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映画レビュー集> 『は行』の映画

プレステージ

映画:プレステージ あらすじ
※レビュー部分はネタバレあり

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 クリスチャン・ベール・ヒュージャックマン共演。知らなければよかった、でも知りたい。華やかなマジックの世界の裏に繰り広げられた2人のマジシャンの熾烈な競争を描く。

 クリスチャン・ベールとマイケル・ケインといえば、「バットマン・ビギンズ」「ダークナイト」でも共演した2人。その2作もクリストファー・ノーラン監督作だった。

 クリスチャン・ベールとヒュー・ジャックマンは競い合うマジシャンを、マイケル・ケインは2人の良き友人であり、マジシャンのジョン・カッターを演じる。他にはスカーレット・ヨハンソンが可憐なマジシャンの助手を演じている。デヴィッド・ボウイも出演。

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 マジックを見ると誰もが思う。何で、どうして ? そして、そのネタを知ると「なんだ、そうか」、と思う。ステージのあの輝きは薄れ、知らなかった方が良かったとすら思うかもしれない。それでも、人は知りたいという欲求を抑えられない。

 ロバート・アンジャー(ヒュー・ジャックマン)とアルフレッド・ボーデン(クリスチャン・ベール)は共に優れた才能を持つ若手マジシャンだった。2人は同じ師匠に弟子入りし、共にマジックの腕を磨くことに夢中になっている。ライバルでありながら仲の良い2人だったが、ある日、2人の仲を裂く決定的な大事件が起きてしまった。

 アンジャーとボーデンは師の行う水中脱出マジックの"サクラ"を務めていた。観客に交じってステージに上がり、観客のふりをして助手のジュリアの両手を緩めにロープで結ぶのだ。そしてジュリアは大きな水槽に落とされ、難なくロープをほどいて脱出して見せるというマジックだった。

 かねてよりボーデンはこの結び方を難しくしてマジックの難易度を上げるべきだと主張していた。しかし、アンジャーは大反対。仮に失敗してしまえば、ジュリアは溺死してしまうからだ。それに、ジュリアはアンジャーの最愛の人でもあった。

 ある日、いつも通りステージに観客として上がったボーデンはジュリアの手を固く2重に結んでしまうのだった。



【映画データ】
プレステージ
2006年(日本公開2007年)・アメリカ・イギリス
監督 クリストファー・ノーラン
出演 クリスチャン・ベール,ヒュー・ジャックマン,スカーレット・ヨハンソン,マイケル・ケイン,アンディー・サーキス,デヴィッド・ボウイ



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映画:プレステージ 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり

★ロバート・アンジャーは最後のパートを演じられなかった

 マジックには3つのステージがあるという。1つめはプレッジ。ここではマジシャンが何の変哲もないものを見せる。そして2つめはターン。ここでマジシャンはあっと驚くべきパフォーマンスを見せる。

 そして、最後のステージ。ここが最も難しいステージだ。マジシャンは元に戻して見せなければならない。消えた鳥が再び飛び立ち、消えたシルクハットが再び出現し、切り刻まれた美しい女性が再び姿を現してお辞儀をして見せる。この段階に至って初めて、観客はマジシャンに拍手を送り、歓声を浴びせる。そう、元に戻して見せなければ…。

 ロバート・アンジャーとアルフレッド・ボーデンが死力を尽くして戦ったマジシャンの世界のからくりを知りたいか ? 「人間瞬間移動」のタネを知りたいか ? 知りたいならば続きをどうぞ。しかし、私、ジョン・カッターはこう忠告申し上げます…「だまされている方がいいのだ、タネは知らないほうがいい」。

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★テスラの装置

 テスラの作った装置は、ロバート・アンジャーの「人間瞬間移動」に欠かせない物。この装置は電磁的力を利用して人を複製することができます。まず2つのボックスを用意し、1つのボックスにロバート・アンジャーが入ります。彼はそのまま、水槽に落ちて閉じ込められ、溺死します。一方、もう一つの箱からは複製されたロバート・アンジャーが出てきます。彼は観客の拍手喝采を浴び、栄光に浴することができます。

 これがテスラの装置を使ったロバート・アンジャーのマジックです。最後のシーン、燃え盛るテスラの装置とともに映し出されるのは大量に並ぶ、南京錠つきの水槽でした。中には1つずつ死体が入っていて、アップになった死体の顔を見るとロバート・アンジャーの死体であることが分かります。これは、100回の公演契約をしたロバート・アンジャーの公演回数分の死体なのです。

 では、アルフレッド・ボーデンはどうしていたのでしょうか。彼はテスラに装置を作ってくれるように頼んだことは確かです。そして、テスラは実際にその装置をつくりました。ロバート・アンジャーが自分に装置を作るようにとテスラに頼んだとき、テスラが「アルフレッド・ボーデンに作ったように、私にも装置を作ってほしい」と言っていることから、テスラがこの装置を作ることを試みるのが初めてではないことが分かります。

 そもそも、ロバート・アンジャーがテスラの元に向かったのは、アルフレッド・ボーデンから盗んだ手帳にテスラの名が記されていたからです。この手帳はあらかじめアンジャーに渡すことを想定してボーデンが書いたものですが、中身がウソばかりというわけではありません。

 アルフレッド・ボーデンもロバート・アンジャー同様に、テスラに接触し、装置を試しました。そして、得たものはもう1人の自分。アルフレッド・ボーデンの複製です。このとき、テスラは自分の実験の成功に気がついていませんでした。森の中に大量にあったシルクハットがその証拠です。

 テスラはロバート・アンジャーにシルクハットの存在を知らされるまで、実験の成功を知らず、アルフレッド・ボーデンだけがもう1人の自分が"できた"ことに気がつきました。そして、アルフレッド・ボーデンはテスラにそのことを教えなかったのです。

 彼はもう1人の自分をファロンと名付け、口髭を付けて変装させ、家に連れ帰って妻のサラに助手として紹介しました。そして、アルフレッド・ボーデンはファロンともに「人間瞬間移動」を成功させていたのです。

 これが「人間瞬間移動」のタネです。テスラの装置の謎も、明かされてしまえば、なんてことはありません。超科学的な力を使ったトリックだったのです。このタネを「知らなかった方がよかった」と思ったならば、やはりカッターの忠告を聞いておくべきだった、ということです。

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★アルフレッド・ボーデンは双子ではない

 アルフレッド・ボーデンが最初から双子だったという解釈は間違いです。ロバート・アンジャーは死に際、一瞬、ボーデンが双子かと勘違いしたのですが、すぐに口をつぐみました。彼はことの真相に気がついたからです。

 ロバート・アンジャーは瞬間移動の舞台をこなすたびに、もう1人の自分を殺していたが、アルフレッド・ボーデンは複製を利用していたのだということに。アルフレッド・ボーデンはテスラから装置自体を受け取ったわけではありません。ロバート・アンジャーがボーデンの手帳を読んでコロラド・スプリングスに向かったように、実際にテスラに会ったことは事実です。しかし、彼は装置を現地で試してみただけ。

 しかし、それで十分でした。彼は自分の望むものを手に入れたのです。それは自分のそっくりそのままのコピー人間。中国人のマジシャンを見て、「マジックのためなら人生すら犠牲にする、それでこそ成功できる」と言ったボーデン。ボーデンは瀕死のロバート・アンジャーに「お互い半分ずつの人生でも俺たちは満足だった」と語ります。

 2人が1人として生きていく人生。アルフレッド・ボーデンはマジシャンとして自分の人生そのものを捧げる用意ができていました。彼は複製ができたことを喜んだのです。そして、自らの人生を半分、彼に分け与えることにも喜んで同意しました。

 一方、ロバート・アンジャーは違いました。テスラから装置を受け取った彼は人間瞬間移動を実現させたことを喜びましたが、複製ができることは喜んではいなかったのです。アンジャーは装置を使うたびに自殺する気分を味わわねばなりませんでした。しかも、最愛の人ジュリアを失ったのと同じ方法で。毎晩毎晩、繰り返し水槽の中で溺死する自分。

 100回の公演を契約した彼は100人の自分を殺さねばなりません。ロバート・アンジャーもアルフレッド・ボーデン同様に、1度だけ装置を使い、2人で1人の人生を生きていくという道もあったでしょう。しかし、アンジャーにその発想はなかった。それは、アンジャーにはボーデンと違い、そのような人生を選択する覚悟はなかったからです。

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★死んだのはファロンか、アルフレッド・ボーデンか

 2人のボーデンのうち、1人は絞首刑になり、1人は娘と歩み去っていきます。一方がオリビアを愛し、一方はサラを愛しました。死刑になったのはオリビアを愛したほうです。彼は刑務所に面会にきたファロンにこう言います。「サラの子供だ、傷つけるつもりはなかった」。

 彼は、サラに「愛していない」と言い、自殺に追い込んだことに自責の念を感じていました。サラと激しい夫婦喧嘩をしたあのときの彼はオリビアを愛しているボーデンだったのです。そして、死刑囚となった今、彼はサラを自殺に追い込んだことをもう1人のボーデンに謝っています。

 では、どちらがボーデンでどちらがファロンなのでしょうか。彼のどちらが複製されたボーデンなのでしょうか。中国人のマジシャンをロバートと観に行ったときはまだ1人しかいなかったことは確かです。だが、その後はどちらなのか、それは分からないとしかいいようがありません。

 ボーデンはジュリアの葬式に駆けつけ、ジュリアの手をどう結んだのか、「すまないと思うが分からない」と言っていました。つまり、"ジュリアの葬式に来たボーデン"は"ジュリアの手をロープで結んだボーデン"ではありません。ジュリアの手を2重結びにして溺死させたボーデンはもう1人のボーデンなのです。つまり、このときにはもう、2人のボーデンが存在していることになります。

 中国人のマジックを見に行ったときにその生き方に感銘を受け、その後ジュリアの手を2重結びにして溺死させているのですから、恐らく、中国人のマジックを見に行った直後にはボーデンの複製人間が登場していることが推測されます。複製が誕生したことによる最初のハプニングがジュリアの溺死事故だったのです。

 その後、ボーデンと結婚したサラは自分を愛しているときと愛していないときがあると結婚当初からボーデンに言っているので、結婚当初から2人のボーデンと暮らしていたことになります。お金もないのに助手としてファロンを雇ったのは、ファロンはほかならぬ自分自身という事情があったためなのです。

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★自分を殺すのか、複製を殺すのか

 ロバート・アンジャーは「全てを犠牲にした」と言う一方で、アルフレッド・ボーデンは「ロバートは何も犠牲にしていない」と言います。どちらが正当なのでしょうか。ロバートは毎晩殺している複製が本当に複製なのか、それともオリジナルの自分なのかの区別がつかないことに苦しんでいました。

 一方、アルフレッド・ボーデンはそれを気にしていません。どちらがオリジナルでどちらが複製なのかはもはや、分からない。本来の自分が、妻のサラを愛している自分なのか、それともオリビアを愛している自分なのかは分からないのです。だからと言って、それが悩みの種になったりはしません。それが、マジシャンとして生きる者の宿命だとでも思って、片付けているからです。

 彼らの意見は永遠に一致することはないでしょう。なぜなら、彼らは人生に求めているものが全く違うからです。ロバート・アンジャーはボーデンと家族の姿を見て「幸せというものを見た」と手帳に綴ります。彼は失ったジュリア、そして、生まれてくるはずだった子供と暮らす理想の家庭を求めていました。

 ボーデンにとって、サラと家庭生活を築くのが、2人のボーデンのどちらであるかは大きな問題ではありませんでした。中国人のマジシャンを見たボーデンは「マジックのためなら人生すら犠牲にする。それでこそマジックだ」と語り、指を失っても、「俺は有名になるぞ、本当だ」と決意を新たにします。

 アンジャーは人生の幸せを家族に求め、ボーデンは人生の幸せを至高のマジックを追求することに求めていたのです。これはロバート・アンジャーとアルフレッド・ボーデンの思考の違いとしか言いようがありません。さらにいえば、人生観の違いとでもいうしかありません。

 とことん、公私の別なく、愛する人を犠牲にしても、マジシャンとして成功することを決意したアルフレッド・ボーデンと、愛する人との幸福を求めたロバート・アンジャー。ジュリアを失ったロバートの深い絶望感はロバート・アンジャーを復讐に駆り立て、やがて破滅へと導いていきます。

 ロバート・アンジャーはマジックのためなら自分自身を殺すことさえいとわないと思いきってしまうことができませんでした。むしろ、彼の心は強い罪悪感のえじきとなっていたのです。だから、彼はボーデンを逮捕に追い込み、復讐を果たしたと思ったのち、きっぱりとテスラの装置を処分することにしたのです。誰かに売却することもしませんでした。

 人生の中で、何に至高の価値を置くのか。アルフレッド・ボーデンの場合はマジックという、いわば仕事に人生の価値を見出し、ロバート・アンジャーはジュリアや生まれてくる子供との将来、いわば家庭生活の幸福に至高の価値を置いていました。

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★ロバート・アンジャーは「何も得られなかった」のか

 毎日、瞬間移動をするたびに自分を殺していたロバート・アンジャー。彼はそれを「代償」と言います。では、ロバート・アンジャーは代償を支払う代わりに、何を得たのでしょうか。

 もちろん第1は復讐心を満たすためです。ジュリアを殺したアルフレッド・ボーデンを罠にはめ、彼を死刑に追い込んで、死んだジュリアの復讐を果たすため。

 第2にマジックに対する追求心と競争心です。もっと、新しいマジックを、もっと斬新なアイデアを。アルフレッド・ボーデンに勝るマジックを考えたい。彼はいつしか「人間瞬間移動」にのめり込んでいくようになっていました。

 第3に名誉欲。マジシャンとして成功し、アルフレッド・ボーデンよりも格上のマジシャンとして認められたい。ボーデンよりも大きな劇場で、ボーデンよりも格上の劇場で最高の栄誉を得たい。

 ここまでは、ロバート・アンジャーとアルフレッド・ボーデンはほぼ同様の気持ちを持っています。アルフレッド・ボーデンもロバート・アンジャーに対する復讐心に燃え、マジックに対してストイックな追求をしていました。彼が繰り返し語る成功への決意はなみなみならぬものがあります。

 しかし、ロバート・アンジャーにはあって、アルフレッド・ボーデンにはないものが一つ。

 最後、テスラの装置という秘密を暴かれ、死刑に追い込んだはずのアルフレッド・ボーデンに撃たれて命を落とすロバート・アンジャー。絞首刑に処されて死んだと思ったボーデンが、マジックの3つ目のパート"プレステージ"を見事に演じて見せました。

 「恐ろしいことをしたあげく、何も得られなかったな」とアンジャーに言い放つボーデン。ロバート・アンジャーの復讐は失敗し、タネもボーデンに見破られ、最後のマジックでもボーデンに負けた。もはや、ロバート・アンジャーには何も残っていないように思えます。

 しかし、ロバート・アンジャーは逆に、こう切り返します。「お前はひとつも分かってないな」と。「観客は世界が単純でつまらないものであることを知ってる。その彼らを一瞬でも驚かせたら、それで自分も素晴らしいものが見られるんだ…観客たちのあの表情…」。

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 復讐心から始まったロバート・アンジャーのマジック探求の旅はある終着点を迎えていました。もともとの動機となったジュリアの復讐だけはどうしてもやめることはできませんでしたが、彼がマジックの技を高めるにつれて大きくなっていったのは観客の反応です。

 観客のステージを見つめる真剣な面持ちが喜びや驚きの表情に満たされる、第3のパート「プレステージ」。あの瞬間は本当に素晴らしい。観客にとっても素晴らしく、マジシャンにとっても素晴らしい最高の瞬間。大勢の観客とマジシャンが一体となって喜びを感じられるあの瞬間。

 ロバート・アンジャーは「人間瞬間移動」を成功させるたびに、その喜びの瞬間を観客と共有しました。復讐のために始めた、「人間瞬間移動」でしたが、毎日、死の恐怖を味わうロバート・アンジャーを支えていたのはたぎる復讐心だけではなく、観客と一体となって味わう喜びだったのです。

 「人間瞬間移動」という未知のマジックに興奮する観客の驚きと喜びの反応はこのマジックを披露したときだけ、味わえる希少なものでした。ロバート・アンジャーが代償を支払っただけの価値がその喜びにはあった、そうロバート・アンジャーは言っているのです。

 実際、ロバート・アンジャーは最後まで、復讐をやり遂げるつもりだったのか、揺れ動いた形跡があります。コールドロー卿と名を変え、刑務所のアルフレッド・ボーデンに会いに来たロバート・アンジャーは、ボーデンに、「私の方が上だと証明したかっただけなのにあそこに来るからだ」と言いました。

 当初はもちろん、ボーデンがジュリアを殺したのと同じ方法で自分を殺し、ボーデンを死刑に追い込むつもりで「人間瞬間移動」を準備していました。しかし、公演回数を重ね、復讐以外にマジックから得られるものがあることを発見したロバート・アンジャーは、ボーデンを死刑囚としてはめてやろうという気持ちは薄れてきていました。けれども、案の定、アルフレッド・ボーデンは舞台の裏側にやってきてしまった。その後は当初の計画通りにことが運んでいきます。

 復讐以外にマジックから得られるものを見つけることのできたロバート・アンジャーは、あのとき、本当に"偉大なるダントン"になっていました。しかし、再び、復讐の好機が巡ってきたその誘惑に打ち勝つことはできなかった。ロバート・アンジャーの運命の悲劇はこのときに決まったのです。

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★マジックの真髄

 ロバート・アンジャーはアルフレッド・ボーデンが手帳に「マジックの真髄について知っているように書いている」と非難します。

 ボーデンの考えているマジックの真髄とは、マジックのタネのこと。

 まだかけだしのマジシャンだったころの若きボーデンは本物のマジシャンなら新しいマジックを考えるべきだと主張し、同じマジックばかりを繰り返す師匠を非難します。そして、新しいマジックを考えるのは「俺にしかできない」と豪語しました。さらに、今やっている水中脱出マジックももっと危険性のある結び方でやるべきだと主張し、カッターにたしなめられていました。

 ここから窺えるのは、アルフレッド・ボーデンが考えるマジックの本質とは"タネ"にあるというもの。タネがあってこそのマジックであり、それがすべてだという考え方です。それは彼のマジックのスタイルにも表れていました。粗末な小屋で興行し、無骨なやり方でマジックを見せます。まったく演出がなく、口上も下手。

 大劇場を貸し切って興行し、美しい助手となめらかな弁舌で観客の期待を最高潮に高めてから、華麗にマジックを披露し、多数の観客から拍手喝采を受けるロバート・アンジャーのスタイルとは対照的です。

 ロバート・アンジャーは最初、ボーデンに対する激しい対抗心と復讐心から興行を続けていました。しかし、テスラの装置をもらい受けたロバート・アンジャーは以前の彼とは変わってしまいました。ロバート・アンジャーの考えるマジックの真髄とはマジックのタネのことではありません。

 マジックの本質は、観客にある。

 アンジャーは観客の喜びの表情にマジックの真髄を見出します。マジックを極めるのは自分のためだけではない。観客を喜ばせるためにマジックがあるのではないか。ライバルを倒すためにマジックがあるのではないし、復讐を果たすためにマジックがあるわけでもない。

 ロバート・アンジャーとアルフレッド・ボーデンのマジック競争はいつしか、観客を彼方に置き去りにしてきていました。そして、ロバート・アンジャーはそのことに気が付いたのです。

 ラストシーン、アルフレッド・ボーデンが娘を迎えにカッターの元に行ったとき、ちょうど、カッターが3番目のパート"プレステージ"を演じて見せているところでした。カッターが小鳥を無事に飛ばして見せると、幼い少女の顔はぱっと愛くるしい笑顔に変わります。あの喜びの瞬間をマジシャンは共有できる。これぞ、ロバート・アンジャーの考えるマジックの「真髄」なのです。

プレステージ

↑1899年に設立したコロラド・スプリングスの研究所で実験を行っていた。1900年に撮影されたニコラ・テスラの実験風景。

★実在の人、テスラ

 最後に、テスラその人について見ておきましょう。テスラとはニコラ・テスラという実在の電気技師のことです。彼は天才的な研究家であり、発明家でした。彼は交流電源の開発など、画期的な発明をした天才でしたが、晩年は好事家が好みそうな疑似科学の研究に熱心に取り組んでいました。

 そのせいで変わり者というイメージが強いニコラ・テスラ。

 しかし、そこに至る以前に、彼が着手していたのが、電波に乗せて情報やエネルギーを送るという実験です。この実在のテスラの歴史にアイデアを得て、創作されたのが、「プレステージ」に出てくるテスラの装置でした。彼の生涯抱き続けた夢は、現代になって少しづつ実現してきています。

プレステージ

↑ニコラ・テスラ、1856−1943。


★ニコラ・テスラとは ?

 ニコラ・テスラはセルビア人。1856年に生まれました。1884年に渡米し、発明王エジソンの会社に就職します。このとき、彼は交流電流による電力事業を提案しますが、直流電流にこだわるエジソンと対立してしまいました。

 簡単に説明すると、直流電流は遠隔地への送電の際、ロスが大きく、交流電流では送電ロスが小さく済むのです。テスラは渡米してから3年後、1887年には独立して事業を起こし、テスラ電灯社を設立しました。特許を取得し、交流電流による電力事業を開始します。

 このテスラの交流電流による送電に目を付けたのは、当時、エジソンの会社とライバル関係にあったジョージ・ウェスティンハウスでした。彼はテスラに交流電源の特許を売却するように持ちかけ、テスラは彼に特許権を売却しました。その後、ウェスティンハウスはナイアガラの滝に建設予定だった水力発電所の受注を巡ってエジソンの会社と争い、勝利をおさめます。

 その後、テスラの交流電流は、電力事業の主流となり、エジソンの直流電流に結果的には勝ることになりました。

 そのころ、テスラの関心は「世界システム」といわれる事業に向けられていました。「プレステージ」では、この研究をしていたころのテスラがモデルになっています。

プレステージ


★「プレステージ」が着想を得たテスラの「世界システム」

 「世界システム」とは、電波に情報やエネルギーを乗せて伝達しようという計画。いわゆる無線通信、無線充電というものです。彼はこの計画を実現すべく、1899年にコロラド・スプリングスに研究所を設立しました。

 「プレステージ」の中でもテスラの自宅はコロラド・スプリングスにありました。ボーデンやアンジャーが命をかけて競い合った「人間瞬間移動」のマジックを実現させたテスラの装置とは、とりもなおさず、テスラの無線通信研究に着想を得たものです。

 他にも、テスラの実際の業績に関連した場面が出てきます。地面にたくさん電球が突き立てられた場所にロバート・アンジャーが連れて行かれたシーンがそうです。

 地面から電球を抜くと光は消え、地面に刺すと再び点灯しました。テスラは地球全体が電気を帯びているということを証明することに成功していました。これは、地球が「帯電体」であることを証明したテスラの成功を示す場面です。

 では、「人間瞬間移動」の元ネタになった「世界システム」がその後、どうなったのか、そしてテスラはどのような晩年を過ごしたのでしょうか。

 テスラの「世界システム」はある富豪の関心を引きました。その富豪の名はJ(ジョン)・P(ピアポイント)・モルガン。モルガン財閥の創始者であり、今も投資銀行JPモルガン・チェースにその名を残す人物です。彼は当時アメリカ政府をしのぐといわれたほどの大金持ちでした。彼は当時の額面で15万ドル、現在価値に直すと300万ドル(約2.7憶円)という巨額の資金をテスラに与えます。

 強力な資金援助を得たテスラは研究所設立から2年後の1901年に「ワーデンクリフ・タワー」という施設の建設に着手しました。この実験施設は無線通信・無線送電の前線基地になるはずでした。テスラはこのタワーからフランスに送電することを試みようとしていたのです。

プレステージ

↑ロングアイランドに建設されたワーデンクリフタワーの全景。テスラはここからフランスに無線送電を試みたかったようだ。

 しかし、大事件が持ち上がりました。テスラが建設に着手した1901年にイタリア人研究家のグリエルモ・マルコーニがイギリス-カナダ間の大西洋を横断する無線通信に成功してしまうのです。しかも、この技術は実用化され、1909年にはグリエルモ・マルコーニはその業績に対してノーベル物理学賞を受賞しました。

プレステージ

↑グリエルモ・マルコーニ、1874-1937。イタリアの無線研究家。イギリス資本の援助を得て、大西洋を横断する無線通信を成功させた。アメリカ議会図書館提供。

 テスラのタワーは1905年に完成しますが、マルコーニに先を越されてしまったテスラは、タワーの設計トラブルやモルガンとの個人的確執などその他の要因も重なり、ついに資金援助を打ち切られてしまいます。
ワーデンクリフ・タワーは1917年には撤去され、今はその姿を見ることはできません。

 テスラの試みた無線通信はグリエルモ・マルコーニに先を越されましたが、無線送電についてはいまだ未知の領域でした。しかし、研究費用に欠乏したテスラは、その個人的な嗜好と相まって、次第に疑似科学への関心を高めていきます。彼は晩年、例会との通信装置の開発など、オカルト色の強い研究開発に熱心に取り組んでいました。そして、1943年にニューヨーク・マンハッタンのホテルで86歳で死去します。

 テスラの無線送電の夢は2007年になって、実現のきざしが見えてきました。アメリカ・マサチューセッツ工科大学(MIT)がワイヤレス充電の実験に成功したと発表したのです。電磁的共振を利用した実験で、部屋の中程度の広さであれば、ノートPCの充電ができるとか。テスラの夢は現代に引き継がれています。

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【追記】
コメントでご質問をお受けしました。その一部を【追記】という形で本文に追加させて頂きます。本文の補足として必要な部分を抜粋しています。

(問題点)
■ボーデンとファロンは双子の兄弟か?テスラの装置によるコピーか?(2010年11月24日)
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■ボーデンとファロンは双子の兄弟か?テスラの装置によるコピーか?

 以上が、ボーデンが怒っていた理由です。なお、この論点と、ボーデンとファロンが本当の双子か、それともニコラ・テスラの装置によるコピーなのかという問題は別の問題です。

 上の説明では、アンジャーのマジックを見ている場面のボーデンが、ニコラ・テスラの装置を知らなかったのは、コピーであるがゆえに、ニコラ・テスラの装置のことを知らなかったから、としています。

 しかし、知らなかったのは、もう1人のボーデンにニコラ・テスラの装置のことを知らされていなかっただけ、とも説明できます。「サラを愛したボーデン」の方だけが、ニコラ・テスラに会いに行き、彼の装置を見た。しかし、その装置は未完成と聞かされ、帰ってきた。と考えることもできます。

 本当の双子だったという解釈も成り立つと思います。

 それでも、コピーだった、と解説しているのは、ボーデンが途中からファロンという男を連れてきたこと、そして、ニコラ・テスラにボーデンが会いに行っていること、ニコラ・テスラの装置は実験が成功していたにも関わらず、テスラ自身は気づいていなかったという点です。

 ボーデンが人生をマジックの犠牲にすべきだと確信したのは中国人のマジシャンを見たときです。マジックのため、偽りの人生を生きてもいい。そして、ファロンが登場します。

 もし、ファロンが血のつながった双子なら、ボーデンの要求を素直に受け入れるでしょうか。双子であるからと言って、思考回路まで同じとは限りません。双子の兄弟がボーデンと同じような考え方の持ち主で、マジックに人生を捧げると決めている人でなくては、「2人で一つの人生を生きる」という決断はできないでしょう。
 
 また、ボーデンはアンジャーに勝利したいと願っていました。そして、テスラの実験が成功していることを知っていた。そして、その成功をニコラ・テスラ自身が気が付いていないことも。

 ニコラ・テスラ自身が「気が付いていない」、これは重要です。

 なぜなら、ボーデンはアンジャーに、この装置を利用してボーデンに勝ちたいと思わせなくてはならないからです。もし、ボーデンが先にテスラの実験成功を知り、装置を使ったことを知っていたら、アンジャーはこの装置に魅力を全く感じなかったでしょう。タネがばれていてはマジックは成功しないからです。

 アンジャーは実験の成功に気がつかないふりをして、ファロンというコピーを黙って連れて帰りました。後は、のちにわざと盗ませることになる手帳に、テスラのことを記述しておくだけでいい。これで、ニコラ・テスラの装置のことをアンジャーは知るでしょう。

 かくして、オリビアが盗んできたボーデンの手帳に沿って行動するアンジャーはニコラ・テスラを訪問しました。そして、これは彼を結果的に破滅させました。ニコラ・テスラの装置は素晴らしい研究の成果でしたが、一方で、自分自身を殺し続けるという苦行をアンジャーに課したからです。
 
 ファロンを得たボーデンはテスラの装置の素晴らしさと共に、その恐ろしい欠点も理解したでしょう。マジックをするたびに自分自身のコピーが次々に生まれてしまう、これは恐怖以外の何物でもありません。

 人生のすべてをマジックに捧げる決心をしているボーデンには装置の利用は一度だけで十分でした。ニコラ・テスラの装置は必要ない。あとはコピーした自分と共に、2人で一つの人生を生きていけばいい。

 しかし、アンジャーにはそれができない。アンジャーの思考をボーデンは読んでいました。ニコラ・テスラの装置を利用し、コピーを得、その装置をアンジャーを陥れる仕掛けとして利用する。ファロンが本当の双子ではなく、テスラの装置によって生み出されたコピーであると解釈することによって、「プレステージ」にはよりストーリーに深みが出ると思います。

 以上から、上の『解説とレビュー』では、ボーデンとファロンは双子ではなく、ニコラ・テスラの装置によって作られたコピーであると説明しています。
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ハート・ロッカー 『あらすじ -完全版-』

映画:ハート・ロッカー あらすじ -完全版-

ハート・ロッカー↑イラクのキルクークに展開するアメリカ軍。後ろはUH-60ヘリ(ブラックホーク)。.jpg

↑イラクのキルクークに展開するアメリカ軍。後ろはUH-60ヘリ(ブラックホーク)。


 「ハート・ロッカー」はイラク駐留アメリカ軍の爆発物処理班の日常を描く映画。張りつめた緊迫感が半端ではなく、今までにない戦争映画として新鮮な印象の残る秀作です。アメリカ軍がイラクで悩まされるIED(即席爆発装置)に焦点を当てているのも、映画としては初めて。

ハート・ロッカーの『解説とレビュー』はこちら

 しかし、日本での配給先が決まらず、日本公開が危ぶまれる映画でした。が、ついに、日本公開が決定しました ! 2010年3月6日よりTOHOシネマズ みゆき座、TOHOシネマズ 六本木ヒルズほか全国にて公開です。

 ブルーレイ・DVDには当然ながら、日本語版は出ていません(2009年12月末時点)。アメリカから英語版を購入するしかありません。内容を知ることが難しいと思われますので、あらすじを全てのせておきます。結末までの完全版あらすじです。ただし、自分なりに再構成しているので、その点はご了承ください。

ハート・ロッカー

↑攻撃され、炎上するハンヴィー。IEDによるもの。イラク・バグダッドにて。

↑ハンヴィー。撮影場所はアフガニスタン。アメリカ国防総省提供。.jpg

↑ハンヴィー。撮影場所はアフガニスタン。アメリカ国防総省提供。




【映画データ】
ハート・ロッカー
2008年(日本公開予定・2010年3月6日よりTOHOシネマズ みゆき座、TOHOシネマズ 六本木ヒルズほか全国にて公開)

ロサンゼルス映画批評家協会作品賞、監督賞受賞

監督 キャスリング・ビグロー
出演 ジェレミー・レナー,アンソニー・マッキー,ブライアン・ジェラティ,レイフ・ファインズ,ガイ・ピアース,デビッド・モース



ハート・ロッカー↑イラク現地で使われるハンビーのバックにはこのような表示がなされている。イラクにて。.jpg

ハート・ロッカー↑ハンヴィーの背面にアラビア語で警告文が書かれている。イラク・モスル、2007年3月7日。アメリカ空軍提供。.jpg

↑イラク現地で使われるハンヴィーのバックにはこのような警告表示がなされている。「100メートル以上離れないと撃つ」。イラクにて。

 2007年イラク。アメリカ陸軍の爆発物処理班(EOD)は日々発見される爆発物との格闘を続けている。その毎日は死と隣り合わせ。今日もトンプソンとサンボーンを始めとするB(ブラボー)中隊の面々は出動要請を受け、爆発物とおぼしき物の処理作業に取り組んでいた。

 今回のターゲットはC4爆弾で爆破する。爆発物の大きさに検討をつけ、C4爆弾4つ、40ポンド(18.14kg)の爆弾により爆破できると踏んだ。問題は誰が猫のクビに鈴をつけるか。すなわち、誰が40ポンドの爆弾を持って、爆発物の近くに行くか、だ。

 爆破のための遠隔操作ロボットも支給されているのだが、故障してしまった。ロボットが役に立たないので人力でやるしかない。今回、その役目を引き受けるマット・トンプソン軍曹は爆破から身を守る防爆服を身にまとう。

ハート・ロッカーアメリカ軍海兵隊の「IED DETONA.jpg

↑ハート・ロッカーアメリカ軍海兵隊の「IED DETONATOR」。IEDの無力化や除去に使われるロボット。イラクのキャンプ・ファルージャ近郊にて。アメリカ国防総省提供。

 防爆服とは爆破で生じる衝撃波から身を守るためのもので、見た目は宇宙飛行士の宇宙服のよう。重さはヘルメットを合わせて44kgにのぼり、手の指の部分は作業をできるように穴が開いていて指は露出している。しかも、数十キロに及ぶ大型の爆発物に対する防御力はゼロに近い。

 つまり、解除に失敗したり、思わぬときに爆発してしまえば、防爆服を着ていても死ぬことになるのだ。トンプソンは、40ポンドのC4を手にとってゆっくりと爆発物の近くに歩いて行った。

 部下のJ・T・サンボーン軍曹はその他の兵士を指揮して周囲の警戒に当たる。爆破作業を狙って狙撃してくる者や、遠隔装置による爆破をしようとする者、または自爆テロをしようとする者がいないか、周囲の警戒が欠かせないのだ。

 そうこうするうちにトンプソンは爆発物に到達。爆薬を置き、サンボーンたちの方に引き返してくる。サンボーンはそのとき、不審な男を発見した。周囲の店にいる男が何やら携帯電話で話しているのだ。遠隔操作を疑い、その男に携帯電話による通話を止めるように警告する。

 しかし、時すでに遅かった。男は携帯電話のボタンを押し、その瞬間に爆発物が巨大な地響きと轟音をあげて爆発したのだ。トンプソンは吹き飛ばされ、周囲はしばらく土煙に包まれた。

 その日、基地に帰ったサンボーンは白い箱がずらっと並んだ基地内の施設にいた。トンプソンの遺品を納めに来ていたのだ。係の兵士が事務的な態度で白い箱にパチンパチンと4か所に封をしていく。これで、遺品は封印され、本国アメリカに帰っていくことになるのだ。

 サンボーンはキャンプ・ビクトリー内に立ち並ぶ兵士用のバラックのひとつにやってきた。大音量の音楽が聞こえてくるバラックのドアをノックする。出てきたのは新たにブラボー隊に転属してきたウィリアム・ジェームス2等軍曹。彼は死んだトンプソン軍曹の代わりにサンボーンの爆発物処理班に配属されてきたのだ。

 ジェームスはサンボーンに窓際に張られた大きな木の板をどかすのを手伝ってくれという。その木の板は毎晩のようにキャンプ・ビクトリーに撃ちこまれる迫撃砲を避けるためのものだった。サンボーンは「動かさない方がいい」と注意するのだが、ジェームスは「窓だけ木の板を置いても屋根からは防げない、だったら部屋が明るい方がいい」というのだった。


※以下、ネタバレしていますので、ご注意ください。

ハート・ロッカー↑イラクで撮影。アメリカ軍・軍事情報センター提供。.jpg

↑早朝に家宅捜索を行うアメリカ軍。イラク・ラマディ、2006年。アメリカ軍・軍事情報センター提供。


「B中隊の任務終了まであと38日」

 爆発物処理班の出動要請が絶えることはない。今日も出動だ。オーウェン・エルドリッジ技術兵はキャンプ・ビクトリーにずらっと並んだ戦車を見て、自分たちが軍用トラック・ハンヴィーで任務に出かけては爆弾テロの餌食になっていることを嘆き、「戦車を回さないと下っ端の兵士は死ぬしかないんだ」と嘆いていた。

 B中隊の面々が出動要請された地点にやってくると、そこには誰もいない。無線で確認するが、場所に誤りはないらしい。警戒しながら道を曲がるとそこにはもう一台のハンヴィーが。彼らは「味方だ」と叫びながらハンヴィーに近づくが誰も乗っていなかった。どうやら燃料切れで放置されているらしい。

 ジェームスは向こうの建物からアメリカ国旗を振っている手を発見。近づいていくと、8名ほどの米兵が崩れかけた建物の隙間に隠れているではないか。彼らによると、近くにIED(即席爆発装置)があると情報提供者が警告してきたのだという。しかし、燃料切れで身動きが取れなくなり、救援が来るまで隠れていたのだった。

 IEDの処理には、防爆服で対応するとジェームスはいい、さっそくIEDを探しに出かけた。サンボーンらから離れた地点に来ると、ジェームスは発煙弾を放ち、スモークを張ってしまった。これでは、サンボーンらはジェームスの援護射撃ができなくなってしまう。サンボーンは焦ってジェームスに大声で呼びかけるが、ジェームスは完全に無視している。

 そうこうするうちにアラブ人が運転するタクシーが突っ込んできた。爆破作業を狙った自爆テロだ。煙幕のせいでサンボーンらはジェームスを援護することができない。しかし、ジェームスは慌てずにタクシーの前に立ちはだかり、拳銃で狙いをつけた。

 そこに、サンボーンらが救援に駆け付け、タクシー運転手の男は確保された。ジェームスは爆弾を引き続き捜索し続け、道の中央に置かれたごみの中から埋もれた爆弾を発見。さっそく解除作業にかかり、作業は完了した。

 しかし、ジェームスはその解除した爆弾から延びる赤い導線を見逃さなかった。その赤い線を引っ張ると芋づる式に7つもの爆弾を発見。ジェームスはそれを見ても顔色一つ変えない。もくもくと作業を進め、見事に解除に成功。けが人も死者も1人も出ずに処理作業は終わった。

 しかし、ジェームスのやり方にサンボーンは怒り心頭だった。勝手な行動を気にも留めないジェームスのやり方を続けていてはいつか爆発事故が起き、死人が出る。「あと38日の任務なんだ。もっと安全にやるべきだ」。サンボーンはそういって不満をもらすのだった。

 キャンプ・ビクトリーに帰ってきたB中隊。そのひとり、エルドリッジは心ここにあらずといった表情で戦争ゲームをしている。画面に映る人間。次々に射殺していく。そこに、現われたのは軍医のケンブリッジ大佐。彼は精神的に疲労しているエルドリッジの話し相手だった。エルドリッジはトンプソンが死んだことが忘れられないと訴え、銃を構え、「トンプソンが生きてる、死んでる、生きてる、死んでる」そう繰り返すのだった。

ハート・ロッカー

↑手前の道路にゴミがたくさんあるのが見える。道路に積もっているこういうゴミがIEDを隠しやすくする。イラク・アルサラム、2007年3月1日。アメリカ軍・軍事情報センター提供。

「B中隊の任務終了まであと37日」

 翌日、国連関係の施設に駐車されたヒュンダイ車に爆弾が仕掛けられているようだとの通報がイラク警察から入る。爆発物処理班・ブラボー隊の出番だ。

 周囲の建物から住民を避難させ、ジェームスは防爆服を着てヒュンダイ車に近づく。トランクを開けたジェームスは驚いた。20本以上はあろうかという爆弾が山のように積み込まれているのだ。この爆弾の前ではもはや防爆服は無意味だった。

 ジェームスは防爆服を脱ぎ捨てて、解除作業にかかる。サンボーンは周辺住民や国連職員の避難、そして、警備に当たるが、周囲の建物からは住民が顔を出して解除作業を見物しており、遠くにはカメラで解除作業を撮影している男も見える。そして、その男のちょうど反対側にあるモスクの塔の上には3人の男が見えた。

 塔の男たちとカメラの男を見ていたサンボーンは彼らが何やら合図しあっているように感じた。もしかしたら、遠隔操作で解除作業中のアメリカ兵を吹き飛ばすタイミングを見計らっているのかもしれない。アメリカ兵を爆弾で吹き飛ばす様子をテロ犯がカメラで撮り、インターネットで公開することはよくあることだった。

 危険を感じ始めたサンボーンはジェームスに作業を中止して引き揚げろと指示。しかし、ジェームスはヘッドセットを外してしまっていて、連絡が取れない。ヘッドセットをつけろ、と部下に叫ばせるが、"Fuck ! "との返事。

 そうこうするうちにようやく、解除作業が終わり、今回も事なきを得た。サンボーンたちが撤収にかかっていると、リード大佐が視察にやって来て、ジェームスの解除作業をほめ、今までに何発解除したんだとたずねる。「873発です」と答えるジェームスだった。

 その日の夜。エルドリッジは軍医のケンブリッジ相手に「やつ(ジェームス)は俺を殺そうとしている」と言ってぼやいた。「やつの強情なプライドのせいで、今日も爆死しかけた」、と。ケンブリッジは「戦争は一生に一回参加するだけと考えろ」と慰めるが、「戦争を社会勉強だと思えというのか !? 」とエルドリッジは言い返した。

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↑車に仕掛けられたIED。車爆弾という呼び名もある。

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↑車に仕掛けられた爆弾(車爆弾)が爆発した後。イラクのバグダッドで撮影。


「B中隊の任務終了まであと23日」

 砂漠で爆破装置を作動させ、爆弾を爆破処理しているB中隊。爆破装置を起動させようかというときに、ジェームスが手袋を起爆装置のところに忘れてきたと一言。さっさと爆弾のところまで手袋を取りに戻ってしまった。

 サンボーンとエルドリッジは黙ってそれを見ていたが、サンボーンが一言、「事故は起きるものだ。報告書を書けばそれで終わりさ」。それを聞いたエルドリッジは「自分には報告書を書く勇気がない」。ジェームスの勝手な行動に部隊の面々はそろそろ我慢の限界だったのだ。

