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ショーシャンクの空に

ショーシャンクの空に あらすじ
※レビュー部分はネタバレあり

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 アンディ・デュフレーンは妻とその不倫相手のプロゴルファーを殺した容疑をかけられ、逮捕される。アンディは無実を主張したものの、終身刑の判決を受け、ショーシャンク刑務所に収監されることになる。この大規模な刑務所ではノートン所長が絶対的な権力を振るい、囚人たちを支配していた。ショーシャンク刑務所では、服役囚に対する刑務官の暴力や、囚人同士のけんかや暴行が日常茶飯事だった。

 刑務所内には日用品やタバコ、はては映画女優のポスターに至るまで外部から調達してくる"調達屋"レッドがいた。アンディと同じ終身刑を宣告されたレッドは二十年以上もこのショーシャンクで服役していたが、仮釈放の見込みがいっこうに立つ気配はなかった。レッドと知り合ったアンディは少しずつ、刑務所の生活になじんでいく。やがて、銀行の副頭取だったアンディは刑務所長の会計係を務めるようになるのだった。


 人を罰するとはどういうことなのか。""犯罪者""であるがゆえに、闇に消える問題がそこにはある。無実の罪で収監されたアンディー、そして殺人罪で服役するレッドの運命を通して、刑事司法制度の抱える問題点に鋭く切り込む。

 スティーヴン・キングの中編を集めた作品集『恐怖の四季』に収録されている「刑務所のリタ・ヘイワース」が原作になっている。アンディーを演じるのはティム・ロビンス。突然にショーシャンク刑務所に入れられた人間が、それでもなお、希望を持ちながら生きていく姿を演じている。また、アンディーの良き友人となる""調達屋""レッド役のモーガン・フリーマンの演技も秀逸だ。長い刑務所生活で失ってしまったものを見つけることができるのか。あきらめとかすかな希望が交錯するレッドの感情を見事に写し取っている。


【映画データ】

ショーシャンクの空に
1994年(日本公開1995年)・アメリカ
監督 フランク・ダラボン
出演 ティム・ロビンス,モーガン・フリーマン,ウィリアム・サドラー,ボブ・ガントン,クランシー・ブラウン,ギル・ベローズ,マーク・ロルストン,ジェームズ・ホイットモア



ショーシャンクの空に 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり

★波乱の人生

 アンディー・デュフレーンは妻を殺し、ショーシャンク刑務所に収監されました。彼に課されたのは終身刑。仮釈放が認められるまで、この刑務所で過ごさねばならない日々が始まります。彼は入所早々からボグスら一部の囚人たちから付け狙われていました。レッドいわく、「生傷が絶えなかった」。特に親しい仲間もなく、刑務所内の労働と、ボグズらから逃げ回る日々。レッドの言うとおり、これは「悪夢の2年間」でした。

 レッドはアンディーを気に入っていました。屋根を修理する屋外作業のメンバーにアンディーが入れたのはレッドのおかげです。その作業の途中、ハドレー刑務主任に相続税対策について助言したことがきっかけになり、アンディーは刑務官たちの資産運用や納税書類の作成などの仕事を引き受けるようになりました。

 そんなアンディーを見込んだノートンから命じられ、アンディーは賄賂や裏金といったノートンの貯め込んだ表に出ない金を管理するようになります。アンディーは刑務所内の図書室の再建や、囚人たちの教育にも熱心に取り組みました。アンディーが特に目をかけていたトミーは高卒の資格を取ることに成功しました。

 一方で、アンディーがしようとした再審請求はノートンにより阻まれました。ノートンはアンディーを外に出したくなかったのです。アンディーはノートンの不正蓄財の事実を知り過ぎていました。ノートンの命令により、アンディーは2カ月あまりを太陽の光も入らない穴倉のような懲罰房で過ごし、ようやく外に出ることが許されました。彼は元通り、所長の会計係としての仕事を続けます。

 アンディーにはある計画がありました。それは脱獄です。入所してからというもの、アンディーは聖書をくりぬき、その中に隠し持っていた小さなロックハンマーでこつこつと壁をくりぬいていました。その壁の穴はレッドの調達してきた映画女優のポスターで隠されていたのです。女優が何代も世代交代したのち、ようやく脱出口は完成しました。そして、アンディーはついにショーシャンクからの脱出に成功したのです。

