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映画レビュー集> 『さ行』の映画

最後の晩餐 平和主義者の連続殺人

映画:最後の晩餐 平和主義者の連続殺人 あらすじ
※レビュー部分はネタバレあり

 最後の晩餐 平和主義者の連続殺人。なんとも派手な題名だが、内容は社会派ブラックコメディ。かなりしっかりした作りの映画で題名で敬遠すると損するなあと思った映画の一つ。

最後の晩餐,平和主義者の連続殺人

↑イエス・キリストの最後の晩餐


 アイオワ州で共同生活をする5人の大学院生が主人公。彼らはリベラルな思想をもつグループで、それぞれ政治、心理学、法律などを専攻している。

 ある雨の日、彼らのうちの一人が見知らぬ男に家まで送り届けてもらう。そこで、お礼にとその男を夕食に誘うことに。

 しかし、彼は保守的な思想の持ち主であった。食事の席での議論は白熱。リベラル派の大学院生たちとの夕食での議論は紛糾する。そしてちょっとしたアクシデントからついには彼を刺殺する結果に。

 驚き、動揺する彼らだが、これは正義のため、世のためになることだと納得することにする。そしてとりあえず彼を庭に埋めておくことに。

 そしてあるアイディアを思いつく。そうだ、保守派の人々を招待してこの世から消えてもらおうと…。

最後の晩餐,平和主義者の連続殺人

↑イエスが最後の晩餐で振舞ったのは赤ワインと一かけらのパン.


 なかなかの掘り出し物。女優として『マスク』でヒットを飛ばしたキャメロン・ディアスの次なる出演作。

 でも、これはキャストを見るべき映画ではない。それよりも断然際立つのは、この扱うテーマの面白さ。

 ただの議論が暴力に至ったら?心から正義を愛しつつ、正義のために殺人をいとわない彼らにご注目。

 タイトルの「平和主義者」には異議あり。恐らく「連続殺人」と対比させたかったためのネーミングだろう。かれらはリベラリストではあるが、リベラリスト=平和主義者ではない。原題は『The Last Supper』。



【映画データ】
最後の晩餐 平和主義者の連続殺人
1995年 アメリカ
監督 ステーシー・タイトル
出演 キャメロン・ディアス、ジョナサン・ペナー、他



最後の晩餐,平和主義者の連続殺人

↑最後の晩餐で使用したとされる聖杯.代表的な聖遺物の一つ.


映画:最後の晩餐 平和主義者の連続殺人 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり

★『最後の晩餐 平和主義者の連続殺人』が笑うもの

 この映画では両極端なリベラルも保守派も笑い飛ばされています。

 リベラルは言うまでもなく大学院生5人のことで、彼らは「排除すべき」意見や考え方を持つ招待客を殺しまくり、果ては犯罪隠ぺいのため、保安官まで殺害。
 招かれた保守派の客たちも、その極端でときに自己矛盾した主張にはあいた口が塞がりません。

 極端な保守でもなく、極端なリベラルでもなく、じゃあ中道を行けということ? 

最後の晩餐 平和主義者の連続殺人
         
 『最後の晩餐 平和主義者の連続殺人』には中道派の代表と目されるTVリポーターの男も出てきます。この男、意外とまともかと思いきや、大学院生全員を殺してしまいます。

 さらに、大学院生との食事の席では大統領のような権力には興味がないと言いながら、最後はどうやら大統領選に名乗りを上げているようです。

 加えてその演説の内容。「みなさんの声に押されて…」。

最後の晩餐,平和主義者の連続殺人

↑最初のうちは手の込んだ料理を出していましたね.


 アメリカ大統領選といえば、保守代表の共和党かリベラル派の民主党のほぼ2政党しかないわけで、TVリポーターの男はどちらかから出馬したことが推測されます。
 
 これは保守でもリベラルでもどちらでもないといいながら自分の考え方を持たず(ただし、大統領選に出馬したい意思は自分のもの)、日和見的にその時の時流に乗っている方を選択する中道派を自称するご都合主義な人々を皮肉っているのです。

 つまり、『最後の晩餐 平和主義者の連続殺人』は両極端なリベラル・保守主義を笑い、中道派を自称する人をも笑い飛ばす映画なのです。

最後の晩餐 平和主義者の連続殺人


★映画の深層

 さらに、深読みしてみましょう。

 リベラル・保守というような思想の色を取りのけて、単純にこの映画の人物たちの対立構造に着目してみます。

 すると、ある考え方を持つ者が、正義の実現を掲げて、対立する思想の者を排除する図式になっていることが分かります。

 さらに、大学院生たちは自分たちの思想に合わない者は、心変わりしない限り殺すというルールを作って、選択肢を殺人という暴力的手段に狭めてしまっています。

最後の晩餐 平和主義者の連続殺人

 
 「正義」の相対性、一義的な定義の不可能性から、なにが正義かを決めてその枠から外れる者を排斥する考え方は全くナンセンスです。  

 しかし、大学院で勉強している頭脳明晰なはずの学生たちは正義の名に目が眩み、その論理のいびつさに気が付いていません。

 正義を標榜する学生たちにはその論理のおかしさがもはや見えなくなっていたのです。

最後の晩餐 平和主義者の連続殺人

 
 『最後の晩餐 平和主義者の連続殺人』は1995年に製作されました。90年代はソ連崩壊後、アメリカが世界の警察としての矜持を保つため、戦争や紛争介入が繰り返された時代。

 1991年にアメリカは湾岸戦争に参戦していますし、同時期にはボスニア紛争が勃発しました。

 一方で、ベトナム戦争の悪夢の再現を恐れるアメリカが、自国の直接関係しない戦争に介入することの負担を感じていた時期でもありました。                              
                            
 民族紛争においてはどっちもどっちという場合が多く、どちらが善・悪とは一概には決められません。

 このような場合にどちらかを悪と決めて介入してきたアメリカ外交政策。そこに基底して流れるのは「善悪区分論」です。9.11後の「悪の枢軸論」にも見られるこの論理は、ブッシュ政権下で突然に登場した理論ではありません。
 
 この理論は自分たちの思想に絶対的な「正義」を見出して従わない者に暴力行為を繰り返した大学院生たちの論理にそっくり。

 アメリカ外交政策に対する暗喩がこの映画には込められているような気がします。

最後の晩餐,平和主義者の連続殺人

↑大学院生たちが出した食事は、最後にはファーストフードになっていました.
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ジャック

映画:ジャック あらすじ
※レビュー部分はネタバレあり

ロビン・ウィリアムズ主演。通常の人の4倍の速さで発育する病気を持つジャックと周囲の人々の交流、そしてジャックの成長を温かい視点で描く。

 ロビン・ウィリアムズが少年の知能を持ちながら体は大人という難しい役どころを好演している。ジャックを心から愛している母親にはダイアン・レイン。ジェニファー・ロペスも小学校の教師役で出演していてなかなかの好印象。

ジャック


 この映画の主人公ジャックは難病を患っている。1年たつとジャックには4年が経過していることになるという病気だ。現在10歳のジャックの体は40歳に達していることになる。

 両親はジャックを心から愛しているが、その愛情ゆえに、学校に通わせていじめを受けることを恐れ、外に出さず、家庭教師をつけて教育をしていた。
 ある日、ジャックは家庭教師の先生から学校の話を聞き、学校に行くことを決意する…。

 エンドロールを眺めながら心に残る余韻を味わえる映画『ジャック』。惜しみない人間への賛歌が伝わる感動作。



【映画データ】
ジャック
1996年(1997年日本公開)・アメリカ
監督 フランシス・フォード・コッポラ
出演 ロビン・ウィリアムズ、ダイアン・レイン、ジェニファー・ロペス


ジャック


映画:ジャック 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり

★ジャックの生きた時間

 人間って素晴らしいな、と単純に思える、本当に感動した映画でした。
 
 初めて小学校に入学したジャックを、最初は子供ならではの残酷さでモンスター扱いしながら、次第にジャックを受け入れていく友達。本音で接するからこその深い友情が後に生まれることになります。
 そしてときに心配をしすぎるほどの深い愛情でジャックを包む両親。折に触れてジャックを導く家庭教師の先生。       
 
 人間の命は100年に満たないものです。誰もかれもが必ず迎える死。

 その瞬間が訪れたときにその命を計るのは生きた時間の長さではないことは確かです。それは高校の卒業スピーチをする彼の生き生きとした姿をみれば明らかなこと。

 見た目は老いても、きっと今のジャックは家で閉じこもって過ごす時間よりもずっと輝いている。

 そして、ジャックの卒業スピーチを見守る両親。そこには新しい家族が。

ジャック


 このシーンをみると、2人目の子供をを持つか持たないかで言い争っていた両親の姿、そしてそれを物陰から聞いているジャックの辛そうな姿が思い出されます。

 両親もジャックの短い命を壊れ物のように扱うのではなく、その命をジャック自身のものとして彼の自由に預けることにしたのでしょう。

 そうすることによって、ジャックの存在した時間が、両親にとって人生をジャックのために費やした時間ではなく、ジャックと共に過ごしたかけがえのない時間として初めて宝となるのです。