 そのまま、砂漠を走っていると、不審な車両を発見した。停車させ、乗っている男たちを降ろす。5人ほど乗っていて、みなアラブ人のかっこうをしている。そのうちの一人が装束を取るとなんとアメリカ人だった。彼は軍事契約企業の社員だと名乗る。同僚の社員2人とアラブ人2人の確保指令を50万ポンドで引き受け、ターゲットの2人を確保して今は帰るところだと言うのだ。

 彼は「あと任務終了まで何日だ ? 」とブラボー隊の隊員たちに尋ねてきた。彼らが、「あと23日か22日ほどだ」というと、「俺たちは誰もそんなの数えてないな」と笑いながら言うのだった。

 そのとき、突然社員の1人が狙撃された。誰かが狙っているらしい。たちまち銃撃戦になり、隊員たちは砂丘の向こう側に隠れて応戦した。その間に捕まえてきたアラブ人2人が逃走。彼らを捕まえてきたと言っていた社員は「50万ボンドがパーになる ! 」と叫び、慌てて追いかけようとするが、突然、彼らを射殺した。彼は戻ってくると、「生死を問わず、50万ポンドがもらえることを忘れていたよ」。しかし、その直後、彼も狙撃されて死亡してしまった。

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↑爆発物の処理。イラクにて。アメリカ軍・軍事情報センター提供。


 いつの間にか、味方はサンボーンにジェームス、そしてエルドリッジのB中隊の隊員しかいなくなっている。無線で応援を要請し、狙撃犯がいると思われる場所に狙いをつける。ジェームスが当たりをつけ、サンボーンが狙撃するのだ。2人は元特殊部隊出身だったので、狙撃もこなせる。

 一方、エルドリッジは狙撃ライフルのカートリッジを軍事企業社員の死体から取ってくるように命じられた。彼は、それを取ってきてそのままジェームズに渡したが、それには血がべっとりついている。ジェームスはさっそく装填し、サンボーンが撃とうとするが、血が詰まってうまく動かない。

 ジェームスがエルドリッジに血を拭くようにと投げてよこすが、血を見たエルドリッジはすっかりパニックになってしまっていた。ジェームスはエルドリッジに付き添い、ツバをつけてこうやって落とすんだ、と実演して見せる。ジェームスはエルドリッジを落ち着かせ、血をカートリッジから落とした。

 狙撃犯はサンボーンにより射殺され、B中隊の背後から狙ってきた狙撃犯の仲間もオーウェンが射殺。彼らは夕日が差すまでその場を動かなかったが、もう撃ってくる者はいない。狙撃犯は全員射殺されたようだった。

 基地に戻ってきたB中隊。ジェームスとサンボーン、エルドリッジはジェームスの部屋で酒を浴びるように飲み、取っ組み合いをして大騒ぎ。部隊の面々はすっかり打ち解けていた。ジェームスは妻と息子がいることを打ち明け、「妻がなぜ自分と一緒になったままなのか分からない」という。彼はめったに電話をしないし、妻はなぜ、自分と別れないのかが不思議だというのだ。

 一方、サンボーンとエルドリッジはジェームスのベッドの下から木箱に入った大量の爆弾の部品を見つけて仰天する。ジェームスによると、これらの部品は彼が今まで解除してきた爆弾の一部を持ち帰ったものだという。

 その後、飲み過ぎて歩けなくなったサンボーンを彼のバラックにまで連れ帰ったジェームスはサンボーンをベッドに寝かせた。酔いつぶれたサンボーンはジェームスに「あの防爆服を着て何を見つけたんだ?」とたずねる。ジェームスは「地獄かな」と答えてドアを閉めて出て行った。ジェームスは自室のベッドに座り、防爆服のヘルメットをかぶり、上半身を起こしたまま眠りにつくのだった。

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↑イラク、住宅街での爆発。道路上に仕掛けられた爆弾によるものと思われる。


「B中隊の任務終了まであと16日」

 今日はエルドリッジの主治医であるケンブリッジ大佐がB中隊のハンヴィーに同乗するという。今日の出動要請は過激派のアジトと目される場所だった。到着後、周囲の警備をケンブリッジ大佐に任せ、ジェームスとサンボーンは建物の中に入っていく。すると、犯行声明のビデオを撮るためのカメラ、過激派の旗、そして、爆薬を造ることのできる化学物質などを大量に発見した。

 サンボーンらが、これは大発見だと喜んでいるとき、部屋の片隅に1人の少年が寝かされているのを見つける。少年は手術台の上にのせられ、血だらけになっていた。既に息はなく、胸から腹にかけて大きな一文字の切り傷がある。

 少年はいわゆる"人間爆弾"にされたのだ。彼を見てジェームスは絶句した。彼はベッカムと名乗るサッカーが大好きな少年で、よく基地の中にDVDを売りに来る現地の商人と共にキャンプ・ビクトリー内にやってきていたのだ。ジェームスはベッカムを可愛がり、彼とサッカーをしたり、DVDを頼んだりしていたのだった。

 恐らく、犯人はアメリカ兵と仲のいい少年に目をつけ、彼を利用して基地内に爆弾を持ち込み、テロを起こそうと考えたのだろう。

 少年の腹に仕込まれた爆弾の危険から、サンボーンは少年の遺体ごと爆破することを主張したが、ジェームスは爆弾を処理すると主張して譲らない。サンボーンらが外に退避したのち、ジェームスは少年の腹の傷を開いて中に仕込まれた爆弾をとりだした。そして、少年の遺体を抱えて外に出てきた。

 サンボーンやジェームスが建物の中を捜索している間、ケンブリッジ大佐は建物の外の住民を退避させようとしていた。荷馬車に物を満載したイラク人とたどたどしい英語で会話をしながら、彼らをどうにか立ち去らせた。その後、ケンブリッジ大佐がちょうど建物から出てきたサンボーンらの方に歩きはじめたときだった。荷馬車が残して行った肥料袋が大爆発を起こした。さっきまで大佐と談笑していたアラブ人たちはテロリストだったのだ。

 大音響と砂煙が消えたのちには何も残らなかった。ケンブリッジ大佐は粉々に吹き飛んだ。かけらすら残らなかった。エルドリッジは心の支えであった大佐を失い、完全にパニック状態に陥り、ケンブリッジの名を叫ぶのだった。

 その日の夕方、キャンプ・ビクトリーに戻ったジェームスはアメリカの妻に電話をかけた。「もしもし」という妻の声。そして、まだ言葉を話せない息子の声も聞こえる。しかし、ジェームスは何も言わずに電話を切った。

ハート・ロッカー↑イラク人商人たちがアメリカ軍の兵士を相手に商売をしに来ている。アメリカ軍・軍事情報センター提供。.jpg

↑イラク人商人たちがアメリカ軍の兵士を相手に商売をしに来ている。アメリカ軍・軍事情報センター提供。


 その日の午後、ジェームスはベッカムが商売をしていた場所に行き、ベッカムの雇い主とおぼしき男性にベッカムの行方をたずねるが、彼は英語は分からないといって話をしない。警備のアメリカ兵に咎められ、ジェームスはいったん引き下がったが、そのまま商人を待ち伏せしていた。夕方、商売を終えて家路に就く商人の車に銃を突きつけて強引に乗り込む。そして、彼にベッカムの家まで連れて行けと脅迫するのだった。

 ある一軒家につれてこられたジェームスはその家に侵入。その間に商人は逃げてしまった。中にいたのは初老の男性。彼はナヴィド教授だと名乗り、英語もフランス語も話せるという。彼は銃を突きつけられて驚いた様子だったが、ジェームスに丁寧な対応をとり、まずは腰掛けるように勧めてきた。ジェームスが戸惑った様子をみせるところに、妻とおぼしき女性が帰宅。銃を構えたアメリカ人の姿を見て悲鳴を上げ、大騒ぎになったため、ジェームスはその家を逃げ出した。

 既に日が落ちて、外は真っ暗だ。たった1人で小走りに歩くアメリカ人の姿を街中のイラク人たちがじっと見つめる中、ジェームスは市街を通り抜け、キャンプ・ビクトリーに戻ってきた。

 しかし、キャンプ出入り口の検問で止められ、「止まれ ! 」と激しく怒号される。そして、銃を持っていたため、後ろから蹴り倒され、地面に顔を押しつけられた。

ハート・ロッカー↑夜間パトロール前の打ち合わせ。イラク・バグダッド南部、2007年7月24日。アメリカ空軍提供。.jpg

↑夜間パトロール前の打ち合わせ。イラク・バグダッド南部、2007年7月24日。アメリカ空軍提供。


 その後、なんとか検問を通り抜け、ジェームスはバラックに戻った。しかし、息をつく暇もなく呼び出しが入る。緊急出動だという。グリーン・ゾーン(行政地区)内で爆発があり、自爆テロかどうか、爆発による被害の調査をする任務だった。

 向かった先はイラク市内の住宅や商店が立ちならぶ場所。赤々と燃える炎がそこかしこから上がり、黒い煙が立ち上る。黒く焦げた車や死体、けが人があちらこちらに転がっており、爆発の余波で横転した車も見える。

 自爆か、遠隔操作による爆発かはもう分からない。仮に自爆犯がいても死体が粉々になってしまっているので、調査のしようがない。ジェームスは周囲に隠れる場所がたくさんあることを指摘し、これが遠隔操作による爆破テロだと主張する。

 サンボーンらは危険だと言ってジェームスを止めるが、彼は聞かない。サンボーンらを押し切って、爆破犯の捜索に乗り出した。通りを一歩入ると人気のないくらい路地が広がる。手早く3エリアに捜索場所を割り振り、ジェームスは捜索を開始した。

 一通り捜索したが、怪しげな人影などは全く見つからない。あきらめかけたところにエルドリッジの担当するエリアから銃声が聞こえた。サンボーンとジェームスが現場に駆け付けると死体がひ一つ。慌てて近づくとエルドリッジではない。この近くにいるはずと探し始めると遠くに人影が見えた。彼らがそれに向かって銃撃すると、人が倒れた。

 走り寄ると3人が倒れており、そのうちの1人はエルドリッジだった。ジェームスとサンボーンはオーウェンまで銃撃してしまったのだ。幸い、足に当たっており、すぐに手当てすれば命に別条はなさそうだ。彼らはエルドリッジを両脇から抱えてキャンプ・ビクトリーに連れ帰ることができた。

ハート・ロッカー

↑IEDが仕掛けられていると思われた幹線道路付近を捜索するアメリカ軍兵士たち。イラク・東バグダッド、アメリカ陸軍提供。

 誰もいないシャワー室にやってきたジェームス。鏡に映る自分の顔は疲れた顔をしている。そして血だらけの軍服と装備。彼は何も脱がず、そのままシャワーの蛇口をひねった。降りそそいでくるシャワーの水が彼の軍服を濡らし、靴を伝って下に流れ落ちていく。排水溝に向かって流れていく水は真っ赤な色をしていた。ジェームスは崩れ落ちるようにしてシャワーブースに座り込み、嗚咽するのだった。

 翌日は負傷したエルドリッジが本国に送還される日だった。ヘリに見送りに行こうと兵舎を出るジェームスにイラク人の少年が走り寄ってくる。ちょうど、ベッカムと同じ年ごろの少年で、手にはベッカムの好きだったサッカーのボールを抱えていた。彼は人懐こそうな様子でジェームスに話しかけるが彼は無視する。ジェームスはまったく少年を相手にしなかった。

 エルドリッジが乗ったヘリに行くとサンボーンも来ている。エルドリッジは大腿骨を9か所骨折していた。彼は、「6か月で歩けるようになると医者に言われた」と話す。ジェームスらはエルドリッジに別れを告げ、ヘリは飛び立って行った。

ハート・ロッカー↑シャワー・ルームはこんな感じ。イラク・キルクーク、2009年11月撮影。.jpg

↑シャワー・ルームはこんな感じ。これは設備が少しグレードアップしたばかりのところを取った写真。イラク・キルクーク、2009年11月撮影。

「B中隊の任務終了まであと2日」

 任務終了が近づき、間もなく本国に帰国する日が近くなってきた日、出動要請が入る。体中に爆弾を付けられたイラク人がキャンプ・ビクトリーの近くに来ていて、その爆弾を外してほしいと言っているのだという。

 サンボーンは彼が作業班を近づけて自爆するつもりではないかと疑い、ジェームスに近づかないようにと警告するが、ジェームスは彼の爆弾を解除するために防爆服を着込んだ。通訳を介して彼に話しかけ、爆弾を体中につけられた男に近づく。

 早速解除作業が始まった。しかし、鍵が頑丈に付けられているうえ、この爆弾は時限式。あと2分で爆発することが分かった。サンボーンがジェームスを連れ戻しに来るがジェームスは強情に作業を続け、サンボーンを追い返す。ついに1つの鍵を破壊することに成功。しかし、そこまでだった。

 残り時間は数10秒。それに対して残る鍵は数個もある。もう間に合わなかった。

 ジェームスは「すまない、分かるか ? お前を助けられない、すまない ! 」と叫んで男から遠ざかる。男は空を仰ぎ、天に祈りをささげた。

 次の瞬間大爆発。

 ジェームスは吹き飛ばされたが、無事だった。ゆっくりと防爆服のヘルメットを取り、空を見上げる。今日も突き抜けるようにきれいな青空。ゆらゆらと空に凧が浮いている。近くの建物の屋上でイラク人の少年が凧をあげているようだ。

 帰り、ジェームスはトラックを運転し、サンボーンが隣に座っていた。サンボーンは「こんなクソみたいな場所はもうごめんだ」という。そして、過去の思い出やアメリカの家族のことを話し始る。サンボーンによると、彼は子供時代、両親に愛されず、空気のようにいないも同然の存在だったという。そして、妻との間には子供がいないとジェームスにこぼす。

 ジェームスは「これからだろ」とサンボーンに言うが、サンボーンは「もう無理なんだ、もう終わったんだよ」と答える。かと思えば、彼は「息子が欲しい」ともいうのだった。

ハート・ロッカー

↑イラクのアメリカ軍キャンプ。後ろに見える建物が兵舎。


「帰国」

 ジェームスはアメリカに帰ってきた。今日は家族で大型スーパーマーケットに買い物に来ている。白くて清潔な広い店内。ジェームスは1人で何も入っていないカートを押しながら店内を回っていた。反対側から妻と子供がもう1台、カートを押しながらやってくる。

 すれ違いざま、妻に「シリアルを」、と言われたジェームスは、シリアルの棚へ向かった。棚には何10種類ものシリアルが整然と並べられ、横一列に整頓されて客に買われるのを待っている。ジェームスは少し戸惑ったような様子でその一つを乱暴にカートに投げ込んだ。

 郊外の小さな一軒家。ジェームスは落ち葉の溜まった屋根のといを掃除ししている。そして、その仕事を終えるとキッチンにやってきた。ジェームスは妻が食事の準備をするのを手伝いながら、イラクの話をし始めた。「アメリカ軍の兵士がキャンディを配っている場所があった。いつでもその場所で配ってたんだ。そうしたら、そこで自爆テロが起きて59人が死んだ。」

 そこまで話してジェームスははっとしたように苦笑いする。「そうだ、こんな話ばかりしていたら、君の方が爆弾の話に詳しくなってしまうね」。妻は「私に爆弾で吹き飛ばしてほしいの?」と冗談めかして返すのだった。

 ジェームスは息子のベビーベッドのそばに行き、我が子にびっくり箱を開けて見せ、息子が喜ぶのを嬉しそうに見ていた。彼はまだ言葉を話さない息子に向かってあれやこれやと話しかける。

 「僕の歳になると、びっくり箱が布と針金でできてるって分かってしまうんだ」。「年をひとつずつ取るごとに、大事なものが多くなって、"特別なもの"とは思えなくなってくる」。そして、「そのうちに、ほんとに大好きなものが何かも忘れてしまうんだ」。

 息子はジェームスの言葉を全く理解していないが、ジェームスはかまわず話し続けた。「君が僕の歳になったときには、父親のことも記憶の一片になってしまうんだよ」。

「D中隊の任務終了まであと365日」

 彼は再び戦場へ向かう。彼は再び防爆服を着る。ジェームスは再びイラクという彼自身の居場所に戻ってきたのだった。

 "War is a drug." 戦争は麻薬だ。

 ジェームズは当分、この地獄から抜けられそうにない。そして、抜けるつもりもたぶん、ない。

ハート・ロッカー↑CH47輸送機。これに乗ってジェームスは戻ってきた。.jpg

↑CH47輸送機。これに乗ってジェームスは戻ってきた。
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ハート・ロッカー 『解説とレビュー』

映画:ハート・ロッカー 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり

「ハート・ロッカー」の『解説とレビュー』です。

「ハート・ロッカー」の『あらすじ-完全版-』はこちら

Army-Navy Teamworkアメリカ軍軍事情報センター提供.jpgイラク アメリカ軍・軍事情報センター提供 5.jpgusa.jpg
shuting point.jpgハート・ロッカー↑イラクにて。アメリカ軍・軍事情報センター提供。2.jpgイラク・バグダッド アメリカ軍・軍事情報センター提供.jpg


★-War is a drug-戦争とは麻薬だ

 戦争は麻薬のようなもの。一度、この快感を味わったものは永遠にそのスパイラルから抜け出すことはできない。一度感じた甘美な記憶は人間を再び戦場へと向かわせる。命が尽きるまで。

 "War is a drug"とは、「ハート・ロッカー」の冒頭に提示されるメッセージです。ジェームスはその言葉通り、また戦場に戻ってきました。B中隊からD中隊へ。彼はふたたび365日の地獄を味わうでしょう。そして帰国する。そして、再び彼は戦場へ向かうでしょう。

 戦争が続く限り、ジェームスがその地に向かうことを止めることはできません。命が続く限り、その身を危険にさらし、死地から脱するというあの快感を味わいに行くことになるのです。

 結末、ジェームスが再び戦地に向かったことを知った観客を襲うのは虚脱感。観客はジェームズが爆弾にさらされ、死にそうになるたびに彼の一挙一投足にすさまじい集中力を強いられてきたからです。「ブラボー隊の任務終了まであと○日」と表示されるたびに、あと何日あるのか、と観客は思うようになっていきます。

 そして、ようやくジェームスが無事に帰国。妻子といる彼の姿に安堵感を覚えます。しかし、ジェームスの可愛らしい息子の顔を見ているうちに再び聞こえてくるのはあの音。輸送機のすさまじいローター音です。観客は再び戦地に連れ戻されてしまいます。「またか」。ジェームスは戦場に戻ってきました。

ハート・ロッカー↑イラク,道路に仕掛けられた爆弾が爆発した.jpg

↑イラク,道路に仕掛けられた爆弾が爆発し、黒煙を上げて燃えている。


★なぜ、「地獄」に戻るのか

 なぜ、ジェームスは戦場に戻るのでしょうか。彼は防爆服を着て味わうのは「地獄だ」とサンボーンに言います。では、なぜ、その「地獄」に再び戻るのでしょうか。

 ジェームスには、妻がいて、幼い息子もいます。妻は彼を愛しているし、ジェームスが赴任中、電話一つよこさなくても、家でイラクの爆弾テロの話ばかりしていても、何も文句を言いません。そして、無邪気に遊ぶ幼い息子は今が一番可愛い時期なのに。

 しかし、ジェームスはそんな家族のいる家には居場所を見つけられません。彼はスーパーでも一人、別のカートを引いて、妻と息子とは別行動を取っています。彼は妻や息子と一緒に買い物をすることができないのです。ジェームスは常に戦場では1人。彼の仕事は爆弾の解除で、その解除の成否はジェームス1人の腕にかかっています。彼は1人で解除に取り組み、1人でそれを成功させてきました。彼自身のやり方で。

 他人に合わせて何かをするということはもはやジェームスのやり方ではなくなっている。彼の心はいつも戦場のあの緊張感に惹きつけられている。だから、それ以外の話をすることも苦手だし、何かを誰かとやるということがおっくうになっていました。それはアメリカに帰っても同じです。

 乾いた空気に強い陽ざし、雑然とした埃っぽい街。イラク・バグダッドのあの猥雑な空気にすっかり慣れてしまったジェームスにとって、ゴミ一つ落ちておらず、快適な温度に調整され、白色灯でこうこうと照らしだされたスーパーマーケットというのは落ち着きません。

 きれいすぎるし、広すぎる。そして、種類の多すぎるコーンフレーク。整頓されすぎた陳列棚。そこには人間の生きているにおいがない。自分が今、生きているという喜びを感じない。ジェームスにはあの汗っぽい、埃っぽい砂漠の街の熱気、そして、一日一日を命を賭けて、生死の一線上を綱渡りで生きるイラクの日々が懐かしくなってくるのです。

 ジェームスは自宅に帰り、妻の夕食の準備を手伝います。口をついて出るのはイラクの話。それも、自分が関わってきた爆弾テロがらみの話ばかり。どこでどういう爆発が起き、何人が死んだ。そんな話ばかり。妻がそんな夫の話を喜ぶわけがないことも知っています。けれど、他に何を話せばいい ? 他に何か話すことなんてあるでしょうか ?

 ジェームスがしてきた仕事は爆弾の解除作業です。それ以外の何物でもありません。他の話題と言われててもジェームスには無理です。だから、出来るだけ、話をしなくて済むようにスーパーでは別行動をし、家に帰っても1人でいられ、1人でできる屋根の補修をしています。そんな日々の中で、まだ言葉の分からない幼い息子はジェームスの一番の話相手です。息子は父の言葉をわけも分からず、ただ聞いてくれます。

ハート・ロッカー↑市街の警備に当たるアメリカ軍兵士。アメリカ軍・軍事情報センター提供。.jpg

↑市街の警備に当たるアメリカ軍兵士。アメリカ軍・軍事情報センター提供。


★ジェームスの難しい話

 息子と遊ぶジェームス。びっくり箱に大喜びする息子。ここのジェームスの話は抽象的で少々難解です。一体、彼は何を言いたかったのでしょうか。

 「僕の歳になると、びっくり箱が布と針金でできてるって分かってしまうんだ」。そして、「年をひとつずつ取るごとに、大事なものが多くなって、"特別なもの"とは思えないものが出てくるんだ」。

 「そのうちに、ほんとに大好きなものが何かも忘れてしまう。」そして「君が僕の歳になったときには、父親のことも記憶の一片になってしまうんだよ」。

 「僕の歳になると、びっくり箱が布と針金でできてるって分かってしまう。」とは、仕組みが分かり過ぎてしまって、あのときには衝撃的だったものが驚きでも何でもなくなるということ。

 今のジェームスの任務である爆弾処理作業には常に「 ? 」の部分があって、その「 ? 」の部分があるから、成功と失敗、どっちに転ぶか分からない。失敗したら死ぬ。けれど、成功したら、例えようのない喜びと誇りを感じる。

 ジェームスが軍を辞め、祖国で他の仕事に就いたら、分かりきったことやこうすればいいんだということを生真面目に繰り返すだけになるだろう。そこには「 ? 」の部分なんてない。びっくりすることは何もない。つまらない仕事なのです。

 世の中にはクリエイティブな仕事があるじゃないか、と反論されるかもしれないけれど、ジェームスは軍隊一筋で生きてきた人間。特殊部隊の隊員から爆発物処理班へと軍の仕事ばかりしてきました。いまさら他の仕事と言っても、創造性が要求されるような仕事にはつけない可能性が高いといわねばなりません。

 軍歴があるというと、「すごいね」とは言ってくれるかもしれませんが、その経歴が就職活動で常にプラスに評価されると思うのは間違いです。軍歴があるが、仕事の経験が全くない人と、同年齢で経験がある人が仕事口を競えば、負けてしまう可能性が高いでしょう。結局、軍を辞めたところで、ありうる選択肢の中から消去法で選択して就職するしかありません。

 仮に、ジェームスが爆弾処理班の仕事などまっぴらだと思って軍隊を辞めたところで、前途は多難です。それを承知しているジェームスには実質的な選択肢は軍しかない。ジェームスには世の中の仕組み、あるいは自分の人生のこれからが見えてしまっています。

 幼い息子と違い、ジェームスの人生にもう、「 ? 」はありません。ジェームスの人生は軍隊という「布と針金」でできているのです。だったら、せめて仕事には「 ? 」の要素が欲しい。それがあるからこそ、やりがいもあるし、いい人生を生きているという実感も得られる。

ハート・ロッカー↑イラク人の少年と遊ぶ兵士。その間、少年の母は人口調査に応じていた。アメリカ空軍提供。.jpg

↑イラク人の少年と遊ぶアメリカ軍兵士。その間、少年の母はイラク国民の人口調査に応じて用紙の記入をしていた。アメリカ空軍提供。

 また、ジェームスはこうも言いました。「年をひとつずつ取るごとに、大事なものが多くなって、"特別なもの"とは思えないものが出てくるんだ」。

 人間は成長するに従って、親、兄弟、妻、子供などのほか、仕事や社会的地位など、自分が誇りとするものを手にしていきます。ジェームスの場合は、爆弾の解除作業という仕事、そして爆弾を解除したときの達成感、そして、死地から脱したときに感じる快感です。

 それは皆、ジェームスにとって「大事なもの」。

 家族と爆弾処理を比べるなんてばからしい、と思うかもしれませんが、人間にとって快感とは根源的なもの。この愉しみを知ってしまった人間だけが知るものです。ジェームスにとって爆弾処理とは麻薬のようなもの。中毒性があり、依存性がある。ダメだと分かっていてもやめられない。アルコールやドラッグと同じなのです。

 とにかく、ジェームスには妻や子のほか、爆弾の解除作業、それから得られる快感が"大事なもの"になり、どれかに順位をつけることなどできなくなっていました。道理的には、妻や幼い息子への愛情が優先するはずですし、ジェームスもそうしなくてはならないということが分かっています。

 けれど、心の奥底ではジェームスはあの快感を求めている。だから彼は理性では家族を選択しなければならないと分かっていながらも、爆弾処理任務を優先してしまいます。結果、生じる罪悪感から逃れるため、彼は妻と息子という愛情を向けるべき対象を忘れようと努力せねばなりません。

 ジェームスはイラクからめったに電話をせず、ようやく電話をしたときも、無言電話。なぜなら、妻に電話してその声を聞くと、理性と本能のねじれをいよいよ自覚してしまうからです。本来、ジェームスがいるべき場所におらず、命をかけた任務の方に夢中になっているという現実。そして、そのねじれからくる罪悪感を感じたくないためにジェームスは電話をしないのです。

 「ほんとに大事なもの」は家族のはずなのに、それも忘れてしまう。そして、「君が僕の歳になったときには、父親のことも記憶の一片になってしまう」。ジェームスが妻と息子以外に爆弾の解除作業という楽しみを見つけたように、まだ幼い息子にも成長するにつれて、大切なものが増えていくでしょう。

 そうしたときに、ジェームスが息子の中に占める割合というのは相対的に低下していきます。息子がジェームスの歳になったころには、息子には妻がいて、もしかしたら子供もいるかもしれない。そのときにはジェームスのことなんて記憶の片隅にいってしまう。だから、今は父が家にいないことを許してほしい。ジェームスがイラクに行くことを許してほしい。

 何度でも、ジェームスは戦地に赴くでしょう。ジェームスの妻がいくらジェームスを愛してくれたとしても、幼い息子があどけない笑顔をいくら父に向けたとしても、ジェームスにとって、あの爆弾の解除作業に勝る満足感をくれるものはありません。「ほんとに大事なもの」が戦争なんだと言ったら、きっと妻は顔をしかめるでしょう。しかし、今のジェームスにとって「ほんとに大事なもの」は戦争になっているのです。

ハート・ロッカー↑夜間に行われたテロリスト容疑者の家の捜索。イラク・モスル、2007年3月10日。アメリカ空軍提供。.jpg

↑テロリストと疑われた者の家を夜間に家宅捜索するアメリカ軍。イラク・モスル、2007年3月10日。アメリカ空軍提供。

★サンボーンが「無理なんだ、もう終わったんだ」といったわけ

 帰国2日前。サンボーンは「子供が欲しいならこれからじゃないか」とジェームスに言われ、「無理なんだ、もう終わったんだ」と言います。一方では「息子が欲しい」とも。なぜでしょうか。2つのサンボーンの発言は矛盾しているようにも思えます。

 しかし、これは相反するようで、全て真実なのです。サンボーンは息子が欲しいと思っています。一方ではそれが叶わぬ夢であることも分かっている。サンボーンが負傷したからとか、そういう生理的・身体的な問題ではありません。サンボーンは五体満足なまま、ジェームスとともに帰国を果たしたことでしょう。

 しかし、サンボーンは知っています。もはや、自分に平和で穏やかな家庭生活などというものは似合わなくなっていることを。サンボーンはジェームスと同じ、特殊部隊出身者です。ブラボー隊の任務が初めての戦地経験ではありません。何度も死地をかいくぐってきた彼らは似ている。

 彼は息子を文字通り「作る」ことはできるでしょう。しかし、その息子と過ごす、すなわち、家庭生活を送ることはできません。それはジェームス同様、サンボーンがその平穏すぎる生活に我慢が出来ないから。

ハート・ロッカー↑M2ブラッドレー歩兵戦闘車に乗り込むアメリカ兵。2006年2月・イラク。アメリカ空軍提供。.jpg

↑M2ブラッドレー歩兵戦闘車に乗り込むアメリカ兵。2006年2月・イラク。アメリカ空軍提供。


★戦争という"ゲーム"

 サンボーンは「何を選んでもサイコロの目で生きるか死ぬかが決まる」といいます。「俺たちはそのゲームに参加してる」。

 ジェームスは「たしかに、俺たちはそれに参加してる。けれど、なんでそのゲームをやっているのか分からないんだ、何でか、本当に分からない」。

 戦争というのは運命について「不可変論者」になりたくなるような生死の世界。"いい人"が生き残るわけではないし、"悪い人"が死ぬわけでもない。誰が生き残り、誰が死ぬかはまさに"神の采配"の領域です。

 神の気まぐれ一つで人間の命ひとつなどはいとも簡単に吹き飛んでしまう。今日隣に寝ていた相棒は次の日には肉片になっているかもしれないのです。戦地の明日に"確実"なんてものはありません。

 しかし、その戦争という"ゲーム"になぜ参加してるのか分からないというのはウソです。本当はジェームスもサンボーンも分かっているのです。なぜ戦争に参加するのか分かってはいるけれど、理性の部分で分かりたくないだけ。

 サンボーンはその点を理解しているし、自覚しています。だから、彼は「息子は欲しいが、もうやり直せない」と言ったのです。いずれにしても、2人ともこの泥沼にどっぷりと浸かってしまっていて、もう、抜け出すことはありません。

 ジェームスは「サンボーン、なぜ、俺のやり方に従ってたんだ?」と問い、サンボーンは「分からない」と答えます。

 「俺のやり方」とはジェームス流の爆弾の処理作業のこと。すなわち、リスクを度外視して徹底的に解除作業をやり抜き、爆弾処理班としての任務を徹底的にこなすこと。その中には死の危険さえいとわない、ということが含まれています。

 サンボーンは当初はジェームスに反発しながらも、結局はジェームスに合わせていました。最後はジェームズが自分のやり方を貫くままにさせ、サンボーンはその補助をしていました。一緒に爆弾で吹き飛ぶ可能性があったのに、です。

 実際、爆破テロの捜査をジェームズが強行した結果、エルドリッジは誘拐されそうになり、そのうえ、大腿骨の複雑骨折という重傷を負いました。彼は一生、その傷に悩まされることになるでしょう。少なくとも、何らかの後遺症が残ることは避けられません。

 サンボーンらがジェームスのやり方を受け入れたのは、やはり戦争が"ゲーム"だからです。サイコロで決まるゲーム。明日の生死を決めるのは自分じゃない。はるか届かない力が自分の生死を決める。それなら、別に、少しくらい危険を冒したって何も変わらない。サンボーンらはそう考えていました。いえ、無意識にそう考えていたのです。

 そして、部隊の任期が終了しても、また、戻ってくるだろう予感があったこともサンボーンの背を押しました。いま、このとき、このB中隊の任期が無事に終わらせたとしても、どうせ、自分はまた戻ってくる。

 また、この生と死のゲームに戻ってくる。このゲームは死ぬまで続く。そうならば、ブラボー隊で死んでも、その次に配属される部隊で死んでも、その次の次の部隊で死ぬことになっても同じではないか。どうせ、人間が死ぬという結末は何も変わらないのだから。

 サンボーンのその後については映画は全く描いていません。描く必要がないからです。ジェームスを見てください。彼を見ればわかること。ジェームス自身、「これからだろ」とサンボーンに言いつつも、戦地に戻ってきてしまいました。

 これはもしかしたら、悪夢なのではないだろうか ?

 毎日のように、生きるか死ぬかの一線上をふらつきながら歩く毎日。この悪夢から逃れるためには、死ぬしかありません。生きている限りはまた、任務に戻って来てしまう。だから、ジェームスは危険な任務を平然とこなしますし、危ない橋も平気で渡ります。

 サンボーンもそんなジェームスに文句を言いつつ、本音では自分もジェームスと同じく、戦争中毒になっていることを分かっています。だから、いつのまにか、ジェームスの危険なやり方に慣れていってしまう。

 悪夢を共有する2人の生き方は似ているのです。サンボーンも、彼自身の言葉を借りれば「こんなクソみたいな場所」に再び戻ってくるでしょう。だからサンボーンのその後は描かれなかったのです。

ハート・ロッカー
↑イラクのバグダッド南東部の市場で警備に当たるアメリカ軍兵士。後ろでは買い物をしているアメリカ軍兵士たちの姿も見える。アメリカ軍・軍事情報センター提供。

★病んでいくエルドリッジ

 オーウェン・エルドリッジはジェームスやサンボーンのようにはなれません。彼の精神構造は至って健康的なのです。どこが ? と思われるかもしれません。軍医のケンブリッジに頼っていたのに ?

 確かに、エルドリッジの精神状態は普通ではない。上官が吹き飛ばされたことにくよくよし、血がべったりついたライフルのカートリッジを見て怯える。ケンブリッジ大佐が爆殺されたときにはヒステリックになって大騒ぎをしていました。

 しかし、エルドリッジの反応は「普通」ではないでしょうか。普通の人間は人の死に怯え、血に恐怖を抱き、親しい人の死には激しいショックを受けるものです。

 人が死んだら補充の兵士がくる。血をきれいに拭くにはツバをつけてこすればいい…この考え方に慣れるのが人間なのでしょうか。少なくとも、戦地に身を置かない暮らしをしている人間にとってはこの考え方に慣れるのは尋常な神経ではありません。

 彼は普通の人間。しかし、あまりに普通すぎました。彼は爆発物処理班の任務からキャンプ・ビクトリーに戻ってきても、テレビ画面を見つめながら、大好きな戦争ゲームをしていました。イラクに来る前の彼にとって、戦争とはゲームの中の世界。いつでもやり直しのきくゲームの世界。撃たれることがあっても、痛みは感じません。

 しかし、現実の戦争とゲームの"戦争"は違うのです。そして、現実の戦争をゲームにしてしまうことのできるジェームスやサンボーンのような人間だけが、現実の戦争を戦うことができるのです。

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↑イラク警察署の護衛任務を終えて、宿舎でゲームをしているアメリカ軍兵士。イラク・2007年2月15日。アメリカ空軍提供。

★悪魔の誘惑、いつか終わりが

 戦争に浸るジェームスとサンボーン。そして、戦争を拒むエルドリッジ。「ハート・ロッカー」では2種類の兵士たちが描かれていました。そして特に、戦争に浸り、その誘惑から逃げられなくなっている兵士たちにスポットを当てています。

 彼らにとっては、祖国に戻っても、他の生活はありません。戦地で過ごすことこそが、生きる目標になっている。そして、その悪夢から抜けられないことに苦しみながらも、再び、戦地へと戻っていきます。戦争がなかったら、彼らは一生知ることのなかった快楽を知ってしまった。

 しかし、いつかは終わりが来る。

 戦争が終わるのが先か、彼らの命が尽きるのが先か、それは分からないけれど、いつかは終わりが来ます。ジェームスもサンボーンもそれを分かっていて、それを恐れている。

 戦争が終わる前に、いっそ、爆弾で吹き飛んでしまうことができたら、この悩みからは解放される。破滅的で、どうしようもない思考だと分かっていても、その生き方を変えることは難しい。

 いつか終わる戦争。そのときに、アメリカに帰ってくる兵士たちは、深刻な精神的葛藤を抱え込むことになる。「ハート・ロッカー」は警告を発しています。

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↑イラクにて。アメリカ軍・軍事情報センター提供。


 ここまで、「ハート・ロッカー」の内容について見てきました。最後に、イラク戦争でアメリカ軍に甚大な被害を与えたといわれるIED(即席爆発装置)について紹介しておきます。IEDとはどのような爆弾で、どのような被害が生じるものなのでしょうか。

★IEDとは ?