 アンディーはノートンが貯め込んだ裏金を銀行から全て引き出し、メキシコ国境の町へと逃亡しました。今、彼は自由の身となり、太平洋の見える町で暮らしています。仮釈放されたレッドがアンディーを訪ねていくと、彼は海辺に置かれた古いボートを修理しようとしているところでした。かつて、ショーシャンク刑務所でアンディーがレッドに語っていた海辺のホテルとボートの夢は今、ようやく叶えられようとしています。

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★終身刑、そして刑務所へ

 「ショーシャンクの空に」、この映画はアンディーが冤罪により逮捕され、終身刑の判決を受けて収監されたショーシャンク刑務所から脱獄するまでが主なストーリーとなっています。アンディーは、何度も彼を襲った囚人ボグズらをショーシャンクから追い出し、会計係をしながらノートン所長を騙し、最後は見事に脱獄し、金も手に入れました。そして、ショーシャンクでの不正を暴かれた所長のノートンは自殺し、刑務主任のハドレーは逮捕されました。そして、結末には、かつて語った夢の通り、太平洋の見える町での生活が待っています。

 散々に苦しんだアンディーが地獄のショーシャンクを抜け出し、彼を苦しめた者たちに悪事のつけを払わせるさまは見事です。ずっと溜まってきたもどかしい思いが吹き飛ぶ瞬間です。しかし、この胸のすく瞬間だけがこの映画の本質ではありません。アンディーがショーシャンクで服役していた間、刑務所の問題がたくさん見えてきました。

 まずは、"ショーシャンク刑務所"という場所そのものに問題がありました。刑務主任のハドレーによって囚人に虐待といえるまでの過剰な暴力が振るわれるショーシャンク刑務所。ハドレーは暴力によって囚人たちを支配し、絶対的な権力を握る自分自身に満足し、それを楽しんですらいます。そして、ノートンはそれを黙認している。何より問題なのは、そのような重大な問題を抱えるショーシャンク刑務所が、法に則った存在であるということです。ショーシャンク刑務所があるのは刑事司法制度の一環として、です。そして、「終身刑」という問題。アンディーが逮捕され、終身刑を言い渡され、刑務所に収監されたのは刑事司法上の手続きに則った結果でした。

 終身刑、そして刑務所への収監。人を殺すという罪を犯した者への当然の流れであるように思えます。罪を犯した者には相応の応報を。そこから先のことは、それ以上考えようとはしないのが大概の場合であるように思います。罪を犯した者は社会システムからはじき出された存在であり、彼らの刑務所での生活環境など、一考の余地はない。囚人というだけで、通常なら許されないような行為が黙認されてしまう。それが当たり前、と考えられてしまう。何の疑問も持つことはありません。そこに闇が生まれる瞬間があります。「囚人」という言葉が人々の目を曇らせるのです。

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★何のための罰か

 何のために罰を与えるのでしょうか。犯罪を犯した者への制裁でしょうか。それとも社会の秩序を保つためでしょうか。もしくは、犯罪者に矯正の機会を与え、社会復帰を促すためでしょうか。

 現代社会において、親しい者が殺され、怒りに燃えて殺された者のために加害者に暴力をふるい、逆に殺してしまったら、それは殺人罪に該当します。このような"仇討ち"、すなわち私的制裁が犯罪とされる社会に暮らす者にとって、刑事司法制度は"仇討ち"に代わるものです。国家が被害者、あるいは社会一般の報復感情に代わって犯罪者に懲罰を加えるのです。

 仮に刑罰の目的が、このような犯罪者に対する制裁というものであるなら、犯罪者は永遠に刑務所に閉じ込めておけばいいように思えます。人の命を奪うという大罪を犯した者にとって、一生を塀の向こうで暮らすことは当たり前のことであるように思えます。目には目を、歯には歯を。犯罪者は自らの犯した行為に等しい罰を受けねばならず、犯罪者は永遠に許されるべきではない、そう考えるのは自然なことでしょう。