★これぞ、映画

 映画には複雑でパズル的な脚本や、凝った展開の作品も多くあるのでこういうストレートな感動作は逆に新鮮で心に響きます。

 ただ感動させる、それだけではなく、要所要所でコミカルな場面を挟んで観客の笑いを誘い、友達の母親に嘘がバレないかとはらはらさせて観客を引き込むシーンもある。
 
 そして迎えたラストシーンで一気に観る者の心情を高まらせる…最後に誰もがジャックを見守る立場になって、高校を卒業するときのジャックのスピーチに感動せずにはいられません。実にお見事。

 ゴッド・ファーザーを撮ったコッポラが監督してるんですよね。観終わった後に気がついてびっくりしました。最後に献辞が出ますが、これは同様の病気で亡くなった監督の子供に捧げられています。                                      本当に映画はいいなあ。と単純に思える映画でした。

ジャック
     

※ジャックの病気について
 広義には早老症と呼ばれる。本作では幼少期からの発病事例なのでハッチンソン・ギルフォード・プロジェリア症候群であると思われる。
 先天性の遺伝子異常が原因だが、遺伝ではなく突発性の遺伝子変異が原因といわれる。よって、兄弟そろって発症するとは限らない。
 
 実際には映画のジャックとは異なり、体格は貧弱になり、小人症と同様の発育態様になる。ただし、脳の発育は健常者と変わらない。1年間が10年以上に相当するといわれ、非常に短い平均寿命になる。男児に多く、現在約40名の患者が確認されている。
 日本のTV番組でよく取り上げられたアシュリー・へギさんはこの病気を患っていた一人(2009年4月21日逝去)。
 
 成人期以降に発症することの多い早老症にはウェルナー症候群がある。こちらも低身長・低体重などの身体的特徴があり、平均寿命は40〜50歳。世界で1200例が報告されている。

ジャック




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趣味の問題

映画:趣味の問題 あらすじ
※レビュー部分はネタバレあり

 フランス映画、趣味の問題は微妙な人間の精神構造を描く実に独特な映画。

 ニコラはレストランのウェイター。ガールフレンドのベアトリスや友人たちとアパートで気ままな共同生活をしている。

 ある日、レストランに食事に来た男性二人連れの客。そのうちの一人にニコラは給仕した料理の味見をするように求められる。怪訝に思いながらも、適確に料理の味を表現して見せたニコラは後日、面接に来るようにといわれるのだった。

趣味の問題


 その男性はフレデリック・ドゥラモン。国際的な化粧品会社を経営している大会社の社長だった。
 彼によると、自分の食べられないチーズと海鮮類を見分けられる味見役を探しているという。ニコラは高額の報酬にも魅力を感じ、フレデリックの味見役として採用されることを承諾する。
 
 しかし、その仕事は単なる料理の味見にとどまらなかった。社長の奇妙な要求に応えて「仕事」をこなすうちに、二人はやがて抜き差しならない関係に陥っていく。

趣味の問題


 何気なく見つけたユニークな映画。日本での知名度は低いかもしれません。

 セリフで対人感情をはっきりとさせるのではなく、雰囲気から感情の揺れや動きを読み取らせる人間関係の描き方は見ている方の不安感や焦燥感を煽ります。

 フレデリックの巧みな心理誘導のテクニックはある意味、ホラーより怖い。



【映画データ】
1999年 フランス

フランスコニャック国際ミステリー映画祭グランプリ

監督 ベルナール・ラップ
出演 ジャン・ピエール・ロリ、ベルナール・ジロドー



映画:趣味の問題 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり

★本映画の時系列

 本作ではラストシーンでニコラが殺人を犯した後が冒頭にリンクしていて、冒頭はフレデリックを殺したニコラが自宅アパートメントで恋人のベアトリスとともにいる場面です。

 時折はさまれる、事情聴取のシーンは社長フレデリックとニコラの関係を回想しながら供述しているフレデリックの会社関係者の様子です。

★異色の作品と思ったわけ

 この作品が面白いなと思ったのはその扱ったテーマ。

 より深い精神的な関係を求め合った末の悲劇。相手に自分を理解してもらいたい、もっと共感してほしい…その精神的渇望が招いた結末。
 
 恋愛関係ではなく、かといって友情と言うには歪んだ関係性を扱った点がとてもユニークだと思います。

趣味の問題


 結局、社長という地位と権力に恵まれた男がその地位と名声ゆえに、手に入れられない経験や信頼をニコラを通じて手に入れていく関係にあったわけです。

 ニコラがした味見=経験をフレデリックが後追いで経験することでニコラとフレデリックは同じ経験と時間を共有することができます。
 
 そして、フレデリックは彼自身の嗜好や経験を逆にニコラに体験させることで、さらに完全な相互の経験の共有を図ることができます。

 そうしていくうちにいつしか二人はもはや他人ですらなくなっていくはず。そう考えたのは雇い主のフレデリックでした。

趣味の問題


 ニコラは初めからこの仕事が社会常識的に見て普通ではないこと、次第にフレデリックとの関係が尋常ではなくなっていっていることも十分承知していました。

 始めはフレデリックのさせることに戸惑いを感じ、畏怖や怒りすら覚えるニコラがその関係に染まっていくのは、心のどこかに寂しさや満たされないものがあるから。                                                    
 一見、何も不満がないような生活であっても、満たされないのは人間の性。自分を完璧に分かって理解してくれる人間なんてこの世にはいない。
 たとえ、最愛の恋人ベアトリスであってもそうです。

 恋人ですら共有できない究極の時間を共に経験したフレデリックとニコラの関係はもはや相互依存の域。

 精神的に追い詰められたフレデリックとニコラは、お互いを所有し、支配しているという感覚を味わい、完全に分かり合っていて、互いがイコールの存在になっているという錯覚が生まれていました。                     
 そしてその関係をお互いが容認しているうちは良かったのです。そしてその期間は二人ともこの上ない安心感や安定感を感じていました。

趣味の問題


 しかし、社会的には二人の関係は異常なものと映っていました。
 
 フレデリックの側近たちはニコラとの関係に強い懸念を抱いていたことが、時折挟まれる事情聴取のシーンから分かります。

 また、その関係はベアトリスには耐えられないものでしたし、ニコラも初めからフレデリックとの関係が尋常でないことを分かっていました。

 そして、ニコラはついにフレデリックと訣別します。そして、恋人のもとに完全に戻る決意をした…はずでした。                                             そこにかかってくる一本の電話。

 あっという間にニコラにフレデリックとの記憶が戻ってきます。その記憶は、錯覚でしかないとしても、一度手に入れた安息の記憶でした。

趣味の問題
         

 だから、ニコラはフレデリックを殺したのです。

 ニコラにとって、彼は自分であり、彼が生きている限り、ニコラについて回る影のような存在になっていたからです。

 彼の存在はドラッグのようなもの。

 彼がいる限り、自分は彼の元に戻りたい欲求と闘わなくてはならないのです。
 この葛藤から逃れるにはフレデリックにこの世から消えてもらうしかありませんでした。

 けれども、彼の死はもしかしたら…同時に自分を殺したことになるのかもしれません。

 ともに経験を共有し、共感し合った存在の喪失は失くしたときに初めて分かるもの。

 フレデリックとニコラの関係に至ってはお互いの依存関係は相当深いものであったはずです。

趣味の問題

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シン・レッド・ライン

映画:シン・レッド・ライン あらすじ
※レビュー部分はネタバレあり

 アカデミー賞作品賞をはじめとした様々な賞を受賞し、国際的にも高い評価を得た作品。ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞した。

 1942年。太平洋戦争の激戦地、ガダルカナル島。
 そこに駐留する日本軍が航空基地を建設しているとの情報がアメリカ軍にもたらされる。仮に日本軍の基地が完成すればアメリカ軍の制空権が危うくなる恐れがあった。
 そのため、ガダルカナルへの上陸作戦が決行されることになる。

 上陸後にまず命じられたのは、日本軍の占領する高台の奪取。思いがけない激しい機銃掃射に遭い、後退を余儀なくされる。しかし、下された上官の命令は突撃であった…。



【映画データ】
1998年 アメリカ

ベルリン国際映画祭金熊賞受賞
アカデミー賞作品賞受賞

監督 テレンス・マリック
出演 ショーン・ペン、ニック・ノルティ、ジム・カヴィーゼル、ジョン・トラボルタ、エイドリアン・ブロディ、ウッディ・ハレルソン、ジョン・キューザック、ジョージ・クルーニー



シン・レッド・ライン
↑アメリカの第二次世界大戦の戦没者メモリアル


映画:シン・レッド・ライン 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり

★他視点から見る戦争映画

 美しい太平洋の孤島、ガダルカナル。
 
 遠景の山々、広がる草原、丘陵のうねるように滑らかな緑の起伏。そしてなめるように吹き抜ける優しい風。黄緑色の草が風になびいて爽やかな音をたてている…。美しすぎる情景で空気を切り裂く弾丸。一歩足を踏み入れたその場所はやはり戦場でした。

