまりに不自然です。まず、ジグソウは直接に手を下しません。それなのに、ゴードンに限ってジグソウ自ら手を下すとするならば、ゴードンについてのみ、例外を認めることになってしまいます。しかも、仮にジグソウが殺人を犯したとするならば、それは映画"外"の出来事ということになります。
映画"外"のことについて、例外をありにして解釈することは原則としてできません。特に、ゴードンの事件は一連のジグソウによる殺人事件の続きとして起きた事件と設定されています。そして、ゴードン以前の事件についても、映画内である程度詳しく紹介され、ゴードンの事件がジグソウによる連続した事件の一つであることが強調されていました。それならば、ゴードンの事件についても、これまでのジグソウのルールが適用されると考えるのが自然でしょう。映画の"外"で起きたことについて考察する場合は、映画"内"で提示されたルールに従って解釈するのが筋です。
ジグソウのルールとは、ジグソウによって提示された条件をクリアできれば生き残り、さもなければ死が待ちうけているというものです。そして、ジグソウは被害者の死に関して直接に手を下しません。これらによれば、ゴードンはジグソウの手によらずして失血死したと考えるのが妥当でしょう。

★アダムは死んだのか
アダムはどうでしょうか。映画の冒頭、浴槽の排水溝にカギが吸い込まれていくのが映っています。アダムの足は浴槽の栓につながるチェーンに絡まされていました。アダムが目を覚ましてもがけば、自然にチェーンが引っ張られ、浴槽の栓が抜けてカギは排水溝へと流れてしまうようになっていたのです。
これは何を意味するでしょうか。アダムの足が浴槽の栓のチェーンに絡んでいたのは単なる偶然でしょうか?
仮に、アダムの足が意図的にチェーンに絡められていたとしたら…それは、ジグソウには初めからアダムを助けるつもりはなかったということです。アダムの場合、ゴードンがジグソウの条件に従えば、ゴードンに殺される結末が、ゴードンがアダムを殺さなかったとしても、カギは既に排水溝へと流されてしまったあとで、アダムは逃げ出すことはできないという結末が用意されていました。いずれにしてもアダムを待ち受けていたのは死だったということになります。

★アダムの謎
地下室に閉じ込められた2人の男。1人はゴシップ写真屋のアダム、もう1人は外科医ローレンス・ゴードン。彼らが直面している目下の難題は、双方の足首につながれた鎖を外し、脱出すること…、ではありません。ジグソウが二人に提示した条件をよく見てみましょう。ゴードンは「6時までにアダムを殺せば逃げられる」、アダムは「逃げるか、それとも逃げるために何かをするか」。すなわち、ゴードンはアダムを殺せば逃げられるます。一方、アダムは生きるために何をすればいいのか分からない。この2人は似たような状況に置かれていますが、生き残るためにすべきことはそれぞれ違っています。この違いは何を意味しているのでしょうか。
ゴードンは患者であったジグソウの恨みを買って、今回のゲームに巻き込まれました。では、アダムはなぜ、この部屋に監禁されたのでしょうか?「SAW」を見ている限り、アダムがジグソウ事件に関係したといえるのは、タップの依頼を受け、ゴードンの写真を撮っていたということだけです。しかし、ただそれだけなら、アダムが監禁され、殺害対象とされる理由にはならないように思えます。
どうやら、アダムの言動のみからでは、ジグソウとのつながりを探るのは限界があるようです。それでは、アダムの行動はどうでしょうか。
アダムの行動には不審な点が多数あります。例えば、アダムがいきなり服をめくり、腹を調べたこと。なぜ、彼は急に自分の腹が気になったのでしょうか。そして、ゴードンに対するジグソウの命令がアダム殺害だったにも関わらず、さほど驚くそぶりがないこと。溺れかけて浴槽から起きあがったとき、その後、テープがポケットに入っていることに気が付いたときまではパニック状態だったアダムが、死の宣告を受けたときはなぜ淡白な反応をするのか。さらに、テープレコーダーを最初はゴードンに渡さなかったのに、2度目にゴードンが要求したときはあっさりと投げて寄こしたこと。そして、なぜ、彼の名前は「アダム」なのか。彼の名字は?