 しかし、現代において、刑事司法制度は必ずしもそうなってはいません。殺人を犯した者が必ず死刑になることはないし、被害者や遺族が死刑を望んだからといって、望み通りの刑罰が科されるわけではありません。また、刑罰の種類は法律によって定められ、法律に則って裁判が行われます。

 法を越える制裁を裁判所が科すことが認められないのはもちろん、例え、法律があったとしても、憲法上、残虐な刑罰を科すことは認められません。だから、釜ゆでの刑によって死刑にするとか、かつての魔女裁判のように火あぶりの刑に処するなどの死刑の執行方法は法律で定めることはできませんし、そのような法律があったとしても、その法律が憲法に違反しているとして、法律の合憲性を争うことができます。

 また、刑を終えた者には社会への復帰が認められるのが原則です。刑期を終えたのちに改めて同じ罪について刑罰が科されることはなく、所定の刑期は終えたが、まだ反省していないなどの理由で刑期が任意に延長されることはありません。

 刑事司法制度において、犯罪者は永遠に犯罪者ではなく、一定の刑罰を科され、それを消化した後は社会に彼らを復帰させるというのが原則になっています。それはなぜでしょうか。

 刑事司法制度は犯罪者を糾弾するためだけの仕組みではありません。彼らを人間以下の存在に貶め、永遠に社会から追放するという私的報復、社会的制裁のためだけの制度ではないのです。犯罪者に対する私的な制裁とは違い、刑事司法制度には、いずれ犯罪者を社会に戻すという「社会復帰」の仕組みが前提として存在しています。

 国家は"仇討ち"を禁止し、そのような私的制裁を加える権利を個人から取り上げました。それは社会秩序を維持し、犯罪者に矯正の機会を与えるという刑事司法制度を十分に機能させるためのものでした。国家が刑罰権を独占したのは、私人による制裁を""代行""するためでないことに留意する必要があります。

 犯罪者に対する処罰感情が先に立てば、冷静な議論は期待できません。従って、刑事司法制度の在り方について議論するときには、犯罪者だから罰せねばならないという感情的な側面を脇に置き、刑罰論の目的を踏まえて検討せねばなりません。処罰感情は刑事司法制度において一つの根幹をなす要素ではありますが、それが"全て"、ではないのです。

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★外に出るという恐怖

 国家による刑罰は犯罪者に対する制裁であり、かつ社会復帰に向けてのためのものです。では、どのような刑罰がそれにふさわしいのでしょうか。

 "終身刑"という刑罰があります。この刑罰はいわゆる不定期刑で、仮釈放が認められるまで、刑務所で過ごすというものです。他の懲役刑や禁固刑等と違い、明確に何年という区切りはありません。アンディー、自殺したブルックス、そしてレッド、いずれも終身刑の宣告を受けてショーシャンク刑務所で服役していました。

 レッドが仮釈放評議会の委員たちと面談している様子が何度も出てきます。そのたびに繰り返されるお決まりの質問にお決まりの答え。20年経っても、30年経っても、レッドの答えは変わらず、評議会の結論も同じです。書類に押されるのはいつも「仮釈放不可」の赤いスタンプ。これは他の囚人たちも同じでした。

 ブルックスが釈放されたのはショーシャンクに入所して50年が過ぎた後、レッドは40年。仮釈放されたとしても、社会から隔絶された数十年という時間を取り返すことは不可能です。20歳で収監された若者が刑務所を出たときには60歳、70歳になっている。刑務所の外で新しく生活を始めるにはあまりにも年を取り過ぎています。高齢ゆえに、社会の変化に適応することはより難しくなり、生活の糧を得るために働くこともままならないでしょう。

 誰が年老いた前科者を雇うでしょうか?当然、十分な金を稼ぐことはできず、仕事口から住居まで、行政が世話をせざるを得ません。ブルックスは「頑張ってはいるが、手の関節が痛む」と手紙に書いていました。老人ゆえに動きが鈍く、慣れない仕事にあたふたするブルックス。店長はそんなブルックスを嫌っているようです。何十年も刑務所暮らしをしてきたおかげで、外の世界に知りあいはなく、完全に一人ぼっち。公演のベンチに座り、鳥に餌をやるブルックスの曲がった背中は孤独に押しつぶされていました。