 これまでの戦争映画の視点をつき破った異色の戦争映画。
 折々にふと映し出される現地の人々、色鮮やかな鳥たち。戦争の地である一方で、やはりそこには現地の人々の生活がありました。
 そして、そのひとコマが戦争をしている兵士たちをふと我に返らせるのです。

 そんな兵士たちが感じるのは生死の間際で戦っている自分と普通の生活をしていた頃の自分。その落差に悩む兵士が選んだのは部隊からの逃避でした。

 部隊に復帰した後、逃走兵として懲罰部隊に配属され、最前線に配置されることが分かっていても、つかの間の休息を求めて逃げ出さずにはいられない兵士たち。

 戦争映画に特有の息苦しさや熱気・切迫感ではなく、一歩引いた、醒めた視点で、米軍の兵士ひとりひとりの戦争を内面に迫って描く群衆劇です。

シン・レッド・ライン


 この作品は戦争映画のジャンルに分類されるとはいえ、既成の映画とは異なる視点を提供してくれる戦争映画だと思います。

 この映画は、戦争をよりドラマティックに、英雄譚として描く『プライベート・ライアン』(1998)もしくは『バンド・オブ・ブラザーズ』(2001)などと異なり、ただ淡々と、個々の兵士に起きた平凡な戦争の現実を綴っていきます。 

 これを象徴する場面があります。
 
 上官と対立し、不本意にもアメリカへの送還を告げられた者がそれに抗うことなく去っていくシーン。部下たちが上官に本国送還を思いとどまるように訴えると息巻くのですが、当人は冷静にこう告げます。

 「本国に帰って、妻や子供と静かに過ごしたい」と。ここでは、本国送還に徹底して反抗するか、せめて戦地にいられず、残念だという気持ちを表すのがある意味、戦争映画のセオリーになっているはずです。
 
 しかし、彼はそんな「勇気」ある行動をとることはありません。  
 
 戦争という究極的な場面で、人間は戦争に飲み込まれ、いつしか視野が狭くなっていきます。そして、戦争という状況下では不本意な本国送還には断固拒否の姿勢をとるべきで、それが英雄的行為であるとみなされるような価値判断がされるようになっていきます。

シン・レッド・ライン


 ガダルカナルという島は、戦場であるけれど、他方では現地の人々の生活があります。同様に、自分にとって戦争は人生の一面にすぎないことにも気がつかない。
 そんな中で、絶対に忘れないはずの祖国の記憶も、戦争という極限の状況下で麻痺した意識の下に追いやられていく。生死を賭けて戦う前線では生き残ること以外は考えていられないからです。

 そして、気がつかぬうちに、いつの間にか戦争が全ての判断基準になっていくのです。

 本国送還になった兵士はその通知を受け取ったことで、忘れかけていた自分を取り戻し、戦争のループから自分を追い出すことに成功したのです。
 
 彼にとっての「勇気」とは生きて祖国に帰ることでした。

 大ヒットを狙える作品ではありませんが、「人間」というものの存在を戦争というフィルターを通して表現した作品として、こういった戦争映画もあっていいと思います。

シン・レッド・ライン


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スカーフェイス

映画:スカーフェイス あらすじ
※レビュー部分はネタバレあり

アル・パチーノ主演。野心に溢れた若き青年がギャングの帝王にまで登りつめた末に迎える結末を描く一大ピカレスクロマン。

 しびれる映画。それがスカーフェイス。

 1980年、キューバからフロリダ州マイアミにやってきた青年トニー・モンタナ。
 移民収容所での殺人依頼を受けたことをきっかけにしてアメリカ裏社会に入ることになる。
 
 最初は下働きとして組織の仕事をするトニーだったが、次第にのし上がり、ついにはマイアミの麻薬密売網を押さえて権力と富を手にすることに。そして、その後にトニーを待ち受ける運命を描く。

 アル・パチーノを観る作品。オリバー・ストーンの脚本も手堅いが、アル・パチーノが演じなければ忘れられ、埋もれてしまう作品の一つになったろう。

 特に後半のシーンは、場合によっては急に安っぽいアクションになり下がる危険のあるシーン。これを見事演じ切って、栄華を極めたギャングのボスとしての貫録を見せたアル・パチーノの演技力に脱帽。



【映画データ】
1983年 アメリカ

ゴールデン・グローブ賞3部門ノミネート

監督 ブライアン・デ・パルマ
出演 アル・パチーノ、スティーブン・バウアー



スカーフェイス


映画:スカーフェイス 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり

★失敗作?

 公開当時はヒットせず、失敗作といわれたこの作品。     

 それでも、やはり失敗作ではないと思います。
 それは、前半の野望と自信にみなぎったトニーのエネルギッシュな生き方。
 これに対比するかのように、警戒心の解けない危険な生活から人を信用することを忘れ、ドラッグに溺れ、狭量で独りよがりな生き方によって自滅していく男。
 
 この一大詩が観客にロマンを感じさせる映画になっているからです。

スカーフェイス
Miami,Biscay Bay


★アル・パチーノ

 本作でトニー・モンタナに扮したアル・パチーノはそのキャリアの中で多くのマフィアやギャングの役を演じています。         

 代表作『ゴッド・ファーザー』(1972,74,90)ではマフィアのドンの家に生まれ、教養もあり、オペラを楽しむ頭脳明晰なイタリア系紳士としてマフィアのドンの一生を演じ、『フェイク』(1997)では一転して、長年組織に忠実に仕えてきたのに昇格できない、組織のさえない一構成員を人間味と哀愁の漂う役柄として演じました。
 
 本作ではキューバからやってきた、粗暴だが、ギャングとしての鋭い嗅覚で、一気にのし上がった野心家の麻薬王を見事に演じ切っています。まさに三者三様、それぞれがまとう空気感までが違って見えるようです。

★トニー・モンタナの死

 今回の役柄ならではの場面がラストのアクション・シーンでしょう。

 自宅の豪邸で吹抜けのバルコニーに立ち、襲撃者たちに向かって銃を乱射するクライマックス。撃たれているのにまた立ち上がり、体を傾かせながら命が尽きるまで銃撃戦で対抗するトニー。                                          
 急に映画が変わったかと思うような唐突ささえ感じさせる見せ場のシーンですが、「あり得ない」展開として観客を白けさせません。
 
 それは、観客がトニーのアグレッシブな生きざまと壊滅的な精神状態を見てきているから。トニーならこうするだろうという説得力がそれまでの経過にあるからです。                    

 さらに決定的なのは、トニーが目玉をぎょろつかせながら狂ったように銃を撃ちまくる姿。その鬼気迫る目つきに引き込まれて、他が見えなくなってしまうほどです。

 味方は全員死に、もう自分しかいません。圧倒的に不利な状況下であるにもかかわらず、不思議と無駄な抵抗には思えないのです。トニーの存在感は一人で十分な迫力を備えて観る者に迫ってきます。

 たとえ、襲撃がなかったとしても、このときのトニーの最期はもう破滅しかありえませんでした。
 
 裏社会の数々の陰謀や姦計、そして裏切りにもあの手この手の方策と豪胆な態度で乗り切ってきたトニー。                しかし、キューバ時代からの友人を自分の手で殺してしまい、最愛の家族であった妹も死にました。部下の人心は離れていき、当の本人は重度の薬物依存に陥っています。                                                   彼のこの絶望的な状況と破滅的な精神状態が生み出した最後の華。
 
 それがラストの銃撃戦であり、トニー・モンタナが考える、彼にふさわしい死であったのです。

スカーフェイス

   
★トニー・モンタナという生き方

 方法はなんであれ、そう、たとえそれが違法な取引であったとしても、トニーは金持ちになるという目標のためにがむしゃらに生きた人でした。

 結局、金はトニーを幸せにしなかったし、ドラッグの密売はトニーの命取りになりました。トニーが目標に近づこうとすればするほど、手に入れたいものは遠のいていったのです。
 
 しかし、トニーのしたことやその目的の是非はともかく、その生き方になぜか憧憬を覚えるのは彼がとにかく目的のために最初から最後まで懸命で迷いがなかったというその事実。

 いったい、どれだけの人が自分の信じるものと目標のためにあれだけ必死になれるでしょうか。

 『スカーフェイス』とは属するジャンルが全く似ても似つかぬ作品だけれど、『遠い空の向こうに』(1999)というロケットに夢をかける高校生たちの映画と同じ感覚を味わうのです。

 もうちょっと、自分の目標のために粘ってみてもいいじゃないか、と。

スカーフェイス



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ステイ -stay-

映画:ステイ -stay- あらすじ
※レビュー部分はネタバレあり

 ユアン・マクレガーが主人公のサムを演じている。ステイの中で、唯一安定していて頼れる存在の精神科医がサムだ。そして、ナオミ・ワッツがその恋人役で共演している。ナオミ・ワッツのはかなげな美しさは作品全体に漂う不安定な雰囲気によくあっている。