★アダムの過去
これらの問題点をすっきりと説明するには、アダムには何らかの秘密があったと推測するのが適当でしょう。ゴードンの過去はアダムとの会話を通して次第に明らかになっていきますが、アダムの過去はほとんど語られません。最初から最後まで、映画を通して分かるのは、彼の職業くらいです。ゴードンの場合は、その生活ぶりや家族、不倫、仕事の詳しい内容や経歴、仕事ぶり、ジグソウ事件の犯人と疑われたことなどはつぶさに明らかにされるのに、アダムの場合はブラックボックス。アダムはどこかから急に現れた異邦人のようです。明らかに、アダムにはゴードンに話していない過去があると考えてよいでしょう。
そして、この事件に巻き込まれた以上、アダムにはジグソウと何らかのつながりがある。アダムとこの事件を仕組んだジグソウにはどんなつながりがあったのでしょうか。
ジグソウが自らの姿を現したのは、ゴードンが助けを呼びに部屋を後にしたのちのことでした。ジグソウは自らの姿をアダムにのみ、さらします。ジグソウはゴードンではなく、特にアダムに対して、自らが現場に最初から最後までいたことを教えたかったと解釈できる結末です。そして、ジグソウはアダムの鎖を外す鍵がバスタブの中にあり、それが既に排水溝に流れた後と知って絶望するアダムを見たかったとも解釈できます。
アダムの絶望を知って、ある種の喜びを感じる、それは復讐心に他なりません。そして、ある人に復讐心を抱くということは、その人と何らかの深い関係を持っていたと考えるのが自然でしょう。つまり、アダムとジグソウはこれが初めての接触ではありません。ジグソウとアダムは、今度の事件が起きる前に、何らかの関係を持っていたことが確実です。
では、ジグソウとアダムにはどんな関係があったのでしょうか。アダムは写真家でした。それも、金さえもらえば、盗撮でも何でもする類の写真屋です。彼はタップに頼まれて、ゴードンの後を付け、写真を密かに撮っていたことをゴードンに告白していました。ここから推測できるのは、これがアダムにとって初めての盗撮の仕事ではないだろう、ということです。アダムはこのような仕事を他にもしたことがあるのでしょう。
さらに、思い起こされるのはジグソウ事件の被害者で、放火犯のマークの事件です。ジグソウはマークにこうメッセージを残しました。「君は病気だそうだが、写真では元気そうに見えるな」。ここから分かるのは、ジグソウがマークを直接に観察したことはないということです。ジグソウは写真から、マークの様子を推測している。
ジグソウが自ら、マークの写真を撮りに出かけたのでしょうか。もし、そうであるならば、ジグソウはマークを直接見る機会があったはずですから、「写真では元気そうに見える」などという必要はないでしょう。
しかも、ジグソウは末期の癌に冒された病身です。タップの相棒、シン刑事を罠にはめて殺した後、立ち去るジグソウは足を引きずっていました。アダムに種明かしをした後に立ち去るジグソウも、ふらふらした様子です。このジグソウ自身がマークを尾行し、写真を撮る体力があるのか疑問です。
従って、マークの写真を撮ったのはジグソウではありません。ここで注目すべきはアダム。彼は写真を撮るのが仕事、尾行して盗撮する仕事を手掛ける男です。ジグソウがマークの写真を撮ることをアダムに依頼していたとしても不思議ではありません。つまり、アダムの依頼人にはジグソウとタップという2人のジグソウ事件関係者がいたと結論付けることができます。