 IEDは即席爆発装置と訳されます。地雷や、小型の手作りの爆弾などに簡単な起爆装置をつけたもので、遠隔操作で爆破したり、踏むと爆発するもの、トラップにかかると爆発するものなど、いろいろあります。

 IEDは身近な家電などに使われるような部品を使って作られることが多く、特に用意の難しい材料は必要ありません。IED・即席爆発装置というと簡易な爆弾というイメージがあるかもしれませんが、実際には、22トンのブラッドリー歩兵戦闘車やM1A1エイブラムス戦車ですら一部破壊・走行不能にし、乗員が死亡させる力を持つものが使用されることもあります。

 写真が準備できなかったのですが、M1A1の上部がIEDにより、丸ごと吹き飛ばされた写真を見たことがあります。戦車ですらそうですから、アメリカ軍の多用するハンヴィーのような軍用トラックなどは言わずもがな、木端微塵になることもしばしばでした。

 「ハート・ロッカー」は2008年に公開された映画ですので、IEDによる死者数の増加にアメリカ政府が頭を悩ませていたころの映画です。(参考資料:2006年5月3日付USA TODAY紙)

ハート・ロッカー↑IEDで下部を破壊されたブラッドリー歩兵戦闘車。イラク・バグダッドで撮影。.jpg

↑IEDで下部を破壊されたブラッドリー歩兵戦闘車。イラク・バグダッドで撮影。


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↑M2ブラッドリー歩兵戦闘車。アメリカ軍提供。


ハート・ロッカー↑M1A1エイブラムス戦車。作戦のためにキャンプから出撃するところ。イラク・2004年10月撮影。アメリカ軍提供。.jpg

↑M1A1エイブラムス戦車。作戦のためにキャンプから出撃するところ。イラク・2004年10月撮影。アメリカ軍提供。


ハート・ロッカー↑IEDの攻撃を受けた後。ストライカー装甲車が大破している。イラク・2009年7月10日撮影。.jpg

↑IEDで爆破された後。ストライカー装甲車が大破している。イラク・2009年7月10日撮影。


ハート・ロッカー↑ストライカー装甲車。アメリカ軍提供。.jpg

↑ストライカー装甲車。アメリカ軍提供。


ハート・ロッカー↑IEDで爆破されたクーガー。イラク・2007年9月7日撮影。アメリカ海軍提供。.jpg

↑IEDで爆破されたクーガー。イラク・2007年9月7日撮影。アメリカ海軍提供。


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↑クーガー。イラク・2007年撮影。


★IEDによるアメリカ軍の戦死者・負傷者数

 2003年3月19日から2007年9月22日までの負傷者2万8千9人のうち、IEDによる負傷者は1万9千248人。約69%を占めています。同期間に死亡した人は3092人、内IEDによる死者は1952人63%に上ります。

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統計出典:2007年9月30日ワシントンポスト紙、国防総省労働統計センター(DMDC)統計


★アメリカ軍兵士の見えない傷

 最後に、あまり報道されない爆破テロの被害を紹介しておきます。爆弾テロの恐怖は直接に吹き飛ばされるだけではありません。爆破による「衝撃波」による被害がより、兵士に対する被害を増大させています。IEDによる爆破テロが頻発するイラク戦争ならではの負傷形態と言っていいでしょう。

 怖いのは、目に見える傷つまり、外傷がないこと。本人は外見的には無傷なので、異常を感じることすらない場合もあります。帰国してから、本人や家族がようやく気が付くのです。「何か、おかしい」。長期にわたって記憶を失くしたり、集中力が著しく低下する、めまいや頭痛が日夜続くなどの症状があるようです。

 見えない傷を負った兵士たちはどのように処遇されているのでしょうか。

 オバマ大統領はイラク帰還兵の外傷性脳損傷の存在を公式に認めています(2009年2月27日演説)。しかし、帰国後の損傷発見は公式負傷者数に含まれません。脳損傷と公式に認定されても、公式負傷者数には含まれないのです。

 従って、国防総省の公式統計と現実のイラク帰還兵士の脳損傷者数には5倍ほどの開きがあると指摘されています。アメリカ軍マレン統合参謀議長は実体解明の必要性を認めつつ、軍による研究は初期段階だとも述べています(2009年11月4日ワシントンでの講演にて)。ベトナム戦争から撤退したときには、兵士のPTSDや枯葉剤被害が社会問題になりましたが、イラク戦争では、この見えない傷が社会問題になっています。

ハート・ロッカー↑IEDが爆発した瞬間。対戦車用地雷を利用したIEDだと思われる。イラク・2003年撮影。.jpg

↑IEDが爆発した瞬間。対戦車用地雷を利用したIEDだと思われる。イラク・2003年撮影。


★死傷者数

 2003年から始まるイラク戦争で、2007年までにのべ150万人のアメリカ軍兵士がイラクに派遣されました。では、どれくらいのアメリカ軍兵士が戦死・負傷しているのでしょうか。

 2009年12月24日国防総省の発表によると、アメリカ軍の戦死者数は4373人、公式負傷者数は3万1606人。公式負傷者に含まれない公式脳損傷者数は2007年時点で4471人。公式に調査されていないIEDを理由とする脳損傷の被害が2万人に上るとするUSA TODAYの調査があります。
(2007年11月23日USA TODAY紙、アメリカ国防総省2007年9月30日発表。外傷性脳損傷については日本では2009年2月17日付で毎日新聞社が報道。)

 戦死者数4000人超に対して、負傷者数の数が3万人超と、負傷者数が戦死者数の7倍に達している理由は、軍の応急処置による救命率の向上、および、アメリカ軍基地やアメリカ軍キャンプに近い市街地での負傷が多く、比較的手当てが迅速にされていることが理由だと思われます。

ハート・ロッカー↑爆弾の破片により下半身を負傷。全身麻酔で手術を受ける兵士。.jpg

↑爆弾の破片により下半身を負傷。全身麻酔で手術を受ける兵士。救命率が飛躍的に向上している。イラク・モスル、2007年5月16日。アメリカ空軍提供。

★現在のIED対策

 2006年のIEDによる死者数の多さから、アメリカ軍もIED対策を強化し、耐防爆装甲車両(MRAP)を緊急調達することを決定しました。

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↑MRAP。イラク・バグダッドで撮影。アメリカ軍・軍事情報センター提供。


ハート・ロッカー↑ロバートゲーツ国防総省長官がM-ATV(MRAPの山岳地帯用)のテストを視察。2009年11月撮影。国防総省提供。.jpg

↑ロバートゲーツ国防総省長官がM-ATV(MRAPの山岳地帯用)のテストを視察。2009年11月撮影。国防総省提供。


 14トンもの重量を有するMRAPはハンヴィーでは防げないIEDによる爆破や銃撃を防ぐことができるとされ、ロバート・ゲーツ国防長官の主導の下、1万5千台が2007年中に配備されたと国防総省は発表しています。(実戦配備されたのは7500台程度とする意見もあります。)

 また、兵士には5マイル(8km以上)先まで見える監視鏡を新たに装備。これで、アメリカ軍の進路にIEDを仕掛けようとする者を発見しやすくなります。また、IEDを事前に発見するために、イラク政府からの情報提供や検問の強化を行いました。これらの対策により、約90%の死者数の減少に成功したことが、国防総省の記録やアメリカ軍関係者への取材により判明したと報道されています。
(参考資料:2008年6月22日付USA TODAY)

 IEDはイラクだけの問題ではありません。アフガニスタンでも、イラクに比べれば少数ですが、IED被害は年々増加しています。

 身の回りにある部品から簡単に作ることのできるIEDは、アメリカの物量に負けるテロリストの大きな武器です。これからもアメリカ軍が派遣される地域でIED対策が問題になり続けることは間違いありません。

 アメリカ統合参謀本部の関係者は、テロリストたちがさらに強力なIEDを開発し、15ポンド(約7kg)の爆薬を使用した地雷式のIEDを作っていると述べています。テロリストはそのIEDを爆発させてMRAPのタイヤを破壊して足止めし、乗員を攻撃するという手法を取りました。IED対策はテロリストとそれを追いかけるアメリカの永遠の鬼ごっこになるのかもしれません。

ハート・ロッカー↑耐爆試験中のMRAP。3段階の耐爆強度があり、これは2段階目のMRAP。アメリカ海兵隊提供。.jpg

↑耐爆試験中のMRAP。3段階の耐爆強度があり、これは2段階目のMRAP。アメリカ海兵隊提供。


★イラクからの撤退を目指して -アメリカ軍の出口戦略-

 2007年以降から2009年12月末現在まで、アメリカ軍の戦死者・負傷者数は急速な減少傾向にあります。イラク警察や地方政府への治安維持権限の委譲が進んでいることも、死者数の減少に歯止めをかけている一因でしょう。

 また、アメリカ政府は、従来は反米・反イラク政府勢力であった組織にカネと武器を渡し、親米・親イラク政府派に転向させ、民兵組織を作らせてアルカイダ掃討作戦に協力させています。この手法はアメリカ政府が得意とするいつかどこかで見た手法で、カネが途切れたり、利害関係が逆転すれば、一転してアメリカの敵に逆戻りする可能性があるのですが、現在は一応の効果を挙げているといっていいでしょう。

 アメリカ軍は遅くとも2011年までに、イラクから全面撤退をする予定です。アメリカ政府としては、円満に撤退するために、それまでは何とかイラクの治安を維持したいという思惑が働いています。このなりふり構わない必死の政策が行き過ぎて、撤退後に禍根を残さないといいのですが。

 結局、カネや武器供与で反米派だった勢力が親米派に転向するということ自体に、イラク国民がいかに経済的な貧困に苦しんでいるかが露呈しているように思います。イラク政府が国民全体の経済的底上げを図らない限り、一時懐柔された勢力にも、再び不満はうっ積していくでしょう。

 今はアメリカのドルで親米派になっているとしても、アメリカ撤退後、カネが途切れれば、それが縁の切れ目になって、反イラク政府勢力としてアメリカから供与された武器を使って台頭してくる可能性がないとは言えません。民兵組織化したイラク人に大量の武器を供与することは、アメリカ政府にとって、諸刃の剣になりかねないということは認知しておくべきでしょう。

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↑イラク人の少年が診療所で治療の順番待ちをしている間にアメリカ軍兵士を見ている。イラク、2007年7月5日。アメリカ空軍提供。

「ハート・ロッカー」の『あらすじ-完全版-』はこちら
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ピアノ・レッスン

映画:ピアノ・レッスン あらすじ
※レビュー部分はネタバレあり

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 美しいピアノの音にのせて紡がれる愛の物語。愛の代償は何だったのか。話すことができない女性がピアノの黒鍵の数だけ、ピアノ・レッスンをするうちに激しい愛にのみ込まれていく。カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞作品。

 『解説とレビュー』では「ピアノ・レッスン」のあらすじを結末まで掲載しています。

 何といっても映画を彩る曲が素晴らしい。マイケル・ナイマンによるサウンドトラックは誰もが一度は耳にしたことのある調べだろう。特に、「楽しみを希う心」が印象的。哀しげで、流れる水のようにたゆとう美しいメロディはこの映画の完成度を完璧なまでに高めてくれる。

 また、主人公エイダの娘フローラを演じたアンナ・パキンは当時11歳でアカデミー賞助演女優賞を受賞。9年後のスパイク・リー監督作『25時』ではフィリップ・シーモア・ホフマン演じる高校教師を誘惑する生徒の役で出演していた。

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 1852年。口のきけないエイダと娘のフローラはスコットランドからニュージーランドにやってきた。エイダがニュージーランドの男性の下に嫁いできたのだ。エイダの楽しみはピアノを弾くこと。ピアノはわざわざスコットランドから船に積んで持ってきたくらい、大切なものだった。

 当時のニュージーランドは開拓の真っ最中で、原住民から白人が土地を買い上げ、不動産業を営む者が多くいた。エイダが嫁いできたのも、その1人で、スチュワートという男性だった。やがて、エイダは夫となったスチュワートに命じられ、現地民に混じって生活をするベインズという白人にピアノのレッスンをするようになる。



【映画データ】
ピアノ・レッスン
1993年(日本公開1994年)
オーストラリア,ニュージーランド,フランス

第46回カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞,第66回アカデミー賞作品賞ノミネート・脚本賞・主演女優賞・助演女優賞

監督 ジェーン・カンピオン
出演 ホリー・ハンター,ハーヴェイ・カイテル,サム・ニール,アンナ・パキン(アナ・パキンとも表記)



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映画:ピアノ・レッスン 解説とレビュー

★「ピアノ・レッスン」あらすじ

 エイダは生まれたときから話せなかったわけではありません。彼女は6歳で話すのをやめ、スコットランドから1852年にニュージーランドに渡ってきました。それは父がエイダの縁談を決めたからです。縁談の相手はエイダが話せないことは構わないといいます。

 上陸した日は天候が悪く、エイダは連れてきた幼い娘と小さなテントの中で一夜を明かしました。運んできたピアノを海岸に放置したまま、その場を離れる気になれなかったのです。夫になるはずの男性スチュワートは翌朝エイダのもとにやってきました。原住民を10人以上連れてきたスチュワートは、彼らにエイダの荷物を運ばせていきます。

 そんな中、砂浜に放置されたままの荷物がありました。それは、エイダのピアノでした。スコットランドから持ってきたピアノは、あまりに重いということで砂浜に取り残されていたのです。

 エイダは娘にメモを持たせたり、娘の口を通して何度も何度も、スチュワートにピアノを運ぶように懇願しました。しかし、彼は「道が悪いから」とエイダの願いを拒絶するのでした。

 エイダはスチュワートと結婚式をあげるものの、その後もピアノは砂浜に放置されたまま。夫は仕事である原住民からの土地の買収に出かけてしまいました。エイダは夫の仕事仲間で、原住民に混じって生活をしているベインズという男のもとに行き、ピアノのある砂浜までの案内を頼みます。ベインズは一度は断るものの、エイダの強情さに負けて砂浜に案内しました。

 砂浜に放置されたままのピアノの入った木箱を開け、ピアノを弾きはじめるエイダ。その哀愁を帯びた美しいメロディはベインズの心を掴みます。ベインズはスチュワートにピアノと土地の交換を持ちかけ、スチュワートに80エイカーの土地を引き渡す代わりに、ピアノをもらい受け、自分の家にピアノを運ばせました。

 エイダは夫スチュワートに怒りをあらわにし、ベインズと取引した夫を責めるのですが、逆にエイダの態度は夫を怒らせてしまいました。
夫がベインズと取引した内容には、ピアノを渡すのみならず、エイダを教師としてベインズにピアノ・レッスンをすることも含まれていました。エイダは怒りますが、結局、いやいやベインズの家に出かけていき、ピアノ・レッスンをすることになります。

 ところが、ベインズにはピアノを弾く気はありません。ただ、エイダに弾かせてそれを聞いているだけ。

※以降、結末まで続きます。ネタバレをお好みでない方はご注意ください。

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 ある日、エイダはベインズに取引を持ちかけられます。それは鍵盤の数だけピアノ・レッスンをしに来てほしいというもの。1回くれば、ひとつずつ鍵盤がエイダのものになるというのです。

 ピアノを取り戻したいエイダはその取引を受け入れることにしました。ベインズは白鍵で数えようといいますが、エイダは白鍵の半分の数しかない黒鍵の数で数えることを主張。ベインズは折れ、黒鍵の数で数えることになりました。

 翌日、ベインズはピアノのペダルを踏むエイダの足元に潜り込んできます。そして、エイダに上着を脱いでくれたら2つの鍵盤を君にあげようと言ってきます。エイダは取引に応じて、上着を脱ぎ、ベインズはエイダの腕に触れるのでした。

 次のレッスンの日には5つの鍵盤をあげるから、隣に横になってくれとベインズに要求され、エイダはそれに応じました。その次のピアノ・レッスンの日、ベインズの元気がない様子。エイダはいつものように曲を弾きはじめますが、ベインズの様子が気になって仕方がありません。

 ベインズがいつの間にかいなくなってしまったことに気がついたエイダはカーテンの裏をそっと覗きこみました。すると、そこには全裸のベインズが立っていて、10の鍵盤をあげるからエイダも服を脱ぐように求めてきたのでした。

 一方、エイダはピアノ・レッスンの間、娘をベインズの家には入れないようにしていました。娘が来ても、外で遊ばせ、決して中には入れません。それまで毎日、片時も離れずに母と過ごしてきた幼いフローラは面白くなく、スチュワートに不満をもらします。「全然ピアノを弾かない時もあるのよ」というフローラの言葉に、スチュワートはエイダとベインズの関係に一抹の疑念を抱き、「次のレッスンはいつ?」とフローラにたずねるのでした。

 翌日のピアノ・レッスンで、ベインズはエイダにピアノを返すと言いだします。スチュワートはピアノがベインズの家から運び出されているのを見て驚き、慌ててベインズに取引をホゴにするつもりか、と問い詰めますが、ベインズは「土地は君にあげる、あのピアノはただで奥さんに返すんだ」と言いました。スチュワートはようやく納得し、家にピアノを入れることにしました。

 ピアノが戻ってきたのにエイダはピアノを弾かず、娘のフローラがピアノを弾いて歌を歌って遊んでいます。ある日、エイダは鍵盤の側面にベインズからのメッセージが刻まれていることに気が付きます。意を決したエイダはベインズの家に走って向かいました。ベインズはエイダに愛を打ち明け、受け入れてくれないなら、すぐに帰ってほしいとエイダに言います。エイダは帰ることはありませんでした。

 再び母に置き去りにされた娘のフローラはかんかんに怒って森を歩いているとスチュワートに出会いました。スチュワートはフローラからベインズの家にエイダが行ったことを聞き、ベインズの家に向かいます。そして、壁の隙間からのぞき、2人の関係を知ってしまいました。彼はベインズの家の床下に潜り込み、全てを聞いてしまいます。

 翌日もベインズのところに向かおうとするエイダは待ち受けていたスチュワートに見つかり、捕まってしまいました。力づくで思い通りにしようとするスチュワートから逃げようとするエイダ。そこにフローラがエイダを呼びに来ました。

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 家に帰ったスチュワートは家のドアや窓を木材でくぎ打ち。ドアには外からかんぬきをかけて母子を家の中に閉じ込めて、外出できないようにしてしまいました。真っ暗な部屋の中、夜中に起き出してピアノを弾き出すエイダ。「寝たままピアノを弾いているの」。そうフローラは起きてきたスチュワートに言うのでした。

 翌日、スチュワートの叔母がやってきて、ベインズが出て行くそうだとスチュワートに話します。そっと席をたち、ピアノを弾くエイダ。その曲は暗く、わびしげな調べでした。その夜、初めてエイダは夫の部屋に行き、夫のベッドに入ります。しかし、スチュワートはエイダの心を感じ、「僕が嫌いなのか?」とたずねるのでした。

 翌朝、娘のフローラを抱きながら寝ているエイダに眩しい陽の光が差し込みます。スチュワートは窓をふさいでいた角材を取りはらったのでした。「そのうち僕を好きになるさ」と言い残して出かけて行く夫を見送ったのち、エイダはベインズのメッセージが彫られたピアノの白鍵を取り外し、反対側の側面に"ベインズ 私の心はあなたのものよ、エイダ"と彫り込み、ハンカチに包みました。

 エイダは家の周囲で遊んでいた娘のフローラにその包みを渡し、ベインズに持って行くようにと言いつけます。フローラは嫌がりましたが、エイダは強引に娘に言い付けるのでした。

 フローラはその包みを持って歩き出しますが、行った先はスチュワートのところ。スチュワートは包みを開け、慌てて山を降りてエイダのところへ駆けつけてきました。

 斧を振りかざし、エイダに怒りをあらわにするスチュワート。ついには妻の指を斧で落としてしまいます。そして、その落としたエイダの指を白鍵のかわりにエイダのハンカチに包み、フローラに握らせてベインズのもとに届けるように言いつけるのでした。

 フローラは泣きながらベインズの家まで走っていきます。血のにじんだハンカチをベインズに渡し、声をあげて泣くフローラ。ベインズは「やつの頭をかち割ってやる」と怒りをあらわにしますが、フローラは「ママの指が落とされるわ」といって泣き叫ぶのでした。

 その夜、フローラとベインズが並んで寝ているところにスチュワートがやってきます。そして、「エイダと2人で去って行け」と告げるのでした。

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 翌朝、出発することになったエイダとフローラ、そしてベインズは再びあの海岸にやってきます。ベインズはエイダのピアノを船に積もうとしますが、船は原住民のカヌー。ピアノの重さは命取りになると原住民の男に警告されますが、ベインズは頑としてきかず、ピアノが積み込まれます。

 出航した一行は穏やかな航海を続けますが、エイダがピアノを海へ捨ててほしいとメモを書いてベインズに伝えました。ベインズは考え直せとエイダに言いますが、彼女の決心は変わりません。木箱に入れられたピアノは海に投げ捨てられました。そのとき、ピアノを結びつけてあったロープがエイダの足にからまり、足を取られたエイダも海に沈んでしまいます。

 青い海、沈んでいく木箱。ゆらゆらと漂いながら沈んでいくエイダ。このまま、海の底へと行ってしまいそうになったそのとき、エイダは足のロープをほどき、海面に浮上してきました。船の男たちにより船上に引き上げられたエイダは死んだかのような様子で倒れたまま。

 エイダは今、ニュージーランドの北の町でピアノのレッスンをしながら、ベインズとともに幸せに暮らしています。そして、夜、眠るときには海に沈んだピアノとその上に浮かぶ自分の姿を思い浮かべるといいます。

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★犠牲、そして家族

 スチュワートは「犠牲に耐えるのが家族」だといいます。スチュワートはベインズにピアノを売ってしまったことに怒り、ベインズへのピアノ・レッスンも拒否するエイダにそう言い放ちました。

 結果的に見れば、そのピアノ・レッスンがきっかけになり、スチュワートはエイダを失います。スチュワートはエイダがピアノにかけていた気持ちを理解することができませんでした。

 話すことができないエイダにとって、ピアノは感情を表現する手段のひとつ。手話やメモ書きを通しては伝えることのできない、エイダの熱情や悲しみ、微妙な感情の揺れがピアノのメロディとなって、エイダの外に出てくる。エイダにとって、ピアノは「犠牲」にすることができないものでした。

 「犠牲に耐えるのが家族」。それは真実でしょう。皆が欲しいものを好き好きに手に入れることはできない。家族としてまとまるため、手放さなければならないものはあります。

 しかし、その一方で、決して「犠牲」にはできないものがあるのではないでしょうか。自分が自分であるために、どうしても必要なもの。家族のために何かを「犠牲」にするのはそれが幸せになるために必要なことだからです。しかし、その犠牲が幸せになるためにどうしても必要なものであって、「犠牲」にはできないものもあるのです。

 それをスチュワートは理解できていませんでした。スチュワートはピアノがないばかりに、台所の机に鍵盤の絵を刻みつけ、それを弾くふりをしながら娘のフローラに歌を教えているエイダのことが理解できません。

 「エイダは口がきけないばかりでなく、頭もおかしいのではないか」、スチュワートはそう叔母に相談します。その叔母はエイダのことを「口がきけないのだからペットと同じじゃない」。

 スチュワートはピアノをあとから運んでくるという約束を果たさず、ピアノを海岸に放置したまま。結婚翌日には2・3日商売のため、家を空けると行って出かけてしまいました。ピアノを忘れていたわけではないでしょうが、それほど重要なことでもないと思っていたのでしょう。

 その厄介なピアノをベインズはそれを80エーカーもの広さの土地と交換してくれるというのです。スチュワートはその取引に飛びつき、ピアノを売り飛ばし、ピアノ・レッスンの約束も引き受けてきます。

 しかも、フローラからピアノ・レッスンの様子を聞き、疑念を抱いた後にも取引がなかったことにされて、土地をベインズに取り返されるのではないか、と思い、ベインズに「あの土地は手放さないぞ、ピアノを手放すな」と迫りました。

スチュワートはエイダにピアノという犠牲を強いました。しかし、スチュワートには犠牲を負担する用意はありませんでした。彼にはエイダに犠牲を強いるばかりだったのです。

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★愛とは

 一方、ベインズはエイダのピアノを聴き、その音色と曲に魅了されました。ピアノ・レッスンの日にはすでに調律され、音程が合わせられて、かつての美しい音色を取り戻したピアノが準備されていて、エイダを驚かせます。

 また、ピアノを船に乗せて海に出たときも、船が沈むとの警告を無視して、ベインズはピアノを積み込ませました。エイダがピアノを捨ててほしいといったときも最後まで反対したのはベインズでした。

 エイダに何が大切か、それを理解して心からそれを尊重したベインズ。彼はただただ犠牲をエイダに強いることはしませんでした。

 家族というもの。よく言われるのは、家庭を持つと独身の頃のようには自由にいかない、ということです。独身には自由がありますが、結婚して家庭を持つと自由が制限されるというのは多くの人が持つ価値観でしょう。

 それでも、人間が家庭を持とうとするのは、自分を認めてくれる人と一緒にいることが心地よいからではないでしょうか。逆にいえば、そういう人とでないと結婚したり、一緒に暮らしたりしようとは思わないでしょう。自分のことを尊重し、1人の人間として見てくれ、自分の大切なものを相手も大切に感じてくれること。

 相手を理解し、尊重しているからこそ、家族としてまとまるために人は何かを犠牲にするのでしょう。それは家族としての幸福のため、自発的に犠牲にするもの。相手から強制されて犠牲を払うものではありません。

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★愛を得る者、失った者

 スチュワートがエイダの音楽にかける熱情を理解しようとしたならば、ピアノを売ることもなく、エイダとの間に愛情関係を築くこともできたでしょう。エイダの娘、フローラはニュージーランドにつく前、新しいお父さんとは口もきかず、顔も見ないわと言っていました。

 しかし、まったく逆に、母の言いつけに逆らい、スチュワートにベインズへと託された包みを渡しに行くほどスチュワートになつきました。フローラはスチュワートの人間性に感じるところがあったからこそ、彼を新しい父として受け入れて行ったのでしょう。

 たしかに、スチュワートは悪い人ではありませんが、エイダにとって大切なものを理解しようとする心がありませんでした。彼にとってエイダがなぜそこまでピアノに執着するのかは謎のまま、エイダが音楽に何を求めているのかも全く理解できず、内心、エイダは頭のおかしいところがあるのではと疑っています。

 スチュワートとエイダの間には信頼関係も愛情もないまま、スチュワートは一方的にエイダにピアノという大きな犠牲を強いました。顔も知らず、何も知らずに見知らぬ土地に嫁いできたエイダとスチュワートの間にはもともとなにも信頼関係がありません。そして、さらにピアノを売られたエイダとスチュワートには決定的な溝ができてしまいました。

 一方、ベインズはエイダのピアノにかける思いを心から理解していたからこそ、ピアノを海岸から運ばせ、すぐに調律をさせ、エイダに対する愛情のために彼女にただでピアノを返しました。さらに、最後の最後までピアノを海中に捨てることに反対した。

 ベインズはエイダを愛し、エイダを理解していました。だからこそ、エイダはピアノを海中に投げ捨てたのです。エイダにとって、これは家族に必要な"犠牲"。押しつけられた犠牲ではなく、自ら払った犠牲なのです。

 そして、このとき、足を取られてピアノとともに海中に沈んだエイダはそのままピアノとともに海の底の墓場に行ってしまうのか、とおもわれました。しかし、エイダは生きることを選択し、みずから靴を脱ぎ捨ててロープから抜け、海面に浮きあがってきます。

 彼女はこのとき一度死んだ。そして、ふたたび生きることを選択したエイダは新しい人生を手に入れました。だからこそ、彼女はたびたび海の底に沈んだあのピアノのもとに帰っていきます。あそこからエイダの人生は再び始まり、終わるときもあの場所に戻っていくから。潮の流れに身をまかせ、ゆらゆらと漂っていることのできるピアノの沈む海の墓場は音のない世界。

 エイダは「聞く価値のあるおしゃべりは少ない」とフローラに話していたといいます。エイダにとって聞く価値のある音とは、この音のない世界にありました。ピアノの沈む海の墓場はエイダを癒し、安心させてくれる子守唄の聞こえる不思議な場所なのです。

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ハンバーガー・ヒル

映画:ハンバーガー・ヒル あらすじ
※レビュー部分はネタバレあり

ハンバーガー・ヒル↑交戦終了日の翌日に撮影した写真。937高地の頂上で休むアメリカ軍兵士たち。1969年5月21日。AP通信撮影。.jpgハンバーガー・ヒル↑日本版映画ポスター.jpg

ハンバーガー・ヒル.jpgスクリーミング・イーグル(叫ぶ鷲)。第101空挺師団の通称名。.png

ハンバーガー・ヒル↑英語版VHSジャケット。.jpgハンバーガー・ヒル↑↑攻撃開始9日目。急斜面を滑り.jpg


 挽き肉にされてしまうほどの激しい戦闘。アメリカ軍第101空挺師団は937高地、"ハンバーガー・ヒル"を奪取しようと激烈な戦いを繰り広げた。時は1969年5月10日。南ベトナムのエイショウ・バレーで10日間に及ぶ途絶な戦闘が行われた。

 第101空挺師団といえば、第2次世界大戦のノルマンディー上陸作戦、バルジの戦いなど、華々しい戦歴で知られるアメリカ陸軍の精鋭部隊だ。ベトナム戦争でも、全部隊が派遣され、各地で任務に就いた。

 その中でも熾烈を極めた悲惨な戦闘といわれるのが、「ハンバーガー・ヒルの戦い」。第101空挺師団は最終的に目標を攻略し、勝利したものの、10日間の戦闘で死者70人以上を出すという甚大な損害を被り、この戦闘はベトナム戦争の方向性を決定づけた。

 「ハンバーガー・ヒルの戦い」を境に、アメリカ国民には一層、厭戦感情が高まり、有力政治家からも、ハンバーガー・ヒルの戦いを非難する声明が発表され、ベトナム戦争での作戦規模の縮小を要求する声も出るようになっていく。

 これを受け、アメリカ軍は大規模な攻撃作戦により慎重な態度をとるようになり、結局、「ハンバーガー・ヒルの戦い」はベトナム戦争最後の激戦と言われるようになった。

 第101空挺師団に所属する兵士たちはよく戦ったのだ。何のために ? それはハンバーガー・ヒルを奪取するために。ハンバーガー・ヒルを奪取するのは何のため ? それは、ベトナム戦争に勝利するために。

 では、ベトナム戦争に勝利するのは何のため ?

 目的を見失った戦争を戦うことほど、辛いことはない。雨あられと降りそそぐ銃弾の前に次々と仲間が倒れていく中で、彼らは一体何を見たのか。

 第101空挺師団187連隊B中隊の一小隊に焦点を当て、生死の境を生きた10日間を描く。

【タイトル下部の写真の説明】
(左上)
左:交戦終了日翌日、頂上で休憩する第101空挺師団の兵士たち。
右:日本版映画ポスター。
(中央)
左:アメリカ国旗
右:第101空挺師団の師団章であり、通称でもあるスクリーミング・イーグル(叫ぶ鷲)。
(右下)
左:英語版VHSジャケット。
右:攻撃開始9日目、937高地の急斜面を滑り降りてくる兵士。このあたりから頂上付近を攻めあぐねる膠着状態が続くことになる。 



【映画データ】
ハンバーガー・ヒル
1987年・アメリカ
監督 ジョン・アーヴィン
出演 ディラン・マクダーモット,ドン・チードル,マイケル・ドーラン,アンソニー・バリル,ドン・ジェームズ



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↑交戦終了当日の写真。樹木が見事に燃え尽きているのが分かる。これは937高地の頂上付近。1969年5月20日。攻撃に参加していたアメリカ軍兵士が撮影。

【ベトナム戦争ってなに?】
(以下の説明は「プラトーン」で使ったものの改訂版です)

 現在のベトナムは「ベトナム社会主義共和国」という1つの国です。しかし、1976年までは南と北の2つに分かれて戦争をしていました。それがベトナム戦争です。

 当時は冷戦の真っただ中で、資本主義VS.共産主義の対立が激しかったことも頭に入れておいてください。つまり、アメリカVS.ソ連の対立です。

 ホー・チ・ミンが建国した社会主義のベトナム民主共和国(北ベトナム)。これを認めないアメリカを始めとした資本主義国がベトナム南部にベトナム共和国(南ベトナム)を作りました。

 そして、南ベトナム政府をアメリカを中心とした資本主義陣営が支援し、北ベトナムをソ連・中国を中心とする共産主義陣営が支援しました。結果、1960年前後から1975年に南ベトナムの首都サイゴンが陥落するまで戦争が続きました。

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↑ベトナム戦争交戦国の概念図


 アメリカ軍は1956年ごろから小規模に関与。1961年に当時のケネディ大統領が軍事顧問団を派遣。1962年までには本格的な増派がされました。「ハンバーガー・ヒル」の戦いは1969年5月10日から10日間。そして、1973年に撤兵が完了。約11年、戦争に本格的に参加していたわけです。

 その後も、1975年のサイゴン陥落・敗戦まで軍事顧問団を派遣して南ベトナム政府に関与しました。アメリカは結局、5万8000名の戦死者を出しました。これは派兵された数の約1割強の人数です。ベトナム側は南北を合わせて100万から300万人の人が死亡したといわれています。正確な人数は分かっていません。

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↑見通しが効かないほどの激しい暴風雨の中、負傷した第101空挺師団の兵士を支えて後退させる2人の衛生兵たち。1969年5月。(AP通信)

映画:ハンバーガー・ヒル 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり

★「ハンバーガー・ヒル」あらすじ - 10日間の激戦 -

 第101空挺師団第3旅団187連隊第3大隊のB(ブラボー)中隊は新兵を迎えていた。戦死や負傷で失った人員を埋めるため、アメリカから送られてきた実戦経験のない新兵を新しい仲間として受け入れるのだ。

 その一方、第101空挺師団は激戦が予想されるエイショウ・バレーへの配属が決定していた。新兵のミスはときに命取りとなり、隊全体を危険にさらす。「生きて帰りたければ先輩の言うことを聞け!」と祖国の家族に書く手紙の書き方や歯の磨き方からジャングルでの野戦の心得まで新兵指導が行われるのだった。

 ベテランの兵士たちはエイショウ・バレーの悲惨さを知っているから、内心、あの場所には戻りたくない。皆の士気はあがらず、低調なままだったが、ついに1965年5月10日を迎える。この日から地獄の10日間が始まった。

 B中隊はヘリでエイショウ・バレーまで運ばれ、到着した途端に容赦ない銃撃戦が始まる。彼らは航空支援を受け、ジャングルの中を進んでいった。激しい空爆で、ジャングルに巨大な火柱が次々と上がり、まるで火の壁が出現したように見えるほどだ。北ベトナム側のゲリラ軍兵士との銃撃戦にとどまらず、取っ組み合い、ナイフをかざしての接近戦になることもあった。

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↑攻撃開始初日。進撃する第101空挺師団の兵士たち。1969年5月10日。


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↑攻撃開始初日。進撃する第101空挺師団の兵士たち。1969年5月10日。


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↑攻撃開始2日目。ジャングルの中を進軍する第101空挺師団の兵士たち。1969年5月11日。


ハンバーガー・ヒル↑攻撃開始2日目。中央の兵士は手りゅう弾を投げようとしている。1969年5月11日。.jpg

↑攻撃開始2日目。中央の兵士は手りゅう弾を投げようとしている。1969年5月11日。


ハンバーガー・ヒル↑攻撃開始3日目。あちらこちらで負傷者の応急手当てがされている。1969年5月12日。.jpg

↑攻撃開始3日目。あちらこちらで負傷者の応急手当てがされている。1969年5月12日。


 攻撃が始まって4日もすると、見るからに隊の人数が激減。B中隊には補充兵がよこされることになった。5日目、補充兵を迎えた隊は再び、ジャングルを進軍していった。北ベトナム軍との激しい銃撃戦が一段落したころ、ヘリの音が聞こえてくる。次の瞬間、ヘリから激しい機銃掃射が始まった。次々に仲間が倒れていく。敵兵と誤認されたのだった。

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↑攻撃開始4日目。沼地をほふく前進で進撃する第101空挺師団の兵士たち。1969年5月13日。


ハンバーガー・ヒル,攻撃開始5日目。上部からの攻撃をまともに受け、前進が苦しい。1969年5月14日。.jpg

↑攻撃開始5日目。上部からの攻撃をまともに受け、前進が苦しい。1969年5月14日。


 攻撃を始めて8日目。この日からは、937高地頂上部の攻略だ。敵は台地の上にいて、下にいるアメリカ軍を見おろす位置から銃撃してくる。しかも、むき出しの台地には木がほとんどなく、隠れる場所がない。前進することができず、次々に仲間が死傷していった。しびれを切らした司令部からは「攻撃が手ぬるい、なぜ手こずる !? 」と無線が入ってくる。

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↑937高地頂上部付近のアメリカ軍・北ベトナム軍配置図


 しかし、アメリカ軍は下から敵を見上げるようにして戦うことになるため、形勢が不利だった。少し登っても、撃たれてずり落ち、胸まで泥のぬかるみに浸かる。ジャングルと泥、そして銃撃。全てが兵士の敵だった。

 この日、B中隊の衛生兵が死んだ。長く小隊に属し、共に闘ってきた古参兵だった。ついに、この日、937高地の攻略をすることはできず、攻撃は失敗し、アメリカ軍は一時後退を余儀なくされた。

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↑攻撃開始9日目。937高地の頂上を目指して攻撃する第101空挺師団の兵士たち。この日の攻撃は失敗する。1969年5月18日。(AP通信)

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↑攻撃開始9日目。937高地の頂上を目指して攻撃する第101空挺師団の兵士たち。横の兵士が負傷もしくは死亡している。この日の攻撃は失敗する。1969年5月18日。

ハンバーガー・ヒル

↑攻撃開始10日目。937高地の頂上を目指して攻撃する第101空挺師団の兵士たち。手前の兵士の軍服にスクリーミング・イーグルの袖章が見える。この日の攻撃は失敗する。1969年5月19日。

 そのまま膠着状態。そして11日目の5月20日。

 総攻撃がかけられ、激しい銃撃戦のなか、アメリカ軍兵士が一気に台地の上に向かって突撃した。援護射撃は同士討ちもいとわず行われる激しいものになった。銃弾が雨あられと飛び交う中で、兵士たちは頂上を目指して泥で滑る台地を必死に登っていった。

 腕を吹き飛ばされ、意識がもうろうとしながら同じ内容を繰り返し無線に話し続けている者、目をやられ、空をかくようにして手を振り回す者。文字通りの地獄絵図だった。

 そんな中、血だらけになり、傷だらけになって隊の仲間のところに帰ってきた仲間がばったり倒れて絶命した。彼らが一緒にいたはずのもう1人の兵士を探しに行くと、深いたて穴の中で尖った竹に突き刺さって絶命している。敵の仕掛けた罠にかかったのだった。

 ハンバーガー・ヒルを制圧したのはアメリカ軍だった。補給路を断たれ、台地の上に孤立していた北ベトナム側の兵士は最終的にアメリカ軍に屈したのだ。しかし、アメリカ軍の犠牲はあまりにも大きかった。結局、行動を共にした第101空挺師団B中隊の仲間の兵士14名のうち、3名しか生還することはできなかったのだった。誰かが1枚の紙に"HAMBURGER HILL"と書いて木に打ち付けた。

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↑攻撃最終日。右の兵士が手をついて上っていることからも937高地が急斜面であることが分かる。1969年5月20日。

ハンバーガー・ヒル

↑攻撃最終日。交戦終了直後の937高地の頂上。10日間の激戦を戦い終えた後の第101空挺師団の兵士たち。1969年5月20日。(AP通信)

★たどり着いた頂上

 やっとの思いでたどり着いたハンバーガー・ヒルの頂上。木に打ち付けられた"HAMBURGER HILL"の貼り紙に、さらに、誰かがこう、書き加えます。"Was it worth it ? "この戦いに何の価値があったのか ?

 この戦いでは誰もが一度は死にかけました。937高地に、ここまでの犠牲を払う価値が本当にあったのか。果たして、仲間の死や負傷に価値はあったのか。

 誰も何も分からないまま戦い、B中隊の所属する連隊は60%を越える兵士を失ってしまいました。これは、攻撃に参加したアメリカ軍の中で、最高の損失率でした。

 映画には描かれていませんでしたが、937高地の頂上を目指した再度の攻撃に参加することを拒否した兵士もいたと当時のB中隊の兵士が証言しています。「士気が低かったんだ…それまでなかったくらいにね。それくらい皆、このハンバーガーヒルに本当に価値があるのか、まったく意味なんてないじゃないかって思っていた」。

 ある部隊では、937高地の頂上から降りそそぐ手りゅう弾の嵐に部下の兵士たちがすっかり怯えきってしまい、進撃が滞りました。そのとき、その隊の指揮官は部下に、「俺たちは兵士なんだ、だから仕事をしよう」と言って、進撃させたと言います。(原文 :"we are soldiers, and we have to do our job.")彼は作戦終了後、こう語っています。「俺も怖かったし、皆も怖がっていた。でも戦闘に戻るしかなかったんだ」。

 統制のとれない指揮、北ベトナム軍の戦力を読み誤り、無謀とも言える戦いを強いた司令部。当初、937高地の威力偵察程度に考えていた司令部には具体的な作戦などないも同然でした。

 北ベトナム側の予想外の激しい抵抗を受けた結果、指揮系統は混乱し、現場の小隊指揮官が独自に判断して攻撃。各隊の連携が取れず、それぞれに攻撃と撤退を繰り返し、犠牲は増加していきます。また、現場の判断でそれぞれに航空支援を繰り返し要請したため、近くにいた別のアメリカ軍部隊を誤爆してしまうという悲劇が頻発。

 さらに、狭い地域で、あまりに頻繁に航空支援要請を繰り返したために、余計に誤爆のリスクが増してしまいました。激しい空爆は937高地をハゲ山にしてしまったほどです。結局、ハンバーガーヒルの戦いでは、アメリカ軍は10日間で72人の死者と372人の負傷者を出しました。

 映画中に、攻めよどむアメリカ軍をなじる無線が司令部から入る場面がありました。実際にも、なかなか攻めきることのできない配下の兵士に上層部は苛立っていました。攻撃が長引き、兵士の損失が増大にするにつれて、アメリカ国内ではハンバーガー・ヒルの戦いを非難する世論が高まっていたからです。

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↑交戦終了日の1日前、アメリカ軍が937高地の頂上付近まで来ていることを一面で報じる新聞。見出しでは、937高地をハンバーガー・ヒルではなく、ブラッディ・ヒル(血まみれの丘)と呼んでいる。1969年5月19日。コロンブス・イブニング・ディスパッチ紙。

ハンバーガー・ヒル↑アメリカ軍第101空挺師団が937高地の奪取に失敗したことを一面で報じる新聞。1969年5月20日付コロンブス・イブニング・ディスパッチ紙。.jpg

↑アメリカ軍第101空挺師団が937高地の奪取に失敗したことを一面で報じる新聞。1969年5月20日付コロンブス・イブニング・ディスパッチ紙。

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↑交戦終了日の翌日、ハンバーガー・ヒルでの勝利を一面で伝えるオハイオ州のコロンブス・イブニング・ディスパッチ新聞。写真はAP通信のものを使っている。1969年5月21日。

 ジョゼフ・コンミー大佐はこの映画の軍事コンサルタントとして迎えられていますが、彼は第101空挺師団第3旅団長として、ハンバーガー・ヒルの戦いの指揮を執った人物の一人です。確たる作戦もなく、本格的な戦闘に突入し、兵士に多大な犠牲を強いた司令部には大きな責任があるといっても間違いではないでしょう。

 攻撃終了直後に、第101空挺師団の師団長メルヴィン・ザイス少将は、「なぜ、937高地の攻略をしたのか」、とたずねられて、「エイショウ・バレー全体の北ベトナム軍掃討作戦を第101空挺師団が任されていたから、937高地を攻略したまでだ」、と答えています。実際のところ、937高地は北ベトナム軍が陣取っているという以外には攻略価値の薄い場所であり、空爆でも足りたのではないかと一般には評価されています。

 なお、ハンバーガー・ヒルと書いた紙が木の幹に貼り付けられたのは事実です。タイム誌の当時のベトナム特派員はアメリカ軍のヘルメットが転がり、血に染まったアメリカ軍兵士の上着が散乱する交戦終了直後の937高地を訪れ、この貼り紙を見ています。

 彼の報告によると、一本の木の幹に、1枚のカードボードが第101空挺師団の黒いネッカチーフとともに、アーミーナイフで留められていました。一人の兵士が"HAMBURGER HILL"と書き、後で他の兵士が"Was it worth it ? "と書き加えたようです。この"HAMBURGER HILL"のボードは1枚ではなく、複数枚あったようで、写真も複数のパターンを映したものが残っています。

ハンバーガー・ヒル↑937高地の頂上にアーミーナイフで打ち付けられたHAMBURGER HILLの貼り紙。黒い布は第101空挺師団のネッカチーフ。.jpg

↑937高地の木にアーミーナイフで打ち付けられた"HAMBURGER HILL"の貼り紙。黒い布は第101空挺師団のネッカチーフ。


★貧困と人種差別と徴兵逃れと反戦運動

 ハンバーガー・ヒルに軍事戦略的価値があったのか、払った犠牲に比しても、攻略すべき場所だったのか。その答えが得られない無謀な戦いを強いられたアメリカ軍兵士たち、そして、無能な司令部。

 しかし、この映画が提起する問題はそれだけではありません。貧困、人種、反戦運動。そして、メディアの報道。兵士たちが戦いに意味を見いだせず、ハンバーガー・ヒルの苦しい戦いに苦悩するのは、この作戦が無謀だからというだけではありません。ベトナム戦争そのものに対して疑問を抱かざるを得ないからです。

 目の前の戦いのみならず、戦争そのものに対して、祖国アメリカで強烈な反発が起きているという現実は命をかけて戦っている兵士たちに迷いと強い疑いの念を生んでいました。最初期の反戦運動を支えたのは、徴兵を控えた若者たちです。そして、反戦運動と人種、貧困には強い関連がありました。

 経済的に豊かな者は大学へ進学して徴兵を逃れます。卒業まで徴兵が猶予される学生は、反戦運動の主役の1人でもありました。そして、経済的に豊かな者には白人が多かったのです。なお、ベトナム行きを逃れる方法には、非常勤の州兵となるか、本土勤務の兵士として徴兵されるという方法がありました。

 一方、お金のない人や黒人には経済的に苦しい人が多く、多額の学費を払うことができないので大学には進学できません。そうなれば、徴兵され、ベトナムに送られることになります。本土勤務を希望するにしても、当時本土勤務は数年待ちの人気ぶり。希望を出してもはねられ、ベトナムに送られました。

 今に続く、白人と黒人の経済格差。その差は現在も縮まってまいません。貧困率を見てみましょう。貧困率が高ければ高いほど、その人種には貧しい人が多いということです。それによると、白人は8%、黒人は24%ヒスパニック系20%アジア系10%となっています。黒人の貧困層は白人の3倍もの人数がいることが分かります(2006年アメリカ国勢調査局統計)。

 もうひとつ、統計を出しましょう。ホームレスの人数です。これによると、2005年、アメリカには75万4000人のホームレスがおり、うち、45%のホームレスが黒人です(アメリカ住宅都市開発省発表)。

 ホームレスになるということは基本的な生活手段すら失うほど、経済的に行き詰っているということ。ほぼ半数が黒人ということは、それだけ、黒人には貧しい人が多いということの証明にもなっています。

ハンバーガー・ヒル↑ベトナム戦争でマシンガンを撃つ黒人兵士。アメリカ軍撮影。イギリス・ダーウィッド戦争博物館所蔵。.jpg

↑マシンガンを撃つ黒人兵士。ベトナム戦争時の写真。アメリカ軍撮影。イギリス・ダーウィッド戦争博物館所蔵。

 1964年にようやく公民権法が制定されたばかり。ハンバーガー・ヒルの戦いは1969年のことです。このころは、まだまだ有色人種への風当たりは強かったのです。映画の冒頭で、エイショウ・バレーへの進撃を知らされた黒人兵士が司令部への転属を願い出ようとしますが、司令部には黒人は入れないと同僚に言われてあきらめる場面があります。