 ステイは近年、珍しくなくなってきた心理・不条理系の映画だ。

 それでも、ステイが二番煎じの後追い映画にならないのは、映像演出の巧みさ、ステイ全体を包むファンタジスティックで温かい雰囲気だろう。

ステイ,stay2.jpg


 ニューヨークで精神科医をしているサム。恋人のライラと同棲し、充実した毎日だ。   

 サムの同僚の女性精神科医が休職してしまったため、サムは彼女の患者を代理として引き受けることになる。その一人、ヘンリー・レサムは大学生の患者で、頻繁にサムのもとに訪れていた。

 ヘンリーはある日、ふらっとサムのもとを訪れ、3日後の誕生日に自殺すると予告する。彼を死なせまいと必死にサムの行方を追うサムは説明のできない不思議な現象に見舞われる。

ステイ,stay


 時折よみがえる車のクラッシュするフラッシュバックは何なのか…最後の展開に向けて収束していく過程に面白さを感じる映画。

 ステイは結末を知って観ると1回目とは違う味わいがある。

 ステイの脚本は『25時』『トロイ』のデイヴィッド・ベニオフ。
 彼が初めて売った脚本がこの『ステイ』なのですが、映画化が随分ずれ込みました。もっと早くステイの映画化が実現していたら、新人脚本家の作品として注目度はもっと高かったでしょうね。

 ステイのひとつの特徴はその映像美。

 建物の高層階の窓から流れるようにしてタクシーの中の人物にスライドしたり、公園の人物から部屋の一室にある写真にスライドしていく映像表現は自分が空を飛んでいるよう。その滑らかな動きの巧みさと美しさでステイに魅せられます。



【映画データ】
ステイ -stay-
2005年 アメリカ
監督 マーク・フォスター
出演 ユアン・マクレガー、ナオミ・ワッツ、ライアン・ゴズリング



ステイ,stay


映画:ステイ -stay- 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり

★ステイ-stay- の結末

 ステイのストーリーを整理すると、この映画には現実の出来事と夢(又はもう一つの世界)の出来事の両方が描かれています。
 
 ステイの本編にあたる部分は全て夢(またはもう一つの世界)です。ステイの中で現実なのは、ブルックリン橋の上の自動車事故及びヘイリーが瀕死になっていること。

 事故現場のブルックリン橋は現実と夢(もう一つの世界)の分岐点。そして、ヘンリーはこの事故で瀕死の重傷を負って死亡しました。

ステイ,stay


★ステイ-stay- は本当に「夢」の世界を描いたのか

 自動車事故のシーンがステイの冒頭に提示され、ステイ本編中でフラッシュバックが繰り返されるにつれて事故の経過がより詳しく明らかになっていきます。

 最後には両親およびヘンリー、そして恋人の4人が車に乗っており、両親および恋人は既に死亡、ヘンリーは瀕死の重傷を負ってサムとライラの救助を受け、後に死亡したことが分かります。

 では、ステイの本編は一体何?

 ここに2つの解釈を提示したいと思います。
1、全部夢。ステイの本編はヘンリーが死亡直前に観た夢。
2、別の異世界。ステイの本編ではヘンリー、そして精神科医サムを始めとした全員がもう一つの世界に行った。

 どうでしょう。1・2はともに現実世界ではないという点で共通しますので、どちらの考え方でも映画の本編は広い意味で「夢」であるとはいえるでしょう。

 そして、ヘンリーは誕生日に自殺すると予告します。「3日後に自殺する」と言っているのは3日後が事故の日だから。彼はその日に事故で死んでいるのです。

 また、「生きることは美しい」とライラの言葉を引きながら思い直すように迫るサム。ヘンリーは「そうだね、でもどうしようもないことなんだ」と自殺を思いとどまるには至りません。

 これは、ヘンリーが自分が事故で死ぬことを知っており、その結末は変えられないことを知っているからです。

以下は先に示した解釈を順に詳しく検討していきます。

ステイ,stay


1、夢
 全部夢であるという根拠は、ヘンリーの周りに集まった人々が全員本編のいずれかに出てきているということです。本編のなかには双子や三つ子が繰り返し登場しますが、瀕死のヘンリーの元に集まった人のなかに双子がいますね。

 夢というものは意識に浮かんだ人を自分で色付けして役割を与え、構成し直して見ることがあります。この場合は、ヘンリーが薄れていく意識の中で周りに集まった人を認識し、彼らを自分の夢の中でヘンリーなりの役柄を与えて登場させたというわけです。

 よって、本編はあくまでヘンリーの夢であり、ヘンリーの思惑によって夢の内容が左右されることになります。

ステイ,stay


 例えば、サムがヘンリーを探して立ち寄ったアート系書店の店主がヘイリーの絵の評価についてサムに幾分執拗に「将来高く評価されると思わんかね」と尋ねるシーンがあります。

 サムは、閉店後に駆け込んできた客で、明らかに急いでいる様子です。

 しかも、店主にはサムが芸術に造詣が深いかどうかも分かりません。それなのに、この状況で、店主が若手画家の将来の評価をサムに求めるのは不自然です。

 すなわち、店主がサムにヘイリーの絵の評価を求めるのはヘイリーの画業への不安と希望の現れです。また、今現在、無名画家に過ぎない自分が死後には評価されたいという願望の現われでもあります。

 さらに、目が見えないはずの父親の目が見えるようになったり、サムを介してですが、母親と和解したり、死んだはずの犬が出てくること。

 そして憧れの女の子がヘンリーを気にかけていてくれること、しかも彼に対して懐かしいような感情を持つといいます。

 現世において気にかけていたことや大切な人々が登場し、ヘンリーの望む態度や立ち振る舞いをしてくれます。

 現実には恋人なのに、夢のなかでは話したことすらない女性という設定になっているのは、ヘンリーがプロポーズに失敗して彼女を失うかも知れないという不安の表れでしょう。

ステイ,stay


2、異世界
 事故が起きたのはブルックリン橋の上。ヘンリーを探してサムが立ち寄るアート系書店の店主がヘンリーからもらったという絵画のモチーフはブルックリン橋。

 ブルックリン橋はあの世とこの世を結ぶ橋。瀕死のヘンリーに向こう側の世界が開かれ、同時に橋にいた人たちも異世界に行ったという考え方ができます。
 そして、こちら側の世界では現実とは少々異なる設定で生活していることになります(異世界ではライラは元患者で教師だが現実は看護師でサムとは知り合いですらない)。

 なんといっても、観客は精神科医サムの姿を追い、サムと共に現実の世界に目覚める構造になっています。瀕死のヘンリーが夢を見たとするならば、なぜ、本編はヘンリーではなくて精神科医サムの視点で進行するのか。

 それは映画の本編は単なるヘンリーの夢ではなくて、現実とは次元の違うもう一つの世界の出来事であるから。そこではその世界の「現実」が存在するのです。

 そして、サムが長年の友人だといい、ヘンリーが父親だといった老いた男性は最後に光に飲み込まれるようにして去っていきます。
 そしてライラはヘンリーの絵画の中にブルックリン橋のモチーフを見つけた後、螺旋階段を駆け降りた先で白い光に飲み込まれます。

 以上の退場の仕方は彼らが異世界から現実世界に戻っていったことを表すと解釈できます。

ステイ,stay
↑事故現場のブルックリン橋。この写真の角度は有名。ギャング・オブ・ニューヨークのラストショットもここでした。


★1と2どちらが正当か
                                
 どちらかというと、最初は2.異世界の解釈を取っていました。精神科医サムの視点で進行するステイ本編とのリンクを重視したからです。       
 しかし、最終的には結論を変えました。理由は以下の通りです。

 まず、一、公園でこっちを見るヘンリーの姿がデスク上にある写真に変化する場面があったこと、これで、精神科医サムの視点の場面にもヘンリーの視点が介在することが暗示されています。

 次に、二、事故現場、すなわち現実世界ではヘンリーが指輪を持っているが、本編の中では精神科医サムが指輪を所持していて、ヘンリーではなくてサムがプロポーズするかどうか迷っていること。

 これは現実にプロポーズしようと悩んでいたヘンリーの意識が夢に持ち込まれたということでしょう。
 
 最後に、最も大きな理由として、ステイ本編が精神科医サムの視点であること。

 この理由は、2、異世界との解釈の理由になるはず。ところが、1、ヘンリーの夢と言う解釈の味方でもあることに気がつきました。

ステイ,stay


 ヘイリーは自分が運転する車で事故を起こし、大切な人たちを全員死なせました。

 ヘンリーが感じるのは酷い罪悪感と激しく後悔する気持ちのはずです。自分が最低の存在で、存在価値すらない最悪の人間だと思うでしょう。

 一方で、彼の命は風前のともしび。このような状況下で彼が欲しいものは何でしょうか。

 それは、彼を許してくれる存在です。

 本当は精神科医ではないサムがなぜ、精神科医として登場したのか。
それはヘンリーが求めていたのは心の痛みを聞いてもらえる人であったから。
 ヘンリーが犯した罪を許すのは本人であってはいけません。