 「刑務所へ戻りたい」。ブルックスの本音です。彼は仮釈放が認められたとき、仲間のヘイウッドの首にナイフを突き付け、今にも付き刺さんばかりでした。彼はぎゅっと目を閉じ、ヘイウッドの首から流れる血を見ないようにしています。ひと思いにやってしまえば、仮釈放が取消しになる。幾度もこの思いがブルックスの頭をよぎったことでしょう。「仮釈放になど、なりたくない」。彼はショーシャンクにいるときから外の世界に恐怖を感じ、そして結局、外の世界に生きる場所を見つけることができませんでした。

 「ここしか知らない」。レッドの言葉です。高齢、貧困、孤独そして偏見。刑務所を一歩出た途端、すべてが襲いかかってきます。「私などが死んでも迷惑はかからんだろう」。ブルックスが首を吊ったのは生きる希望を見つけることができなかったからでした。ブルックスはこのショーシャンクの世界しか知りません。外の世界に出れば、「ただの老いた元服役囚」。世間の冷たい視線がブルックスを待っています。

 自由になりたい。しかし、外の世界に出て何になる?「あの塀を見ろよ。最初は憎み、次第に慣れ、長い月日の間に頼るようになる」。長過ぎる刑務所生活は刑務所に対する憎悪をかき消し、施設依存ともいえる精神状態を生みだしていきます。そして次第に増大するのは外の世界に対する恐怖。"見知らぬ"世界に対する不安と恐怖は、外界から隔絶した刑務所にいればいるほど増大し、元の世界へ戻れなくなっていくのです。

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★生きる希望

 「終身刑は人を廃人にする刑罰だ。陰湿な方法で」。レッドはこう語ります。仮釈放のある終身刑だったとしても、社会から隔絶された時間を取り戻すことは不可能です。また、刑務所で長い時間を過ごすことは人に大変な精神的ダメージを与えます。精神的に""壊れて""しまうのです。

 アンディーはチェスの駒づくり、会計係の仕事、図書室の整備、囚人の教育、そして脱獄のための穴掘りとさまざまなことをして刑務所の時間を過ごしていました。脱獄のための穴掘りは脱出への希望を与えてくれます。アンディーにとって大事だったのは何かやることを見つけて、気を紛らわすこと。これからの長過ぎる服役生活を忘れさせてくれる環境を自分自身に与えることです。そして、本当に脱獄できるかどうかを考えるよりも、ショーシャンクを抜け出せるかもしれないという希望を抱くことが重要でした。そして、その後の自由な人生を生きるという希望です。

 アンディーは常に希望を忘れませんでした。しかし、皆がアンディーになることはできません。大抵はレッドやブルックスと同じように、ただただ、時をやり過ごし、来ることのない仮釈放のときを待つしかありません。長い長い時間です。先の見えない長い時間。希望や夢などは口にするのも嫌になる時間です。太平洋の見える町の夢を語るアンディーのことがレッドは不快そうでした。「そんな夢は捨てろ」。

 以前、レッドはアンディーに警告していました。「希望は危険だぞ」。なぜ、希望が危険なのか。年老いて腰が曲がるころにならなければ仮釈放は認められないことは周囲の囚人を見ていれば分かります。しかし、自分は違うかもしれない、そう期待してしまう。仮釈放を期待して評議会に出席し、不可の判を押されるというサイクルを繰り返すうちに、ショーシャンクから出ていく希望は失われていきます。ショーシャンクを出られないなら、自由になれないなら、胸に抱いた希望は消えうせる。ショーシャンクを出られるのは棺桶に片足を突っ込んだころ。そんな年になって、外の世界に出たところで何ができるだろうか。やはり、夢はかなわないのです。

 希望を失ったという喪失感は、もともと何も期待していない者に比べてより大きなショックをその者に与えます。それならば、最初から期待しないこと。夢や希望など、最初から何もなかったのだ、そう自分に言い聞かせておくことです。