 これは全くのフィクションではありません。当時、黒人は士官にすら、なかなかなることができませんでした。そもそも、第2次世界大戦では白人との混成部隊すらなく、黒人のみの部隊でしか戦えなかったほどの扱いだったのです。

 また、「俺たちは黒人で学がないからベトナムに来た」と仲間に言う場面があります。これは黒人が大学に進学できない者が白人に比べて多くおり、結果、徴兵されてしまうという現実を自嘲気味に語っているのです。

 さらに、黒人兵士が死亡し、彼の親友だった黒人兵士がパニックになったとき、「つまらんことだ、忘れよう、つまらんことだ、忘れよう」と声を合わせて勇気づける場面がありました。しかし、この場面でも集まって勇気づけ、肩を組んで声を合わせているのは黒人兵士だけ。白人の兵士たちは遠巻きに彼らの様子を眺めています。このときの、どこか冷笑的な雰囲気は当時の人種感覚をよく表現しています。

ハンバーガー・ヒル↑攻撃開始10日目。苦痛に顔をゆがめる第101空挺師団の.bmp

↑攻撃開始10日目。苦痛に顔をゆがめる第101空挺師団の兵士。後方へ移送するヘリを待っている。1969年5月19日。(AP通信)


★メディアの功罪

 「ハンバーガー・ヒル」では、メディアのぶしつけな質問に苛立ちを見せる兵士たちの場面がありました。これだけ見ていると、メディアとはただネタを掴みたくてしかたがないハゲタカのような者たちで、ベトナム戦争の悲惨さを取り上げるばかり、反戦運動を煽った張本人というようにも見えます。

 しかし、メディアの取材によって、この途絶なハンバーガー・ヒルの戦いが本国アメリカに知らされたことも事実です。メディアの取材と報道、そしてそれに対するアメリカ国民の反応を恐れた司令部は、無計画な進撃から始まったこの戦いに本腰を入れ始めました。

 作戦を立て直し、苦戦する部隊の増援をし、バラバラに攻撃していた部隊間の連携強化に取りかかったのです。これを考えれば、単にメディアの報道が兵士の気持ちを考えない報道をして反戦気分を煽っているとんでもない報道であるとは言えないでしょう。

 また、ベトナム戦争の過酷な実態をメディアに知らされた国民が、毎日のようにテレビで流されるアメリカ軍兵士の流血騒ぎにいい加減嫌気が差してしまい、結果的に反戦の機運が盛り上がったことも間違いではありません。

 しかしながら、そんなメディアの報道が一方的に悪い、といえるでしょうか。

 確かに、戦場で戦う兵士たちにとって、激化するメディアの戦争報道は決して面白いものではなかったでしょう。しかし、その兵士の感情と、戦争報道そのものの価値はイコールで考えることはできません。

 「ハンバーガー・ヒル」で描かれたような無遠慮な記者の取材手法は確かに問題があるかもしれません。しかし、戦争報道の手法の問題と、戦争報道をすることそのものの価値は分けて考えるべきです。

 ベトナム戦争以降、メディアの力に恐れをなしたアメリカ政府はこれ以降の戦争、例えば湾岸戦争での自由取材を一切拒否するようになります。これにより、アメリカ兵の死体が堂々とテレビに登場することはなくなり、メディアは国防総省発表の垂れ流し状態になりました。

 取材制限をされたメディアにとって国防総省の記者会見は数少ない取材の場となったのです。このあたりの事情は「スリー・キングス」という湾岸戦争を扱った秀作にちらりと描かれています。

 ベトナム戦争のときのメディアについて、その報道手法は批判されるべきかもしれませんが、政府の発表に現れない事実を報道しようとしたメディアの姿勢は総体として評価されるべきです。

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↑937高地の最後の攻撃で負傷し、ヘリで後送されてきた第101空挺師団の兵士。衛生兵に両脇から支えられている中央の兵士が負傷者。1969年5月20日。(AP通信)

★「アメリカ人の戦争」と「アメリカ兵の戦争」、そのかい離

 本国で高まる反戦運動の波。アメリカ人からの支持を失ったベトナム戦争を戦う兵士たちは、北ベトナム軍と戦うのみならず、精神的にも激しい葛藤を強いられました。

 アメリカの戦争には2種類あります。「アメリカ人の戦争」と「アメリカ軍兵士の戦争」です。「アメリカ軍兵士の戦争」は兵士たちが命じられた戦争を遂行し、アメリカに勝利をもたらすべく戦う戦争。この定義はいつの時代も変わりません。

 一方、「アメリカ人の戦争」。これはアメリカ人の支持を受ける戦争のこと。これは「アメリカ軍兵士の戦争」と違い、時の流れによって内容が変化することがあります。ベトナム戦争はその良い例。

 開戦時70%以上の戦争支持率を誇ったベトナム戦争でしたが、1968年3月には50%近くがベトナム戦争は間違いだったと回答しています。ベトナム戦争は当初、「アメリカ人の戦争」でした。しかし、あっという間に国民からの支持を失い、「アメリカ人の戦争」の定義から外れる戦争へと変質していきます。

 ベトナム戦争は「アメリカ人の戦争」と「アメリカ軍兵士の戦争」、この2つの戦争が見事にかい離してしまった戦争でした。参戦当初は、ベトナム戦争は確かに「アメリカ人の戦争」でした。しかし、時間の流れはアメリカ人の意識を変え、ベトナム戦争は「アメリカ人の戦争」ではなくなってしまったのです。

 映画中、ガールフレンドから"戦争を支持したくないから手紙を書かない"という手紙を受け取った兵士がショックを受けている場面があります。また、アメリカ本国で盛りあがる反戦運動の熱気ととベトナム戦地で戦うアメリカ軍兵士の差を強く感じ、「俺たちはのけ者さ」と語る兵士たち。そして、一時帰国した兵士は、帰国したときの話を仲間に語ります。

 彼は、久々に会った家族の平和な空気になじめず、すぐに行きつけの酒場に行ってしまったことを話し、そして酒場の主人の息子がベトナムで戦死したことを知ったといいます。さらに、彼は、その息子の戦死を反戦運動をしている学生たちが聞きつけ、「ベトナムで殺されていい気味だ」とバーに電話してくるんだと語っていました。

 祖国ではベトナム戦争にアメリカが参戦していること自体に非難が集まるのみならず、そのような"間違った戦争"を戦っているアメリカ軍兵士にも、一部の人の冷たい視線が向けられていました。

 一方、兵士たちは兵士としての任務でベトナムに来ている以上、上官の命令に従い、アメリカのためにベトナムのジャングルで日夜はいずり回り、生きるか死ぬかの戦いをし続けるしかありません。

ハンバーガー・ヒル↑衛生兵に応急手当てをされている第101空挺.bmp

↑衛生兵に応急手当てをされている第101空挺師団の兵士。903高地の頂上を目指して攻撃した際に、手りゅう弾を浴び、顔面を負傷した。(AP通信)

★正しい戦争

 「アメリカ人の戦争」と「アメリカ軍兵士の戦争」の一体、どちらが正しいのか。アメリカ人の戦争では、最終的にベトナム戦争は間違いだったというように定義されました。となると、ベトナム戦争は意味のない、無益な戦争だったのでしょうか。

 「ハンバーガー・ヒル」の結末、「戦争が愚行であるといえるようになったとき、彼ら英雄を優しく抱きしめてやってほしい」(オドンネル少佐,1970年1月1日)というメッセージが出てきます。これはベトナム戦争を戦った兵士たち全員から、アメリカ国民に送るメッセージです。

 このメッセージは、ベトナム戦争が正しい戦争だったと主張しているわけではありません。「アメリカ人の戦争」から、ベトナム戦争が外れてしまったという事実は、それとして受け止め、それはそれでいいとしています。

 しかし、ベトナム戦争が「愚行」だったと評価されていることを認めたうえで、それでも、その戦争に命を賭けた若者たちがいたことを忘れないでほしい、ということ。「愚行」とされた戦争の中には、確かに「アメリカ軍兵士の戦争」があり、命をかけて戦ったたくさんの若い命があったのだということを忘れないでほしいというメッセージなのです。

 ベトナム戦争に行ったこともない学生が反戦運動をするのは生意気だとか、ベトナム戦争を必死に戦っている恋人がいるのに、それを見捨ててしまったガールフレンドは薄情すぎるとか、そういう問題ではありません。

 ハンバーガー・ヒルが提起するのはもっと本質的な問題です。

 どうしてベトナム戦争に突き進んでいったのか、どうして、この戦争が「愚行」と称されることになったのか、どうしてアメリカ人が当初想定した「アメリカ人の戦争」から外れていってしまったのか。

 ベトナム戦争は失敗だった。そして、勇敢に戦った兵士がいた。それだけで終わってしまっては第2、第3の"ベトナム戦争"を生み出すことになるでしょう。アメリカ人はそのときも、再び、「アメリカ人の戦争」の定義を変え、「アメリカ軍兵士の戦争」と分離させてしまうのでしょうか。

ハンバーガー・ヒル↑攻撃開始2日目。倒れた仲間の手当てをしようとする第101空挺師団の衛生兵。1969年5月11日。.jpg

↑攻撃開始2日目。倒れた兵士の手当てをしようとする第101空挺師団の衛生兵。1969年5月11日。


★「アメリカ人の戦争」はアメリカ人が決める

 兵士たちは当初の「アメリカ人の戦争」の定義にそってベトナム戦争を必死に戦いました。その後に「アメリカ人の戦争」の定義が変わり、ベトナム戦争がその枠外に振り落とされたとしても、戦争は一度始めてしまったら、止めることは困難です。

 アメリカは世界で一番、政治力があり、経済力を有する国です。アメリカは何かにつけて、世界を動かす大きな力を持っています。そのアメリカが国際問題を解決するため、武力を行使したならば、必然的に勝者は決まってしまいます。アメリカにその矛先を向けられたとき、圧倒的な物量を有するアメリカに対して軍事力で勝ることのできる国は存在しないと言っていい。

 2003年、イラク戦争開戦時、アメリカ国民はイラク戦争を70%超の高支持率を持って迎えました。しかし、2005年には55%のアメリカ国民がイラク戦争反対に回ってしまった。しかし、この支持率急落をもってアメリカ政府がイラクを放棄することはできません。また、それが戦争というものでもあります。

 戦争の意義を"破壊"にとどめず、その意義を"構築"にも求めるならば、やはりアメリカにはイラクに対する責任があります。世界を動かす「アメリカ人の戦争」はアメリカ人にしか、決めることはできません。アメリカの大統領が世界的な影響力を有するからといって、世界中の人がアメリカ大統領選挙に投票できるわけではないのです。世界はアメリカの戦争に翻弄されますが、世界に「アメリカ人の戦争」とは、を定義する権利はありません。

 そんな強大な力を持つアメリカにとっての問題は戦争に勝つか、負けるかということではありません。問題を軍事力で解決し、問題を引き起こすと思われた勢力を排除した後にアメリカは何ができるのか。戦争、そして"その後"についてまで、アメリカ人は「アメリカ人の戦争」として引き受ける用意はあるのか。ベトナム戦争、そして、イラク戦争にアフガニスタン。アメリカ人にはその覚悟が求められています。

ハンバーガー・ヒル ↑ハンバーガー・ヒルの頂上にあるバンカー。.jpg

↑ハンバーガー・ヒルの頂上に今も残る北ベトナム軍のバンカー。この平たいバンカーが空爆で破壊しきれなかったことも想定外だった。

参考資料:TIME誌「THE BATTLE FOR HAMBURGER HILL」1969年5月30日付
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ヒトラー〜最期の12日間〜

映画:ヒトラー〜最後の12日間〜
※レビュー部分はネタバレあり

ヒトラー〜最期の12日間〜↑ナチス=ドイツ時代のドイツ軍旗。.png ヒトラー〜最期の12日間〜↑現在のベルリン官庁街。.jpg

ヒトラー〜最期の12日間〜1942年6月1日作戦の指揮を執るヒトラー。ドイツ連邦文書館提供。.jpg

ヒトラー〜最期の12日間〜↑荒廃したベルリンの街。イギリスダックスフォード帝国戦争博物館所蔵。.jpgヒトラー〜最後の12日間〜↑1945年5月3日付ヒトラーの自殺を報じるアメリカ軍機関紙・スターズ&ストライプス紙提供。.jpgヒトラー〜最後の12日間〜↑ベルリンで演説するアドルフ・ヒトラー。後にイギリス.jpg

ヒトラー〜最期の12日間〜↑ナチス総統官邸にあったとされる青銅の像。イギリス・ダックスフォード戦争博物館所蔵。.jpg ヒトラー〜最期の12日間〜↑騎士鉄十字章。約7千名に与えられた。.png


 1945年4月、ドイツ・ベルリン。ソ連軍の砲火が迫るなか、総統官邸にある総統地下壕に入ったヒトラーと側近たちは、大きな地図を囲んで最後の作戦指揮を執っていた。とはいえ、もはや壊滅状態のドイツ軍には戦力と呼べる戦力がなく、降伏が秒読みと言える状況に入ってきていた。

 従って、ヒトラーの側近たちの関心は、いつ、どのように、降伏をするのかということに向かっていたが、ヒトラーは絶対に降伏は認めないと主張し、ベルリンでの最終決戦を命令していた。ベルリンの市街には土のうが積み上げられ、塹壕が掘られ、市街戦の準備が進む。10代の少年・少女がヒトラー・ユーゲント(ナチスの青年組織)として活動し、それらの準備を手伝っていた。

 総統地下壕には、軍の高官やヒトラーの側近ら、それに愛人のエヴァ、さらに秘書のユンゲたちが残っていた。ユンゲらはヒトラーに避難を勧められるが、それを拒み、最後まで残ることを決意する。ヒトラーは、ベルリン陥落を目前にして、自殺することを周囲に匂わせていた。そして、いよいよ最後のときが近づいてくる。

 冒頭、ヒトラーの秘書として働いていたユンゲがヒトラーのことを「怪物」と呼んで非難する場面から映画がスタートする(DVD版)。しかし、この映画自体は、ヒトラーを「怪物」のような人間として描いてきた今までの歴史をやんわりと非難している。

 "独裁者"ヒトラーは人間だった。人間味ある優しさを併せ持つ人間がなぜ、強制収容所の悲劇を引き起こし、第2次世界大戦を引き起こしていく怪物としてドイツに君臨したのか。そして、その怪物から人間たちが逃げられず、逆に怪物を崇め、怪物につき従うようになるのはなぜなのか。

 ヒトラーを「怪物」「独裁者」と片付けてしまえば、ヒトラーの周囲にいた人々に咎めは及ばず、ヒトラーだけに悪魔の濡れ衣を着せることができる。しかし、その陰に隠れてしまう真実がある。悪魔を生んだのは神ではない。人間たちだったことを忘れてはならない。ヒトラーを「怪物」で片付けてしまうと、決して理解することのできない苦い真実を知るべきときが来ている。

【写真の説明】
1段目
左:ナチス=ドイツ時代のドイツ軍旗。
右:現在のベルリン市街。
2段目
1942年6月1日作戦の指揮を執るヒトラー。ドイツ連邦文書館提供。
3段目
左:荒廃したベルリンの街。イギリスダックスフォード帝国戦争博物館所蔵。
中央:1945年5月3日付ヒトラーの自殺を報じるアメリカ軍機関紙・スターズ&ストライプス紙提供。
右:ベルリンで演説するアドルフ・ヒトラー。後にイギリスに飛んで捕虜になるルドルフ・ヘスやヨーゼフ・ゲッペルス国民啓蒙・宣伝相、独ソ不可侵条約を締結してポーランド侵攻の道筋をつけたヨアヒム・フォン・リッベントロップ外相の姿が見える。1939年10月6日。ドイツ連邦文書館提供。
4段目
左:ナチス総統官邸にあったとされる青銅の像。イギリス・ダックスフォード戦争博物館所蔵。
右:騎士鉄十字章。約7千名に与えられた。



【映画データ】
ヒトラー〜最後の12日間〜
監督 オリヴァー・ヒルシュビーゲル
出演 ブルーノ・ガンツ,アレクサンドラ・マリア・ララ,ユリアーネ・ケーラー,トーマス・クレッチマン,コリンナ・ハルフォーフ,ウルリッヒ・マテス,ハイノ・フェルヒ,ウルリッヒ・ノエテン,クリスチャン・ベルテル



ヒトラー〜最後の12日間〜↑アドルフ・ヒトラー。1933年撮影。ドイツ連邦文書館提供。.jpg

↑アドルフ・ヒトラー。1933年撮影。ドイツ連邦文書館提供。


ヒトラー〜最後の12日間〜↑エヴァとヒトラー。1942年6月撮影。.jpg

↑エヴァとヒトラー。愛犬とともに。1942年6月撮影。


映画:ヒトラー〜最後の12日間〜解説とレビュー
※以下、ネタバレあり

★夢の続きを… - ユンゲの場合 -

 ヒトラー、その愛人で後に妻となるエヴァ、秘書のユンゲやドイツ軍将校たち、そして市井のベルリン市民は、ベルリン陥落をそれぞれに経験することになりました。ベルリンの市民は国民突撃隊としてベルリン防衛戦に強制徴用されたり、あるいはナチス=ドイツに対する忠誠心から武器を取り、10代の少年少女たちはヒトラー・ユーゲントとして徴用され、ベルリン防衛戦に参加しました。あるいはベルリン市街の地下道や地下壕に逃げ込み、息をひそめて隠れていました。

 ナチス=ドイツ政権の幹部たちは総統地下壕に避難し、あるいはベルリン郊外で戦い、またはいち早くベルリンから避難していきました。総統地下壕に残った者たちは軍人だったり、秘書だったり、下働きの者だったりしましたが、いずれの人々も、ベルリンの陥落をそれぞれに見守ることになります。

 一方で、総統地下壕に残った者たちの行動パターンは実に簡単に説明することができます。夢を見、現実から逃げようとしていること。そもそも現実が見えていないこと。そして、何も考えていないこと。

 愚かで、無知で、現実逃避的で、夢の続きを何とか見たいと思って、すでにない希望にすがろうとする。彼らの思考はすでに停止しています。ユンゲは後年のインタビューで、「何も考えず…(ナチスやヒトラーに従った)」と言いますが、本当に、彼らは何か考えているようで、実は何も考えていない。

 「ヒトラー〜最後の12日間〜」は秘書のユンゲの手記に基づく映画です。彼女は総統秘書として採用され、敗戦までを地下壕で過ごし、ドイツの降伏と、ソ連のベルリン占領を体験することになりました。彼女が敗戦間近に地下壕で何をしていたかといえば、とにかく、心配すること、そして、何とかなると自分を慰め、エヴァや秘書仲間と慰め合うこと。そして、また心配になったら周りにいる軍人たちに情勢を聞き、また不安に駆られ、再び、自分を慰める。その繰り返し。

 彼女は刻々と状況が悪化しているにもかかわらず、そうした情報には断固拒否を表明します。なぜなら、「総統が言ってらしたわ ! 」。常に「総統」を持ち出して正当化し、解決策は全て、「総統」に頼り、大丈夫だという全ての理由を「総統」に持ち込む。

 ユンゲにとって、「総統」という理由付けは実に便利なのです。都合の悪いことは何もかも「信じないわ」と否定する。そして、その理由は「総統が…」の一言でけりがつく。何か考えているようで、何も考えていない。ユンゲは、自分でも状況の悪化や、「総統」という理由付けにどこか不安を感じています。だから何度も状況を確認しようとはする。

 そして、やはり、都合の悪い情報しかないのにもかかわらず、「大丈夫よ」と自分にウソをつく。「なんとかなるわ」。しかし、自分を自分でだましていることに心のどこかで気がついていて、やっぱり不安になってきます。そして、再び、通りがかる軍人に情勢を聞いてみる。そして結論は「総統を見捨てるわけにはいかない」。

ヒトラー最期の12日間↑トラゥドゥル・ユンゲ 1945年11月にベルリンを占領したソ連軍によって撮影されたもの。2002年2月10日没。.jpg

↑総統秘書・トラゥドゥル・ユンゲ。総統地下壕を脱出した後、ソ連軍に捕えられたが、釈放された。1945年11月にベルリンを占領したソ連軍によって撮影されたもの。2002年2月10日没。

★夢破れて - ユンゲの場合 -

 しかし、ユンゲの出口のない堂々巡りの問答にもついに現実が訪れます。ヒトラー亡き後、ドイツがついにソ連に降伏するのです。ユンゲたちは、ベルリン脱出を図り、ついに総統官邸の地下要塞を出ることになりました。そこで見た光景は悲惨としか言いようのないものでした。

 地下道にひしめくようにしてうずくまる市民。汚い服を着て、生気のない目をしていて、酷い臭気でむせるような地下道。軍服を着て通り過ぎていくユンゲらを彼らはじっと見つめています。そして、傷病兵がうめき声をあげている緊急治療所。地下道の一角に、血に染まった軍服を着た兵士たちが寝かせられ、手術台では医者が白い白衣を真っ赤に染めて、のこぎりをひいています。負傷者の手足を切断しているのです。

 彼女は、初めて見るむごたらしい光景に目をそむけ、うつむくようにして通り過ぎていきます。そして、一角では、大量の鉄十字勲章を配るように若い兵士に与えている光景も。彼女は実際に見たことはなかったでしょう。地上でどんな地獄絵図が繰り広げられているのかを。どれだけ多くの人々が命を落とし、家族も家も財産も、全てを失って逃げ惑っていたかを。

 ユンゲがエヴァらと「苦しまずに美しい」死に方を相談しているときに、地上では悲惨な外科手術で多くの兵士が耐え難い苦しみを受け、多くの兵士がソ連の大軍を前に命を落としたのです。10歳そこそこの子供たちも、ヒトラー・ユーゲントとして戦争に協力し、中には自決した子供たちもいました。

 ゲッペルス夫人が遺言したように、「死こそ救い」などと、この光景を前にして言えるのでしょうか。ユンゲやエヴァ、ゲッペルス夫人は現場で起きている悲惨な現実を知らず、見たこともありません。だから想像することもできない。

 上滑りした事実しか見ずに、全てを知ったつもりになっている。だから、エヴァのように、コーヒーやタバコの遺贈先を遺言したり、持っている宝石類の行き先を心配したりする。現実の戦場は言葉で言うよりもはるかに悲惨です。ユンゲらが地下要塞で、答えの出るはずのない不安から自分をだまし続けている間に、かつてのベルリンは崩れ去っていたのです。

ヒトラー・ユーゲントとは10歳から18歳の青少年からなる組織。参加が義務付けられ、1944年に突撃隊に併合された。.jpg

↑ヒトラー・ユーゲントとは10歳から18歳の青少年からなるナチス党の組織。参加が義務付けられ、1944年に突撃隊に併合された。

ヒトラー〜最後の12日間〜↑ソ連軍の捕虜になったヒトラー・ユーゲントの少年たち。1945年、ソ連軍により撮影された。ロシア連邦公文書館所蔵。.jpg

↑ソ連軍の捕虜になったヒトラー・ユーゲントの少年たち。1945年、ソ連軍により撮影された。ロシア連邦公文書館所蔵。


ヒトラー〜最期の12日間〜↑1944年9月、大戦末期に16歳から.JPG

↑1944年9月、大戦末期に16歳から60歳の幅広い年齢から国民突撃隊が組織された。制服はなく、私服に配られた腕章をつけ、自前の武器もしくは数少ない支給された武器で戦った。写真の男性たちが担いでいるのは「パンツァーファウスト」とよばれる簡易だが、有効な効果を発揮する対戦車用無反動砲。これで戦車や車両を破壊することが突撃隊の重要な任務だった。1945年3月撮影。ドイツ文書館所蔵。

↑捕虜になった国民突撃隊員たち。第1次世界大戦の従軍経験があるだけで徴用された。1945年撮影、ロシア連邦公文書館所蔵。.jpg

↑ソ連軍の捕虜になった国民突撃隊の隊員たち。第1次世界大戦の従軍経験があるだけでも徴用された。1945年撮影、ロシア連邦公文書館所蔵。

★自分をだまして… - ヒトラーの側近たち -

 ヒトラーの側近たちも、思考停止と現実逃避の出口のない迷路に迷い込んでいました。ヒトラーの側近たちも、ユンゲに負けず劣らず、自分をだますことに必死になっていたのです。

 彼らはまず、降伏するなんてとんでもないことだと考えていました。それはなぜか、といえば、これも実に単純で、1つにはヒトラーの下した総統命令だから。そして2つ目には、ハンス・クレープス陸軍参謀総長の言葉を借りれば、「降伏の屈辱は一度でたくさん」だから。

 かつて、ドイツは第1次世界大戦でも降伏し、ベルサイユ条約という過酷な降伏条約に調印させられました。そのため、今度の大戦でも降伏すれば2度目の降伏をすることになります。彼らはその屈辱を再び受けることを拒む心情がありました。

 一方、ヒトラーの命令が支離滅裂になり、ヒステリックな表情を見せるようになる中で、ドイツ軍将校たちの現状認識は正当でした。すでに、満足に戦える師団は残っておらず、ヒトラーが最後の望みをかけるシュタイナー師団もすでに戦闘能力を喪失しかけていることなど、情報は把握していたし、ベルリンがソ連に包囲され、すでに絶望的な状況であることも理解していました。ヴィルヘルム・ブルクドルフ陸軍人事局長が言ったように、「状況は絶望的、いわゆるドツボ状態」だったのです。

 さて、それで、彼らはどうしたか ? ヒトラーに交渉を勧める者はいませんでした。すでにこの段階に至っては、降伏交渉しか途はありませんでしたが、ヒトラーの強い降伏拒否の姿勢の前に、彼らは沈黙しました。また、ヒトラーのまるで妄想のような、現実味のない反撃戦略に対してその誤りを適確に指摘し、状況認識を正せる者はいませんでした。

 皆、ヒトラーのいないところで、不安がり、絶望的な状況であることを嘆き、心配するばかり。ヒトラーの不安定な精神状態についても危ぶみながら、いずれ、「気を取り直される」。

 このどうしようもない現況を理解しつつ、正面からこの難局を打開しようと積極的な行動をとる者はいませんでした。事態の打開を将校らに提案し、降伏交渉を匂わせたフェーゲライン中将は「保身だ」「出世主義者」と非難され、議論は権力闘争の様相を帯びる始末。

 結局、ただ、彼らがしたことは酒を飲み、歌を歌ってどんちゃん騒ぎをすることだけ。酒に酔い、大騒ぎしている間は現実から逃げることができる。ベルリンに向かって進撃してくるソ連との戦闘を現場で指揮していたヘルムート・ヴァイトリング陸軍砲兵大将が地下要塞に姿を見せたときも彼らの様子は変わりません。

 「早く指揮所に戻らねばならん」と地上の様子を心配するヴァイトリングに対しても、「まあ、飲んで ! 」とハンス・クレープス陸軍参謀総長は酒を勧める始末。そして、「シュタイナー(師団)は期待薄か ? 」とヴァイトリングにたずねます。ヴァイトリングはついさっきまで、戦場で爆撃に吹き飛ばされそうになっていたのだから、正確な情報などあるはずがありません。

 ヴァイトリングが言うように、ずっと総統地下壕にいるクレープスの方が情報には詳しいはずです。クレープスはすでに、シュタイナー師団が絶望的なことを分かっていながら、それでも、かすかな望みはないかとはかない夢を探し求めていました。酒を浴びるように飲んでいる地下の世界と熾烈な死闘を繰り広げている地上の世界。

 この2つの信じがたいような落差のある世界が、ソ連侵攻下のベルリンに同時に存在していたのです。この地下の世界では、ナチス=ドイツ、第三帝国、ヒトラーの夢がまだ息を保っているけれど、地上の世界では、いよいよ終焉が近づいている。酒や歌があり、銃弾が飛んでこない地下の世界にはまだ、終わりの気配が見えてこない気がする、もしくは現実に目を閉じて、見えないふりをしていられる。 

ヒトラー〜最期の12日間〜↑ヘルムート・ヴァイトリン.jpg

↑ヘルムート・ヴァイトリング首都防衛司令官。1955年ソ連捕虜収容所にて没。1943年撮影、ドイツ文書館提供。


ヒトラー〜最後の12日間〜↑ハインリヒ・ヒムラー。冒頭部に登場。副官のフェーゲラインに対して、降伏しないヒ.jpg

↑ハインリヒ・ヒムラー。冒頭部に登場。副官のフェーゲラインに対して、降伏しないヒトラーを非難していた。内務大臣であり、警察長官でもあったが、何より、親衛隊の全国指導者として親衛隊を一手に掌握し、絶大な権力を誇っていた。しかし、副官のフェーゲラインの処刑その他の理由からヒトラーの逆鱗に触れ、1945年4月28日にヒトラーから解任される。1945年5月23日、イギリス軍の捕虜になったのち、自決。アメリカ国立公文書記録管理局所蔵。

ヒトラー〜最後の12日間〜↑ヘルマン・フェーゲラインSS中将。.jpg

↑ヘルマン・フェーゲラインSS中将。1945年4月27日、ヒトラーの出頭命令に応じず、国外逃亡の恐れもあるとして逮捕。翌28日銃殺刑に処される。

★熱烈な崇拝者、現実を見た支持者、そして、ヒトラーに尽くした忠臣たち

 ヒトラーの周りからはどんどんと人が減っていき、後には、酒を飲んで現実逃避をする者がたむろし始めた総統官邸の地下壕。しかし、中には、ヒトラーを熱烈に崇拝し続ける者や、ヒトラーを支持しつつ、見切りをつけた者、そして、最後までヒトラーの命令に忠実に尽くした者たちがいました。

 熱烈な崇拝者とはゲッペルス国民啓蒙・宣伝大臣。そして、ローベルト・リッター・フォン・グライム空軍元帥・空軍総司令官。空軍パイロットのハンナ・ライチェ。彼らは総統の命令には決して反対せず、どんなに不利な状況でも、ヒトラーを持ち上げ、ヒトラーの命令を正当化する方向に力を尽くします。彼らは決してノーとは言わない。

 そして、アルベルト・シュペーア。軍需大臣を務め、ヒトラーのお抱え建築家でもあった彼はヒトラーを何でも一から十まで肯定する単純な崇拝者ではありませんが、かといって、ヒトラーの言うことに表だって反論することはありません。彼は、ベルリンにとどまることを決意したヒトラーにこぞって将校たちが反対したとき、決して、脱出すべきと進言することはありませんでした。

 シュペーアの言葉は、「主役は常に舞台に」。主役はドイツという舞台にいなくてはならないから、とりあえずはベルリンから脱出したほうがいいということなのか、主役はベルリンという舞台にいなくてはならないから、ベルリンにとどまった方がいいということなのか、両方の意味にとることができます。ヒトラーはすでにベルリンにとどまることを決意していました。

 当然、彼はシュペーアが自分の提案を支持してくれたのだと考えます。ヒトラーの妻エヴァに、「総統はシュペーアの進言を喜んでいた」と聞いたシュペーアは黙り込んでいました。彼は確かにイエスマンではなかったかもしれませんが、ヒトラーに対してどちらともとれるような曖昧な進言しかしなかったところに、彼の性格がよく現れています。

 彼は今まで、そういう政治的ポジションを取りながら、権力闘争に生き残ってきたのでしょう。シュペーアにはヒトラーとともに沈没する気はさらさらありません。彼は沈みかけた泥船からは逃げ出すつもりです。体裁を取り繕いつつも、シュペーアも実質的にはヒトラーのイエスマンであったことに変わりはありません。

 ヘルムート・ヴァイトリング首都防衛司令官やヴィルヘルム・モーンケSS少将・官庁街防衛司令官はヒトラーの命令に従い、勝ち目のない首都防衛戦を続行していました。何のために ? 彼らは、忠義を尽くした勇気ある将官なのでしょうか ? シュペーアはヒトラーに、「国民はご容赦を」と言います。ヒトラーは「彼らが選んだ運命だ。自業自得だろう」。そしてシュペーアは黙りました。

 ヴィルヘルム・モーンケSS少将はヒトラーに、「恐れながら、女子供はどうなります ? 負傷者や年寄りは ? 」と進言しました。ヒトラーは「戦時に市民など存在せん」。随所随所で、市民の犠牲について、進言しながら、彼らはヒトラーに拒否されれば黙ってしまいます。それでは、ただ言ってみただけに過ぎない。意味のない進言です。

 なぜ、彼らが黙ってしまうのかといえば、結局、根底にはヒトラーへの盲目的な忠誠心があるのです。シュペーアはベルリン市街の破壊命令を無視したことをヒトラーに告白しつつ、「忠誠は今も揺らいでいません」と付け足します。また、モーンケはソ連に降伏後、ソ連包囲網をかいくぐってもヒトラーの遺書を次期総統に指名されたカール・デニッツ元帥に届けようとします。

 結局、彼らはヒトラーへの忠誠、その一言で、市民の犠牲という至極もっともな心配事も片づけ、自分の中で合理化してしまいます。「ヒトラーのためなら仕方がないことだ」、と。

 彼らは美しき忠臣などではありません。彼らもやはり、ヒトラーと同じように、自分たちが本来、何のために尽くしているのかを忘却してしまっている。ヒトラーもナチス党も、ドイツのために、ドイツ国民のために、ドイツに尽くすという目的を持っていたはずです。ヒトラーのために尽くすのではない。

 しかし、ベルリン戦は全てヒトラーのためと言っても、過言ではありません。誰だって死にたくはない。まだ、最後の希望が残されているのではないか ?

 ヒトラーが、もはや希望のまったくないことを確認し尽くすまで、首都防衛戦を続けて時間稼ぎをし、彼が自殺の決意を固めるまで、勝ち目のないベルリン戦を続けたことにヒトラーや彼の側近が言い訳をすることはできません。

 結局、後世、"独裁者"と言われるようになってしまったヒトラーに対して、彼の暴走を止められる者は誰もいませんでした。この状態に陥ったのはなにも、地下要塞に移ってからではないでしょう。それ以前、第2次世界大戦が始まったころにはすでに、今の惨状に至る道筋がつけられていたのではないでしょうか。

 誰の目にも、明らかに間違っている問題をそうと指摘できず、権力のため、地位のために見てみないふりをする。皆が権力や名声に目がくらみ、当座の利益に汲々とする。気がついたときには、大惨事が起きている。それでも、黙殺する。そして、マジックワードは「総統」。

 「総統が言ったから…」「総統に忠誠を…」。「総統」が登場した途端に、思考停止に陥り、全ては正当化されてしまう。「最期の12日間」と言いますが、この12日間を見るだけで、第2次世界大戦中に繰り返されたヒトラーの側近たちの行動を凝縮して一覧することができます。

 ベルリン陥落が迫ったからその恐怖で急に思考停止に陥った、というような根の浅いものではない。骨の髄まで染みついた、「総統への忠誠」が人の思考を止めてしまうのです。善悪の判断も、人の生き死にも、全て「総統」の言うがまま。それが政権内部の現実でした。

ヒトラー〜最期の12日間〜↑ニュルンベルグ裁判でのシュペーア。彼は禁固20年の判決を受けた。.jpg

↑ニュルンベルグ裁判でのシュペーア。彼は禁固20年の判決を受けた。シュペーアはヒトラーお抱えの建築家としてのみならず、軍需相として、連合軍の激しい空爆で生産性が低下していたドイツ国内の軍需産業の立て直しにも力を発揮。ヒトラーの信任も最後まで厚い側近の一人だった。1981年9月に死去。

ヒトラー〜最期の12日間〜↑カール・デーニッツ海軍元帥。ヒトラーの死後、ドイツ大.JPG

↑カール・デーニッツ海軍元帥。ヒトラーの死後、ドイツ大統領になる。ニュルンベルク裁判で10年の禁固刑。1980年没。1943年4月撮影。ドイツ文書館所蔵。

ヒトラー〜最後の12日間〜↑パウル・ヨーゼフ・ゲッペルス。国民啓蒙・宣伝大臣としてナチス台.jpg

↑パウル・ヨーゼフ・ゲッペルス。国民啓蒙・宣伝大臣としてナチス党台頭時から権力をふるった。ヒトラー自決後、総統に指名されるが、ソ連降伏が避けられないことから、1945年5月1日自決。1942年撮影。ドイツ連邦文書館提供。

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↑国民啓蒙・宣伝省の新庁舎。1939年撮影。現在はドイツ連邦労働社会省が入居している。


★民主的に誕生したヒトラー政権 - ドイツ国民に責任はあるのか -

 ヒトラーやゲッペルスは「国民が選んだ運命だ ! 」「自業自得」だと同じ言葉を使ってドイツ国民の犠牲を正当化します。「我々は国民に強制などしていない。彼らが我々に委ねたのだ。自業自得さ」。

 確かに、ナチス党は選挙で多数の支持を得て、ドイツ政界に台頭してきました。ナチス党は最盛期には、ドイツ議会の3分の1を占めていました。民主主義がナチスを選んだのです。その意味では、ヒトラーやゲッペルスの言い分はさもありなんということになるでしょう。

 しかし、国民はベルリンを地獄にするような政治を望んでいないことは確かです。市民はソ連との戦闘の巻き添えになったのみならず、子供も労働力とされ、戦争に非協力的とされた市民はナチス党支配下のゲシュタポによって殺されました。

 首を吊られたベルリン市民の横を白旗を持ってソ連陣営に向かって通り過ぎていくクレープス参謀総長。とても皮肉な光景です。殺された多くの市民は、ソ連軍に降伏しようと白旗を掲げたり、あるいは、武器を取って戦おうとしなかったという「敗北主義者」として殺されていたからです。その横を今まさにソ連に降伏しようと向かうナチスの高官。

 市民の犠牲は何のためだったのか。ヒトラー・ユーゲントの青年に指揮されて、10歳過ぎ位の年齢の子供たちも戦争に協力しました。愛国心に燃えて、ヒトラー総統への忠誠心に燃えて。彼らの若くして散っていった命は ?