 ヘンリーの求める許しは、他者からの許し。

 ヘンリーの自責の念を取り払ってくれるのは他の人の言葉です。だから、夢はヘンリーの罪を許し、ヘンリーの声を聞いてくれる存在であるサムの視点で進行したのです。

 以上から映画の本編は1、ヘイリーの夢であったということで九割方は間違いないと思います。

ステイ,stay


 ただ、単純な夢ではなくて、サムたちは無意識にその世界にヘイリーに連れられてトリップしたが、その世界は間もなく死ぬヘイリーしかとどまることができない世界であったということだろうと考えています。ただ、無意識なので、本人たちに記憶や自覚はないでしょう。

★ヘンリーの意識が夢に与えた影響

 ヘンリーの夢の中の精神科医サムはヘンリーが欲するものが投影されたサムであり、ときにはヘンリーに代わって行動をしています。ヘンリーの夢なので、彼の意識が強く影響しているのです。

 だからサムは指輪を所持していて、ヘンリー同様にプロポーズを思い悩んでおり、サムはヘンリーに代わってヘンリーの母親と和解し、飼い犬にも会っているのです。                       
 ただし、サムはヘンリーそのものではありません。

ステイ,stay


 彼の究極的な存在意義はヘンリーの価値を客観的に認めてくれる者であるということにあります。

 だから、彼はヘンリーの所在を必死になって探し回ります。

 サムはヘンリーという存在を認め、死なせてはならない、保護すべき対象として認識するからこそヘンリーを探すのです。

 これはヘイリーがこの世における自分の存在意義を確認したかった気持ちの表れ。     

 また、前述の通り、サムはヘンリーの絵画の価値を書店の店主に尋ねられます。

 さらに、サムはヘンリーに対して両親の死が彼の責任ではないと否定して彼を救済しようとしています。
 これはヘンリーの両親に対する罪悪感の現れです。        

ステイ,stay
             

 そして、最期のとき。

 いよいよ現実世界のヘイリーの意識は遠のいていきます。もう、夢の世界を維持できなくなってきていました。

 それで、デジャヴが起こるようになり、やがて、登場人物たちは一人ひとりと消えていきます。

 死期の近づいていない者たちは再び現実世界に戻ってきましたが、ヘンリーだけはその世界から戻ることはありませんでした。

 恋人ではなく、相手がライラだということに気がつかないまま、現実世界に戻ってきていた指輪でプロポーズを果たし、ヘンリーは死んでいきました。

ステイ,stay3.jpg


★ヘンリーの叫び

 この映画を観て感じるべきことは、本当は、あの場面はどうなんだ、こうなんだと注釈をつけることではありません。
 そんなことは実は分からなくてもいいこと。

 本当に感じるべきなのは、へンリーがどうしようもなく苦しんでいたということでしょう。

 自分の運転する車が事故を起こして、大切な者たちを全て失くした悲しみと自責の念。失ってしまったこれからの人生。将来の画家の夢。

 悔やんでも悔やみきれないヘンリーのやるせなさと行き場のない感情が見せた夢。

 それがこの映画に表現されているものなのです。
 彼は死にたくなかった。生きたかったんだ…彼の心の叫びが聞こえてくるようです。

ステイ,stay18.jpg


 事故で死んだ両親や恋人への罪悪感、やり残した恋人へのプロポーズ、自分が夢見た画家としての将来…。

 ヘンリーは死ぬ前にこれら全てに助けの手を差し伸べてくれる人が欲しかったのです。

 そのヘンリーの理想は、事故現場でヘンリーを助けようと尽力してくれたサムに投影されました。

 彼の最後の激情が見せた夢。

 サムは精神科医として夢に登場し、彼に対して出来る限りのことをしました。

 ヘンリーを待つ結末は変えることは叶わないことでした。それでも、ヘンリーの心の苦しみを取り除き、罪悪感を癒すことでサムはヘンリーをこの世から送り出す役割を果たしたのです。

ステイ,stay
↑ブルックリン橋の遠景



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砂と霧の家

映画:砂と霧の家 あらすじ
※レビュー部分はネタバレあり

 砂と霧の家。みなが欲しがった家は本当にそこにあったのだろうか。

 ジェニファー・コネリーにベン・キングスレーの競演で魅せる、一軒の家を巡る人間たちの運命のドラマ。

砂と霧の家


 亡き父親から受け継いだ海の見える一軒家。キャシーは夫に出ていかれ、その一軒家で無気力な毎日を送っていた。ところが、郡から税金滞納で差押えを受け、彼女は家を追い出されてしまう。

 あわてた彼女は弁護士に相談したところ、郡の手違いで、本来、差押えはされるべきでなかったことが明らかになるが、家は既に競売にかけられて人手に渡っていたのであった。

 郡からの賠償金を拒み、家の返還を請求したいキャシーはかつて自分のものであった家に向かう。父の遺産である家は彼女にとって大切な場所であり、人手に渡すべき家ではなかった。                                               一方、現在そこに住んでいるのはイラクを追われ、家族ともどもアメリカに亡命してきたベラーニ大佐の一家であった。
 海の見える一軒家は故郷の別荘を思い出す場所。やむなく故国を捨てた一家にとってもまたこの家は心の拠りどころになっていたのであった。

 『砂と霧の家』というタイトルがよび起すのはざらついた感触としっとりとした水の感覚。そして、砂と霧のどちらにもかたちはない。

 キャシーとベラーニ大佐の見た家=「Home」 はどこにあったのだろうか。



【映画データ】
砂と霧の家
2003年 アメリカ
監督 ヴァディム・パールマン
出演 ジェニファー・コネリー,ベン・キングスレー,ショーレー・アグダジュル



砂と霧の家


映画:砂と霧の家 解説とレビュー
※以下、ネタバレしています

★砂と霧の家 -「Home」-

 いろいろな意味を持つ「Home」という言葉。家、故郷、家族。

 それぞれが「Home」、すなわち、家を求めた末の悲劇。
 キャシーも、ベラーニ大佐も、誰もが家を求めていました。

 そして、最後になって、それぞれが悟る自分の家。
 それは「家族」。

 ある者は家族が何かを悟り、ある者は家族を再発見し、ある者は家族を取り戻そうとします。それは、もう遅すぎた真実だったのだけれど。
砂と霧の家はそれぞれの「Home」発見のドラマなのです。

砂と霧の家


★砂と霧の家 -それぞれの思い-

 キャシーは夫に出ていかれ、孤独に耐えきれない毎日。毎日の生活も乱れ、税金の督促状にも気がつかない始末。

 一方、ベラーニ大佐は妻と息子の3人家族。一見幸せな家族にみえますが、彼は亡命中の身でした。故郷を捨てざるをえなかった彼は再出発の起点に偶然、競売に出ていたキャシーの家を選びます。

 何かにつけて思い出す、忘れられない故郷。故郷に似た懐かしい景色を見るために家を改築してベランダまで付けることに。

 ところが、キャシーにとっては父から相続した大事な家。物理的に住む家であるだけでなく、精神的な拠りどころでもありました。その家を失った上、他人に勝手に改造されることに心を踏みにじられる思いでした。

砂と霧の家


 キャシーは保安官のレスターと暮らし、一時の安定を得たつもりでしたが、彼には妻子がいました。
 レスターが妻子の元に戻っていったとたんに押し寄せる怒りと悔しさ。その感情は、今はベラーニ大佐の所有となっている、かつての自分の家に足を向けさせました。

 彼女の感情はベラーニ大佐への怒りとなって表出されます。でも、実は彼女の感情は怒りではありません。彼女の怒りは寂しさの裏返しでした。

 高熱をだした彼女を介抱したベラーニ大佐の家族はキャシーに対して丁寧に、親切に接してくれます。

 思わぬところでふれた優しさと温かさ。その好意を受けたキャシーは自分が欲しいものが何であったのかを悟るのでした。

 彼女が欲しかったのは今あるこの空気。家族という温かさだったのだ、ということを。

砂と霧の家


★砂と霧の家 -悲劇の連鎖-

 ベラーニ大佐の一家はこの家をキャシーに返そうと真剣に考え始めます。その矢先に起きたレスターによる大佐一家の監禁とベラーニ大佐の息子の死。

 ベラーニ大佐はこのときになって悟ります。本当に大事なものは家族なのだと。

 故郷を離れてアメリカで再出発を決めた一番の動機は息子。
 息子の未来を夢見て故郷を捨ててきたのに…。その息子を失った上に、もはやなつかしい故郷にも帰れないという現実。

 愛する故郷と、そして何より大切な息子。二つの家を失った大佐に残されたのは絶望でした。

 そして、刑務所に入れられたレスターは初めて、自分が捨ててしまった妻と子供たちの存在の大きさを悟ります。彼も、また家族という存在を見失っていた一人でした。

砂と霧の家


★砂と霧の家 -最後に-

 キャシーが求めていたのは家族。
 ベラーニ大佐が求めていたのは故郷と息子の将来。

 それぞれが家族と故郷を一軒の家に見ました。

 そして、事件を経て悟ったこと。それは、一軒の家はただの入れ物でしかないということ。

 ベラーニ大佐とキャシー、そして恋人のレスターが本当に求め、大事にしたかったものは、「家族」であったのです。

砂と霧の家
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セルピコ

映画:セルピコ あらすじ
※レビュー部分はネタバレあり

 この『セルピコ』は1970年代の実話に基づく映画。

 映像や演出が凝っているわけではなく、ストーリーもシンプルな映画なのに、強烈な印象があるのはアル・パチーノの異彩を放つ存在感だ。

 また見たくなる魅力的な映画の一つである。

 一言でいえば、セルピコが正義を貫く物語。そのセルピコの人物描写に、いくら実話だといっても美化しすぎでリアリティーがない、と思わないのはアル・パチーノの演技力だ。人間臭さのある、ヒーローになりすぎないセルピコを熱演している。

セルピコ

↑1970年代の写真.アル・パチーノではないですが.映画の最後の方、こんな感じになってきてましたね.