★アダムの恐怖
アダムはジグソウの共犯者でした。当然、ジグソウの手口についても熟知していた。浴槽で溺れかけ、目を覚ましたアダムは自らの置かれている特異な状況を知り、即座にジグソウの関与を疑いました。目の前には、ついさっきまで尾行して写真を撮っていたゴードンがいます。ゴードンはジグソウの次のターゲットだったはず。ということは、アダムはジグソウのゲームのプレイヤーとしてではなく、ゲームの一部として用意されたに過ぎない…。
アダムは慌てて服をめくり、腹を確認します。以前、ジグソウがアマンダの事件で使った手口を思い返したからです。あのときは、プレイヤーのアマンダは目の前の"死体"、実際には生きていた男の腹をナイフでかっさばくことを強要されました。アダムはジグソウを裏切ったことを自覚しています。だから、ジグソウのゲームであの腹を裂かれた男と同じ、死体役をやらされるのではないかと疑ったのです。
腹に何も異常がないことに一安心した彼ですが、今度はポケットに入れられたテープに気が付きました。ジグソウはいつも、被害者に対してメッセージを送ります。テープに気が付いたアダムは再びパニックになりました。これはやはり、ジグソウのゲームだ…ここで、アダムは自分がジグソウのゲームに参加させられたことを覚悟しました。かくして、テープの声はジグソウの声。だから、ゴードンのテープで「アダムを殺せ」とジグソウが命令しているのを聞いても、さほど驚かなかったのです。ジグソウを裏切った自分には死が宣告されることを予期していたからです。
彼はまた、ジグソウが現場でゲームの進行を見守る男であることも知っています。だから、アダムは地下室の窓がマジックミラーになっていることに気が付いたとたんにガラスを割りました。ガラスの向こうからジグソウが見ているかと思ったからです。
ただし、アダムはジグソウと面識はありませんでした。会ったことがあるならば、背格好で中央の死体がジグソウであることを疑ったかもしれません。しかも、ジグソウは顔をアダムの方に向けて横たわっていました。いくらメーキャップをしていたとはいえ、ジグソウの手口を熟知するアダムは、ジグソウがどこかでゲームの進行を見ていることを察知していますから、死体をジグソウと見抜く可能性があります。
ジグソウのメーキャップは、必ずしもアダムから顔を隠すためだけではなかったでしょう。ジグソウは死体の役を演じていました。ジグソウは死んだ顔をしていなければなりません。ジグソウがメーキャップをしていたのは、中央の死体を演じるためという理由も大きかったと思われます。

★ジグソウの怒り
アダムはジグソウのゲームの片棒をかついでいたことを知っていたでしょうか。答えは、もちろん、です。ジグソウは被害者を拉致し、ゲームに参加させる前の下準備に、アダムの写真と報告を使っていました。アダムは恐らく、写真を撮り、被害者の生活パターンを調べてジグソウに報告していたのです。ジグソウはそれを受けて、拉致のタイミングを計り、ゲームを開始すします。アダムとジグソウは実質的な共犯関係にありました。アダムが自らの依頼人の正体に気が付かなかったわけがありません。ジグソウからゲームの詳細を知らされてはいなかったでしょうが、ジグソウ事件が報道され、自らが写真を撮っていた人間が次々に殺されていくのを知っていれば、ジグソウの正体など、おのずと推測できます。アダムはジグソウが自らの依頼人であることを知って、沈黙していたのです。
アダムは金さえもらえば、沈黙を守っていました。しかし、あるとき転機が訪れます。タップの訪問です。相棒のシン刑事を殺されたタップは警察を辞めてまでジグソウ事件の捜査にのめり込んでいました。そのかいあってか、タップはアダムにたどり着いたのです。タップがどこまで、アダムとジグソウの関係を掴んでいたのかは分かりません。タップはアダムからジグソウの情報を引き出そうとしました。アダムがここで、情報提供を拒んでいれば、ジグソウのゲームに巻き込まれることもなかったでしょう。しかし、アダムはタップの依頼を受けました。アダムはタップにジグソウの情報を流したのです。
ジグソウはこの事実を知りました。ジグソウはアダムに激怒します。これは裏切りです。アダムはジグソウに嘘をつき、ジグソウを売ろうとしている…ここで思い当たるのはアダムとイヴの物語です。天上の楽園で暮らすアダムとイヴは神にリンゴを食べてはならないと言われていたのに、蛇の誘惑に負け、リンゴを口にします。怒った神は彼らを地上へと追放しました。アダムは神を裏切ったのです。その制裁は死。地上へと追放されたアダムには寿命という死が与えられることになりました。
ジグソウは自らを神に等しい存在と考えていました。命を無駄にしている者たちへ制裁を与える神。その神を裏切ったアダムには、死の制裁を与えねばなりません。ジグソウはアダムに対して死のゲームを用意しました。結末は死。どうあがいても、アダムには死しか残されていないのです。だから、先に指摘したように、ジグソウのメッセージも、ゴードンに対するものとアダムに対するものでは微妙に違います。ゴードンには「アダムを殺す」という、命の助かる道が明らかに示されている。ゼップにも「ゴードンの妻子を殺す」という道が示されている。これに対し、アダムに対しては具体的に何も示されません。アダムはこのゲームで死ぬことが初めから決まっていました。