 地下要塞でユンゲが堂々巡りの不安に追い回され、側近らが飲んだくれている間に、地上では、多数の市民の命が散っていきました。この責任を、ナチスを選んだからというだけで、ドイツ国民に帰責することは間違っています。

 そもそも、ヒトラーは国民のために、国民の利益となる政治をすることを前提に政治的権力を託されたはずです。それが、「師団に民間人を登用せよ」と命令したり、「戦時に市民など存在せん」と言い切って、ベルリン防衛戦で市民が武器を持って戦うことを強要したヒトラーの下、ドイツ国民はヒトラーの所有物になり下がってしまっている。

 ドイツ国民が権力を託した本来の趣旨から大きくズレてしまっているのです。ドイツ国民は、国民を煮て食おうが焼いて食おうが…という権力をヒトラーに託したのではありません。ドイツ国民の多数の犠牲を「それが彼らの運命だ」という権利はヒトラーにはないはずです。

 ドイツ国民にももちろん、ナチスを生んだ責任の一端はあるでしょうが、ヒトラー率いるナチスのしたことは第1次世界大戦の敗戦国ドイツの再興を託した国民の意図から明らかにかけ離れていました。

ヒトラー〜最後の12日間〜↑1933年3月23日、全権委任法の成立を受けて演説するヒトラー。これにより、彼は一挙に権力を手中にした。ドイツ連邦文書館提供。.JPG

↑1933年3月23日、全権委任法の成立を受けて演説するヒトラー。これにより、彼は一挙に権力を手中にした。ドイツ連邦文書館提供。

ヒトラー〜最後の12日間〜↑1938年3月、オーストリア併合を発表するヒトラー。上の写真(1933年)と比べて国会の雰囲気がガラリと変わっている。アメリカ国防総省提供。.jpg

↑1938年3月、オーストリア併合を発表するヒトラー。上の写真(1933年)と比べて国会の雰囲気がガラリと変わっている。アメリカ国防総省提供。

★責任から逃げたユンゲ

 後年のインタビューでユンゲは、「恐ろしい怪物の正体に私は気付けませんでした」と語ります。これは実にうまい表現です。ヒトラーに責任を押しつけ、ヒトラーを強く非難しつつ、ユンゲ自身の責任を回避している。この言葉の意味することを直接的に言うならばこういうことになるでしょう。

 「私はヒトラーが戦時中に何をしていたか、まったく知りませんでした」。従って、戦時中に起きた惨事について、ユンゲはその問題に気が付きながらも従ったという事実はないし、それについて直接的な責任はない、と釈明しているのです。

 ヒトラーを「怪物」と呼び、「気付かなかった」という表現でぼかしていますが、まぎれもなく、ユンゲは戦争中の政策、例えば、ユダヤ人強制収容所問題について、その事実を知らなかった自らが責任を負ういわれはないことを暗に言明しています。

 個人的には、総統秘書として1942年からヒトラーに従っていたユンゲがまったく、一点の曇りもなく、ユダヤ人の問題を知らなかったとは思えませんが、それを追及して、知っていたはず、とすでに亡くなっているユンゲに責任を問うても、今さら、得るものは少ないでしょう。

 しかし、彼女の責任逃れの論理には目を留めておく必要があります。知らなかったから、私は力のない秘書という立場に過ぎなかったから、責任を逃れられるというものではありません。その論理でいけば、ユンゲ以上に、ヒトラーと接触の機会すらない、ドイツ国民にはまったく責任がなかったことになるでしょう。

 責任のあるなしは、必ずしも、権力のあるなしには関係しません。ヒトラーを選んだドイツ国民にも、その非が少しでもあるとするなら、ヒトラーを直接的、間接的に支える立場にあったヒトラー政権に関わる人々は、ドイツ国民より少しばかり余計に責任を負うべきでしょう。ユンゲがまったく問題を知らなかったと言ったところで、その罪は決して軽くなるものではありません。

ヒトラー〜最後の12日間〜↑1934年、ヒトラーがシュペーアとともに設計図に変更を加えている様子。ドイツ連邦文書館提供。.jpg

↑1934年、ヒトラーがシュペーアとともに設計図に変更を加えている様子。ドイツ連邦文書館提供。


★愚かな人々、彼らの見た夢

 戦後、ヒトラーを「怪物」と呼ぶことで自らの責任から逃げたユンゲやシュペーア、その他の側近たちだけを責めても、問題は解決しません。問題は、戦争がないという意味で当時よりは幸運な時代に生まれた者が、そこから何を考えるかということ。

 ユンゲらの責任逃れの論理も注目に値しますが、何よりも重要なのは、人間がこんなにも、愚かになれるということです。「熱烈なナチではなかった」と後世に言明するユンゲが「総統を見捨てることはできない」、「総統がウソをつくわけがないわ」と言って最後までヒトラーにつき従ったのはなぜなのか。

 愚かと言えば、愚かですが、それだけでは済ませられない、人間心理があります。地下要塞にいたヒトラーの側近たちは最後の最後まで、戦争をどう終結させるかはそっちのけで権力闘争を繰り返し、戦後のドイツを見据えて、あるいは、ヒトラーの後を見据えて、互いにけん制し合いながら、虎視眈眈と権力の椅子を狙っていました。

 そのどさくさの中で、ヘルマン・ゲーリングドイツ空軍元帥のクーデター劇やヒムラーの一方的な連合軍への降伏劇が展開します。ゲーリングのクーデターがどこまで本気だったのか、逃げ出したフェーゲラインSS中将を銃殺するというヒトラーの判断が、フェーゲラインを嫌った誰かの入れ知恵だったのか。

 総統地下壕では、地上のベルリン市街で行われている生死を賭けた戦いには似つかわしくない将校同士、あるいは政府高官とヒトラーの権力闘争が展開されていました。もはやあってないようなナチス=ドイツの権力ですが、それを誰かに与えたり、剥奪したり。

 一方、ユンゲは今まで頼りにしてきた理想の総統像にしがみつき、何としても手離すまいと必死になっていました。その理想像が崩壊してしまえば、ユンゲは全てを失ってしまいます。今まで、信じてきたものがなくなってしまったら、彼女が今まで築いてきた自尊心や誇りは崩れてしまう。だからユンゲは最後まであの手この手で自分をだまし、最後まで総統を信じつづけました。もはや砂の塑像に過ぎないというのに。

 ヒトラーも、将校たちも、ユンゲも、ベルリン陥落が迫っているこの戦争にどうやって決着をつけるのかという最大の問題からは逃げ、その代わりに、目の前の、自分たちだけで決着をつけられる小さな問題に執着していたのです。

ヒトラー〜最後の12日間〜↑部隊を視察するゲーリング(奥の白服)とヒトラー(手前)。1945年4月撮影。ドイツ連邦文書館提供。.JPG

↑部隊を視察するゲーリング(奥の白服)とヒトラー(手前)。1945年4月撮影。ドイツ連邦文書館提供。


ヒトラー〜最後の12日間〜↑マルティン・ボルマン。1945年5月2.jpg

↑マルティン・ボルマン。1945年5月2日自決。ゲーリングの失脚を仕組んだといわれている。無益な権力闘争であったことは間違いない。

★本当に怖いものは…

 ヒトラーは、「市民が試練に負けても私は涙など流さん」といいつつ、「政治的遺言書」なるものには国民への愛と忠誠に動かされていた」などと書く偽善的な一面もあります。しかし、ユンゲらには優しく、自殺用のカプセルを渡しながら「すまんね」などと言って手を握る。

 ヒトラー・ユーゲントのペーター少年が戦車を破壊した業績を称えられ、総統官邸に呼ばれたときも、彼らを称えたのち、地下へ降りる階段で立ち止まり、涙をこらえていました。ベルリン陥落が近づく中、ヒトラーの目にも彼ら少年たちが不憫に映ったのでしょう。

 この映画ではヒトラーの人間的な面が描かれています。逆にいえば、ヒトラーは冒頭でユンゲが言うような「怪物」ではなかったことがよく分かります。死の数日前には、威勢の良かったあの表情や、偏屈な論理ですが、自信に満ちて弁舌をふるっていたあの勢いはなくなり、やや猫背気味になって、声にも張りがなくなっていきました。

 食事の時間にはいつも、同席した者に向かって休みなくしゃべっていたヒトラーは最後の食事ではほぼ無言で食事を取り、調理係のマンツィアリーに丁寧に礼を述べてから席を立つ。ここから伝わってくるのは、記録フィルムに残る、大勢の国民を熱狂させた力強い演説で見られるような、あの"独裁者"ヒトラーのイメージではありません。そこにあるのは1人の人間であり、夢に破れた1人の男の姿です。

 彼のような男がなぜ、"独裁者"といわれるようになったのでしょうか。なぜ、絶大な権力を持ち、天文学的な数字の犠牲者を生む第2次世界大戦を始めてしまったのでしょうか。なぜ、ユダヤ人収容所のような重大な問題を抱えた政策を、国家規模で大々的に実施してしまったのでしょうか。

 ヒトラーや少数の狂信者だけでこの計画全部を実行に移すことはできません。当然、政権全体がヒトラーの手足となってその方向に動き、ヒトラーの政策を推進したから実行が可能だったのです。つまり、ヒトラーを「独裁者」にしたのは、ヒトラー自身の力だけではありません。そこには、ヒトラーを「独裁者」の地位に押し上げる強い推進力が働いていたのです。

ヒトラー〜最後の12日間〜↑1933年、ヒトラーがゲッペルスの子供と遊んでいる。奥にいるのがゲッペルス。ドイツ連邦文書館提供。.jpg

↑1933年、ヒトラーがゲッペルスの子供と遊んでいる。奥にいるのがゲッペルス。ドイツ連邦文書館提供。


ヒトラー〜最期の12日間〜↑ゲッペル.jpg

↑ゲッペルスとその家族。1945年5月1日、妻マグダが子供たちに青酸カリを飲ませて殺し、その後、夫妻は自決した。写真中央奥・軍服の若い男性は長男(夫人の前婚の子供)。彼は捕虜となり、ゲッペルス家で唯一生き残った。ドイツ連邦文書館提供。

★〜あさきゆめみし〜

 人間たちが権力や物質的利益に目がくらみ、当座の欲求を追求した結果、ヒトラーという「独裁者」を生みだしました。ユンゲはヒトラーのことを「怪物」だといいます。しかし、一介の人間に過ぎなかったヒトラーを「怪物」に仕立て上げたのはヒトラーに反対できなかった幹部、ヒトラーを妄信して政権を支えた人々、ユンゲもその一人です。

 ヒトラー自身は怪物でもなんでもありません。ヒトラーに周囲の人々が付け足されることで、ヒトラーはようやく「怪物」になることができたのです。ヒトラー政権に加担したユンゲがヒトラーを「怪物」と呼ぶならば、ユンゲもその「怪物」の一部であったことを認めなくてはならない。怪物の血となり肉となり、尖った牙で人々の体を引き裂き、怪物の大きな足でたくさんの人間を踏み殺し、街を踏み荒らしたことを認めなくてはならない。

 ヒトラーの最期はヒトラーを支え、政権に関与した者たちの最期でもあります。彼らがヒトラーと一緒に見た夢。それが悪夢であったことに戦後になって気がついたとしても、一緒に夢を見ていたときは悪夢とは思わなかったはずです。夢破れたときに、それが悪夢だったことに気がついたとしても、もう、取り返しはつかないのです。

 願わくば、その悪夢を繰り返すことのないように。夢を見ているときに人はそれを夢だと自覚してはいません。まして、それが悪夢であるなどとは。だからこそ悪夢から醒めたとき、全てを"独裁者"ヒトラーに押し付けて、「なぜ悪夢を見てしまったのか」という本質的な問題から逃げてはならないのです。

1945年4月25日、アメリカ軍により爆破されたツェッぺリン広場のナチスの鉤十字(スワスチカ)。アメリカ国立公文書記録管理局提供。.gif

↑1945年4月25日、アメリカ軍により爆破されたベルリン・ツェッぺリン広場のナチスの鉤十字(スワスチカ)。アメリカ国立公文書記録管理局提供。
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ボーダー

映画:ボーダー あらすじ
※レビュー部分はネタバレあり

 「ボーダー」はロバート・デ・ニーロとアル・パチーノが共演するという豪華なキャストの映画。残念ながら、「ボーダー」公開時のアメリカでの評価はそれほど高くなかった。しかも、配給会社の倒産の影響を受けて、日本公開が大幅に遅れてしまった。それでも、今からでも、そしてどんな映画であれ、大好きな名優2人の競演が見られるのは素直にうれしい。

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 ニューヨーク市警(NYPD)のルースターとタークは30年という長きに渡ってコンビを組み、いつも一緒に事件を追ってきた2人には強い絆があった。このころ、NY市内で連続殺人事件が発生していた。被害者はいずれも、過去に犯罪を犯した者や犯罪を犯しながら処罰されていない者だった。NYPDは刑事の関与を疑い始め、タークにも捜査の手が伸びる。ルースターとタークはその疑いを晴らすべく、捜査を始めるのだが…。

 "正義のための殺人"は本当に正義だったのか。そこには悲しい人間の心理が見え隠れする。正義と悪の境界線―ボーダーを踏み越えた刑事の悲劇。



【映画データ】
ボーダー
2008年(日本公開2010年)・アメリカ
監督 ジョン・アヴネット
出演 ロバート・デ・ニ―ロ,アル・パチーノ,カーティス・ジャクソン


 
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映画:ボーダー 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり

★ボーダー

 正義か、悪か。その境界線は簡単に踏み越えてしまえそうなほど、あやふやなものでした。正反対に見える2つの世界。しかし、ちょっとしたきっかけがありさえすれば、正義と悪の2つの世界は融合し、その境界は消えていきます。

 アル・パチーノ演じるルースターは言います。「NYPDはどんな時でも気を抜けない」。毎日、気を張った生活が続き、息をつく暇もありません。生真面目なルースターには家族もおらず、恋人もいません。彼は常に模範的な刑事であろうと努力してきました。

 精神科医のカウンセリングを聞いていればそれがよく分かります。ルースターの答えによれば、彼は悪夢を見ることもなくよく眠れ、よく食べ、現在の待遇にも満足しているということになります。

 「ボーダー」の結末まで見れば、その答えは全て体裁を取り繕った嘘だったことが分かるでしょう。ルースターは精神科医の前でも、模範的な解答をしていたのです。そんなルースターの唯一の支えは相棒のタークだけ。

 ロバート・デ・ニーロ演じるタークはルースターの相棒であっただけではなく、彼の精神的支柱でもありました。タークには、娘がいて、恋人もいます。彼はルースターと異なり、精神科医のカウンセリングでも正直に答えました。彼は良く眠れず、食欲もない。現在の状況について、何がしかの不満がある。タークには、自分を取り繕おうという気持ちはありません。

 相棒のタークをルースターは崇敬していました。ルースターは「タークのように」といつも願ってきたといいます。タークはルースターの規範となるべき刑事でした。

 しかし、その考えが打ち破られる日がきます。タークが証拠のねつ造という行為に出たのです。ルースターには衝撃でした。悪人を追い詰めるためとはいえ、タークは法を破ったのです。尊敬するタークがそんな行為をするとは。ルースターは一つの結論を下しました。「ルールを変更」することにしたのです。「悪人を追い詰めるためなら、法を破ってもよい」。彼は人殺しに手を染めていくことになります。

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★誰もがバッジに敬意を払う、銃ならなおさらだ

 タークが証拠をねつ造したのは、有罪になるべき人間が、法廷で有罪にすることのできる証拠がないために無罪放免されるということが許せなかったからでした。また、有罪にできる犯人が、司法取引で刑を減軽されたり、あるいは、無罪放免される様子を目の当たりにしてきました。

 長年、刑事をやってきたタークも、ルースターもこのむくわれない現状に嫌気がさしていました。悪人が、受けるべき報いを受けず、新たな被害者が増えるだけ。刑事は犯罪者を逮捕することができます。しかし、彼らを罰することはできません。警察の人間としての限界でした。

 しかし、銃ならどうでしょう。引き金を軽く引くだけで、目の前の憎むべき犯罪者にふさわしい報いを与えることができます。NYPDのバッジではできないことが、銃ならできる。司法取引や証拠がないとして無罪放免されてきた犯罪者たちも、突きつけられた銃には服従せざるを得ません。

 ルースターはこの銃に払われる"敬意"を求めていました。ルースターはこの銃に対して払われる敬意を自らに対して払われる敬意と勘違いしていました。皆、あくまで、死の恐怖に怯えて、ルースターに平伏するわけですが、ルースターはこれを自らに対して払われる敬意にすり替えてしまったのです。ルースターはこの敬意に快感を感じました。

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★止まらない殺人の連鎖

 ルースターは2度目の衝撃を受けました。ルースターは「殺人」に充足感を感じたのです。あれほど憎んできた犯罪によって、刑事たる自分が満足を得るとは…。この"正義のための殺人"はルースターの心に他のものには代えがたい満足感を与えてくれました。"正義"という大義を掲げつつ、その実、ルースターの欲求を充足するために犯す殺人。

 "正義"のために人を殺す、という当初の大義はいつしか、今の生活に充足感を得るための殺人へと変化していきます。彼は刑事という仕事でも、家族でもなく、殺人に充足を見出してしまいました。いつしかルースターは、あれほど憎んでいた犯罪者たちと同じところへと堕ちていったのです。

 ルースターはこの事実に気が付いたとき、うすら寒い思いをしました。理想の自分は悪人が受けるべき正義の鉄槌を下す裁きの人ですが、現実の自分は殺人に満足感を見出すただの殺人者。欲求のままに犯罪を犯す者たちと同質化している自分がいました。

 しかし、もうやめられない。理想と現実の差に悩めば悩むほど、苦しい気分から解放してくれる一時の快感―新たな殺し―への欲求が強くなっていきます。そして、殺しをした後に襲い来る、自分に対する強い侮蔑と後悔の念。再び、苦悩。

 どうしようもない、悪魔の連鎖でした。この世で生きている限り、ルースターは苦しみ続けることになります。もう、死しか、ルースターの心の渇きを癒し、この蔑むべき行為を止めてくれる者はいません。ルースターは強く、死を願うようになっていました。

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★失われた「正義」

 決して強靭なものではなくとも、人間の絆はいざというとき、後ろに倒れかかった人を優しく受け止めてくれます。その絆が切れてしまったとき、人間は後ろへ倒れるままになる。それに、絆は自分という存在を確認するものでもあります。他人に認知され、他人に受容されているという感覚は人間に満足感を与えてくれるもの。

 ルースターは「いずれ、誰もが俺の名を知る」と語っていました。精神科医は「自己顕示欲がやたらに強く、誰かに賞賛されたがっている」と犯人を分析しています。「理解するがいい、俺という人間の存在を」、というルースターの言葉には、世間に自分を認めてほしいという欲求が露わになっています。

 家族も恋人もおらず、親密な人間関係を持たないルースターには大事件として騒がれる殺人は社会とのコミュニケーション・ツールになっていました。この事件を通して自分という存在が世間に認知されることができます。"正義のための殺人"を通して、ルースターは社会のなかでの存在意義を確認していました。もともとの目的だった"正義"は既に形骸化していたのです。

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★「お手本」でいること

 14人を殺したルースターは最後、タークの証拠のねつ造という行為をも引き受けて死んでいきました。ルースターはタークに堕ちてほしくなかったのです。自分のように。

 タークのやった行為を引き受けてルースターが死ぬことで、タークは高潔な正義の人でいられる。タークにはまっさらなままでいてほしかったのです。ルースターが崇敬していたままの姿でいてほしかった。

 タークは娘からも「お父さんは私のお手本よ」と言われます。タークはこれからもこの言葉を頼りに生きていくことになるでしょう。死んだルースターや愛する娘からかけられたこの言葉はトムを支え、そして、重圧となります。規範とされることで、トムは壊れずにいられる。

 一方で、ルースターはタークにみた幻影を壊され、精神を病んでいきました。娘にルースターと同じ思いをさせないように、タークは常に"正しい自分"を保つべく、プレッシャーを感じなければならないのです。

 タークは精神科医によく寝られず、食べられない毎日だと回答しています。そして、未来への展望を聞かれたタークは無言でした。彼には将来へのはっきりした展望はありません。そして、現在の状態にとりわけ満足感を抱いているわけでもありません。いつも通りの毎日を"消化している"状態にある。

 しかし、この状態がタークにとっては実は、一番幸せなときなのかもしれません。彼は「ルースターと立場が逆だったら?」と娘に問われたといいます。その答えは、「引退するか、セラピーを受けるか…結局はいつも通りさ」。

 タークは特に現状に満足感を持っていなかったとしても、今の状態が不幸だとまでは思っていません。ルースターのように、精神的崩壊の危機に直面したとしても、恋人や娘がその歯止めとなっています。「いつも通り」に戻ることができるということはとても重要なことです。そして、そこに押し戻してくれるのは周囲にいる人間たちとの絆。

 ルースターの場合にはその絆がありませんでした。ルースターにはタークとの絆しかなかったから、その絆が切れてしまったときに「いつも通り」のところまで戻してくれる力が働かなかったのです。

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★社会の奥底で

 現状に100%、完璧に、完全に満足している人は少ないでしょう。皆、何かしらの不満を持っています。その不満にはけ口がなく、頼るべき人間関係も希薄であれば、いつかは爆発してしまいます。本音を押し殺し、不満をため込んでいくうちに、いつしか自分を見失ってしまったルースター。頼れる人間もおらず、追い詰められていく彼が起こした連続殺人は、深い人付き合いを好まない現代型の人間関係が引き起こした殺人であるとも言えるでしょう。

 一方で、自分の存在を知ってほしいというルースターの自己顕示欲は人間の本質的な欲求でもありました。その意味では、ルースターの殺人は原始的な人間の欲求を体現する行為でもあったのです。ルースターが求めたのは今ある空虚感を埋めてくれる精神的な充足感でした。どれだけ社会が発達し、豊かになったとしても、人間の孤独や精神的欲求を物質的なものだけで完全に満たすことはできません。

 "動機不明の犯罪"や"不特定多数を被害者とする犯罪"は人間の病理が生み出す犯罪でもあります。自らの憎しみを特定の個人ではなく、社会、あるいは会社・学校など、自らの所属する一定の集団に向ける犯罪は被害者は誰でもいい、という特殊性を持っています。

 被害者が特定されない犯罪の最大の特徴は、犯罪者に自分に対する不満が募っているということ。納得できない自分を作り出したのは、周囲のせい、社会の責任というわけです。自己が背負いきれない不満や欲求を他人へ向ける。起きた犯罪は自分に対する不満を他者に転嫁した結果です。その犯罪が、仮に"正義"を標榜したものだったとしても、その奥底にあるのは人間の原始的な欲求でした。誰もに内在する孤独感。一見、豊かに見える社会の底で、溜まっていく心の淀みはこれからもまた、新たな犯罪者を生みだすのかもしれません。

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★タイトル「ボーダー」の意味

 「ボーダー」は原題ではなく、邦題です。このタイトルが付けられた理由は主に2つあると思われます。

 「ボーダーライン」という単語は境界性人格障害、境界性パーソナリティ障害と呼ばれる精神疾患を意味しています。ルースターは強い気分の変調に悩まされ、理想と現実の間で激しい気分の変調を経験していました。また、自己偏愛の兆候も見受けられ、自殺するしかないとの強い脅迫観念を抱いています。「ボーダー」という邦題が付けられた一つの理由にはこのようなルースターの症状を境界性人格障害に近いものと位置づけたことがあると思われます。

 一方で、「ボーダー」という単語は境界線という意味も持っています。刑事と犯罪者、正義と殺人。正反対の概念を行き来したルースターには踏み越えてはならない境界線がありました。これらの意味をかけて「ボーダー」という邦題が付けられたのでしょう。
 なお、原題は「RIGHTEOUS KILL」。正義の殺人者という意味です。

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ベンジャミン・バトン 数奇な人生

映画:ベンジャミン・バトン 数奇な人生 あらすじ
※レビュー部分はネタバレあり

 名作「ファイト・クラブ」の監督デヴィッド・フィンチャーとブラッド・ピットが再びタッグを組んだ。ブラッド・ピットが次第に若返っていく男、ベンジャミン・バトンの生涯を演じ、ケイト・ブランシェットが彼の人生を見守ることとなる運命の人デイジーを演じる。

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 ベンジャミン・バトンはこう書き記す。

 「生まれたときと同じように何も持たずに死んでいく。私の一生を覚えているうちに書いておく。私の名はベンジャミン・バトン。人とは違う星の下に生まれた…」。

 ベンジャミンは生まれたときには80歳の老人の体を持つ赤ん坊だった。数年の命を宣告されるも、彼はどんどん若返っていく。そして、彼は運命の人デイジーと出会うのだった。数奇な人生を生きたベンジャミン。彼はその人生を通して様々なことを見聞きし、経験した。そして、訪れた死。

 老いていくのに外見は若返っていく。周囲の人間たちとは老いの歩調が違う。それがベンジャミンの苦悩を生み、そして、ベンジャミンにデイジーという最高の人を与えた。苦しみがあるからこそ、愛が何かを知る。

 今は老いたデイジーが愛娘のキャロラインとともに、ベンジャミンの生きた数奇な人生を振り返ることから始まる物語。生きるとは何か、死ぬとは何か。人間に訪れる生と死、そしてたゆとう時間の流れを描く心に迫る作品。



【映画データ】
ベンジャミン・バトン 数奇な人生
2008年(日本公開2009年)・アメリカ
監督 デヴィッド・フィンチャー
出演 ブラッド・ピット,ケイト・ブランシェット,ティルダ・スウェイントン,ジェイソン・フレミング,イライアス・コティーズ,ジュリア・オーモンド,エル・ファニング,タラジ・P・ヘンソン,マハーシャラルハズバズ・アリ,ジャレッド・ハリス



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映画:ベンジャミン・バトン 数奇な人生 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり

★ベンジャミン・バトン 数奇な人生―簡単なあらすじ―

 1918年、ニューオリンズの駅に開駅記念の時計が掲げられることになりました。その除幕式には時の大統領セオドア・ルーズベルトも出席していました。しかし、披露された時計を見て人々はざわめき立ちます。時計の秒針が逆回転しているのです。「時を戻せば、戦死した息子たちが帰ってくる。申し訳ないがこれが私の時計だ」。時計職人のガトーは戦争で息子を失っていました。彼の深い悲しみが時を逆に刻む時計を作ったのでした。

 時を同じくして、ニューオリンズの街にベンジャミン・バトンが誕生しました。父親は彼を見て驚愕しました。赤ん坊はしわくちゃの顔をしていたのです。ベンジャミンは生まれたときから80歳の体を持つ小さな老人でした。捨てられたバトンを育ててくれたクイニーは老人介護ホームに住み込みで世話をする仕事をしている女性でした。"小さな老人"ベンジャミンは入居者の老人たちに囲まれて成長していきます。彼の場合、成長とは若返ることでした。

 若返るといえば聞こえはいいのですが、彼の場合、時を経て赤ん坊になっていくことを意味していました。ベンジャミンは生涯愛する人デイジーを伴侶に得て、娘も誕生しています。しかし、次第に普通に老化するデイジーと違い、若返っていくベンジャミンはデイジーや娘と一緒に年を取ることができません。デイジーは「全て受け止めるから」とベンジャミンに言うのですが、ベンジャミンは娘に必要なのは一緒に年を取る父親だと考えるようになりました。「永遠はないんだなって。残念だけど」。ベンジャミンは家を出ていってしまいました。

 10数年も経ったのち、ベンジャミンはふらっと家に戻ってきます。デイジーは再婚していました。デイジーは突然の来訪に驚きますが、ベンジャミン自身もなぜここに戻ってきたのか分かっていませんでした。「永遠なんてない」という彼女にベンジャミンは「永遠はあるよ」。それがベンジャミンとデイジーが最後に交わした愛の時間でした。

 さらに何年もの長い時間が経過し、老いたデイジーは一本の電話を受け、ベンャミンの養母クイニーがかつて勤めていた老人介護ホームに向かいました。ベンジャミンが児童福祉局に保護されたというのです。ベンジャミンは、すっかり記憶を失くし、少年の姿になっていました。ベンジャミンは初期の痴呆症を患っていたのです。

 ホームに転居してきたデイジーとともに老いていったベンジャミンは赤ん坊の姿で人生を終えていきました。デイジーの腕に抱かれて眠るように亡くなったのです。亡くなる直前、赤ん坊になったベンジャミンはデイジーの顔を見上げ、デイジーが誰かを思い出した、そうデイジーは語っています。

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★老いることの恐怖

 老いることへの恐怖。デイジーはそれを繰り返し口にします。とりわけ、バレリーナからの引退を余儀なくされた彼女にとって、老いて、かつてのようなしなやかな体で踊れなくなっていくことは彼女の気持ちを暗くするものでした。

 水泳に行っても、隣のコースで泳ぐ若い女性のようには泳げません。息を切らし、プールサイドに手をつくデイジーは自らの老いを感じていました。なにより、隣にいるベンジャミンの姿は彼女の老いを余計に自覚させてしまいます。

 しわ一つないベンジャミンと、しわが増える一方のデイジー。若返っていくベンジャミンの容貌はなおさら、デイジーが老いていることを感じさせました。「永遠に完璧なものなどないと彼女は分かっていた」とベンジャミンは言います。デイジーは老いることへの恐怖を克服しようとしていました。

 時の流れを止めることはできません。「私は若すぎないし、あなたは老い過ぎてない」。このちょうどいい時点に時を止めることができたなら。永遠に幸せな2人の時間が過ごせるでしょうに。しかし、それは望めないことです。時の流れは止まることのない川の流れのように、とうとうと流れていくもの。「もう2度と自分を憐れんだりしない」。デイジーはこれから訪れるだろう老いに対して覚悟を決めていました。

 妊娠したデイジーは父親になることへの不安を隠せないベンジャミンに「何年でもいいから父親になって。全て受け止めるから」と訴えます。しかし、ベンジャミンはどんどん若返っていく自分に耐えきれませんでした。彼は家を出て行ってしまいます。ベンジャミンにはデイジーと同じ"覚悟"ができていなかったのです。

 いずれ、赤ん坊にまで若返っていくしかないこの体をベンジャミンは持て余していました。彼はデイジーと過ごした幸せな時間の記憶をそのままに留めておくため、デイジーに赤ん坊になった自分を世話させるという負担をかけないため、そして、「一緒に年を取る父親」を娘に与えるために家を出ていくことにしたのです。

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★ハチドリ、永遠の愛

 デイジーにとってこのベンジャミンの行動は意外なものでした。全て受け止める覚悟をしていたデイジーにとって、ベンジャミンの気遣いは頭では理解できても、心では理解し難いものだったのです。「しわだらけになっても、私を愛せる ? 」とデイジーはベンジャミンにたずねていました。

 愛とは何なのか。お互いの美しさや若さを愛するだけが愛ではありません。その人の人生を全て受け止めることのできる者が本当の愛を手に入れられる。ベンジャミンと過ごした楽しい幸福な時間だけが愛の記憶ではないはずです。辛いこと、苦しいことを全て包容することが本当の愛。

 10年以上たってから戻ってきたベンジャミンがデイジーに会いに行った理由はそこにあります。ベンジャミンは1人世界を放浪するうちに孤独を知り、その孤独によって愛を知りました。ベンジャミンが子供時代に出会った、黒人のオティという男がいます。彼は世界中を旅して「人は皆孤独だ」ということを知ったといいます。

 ベンジャミンもオティと同様に世界を旅して孤独を知りました。孤独を知る人はそれまでに自らが得た愛を再認識することができます。ベンジャミンもデイジーと愛娘キャロラインへの愛を知りました。だから、ニューオリンズの街に戻ってきたのです。

 再婚し、新しい家庭を築いていたデイジー。成長した娘のキャロライン。「永遠なんてない」というデイジーに、ベンジャミンは「永遠はあるよ」。かつて永遠なんてものはない、そう考えていたベンジャミンはこの世に「愛」という永遠なるものがあることを知りました。そして、その愛は本物でした。過去の記憶を失くしたベンジャミンはデイジーに看取られて死んでいきます。

 その後、死期の迫ったデイジーの病室には外は大嵐だというのにハチドリの姿が見えました。それは、デイジーの見た幻想だったのか。「ハチドリは普通の鳥じゃない」とクラーク船長が言っていました。「ハチドリの羽ばたきは数字の8の字を描いてる。8は数学では何の意味か知ってるか ? 無限大だ ! 」デイジーがこれから向かう先にはベンジャミンが待っています。そこには、永遠の愛。永遠の時間があるでしょう。ハチドリはデイジーにベンジャミンとの"永遠"を約束しているのです。

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★逆戻りする時間

 駅に置かれた記念時計の秒針が逆回りし始めたときにベンジャミンが生まれました。息子を失った時計職人の悲痛な願いはベンジャミンの人生を逆回転させてしまったのでしょうか。時の流れは変えられません。時計の針を逆回転させても、人を生き返らせることはできないし、人が死ぬことを止めることもできません。

 「はらわたが煮えくりかえる。運命の女神を呪いたくなる。でもお迎えが来たら行くしかない」。第2次世界大戦で負傷したクラーク船長はこういって死んでいきました。帰国したベンジャミンは自分の父を看取ることになります。やはりベンジャミンはクラーク船長と同じ言葉を手記に書き記しました。「お迎えが来たら行くしかない」。

 死は何人にも平等に訪れます。この世に生きる全ての人に人生の終わりはやってくるのです。そして、人は皆、愛する人を失う辛さを知ります。ベンジャミンにピアノを教えた老婦人は「失って初めて辛さが分かるの」と言っていました。

 人は限られた時間を生きます。死は常に訪れます。そうならば、その時間の中で何ができるのでしょうか。「人が生まれ、人が死ぬ。さまざまな人生があった」。ベンジャミンはそう自分の人生を振り返りました。川のほとりで暮らす人、雷に打たれた人、音楽の得意な人、アーティスト、ダンサー、泳ぐ人、ボタン職人、シェイクスピア好き、母親…。

 ベンジャミンはその数奇な人生の中で様々な人に出会い、そして成長してきました。外見はともかく、ベンジャミンは時の流れとともに歩み、成長してきたのです。「望みはきっとかなう。いつ始めてもいいんだ」「道を見失ったら自分の力でやり直せばいい」。娘のキャロラインに向けて書き連ねられたベンジャミンの言葉は彼の人生の軌跡をそのまま表しています。

 かつて駅に掲げられていた、あの逆回転して時を刻む記念時計は外され、デジタル・クロックにかけ替えられてしまいました。古時計は倉庫に置かれ、その針は相変わらず逆回転しながら静かに時を刻んでいます。

 そこに押し寄せてくる大量の水。ハリケーンのせいで倉庫が冠水したのでしょうか。ベンジャミンがその人生を終えたように、この水に飲まれて時計は静かに針を止めるでしょう。

 この世では日々、多くの人が生を受け、多くの人が生を終えていきます。人生は時の流れに乗って流れていくもの。針を止めた時計も、生を終えた人間たちも、たゆまなく流れる時の流れの中へ永遠に飲みこまれていくのです。

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パブリック・エネミーズ

映画:パブリック・エネミーズ あらすじ
※レビュー部分はネタバレあり

 鮮やかな手口で銀行強盗を重ね、大衆の喝采を浴びたジョン・デリンジャー。別名、「パブリック・エネミーNo.1」。そして、そのデリンジャーを執念深く追い詰めていくメルヴィン・パービス。彼は、連邦捜査局(FBI)の特別捜査官として持てる手段は何でも使う非情な男。この2人の行く末には一体何が待っていたのか。

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 世界恐慌から4年、アメリカ社会の混乱が続くなか、銀行強盗の"黄金時代"を迎えていた。そんな中でもとりわけ目立ったのはジョン・デリンジャーという男。いくつもの銀行を襲い、大金をせしめていた。その鮮やかな手口、居合わせた銀行の客のポケットマネーは奪わないスマートさ、そして、警察当局を寄せ付けず、強盗を繰り返す彼のタフさが大衆に受け、デリンジャーはいつしか、伝説のアウトローとして人気を博するようになっていく。

 そんな状況に業を煮やしていたのは司法省捜査局(BOI)だった。FBIの前身であるこの捜査機関は州境を越えた犯罪に対応するために設けられた犯罪捜査機関である。当時の司法省捜査局長官はJ・エドガー・フーバー。なかなか捕まえられないデリンジャー、高まる捜査当局への批判に業を煮やした彼はジョン・デリンジャーを「パブリック・エネミーNo.1」に指名し、捜査に発破をかけていた。

 さらに、フーバーはメルヴィン・パービスという男をシカゴ担当の特別捜査官に任命する。ここに特別捜査官パービスと「パブリック・エネミーNo.1」の称号をいただくデリンジャーの対決の火ぶたが切って落とされることとなった。



【映画データ】
パブリック・エネミーズ
2009年・アメリカ
監督 マイケル・マン
出演 ジョニー・デップ,クリスチャン・ベール,マリオン・コティヤール,ジェイソン・クラーク,ビリー・クラダップ,スティーヴン・ラング



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映画:パブリック・エネミーズ 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり

★無口な男、メルヴィン・パービス

 ジョン・デリンジャー、そしてメルヴィン・パービス。対照的な2人の人生は何を語るのでしょうか。

 メルヴィン・パービスは無口な男です。彼は無駄口は叩かず、常に厳しい表情を崩しません。何があっても、彼の表情は変わらない。逃走する"プリティ・ボーイ"を撃ったときも、彼はまるで動物をし止めるかのように冷静に引き金を引きました。"プリティ・ボーイ"、本名フロイドは真っ先に駆けつけてきたメルヴィンに「地獄に行けるよ」と言い残して死んでいきます。

 しかし、デリンジャーが死んだ時は違いました。パービスの部下が発砲し、パービス当人が駆けつけたときにはデリンジャーは瀕死の状態だったのです。何事かつぶやくデリンジャーの口元に耳を寄せるのは彼の部下、ウィンステッド捜査官。「何を言っていた?」とパービスは彼に尋ねますが、「何も聞こえませんでした」とウィンステッドは返します。パーヴィスはデリンジャーの最期の言葉を聞くことはありませんでした。なぜ、デリンジャーの言葉はパービスに伏せられたのでしょう。そこにはパービスと部下の微妙な関係がありました。

 デリンジャーがシカゴの捜査本部に乗り込んできたことがありました。その時、パービスの部下たちはテレビの中継に夢中になっていました。「今日のスコアは?」と何食わぬ顔で話しかけるデリンジャーがまさか本人とは気付きません。デリンジャーの顔写真など至るところで見かけます。しかも、ここはデリンジャー事件の捜査本部。なのに、誰もデリンジャーに気が付く者はいませんでした。パービスなら、こんなことはなかったでしょう。

 デリンジャーの逮捕に固執する彼は明けても暮れてもデリンジャーの逮捕のことばかり考えています。スポーツ中継に夢中になってデリンジャーに気が付かない、ということがあるわけがありません。しかも、この日はデリンジャーの逮捕が予想される重要な日でした。にもかかわらず、部下たちはテレビに夢中。部下たちの事件にかける思いはパービスの思いとは比べ物にならない温度差があることが分かります。

 メルヴィン・パービスが追い求めているのはデリンジャーだけ。デリンジャーの逮捕に全てを賭けていました。そのためにはあらゆる手段を使い、失敗の可能性が高い作戦でも強引に決行してしまいます。パービスはデリンジャーを逮捕するためなら、他の全てを捨てることができたでしょう。それがたとえ、部下の命であっても。

 パービスがデリンジャーを追う過程で、何度も作戦が失敗し、そのたびに捜査官の死傷者を出していました。それでも、パービスは独断専行で作戦を決行します。部下からは、パーヴィスは仲間をかえりみない、冷たい心を持った人間に見えました。部下たちはパーヴィスという人間を理解することができませんでした。彼らはデリンジャーの逮捕に執着するパーヴィスに共感できず冷めた視線で彼を見ていたのです。

パブリック・エネミーズ 3.jpg   パブリック・エネミーズ,↑BOI、のちFBI特別捜査官メルヴィン・パービス。FBI提供。.jpg

↑BOI、FBI特別捜査官メルヴィン・パービス。FBI提供。

パブリック・エネミーズ 1,Universal Studios..jpg   パブリック・エネミーズ・ジョン・デリンジャー(本人)の写真。FBI提供。.jpg

↑「パブリック・エネミーNo.1」ジョン・デリンジャー。FBI提供。


★パービスの怒り

 感情を外に出さず、表情がめったに変化しないパービスでしたが、一度、上司に怒鳴ったことがありました。パーヴィスの上司はJ・エドガー・フーバー。フーバーは連邦捜査局をさらに拡大・強化しようと政治家たちと政争を繰り広げている真っ最中でした。

 フーバーはメディア受けを常に気にする人物で、相当の見栄っ張りです。パービスに対しても、デリンジャーの逮捕をとにかく急がせていました。パービスはそんな権力者フーバーに向かって怒りを露わにし、人員の増員を要求しました。

 なぜ、パービスがこんなに感情的になったのでしょうか。それは直前に部下を失ったからです。しかも、パービスの目の前で彼は死んでいきました。パービスの指揮したデリンジャーの捕縛作戦が失敗に終わり、部下が殺害されてしまったのです。まだ息のある部下を見つけたとき、もう彼は虫の息でした。パービスも人間です。目の前で生を終えていく人間を目にしたとき、彼には激しい感情が沸いてきました。

 一方で、パービスにはこれ以上の失敗はできないという強いプレッシャーがフーバーからかけられていました。「今までのタイプの部下では仕事ができない!」とパービスはフーバーに電話越しに怒鳴ります。抑圧された状況下で、彼は失敗を部下の責任にしていました。パービスは部下に思われていたような冷血で情のない人間ではありません。部下の死に心が乱されないこともありません。

 しかし、彼は決してコミュニケーションがうまくとれるタイプの人間ではなく、また相当の自信家でもありました。パービスは自分の決断や作戦に無理があったとは考えていませんでした。リトル・ボヘミアの隠れ家を襲撃したときもそうです。圧倒的に不足する人員しかそろわず、応援を待とうという部下の進言にパービスは耳を貸そうとしません。結果的に、双方に死傷者を出してしまう結果となってしまいました。

 デリンジャーを逮捕するという執念に基づいて、独断専行してしまう彼のやり方は彼自身の無口さと相まって、部下との距離を作ってしまう原因でした。パービスは優秀な捜査官でした。しかし、チームの指揮官として、人心を掴む能力に欠けていました。

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↑J・エドガー・フーバーFBI初代長官。1961年9月28日に撮影された66歳のときの写真。アメリカ議会図書館所蔵。


★デリンジャーの逮捕―予想外の結末―

彼はデリンジャーの逮捕に執念を燃やしてきました。そして、そのときが来たとき、事態は予想外の結末を迎えることになります。デリンジャーはパービスの部下によって射殺されてしまったのです。デリンジャーの死を迎えるパービスはほとんど表情を動かしません。パービスはデリンジャーに近づくこともなく、彼の最期の言葉を聞こうともしませんでした。

 "プリティ・ボーイ"を撃った時のパービスは獲物を追う優秀な猟犬のように、他の捜査官の先頭に立って容疑者を猛追していました。冷静に狙撃を成功させ、倒れたプリティ・ボーイに真っ先に近づいていきました。しかし、パービスがあれだけ執念を燃やしていたデリンジャー逮捕のときはパービスは完全に蚊帳の外でした。

 猟犬は狙った獲物に食いつくことができなければ狩りに成功したとは言えません。デリンジャー逮捕のときのパービスは目の前の獲物を他の猟犬に奪われた哀れな猟犬でした。パービスは虚無感を味わいました。

 また、パービスは一度逮捕したデリンジャーに留置場で会ったとき、口のうまいデリンジャーに言い負けています。しかも、その後デリンジャーは脱獄に成功してしまいました。あのときからデリンジャーの逮捕はパービスの個人的なライバル心の対象でした。連邦捜査局VS.デリンジャーではありません。パービスVS.デリンジャーなのです。

 捜査の結果としては、デリンジャーを追いつめることに成功しました。しかし、パービス個人としては、デリンジャーを捕まえることができませんでした。パービスはチームより個人プレーを好みます。チームで成功しても、彼個人に充足は訪れません。彼は敗北感に襲われ、瀕死のデリンジャーに近づくことすらしませんでした。

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↑ジョン・デリンジャーが死亡した直後に撮影されたバイオグラフシアター。BOIが撮影したもの。FBI提供。


★フーバーとパービスの確執

パービスはフーバーの言うがまま、捜査方針を変えました。彼は自らの道義的観念を捨て、以前は取らなかった卑劣な手段でもためらわずに取ることにしたのです。パービスが重症の容疑者に治療を受けさせずに尋問したのはこの後でした。

 デリンジャーの恋人のビリーにもパービスの部下により、激しい尋問が加えられました。また、デリンジャーの古くからの友人に対しては、強制送還させられる可能性をちらつかせて脅かし、情報を流すように強要しました。結果は大成功。デリンジャーは捜査側の手に落ちたのです。

 しかし、パービスは複雑でした。フーバーの言う手法を取ればとるほど、疲労感が増し、思いつめた感情は心を頑なにしていきます。同情や疑問を感じてしまえば、もう、今の捜査を続けることはできなくなるでしょう。そうなれば、デリンジャーを捕まえられない。

 デリンジャーの逮捕を最優先するため、パービスは自分の心を殺してしまいます。彼が無表情で無感動な男に見えたのは、何かを感じてしまえば、今の自分のままではいられなくなることが分かっていたからです。彼の冷淡にも見える仮面のような表情は自らの精神を守るための自衛反応でした。

 また、パービスにはもう一つ、問題が起きます。フーバーとの確執です。J・エドガー・フーバーは目立つことが大好きで、常にメディアに対して派手なアピールをすることを好みました。彼は司法省捜査局(BOI)を発展的に解消し、連邦捜査局(FBI)を設立するため、熾烈な権力闘争を戦い抜き、政治家の反対をねじ伏せてFBIを設立し、その初代長官にもなった政界の実力者です。フーバーは権力基盤の強化のためなら、何でも利用しました。パービス、そしてデリンジャーの犯罪までも利用します。

 州境を越えて犯罪を行うデリンジャーらの存在はフーバーの目指す捜査局の拡大の必要性を裏付ける一方、早くデリンジャーを捕えられないと、捜査力に疑問が呈される可能性があるという2面性を持っていました。フーバーはデリンジャーを早く逮捕して、連邦捜査局の存在意義をアピールする必要に迫られていました。そこで、フーバーはパービスという若手捜査官を特別捜査官に抜擢します。

 しかし、パービスがデリンジャーを逮捕してしまいました。パービスは今や捜査を成功させたヒーローです。パフォーマンスを好み、メディアに露出することが大好きなフーバーがそんなパービスを好ましく思うわけがありません。