 レッドはアンディーにハーモニカを贈られました。レッドにとってハーモニカはシャバにいたときの思い出です。「昔、ハーモニカをよく吹いたが、入所してから興味を失った」。レッドはハーモニカを吹けなくなったからやめたのではなく、吹く気を失っていました。アンディーに送られたハーモニカを見たレッドはアンディーの目の前ではハーモニカを吹こうとはしません。夜中、独房に帰ったのち、レッドはハーモニカに少し息を吹き込んだだけで箱にしまいこんでしまいました。

 レッドにとってハーモニカは自由な世界を思い出させるもの。アンディーはハーモニカを贈ることで、希望が大切だといいたかったのでしょう。しかし、レッドにとって、自由になる見込みがない以上、自由を思い出させるハーモニカは危険な存在でした。

 希望を失った人間はどうなるでしょう。全てを捨てて、自暴自棄になるか、それとも、ただただ淡々と、その日その日を過ごしていくか。希望がない。外の世界にも、刑務所の生活にも、夢を抱く余地はありません。死を願ったとしても、刑務所では死ぬのも自由ではありません。過酷な生活環境で、希望もなく、半強制的に生き続けねばならないという「冷酷な現実」は人の精神を破壊していくのです。

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★無期懲役

 日本には無期懲役という仮釈放ありの無期刑が存在します。無期懲役の運用がどうなっているかを見てみましょう。平成21年、無期懲役で収監されている者の人数は1772人です。新規に仮釈放が認められ、実際に仮釈放された者は6人。新規に無期懲役を受刑した者は81人、現在、いかに仮釈放される人数が少ないかが分かります。

 平成12年から平成21年の10年間のデータを見ると、仮釈放者数の最高人数は平成15年の14人。それ以外の年は一ケタの年が多く、10人を超えたのは平成12年から平成21年までの10年間でわずか3回です。一方で、無期懲役受刑者の平均受刑年数は増加する傾向にあり、平成12年には21年2月だったのが平成21年には30年2月になっています。

 また、統計上には現れませんが、そもそも、仮釈放が不可能な受刑者が多数存在するという問題があります。彼らは刑務所で服役するうちに重度の精神病を患い、仮釈放されても自活するだけの能力を失っているのです。ある長期服役囚を収容する刑務所では約半数にも上る長期服役囚が精神上の問題を抱えており、仮釈放不適格と判断されるという現状があります。そして、彼らを除いた残り半数のうち、継続して服役することが相当とされたのがその半分。残った半分の人についてのみ、仮釈放の見込みありと判断されました。

 しかし、仮釈放が認められたとしても、それで終わりではありません。仮釈放が認められた人の場合も、精神上の疾患を抱えており、自立して生活することが難しい状況のため、釈放後も住居の用意と生活上のサポートを必要としていました。

 結局、刑務所の外に出た後も、行政のサポートが必要になってきます。住居の用意はホームレスの支援団体等に協力を依頼し、生活支援は社会福祉協議会によってされることもあります。まともに生活費を稼げない場合は、生活保護等の現金支給も必要になってくるでしょう。

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★遠い自由

 「ショーシャンクの空に」で問われるのは長期不定期刑の問題です。犯情の重い犯罪者を長期に渡って社会から隔離する必要は否定できません。しかし、それによって生じる弊害を同時に理解する必要があります。

 かつて、日本で無期懲役刑を科された場合、仮釈放、保護観察を経て、完全に自由の身になるまでは約30年が目安でした。しかし、刑法改正で刑罰が加重されたことの影響で、現在では無期懲役を科された場合、仮釈放そのものを認めない方向へと動いています。先ほどのデータを見ても、数少ない仮釈放対象者は平均30年以上服役しています。現在では、仮釈放されたのち、完全に自由になるまでには30年では済みません。

 これからも刑は長期化し、科される刑罰は重くなる可能性があります。仮釈放なしの終身刑は現在、日本には存在しません。しかし、実際の運用面では、無期懲役が仮釈放なしの終身刑としての役割を果たしています。しかし、死刑に準じる制度として、こういった類の刑罰を導入しようという声は常に存在します。死刑を廃止した国では、仮釈放なしの終身刑を導入している国があります。