★ゴードンに知られてはならない
アダムはゴードンに対して、ゴードンの写真を撮るように依頼してきたのはタップであると告げています。しかし、これは半分の事実しか告げていません。タップ以外にも、ゴードンの追跡を依頼していた人物がいました。それは、ゴードンを次のターゲットと見定めていたジグソウです。アダムは金でジグソウを売りました。アダムはタップに次のターゲットがゴードンであることを教えたのでしょう。だからタップはゴードンの自宅前のマンションの一室を借り、ゴードンの動静を窺っていました。タップがゴードン宅前で張り込みをしていたのは、ゴードンがジグソウではないかと疑っていたからではありません。ジグソウの次のターゲットであるゴードンを見張っていれば、ジグソウが姿を現すと踏んでいたからです。
また、アダムがテープレコーダーをゴードンに渡すのを渋ったのもここに理由があります。アダムのテープには何が吹き込まれているか分かりません。ジグソウの共犯者であったことがばれてしまう内容が吹き込まれているかもしれない。仮にそうなら、アダムはテープの再生を停止し、ゴードンに聞かせないようにする必要がありました。だから、何かと理由を付けて、アダムはゴードンにテープレコーダーを渡さなかったのです。しかし、その心配は杞憂に終わりました。テープの内容だけでは、アダムがジグソウと共犯関係にあったことを推測するには足りません。だから、アダムはテープの再生後に、ゴードンに再びテープレコーダーを要求されたときには素直に渡したのです。
アダムは絶対に、ゴードンに対して、自分がジグソウの共犯者であることを知られてはなりませんでした。もし、ばれてしまえば、ゴードンは躊躇なくアダムを殺す恐れがあったからです。アダムは最後までこの秘密を守り切りました。

★ゼップ
病院の清掃係、あるいは雑用係のゼップ。彼もまた、ジグソウのゲームに招かれた一人でした。ゼップの巻き込まれたジグソウのゲームは、ゴードンの妻子を殺せ、さもなければゼップは死ぬ、というもの。しかし、アダムが途中でテープレコーダーを止めてしまったため、再生されるテープのメッセージが聞けるのはここまでです。「ただし、ルールがある…」とジグソウは続けていました。ゼップがゴードンの妻子を殺す場合には何らかの条件が付されていたことが推測できます。ではそのルール、あるいは条件とは何だったのでしょうか。
まず、1、ゼップが妻子を殺すのは6時以降であること、です。これはゴードンのゲームで、アダムを殺す期限が6時以降に設定されていたことに由来します。さらに、2、ゴードンの妻子殺害はゴードンがアダムを殺せなかったときに限る。そして、3、ゴードンがアダム殺害に失敗したときは、ゼップは妻子及びゴードンを殺さねばならない。というルールだったと思われます。
そうであるとするならば、ゴードンを射殺しようとしたゼップの「遅すぎる…それがルールだ」という言葉も難なく説明できます。「遅すぎ」たのはアダムを殺すというゴードンの決断のことでした。
また、ゼップはゴードンの妻子を殺そうとしてあえなく失敗しています。彼は逃げる妻子を追いかけるものの、すぐにあきらめ、ゴードンのもとへと急ぎました。しかし、仮に、ゴードン殺害に成功したとしても、ゼップは妻子の殺害に失敗しており、どのみちジグソウのルールに反しています。しかも、妻子を放っておけば、警察に通報されてしまうでしょう。それにも関わらず、ゼップがゴードンを殺害することを優先したのはなぜでしょうか。
それは、なにより、ゼップ自身の命を助けるためです。恐らく、ゼップはこう、ジグソウから脅されていました。「お前の体は遅行性の毒に侵されている。時間が経てば、死ぬ。ルールに従えば、解毒剤をやろう」。ゼップには警察に通報されるかどうか以前に、毒による命の危険が迫っていました。
さて、この解毒剤の場所が問題でした。解毒剤を持っているのはゼップに毒を盛ったジグソウです。ゼップはあらかじめ、いざというときにゴードンを殺せるように、ジグソウからゴードンの監禁場所を聞かされていました。さらに、これまでのジグソウの犯歴を考えれば、ジグソウ本人はゲームの現場にいて、状況の進行を生で見ているはずであることが容易に推測できます。すなわち、ゴードンのいる場所にジグソウはいる。そう考えたゼップは、ゴードンを殺して解毒剤をもらうために、妻子の殺害を早々にあきらめ、ゴードンの監禁場所へと急いだのです。
ゼップがゴードンの妻子の殺害をあっさりあきらめたのは、ゴードンのアダム殺害が失敗した今、ゴードン殺害が必須条件になったからです。ジグソウが見ているはずの監禁場所でゴードンを殺せば、妻子の殺害失敗がジグソウに知られる前に解毒剤を得られるはず、そうゼップは考えました。