 たしかに、パービスは有能でした。フーバーがシカゴ担当の特別捜査官に抜擢したのもその才能を見込んでのことです。そして、パービスは期待通りの働きをして見せました。しかし、そうなったらフーバーにとってパービスは用済みです。新しいもの好きのメディアは悪名高きジョン・デリンジャーを捕えたメルヴィン・パービスを優秀な捜査官として祭り上げるでしょう。相対的にフーバーの立場は低いものになってしまいます。

 パービスはフーバーのやり方に従い、成功しました。しかし、フーバーのやり方は自らの人間性に対して根本的な疑問を投げかけるものでもありました。医者を追い払い、重症の容疑者を尋問する部下に対して、パービスは背を向けています。彼が凝視しているのは尋問の様子ではなく、病院の廊下でした。パービスの後ろでは見るに堪えない光景。目を逸らしていても、悲鳴は聞こえてきます。

 また、部下がビリーをめちゃめちゃに殴りつけて尋問をし、トイレにも行かせない過酷な尋問をしていても、部下を責めることはできません。それはフーバー流の""正しい尋問""だからです。パービスは激しい尋問を受け、立てなくなったビリーを無言で抱え上げて連れ出していきます。それは今、パービスにできる最低限の優しさでした。

 本来あるべき自分の姿と、フーバーのFBIにいる自分。2つの自分の姿が乖離して見えてきます。パービスはこの矛盾に追い立てられるようにして、退職していきました。

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★ジョン・デリンジャー―「明日のことは考えない」―

 ジョン・デリンジャーは「明日のことは考えない」と繰り返し、口にします。彼は軽口を叩きながら世を渡る、刹那的な「今」という時間を楽しむ男。信義に厚く、仲間を助けるために、わざと逮捕され、刑務所の仲間を助けて逃走するなどという無茶もしてきました。銀行強盗という"仕事"に有能で、友人を大切にする彼は人望が厚い男でした。 

 次々に仕事の誘いを受ける彼でしたが、一つ、こだわりがありました。彼は大衆受けを気にするのです。ジョン・デリンジャーにふさわしい仕事とは、世間からある種の「ヒーロー」として拍手喝采を受けるにふさわしい仕事でなくてはなりません。彼は「汚いカネ」を盗む、正義の味方として振舞うことにこだわり、自分も、そのステイタスに満足を見出していました。

 一方で、恋人のビリーはそんなデリンジャーに不安を隠せません。「あなたは明日を考えない、そして結局捕まるか、殺されるわ」。競馬場で仕事仲間に次々と挨拶される顔の広いデリンジャーはどっぷりと犯罪に浸かった生活をしていました。そんな彼を見て、ビリーはデリンジャーの行く末を心配したのです。「あなたは既に死んでいる、というジョークを聞いたわ」とビリー。デリンジャーは「全てうまくいくさ」。ビリーの心配をまるで気にしていないかのようでした。

 「明日を考えない」。明日のことを心配しても意味がない。遠すぎる将来のことを考えるのはもっと無駄だ。「今」を楽しんで生きられればそれでいい。デリンジャーはそう振舞ってきましたし、その彼の刹那的な生き方が大衆の拍手喝采を浴びる理由でもありました。世間がデリンジャーに憧れを抱くのは、自分にはできないことをデリンジャーがやってくれるからです。鮮やかな銀行強盗の数々、ド派手な銃撃戦。「今」をとにかく楽しむ、明日のことは考えない。誰もが一度はしてみたいと願う享楽的な生き方。

 たいていの人々は仕事に家事など今日明日にしなくてはならないことを抱えて、多少なりともうんざりした気持ちを持っているものです。しかも、当時は大恐慌の嵐が通り抜けた後の社会でした。明日の仕事もおぼつかないような不安な世の中で、大多数の人が今の不安から解放されたいと願っていたことでしょう。

 そしてデリンジャーは伝説的なアウトローとして世間から祭り上げられていきました。ジョン・デリンジャーとしてはこのイメージを崩すことはできませんでした。彼は常に強気で楽天的で、充実した人生を送る男でなければなりません。高級車にお洒落な服、酒に恋人。不安げなそぶりなど、見せることはできませんでした。

 ホテルで逮捕され、収監されたとき、パービスに対してデリンジャーはあくまで強気の態度を崩しません。「眠れないのはコーヒーのせい」と軽口をたたき、「外で会おう」と脱走を匂わせます。完全にパービスを言い負かしていました。

 しかし、本音は不安でいっぱいでした。弁護士に対して「電気椅子を覚悟してる」と漏らすデリンジャー。眠れないのはコーヒーのせいなどではありません。デリンジャーが「明日のことは考えない」のも、彼が明日のことを考えると不安になるから。現実の彼は不安を隠し、あるいは忘れるために、明日を忘れ、とにかく「今」に生きようと"努力"していました。

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★ジョン・デリンジャーの最期

 何とか脱走に成功したあとも、現実は厳しいものでした。デリンジャーに対する捜査網は次第に狭まり、デリンジャーの仲間は次々に死んでいき、仕事も頭打ちになってきたのです。銀行強盗をしても、かつてほどの稼ぎはなく、刑務所の仲間を救出する手立てを実行する仲間もカネもありません。

 何より、今まで支援してくれた組織が新しい合法ビジネスを始め、無法者として有名になり過ぎたデリンジャーとの縁を切ったことが大きく響きました。かつて、歓迎してくれた仲間はデリンジャーを煙たがります。組織的な後ろ盾を失ったデリンジャーは追い詰められていきます。「選択の余地がなくて困ってるんだ」というデリンジャー。「知らないやつとは仕事をしない」という死んだ仲間ウォルターの言葉を守ることはもはや不可能でした。

 そんな中でついにきた最期のとき。ジョン・デリンジャーの古くからの友人である女性がデリンジャーを裏切ったのです。彼はその最期をどう思ったでしょうか。無茶をするデリンジャーは「既に死んでいる」とジョークのネタにされてきました。仕事にも陰りが見え、恋人のビリーは刑務所で服役しています。

 さっさと高跳びすることができたはずのデリンジャーが国内に残っていた理由は何でしょうか。ビリーも「メキシコで会いましょう」、と書いてよこしていました。顔が知れ渡り、捜査当局が間近に迫るアメリカにもはや、用はないはずです。ところが、ビリーには高跳びする気などありませんでした。

 彼は今まで生きてきた人生に満足していましたが、「パブリック・エネミーNo.1」として伝説の男を演じる「今」の人生に疲れを感じてもいたのです。ビリーが最後に観た映画はギャング映画「男の世界」。「生きてきたように潔く死ぬんだ」という映画中のセリフにデリンジャーは笑みを浮かべていました。

 「自分の人生も面白いものだった。死ぬときも自分らしく死にたい」、そう、思ったのでしょうか。逃げるために高跳びするのはデリンジャーの生き方ではありませんでした。映画館からの帰途、背後から銃撃され、倒れるジョン・デリンジャー。「これで終わりにできる」、彼はそう思ったかもしれません。

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★時代は変わる

「時代遅れの感傷は必要ない」とフーバーはパービスを叱咤します。パービスの尋問や捜査方法が手ぬるいとフーバーは考えたのです。フーバーが必要とした捜査方法は「情報提供者を作り出し」「容疑者は厳しく尋問」する方法でした。

 フーバーは「白い手袋は外せ!」と強引な捜査手法を取るようにパービスに命令したその口で、少年たちにメダルを与え、「犯罪摘発に貢献した」、とカメラの放列の前で満面の笑みを浮かべて見せます。白手袋は紳士の持ち物、それを外せということは、乱暴な手段も辞さないということを意味します。部下には乱暴な捜査を要求しながら、子供たちには笑みを振りまいて、好感度を上げようとする―フーバーの裏表のある性格をよく物語るエピソードでした。

 一方、デリンジャーも「変化」に直面していました。彼の新しい仲間はデリンジャーの仲間を刑務所から救いだすなどという、カネにもならず、リスクの高いことにはまったく興味を示しません。新しい仲間にとって大事なのはカネでした。仲間をとことん大切にし、見捨てないというデリンジャーのやり方は「古い」やり方だったのです。

 乱暴で粗雑な手法を取るこの新しい仲間との仕事は見事な失敗を迎えることになりました。銀行強盗そのものには成功したものの、逃走のときに激しい銃撃戦となり、死傷者を出してしまいます。その上、リトル・ボヘミアの隠れ家は突き止められ、捜査官たちとの激しい攻防が繰り広げられました。最後までデリンジャーと共にいた古参の仲間たちは次々と銃弾に倒れていきました。

 デリンジャーの最期を導いたのは古くからの友人の裏切りでした。強制送還されると脅かされた彼女はデリンジャーをパービスに売ったのです。昔からの流儀を崩さなかったデリンジャーと変わっていった周囲の人々。デリンジャーは1人取り残されていきました。

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★バイバイ、ブラックバード

 ウィンステッド捜査官はデリンジャーの最期の言葉を耳元で聞いた人間です。彼はパービスには「聞こえませんでした」と報告しました。しかし、その後で服役中のビリーを刑務所に訪ね、デリンジャーの最期の言葉を「バイバイ、ブラックバード」と伝えています。

 ウィンステッド捜査官はビリーにも、パービスに報告したのと同じく、「何を言われたのか分からなかった」と言い、「だから、考えた」と付け足しています。ウィンステッドは上司のパービスに「聞こえませんでした」と報告した手前、「実は聞こえていた」とビリーに言うことはできません。そのため、「だから、考えた」とあたかもウィンステッドが付け足したように言って、デリンジャーの言葉を伝えました。

 さて、デリンジャーの最期の言葉は「ビリーに伝えてくれ、"バイバイ、ブラックバード"」というものでした。

 刑務所に服役しているビリーはこれから2年は出てくることはできません。彼女は面会に来たウィンステッド捜査官に対して攻撃的な態度を取ります。彼女は憔悴し、現在の状況にやぶれかぶれの心境にあるようにも見えました。

 そんな彼女の雰囲気がデリンジャーの言葉を伝えられたときにがらりと変わりました。「バイバイ、ブラックバード」。2人の短かった楽しい時間の思い出が蘇ってきます。彼女の心が目に見えて和らいでいくのが分かります。デリンジャーの言葉はビリーに力を与え、乾ききった彼女の心に優しさを思い出させてくれました。

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★幸せな人生、幸せな最期

 デリンジャーの言葉は最愛の人、ビリーに向けられたものです。だから、ビリーにだけ、伝えてやりたい―ウィンステッドの気遣いでした。そして、それは上司であるパービスとの距離感を示すエピソードでもあります。パービスが「バイバイ、ブラックバード」という言葉を聞いても、何か捜査の役に立つわけでもないし、その言葉は愛し合うデリンジャーとビリーの間でのみ、意味のある言葉。そうウィンステッドは考えたのです。パービスにはおよそ、人間らしい優しさや理解が欠けている。そうウィンステッドの目にパービスは映っていました。

 パービスはデリンジャーを捕まえるという意味では成功しました。しかし、彼の周りに彼を本当に理解し、受け止めてくれる人はいませんでした。一方、デリンジャーは友人のために命を落としました。しかし、ビリーという最愛の人の心は最後までデリンジャーのもとにいました。

 1人でもいい、自分という人間を理解し、愛してくれる人がいれば、人生の最期はとてつもない幸福感に包まれるもの。対照的な2人の生き方はとても示唆的です。

 その人の人生はそれぞれの最期が物語ります。

 自分が死ぬときに、誰かそばにいてくれる人はいるでしょうか。それは1人でもいい。どこか遠くにいてもいい。ただ、心の絆で結ばれてさえいれば、愛する人が離れたところにいたとしても、愛された人には幸福な死が訪れます。

 デリンジャーの死から26年ののち、銃の暴発による事故死あるいは自殺という最期を迎えたパービス。その心にはいったい何が去来していたのでしょうか。

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ブロークバック・マウンテン

映画:ブロークバック・マウンテン あらすじ
※レビュー部分はネタバレあり

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 1963年、アメリカ・ワイオミング。ブロークバック・マウンテンでの仕事にジャック・ツイストとイニス・デル・マーという二人の若者が雇われた。二人はこの山で過ごすうち、互いに愛情を持つようになる。やがて、季節が過ぎ、山での仕事が終わった二人は再会を約束することなく別れた。
互いに結婚し、家庭を持った二人はそれぞれの人生を歩み始める。子供も生まれ、日常の生活に追われる日々を送っていたイニスだったが、ある日、ジャックからの4年ぶりの手紙を受け取る。

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イニス・デル・マー(ヒース・レジャー)   /   ジャック・ツイスト(ジェイク・ギレンホール)

 イニス・デル・マーを演じたのはヒース・レジャー。ヒースは2008年に「ダークナイト」でジョーカーを演じた。狂気と哀しみを内に秘めたジョーカーと、イニス・デル・マーの役柄は全く違うように思えるが、両者に共通するのは、追い詰められ、ぎりぎりの淵に立たされた人間の苦悩である。ヒースは「ブロークバック・マウンテン」で、ジャックとの愛に揺れる青年の葛藤と苦悩を繊細に演じることに成功した。28歳にして夭折した彼の才能は惜しいというだけでは言葉足らずだ。

 ジャック・ツイストを演じるのはジェイク・ギレンホール。「遠い空の向こうに」(1999)では、宇宙ロケットを作るため、失敗を繰り返しながらも仲間と夢を追いかける少年を演じていたことが印象的だった。それから6年後、「ブロークバック・マウンテン」でイニスへの愛と現実の激しい落差に追い込まれていく青年の不安定な心理を絶妙な演技で魅せてくれ、演技派俳優として目覚ましい成長を遂げた姿を披露している。

■「ドニー・ダーコ」『解説とレビュー』はこちら
■「遠い空の向こうに」『解説とレビュー』はこちら



【映画データ】
ブロークバック・マウンテン
2005年(日本公開2006年)・アメリカ
監督 アン・リー
出演 ヒース・レジャー,ジェイク・ギレンホール,
アン・ハサウェイ,ミシェル・ウィリアムズ,ランディ・クエイド,
リンダ・カーデリーニ,アンナ・ファリス,ケイト・マーラ



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映画:ブロークバック・マウンテン 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり

★理想郷、ブロークバック・マウンテン

 現実と理想。その二つが完全な一致をみせることはまず、ありません。現実と理想のはざまに落とされ、叶えられぬ夢を見て苦悩する日々。イニスとジャックの二人もその苦しみを味わった者たちでした。

 ブロークバック・マウンテンには蒼く連なる峰々があり、人を遠ざける深い森があり、とうとうと流れる川がありました。外界から閉ざされた美しい自然のなかで、若者たちはブロークバック・マウンテンという一つの幻想を見ました。それは儚い夢のようで、掴みどころのないもののようでありながら、現実世界に生きる彼らを縛りつけ、苦しめる、断ち難い苦難の鎖ともなりました。「夢」や「理想」、そして何より「愛」をブロークバック・マウンテンに置き去りにせざるを得なかった二人の目の前には「現実」という高い壁が立ちふさがったのです。

 ブロークバック・マウンテンには自由がありました。純粋さ、美しさ、現実からの解放…母なる大地は二人にありのままの自分でいることを赦し、全てを包みこんで受け入れてくれました。外界から隔絶されたこの地だけでは全てのくびきから解放され、イニスとジャックは自らの感情に対して素直になることができたのです。ブロークバック・マウンテンでは、いわゆる「常識」は存在しません。既成概念から解放されたこの世界では、自らの振舞いが妥当であるかどうかは他人に判断されることはなく、自らの心だけが自分自身を先導していくことができるのです。イニスとジャックの関係が世間的にどう評価されるか、それが許される関係なのかを全く考慮する必要がなく、ただ、純粋な気持ちのままに生きることのできる世界、それがブロークバック・マウンテンでした。

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★既成概念の支配する世界

 しかし、このありえないほどの自由な感覚は山を降りたイニスとジャックにある種の恐慌状態をもたらしました。それは不安や恐怖でした。山を下りれば、そこは社会の目が光る現実の世界です。イニスとジャックの関係が一体、どのように評価されるかは誰かに聞くまでもなく、明らかなことでした。山を降りた2人は、恐ろしい秘密を抱え込んでしまったことに気が付いたのです。この今まで経験したことのない不安にどのように反応し、対処するかはイニスとジャック、それぞれに異なっていました。イニスは常に抑制的、ジャックはより素直な反応を見せました。その違いはやがて、二人にすれ違いを生じさせていきます。

 山を降りた地上の世界はブロークバック・マウンテンとは正反対の世界でした。この世界には、「常識」なるものが存在し、既成概念の枠から外れた者は容赦なく断罪されます。1960年代、保守的で閉鎖的なアメリカの田舎町で、イニスやジャックのような同性愛の関係に対する風当たりは強く、同性愛者は孤独感や疎外感を味わうのみならず、はては生命の危険すら覚悟しなくてはなりませんでした。

 イニスやジャックには「男性」という枠の中でのみの自由が許されていました。男らしい振舞いや嗜み、行動が要求され、「家族」という枠組みの中でも夫、あるいは父親として生きることが要求されます。自分の振舞いがその枠から外れてはならない。この枠組みに忠実であろうと努力したのはイニスでした。彼はカウボーイという自らの選んだ職業に忠実であり、家族に対しては良き夫、良き父親であろうと努力していました。しかし、その努力を重ねるたびに、イニスの心は悲鳴をあげていました。世間的に見て良き男性であろうとするために、イニスは最も痛烈で、真摯な感情を押し殺していたからです。

 それは、愛でした。ジャックへの感情は紛れもない愛でした。その感情はとても自然で、嘘偽りのないもの。純粋で無垢な愛でした。しかし、世間はその「愛」という感情にまで枠をはめようとします。同性同士の愛は世間一般の「愛」の既成概念からは大きく外れるものでした。

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★「自由」な社会

 アメリカは自由の国であることを国是としています。自由な国において、人には自由に生きる権利があるはずです。とりわけ、「愛」という人間の生存において最も核心的な感情の部分においては。しかし、社会には倫理、道徳、あるいは常識と呼ばれるものが存在しています。その枠におさまっている限りでは自由を享受できますが、既成の枠からはみ出す者に対しては有形無形の容赦ない非難が加えられることになります。

 社会の多数派に共有されている既成概念から外れた者は少数派です。少数派に対しては多数派から偏見の目が寄せられ、それは少数派に対する差別感情へと発展していきます。かくして、蔑まれた少数派には社会的、あるいは実力による制裁が加えられ、少数派は排除されるのです。これはある社会的な集団において保持されるべき既成の価値観を守るために起こる、一種の"浄化作用"といってもいいでしょう。

 社会は例外を好みません。なぜなら、既成の枠からはみ出た例外の存在は既成の枠内にいる多数派を混乱させ、不安にさせるからです。一般に言う、「自由な社会」には限界があり、「自由」の定義は思っているよりも、狭いのです。

 これはアメリカ社会に限った話ではありません。どの社会、コミュニティにも程度の差はあれ、当てはまる話です。確かに、時代、あるいは場所によって、「自由」の定義は変わるでしょう。1960年代初頭を時代背景に持つ「ブロークバック・マウンテン」では、同性愛の存在すら口にするのがはばかられるアメリカの田舎町が舞台になっています。しかしながら、現在では同性愛そのものの存在は認められ、そこから一歩進んだテーマが議論の対象とされるようにはなってきています。同性愛者の存在すら、社会的には認められなかったイニスやジャックの時代とは変わってきたといえるでしょう。

 このように、時代によって「自由」の定義が変わりはすれど、世間一般で容認される「自由」はあくまで、予測可能な範囲においてのみ、です。人は予測不可能な選択肢の可能性を認めようとはしません。社会は急激な変化を好みません。既成の価値観が覆される恐怖や、未知の可能性に対する恐怖は想像しやすく、世間一般に漠然と共有されやすいからです。

 今では、同性愛者の存在を前提にして、その受容の程度についての議論が起きています。同性愛者の法的な結婚を認めるか、同性愛者のカップルが養子をもらうことを認めるべきか…。法律婚あるいは養子といった問題は多数派の異性愛者に取って、「普通でない」事態です。これまでなら、ありえない、想定外の出来事です。同性愛者の結婚・養子といった選択肢はまだ、多数派の人々の不安をかきたてます。この意味において、既成の価値観の持つ重み、それが揺らぐことで社会に与える強い影響はジャックやイニスの時代と何も変わっていません。

 イニスやジャックの時代、同性愛はタブーでした。同性愛については黙して語らず、同性愛者であることを公言することは社会的な死を意味していました。同性愛に対する理解や認容度は低く、同性愛を認めるという選択肢は世間一般の選択肢にすら、なってはいなかったのです。時代は下り、欧米では同性同士の法律婚の是非が議論されるに至っています。カリフォルニア州では2008年6月から同性婚が可能となりましたが、その後、同性婚の是非を問う住民投票が行われ、同年11月に同性婚反対派が勝利しました。その後、再度の住民投票を仕掛ける同性婚賛成派の動きもあり、状況は流動的です。

 人々の選択肢の中に、少なくとも、同性愛の是認という選択肢は入ってきたといってもいいでしょう。同性愛の存在、そしてその容認という点については人々が予測しうる射程に入り、「自由」の一つとして認められうるということです。しかし、その先の法律婚となると、まだ二の足を踏んでしまう。一般的な「自由」に対する思考の中に、同性法律婚はまだ、選択肢には入っていないからです。

 「ブロークバック・マウンテン」は同性愛をテーマにした映画です。しかし、この映画の主眼は「自由そうでいて、実は不自由な社会」、に向けられています。「自由な社会」で許される自由は実はとても狭いのだ、ということを自覚しないまま、その既成の枠の中で生きることに満足している人間のどれだけ多いことか。「ブロークバック・マウンテン」は既成の価値観が疑われないままの「自由な社会」に対して一石を投じています。

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★叶えられた夢、そして崩壊

 ジャックは金を稼いで独立するためにブロークバック・マウンテンに働きに来ていました。彼の父は元ロデオの人気選手で、ジャックもロデオの選手です。イニスはカネを貯めてアルマと結婚するための資金にしようと働きに来ていました。彼は兄も結婚し、居場所がない、と語ります。ジャックも、イニスも、現実世界では肩身の狭い思いをしている男たちでした。カネはなく、社会的な地位もなく、稼げる仕事口もない。彼らが口にする「独立」あるいは「結婚」は自らに「男」としての社会的なステイタスを与えるために社会一般に必要とされる典型的な人生の道しるべです。ジャックもイニスも、独立、あるいは結婚という目標を口にすることで、現在の自分をなんとか社会の枠内に位置づけようとしていました。

 この言葉通り、後にイニスはアルマと結婚し、子供をもうけます。ジャックもラリーンと結婚し、彼女の実家の事業に携わるようになりました。しかし、安定したはずの彼らの暮らしは徐々に崩壊していきます。ブロークバック・マウンテンに来た時に語っていた夢はそれぞれが叶えたはずなのに、その夢は二人を幸せにできなかったのです。

 2人のすべてはブロークバック・マウンテンにありました。あの山で過ごした日々が彼らの真実でした。その感情に背いて行動しても、どこかに無理があり、きしみが生じてきます。テキサスの牧場主になるというジャックの計画にはイニスと別れるという本意とは正反対の決断が必要でした。たとえ、ジャックがその決断をしたとしても、ラリーンとの結婚の二の舞になるだけで、やはり、またイニスのもとへ、ブロークバック・マウンテンのもとへと帰ってくるのではないでしょうか。本音を押し隠しつつ、それと異なる気持ちを装っても、また失敗するだけ。

 ジャックの亡き後、ジャックの父親はイニスに、ジャックがテキサスに牧場を持っている男と牧場の経営を一緒にするという計画を持っていたと語り、「あいつの考えはいつも中途半端に聞こえる」と言っていました。ジャックは本当にイニスと別れてやり直すつもりだったのか。

 「中途半端に聞こえる」ジャックの話は、彼自身が心のどこかで、その話が実現しないものであることを理解していたからでした。同性愛に対する風あたりの強い当時の状況下において、男2人で経営する牧場の夢が実現しないことは、その相手が例え、イニスであっても、テキサスの男であっても同じでした。ジャックにとって、愛する人と暮らし、共に牧場を営む夢は永遠に実現しない夢であり、それを知って語る夢であったのです。

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★「強い男」としての理想像―カウボーイ、ロデオ、そして父親

 ジャックの部屋にはカウボーイの置物が置かれていました。ジャックが子供時代を過ごした部屋に
置かれた小さな置物。これはジャックの男らしさへの憧れであり、男性としてこうあるべきというステレオタイプが具象化された置物でした。

 カウボーイという職業は男性を強く意識させる職業です。カウボーイハットを被った男が颯爽と馬にまたがり、草原を駆け抜ける…カウボーイのイメージは男らしさを集約しています。ジャックの父親はロデオの人気選手でした。荒々しく跳ねる馬を乗りこなすロデオもやはり、男性を強く意識させる競技です。そして、その競技で栄誉を得た父親はジャックにとって強い影響力を持つ存在であり、男性としての理想像でした。

 ジャックが無意識だったにせよ、彼の成長過程には父親という存在が強い影響を及ぼしていました。ジャックは常に父親のように、あるいは父を越える"男らしさ"を求めて成長してきました。しかし、父親にならってロデオに出るようになっても父親はジャックに関心を向けず、父子関係は冷え込んでいます。これはジャックがロデオで優勝し、金持ちの娘と結婚し、独立の夢へと近付いても同じでした。

 父親のように、と思い、その理想に近づいても認められないジャックは報われない思いをしてきたでしょう。同時に、男らしさのイメージとかけ離れた、同性愛者であるという事実はジャックに父親への裏切りにも似た気持ちを抱かせました。父親はジャックの死後、「あいつの話はいつも中途半端に聞こえる」と語りますが、これはジャック自身の問題のみならず、父親が息子に対して十分な信頼を置くことができなかったことにも由来しています。父親はジャックに対して、常に懐疑的でした。

 また、父親は息子が同性愛者であるという事実に直面することを拒んでもいました。これは父親とジャックの関係を決定的なものにしました。結局、父親への憧れ、あるいは押し付けられた男性としての理想像はジャックの感情を圧迫していきました。ジャックは死後に家の墓に入ることを望みませんでした。それは、ありのままの自分を受け入れてくれない父親に絶望していたからです。ジャックは一番自分らしくいられる場所がどこであるかを分かっていました。

 父親はジャックの遺言を受け入れず、遺骨をブロークバック・マウンテンへ散骨することを許しません。父親にとって、イニスとの思い出のあるブロークバック・マウンテンは息子を変えてしまった憎むべき地です。ブロークバック・マウンテンへの散骨を認めることは、父親がジャックが同性愛者であることを認めたことになる―彼は彼は息子が死んだ後も、「男」であることを息子に望んだのです。

 これはイニスも同様でした。イニスは幼いころ、父親に、父親が殺したとおぼしき同性愛者の男の死体を見せられ、「男」としてあるべき姿を父親に見せつけられます。イニスの父は、"同性愛者を断罪する強い男"、あるいは"良き社会秩序を守る男"を男らしさとしてイニスに提示しました。イニスは父の示したこの男性像に縛り付けられ、成長していきます。イニスの父も、ジャックの父と同様、息子に"男らしさ"を求めていました。

 共に、強い男性像を理想として成長し、"男らしさ"の象徴たるカウボーイという職業を選択したイニスとジャック。自らを"男らしさ"に縛り付けるようにして生きてきた二人は、ブロークバック・マウンテンというこの外界から閉ざされた地において、初めて本物の自分自身に向き合うことができたのです。

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★現実と理想、二人の選択

 しかし、山から下りた現実の社会は無情でした。事務所の駐車場で立ち話をするイニスとジャックには二人を吹き飛ばさんばかりの強烈な風が吹き付けています。この風はこれからの二人に対する世間の風当たりの強さを象徴しています。イニスはアルマと結婚し、子供をもうけるものの、仕事や家事、育児、金のやりくり、慣れない土地での生活に追われることになりました。ジャックはロデオで優勝し、金持ちの娘と結婚するものの、義父には嫌われ、なかば使用人のような扱いを受けます。

 現実に疲れた彼らは再び、ブロークバック・マウンテンへと戻ってきました。あの理想郷は今度も彼らを優しい包容力をもって迎えてくれます。しかし、この関係は世間に明らかにされてはならない関係でした。山を下りれば待ち受けている厳しい現実。理想と現実、落差の激しい二つの世界の繰り返しに、イニスもジャックも疲れ始めます。しかし、二人はこの現状をどうすることもできませんでした。彼らはこの苦しみから逃れるために、現実世界で別の愛情関係を作ろうとします。イニスは酒場で出会った女と、ジャックはテキサスに牧場を持つ男と。しかし、その結末は失敗が目に見えているものでした。

 イニスとジャックの別れは突然でしたが、これは予見されていたものでもありました。常々、二人の関係について「どうしようもない」と言っていたイニス。ジャックも、そんなイニスをなじりつつも、現状を「どういしようもない」ことが分かっていました。現実を生きる自分と、理想を生きる自分。この乖離に悩まされたイニスは、「あなたは誰なの」となじる女性の恋人に「最初からこうならなければ良かったと思うだろ?」と問い返します。しかし、これは彼女に向けられた言葉ではなく、イニス自身に投げかけた言葉でした。

 ジャックとの関係が最初からなかったならば、これほど苦しむことはなかったかもしれない…社会が押し付けてくる決まり切った価値観から逃げ出す心づもりができない限り、このジレンマから逃れられる術はありません。イニスにはその覚悟はありませんでした。しかし、結局イニスはジャックに葉書を出します。かつて、ジャックが葉書をよこして、離れていた二人を結びつけたように、イニスは二人の気持ちを再び結びつけようとしたのです。

 返ってきたのはジャックが死んだという知らせでした。イニスはすぐさま、真相を悟ります。ジャックは殺された、恐れていた悲劇が起きた…。

 しかし一方で、これは予測された悲劇でもありました。同性愛者であることを隠そうとしなければ、命を狙われる恐れがあることはイニスが一番よく分かっていました。ジャックもイニスも同じように悩み、ジャックは同性愛者である自分自身に正直であることを選びました。その代償が命になるかもしれないことは、覚悟していたでしょう。一方、イニスは現実を優先しました。彼はジャックとの関係を大っぴらすることはできませんでした。実直なイニスは子供のため、生きることを望みました。二人はそれぞれに悩み、それぞれの決断を下したのです。

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★「何も変わらない」、イニスの誓い

 ジャックの部屋には、二人が出会ったときに着ていた服が残されていました。ジャックのブルージーンズ地のシャツの下にはイニスがブロークバック・マウンテンで無くしたはずのシャツがかかっていました。イニスはこの服をジャックの母親からもらい受け、自宅へと持ち帰ります。息子とイニスの関係を理解していたジャックの母親はこの服をイニスに持っていてもらうことを望みました。彼女がイニスにジャックの部屋を見ていくように、と遠慮がちながらも熱心に勧めたのはそのためでしょう。

 この重ねがけされた2枚のシャツはジャックの真意、イニスに対する愛情の現れでした。小さなトレーラーで暮らすイニスはクローゼットのドアの内側に、ブロークバック・マウンテンの写真とともに重ねた2枚のシャツをかけています。

 結婚の報告に来た娘を見送ったあと、外に誰もいないか確かめてから、クローゼットを開け、「ジャック、俺は誓うよ」と呟くイニス。ジャックのシャツの上に、自分のシャツを重ねてあるのは、真実、イニスを愛していたジャックへの返答でしょう。二人がここまでくるのにはあまりに多くの出来事がありました。しかし、それらの出来事を全て捨象してしまえば、残るのは裸の真実ひとつのみ。

 それは、ジャックがイニスを愛し、イニスがジャックを愛したということです。現実世界の様々な出来事に目を曇らせ、ときに見失ってしまいそうになる愛。しかし、ブロークバック・マウンテンでは二人は素直な自分に向き合うことができる―シャツとともに掲げられたブロークバック・マウンテンの写真は今こそ真実の愛を掴んでいるというイニスの心、そして二人の心はブロークバック・マウンテンに共にあるというイニスの心を意味しています。

 かつて、「俺たちはどうなる?」と尋ねたジャックに「何も変わらない」と答えたイニス。ジャックの死後も、二人の愛は明かされることはなく、何も変わらない日常が流れていきます。イニスはジャックのシャツやブロークバック・マウンテンの写真を誰にも見られないように、非常に気を配っていました。二人の関係はずっと秘められたまま、時が過ぎていくのみです。当時のジャックはこのイニスの態度に耐えきれませんでした。しかしイニスには、二人が平穏なときを一緒に過ごすためには、現状を変えることはできないことが分かっていたのです。

 結末、イニスがジャックに誓ったのは、永遠の愛情であり、そしてまた、自らの決断の通りに生きるということです。そのために、イニスがジャックへの愛情を押し隠して生きなくてはならないとしても、自らの決断を変えることはないでしょう。「何も変わらない」のはジャックに対する愛情であり、その愛情を内に秘めて生きるというイニスの決断であるのです。

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★「幸せな」人生

 何も知らなければ、そのまま、生きていくことができるでしょう。ジャックもイニスも、ブロークバック・マウンテンを知らなければ、自らの生活に何ら疑問を抱くことなく、一人の男として、平凡な人生を送っていたかもしれません。

 それとも、このような考え方は間違っているでしょうか。「一人の男の幸せな生活」を勝手に規定して、一定の枠の中に縛り上げてしまっている社会一般がおかしいのではないでしょうか。平凡な人生といいますが、彼の人生が「平凡」であるかどうかを一般的に判断してしまうのはあまりにおこがましいといわねばなりません。

 「平凡で幸せな男の人生」とはすなわち、仕事に就いて、結婚して、子供をもうけて、やがて孫に囲まれて老いていくという人生を暗に指しているように思います。そのような、人生を送ることが幸せであるかのように言ってしまうのは、やはり、「平凡な人生」=「幸せな人生」という図式を無意識のうちに頭の中に描いているからでしょう。

 今あるものに満足し、何の疑問も持っていなければ、絵にかいたような人生を「幸せな」人生として思い浮かべることができます。しかし、今の社会に疑問を持ち、苦痛を感じるようになってしまったイニスとジャックには「幸せな」人生を思い描くことは困難なことでした。

 イニスとジャックは互いへの愛情を内に秘めながら、既成の価値観に縛られたこの社会で生きるうえで、それぞれの選択をしました。それは、それぞれがそれぞれに、「幸せな」人生を求めた結果でした。

 イニスは不自由であっても、社会の枠内で生きることを望み、ジャックはその生き方を望みませんでした。ジャックは既成の価値観を否定し、それから逃れようともがいていました。一方で、イニスは社会が押し付けてくる価値観を受け入れようとしました。それは双方にとって苦しみでした。ジャックは逃げるために苦しみ、イニスは受け入れるために苦しんだのです。

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★多数派の"制裁"

 この映画はイニスの選択、ジャックの選択のいずれも否定していません。この映画が非難の目を向けるのは、既成の価値観を受け入れるか否かの苦渋の選択を迫り、さらに選択を"誤った"者に対して制裁を加える社会の在り方に対して、です。既成の価値観を受け入れることを拒んだジャックに対しては死という容赦ない裁きが下されました。この「死」には文字通り、ジャックのように命を奪われることもあれば、社会的な「死」を意味することもあるでしょう。

 社会的な「死」とは、地域コミュニティから分断され、あるいは家族、親からもつながりを断たれるということです。同性愛者であることが知られ始めたジャックは町の酒場で冷たい対応をされ、蔑みの視線を向けられていましたし、後で分かることですが、父親は同性愛について強い拒否感情を持っていました。

 2010年9月末、アメリカニュージャージー州で男子学生が自殺する事件が起きました。彼は同性愛者で、ルームメートに恋人と会っているところを盗撮され、映像をネット上に公開されたのが原因とみられています。

 ルームメートは自殺した学生に制裁を加えたのです。ネット上で彼の盗撮映像を視聴した不特定の人々と共に。自殺した学生は1人の人間として生きる権利を持っていました。彼には愛する権利もありました。その彼の人生をゲームでもするかのように弄び、葬ってしまったことに対して、盗撮した学生、それを楽しんだ者たちは同様に責任を持たねばなりません。

 盗撮をしたルームメートは被害者のことを心底嫌って、このような事件を起こしたわけではないかもしれません。ただ、彼は、同性愛者のルームメートが「自分とは違うところのあるやつだ」と思っていただけかもしれません。同性愛であることを面白おかしく扱う風潮があることは否定できない事実です。そして、そのような感情が生まれるのは、彼らは自分たちとは違う、異質の人間だという意識が心のどこかにあるからです。「自分とは違う」というそのちょっとした感情が寄り集まって多数派を形成したとき、事態がエスカレートしてしまうことがあります。

 彼らは、被害者の学生に対して、「懲らしめてやろう」というような気はなかったかもしれません。しかし、結果的には、異質の者に対して、そのプライベートを晒し、社会的生命を断ち、結果的には命を失わせるという"罰"を加えてしまったのです。

 社会を構成するのはそこに暮らすひとりひとりの人間です。彼らには、個々人の生き方について、人を裁く権利はありません。分かり切ったことなのに、相変わらず、社会は有形無形の力を行使しようとしたがります。意識的であれ、無意識的であれ、そのコミュニティに暮らす人、ひとりひとりの意識が少数派を裁くのです。

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★多数派の"安住"、そして受容

 自分の考え方や価値観と異なった人々の中で生活することは予想以上に大変なことです。些細なことですれ違い、いちいち議論する必要が出てきますし、何より、相手が自分の考え方を理解してくれるかどうか、保証の限りではありません。既成の価値観はその面倒な作業を省いてくれます。ある社会で暮らす人々には「暗黙の合意」があり、その社会で醸成された価値観を前提に社会が回る。人間はとても便利で、合理的なシステムを作り上げてきました。

 しかし、これはその反面として、システムから外れた者を排除するシステムとしても機能します。システムから外れた、既成の価値観とは異なる考え方や生き方をする彼らを、社会は容易に受け入れることはできません。これまで、安全に機能してきた暗黙の合意が破られ、社会に混沌が生まれるかもしれないからです。今までの暮らしに一応の満足を見ている者たちは変化を望みません。彼らも何らかの不満はあったかもしれないが、それを押し殺して、現在の価値観に順応することで今の暮らしを作り上げてきました。従って、彼らは今ある価値観をぶち壊してまで、新しい価値観を持つ者を受け入れる勇気と気迫に欠けています。

 このように、多様性を認めることはとても難しいことです。多数派の中で安住することは実に楽で居心地がいい。これは今も昔も変わりません。そしてこれからもそうでしょう。多数派の"安住"は人間の営みがそこにある限り、ずっと続くでしょう。これを非難することはできません。それが人間社会の在り方として自然なことであり、合理的なシステムでもあるからです。

 しかし、多数派と異なる者たちを受け入れる心構えと準備はしておかねばなりません。自分と異なる人々を受容することは不安です。しかし、だからと言って、彼らを理解する努力すらせず、ただ否定し、拒否し続け、あるいは白眼視するだけならば、「ブロークバック・マウンテン」の悲劇は再び繰り返されるでしょう。それがとりわけ、人間の自然な感情に起因するものであるならば、余計に。

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★愛とは、普遍的で、自然なもの…

 ある日、トレーラーで一人暮らしをするイニスのもとに、娘が訪ねてきて、結婚の報告をします。一生を共にできる最愛の人を見つけた娘。イニスは彼女を祝福し、結婚式に出席することを約束します。これからの人生に胸を膨らませ、希望に満ちた顔で結婚報告をする彼女の表情とどこか寂しげなイニスの表情の対比は胸に迫ります。

 イニスの娘が掴んだ愛はイニスとジャックの愛と何か違うでしょうか?