 刑罰は犯罪者に対する制裁であり、今までの量刑が軽すぎた、とするならば、厳罰化の方向性は歓迎されるべきでしょう。長期不定期刑を科される場合は加害者によって被害者の命が奪われています。場合によっては、複数の人間の命が。レッドやブルックスのように、人を殺してしまい、服役している者たちです。人の命を奪う行為に対し、その刑が数十年というのでは軽すぎる、その思いは無視されるべきではありません。しかし、それのみを重視してしまえば、犯罪者の社会復帰への道はどんどん閉ざされていきます。

 処罰を厳しくするのであれば、それの弊害についても理解せねばなりません。精神を破壊し、社会に復帰することが不可能な状態にまで犯罪者を追い詰める刑罰は果たして、社会が本当に必要とする刑罰なのでしょうか。また、人間一人を刑務所に閉じ込め、一生出てこないだけの年数を支える社会の負担がいかほどになるのか。

 仮釈放のない長期服役囚を次々に抱えることになる刑務所は飽和状態になり、刑務所の運用コストは確実に膨張していきます。さらに、刑務所の中ばかりでなく、長期に渡って社会から遮断された者を社会復帰させるために必要となる人的・金銭的コストも決して無視できません。

 いかなる刑罰を科すか、いかなる刑罰が必要なのか。これは正解のない永遠の課題です。死刑が人道的ではないとして、これを廃止する代わりに、仮釈放のない終身刑を導入している国は数多くあります。また、死刑と有期刑を橋渡しする刑罰として、死刑と仮釈放なしの終身刑を併存させている国もあります。仮釈放のない終身刑は本当に必要なのでしょうか。どのような刑事罰を科すことが社会のためになるのか、感情論ではない、冷静な議論が望まれます。

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★刑務所に入れることだけが刑罰か

 犯罪者はできるだけ長く閉じ込めておきたい、その思いの根底にあるのは、犯罪者に対する不安でしょうか、それとも、憎悪でしょうか、怒りでしょうか。それは処罰するにあたって加味されるべきではありますが、刑罰が厳罰化の方向を歩み、刑期が長期化するにつれて、刑務所の収容人数がこのまま増加していくことになれば、一考が必要となります。

 どんな犯罪者であれ、全ての者を刑務所に放り込むだけが刑罰ではありません。例えば、トミーは家宅侵入罪で2年の懲役刑を科されてショーシャンクにやってきました。彼はこれまでにも、何度も罪を犯し、刑務所を出たり入ったりの生活をしているようです。快活で人当たりがよく、好感の持てる青年ですが、彼の前科はこの若さにして相当積み上がってしまっているようです。

 また、アンディーは「外ではまじめ人間だったのに、服役して悪党に」と自嘲していました。アンディーの場合はノーマン所長の不正蓄財のごまかしを半ば強制的に手伝わされたためでしたが、服役した場合の問題の一つは、刑務所で仲間ができ、刑務所から出た後も、彼らとのつながりが続いてしまうことです。服役を終えたものの、経済的に苦しい状態が続いたとき、そこに刑務所仲間から声がかかれば、再び犯罪へと走ることは容易です。そしてまた、服役。負のサイクルが続き、気がつけば年を重ね、前科は山のよう。犯罪から足を洗うことが難しくなっていきます。

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★刑務所に入れないという選択

 トミーに必要なのは教育でした。トミーには家族がいて、彼らのためにも、今の生活から抜け出したいという希望がありました。高卒の資格を取るために頑張っていたトミー。彼のような人間をその他の重罪犯とまとめて刑務所に放り込んでおくのは不合理なことです。犯罪者を一律に悪いと決めつけて処分するのが本当に良いのか。

 軽い犯罪歴のためにその者を刑務所に入れ、余計に犯罪傾向を強めてしまうのでは本末転倒と言わざるを得ません。刑罰の趣旨が制裁と矯正にあるとするならば、犯罪の内容、種類によっては、矯正を重視する処分をすることが必要です。軽い犯罪をきっかけにして重い犯罪へと転がっていくことがあります。刑務所がその契機とならないように、処罰の在り方を考えなければならないでしょう。