 1971年のNY。雨の降る夜に病院に運び込まれる一人の男。彼は捜査中に銃で撃たれた警察官だった。即刻、24時間の警備態勢がとられることに。

 一体何があったのか。

 警察官の名前はセルピコ。
 ニューヨークの一警察官であったが、同僚の警察官たちの腐敗を告発し、仲間の警察官にうとまれていた男だった。ここから話はセルピコの警察学校の卒業式まで遡る。

 正義感に燃えて警察官に任官したものの、そこにあったのは、図り知れない闇。
 セルピコは警察官内部にはびこる賄賂やみかじめ料の収受などの現実を知ることになる。

 口止めをしようとする同僚の警察官はセルピコに賄賂の分け前を受け取らせようとする。頑としてそれを拒むセルピコは要注意人物扱いされて、ニューヨーク中の分署をたらいまわし。

 セルピコは上層部に不正を訴えでて、調査を要求するが…。

 正義を貫いた実在の警察官セルピコの真実の物語。



【映画データ】
セルピコ
1973年 アメリカ
監督 シドニー・ルメット
出演 アル・パチーノ



セルピコ
↑当時はベトナム戦争で国が二分されていた時期でもあった


映画:セルピコ 解説とレビュー
※ネタバレしています

★「妥協する」ということ

 この映画では、何があっても信念を曲げないセルピコの鉄の意志に圧倒され、そのあまりにまっすぐ生き方に驚きすら覚えます。    

 根深いニューヨーク警察内部の汚職の構図とそれを野放しにして黙認している警察上層部。

 賄賂の分け前にあずかればいい。見なかったことにすればいい。皆と同じように何も知らぬふりをすればいいことでした。けれども、セルピコの正義心はそれを許しません。

 自分の夢見た警察官と言う仕事は、正義のために働くのではないのか。理想と現実の超えられない壁にセルピコは突き当たります。

セルピコ


 彼は妥協ができない人間でした。

 「妥協」、という言葉は必ずしも悪いものではありません。
 十人十色と言うように、人間がいればその数分の意見が出るものです。何かを決めるときには誰かが妥協するか、皆が妥協するかのどちらか、です。

 そして、人間社会では多くの問題で妥協するのが常です。

 それは決してマイナスの方向性ではありません。それどころか、問題解決の方法として、もっとも合理的です。

 そのために、子供のころに通う学校では勉強だけでなく、クラスというグループで集団生活をします。人は成長する過程で人は妥協する、遠慮する、見過ごす、気を使う、ということを覚えていきます。

 そして、これを身に付けた人間は社会性や協調性がある、といわれるようになります。おなかがすいたら泣いていた赤ん坊のころとは違うのです。

 これは、重要なこと。誰もが自分の思うところを貫いては社会は成立しません。
 妥協は人間社会を円滑に回すための人間の知恵なのです。

セルピコ


★「妥協」してはいけないこと

 ところが、世の中には、譲り合って決着すべきことと、妥協を許してはならないことの両方があるように思えます。

 警察官が賄賂を受け取るのを見逃していいという人はいないでしょう。なぜ、妥協してはいけないか、いろいろ理由はありますが、端的にいえば、それは正義にもとるからです。

 つまり、ある種類の問題においては、結論の妥当性において一貫した価値判断が貫かれます。この場合、二通りの結論があって、その歩み寄りを図る、という問題ではないのです。

セルピコ


 では、ここで、警察組織に与える傷というのはその判断を阻む理由になるのでしょうか。

 それは理由になっていないことは明らかです。賄賂の発覚が警察組織にダメージを与えるということは、賄賂の収受そのものを正当化しません。

★セルピコの場合

 上記の結論に従えば、この場合、社会に貢献する人間として、告発をするという道を選ぶべきです。

 しかし、人間には人間社会の一員としての社会的な側面と個人として生きる私的な側面があります。

 ここには、人間が社会的な動物として社会に貢献し、役割を果たすということの前に、自分という個体を保護すべきという前提が働いています。

 従って、自分を守るという理由は、告発しない、という選択の十分な理由になるでしょう。告発して失業するかもしれませんし、セルピコの場合は命まで危うくなりました。命のためなら、不正を見逃したっていいはずです。

 このときにどちらの道を選ぶかは自分次第。

 汚職に気がついたのは、新米警察官のころ。刑事として警察で働くという将来のために自分の正義を折るか、それとも警察での未来を捨てることを覚悟して、告発するか。

 彼は告発の途を選びました。

セルピコ


★セルピコの闘いとその孤独

 汚職との闘いを選択したセルピコは苦難の道のりを歩むことになります。

 真実を求めるほどに裏切られ、それでも妥協しない強い正義心と、それゆえに大切な恋人を失ったセルピコ。そして、その強い喪失感のために、さらに頑なに不正の告発を強く誓うようになります。  

 このドラマではセルピコが妥協しようかと悩むシーンは明確には描かれていません。

 「賢い王様のはなし」をして郷に入れば郷に従えと諭す恋人の描写があるくらいです。

 それでも、見る側にはセルピコの、次第に脅迫観念のようになってくる不正告発の意思とその苦悩が痛いほどに伝わってきます。
   
セルピコ
↑1970年代の写真,トレーラー暮らし.


 迷いなくセルピコは自己の信念を貫いた…というのは語弊があるでしょう。
 正義を貫くゆえの圧迫感と疎外感に次第に浸食される私生活が随所に描かれています。

 次第に増えていく動物たちはセルピコの人間不信と心のよりどころを求める気持ちの現れですし、理解者であったはずの恋人の心も離れていきました。

 また、次第に浮浪者のようになっていくセルピコの外見にも反発する気持ちとその内面の苦悩が表れています。

 この映画はとてもシンプルな構成です。

 けれど、それゆえに、これが実話であることとも相まって、社会でまっすぐに生きることの難しさと痛さとを伝えてくれているように思います。

セルピコ
↑ニューヨーク,マンハッタンの日暮れ

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さよなら。いつかわかること

映画:さよなら。いつかわかること あらすじ
※レビュー部分はネタバレあり

 さよなら。いつか分かること、は9.11後のイラク戦争をある家族の視点から見つめた映画。

 家族の絆と妻への愛、戦争と死。イラク戦争があるアメリカの一家族にもたらしたのは母親がもう帰ってこないという事実だった。

さよなら。いつかわかること


 スタンレーはホームセンターで働き、ハイディとドーンの娘たち二人と暮らしている。スタンレーの妻、グレースはアメリカ軍軍曹としてイラクに赴任中。

 ある日、スタンレーの元を訪れる軍服姿の二人の男たち。応対に出たスタンレーは彼らを見たとたん、恐れていた事態が起きたことを悟るのだった。

 茫然自失の状態のなか、スタンレーは娘たちと旅に出ることにする。仕事を休み、娘二人に学校を休ませて、行き先は娘にまかせ、ただ、車を走らせていく。

 戦争をテーマにしながら、戦争が人々に与える影響を新しいかたちで取り上げる、さよなら。いつかわかること。ジョン・キューザックが演技で、クリント・イーストウッドが音楽で、映画を盛り上げる。



【映画データ】
さよなら。いつかわかること
2007年 アメリカ
監督 ジェームズ・C・ストラウス
出演 ジョン・キューザック,シェラン・オキーフ,グレイシー・ベドナーチク



みなさん。さようなら

↑ノース・ダコタに戻った棺. アメリカ軍・軍事情報センター提供.