 愛は愛。その普遍的で、自然な感情はすべて尊ばれるべきもの。同じ真摯な愛でありながら、祝福される愛と、そうではない愛があってよいものか。その愛が異性との愛であれ、同性との愛であれ、その真摯な感情にはまったく、差がないはず。

 イニスの娘はこれからの人生を愛する人と共に歩み、そして、イニスはジャックの記憶とともに生きていくことになるでしょう。全ての思い出をあの美しい場所、「ブロークバック・マウンテン」に残して…。

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羊たちの沈黙

映画:羊たちの沈黙 あらすじ
※レビュー部分はネタバレあり

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 若い女性が殺され、生皮を剥がれるという連続殺人事件が起きる。犯人"バッファロー・ビル"の心理を探るべく、精神科医ハンニバル・レクターのもとへ一人のFBIアカデミー訓練生が派遣された。彼女の名はクラリス・スターリング。これが初めての任務となるクラリスは意気込んでいたが、レクターは精神科医であると同時に、多くの人を殺した殺人者でもあった。"バッファロー・ビル"を知っているというレクターは情報を与える見返りに、クラリスの過去を話すように要求する。

 FBIアカデミー訓練生のクラリス・スターリングを演じるのは若きジョディ・フォスター。ハンニバル・レクターを演じるのはアンソニー・ホプキンス。2人の名優が息詰まる心理戦を展開する。クラリスとレクターの対話を通して少しづつ明らかになるバッファロー・ビル事件の真相。そしてクラリスの深い心の闇。彼女の過去はどのようにバッファロー・ビル事件に関連してくるのか。必死に犯人を追うクラリス、そしてレクターの全てを見通すかのような存在感は圧倒的だ。



【映画データ】
羊たちの沈黙
1991年・アメリカ
監督 ジョナサン・デミ
出演 ジョディ・フォスター,アンソニー・ホプキンス,
スコット・グレン,テッド・レヴィン



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映画:羊たちの沈黙 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり

★レクターの手掛かりから解決へ

 「殺人に駆り立てられる理由は?」と問うレクター。この問いこそが、殺人犯"バッファロー・ビル"へと近づく最大のヒントとなりました。レクターの借りていた倉庫で瓶に入れられた男の首を始まりとしたレクターによる、クラリスの誘導はこのヒントで終わりを告げます。後はクラリスがバッファロー・ビルを追い詰めるだけ。
 殺人に駆り立てられる理由は「極度の切望」だとレクターは言います。そして、その切望は「毎日見てることで始まる」。ということは、バッファロー・ビルの近くにも、極度の切望を抱かせるものがあったということ。それは何でしょうか。女友達。もしくは顔見知り。バッファロー・ビルが頻繁に顔を会わせていた知り合いの女性が被害者となっている…ここまで気が付いてしまえば簡単。初めの被害者の女性は重りを付けられ、発見が遅れていました。なぜか。最初に見つかってしまえば、彼女の周辺が徹底的に調査され、犯人が露呈してしまう可能性があるから。通りすがりの女性たちを殺し、死体が発見されたのちに、顔見知りの彼女の死体が混ざって発見されれば、顔見知りの彼女は一連の連続殺人事件の被害者の一人という扱いになり、バッファロー・ビルへとつながる線が薄くなる。
 重りが付けられていたのは決して偶然ではありませんでした。クラリスは被害者の友人の女性からバッファロー・ビルへとつながる手掛かりを得、ついに真犯人の家を突きとめました。
 レクターの与えた手掛かりは非常に遠まわしなようで、実は核心をつくもの。クラリスはレクターの誘導に乗っているだけで、犯人を突き止めることができるようになっていました。なぜ、レクターはクラリスへこれほどの手掛かりを与えたのでしょうか。レクターとクラリスの心理を探っていきましょう。

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★ハンニバル・レクターとの面会

 クラリスは成績優秀なFBIアカデミーの訓練生でした。頭脳明晰な彼女は野心家で、FBIで成功したいと強く願っています。そんな彼女が与えられた任務は精神科医で殺人者レクターの分析でした。彼女の上司はクロフォード。クラリスはクロフォードの下で働くことをかねてより希望していました。この仕事が成功裏に終われば、出世への道が開けてきます。クラリスはがぜん、意気込んでこの仕事を引き受けました。

 レクターは最初の面会で、彼女の精神状態を分析しました。気が強く、野心家で、出世の機会を狙っている…クラリスはレクターと初めて会ったとき、レクターから視線を外しません。レクターはクラリスが芯の強い女性であると見抜きました。また、バッファロー・ビルについてのクラリスの分析を聞き、彼女が明晰な頭脳を持っていることを知ります。そこで、レクターは最初、断っていたクラリスの質問事項書を受け取りました。もとより、レクターはそんな質問に答えるつもりはありません。しかし、ここで、質問事項書を受け取っておけば、クラリスはまた面会にやってくるでしょう。

 レクターはクラリスを挑発しました。両親や生まれ、育ちについて、田舎町の炭鉱労働者だの、貧しい育ちだのと並べたてます。クラリスは怒り心頭に発し、席を立ってしまいます。これは捜査官としてはあるまじきことでしょう。クラリスはレクターの精神分析のためにここへ来ているのですから、レクターに何を言われようが、受け流しておくのが本来であるはずです。また、そうした訓練もアカデミーで受けているはず。にも関わらず、クラリスはレクターのあからさまな挑発に耐え切れず、その場を逃げ出してしまった。

これは、クラリスが両親、あるいは今までの育ちについて何らかの過去を持っていることを意味します。それは最も、クラリスが触れられたくない部分であり、だからこそ、レクターの言葉にクラリスは耐えきれませんでした。精神科医であるレクターはクラリスの反応を見て、クラリスの過去に何があったのかを知りたいと思うようになります。

また、若いクラリスが仕事で成功したいと思っていることもレクターには分かっていました。彼は「昇進のチャンスをやろう」とある情報を教えます。これはレクターにとってクラリスは久々に興味のわく人間だったからです。

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★小羊たちの悲鳴

 クラリスの上司、クロフォードはレクターにバッファロー・ビルの捜査のためにレクターの精神分析をしているということを知られたくないと考えていました。しかし、レクターは既にそのことをお見通しです。しかし、クロフォードは真の目的がばれたらレクターは黙り込んでしまうと思っていましたが、レクターはバッファロー・ビルについての情報を話しはじめます。これにはクラリスの情報を教えるという取引が成立していました。レクターはクラリスのことを知りたいと考えていました。彼女の生い立ちを聞き出し、彼女の深層心理の分析をしたいレクターは、クラリスの欲しがるバッファロー・ビルの情報を少しずつ話しはじめます。

 レクターはクラリスの提示した条件をはなから信用していませんでした。条件のいい病院に移送され、自由に散歩ができるなど、そんな条件が出せるわけがない。レクターはこのクラリスが提示した条件が嘘であるとドクター・チルトンに明かされてもそれほど驚く様子はありません。そして、これを機にクラリスとの面談を断ることもしませんでした。レクターにとって重要なのは、取引のもう一つの条件、つまり、クラリスの情報と引換えにバッファロー・ビルの情報を教えるという条件だったからです。

 レクターはドクター・チルトンとバッファロー・ビルの捜査に協力することで合意します。これはレクターなりの考えがあってのことでした。レクターは傲慢なドクター・チルトンを嫌っています。毛頭協力するつもりはありません。しかし、レクターはドクター・チルトンがクラリスとライバル関係にあることを知っていました。

 ドクター・チルトンは見栄っ張りな男でパフォーマンスが大好きです。クロフォードやクラリスがレクターの分析をしていることを快く思っていないのも、自分の管轄に踏み込んできて、レクターの分析という手柄を先に取られてしまうのが悔しいからです。最初、クラリスの面会を快諾したのはレクターの分析などできるわけがないと思っていたから。しかし、その思惑とは裏腹にレクターはクラリスとの面会を継続しています。ドクター・チルトンはクラリスに手柄を取られると焦っていました。

 レクターはこのドクター・チルトンの焦りを利用します。まずは、協力すると見せかけて、自らを監視の緩い拘置所へと移送させることに成功しました。警察署内に臨時に設けられた大きな鳥籠のような牢で、レクターは久々に開放的な気分を味わい、クラシック音楽を楽しんでいます。一方、ドクター・チルトンはレクターを協力させたことにすっかりご満悦。記者を集めて得意げに喋っていました。彼は後にレクターの情報がガセネタだと分かって恥をかくことになるのですが。レクターはドクター・チルトンの性格を見越した上で、脱出計画に利用し、また、さんざんレクターを侮辱してきた彼に恥辱を与えることに成功したのです。

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★父の死、小羊の死

 クラリスはレクターに「今までで最悪の経験は?」と問われ、「父の死ね」と答えています。クラリスは10歳のときに警察署長だった父を強盗に撃たれて亡くしました。確かにこれはクラリスにとって不幸な出来事でした。しかし、彼女の心にさらなる淀みを生む要因がありました。それは「小羊の死」です。預けられた親戚の家で、助け出した小羊を守り切れず、殺されてしまったという経験。人は本当に辛い出来事を「辛い」とは言わないものです。特に、クラリスのように、気の強い人間ならばなおさら。

 クラリスは男ばかりの現場で働く女性です。アカデミーでも、捜査現場でも、男たちはクラリスを好色な目で、あるいは好奇のまなざしで彼女を見ます。アカデミーではランニング中の男たちがクラリスをわざわざ振り返って見ているシーンがありましたし、バッファロー・ビルの被害者の死体検分に行ったときには地元の警察官たちに取り囲まれ、気まずい雰囲気が漂う中でクラリスは平気な様子を装っていました。

 上司のクロフォードですら、地元の警察官と別室で交渉をする際の言い訳に「この種の性犯罪について女性の前では…」とクラリスが女性であることを利用します。クラリスは警察官たちを現場から追い出しますが、FBIと地元警察の縄張り意識というだけでなく、女性に追い出されるのが不服そうな警察官たち。レクターの隣房のミムズに屈辱的な行為をされたことだって、クラリスが男性だったらされなかったはず。このようにクラリスはいつでも、男たちと張り合わねばなりませんでした。馬鹿にされないように、なめられないように、とクラリスは常に気を張り、高圧的な態度で男たちに接します。

 クラリスが気が強いのは、そうしていなければ潰されてしまうから。クラリスだって、人間です。弱い部分はある。しかし、その弱みを他人に見せないように、常に強気で振舞っていました。初対面のレクターに両親や育ちについて挑発され、逃げ出したのはクラリスにとって、それが心の暗部だったからです。父親の死、そしてそれに続く暗い少女時代はクラリスの心の存立を脅かす暗い過去でした。クラリスはそれを誰にも話したことはなかったでしょう。他人にそれを話すということは弱みを握られるも同然、そうクラリスは考えていました。だからこそ、レクターに親や育ちといった過去をそのものずばり突かれたことは衝撃でした。

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★尊敬し、愛した父

 クラリスは父親を尊敬し、愛していました。幼いころに母を亡くしたクラリスにとって、父親は唯一の肉親であり、また、警察署長をしていた父親は誇れる父親であったのです。成長したクラリスは、将来の仕事として警察関係の仕事を選択しました。FBI捜査官の道です。そこには2つの意味がありました。1つは父親を殺した犯罪者を追い詰める仕事をしたいという気持ち。もう1つは父親への憧れ。

父親と同じ職業を選ぶ。世間的に、両親のしている仕事と同じ職業を子供が選択することは良くあることのように思えます。両親が尊敬できる人でなければ、子供は親と同じ職に就きたいとは思わないでしょう。子供は親の影響を受けて育つものであり、また、親がその子供にとっての手本であるから、子供は親と同じ職業を選択するのです。

クラリスの場合もそうでした。彼女は父親と同じ職業を選択します。これはクラリスにとって、父親の影響がどれだけ大きかったかを示しています。また、クラリスは父親の死後、施設で育つという経験をしていました。このような比較対象があると、過去の記憶は美化されやすくなります。父親の死後、親戚の家から施設に送られたことは、父親と過ごした年月をより一層、幸せな子供時代として際立たせました。

 一方、親と同じ職業を選択したということは、子供に一定のプレッシャーをかけることになります。親子の結びつきが強い場合、子は親に認めてもらいたいと思うものです。しかし、親が死んでしまっている場合には、よく頑張ったねと自らを認める言葉をかけてもらえる相手はいません。どこまで、自分を追い込めば良いのか。ストイックに自らの限界を追い求めてしまいがちです。クラリスは亡き父親を永遠の理想像において、がむしゃらに成功を追い求めていました。

クラリスの父親は警察署長の地位にありました。クラリスはFBIで捜査官になり、活躍したいという思いが人一倍強い女性でした。だから、クロフォードはあえて、アカデミー訓練生であるにもかかわらず、成績優秀で野心のあるクラリスをレクターの分析という困難な任務に指名したのです。クラリスは父親という憧れをもって、FBIの仕事を選択しました。それは夢の実現であると同時に、彼女に仕事での成功というプレッシャーをかけていたのです。

 女性であること、父親の記憶、そして、レクターの分析という初の任務を成功させれば、昇進への道が開けるということ。様々な要因が重なり合い、クラリスを圧迫していました。そして、「小羊の死」。夢にまであらわれるこの記憶はクラリスを根本から揺さぶる暗部でした。

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★小羊の死

 納屋で悲鳴を上げる小羊たちは屠殺されるのを待っていました。そのなかの一匹の小羊を抱いて逃げ出した幼いクラリスはすぐに保安官に捕まり、施設へ送られ、小羊は屠殺された…。クラリスは父親を亡くし、続いて小羊も失くしました。父親と小羊。全く違うもののように思えますが、クラリスにとってはどちらも同様の価値を持っています。父親は犯罪者によって生命を奪われました。小羊も親戚の人に殺されました。どちらも、クラリスには手の及ばないところで命が失われたのです。

父親の死を経験したクラリスにとって、生死は重要な問題でした。悲鳴を上げながら死んでいく小羊はクラリスにとっては家畜ではありません。彼女はその命を守ろうとした。そして、守り切れなかった。父親の死は突然でした。クラリスの知らないところで強盗に撃たれて亡くなった。クラリスにはどうしようもありませんでした。クラリスは立ちすくむ小羊、沈黙する羊でした。無力、あまりに無力だったのです。

そして、再び、試練のときがやってきます。今度のクラリスには小羊の命を守れる可能性がありました。しかし、できなかった。小羊の命は奪われます。父のときのように。クラリスは無力でした。クラリスは再び、沈黙し、小羊のように立ちすくむしかなかったのです。助けようとした者を守れなかった記憶。父の記憶と相まって、小羊の死はクラリスに深い傷を残しました。残るのは深い喪失感と、自分の非力さへの後悔です。

 クラリスは新しい小羊を求めていました。幼いころの記憶を埋め合わせるため、助けを求める小羊が必要でした。そして、今度はそれを守ってみせる。クラリスはレクターの指摘通り、キャサリンを助ければ、この記憶を上書きできると考えていました。今度こそ、どんな手段を使っても、キャサリンを助けなければ。

 バッファロー・ビルの手口で特徴的なのは、殺してから皮をはぐというもの。小羊たちも、殺されてから皮を剥がれ、ラムスキンとして皮細工の材料になります。暴力事件の被害者のことを"小羊"と形容することもある。神のいけにえとされるのも小羊。キャサリンはバッファロー・ビルの圧倒的な暴力性を前に身動きがとれない羊です。恐怖に足がすくみ、ただ、クラリスを見上げていたあの小羊たちのように、彼女も逃げ出せずにいる。そして、いずれ、殺されて皮を剥がれる運命…。

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★小羊の悲鳴

 クラリスはキャサリンを助けることに成功し、バッファロー・ビルことジョン・グラントを射殺しました。クラリスは昇進し、正式なFBI捜査官に任命されます。「小羊の悲鳴は止んだかな」と問う電話のレクター。

 しかし、小羊の悲鳴が止むことはありません。人間の記憶は消えることはありません。ただ、その記憶を和らげることができるのみ。FBIの仕事を続ける限り、クラリスは新たな小羊に出会い続けねばなりません。そして、あの喪失感と後悔を再び味わわないために、再び、クラリスは戦わねばなりません。殺された小羊は永遠にクラリスの記憶の中に生き続けます。そして、悲鳴を上げ、助けを求め続けます。小羊を助けるためならクラリスは手段を選ばない…犯罪者を射殺しても。クラリスは小羊を助けるためなら手段を選ばないでしょう。小羊の記憶ゆえに、クラリスはこれからも犯罪者を殺してしまうことになるかもしれない。

 レクターは精神科医です。キャサリンの救出が成功しても、クラリスの記憶が消えることがないことなど、よく知っている。「小羊の悲鳴」の記憶はレクターとクラリスだけが共有する秘密の記憶です。レクターはバッファロー・ビル事件を脱獄、ドクター・チルトンへの復讐、そしてクラリスの秘密を知るという3つの目的のために存分に利用しました。全てを手にしたのはレクターだけです。クラリスは事件の真相のために過去をレクターに差渡しました。これで必要ならば、レクターはクラリスを操作し、手玉に取ることができるでしょう。

また、レクターはクラリスとの電話で「これから古い友人と食事でね」と言っていました。レクターに後を付けられていたドクター・チルトンの運命は言わずもがな、です。クラリスのFBI捜査官としての人生は綱渡りのようなもの。小羊の悲鳴のなかで危うい精神バランスを保ちながら進んでいくことになるのです。

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All pictures in this article from this movie belong to Orion Pictures Co. and Warner Bros..
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フェイス・オフ

映画:フェイス/オフ あらすじ
※レビュー部分はネタバレあり

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 愛息子を殺されたFBI捜査官ショーン・アーチャーは息子を殺した宿敵キャスター・トロイを追い詰め、逮捕することに成功する。しかし、キャスターは爆弾によるテロを計画していたことが判明し、爆弾の起動を止めるための捜査が始まった。キャスターの弟ポラックス・トロイから爆弾の設置場所を聞き出すため、アーチャーはある任務を引き受ける。

 それは、キャスターの顔と体をアーチャーに移植し、アーチャーがキャスターとして刑務所のポラックスに接触するという計画だった。アーチャーはポラックスから爆弾の設置場所を聞き出すことに成功するものの、キャスターが病院から逃げ出してしまう。しかも、キャスターはアーチャーの顔を自らに移植し、関係者全員を殺害してしまったのだ。これで、アーチャーがキャスターになり済ましていることを知る者はいなくなってしまった。

 キャスターはアーチャーになり済まし、FBI捜査官としてポラックスを釈放し、爆弾の解除作業にも成功する。キャスターはロサンゼルスをテロから救ったヒーローとして一世を風靡していた。一方、キャスターにFBI捜査官の仕事を乗っ取られ、家族も奪われたアーチャーは、キャスターから家族や仕事を取り返すため、脱獄することを企てる。

 ジェット機が倉庫に突っ込み、ボートが大爆発して火柱を上げ、銃撃戦がスローモーションで展開する。その他、鏡を使った対決シーンの演出、2丁拳銃など、ジョン・ウー監督らしい演出や、派手で豪快なアクションは見もの。一方で、単なるアクション・ムービーに終わらないストーリー展開、人物の心理描写にも注目したい。娯楽要素とメッセージ性に富んだ大作に仕上がっている。



【映画データ】
フェイス/オフ
1997年(1998年日本公開)・アメリカ
監督 ジョン・ウー
出演 ニコラス・ケイジ,ジョン・トラヴォルタ,ジョアン・アレン,
アレッサンドロ・ニヴォラ,ジーナ・ガーション



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映画:フェイス/オフ 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり

★自分とは誰か

 自分とは何でしょうか。ショーン・アーチャーとは。分かるようで、分からない。彼は、FBIテロ対策チームのメンバー。そして、容疑者を厳しく尋問する捜査官。キャスター・トロイを追う男。イヴの夫。ジェイミーの父親。そして、亡きマイケルを守り切れなかった父親。「自我」は我が心の中にある、誰にも触れられない自分だけのもののように思えるけれど、実は、他者との関係性の中からかたどられていきます。だから、周囲の環境や、周囲にいる人々の影響をとても受けやすい。他者との関係性を通して、人間は自分というものを認識しているのです。

 鏡を見たアーチャーは愕然としました。鏡にはキャスターの顔。あの憎むべき男の顔が映っているのが見えます。そして、その顔は自分の顔だと主張しています。自分が話せば、向こうも口を開き、自分が怒れば、向こうも表情を歪めます。キャスターの顔をもつ自分。顔を取り換えるだけ、中身は入れ替わるわけじゃない、そのはずだったのに、顔が変わった自分は何かが違う。顔をとりかえるという計画であることはもちろん、百も承知でこの極秘作戦を引き受けたアーチャーでしたが、手術の結果、取り換えられた顔は彼の中にある何かを壊していきました。

 刑務所に入れば、アーチャーは犯罪人キャスターとして扱われます。刑務官に足蹴にされ、囚人たちからは袋叩きにされてしまいます。アーチャーはキャスターを演じなくてはならないのに、当初は自らの受ける扱いに茫然として全く抵抗することができないでいました。しかし、アーチャーはキャスターの弟、フォラックスの視線を感じます。

 フォラックスはアーチャーを凝視していました。アーチャーはその視線を感じ、思い出します。自分は「キャスター・トロイ」であるということを。彼は囚人たちを殴り飛ばし、デュボフという囚人を突き倒しました。そして、トレイを振り上げ、彼ののど元へと振り下ろそうとします。「俺はキャスター・トロイだ!」と叫び、周りはやんややんやの大喝采。そのときのアーチャーは完全に殺人者へと変貌していました。

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★揺らぐ自我

 鏡を見たときにアーチャーが受けたショック。それは自分が崩壊していくことへの恐怖でした。しかし、この恐怖はデュボフに死につながる暴力を振るおうとしたアーチャーには存在しません。アーチャーの行動はまさに犯罪者キャスター・トロイの名に恥じぬ振舞いでした。ここで重要なのは、その振舞いをしているのが、ショーン・アーチャーその人だということです。キャスターの外見を持ってはいるが、中にいるのはアーチャー。アーチャーはキャスターを演じる必要がありました。

 しかし、デュボフを殺そうとしたときのアーチャーは一体本当に、演技だったのか。アーチャーにはそれが演技であると言い切る自信はありません。あのときのアーチャーの心には確かに殺意が芽生えていたからです。そのことを自覚したアーチャーは自らに対する恐怖を覚えました。

 アーチャーはもともと、激しい気性の男でした。寡黙で真面目な捜査官である一方、容疑者に対しては容赦ない尋問を加えます。特に、彼は殺された息子マイケルの記憶について、他人に触れられるのを極度に嫌がっていました。また、息子を殺したキャスター・トロイに対しては人一倍の憎しみを持っていました。キャスターの恋人のサーシャに対しては、彼女の息子を引き離すと脅しつけて尋問します。サーシャの兄のディートリヒは、尋問中、マイケルの死を使ってアーチャーを挑発し、銃を突きつけられていました。

 あのときのアーチャーにはFBI捜査官であるという自制心が働いていました。FBIの建物内にある尋問室で、アーチャーにはFBIの一員であるという意識があります。アーチャーはディートリヒに対してしたように、我を失うことがあっても、その後、それについて深く考えることはありませんでした。最後の一線は越えてはならないという暗黙の了解が自己の中にあったからです。

 しかし、刑務所という殺伐とした環境、そして、捜査官という身分を失い、キャスター・トロイという犯罪者を演じることになったアーチャーはその一線を失いました。そのことに気が付いたときのアーチャーの恐怖はすさまじいもの。アーチャーはこのデュボフの一件以来、自分自身というものの不確かさに不安感を抱くようになります。

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★殺意と自制心

 脱獄した彼はディートリヒら古くからの仲間のいるアジトへと逃げ込みました。そこで差し出されたのはあの黄金の2丁拳銃。キャスターのシンボルともいえる、ド派手な拳銃をアーチャーは手に取ります。拳銃はキャスターの極悪性を象徴するもの。これを身につけるということは、また一歩、本物のキャスターへと近づくことになります。

 アーチャーは差し出されたコカイン入りの酒を飲み、意識が高揚し、朦朧としはじめます。彼はこれからの計画として、アーチャーの自宅を襲う計画を語り、自宅のセキュリティナンバーまで喋ってしまいました。「死んだ息子の誕生日だよ…泣ける話だろ?」

 キャスターの仲間と馬鹿笑いするアーチャーはもはやキャスターその人。アーチャーを捕まえてどうするんだと尋ねる仲間に、「顔を剥がしてやるのさ!」さすがの悪党どももこれには沈黙してしまいます。アーチャーはもはやキャスターに対する殺意を隠しません。薬の力を借りたことで、アーチャーの心は完全に自制心を失っていました。キャスターに対する憎しみ、復讐心、怒り、全てがアーチャーの心を支配していきました。

 トイレに立ったアーチャーが見たものは鏡。そこに映るのはキャスターの顔を持つ自分の姿。「これは俺じゃない…俺…」と繰り返すアーチャーは、我に返っていきます。憎むべきキャスター。息子を殺したキャスター。今、俺はその男と同じところに立っている。犯罪者となろうとしている。

 捜査官という立場がある以上、タガが外れても、一線を越えずに済んでいたアーチャー。それは自らの立場や同僚の存在、そして、職場という場所によって律されていたからでした。しかし、追われる犯罪者の立場に陥ったアーチャーを止めるのは自分自身しかいません。やろうと思えば、どこまでも落ちていくことのできる犯罪者という立ち位置で一線を越えないためには、自分のしていることを自覚し、そして強く自らを律する心が必要でした。

 鏡の前で自分自身と戦っているアーチャーに女の声がかかります。「死んだんじゃなかったの?」アーチャーは「死んでないさ、おれはおれだ」。おれはおれ。アーチャーはアーチャーであり、キャスターではない。これは彼女の問いに答えたものであると同時に、アーチャー自身に対する答えでもありました。まだ、アーチャーは死んでいない。まだ、壊れてはいない。アーチャーは危ういところで、自分自身の変化に気が付くことができたのです。

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★サーシャとの出会い

 アーチャーに声をかけてきた女はサーシャでした。彼女はアーチャーをキャスターだと思い込んで話しかけています。キャスターとサーシャには5歳の息子アダムがいました。最初、アダムの存在を聞いたアーチャーの顔は不穏な表情でした。アーチャーの心をよぎったのは何でしょうか。マイケルを殺された怒り、そして、憎むべき敵の息子がいるということ…アーチャーはもしかしたら、アダムをキャスターとの闘いに利用できるかもしれないと考えたのかもしれません。

 そのとき、ふらりとアダムが部屋に入ってきました。アーチャーはアダムを見て、まるで毒気を抜かれたかのよう。アダムを抱きしめ、マイケルと乗ったメリーゴーランドのことを思い出します。涙を流すアーチャーにはマイケルへの思いに加え、さっきまでアダムに対して考えていたことへの後悔があったのかもしれません。そして銃撃戦。激しい弾の雨の中、体を張ってアダムをかばうアーチャーは完全に父親として行動していました。

 ディートリヒが撃たれ、絶命してしまいます。いまわの際の言葉は「おれたち、楽しかったよなぁ…」。ディートリヒはアダムやサーシャを狙ったキャスターの弾に被弾したのでした。キャスターは昔の仲間に対しても容赦しません。しかし、ディートリヒはキャスターを友人として信頼していました。かつて、アーチャーがディートリヒを取り調べた際、彼はマイケルのことを持ち出して、アーチャーを逆上させた男です。しかし、彼も人間。体を張って妹サーシャを逃がし、友人を信頼する人間でした。

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★アーチャーの変化

 アーチャーは傲慢な人間でした。キャスター・トロイらを逮捕した翌日、アーチャーを拍手で迎え、ねぎらうFBIの同僚たちに皮肉を言い、容疑者をまるで、相手がモノであるかのように扱って厳しい尋問を加える。確かに、トロイ兄弟の逮捕には多大な犠牲を伴いましたし、死者も出ています。また、テロを食い止めるためなら容疑者に対して厳しい態度をとることも必要でしょう。

 しかし、アーチャーの場合は、全てが、自分自身の都合で回っている。アーチャーの過去も理解したうえで、キャスターの逮捕を祝ってくれるFBIの同僚たちの気持ちなど、彼はまったく汲み取ろうとしませんし、アダムの父であり、仲間であるキャスターをかばいたいという兄ディートリヒや妹サーシャの気持など察しようという気持ちすらありません。

 また、家庭でもそうでした。仕事優先で、妻や娘のことなどはすべて後回し。妻は日記で夫の不在を嘆きますが、アーチャーにはそれに気が付く余地すらありません。これらすべての根本にあるのは息子の死。息子を亡くしてからというもの、アーチャーはマイケルの死にとりつかれていました。何事にもすべて、息子の死が先に立ちます。息子の死、それに続く後悔、そして、息子を殺したキャスターに対する復讐心。アーチャーはこうした自分自身の気持ちを優先しすぎ、周囲の人間の気持ちを全く考慮しようとしない人間でした。

 ディートリヒやサーシャと深く知りあうにつれ、アーチャーは変化していきます。他の人間の気持ちをくみ取るということ、そして、彼らにも、愛や友情があり、守るべきものがあって生きている、一人の人間であるということ。アーチャーは、倒れるディートリヒを支え、壁にもたせかけてやりました。

 アジトでの銃撃戦、鏡越しにキャスターとアーチャーは対峙します。「2つばかり、俺の気にいらないものがあるんだ」とキャスター。それはアーチャーの顔と体でした。敵として見てきた男の外見で生きる人生は深刻な心理的相克をもたらします。アーチャーが感じたものと同じ感情をキャスターも抱いていました。

 「元に戻ろうぜ」というキャスターの言葉に対して、アーチャーは「失ったものはもう戻らない」と言い返します。次の瞬間、2人が撃ったのは鏡の反対側にいる相手。それでいて、鏡に映るのは銃を撃つ、敵の顔を持つ自分。彼らは鏡の反対側にいる相手を狙いつつ、自分自身をも撃っていたのです。憎いのはキャスター、そしてキャスターの顔を持つ自分自身。マイケルの死に固執して、今を生きている家族の幸せを犠牲にしてしまった自分自身。鏡に映った自分の姿を撃つことは、このような事態を招いてしまう決断をしたアーチャー自身に対する、アーチャーによる制裁でもありました。

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★父親として

 アーチャーは変わっていきます。サーシャをかばうため、葬儀に来るなと言うアーチャー。アダムの消息をサーシャに言われるより先に尋ねたのはアーチャーです。彼は心からアダムに気遣うようになっていました。

 キャスターとアーチャー、サーシャ、そしてキャスターの手下たちがそれぞれに銃を突きつけ合う場面、サーシャはアーチャーをかばいました。彼女は息子をアーチャーに託して死んでいきます。「坊やのことをお願い。大切な子なの。わたしたちみたいな人間に育てないで…じゃあね」。

 サーシャはアーチャーがキャスター本人でないことに気が付いていました。そして、葬儀に来た彼女はあのアジトでの銃撃戦の日、自分と息子を撃とうとした男がキャスター本人であることに気が付きます。そんな男にはアダムを託せない。そして、それ以上に、サーシャはアーチャーを評価していました。身を張ってアダムを守ってくれたアーチャー、そして、何より、マイケルを亡くした彼は失う辛さを知っている。サーシャは血のつながった父親よりも、より父親らしい、父親にふさわしい男としてアーチャーを選んだのです。

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★キャスター・トロイ

 キャスター・トロイは冷酷無比な犯罪者でしょうか。しかし、彼はそうではありません。彼は人を愛し、大切にすることのできる人間。ただし、彼は、自らの目的を完遂することを何よりも優先する男でした。アーチャーの愛息子マイケルを謝って射殺したときのことです。キャスターはマイケルに弾が当たる恐れがあることに気が付き、いったん、照準から目を離しました。

 しかし、結局、彼は狙撃を決行し、マイケルは死んでしまいます。彼はFBI捜査官としてかつてのアジトを襲撃したとき、仲間を撃ち殺すことにためらいはありません。サーシャに対しても、その幼い息子に対しても。彼は友人ディートリッヒも手にかけました。

 今のアーチャーとしての生活を守るため、このときのキャスターは何よりも、アーチャーの殺害を最優先していました。また、キャスターは弟が屋根から転落したときも、まず、アーチャーを仕留めることを優先しました。弟の安否を確かめるのはその後。彼は弟を愛していました。ただ、何を優先するかについて、キャスターなりの優先順位があるだけ。

 キャスターは最後の最後までそうでした。キャスターはアーチャーの家族を彼なりに愛していましたが、結局は逃げるため、彼女らを人質にとります。キャスターは死ぬまで、自らの優先順位を崩すことはありませんでした。この自分自身を何よりも優先するキャスターの生き方は結局、キャスターから親しい人を遠ざけていきました。

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★アーチャーとしての生活

 キャスターはアーチャーらの計画により自らの顔を失いました。彼は医師を脅して、アーチャーの顔を自らの顔に張り付け、アーチャーとして生きることにします。家族も、仕事も、全て、アーチャーのものを引き継ぐ。当初、キャスターはアーチャーの人生を全て乗っ取ることができるということに魅力を感じていました。自らの宿敵であるアーチャーが持っているものを全て横取りできる。アーチャーは悔しがるでしょう。いい気味です。キャスターにとっては非常に気持ちがいい。アーチャーに対する優越感でキャスターは一杯になっていました。

 アーチャーにあって、キャスターにないもの、それは社会的な名誉です。確かに、キャスターは犯罪者としては成功していました。しかし、それは社会的名誉ではない。キャスターはあくまで非合法な裏の世界での成功者だったからです。キャスターはFBI捜査官としての権力と成功、そして絵にかいたような中流階級の庭付きの家、妻と娘という生活に一種の社会的ステイタスを感じていました。思い切り楽しんで、飽きたら終わり、その程度に考えていたかもしれません。

 1000万ドルよりも名声が欲しいと、キャスターは自ら仕掛けた爆弾の起動を止め、爆発を阻止します。彼は2秒前に爆発を止めたのですが、マスコミには1秒前に爆発を止めたと発表しているところに、キャスターの名誉欲が感じられます。

 このもくろみは大成功。彼は一躍時の人となり、マスコミに大きく取り上げられる有名人になりました。そして、アーチャーの妻イヴに豪勢なロブスターのディナーを用意し、仲睦まじい夫婦生活を満喫し、娘とはタバコを吸っては何かと話をする仲になります。すべては完璧…犯罪に明け暮れ、危険と背中合わせの生活をしていたころとは違う穏やかな生活がそこにはありました。

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★キャスターの変化

 「疲れた…」と言って帰ってくるキャスター。イヴの肩を揉み、日記を盗み読んだことを告白します。気軽に飛び込んだアーチャーの生活はキャスターを魅了していました。彼は本気でした。イヴに対して、「もっと優しい夫になるよ」といったのは嘘ではありません。少しの間だけ、アーチャーの生活を楽しむだけなら、イヴの日記を読んだことを告白する必要はありませんし、「君まで失うんじゃないかと思うと…家族は君ひとりだ」などと言う必要もないでしょう。

 アーチャーが脱獄した今、キャスターにはとりあえず逃げるという方法もあったはず。しかし、キャスターはアーチャーとして生きることに固執します。弱音を吐くことのできるのが、家庭。殺伐とした犯罪者の世界を生きてきたキャスターにとって、「疲れた…」と言って帰ってこられる場所があるのは今までに感じたことのない、幸せでした。

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★ジェイミーの心を開くキャスター

 キャスターにとって、アーチャーの家族は本物の自分の家族のようになっていました。ぐれているジェイミーを気遣う気持ちは本物です。乱暴されそうになったジェイミーをボーイフレンドのカールから助けるキャスターはまさに父親でした。

 「何を突っ張ってる?マイケルが死んでからずっとそうだ。自分の顔を必死で作り変えて」と派手なメイクや髪型をしているジェイミーを諭すキャスター。ジェイミーはマイケルの死が忘れられずにいました。それはマイケルが死んだことがショックだったことももちろんありますが、それよりも大きかったのは父親アーチャーの変化です。マイケルを失ってからというもの、とりつかれたようにマイケルの思い出を追いかけ、家庭などないかのように振舞うアーチャー。

アーチャーはマイケルを守れなかったという自分自身への罪悪感への償いとして、キャスターを捕まえることに情熱を傾けていました。もう1人の子、娘のジェイミーのことなど、眼中にないように見えます。ジェイミーは寂しかったのです。今は亡き弟のことしか頭にない父親。死んでしまった者に張りあうことはできません。

 ジェイミーは父親に、家族の元へ帰って来て欲しかった。父親の関心を引きたい、父親に自分自身の存在をアピールしたいというジェイミーの気持ちは、彼女の派手な行動として現れていました。派手なメイク、奇抜な髪形、停学処分。しかし、父親のアーチャーはジェイミーを責めるばかり。「私は私だよ!って言っても分かんないだろうけどね!」というジェイミーの言葉には、マイケルとの過去に囚われ、娘を省みようとしない父に対する不満が現れているのです。

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★夫婦

 イヴやジェイミーとの生活は順調でした。しかし、キャスターの幸せは長くは続きません。脱獄したアーチャーが迫って来ていたからです。夜中に家を抜け出したイヴを追って、病院にやってきたキャスターはイヴの近くにアーチャーがいないことを確認してほっとした様子を見せます。

 「ウソついて本音を隠して実の夫婦みたいになってきた」と言うキャスター。キャスターにとっての妻に当たる人はサーシャです。彼女とは息子がいるほどの長い関係でした。しかし、そのサーシャとも、このところは疎遠になっています。女遊びが派手なキャスターはいろいろな女と遊び歩き、サーシャの元へはめったに戻ってきません。

一方のアーチャーも、妻イヴが日記に「もう2カ月も愛し合ってない」「ディナーの約束をすっぽかされた」と綴っているように、すっかり、冷めた夫婦関係になっていました。キャスターとサーシャ、アーチャーとイヴ。キャスターの知る「実の夫婦」とはこんな関係。ドライで、隙間風が吹いている。まるで、一緒にいることが義務になってしまっているような関係。この2つのカップルはまさにそんな関係を続けていました。キャスターとアーチャーが顔を取り換えるまでは。

 夫婦とは本来、愛情と信頼の上に成り立つもの。しかし、長い年月が経ち、さまざまなすれ違いを積み重ね、互いを思いやる余裕や配慮がなくなれば、その関係にはきしみが生じてきます。夫婦とは、本来、一緒にいてくつろげる関係、温かい関係のはず。血液型を分析し、キャスターがアーチャーを装っていることが判明しても、イヴはアーチャーに銃を構え、容易には信用しませんでした。

 キャスターのかけてくれた優しい、愛情のこもった言葉やしぐさ、そして彼を夫だと思い込んで過ごした1週間。目の前の男が言っていることは嘘なのだと思いたいイヴの気持ちが強かったからです。互いの立場を変え、入れ替わった2人は夫婦たるものが、本来どんな関係であるかを再び知ることになりました。

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★親子

 葬式に向かうとき、姿を見せないジェイミーをキャスターは心配します。「ジェイミーは?」とたずねるキャスターに、イヴは「私の財布から50ドル盗んで消えた」。キャスターは無言ですが、くそっといった悔しそうな表情を見せます。キャスターは本気でジェイミーに立ち直ってほしいと思っていました。そして、そのために、彼女と話す時間を持ち、彼女を諭してきたはずなのに、イヴから50ドル盗むとは…。この表情からも、キャスターがジェイミーを思う気持ちが本物だったことが分かります。

 ただし、この50ドルはイヴの嘘でした。彼女は既に、アーチャーとキャスターの顔が交換されていることを知っています。イヴはジェイミーを安全な場所へと逃がすための方便として嘘をついたのです。しかし、ジェイミーが銃撃戦のさなかに教会へとやってきてしまいました。ジェイミーなりに、何かを感じ取ったのか、心配になったのでしょうか。

 彼女はキャスターに銃を突きつけるアーチャーに出くわします。ジェイミーは真相を知りません。アーチャーもキャスターもどちらも、ジェイミーの父親のアーチャーだと叫びます。キャスターのマイクロチップは外れ、既にキャスターはアーチャーの声を失っていました。キャスターもアーチャーも声はキャスター。果たして、ジェイミーはどちらを選択するでしょうか。彼女はアーチャーに向かって発砲しました。

 キャスターの顔を持つ男が本物のキャスターなら、自分が父親のアーチャーだと叫ぶのは不自然です。銃を突きつけ、主導権を握っている今の状況下では、そんな嘘をついているよりも、さっさと2人とも射殺する道を選んだでしょう。また、今まで父親だと名乗っていた男の声が別人の声に変わっていることを考えると、ジェイミーがキャスターが嘘付きだと判断する余地は十分にありました。しかし、ジェイミーは偽物のアーチャーであるキャスターを父親だと判断します。

 父親とは何でしょうか。生物学的に父親かどうかは血縁で決まります。しかし、人間が成長する上で、本当に必要な「父親」とは、自分を愛してくれる人であり、自分を思ってくれる人であり、守ってくれる人であり、自分が尊敬できる人です。それは血液型やDNAで決まる問題ではない。この点において、キャスターは立派に父親としての務めを果たしていました。娘の話を聞き、娘と一緒の時間を過ごしたこと。時間にしたら、ほんのわずかな時間ではあったけれど、キャスターはジェイミーの心を開くことに成功していました。ジェイミーはキャスターを信頼していました。 

 一方、アダムの母、サーシャはアーチャーを父として選択しました。判断した理由はジェイミーと同じ。アーチャーが父親としてアダムを愛し、守ってくれると信じたからです。キャスターも、アーチャーも、共に、入れ替わったそれぞれの家庭で、本当に「父親」になっていました。

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★キャスターの死

 アーチャーとの激闘の末、キャスターは追い詰められ、絶体絶命の危機に陥ります。アーチャーと死闘を演じ、両脚を負傷した彼に、もはや逃げる力は残っていませんでした。彼は捕まるか、それともここでアーチャーに殺されるか。どちらかの道しか残されていません。彼はアーチャーを挑発します。

 「あんた、鏡を見るたびに俺の顔を見ることになるんだぜ!」そして、キャスターは顔にナイフをあてて、切り裂いていきました。それを見た瞬間、アーチャーは引き金を引きます。何度も何度も。彼はアーチャーに確定的な殺意を抱いたのです。アーチャーは最終的にキャスターの股間を蹴りあげて、モリを握っていたキャスターの手を離させました。キャスターの腹部にモリが刺さり、キャスターは絶命します。

 キャスターはかつて知らず、そして知ることもなかったはずの人生を知ってしまいました。愛情のある温かい人生が送れるかもしれない、イヴやジェイミーとの生活を通して、キャスターが一瞬でもそう思ったことがあったのは間違いありません。

 しかし、それはアーチャーという男の人生。どうやっても、キャスターのものにすることはできませんでした。それを決定づけるのが、アーチャーの顔と体をもつ自分。これはキャスターの"新しい人生"を阻む最大の要因でした。どうがんばっても、キャスターに残されているのは、仲間と大金を追いかけ、殺人をもいとわずに犯罪を繰り返す人生。

サーシャは「私たちみたいな人間」と言っていました。サーシャには可愛い息子がいました。彼女も息子を愛していたし、今の環境が息子にとって良くないことも全部分かっていました。にも関わらず、彼女は麻薬が身近にあり、犯罪者たちがたむろするようなところで暮らすことをやめられない。なぜなら、他に生きる道はないからです。彼女は他に生きていく道を知らないし、他に頼れる人もいない。結局、どんなに顔を取り換えても、キャスターもサーシャの言う「私たちみたいな人間」の一人なのです。ここまで人生を歩んできて、今さら、道は変えられない。

 キャスターは、鏡越しの決闘の際、お互い元の姿に「戻ろうぜ」とアーチャーに呼びかけたことがありました。キャスターは本心、戻りたかったわけではない。しかし、顔を取り換えた今の生活は永遠には続かない。キャスターにはイヴと共有する過去がないからです。アーチャーとイヴの慣れ染めをしらないキャスターは、ロブスターを食べられない、ベジタリアンのイヴにロブスターのディナーを出してしまう。

特に、マイケルの墓参りをしたとき、キャスターは二人のずれを感じていました。「あの男に殺されなければ今頃…」となくイヴの気持ちに寄り添うことは、キャスターにはできません。そして、鏡を見るたびに映るアーチャーの顔。このさき、ずっと心理的葛藤に悩まされるのはあまりに辛い。キャスターにはいずれは元の生活に戻るしかないことが分かっていました。

 そして、最後の決戦、アーチャーに追い詰められた彼には捕まるか、死ぬかの選択が迫ります。もはや、元の生活に戻るという選択肢も消え去った。そして、刑務所には行きたくない、となれば…。キャスターは自分に残された最後の道、死を選びました。

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★自分を殺したアーチャー

 キャスターを殺したアーチャーは意識が遠のき、救急搬送されることになります。隣のストレッチャーにはこと切れたキャスターが横たわっていました。アーチャーは静かに彼の手を取り、結婚指輪を外します。死んで横たわる男の顔は自分の顔。彼はその顔に一瞥を向けた後、自らも並んで横になります。アーチャーの顔をしたキャスターはアーチャーの過去そのものでした。

アーチャーはキャスターという犯罪者と戦い、また、自分自身とも戦っていたのです。キャスターはもちろん、マイケルを殺した殺人犯。そして、アーチャーが戦っていた自分とはマイケルの記憶から抜け出せない自分自身であり、その自分のせいで、犠牲を強いた家族に対する罪悪感や後悔、哀しみが具現化したものでした。キャスターを倒すことで、自分自身の過去を断ち切る。アーチャーが横たわるキャスターを見る視線にはもはや、憎しみはありません。そして後悔も。

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★未来へ

 アーチャーはマイケルの記憶に囚われていました。マイケルの記憶は忘れてはならない大切なもの。しかし、その記憶に囚われ、そこから逃げ出せなくなってしまえば、それは不幸な出来事しか生みだしません。マイケルの記憶に囚われるということは、キャスターへの憎しみからも逃れられないということ。常に怒りを内に秘め、キャスターへの復讐心を抱いていれば、他のことなど気が回りません。家庭はほったらかしになり、娘や妻とも疎遠になる。そして、職場では孤立する。何もかも、マイケルの死、あるいはキャスターに対する憎しみを起点に考えるようになる。

もう少し、弾道が左だったら、マイケルは生きていたと妻に呟くアーチャー。もう少し左だったら、アーチャーが死んでいた。それだって、マイケルが死んだと同様の悲劇を家族にもたらすことに頭が回っていません。そして、今回の事件を引き起こした顔の入れ替え計画だって、キャスターの犯罪を止めるためなら、何でもするというアーチャーの決意が起こしたもの。結果的には、アーチャーの言葉を借りれば「何をしても償いきれない」ものを家族に残してしまいました。

 「心臓のすぐそばに…傷があったんです…もういりません」。顔と体を元に戻す手術を受ける際、医者にアーチャーはこう告げます。心臓のすぐそばの傷はマイケルが殺されたときにできた銃創痕。そして、その傷痕はもういらないと言う。

 アーチャーとマイケルの決別です。これはマイケルを忘れるということではありません。マイケルの記憶を糧にして、未来へと歩いていくということです。アーチャー家にはアダムという新しい家族も増えました。すっかり更生したジェイミーは弟ができたことを喜んでいる様子。過去を共有することは家族のつながりをより強いものとしてくれます。しかし、過去を変えることはできない。一方で、未来はこれから切り開いていくもの。未来にはまだまだ新しい可能性がたくさん広がっています。

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★フェイス/オフの意味

「フェイス オフ」(face off)とは対決するという意味。素直にアーチャーとキャスターの対決という意味にとればいいでしょう。フェイス・オフはアイスホッケー用語でもあり、試合開始時のほか、一時試合を中断した後の試合再開という意味でも使われます。アイスホッケーでのフェイス・オフは、2人の選手が対峙し、その間に審判がパック(いわゆるボールにあたるもの)を投入して行います。

 本映画のアーチャーとキャスターの対決も、一度はキャスターの逮捕というかたちで決着がついているので、その意味では、試合再開の意味の方が近いかもしれません。あとは、顔を拭きとると言う意味でも「face off」を使います。顔の表面を剥がして他人に移植し、またその顔を取り去ったという意味では、顔を拭うと言う意味のface offの意味もかけてあるのでしょう。

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All pictures from this movie belong to The Walt Disny studios.