★ゼップの心理
ゼップはこのゲームを楽しんでいました。ゴードンの家に侵入し、アリソンと娘のダイアナを縛り上げ、恐怖におののく彼女らに銃口を突き付けるゼップはこの状況をたっぷりと楽しんでいました。彼女たちの頬に銃を向けて小突いているゼップは支配する者の優越感をたっぷりと味わっていました。6時が過ぎても、ゼップはすぐには妻子を殺しません。ゼップの口ぶりは死のゲームに怯える被害者には到底見えません。ゼップの顔が画面に映るまで、妻子を監禁しているのがジグソウであるかと疑う人は多かったのではないでしょうか。ゼップはまるで、このゲームを仕掛けた張本人であるかのように、死と恐怖のゲームを楽しんでいました。
ゼップとはどういう人でしょうか。彼の仕事は病院の雑用の仕事です。表に立つことはなく、常に裏方の仕事をやる。医師や看護師から命令され、使われる。また、人はゼップの仕事に対して、あるいはゼップその人に対しても、敬意を払おうとはしません。
それはゴードンの態度からも明らかでした。入院患者を名前で呼ばないゴードンに対し、ゼップは脇から口をはさみます。これに対してゴードンは、「当院では雑役係と患者の絆が深い」。これは明らかな嫌みです。場違いな発言をするゼップに対して、ゴードンがいらいらしていることが良く分かります。ゴードンはゼップを無視し、「続ける、患者は…」と相変わらず「患者」という言葉を使って話し続けていました。
このように、ゼップに対して小馬鹿にする態度をとるのは、ゴードンだけではないのかもしれません。医学生に対して実習講義をしている最中に、まったく関係ないことを言いだして横やりを入れるゼップは明らかに場の空気から外れています。ゼップは周囲の人間に溶け込みにくく、人からバカにされやすい性格であることが推測できます。
ゼップはそんな日常が大いに不満でした。誰だって、人からバカにされていると思えば、不快に感じます。ゼップも例外ではありませんでした。不当に低い社会的評価に甘んじ、人から軽んじられているという意識は、彼の精神面に影を落とします。その暗い心はジグソウのゲームにおいて、ゼップから残酷な一面を引き出してしまいました。
縛りあげられ、悲鳴を上げてもがくゴードンの妻子は今や、ゼップの手中にあります。彼の好きにできる。生かすも殺すも、ゼップ次第。いつも支配される側だったゼップが、命令し、支配できる立場に立てたのです。権力を持てない者が、突然に権力を得た快感。ゼップ自身に迫る生命の危機は別にして、ゼップはジグソウのゲームを心から楽しんでいました。
以前から、ゼップはジグソウの事件に注目していました。ゼップが毒に冒されていると信じ込んだのはジグソウが以前にも遅行性の毒という手段を使ったことがあったからです。また、ゴードンの元へ行けば、ジグソウがいるとゼップが思ったのも、ジグソウはゲームの現場をその場で見ていたというこれまでの事件を想起したからです。すなわち、ゼップは自らがゲームに巻き込まれる以前から、ジグソウの事件に興味を持っていたことが分かります。
なぜ、ゼップはジグソウ事件に興味を持っていたのでしょうか。
それは、ゴードンがジグソウではないかとの嫌疑をかけられたからでした。ゼップのことを軽んじるゴードンに対して、ゼップは日ごろから不満を持っていました。また、優秀な外科医として成功し、妻と娘のいる幸せそうな家庭を持つゴードンに対して妬みも感じていました。しかし、完璧なゴードンの生活に影が差したのが、ジグソウ事件の嫌疑でした。ゼップはうっぷんが晴れる気持ちだったでしょう。そして、ゴードンを陥れようとするジグソウにゼップは興味と親近感を持ったのです。