映画:さよなら。いつかわかること 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり

★スタンレーの心。

 妻が死んだ。その死の事実を分かっていても、一方で彼女の死を受け入れられない夫としてのスタンレー。そして二人の娘の父としての、スタンレー。

 何もかもが重さをもって、彼の肩にのしかかってきます。

妻の死、娘たちの将来、その死を娘に伝えなければならないということ、そして何よりもグレースの死を受け入れきれない自分。

 旅に出たのはそれらすべてから逃れるため。

 他人の憐れみの視線、たとえそれが本当にお悔やみの気持ちがあるものだとしても、弟や母であっても、今のスタンレーには重いものでした。

さよなら。いつかわかること


★スタンレーと二人の娘。

 映画の冒頭では、きしみの見える親子関係が描かれています。

 決して仲が悪いわけではありませんが、親子の間に緊張して伸び切ったピアノ線があるような、なにか緊迫した雰囲気がある親子関係になっています。

 それが旅を通して次第に心が通うようになっていきます。これは親子の関係の修復の旅であるわけです。

 この家族は仲の良い家族だったのでしょう。

でも、それは父と母、そして姉と妹。この四人で完成する関係でした。
 母であり妻である女性がいなくなってしまったということは、残された家族の心に想像以上の大きな穴をあけたのです。

 こぎれいだけれど、どこか、生活感のない、がらんとした室内。

 スタンレーが妻の死を知らされてから次々と家の中の様子のカットが挟まれて、寂寥感を誘います。

みなさん。さようなら

↑イラク市街掃討作戦 アメリカ軍・軍事情報センター提供
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★スタンレーとグレース、夫婦の関係。

 本当はグレースのイラク赴任に反対したスタンレー。

「謝りたいんだ、君を送って行ったときに起こっていたことを」と留守電の妻の声に語りかける彼の様子からそのことが推測されます。

 妻の赴任前に夫婦はイラク行きを巡って口論したのでしょう。

 イラクに赴任している軍人の妻たちの集まりに出たスタンレーが馴染めずに浮いていたのは周囲が女性ばかりで、初めての出席だから、というだけではありません。

 彼女たちが夫婦の仲むつまじい時間を過ごしたのに対し、スタンレーとグレースの夫婦はイラク赴任を巡って考え方に溝ができた関係になっていました。

 少なくとも、スタンレーは彼女らが夫を送り出したように、戦地に妻を送り出す気持ちにはなれませんでした。

 スタンレーは彼女の命の危険と二人の娘たちのために反対しました。

 しかし、グレースは軍人としての仕事に対する誇りと国を愛する心、そして何よりも家族を愛するために、イラク行きをやめるつもりはありませんでした。

みなさん。さようなら

 
↑イラク国内ある市街にて. アメリカ軍・軍事情報センター提供


 グレースは娘たち家族を愛していました。

 しかし、なぜ娘を残してイラクへ行ってしまうのか。毎日のようにイラクのニュースを見ながら、ハイディは母の選択に悩んでいたはずです。

 イラクへ行くことを選択したのは、いずれ娘に自分の生き方が分かってもらえると思ったからです。彼女が娘たちに見せたかったのは自分のよしとすることや自分の心に正直に、貫かれたひとつの生き方でした。

 一方のスタンレー。彼女の死を思わない日はなかったはずです。

妻の声が応答する留守電を聞くたびに思い出す彼女の面影やありし日の思い出は、グレースの死が幻でないことを彼に教えます。

 やはり、グレースを何としても止めるべきだった、という後悔の念。
それでも、グレースはアメリカのために、世界のためにイラクに行き、死んだのだという思い。

 連日ニュースで「大量破壊兵器はなかった、戦争は間違っていた」と報道されます。

ハイディにそのことを聞かれたスタンレーは他人に言われたことを全部うのみにするわけじゃないだろ、と彼女にいいます。

 時には自分の正しいと思ったことを信じるはずだ。もしそうでないと…?一瞬言葉につまりながら、彼は言いました。

 「全てを失う。」

 イラク戦争が間違っていたといわれるのは、今の彼にとっては辛いことでした。もし、戦争が間違いだったというのなら、妻は何のためにイラクへ行き、家族を残して死んだのか。

 妻の選択を頭では理解しても、家族を残してイラクへ行くことに感情的には最後まで賛成できなかった自分。

 ニュースがたとえ事実だとしても、グレースがイラクへ行ったのは無駄ではなかったと思いたい気持ちがありました。そんな自分の心を自覚したからこそ、彼は言葉につまったのです。

さよなら。いつかわかること


★他人の意見を聞くということ

 スタンレーの弟ジャックが、ハイディになぜ兄と仲が悪いのか、と聞かれ、仲が悪いわけじゃない、ただ、違うところがあるんだ、といいます。

 ハイディが父親の考えに全て賛成できるわけではないのと同じで、人にはそれぞれ自分の意見があるものなんだよ、と。

 この場合の意見は解釈された「事実」に基づいて形成された自分の意見、ということですが、その事実にはウソが多いとも言っています。

 つまり、ジャックが言うのは、自分の考えだけではだめだということです。自分の意見だけではなく、真実を受け止めないといけない、そうでないと真実が見えなくなる。

 彼の文脈では、「事実」=factと「真実」=truth は分けて使われています。前者の「事実」には人間の解釈が入り、後者の「真実」は客観的な生の事実を意味します。

 つまり、事実とは真実を自分なりに解釈したもので、解釈された真実を元に私たちは意見を形成していることになります。

 だからこそ、真実の声に耳を傾けることが必要なのです。

みなさん。さようなら

↑イラクのある都市の市街 アメリカ軍・軍事情報センター提供


 ここでは、イラク戦争を決定したラムズフェルド国防長官を始めとするブッシュ政権中枢のイラク戦争の開戦決定を間接的に批判しています。

 2002年9月、国防総省国防情報部(DIA)の「大量破壊兵器の証拠なし」との報告書を無視して握りつぶしたことが開戦後に発覚し、報告書を入手したCNNによって報道されました。

 しかし、この世に、およそ、純粋な真実なんてあるのでしょうか。

 テレビや新聞のニュースには報道各社の解釈が加わっています。では、せめてニュース映像は客観的でしょうか。

 そうとは言えないでしょう。

 例えば、イスラエル-パレスチナ問題や当のイラク戦争などの報道でもたびたび指摘されるように、映像が、一方の陣営から撮られている場合、イスラエル側・アメリカ側など一方の側からしか映りません。

 なので、その映像を見ると相手が一方的に攻撃してきているように見えてしまいます。

 つまりは、真実を受け止める前に、真実が何かを知ることする実は難しい現実があるのです。

 全面的に信頼できる真実がもしないとするならば、他人の意見を聞くべきでしょう。

 第三者の意見も当然、第三者の解釈に基づいた真実による意見です。

 しかし、自分の意見とぶつけあい、互いの意見を理解しようとする努力の過程で自分の思わぬ認識の誤解やあるいは自分の意見に対する確信が見えてくるはずです。

さよなら。いつかわかること


★父の言葉

 他人の言うことをうのみにせず、自分の信じるところを持て、というスタンレーの言葉は弟の言ったことと併せて考えると実に深い意味をもっています。

 そう、議論をするには自分の意見があることが前提になります。意見を持つには、自分なりの事実認識を持ち、そこから考えて意見を形成していくわけです。

 例えば、ニュースでキャスターが言っていることを繰り返すのは単なる受け売りです。それは意見ではありません。

 ここで、他人の言うことを全部うのみにすれば自分を失う、という前述の父の言葉がつながってきます。

 自分ならどう考えるか、その意見を他人の意見と区別してきちんと持つことの大切さをスタンレーの言葉は伝えています。

さよなら。いつかわかること
↑米軍のキャンプ。キャンプ・ビクトリー/イラク,バグダッド郊外

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幸せのちから

映画:幸せのちから あらすじ
※レビュー部分はネタバレあり

 ウィル・スミスが息子と共演したことでも話題になった、「幸せのちから」。

 可愛いだけじゃない、幼いけれどしっかり者の息子クリストファー役をウィル・スミスの愛息子ジェイデンが好演している。

 ウィル・スミスの演じるクリス・ガードナーは実在の人物。

 クリスは高給をもらうため、医療機器の販売員から投資会社に転職したいと奮闘する。
 実際のクリスは最終的に自分で投資会社を設立するまでになる。

 「幸せのちから」はクリスの波乱万丈な人生の転機を描いた実話である。

幸せのちから 


 1981年、サンフランシスコに住む、クリス・ガードナー。

 彼は、借家に妻と息子の3人で暮らしている。

 クリスの仕事は医療機器の販売業。この医療機器は最新型のスキャナーで、これを売れば家計は安定、幸せに暮らせるという計画だった。

 しかし、商売というものはそんなに簡単なものではない。

 高価な医療機器は全く売れず、ごくごくたまに売れる程度。たちまち家計は火の車になってしまった。

 妻も日夜働きに行き、クリスも必死に医療機器の売り込みを続けるが、全く売れない。

 ついには、家賃にも困る暮らしぶり。

 そんなある日、医療機器を持って売り込みをしていたクリスはある男に出会う。

 高価なスーツに身を包み、高級車に乗っているその男性。
 クリスとは全く違う、まさに"成功した人間"のイメージにぴったり。

 クリスは「あなたのようになるにはどうしたらいいのでしょう?」と彼に尋ねるのだった。



【映画データ】
幸せのちから
2006年・アメリカ
監督 ガブリエレ・ムッチーノ
出演 ウィル・スミス,ジェイデン・クリストファー・サイア・スミス



幸せのちから


映画:幸せのちから 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり

★ついてないクリス・ガードナー

 クリスが決めたのは証券会社で働くということ。

 そのためには、まず、多数の応募者の中からインターンとして研修コースに入れてもらう。そして、本採用されるには、そのインターン生から選抜されなければならない。

 クリスは持ち前の人当たりの良さと頭の回転の速さで、証券会社の人事課長トゥイッスルに猛烈にアピールする。

 トゥイッスルがルービックキューブをいじっているのを見たクリスは、つい最近自宅で見かけたばかりのルービックキューブを行き当たりばったりで完成させ、トゥイッスルを驚かせます。