 犯罪者に対する不安は常に存在します。しかし、彼らを閉じ込め、目に見えない場所へと追いやり、彼らの存在を忘却することで満足していては、社会と犯罪の問題は永遠に解決できません。長過ぎる刑罰を科すことによって廃人を作り出し、社会復帰できない者たちを刑務所に大量に抱え込み、あるいは軽い犯情の者に重罰を科して刑務所に放り込むことだけが社会のためになるということはできません。

 犯罪者への制裁と犯罪者の矯正という両輪は共に回転していなくてはなりません。やみくもに厳罰化を志向することは、このバランスを崩してしまいます。犯罪者を徹底的に追い詰め、彼らの人生を破壊することは正義にかなうものでないばかりか、社会に新たな負担を背負い込ませることになります。何が本当に社会のためになるのか。この一点を忘れてはならないでしょう。

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★「神に誓って更生しました」

 「昔の自分とは違います。今は真人間です。神に誓って更生しました」。レッドがどんなにきれいな言葉を並べたてても、仮釈放がされることはありません。レッドにとって、この言葉は必ずしも嘘ではなかったでしょう。しかし、仮釈放はされませんでした。

 世間は"更生した犯罪者"という一つのイメージを作り上げ、罪を犯した者にこの枠にはまるように振舞うことを強制します。彼らのイメージ通りに犯罪者たちが振舞えば、安心できるからです。従順に50年を牢屋で過ごし、年老いてよぼよぼになった者なら、仮釈放してもいい、これは一つの"更生した犯罪者"のモデルです。どんなに心から罪を悔いていても、10年や20年では釈放されない。本心をどれだけ、言葉で訴えても、仮釈放はされません。

 仮釈放がされるのは、その者をこれ以上刑務所に入れておく必要がなく、社会に復帰させてもよいという判断がされるからのはずなのですが、個々人についての判断よりも、服役年数という機械的判断が先に考慮されてしまうという矛盾が生じています。50年放り込んでおいたから更生しただろう、いいかげん年を取ったからもう悪いことはしないだろう、その判断で仮釈放がされる限り、囚人たち一人ひとりの変化は全く考慮されません。仮釈放はされないのが当たり前、50年経ったらようやく仮釈放が期待できる。レッドの相対した仮釈放評議会の委員たちが見ているのはレッドが「更生」したかではなく、何年服役したか、なのです。

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★「更生」、そして「後悔」

 人々は犯罪者に「更生」することを望みます。更生するとはどういうことでしょうか。「更生?更生ね。どういう意味だか」。レッドは仮釈放評議会の委員に「更生したと思うか」と問われ、こうやり返していました。

 また、罪を犯した者に対しては、その罪を悔い、懺悔することが求められます。「罪を犯して後悔してるか知りたいのか?」レッドは評議会の委員に逆に問い返していました。

 ノートン所長の"青空奉仕計画"。彼によれば、「囚人を更生させるための進歩的なプログラム」だったようです。この新プログラムに参加し、労働するだけで、本当に囚人は更生できるのか。

 「更生」あるいは「後悔」。罪を犯した者にはこれらの言葉が一生ついて回ります。犯した罪を後悔する、その感情は人間として自然な感情です。誰かに強制されて沸き上がる感情ではありません。自分がした行為について、何を感じることができるのかは、その人自身に託されています。

 これらはあくまで、心の中の動きです。それが外見上、何かしらの変化となって表出するわけではありません。しかし、外からは「更生」したか、本当に「後悔」したのか分からないため、彼らは永遠に目に見える後悔や謝罪を表す行動を求められ続けねばなりません。

 無償労働奉仕をすればいいのか、被害者に手紙を書き、遺族に泣いて謝ればいいのか。何をしても、罪は消えません。レッドの言うように、「罪を背負って」生きていかねばならないのです。本当に罪を悔いている者に目に見える変化、世間が望むような感動的なパフォーマンスは必ずしも必要ありません。それを強制することは真実の「更生」ではない。心が伴わずとも、それらしき行動をすることはできるからです。

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★再び社会へ

 犯罪を犯した者を社会に戻す。この試みは常に試行錯誤の繰り返しです。全ての犯罪者を隔離し続けておくことはできません。必要なのは、犯罪者の隔離ではなく、地域への再受容です。特に、罪状が軽く、家族等の支えがあって生活環境が整っており、本人の性質としても社会復帰を早めに促した方が、刑務所に入れるよりも早期の更生が促せると認められる場合には、刑務所に入れないという選択肢を積極的に選択すべきでしょう。