★毒は本当にあったのか
本当に、このような遅行性の毒があるかどうかは定かではありません。本当は、ゼップは何の毒にも冒されていなかった可能性があります。しかし、ゼップはジグソウの犯した以前の事件を思い出し、毒を盛ったというジグソウのメッセージを聞いて、毒を盛られたと思い込んだのです。
以前の事件とは、放火犯マークの事件として映画中に取り上げられていたものです。しかし、この事件でも、マークは毒で死んだのではありません。彼は解毒剤を探そうとして失敗し、焼死しています。従って、この事件でも、本当にマークに毒が盛られたのかは定かではありません。
また、ゴードンとアダムの中央に横たわる死体は遅行性の毒に冒され、頭を撃って自殺したとジグソウは告げていました。これは嘘で、死体はジグソウ本人だったのですが、いずれにしろ、毒は盛られていませんでした。
ジグソウの事件では何度も毒が登場します。しかも、決まって、即効性ではなく、遅行性の毒です。しかし、毒によって死んだ者は一人もいません。これにならえば、ゼップの事件にも、遅行性の毒なるものは存在しなかった可能性があると言っていいでしょう。

★狂気の中の生きる希望
「SAW」という映画にはいろいろな謎があります。それは簡単に解けるかもしれないし、あるいは難しい問題かもしれません。しかし、そのいずれを理解するうえでも欠かせないのは、アダムもゴードンもパニックだったという事実です。彼らは突然の監禁に驚愕し、命の危険に怯えていました。さらに、人殺しを命令され、あるいは殺されることを知らされています。そんな中で彼らが取りうる行動は限られていました。
そもそも、片足をつながれ、自由が著しく制限された状況下では、できることは著しく制限されます。片足だけ、というのがポイントです。両手足を縛られ、、文字通り、手も足も出ない状況なら、彼らは脱出することをあきらめ、神に祈ることしかできなかったかもしれません。しかし、拘束されているのは片足だけ。立ち上がることもできるし、一定範囲を歩き回ることもできます。しかも、両手は完全に自由。
ジグソウはこの不自由でいて、完全に動けないわけではない状況を作り出すことでアダムとゴードンに脱出の希望を持たせることに成功しました。逃げることができ「そうな」状況なら、人間はもがきます。しかも、五体満足、ベストな条件で逃げ出すことを望むでしょう。拉致されて監禁されるという、ただでさえ冷静でいられない状況の中で、生き残る希望を持たせ、その希望に向けてもがくしかない状況をジグソウは作り出しました。優秀な外科医であり、長時間の外科手術をこなす理性と冷静さ、そして理性を備えているはずのゴードンですら、我を失ってしまうほどの過酷な環境を作り出すことに成功したのです。