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ディパーテッド

映画:ディパーテッド あらすじ
※レビュー部分はネタバレあり

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 マサチューセッツ州警察に勤務する2人の警察官、コリン・サリバンとビリー・コスティガン。サリバンはエリート警察官として特別捜査班(SIU)に配属され、ビリーは潜入捜査官として、ボストン南部の犯罪組織のボス、フランク・コステロの元へと潜入する任務を任される。

 特別捜査班に配属されたサリバンは、実際には闇社会のボス、フランク・コステロの内通者だった。捜査情報はサリバンを介してフランク・コステロに筒抜けになっていたのだ。一方、ビリーはコステロの組織に潜入することに成功し、フランク・コステロの情報を警察に流していた。ビリーとサリバン、お互いの存在を知らないまま、年月が過ぎていった。

 しかし、情報が漏れているとの疑惑が警察内部でも、コステロの組織内でも持ち上がるようになる。内通者を巡り、警察、コステロの組織内で"ネズミ"探しが始まった。ビリーとサリバンは、コステロと警察、それぞれの組織の内通者として、互いの存在を探りあう。姿の見えない内通者をあぶり出すべく、警察とコステロ、双方の組織内部で激しい神経戦を繰り広げられるのだった。

 コスティガンの家系には犯罪者が多く、ビリーはそんな彼らをつぶさに見て育ってきた。そして、サリバンは幼いころからフランクの世話になり、たまり場に通って成長してきた。

 マサチューセッツ州ボストン南部という有数の犯罪多発地帯で生まれ育ち、警察官になったビリーとサリバン。そして、その地域で根を張る裏社会のボス、フランク・コステロ。複雑に入り組む3人の思惑と人間関係、犯罪組織の摘発を巡る警察とFBIの対立が絡み、緊迫した結末へと疾走していく。



【映画データ】
ディパーテッド
2006年(日本公開2007年)・アメリカ
監督 マーティン・スコセッシ
出演 レオナルド・ディカプリオ,マット・デイモン,ジャック・ニコルソン,マーク・ウォルバーグ,マーティン・シーン,レイ・ウィンストン,ヴェラ・ファーミガ,アレック・ボールドウィン

第79回アカデミー賞 作品賞・監督賞・脚色賞・編集賞受賞



映画:ディパーテッド 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり

★結末

 休日の朝、買い物に出たサリバンは買い物袋を抱え、エレベーターで自室のある階に降りました。前から歩いてくるのは同じフロアに住む夫人。彼女は犬を連れ、朝の散歩に出かけるようです。サリバンはいつものように犬に手を伸ばして挨拶しようとしますが、女性は犬のリードを引っ張り、あからさまにサリバンを避けました。

 サリバンは不審に思いつつ、自室の玄関ドアを開けると部屋の中にディグナムが立っています。「分かったよ」というサリバン。次の瞬間、彼の頭に弾丸が命中し、彼は倒れました。うつぶせに倒れたサリバンの死体から血がにじみ出し、次第に広がっていきます。そして窓の外を走りぬけていくネズミ。金色の議事堂の丸屋根が朝日に映えて美しい姿を見せていました。

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★4匹の「ネズミ」

 中国とコステロの取引現場を押さえようとしたSIUは失敗しました。コステロらは車を使わず、裏に船を着けて、そこから脱出したのです。捜査が見事に失敗した後、逃げようとしたビリーは、「間違いなくSIUにネズミがいる。ヤツらはカメラに気がついていた」と言っていました。

 あのとき、中国との取引現場を押さえる作戦について、サリバンは直前まで知らされていませんでした。これは内通者がいることを前提にして、作戦自体が極秘に計画されていたからです。そして、サリバンはSIUの監視があることを電話し、携帯電話を使うなとメールでコステロに伝えるだけで精いっぱいでした。さらに、あのときはSIU主体の捜査でFBIの関与はなかった。となると、裏口にカメラがないことを知らせ、コステロらの脱出を助けたのは一体誰だったのか。

 それは、結末で登場するもう1人の警察官バリガンです。彼もまた、警察内部のコステロの内通者でした。このカメラのエピソードは警察内部にサリバン以外の内通者が入る可能性を示しています。さらに、コステロの組織に潜入していた警察官デラハントの事件です。彼はクイーナン警部殺害時の銃撃戦により、致命傷を負って死亡しました。彼は番地を間違えて連絡したにも関わらず、やってきたビリーを見て、なぜ、言わなかったか分かるか、と言い、息絶えます。

 実際には、デラハントもビリーと組織に潜入していた警察官でした。ここでコステロの組織内部には2人の「ネズミ」がいたことが分かります。1人はデラハント、そしてもう1人はビリーです。ということは、SIU内部にも複数、内通者がいる可能性がある。結末のバリガンが唐突な登場にならないよう、伏線が張り巡らされています。

 ディグナムの復讐というかたちで幕を下ろす「ディパーテッド」。結末の解説を皮切りにして、ビリー、サリバン、そしてコステロの人生を辿ってみましょう。

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★サリバンの死

 ビリー・コスティガン、本名ウィリアム・コスティガン。まずは、ビリーの死後、起きたことからさらってみましょう。まず、ビリーの死を聞き、一番ショックを受けたのは誰であろう、マドリンです。彼女は既にサリバンの裏切りを知っていました。そして、すぐにビリーから預かった封書を開封したはずです。その中に入っていたのが何かは分かりません。ただ、それはビリーが潜入捜査官であった事実と、サリバンの裏切りを示す何かの証拠だったと思われます。

 ビリーの葬式に来ていたマドリンはサリバンをじっと目を見開いて見つめていました。それには自分を裏切った男に対する怒り、そして、ビリーを殺した男への怒りがこめられていました。マドリンは警察関係者です。彼女には、ビリーの封書を正義を全うするために託せる、どこか心当たりがあったのでしょう。かくして、ことの真相は白日の下へと晒されることとなりました。

 それはすぐに新聞等、メディアで報道されました。サリバンがエレベーターを降りたときにすれ違った女性がサリバンをあからさまに避けたのは、その報道を見たからだと思われます。「ウィリアム・コスティガンを功労章に推薦します」と勇気ある警察官としてインタビューを受けていたサリバンの仮面は剥がれました。

 いまや、サリバンは仲間を裏切り、殺した犯罪者となっていたのです。サリバンは同じフロアに住む顔見知りの女性に無視され、何かを感じ取ったでしょう。そのような振舞いをされる心当たりと言えばもう、一つしかない。サリバンが「ネズミ」であることが暴かれたということです。

 サリバンは自室のドアを開ける前、ドアに手を突き、顔を埋めて嘆息しています。女性の態度を見て、サリバンは勘付きました。彼は覚悟するしかない状況に追い込まれたことを知ったのです。部屋に入り、テレビや新聞を見るまでもない。ようは、「ばれてしまった」、そういうことです。

 ドアを開けるとディグナムの姿がそこにありました。証拠を残さないよう、靴にカバーをつけ、ジャージ姿で銃を構えるディグナムにサリバンは一瞬あっけに取られますが、すぐに彼の意図を理解します。事の真相がばれた今となっては、死んでもいい、死ぬしかない。サリバンは全く抵抗しようとはしませんでした。

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★サリバン

 サリバンは"金"と"地位"と"名声"、全てを欲しました。そして、それらを手にするためならば、手段はいといません。サリバンは全てをフランク・コステロというアイリッシュ・マフィアのボスに頼っていました。サリバンにはお金はありません。幼いころ、大量の食料品をコステロに買い与えられたときからずっと、そうでした。

 サリバンの家は経済的に豊かではありません。金持ちの子弟が通うような学校には行けない。実際、コステロに使い捨てられ、殺されたマイケル・ケネフィックとサリバンは同じ学校の出身でした。しかし、サリバンはコステロの金で勉強を続け、警察学校に入りました。そして、優秀な成績で卒業し、新人ながら私服刑事、そして特別捜査班(SIU)に編入されます。新人警察官でありながら、市内中心部の高級マンションに入居し、私生活でもステイタスを求めました。警察官の給料だけではこんな高級マンションには入居できません。

 入居の際、案内した不動産業者はサリバンの職業が警察官であると聞き、独身には部屋が大きすぎるだの何のと言って、サリバンと契約するのを渋っていました。不動産業者は安い警察官の給料では家賃がまかなえないことを知っていたため、支払いが滞るのを危ぶんだのでしょう。しかし、サリバンは連署人がいるという。間違いなく、このマンションにもコステロの金が流れています。

 しかし、コステロの金は"タダ"ではありません。この金に見合う働きをしなければ、金を止められてしまうばかりか、命までもが危うくなる紐付きの金です。しかし、抜け目ないサリバンはコステロのために働きながらも、同時に、コステロを利用し、自分の手柄を立てて出世していきます。まず、コステロの手下が殺したプロビデンス派の構成員の事件について、サリバンはプロビデンス派の男を逮捕しました。これはコステロの指示を受け、コステロが証拠品の捏造まで行った冤罪でした。サリバンが逮捕したプロビデンス派の男は無実です。しかし、サリバンはコステロの指示通り、指定された男を逮捕しました。

 「夕方のニュースに間に合う」、とサリバン。サリバンの相棒も、これで昇進だ、と喜んでいます。逮捕されたジミー・パパスは刑務所で心臓発作を起こしたあげく、病院でナイフ自殺しました。刑務所で脅迫されたのか、コステロに睨まれたことに絶望したのか。何はともあれ、これで無実を叫ぶ男の口は封じられました。真相は闇の中です。ジミーの逮捕から自殺までを「新聞にも出てた」と笑顔で上司に報告するサリバンには全くと言っていいほど、この哀れな男に対する情けはありません。

 「嬉しそうだな」と上司に言われると、サリバンは「結果が出た」と返し、「誰が得をする?」と聞かれると「とにかく事件は解決した」。サリバンは上司が手放しでこの成果を褒めてくれないことに不満げです。彼にとって、この男の死も次へのステップに過ぎない。どこかの不運な男が死んだからといって、サリバンには関係のないことです。「誰が得をする?」もちろん、逮捕に成功したサリバンが得をするのです。そして、サリバンにとって、それは仕事に対する報酬として当然のことでした。

 次は、コステロの部下・フィッツギボンズが逮捕された事件でした。サリバンは、フィッツギボンズの部屋に弁護士を装って入ると同僚に見せかけつつ、フィッツギボンズに電話をかけさせ、コステロの部下フレンチに警察の手が迫っていることを警告します。こうしてコステロに対する義務は果たしました。

 サリバンは続いて警察官としての仕事に取りかかります。フィッツギボンズのかけた電話を基にして家宅捜索令状を取り、コステロの仕事場に踏み込むことに成功します。もちろん、結果は空振り。しかし、これでサリバンには警察官としてまた一つ、昇進の材料が増えました。サリバンはフィッツギボンズの事件を利用して、コステロと警察、両方に顔を立てたのです。

 このとき、サリバンはフィッツギボンズに部下の携帯電話を使わせていました。後から捜査の適法性が疑われたときに、自分が主導し、関与したという直接的な証拠を残したくなかったから。携帯電話を使われてしまった部下はサリバンを咎めますが、後の祭りです。サリバンという男は必要ならば、同僚や部下さえ、踏み台にする人間であることを窺わせるエピソードです。

 サリバンの仲間をも犠牲にする冷酷さが顕在化したのはクイーナン警部の事件でした。サリバンはコステロの組織内部のネズミを洗い出すため、危険を承知でクイーナン警部に尾行を付けさせたのです。結果は危惧していた通りでした。クイーナン警部はコステロの部下に捕まり、突き落とされて殺されたのです。サリバンは目的のためなら手段を選ばない。それは、仲間の命であっても見知らぬ他人の命であっても同じでした。

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★マドリンとサリバン

 このように要領のいいサリバンは女性にもステイタスを求めました。サリバンを高く評価している彼の上司は既婚者は出世が早い、とサリバンに家庭を持つように勧めます。サリバンはそんなことは百も承知でした。彼は「医師の彼女がいます」と得意げです。

 マドリンに出会ったのはエレベーターの中でした。彼はエレベーターを止め、一生懸命に話しかけます。それは彼女が美人だっただけではありません。彼女が警察関係者で、しかも、医師であり、一流大学を出た女性だったからです。サリバンにとって何が重要か。それは出世です。新人警察官として着任したころからずっとそうでした。

 「俺は上を目指す」。彼は常に成功を夢見、またそのために努力することをいといませんでした。警察内部で出世するためには、警察関係者で地位のある仕事をしている妻がいるということは有利に働きます。サリバンはマドリンという女性、それ以上に、マドリンの有する社会的ステイタスに一目惚れしました。

 やがて、サリバンと一緒に住むことにきめたマドリンは引っ越し作業に入ります。マドリンが真っ先に持ち込んだのは、写真や記念品など、彼女の思い出の品を詰め込んだ段ボール箱でした。しかし、これをサリバンはさっさと別の部屋に持って行ってしまいます。そして、リビングにはそれらを置かないと宣言しました。子供のころの写真も置かない、そして自分のも置かない、と。マドリンは子供のころの写真を気に入っていました。ログハウスの前の芝生にいる幼いころのマドリン。彼女は、この写真を大きめの額に納め、いつも壁にかけていたのです。それを、「居間には合わない」というサリバン。

 マドリンはそれを聞いて顔をしかめていました。このとき、彼女はサリバンに違和感を感じていました。彼はマドリンを愛している。でも、それ以上に、彼は""見た目""を気にしている。成功した若いカップルというイメージを作り上げ、そのイメージにそぐわない物を排除しようとしている。

 サリバンがマドリンを愛していたのは事実でしょう。しかし、サリバンはそれよりも、マドリンという理想の女性といる完璧な自分を愛していました。美人で医師の妻と議事堂を望む眺めの良い高級マンションに住み、きれいに片づけられた素敵なリビングで暮らす自分。そのイメージを壊す、人間臭いものはリビングには置きたくなかったのです。サリバンの子供のころの思い出と言えば、Lストリートでフランク・コステロのたまり場に出入りしていたような泥臭い記憶しかない。

 マイケル・ケネフィックの聞き込みに行ったとき、相棒が「別世界だ」と驚いていた、あの薄汚い街がサリバンの子供時代の記憶です。サリバンにとっての子供時代は、今につながるコステロとの裏のつながりの起点となった時代です。その泥臭い子供時代の記憶を想起させるマドリンの子供時代の写真は、このマンションには置きたくありませんでした。

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★サリバンとコステロ

 サリバンには「上を目指す」という野心しかありません。理想や信条などはない。彼は都合よく人間を利用し、踏み台にして上を目指すことに何も良心の呵責を感じません。彼は冤罪で逮捕し、後に自殺したジミー・パパスを始めとして、クイーナン警部を死なせ、フランク・コステロを殺しました。

 そもそも、サリバンは警察学校を卒業し、新任警官の着任式が終わった帰りにはフランクの車に乗り込んでいました。サリバンには最初から正義のために働くつもりなどありません。警察官となって初めての警察に対する裏切りは尾行を教えることでした。しかし、サリバンには迷いはありません。彼にとっては全ての人間が道具であり、手段でしかない。

 このサリバンの徹底した合理性はコステロが幼いサリバンに教えこんだものでした。彼は「自分で奪え。""我は服従せず""」と幼い少年に教えます。「男なら自分で道を切り開け」。サリバンはこれを実践しました。コステロはビリーに、「何か見たらそこから何を引き出すか」が重要だと語っていました。つまり、ビリーを見たとき、ビリーを「何に利用できるか」と考えることだ、と。サリバンはこのコステロの考えを徹底し、コステロの道を継ぐ者だったのです。

 そして、コステロとサリバンの違いが何かと言えば、それは1つしかない。それは、サリバンが警察官であるということです。サリバンは権力を行使する側にある。しかも、その権力はコステロの権力と違い、正義の側に立つ力。その権力を持つ者がした行為は正義とみなされ正当化される。

 頭のいいサリバンは自らの持つ警察官としての優位性を自覚していました。彼は何度も繰り返し「僕は警察官だ」と語ります。犯罪が減ると仕事がなくなるわね、というマドリンに「無実の人でも逮捕するさ」。マドリンは冗談と受け止めていましたが、サリバンにとっては当然の思考でした。正義とは何か、は権力を持つ者が決める。権力は正義。力こそが正義です。正義がいかなるものかなどということは考えたこともないし、考える必要すらない。

 それに対置されているのはマドリンです。彼女はなぜ分析医になったのかとサリバンに問われ、「人助けのため」、と答えました。サリバンはしばらく無言で、「…なるほど」と答えただけ。マドリンは理想を持っています。分析医という職業にある者として、その使命が何かという考えをもっている。

 なぜ、学歴も資格もあるやり手なのに、収入の低い州の仕事に就いたのか、とサリバンに聞かれ、マドリンは「公共奉仕の精神を信じてるの」と答えていました。サリバンには職業的使命や、いわんや公共奉仕の精神などはありません。全ては自分の出世のためのもの。自分の欲得と職業を結びつけないマドリンの思考はサリバンには理解しがたいものでした。

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★コステロからは逃げられない

 マンションの部屋から見える金色のドーム型の屋根。いつか、議員としてそこに行く夢をサリバンは持っていました。彼の溢れんばかりの野心と抜け目のなさは彼を順調に押し上げていきましたが、最後は足元をすくわれました。

 サリバンは警察官にならずに、ロースクールに行っていれば良かったとマドリンに弱音を吐いたことがありました。引っ越そうかな、とまで言う彼ですが、もちろん本音ではない。ここまで足を突っ込んだ今となっては、もうコステロから逃げることはできません。そして、サリバンもそのことを分かっている。他の街に逃げても、サリバンは追ってくるでしょう。そしていつかは殺される。

 「一から出直せるかも」というマドリンの言葉はサリバンにとって、夢でしかありません。幼いころからどっぷり浸かってきたLストリートという沼地からサリバンは一生抜け出せない。あがけばあがくほど、沈んでいくだけです。どれだけ、上を目指しても、ずっとコステロら裏社会のつながりは断ち切れない。「一生アイルランドのダメ男さ」というサリバンの弱気な言葉は、ひたすら野心に燃えて生きてきた男の本心なのかもしれません。

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★"ビリー"・コスティガンとして

 ウィリアム・コスティガンは"ビリー"・コスティガンと名乗り、コステロの組織に潜入することになりました。彼の家族には裏世界で生きてきた者が多かったことから、特にウィリアムが指名されたのです。

 ビリーはいとこのショーンと麻薬の密売を始めることから裏社会への入り口を開きました。いとこのショーンとともに、コステロの仕切る界隈で商売をするビリーのことはすぐにコステロに報告されます。ビリーはコステロの仕切る地区にいること自体がマズいとショーンに警告されていました。しかし、ビリーはそれを承知で、密売を続けていました。コステロとのトラブルはコステロの組織に入る近道だと考えたからです。

 ある日、コステロの仕切る酒場に入ったビリーはコステロの側近フレンチの近くに座り、クランベリー・ジュースを注文しました。フレンチはこれに食いつきます。フレンチにからかわれたビリーはフレンチを思いきり殴りつけ、コステロに仲裁に入らせました。ビリーの思い通りの展開でした。自分の存在と乱暴さをコステロに見せつけ、肝の据わった使えるやつだ、と思わせること。そうでもしない限り、新人がいきなり組織の中枢へは入っていけません。コステロを目の前にして、再びクランベリー・ジュースを注文するビリーはコステロに強烈な印象を残しました。

 今度は、ビリーはコステロの側に付く、と示すことにします。食事に訪れた雑貨店兼ダイナーで、みかじめ料の取り立てをしていた男たちを殴り飛ばし、ノックアウトしたのです。男たちに絡む前、ビリーは「プロビデンスか?」と彼らに尋ねていました。ビリーは、男たちが、コステロの組織に対立していたプロビデンス派の構成員であることを確かめていたのです。

 プロビデンス派の構成員に暴行したビリーはコステロの側に付く者であることが明らかにされました。プロビデンス派は復讐のため、ビリーを付け狙うようになるでしょう。そして、そのビリーをむざむざと殺害されてしまえば、ボスのフランク・コステロの面子が立たなくなります。必ず、コステロはビリーに接触してくる。あとは酒場で待つだけでした。かくして、コステロはビリーの前に姿を現します。彼はビリーがプロビデンス派に狙われていることを告げ、ビリーが警察の紐付きではないか確かめたのちに、ビリーを仲間として承認することにしました。こうしてビリーは、コステロの組織の中枢部に潜り込むという難関を突破したのです。

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★コステロとサリバン

 コステロには息子はいません。彼はそれを気にしていました。コステロの最期、サリバンはまるで「息子同然」と言いかけるコステロを遮り、「人殺しに薬に女、子供もいない!」と怒鳴ります。これがきっかけとなり、コステロとサリバンは撃ち合いました。コステロは虫の息になりますが、それでもサリバンを撃とうとし、止めを刺されます。コステロはサリバンに撃たれる前に既に負傷していました。もう、死という結末は見えていたのです。サリバンを道連れにするつもりならいつでもできた。それでも、コステロはサリバンにすぐに発砲はしなかった。彼が発砲したのは、サリバンの言葉がきっかけでした。

 コステロはサリバンの言葉に怒りました。それは彼の人生を否定する言葉だったからです。「男なら自分で道を切り開け」。コステロにとって、自ら切り開いてきた人生を否定されることは最も耐えがたいことでした。これを裏返せば、サリバンの指摘するところはコステロにとって最も痛い点だったということです。彼には若い妻はいますが、子供はいません。妻は夫に無関心で、夫婦の仲は決して温かいものではありません。

 コステロは子供が欲しかったのでしょう。だから、サリバンを息子のように愛し、面倒を見た。しかし、サリバンは息子にはなりえませんでした。何もかもを利用関係で考えてしまうコステロの思考、そしてその考え方をそっくりそのまま受け継いでしまったサリバン。2人の関係は親子関係以上に、利害が優先する関係になっていました。コステロには彼を愛し、慈しんでくれる人はいない。美人の妻はいるけれど、彼女はコステロが死んで悲しむような女ではない。そして、息子同様に面倒を見たサリバンにも、「息子はいない」と否定された。コステロは彼の人生で最も深刻な欠点を指摘されたのです。

 しかし、これらの指摘はコステロの生き方を受け継いだサリバンにもそのまま当てはまるものでした。サリバンは結局、マドリンに逃げられ、彼女が妊娠した息子も失います。ビリーの葬式に来たマドリンは「子供は?」と聞くサリバンを無視して通り過ぎていきました。そして、最後はディグナムに殺される。

 コステロの生き方は金と権力を手に入れられるかもしれませんが、愛してくれる人を失い、自らを憎む者に殺されるという末路を辿る人生でした。人を利用し、踏みつけて生きる者は、憎まれ、あるいは逆に利用され、裏切られる覚悟を持たねばならない。そして、愛する者もやがて傍を離れていく。残されるのは自分一人の孤独な人生です。サリバンが非難したコステロの人生は、そっくりそのまま、サリバン自身の人生でした。

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★コステロの心配

 コステロはビリーの父親の話をします。「もし、パパが生きてて、俺たちを見たら、きっと怒りまくる。7人殺してでも俺のノドを裂く」。そして、コステロはビリーに学校に戻る気はないかと尋ねます。全くそんな気はない、というビリーに「後悔するぞ」と言い残し、コステロは席を立ちました。

 コステロは堅気で通したビリーの父親のことをよく知っていました。ビリーの親族は、伯父はノミ屋ですし、ジャッキー・コスティガンは高名な犯罪者、いとこは麻薬の売人です。ビリーの父親にも裏社会への扉は開いていました。このように犯罪が身近な環境にありながら、金が儲かるわけでもない空港の荷物係の仕事をし、堅実に生きたビリーの父親、その父親をコステロは評価していました。

 金に流れず、欲を出さず、決してその意思を曲げなかった。コステロはビリーの父親を犯罪者になる勇気がなかった腰抜けとは思っていません。それどころか、彼を高く評価していました。「男なら自分で道を切り開け」。ビリーの父親とコステロは正反対の生き方ですが、一つの意思を貫き、決して曲げなかったという点で共通していました。そして、そのようなビリーの父親にコステロは共感を抱いていました。

 コステロとしては、そんな父親を知っているからこそ、息子のビリーを犯罪者の道へと巻き込むことに躊躇を覚える気持ちがありました。このまま、コステロにビリーが付いていけば、彼は確実に犯罪者になるでしょう。そしてそれ以外の道はない。ビリーの父親が、息子の現状を知ったら、コステロを許さないでしょう。きっと、守るべきものを守るため、どんな手段にでも訴える。ビリーが警察官であることを知らないコステロは本気でビリーを心配していました。ビリーの父親を一人の男として認める気持ちがあるからこそ、コステロはビリーの将来を気にしたのです。"

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★「あんたにはならない」

 ビリーには父親の生き方が身に染みついていました。犯罪者になる生き方はしない。彼は母親の病院に見舞いに来た伯父に鋭い言葉を浴びせ、追い返していました。葬儀の費用を負担しようという伯父の申し出にもビリーは応じません。犯罪で得た金の世話にはならない。母親が死んだら伯父と縁を切る、とまで言うビリーは強い意思で人生を生きた父親の生き方を受け継いでいました。

 ビリーは組織の中にネズミがいると疑いを抱くコステロに「誰があんたを出し抜くか、だ」と告げます。そして、「俺ならできるさ」。しかし、ビリーはこう続けます。「でもなりたくない。あんたには」。このとき、コステロは確信しました。やはり、ビリーは犯罪者ではない、ビリーはあの父親の息子だ、と。彼は席を立ち、こっそりと背後からビリーに近づき、ビリーの臭いを嗅ぎます。そして、テーブルに置き忘れたタバコを取りに戻ったふりをしてごまかし、帰っていきました。

 長年、組織のボスとして様々な人間を見てきたコステロの目はごまかせません。ビリーからは、さっきまで自分がいた場所、あの路地の臭いがする。そして、コステロがさっきまでいた場所とは、サリバンと会っていたポルノ映画館、そして中華料理店が並ぶ道筋です。あの路地の臭いがするということは、ビリーはあの場所にいたということ。偶然、そこにいたわけがありませんから、当然、サリバンとコステロの密会をビリーに見られていた、ということです。そして、そんな真似をするということはビリーが「ネズミ」だから。ビリーは犯罪者ではない。コステロはビリーの臭い、そしてビリーの話から彼が警察官であることを見抜きました。

 しかし、彼はこれを表沙汰にはしません。そして、最後まで沈黙したまま、サリバンに射殺されました。コステロは弁護士にサリバンとの会話を録音したCDを預けていました。これを自分の死後の保険としてビリーに託したのです。「コステロは誰よりも俺を信用してた」、そうビリーは言います。コステロはビリーの父親を一人の男として信頼していました。そして、その父親の意思を受け継ぐビリーを信用したのです。

 「金のために動かないやつは厄介だ」、とコステロは言っていました。そして、命の危険を冒してコステロの組織内部に潜入し、危険の中に身を置いているビリーも、金のために働いているわけではない。特別手当が出るとはいえ、命を危険にさらすことになる潜入捜査は、その人に強い使命感、強い意思がなければできないことです。ビリーは何度も挫折しかけました。SIUが、中国との取引現場を押さえそこなったときは、高跳びしようと空港まで逃げ出したほどです。

 しかし、彼は結局戻ってきた。結局、彼には警察官としての使命感がありました。決して譲ることのできない、最後の一線をビリーは持っていました。その一貫した意思をコステロは評価しました。ビリーは、彼の父親と同様、「金のために動かないやつ」でした。コステロは、ビリーが警察官であるという事実を承知の上で、サリバンとの会話の録音という重要な証拠を託す相手としてふさわしいと考えたのです。

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★警察、FBI、そしてコステロの関係

 コステロがこの録音を警察に提出するようにと弁護士に指示していなかったのは面白い点です。なぜ、警察ではなく、ビリーなのか。それは警察よりも、ビリーが信用できるからです。コステロ自身、サリバンら警察官を内通者として持っていたように、警察内には裏切り者がいます。それに、警察内部では様々な権力の力学が働いていました。州警察とFBIの対立もそうですし、SIU内部でも権限を巡る争いがありました。警察に提出しても、証拠が握りつぶされる恐れがある。それよりも、個人的に人柄を知っているビリーが一番信頼できる。コステロが信用するのは警察という組織ではなく、ビリー・コスティガンという1人の男でした。

 コステロ自身、警察権力の権力闘争を利用して、組織を維持してきていました。FBIと州警察は権限が重複することから、縄張り争いやライバル競争が激しく、それぞれに犯罪組織に情報提供者を持ち、その情報を完全に共有してはいません。だから、州警察ではFBIがどの組織にどういったつながりを持っているのかが分からない。むしろ、これをよく知っているのは犯罪者の側でした。ビリーは取り立てに行った先のノミ屋からコステロがFBIの手先だと知らされ、驚愕します。逮捕が遅れに遅れていた理由の一つは、コステロがFBIの協力者だったからでした。

 ビリーがコステロの組織に入ろうとプロビデンス派と暴力沙汰を起こしたとき、コステロは「サツはプロビデンスに肩入れしてる」と言っていました。このことから、州警察はプロビデンス派とのつながりが強かったことが分かります。これに対抗するためには、コステロは別の警察権力と結びつく必要がありました。警察とプロビデンス派の結びつきを指摘するコステロの言葉は、コステロとFBIの協力を窺わせる発言だったのです。

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★サリバンとコステロ

 サリバンを息子のように思う気持ちがコステロにはありました。サリバンが幼いうちから目をかけ、面倒を見てきたのは、彼を警察に送りこんで内通者にさせるためではないことは確かです。しかし、コステロがサリバンの働きを必要とし、また、サリバンもコステロの力を必要とし、コステロを利用して野心を達成しようとしたために、二人の関係は歪みを見せ始めました。コステロとサリバンの関係は親子のようでありながら、仕事上のパートナーとしての共生関係にもあったのです。

 そうなれば、大人の利害関係が2人の関係に加わってきます。サリバンにはコステロのような生き方を排除する意思はなく、むしろ、コステロを自分の得になるように利用したいと思う気持ちがありました。コステロとしても、警察内部の情報を流す内通者としてサリバンを取り込んでおくのは重要です。利害が一致し、しかも、サリバンにコステロとの関係を積極的に利用したいという気持ちがある以上、サリバンとコステロの関係に、相互利用から生まれる利害関係が加わるのはどうしようもないことでした。

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★コステロが邪魔になる

 利害関係が加われば、2人を規律するのは仕事のルールです。仕事に失敗は許されず、与えられる利益に見合った仕事の成果を出す必要があります。裏切りは許されず、裏切り者には死の制裁が待ち受ける。そこには親子の情愛、情けによって許されるというグレーゾーンはありません。仕事に失敗は許されません。当初、コステロの指示通りに犯人とされた者を逮捕し、家宅捜索の情報を流すサリバンの仕事ぶりにコステロは満足していました。

 しかし、次第に雲行きが怪しくなってきます。サリバンは警察内部で昇進し、自信を付けていました。出世街道をひた走るサリバンはもう、コステロなしでもやっていけるところまできていました。むしろ、コステロはさらなる出世を望むためには邪魔な存在になっています。何しろ、危険すぎるからです。コステロとの秘密のつながりがばれたら、サリバンは一巻の終わりです。

 さらに、"ネズミ"騒動がありました。コステロは組織内部のネズミの洗い出しをサリバンに要求していました。しかし、それが誰か、皆目見当がつかない。クイーナンを尾行させ、クイーナンが密会する相手が覆面捜査官だと当たりをつけたものの、間一髪で逃げられてしまい、さらにクイーナンは殺されてしまいます。警察内部でも、コステロのネズミがいると問題になっています。そして、その洗い出しを任されている。

 サリバンは追い詰められていました。この状況下において、コステロは邪魔な存在でしかない。幼いサリバンの父親代わりとなり、あれこれと面倒を見てくれたコステロですが、今となっては、足手まとい。サリバンの成功を阻み、出世の足を引っ張りかねない存在になっていました。

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★サリバンを売り渡す

 一方、コステロにとっても、サリバンは頭の痛い存在になりつつありました。かつて、息子のように可愛がり、面倒を見てやったサリバンでしたが、今のサリバンはかつてLストリートに入り浸っていたころのサリバンではなくなっています。大人しくて従順だったサリバンは、今や野心に燃え、コステロすら排除しかねない勢いで出世街道をひた走ることに執着していました。

 コステロの最期の地となったシェフィールドの倉庫。そこへ麻薬の取引に向かっているとき、サリバンは尾行が付いていると連絡してきました。そのサリバンをコステロは罵倒し、「いまいましいネズミめが」と悪態をついていました。これは後部座席に座っているビリーに対するものではなく、尾行をやめさせることに躊躇するサリバンに対する悪態です。

 これより以前から、口のきき方が高圧的になり、不十分な情報で「命拾いをしたろ?」と言ってのけるサリバンにコステロは不満を抱いていました。中国との取引でカメラの情報を提供したのはサリバンではありません。なのに、仕事をした気でいる。サリバンは次第に、コステロの支配下を離れようとしていました。コステロはそれを感じていたのです。

 サリバンはコステロの精神を受け継いでいました。""我は服従せず""。他人は利用するものである。コステロには、サリバンがいずれ自分を排除しようと動くことが分かっていました。エリートとなったサリバンにもはやコステロの力は必要ない。むしろ、サリバンの命を脅かす存在であるコステロの組織はサリバンにとって脅威です。いずれ、サリバンはコステロの組織を壊滅させる。サリバンはそれを躊躇することはないでしょう。コステロはFBIにサリバンを売り渡すことを決めていました。

 サリバンとコステロ。二人は親子になりきれなかった親子でした。父親として接する気持ちに疑いはなく、コステロを尊敬する気持ちに疑いがなかったからこそ、サリバンはコステロの生き方をそっくりそのまま受け継ぎました。しかし、そのことが二人の関係をおかしくしていきます。疑似親子関係にあった2人の関係はここに至って崩壊します。

 最後は情より、利害が優先する。コステロの生き方をそのまま履践するなら、情より利害です。最初からこの結末は見えていました。コステロはサリバンを始末し、サリバンはコステロを排除する。本当の親子以上に似ていたサリバンとコステロは、互いにお互いを葬ることを決意したのです。

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★皆殺し

 コステロは幼いころ、警察官か犯罪者になると言われたといいます。そして、コステロに言わせれば、「銃と向き合えば違いはない」。

 「銃と向き合えば違いはない」。銃の前では、いかなる人間も、無力です。命を落とし、ディパーテッドとなる。圧倒的な暴力の前では、聖人も悪魔も沈黙するしかありません。銃がある場においては、銃こそが力、銃こそが正義です。

 しかし、警察官と犯罪者、この両者には決定的に違うところがあります。それは、警察官は金のために引き金を引くことはないということです。本当に引き金を引くのは、自らの命を守るため、絶対的に必要になったときです。損得勘定で誰かを殺すことはない。

 犯罪者は違う。命がかかった状況以外の理由でも、引き金を引ける人のことを犯罪者という。損得勘定で相手に対して弾丸を撃ち込める者は犯罪者です。そして、警察官であっても、そのような振舞いができるならば、その人は警察官とはいえない。

 ビリーはサリバンを撃ちませんでした。そして、警察学校で同級生だった黒人の警察官もビリーを撃たなかった。彼らはぎりぎりの状況に追い込まれながらも、決して相手を撃つことはありませんでした。一方、バリガンは迷いなくビリーを射殺しました。もちろん、口封じのためです。サリバンはバリガンを射殺しました。口封じのためです。これで、秘密を知る者はいなくなる。

 バリガンやサリバンが撃ったのは保身のためです。彼らは警察官でありながら、警察官ではない。犯罪者です。サリバンは、自分を逮捕するというビリーに「警官は俺だ」と主張しました。しかし、彼は警察官というバッジを持つ犯罪者に過ぎません。サリバンが自分を撃て、とビリーに言ったとき、ビリーはサリバンを逮捕することに執着しました。それは「演奏付きの立派な葬式」を出させたくなかったから。つまり、サリバンのしたことが暴かれないまま、サリバンが警察官として死ぬことを許せなかったからです。

 警察官とは、警察バッジを持っている者のことではなく、警察官としての使命感を持ち、正義のために働く者のことをいう。ビリーにとって、サリバンのように性根の腐った者は警察官を名乗るに値しません。サリバンを呼びだした建物の屋上は、かつて、最後にクイーナン警部とビリーが会った場所でした。クイーナン警部は殺されました。そのきっかけを作ったのは、クイーナン警部に尾行を付けたサリバンでした。

 「起訴は関係ない!逮捕できれば!」と言うビリー。サリバンの犯した罪は白日のもとにさらされねばならない。ビリーはそのために逮捕に固執し、サリバンを殺そうとはしませんでした。

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★ディパーテッド

 「departed (ディパーテッド)」とは名詞で、御霊(みたま)、あるいは故人、死者という意味を持ちます。""御霊""という言葉に象徴的ですが、単なる""死者""という意味よりも宗教的な意味合いが強く、死者を追悼する意味合いが強い言葉です。似た単語に「dead」があり、これは死人、死者という意味で、「departed (ディパーテッド)」と類似していますが、「departed (ディパーテッド)」のような宗教的な意味合いは薄い言葉です。

 また、「depart」は動詞で、""depart this world (この世を去る)""というように使います。「departed」はその過去形です。この映画のタイトルは死んだ者たち、という意味であり、そこから連想されるのは、コステロ、ビリー、サリバンらが次々に死を迎える「ディパーテッド」の結末です。

 死ぬのは簡単じゃない、生きるのは容易だけれど、とマドリンは言っていました。人間は生きたいと思うもの。どんなに絶望的な状況で、死ぬしかない、死にたいと思っていたとしても、いざ、自ら人生を終わらせるという行為には勇気が必要です。生きたいと思う、それは人間である限り、当然のことでもあります。全てを失った状況へと追い込まれても、なかなか自分から人生を終わらせることはできません。ビリーに追い詰められたサリバンは「撃ってくれ」とビリーに自分を撃たせようとしていました。でも、自ら死のうとはしない。その勇気はない。結局、死ぬのは簡単ではありません。

 ビリーの葬式後、事の真相がついにばれたことを覚悟したサリバン。それでも、ディグナムに殺されなければ、そのまま生き続け、裁判を受けることになったでしょう。死にたいと願ったところで死は訪れず、生はだらだらと続いていく。ところが、他人から与えられる死は突然やってきます。心構えの必要もありません。ビリーはバリガンに殺され、ディグナムにサリバンは殺された。どちらもあっという間の出来事でした。

 引き金を引かれ発射された弾は人間の体に食い込み、肉を引き裂きます。警察学校で習った通りの経路を辿って内臓器官を破壊する。ビリーやサリバンが警察学校で学んだことは、皮肉にも、自らの体で証されることになりました。

 皆、死んでいきました。人殺しのコステロも、コステロを殺したサリバンも、突然射殺されたビリーも、ビリーを殺したバリガンも。今は皆、"ディパーテッド"です。死んでしまえば、皆同じ、一人の死者となる。あの世に権力や金や麻薬は持っていけません。憎悪も怒りも失望も全てこの世に置いていけばいい。この世で愛憎にまみれ、激しい感情に翻弄された者たちも、"ディパーテッド"として永遠の安らぎを得る。悪人も善人も、皆安らかに眠れ。「すべての死者の魂が憩われますように」。

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