 高卒の資格を取らせるため、アンディーが熱心に学習指導をしていた若者トミーのように、妻と子供がいて、将来への意欲が高く、罪状も軽い者の場合は、ショーシャンク刑務所のような刑務所に閉じ込めておくよりも、生活能力を高める手助けをして、犯罪の道から足を洗う方向へと導いてやるほうが、社会経済的にも効率がいい。社会からの隔離はトミーの人生にとって何らプラスにならないばかりか、社会の金銭的コストを増大させるだけです。

 このような者を社会に戻すため、被害者と加害者、コーディネーターが同席して話し合いをするという試みが行われています。これは被害者に心情的な"赦し"を強制するものではありません。これは加害者との関係を整理するための場です。被害を被ったことに対する金銭的な賠償等も話し合われますし、加害者側から被害者への謝罪がしたいとの申し出があれば、その場や後日改めての謝罪等、謝罪の方法についての取り決めがされることがあります。

 また、加害者が社会復帰したのちの彼らの生活についても話し合われます。また、被害者が二度と顔を見たくないというのであれば、加害者側の生活圏を区切る、あるいは万が一、顔を合わせても素知らぬ顔で素通りするなど、細かい実際的な取り決めをすることもできます。

 このような話し合いは犯罪を犯した者を円滑に地域に戻すために行われるものです。犯罪を犯したとはいえ、いつかは刑期を終えて彼らは社会に戻ってきます。特に、少年犯罪など、その地域に生活基盤があることの多い犯罪類型については、被害者が同じ地域に住んでいる可能性が高く、加害者が地域に戻ってくることに対する不安感を取り除くべき要請が強まります。家宅侵入罪で捕まったトミーのように、家族が地域に定住しており、彼自身にも未来への意欲がある人間の場合はこのような解決手段が望ましいといえるでしょう。

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★さいごに

 ショーシャンク刑務所から脱出したアンディーは両手を広げ、天を仰いで絞り出すように声を上げていました。彼が感じていたのは喜びでしょうか。ついに手にした自由を感じていたのでしょうか。恐らく、彼が一番に感じていたのは、辛い19年間を耐え抜いた自分に対する感嘆と天への感謝の念でしょう。ショーシャンクで一番に辛いのは自由がないことではありません。絶望し、心がすさんでしまわないように、正気を保つことが一番に難しいことです。人を狂気と絶望の淵に追い込むことが本当に刑務所の果たすべき役割なのか。

 「ショーシャンクの空に」はつい見過ごしてしまいがちな問題を鋭く指摘しています。"犯罪者"、というレッテルが貼られるだけで、社会からはじき出され、闇の中へと消えてしまう者たちがたくさんいます。彼らの罪を赦すべきというのではありません。彼らの犯した罪ゆえに、すべてに盲目となり、彼らが厳しく処罰されただけで満足する。罰っせられただけで満足していいのか。彼らのその後に無関心になってしまってよいのか。彼らをブラックボックスに放り込んでしまうことが本当に社会のためになっているのか。

 犯罪という社会的正義に反する行為であるがゆえに、罪を犯した者に生じる問題のすべてを葬り去られることが許されるのか。「ショーシャンクの空に」は一つの寓話です。冤罪によって処罰されながらも、希望を持ち、過酷な刑務所暮らしを切りぬけた男。ショーシャンクという場所に一歩、足を踏み入れたとたん、もう、彼は人間として扱われなくなる。

 アンディーが冤罪によってショーシャンク刑務所に入れられたという設定、そしてアンディーが海辺のホテルの夢をかなえる結末。これらは「ショーシャンクの空に」を観る人々に感情移入を促すための装置にすぎません。重要なのは、レッドやブルックスら、真実、罪を犯し、刑を宣告されて服役している者たちの抱える問題です。遠い刑事司法の世界。そこにはひとりひとりが考えるべき問題が山積しています。

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【参考資料】
法務省『無期刑の執行状況及び無期刑受刑者に係る仮釈放の運用状況について』平成22年11月版

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