★偽りの神
ゴードンには無傷で脱出できる方法がありました。それはアダムを殺すことです。しかし、ゴードンはアダムを殺すというジグソウの条件を最後まで蹴りました。これはゴードンの譲れない一線でした。彼は医者としては冷静で、合理的な男でした。これは「患者」という呼び方を巡るゼップとの一連のやりとりの中で端的に現れています。ゴードンは医者として有能だったし、優秀な男でしたが、患者は患者としてそれ以上にも、それ以下にも扱う気はありませんでした。
その点は非難されるべきかもしれません。患者もひとりの人間である、と。患者にもっと気を遣うべき、と批判される余地はあります。ただし、ゴードンは人間として、自らに最後まで忠実でした。これは自らの命が脅かされても変わりません。アダムを殺すということは人を殺すということです。人を殺すということは、医者であるという以前に、人間としての倫理性を問われる行為でした。
ジグソウはゴードンに医者としての道徳を問いました。死期の迫った患者にも、人間として生きる権利がある、患者はモルモットではない、と。一方、ゴードンは自らに人間としての道徳を問いました。人間には人を殺す権利はない。
ジグソウの行為はゴードンに対する報復行為でした。確かに、ジグソウには、患者をモノのように扱い、人としての尊厳を認めないゴードンを非難し、不倫していたゴードンの私生活を正し、家族を省みないゴードンに生きるとは何かを知らしめるという意図がありました。しかし、このようなジグソウの目的は報復行為を正当化する後付け論理に過ぎないのではないでしょうか。
ジグソウはこの世に生きる価値のない者たちに生死の意味を知らしめる裁きの神を演じていました。しかし、ジグソウがジグソウになったその契機は死に至る病にかかったこと。その本質は死の病にかかったジグソウの生への執念であり、他人の生に対する妄執です。
死の淵に追い込まれたジグソウは生きることにとり付かれていました。また、自分の残り少ない命を思うと、他に無駄にされている命があるのに、という思いが強くなっていきました。その前提には、自らの命には意義があるというジグソウの自己評価があります。彼は命を与えもするし、奪いもする万能の神を演じることで、残り少ない自己の命に高い意義を見出していました。
生きるべき命が不当に短く、価値のない命が不当に長らえる。これは、世の中の不条理であり、正されねばならない―。ジグソウは他人の生殺与奪を握ることで、その矛盾を正せると思い込んだのです。
人には生きる権利があります。そして、自らの人生をどう生きるかの決定権も。その人生における選択に誤りがあったとしても、それがその人の人生です。人生には間違いがつきもの。過ちも愚かさも、全てを包含するところに人生の豊かさはあります。失敗のない人生や、挫折のない人生など、きれいすぎてつまらない。他人がその選択に口を出すことはできる。非難をしてもいい。しかし、間違いを犯した者の人生全てを奪うというかたちで罰することは許されるべきではありません。

★生きる価値のある者
ジグソウにあるのは、自らが正しいという、ある種の醜い思い込みです。ジグソウは死の病に冒され、それがもたらす狂気の渦のなかに沈んでいました。
患者を軽くあしらい、不倫をし、家族を省みないゴードンはジグソウにゲームを仕掛けられるまで、決して褒められた男ではありませんでした。ジグソウはそのようなゴードンに憤怒して今度のゲームを仕掛けたのですが、それは皮肉にもゴードンの真髄を明らかにしました。彼は自己が生きるためだけに他人の命を犠牲にしなかったのです。
ゴードンもアダムも死を前にしてパニックでした。ジグソウは前頭葉をガンに冒され、偏執的な生への執念のとりこになっていました。タップは相棒のシン刑事をジグソウに殺され、復讐心とジグソウへの執念に凝り固まっていました。SAWの人々は皆、精神的に何らかの恐慌状態にあったのです。しかし、狂っているのとパニックになっているのは違います。狂気のなかでも、一線を踏み越えられずにいられた者は最も生きるに値します。
ジグソウは死の恐怖を他人に転嫁し、タップはジグソウ逮捕への執念に絡みとられ、ゼップはジグソウのゲームにより暴力性を開花させました。
その中で、ゴードンは踏みとどまりました。彼は生きるに値する価値がある者でした。しかし、皮肉なことにも、ゴードンはジグソウのゲームによって、命と引き換えにようやく自らの価値を知ることとなったのです。

ALL pictures in this article from this movie belong to Lions Gate Films Inc..