 そのかいもあってか、クリスはインターン生として研修に入ることに。

 しかし、悲惨なのは私生活。

 妻には愛想を尽かされて出ていかれ、妻に息子を取られそうになりますが、どうにか息子を連れ戻します。
 その上、家賃を払ってもらえない家主からはクリスに最後通告が。

 クリスはついに家を失いました。しばらくは息子とモーテルに宿泊しますが、そこにも不運が巡って来ます。

 税金の取り立てで、虎の子の貯金を差し押さえられ、ついに文無しに。
 彼はモーテルからも追い出されました。

幸せのちから


 インターン生には給料は出ませんし、医療機器は相変わらずの売れ行きです。
 その医療機器も盗まれたり取り返したり。

 以前、クリスは腹いせ半分に、昔の借金(たった14ドル!1600円くらい)を取り立てに友人の元に行ったため、友人を頼ろうとしても、門前払いを食らいます。

 ここまでくると、頼れるところはホームレスのためのシェルターしかありません。

 とことん、ついていないクリスですが、彼には「幸せのちから」がありました。

 邦題は幸せの"力"、ではなく、幸せの「ちから」。

 なぜひらがななのでしょう?

 それはこの「幸せのちから」が金や物などの目に見える物的なものではなくて、「心のちから」、ソフトなパワーのことだから。
 それを表現するために、ひらがなが使われています。

 では、具体的にクリスにはどのような幸せのちからがあったのでしょうか?

幸せのちから


★クリス・ガードナーの2つの「幸せのちから」。まずはひとつめ。

 クリスには2つの幸せのちからがありました。

 ひとつは、愛する息子クリストファー。

 息子がいるということは、その分、仕事を早く切り上げなければなりません。
 早く切り上げるということは、インターン生との競争では不利なこと。

 働く時間は短ければ、勧誘の電話をかけられる本数が減るので、投資案件の成約可能性も低くなってしまいます。

 しかし、ベッドで息子を寝かせるにはシェルターを頼るしかないので、やはり早く帰らねばなりません。シェルターの部屋は先着順なので、少なくとも17時までには並ばなければならないのです。

 しかし、息子がいるということはクリスには負担ではありませんでした。

 息子の存在はクリスの希望であり、明日も働くパワーの源。

 息子のために、休み時間を返上して働き、寸暇を惜しんで証券会社で電話の受話器に張り付いていたと言っても過言ではありません。

 そして、会社にいないときは残りの医療機器を売り歩く。

 息子の存在は幸せそのもの。幸せのちからは息子がクリスにくれた"ちから"のことでした。

幸せのちから


★クリス・ガードナーの「幸せのちから」。その2。

 それは、クリスの持ち味である人当たりの良さ。クリスは一度会った人間を惹きつける"ちから"を持っていました。

 クリスの妻は、貧しい生活、支払いに追われ、必死に明日のやりくりを考えなくてはならない生活に疲れ切っていました。

 そして、クリスと別れ、やり直すことを決意して家を出ていきます。
けれど、妻はクリスの人間性をそれでもなお、評価していました。

 ここが一番重要なことです。だからこそ、妻は息子をクリスに預けました。
 彼女は一度は息子クリストファーを連れて行こうとしながら、それをあきらめています。

 それは、クリスなら息子を幸せにできると考えたから。

 彼女は現在の生活に疲れきっていますが、クリスその人を嫌っていたわけではありません。

 貧しくても、クリスなら、どんなに生活がひっ迫しても、息子をその貧しさの犠牲にすることはない。身を呈しても息子を守るだろう、そう考えたからクリスに子供を預けたのです。

 妻も食べるために必死で働かなければならないぎりぎりの貧しい生活。
 自分で面倒を見るよりも、クリスの人間性を信頼して彼に預けた方が、息子の幸せのためになる。

 「あなたなら大丈夫だわ」。
 息子を幸せにできるのは自分とクリスのどちらなのか。母としての決断でした。

幸せのちから


 また、クリスは、人事課長のトゥイッスルのタクシーに無理に乗り込んでルービックキューブを完成させ、彼の心をつかみます。

 クリスは最近、自宅でルービックキューブを見かけてそのおもちゃを知ったばかり。
 クリスの頭の回転の速さと、度胸のある彼の大胆な性格を同時に示しているエピソードです。

 そして、会社のインターン採用の可否を決める面接。

 クリスは駐車禁止の罰金が払えずに当日の朝まで留置場に入れられていたため、見事なまでに汚らしい恰好で面接に臨みます。

 ジャケットは薄汚れているし、頭には白いほこりが引っかかっている始末。

 それでも、インターンとして採用してみようと思わせるのは、面接の際のクリスの語り口に面接をした上司が魅力を感じたからでしょう。

 汚らしい格好をしてやってきた人物に抱く印象は2つ。
見かけどおりのやつだ、と思われるか、こんな服装をしているが、なかなか見るところのあるやつだ、と思われるか。

 クリスは後者でした。

 このときの汚さがいかに印象的だったかは、ついにクリスの本採用が決まった時に、「今日は良いシャツを着ているね」、と上司に声をかけられていることからも分かります。

 クリスは澄ました顔で、「いつも清潔な格好を心がけていますから」、と答えています。

 上司のジョークにも、さっと切り返すことのできる、頭の回転の速いクリスの受け答えのうまさ、そして負けん気の強さを垣間見ることができるエピソードです。

幸せのちから


 さらに、クリスは電話で掴んだ顧客の自宅に息子を連れて行き、一芝居打って一緒に球場に行くことに成功します。

 思惑通り、顧客の自宅から帰りかけたクリスをその顧客に呼び止めさせることに成功しました。

 これは顧客がクリスに気を使ったから?
しかし、誰が義理もない、見知らぬ営業マンと好き好んで貴重な休日を過ごそうとするでしょうか。

 顧客がクリスを呼びとめたのは、クリスが休日を一緒に過ごしてもいい思える人物だから。
言いかえれば、クリスの人間性を評価したからです。

 だから、彼は自分のボックス席にまでクリスとその息子を招待し、席で一緒になった彼の仕事仲間にクリスを紹介してくれました。
 映画の結末近くのシーンで、このときに紹介された人からクリスは声をかけられています。

 この顧客はクリスのお客にはならず、契約も成立しませんでしたが、彼の紹介してくれた人脈はクリスのものになりました。

 人脈は人脈を生みます。これから投資業界でクリスが仕事をしていくうえで、顧客と成約が1個成立する以上の重要な成果をクリスにもたらしてくれるでしょう。

幸せのちから


 さらに、盗まれていた医療機器を取り返し、なんとか販売代金を得ようと必死に売り込んでいたときに応対してくれたお医者さん。

 せっかく面会してくれ、販売のチャンスなのに、なんと医師の目の前で器械が故障。
 それでも、医師はクリスにまた来なさい、といってくれます。

 もちろん、医師の温厚な人柄のおかげもありますが、普通ならば、故障品の売り物を目の前で披露する販売員にまたチャンスをあげよう、とは思いません。

 "また、来なさい"、と医師に言わせたのは、クリスの人柄に誠実さを感じたからでしょう。

★クリス・ガードナーと息子クリストファー

 もちろん、クリスの人を惹きつける魅力、それは息子のクリストファーなしでは開花しませんでした。
 証券会社の営業という仕事はクリスのような人間にとって、天職とも言えます。

 しかし、息子がおらず、息子のために生活を何とかしたいと思う気持ちがなかったら、彼は転職しようとも思わず、職探しにそれほど必死になることもなく、街で会った男に成功のカギを聞くこともなく、今日も医療機器の販売に奔走していたかもしれません。

 息子クリストファーこそ、不運なクリス・ガードナーに天が遣わしてくれた天使でした。

幸せのちから


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スターダスト

映画:スターダスト あらすじ
※レビュー部分はネタバレあり

 「スターダスト」は王道を行くファンタジー・ストーリー。

スターダスト


 特に、注目したいのはロバート・デ・ニーロ。スターダストならではの演技を披露してくれる。

 空飛ぶ海賊のキャプテンにして女装が好きといういささか海賊としては珍妙な趣味を持つ、憎めないキャプテン・シェイクスピアをデ・ニ―ロが好演していて、かなり面白い。

 個人的にはデ・ニーロといえば「タクシー・ドライバー」なのですが、そういった作品とは似ても似つかぬデ・ニ―ロを見ることができます。デ・ニ―ロが好きな方は必見。

 他にも、ミシェル・ファイファーが老女から若返る魔女の役を演じていて、かなりの迫力のある演技。

 また、クレア・デインズがスターダストのヒロインである"流れ星"という変わった役を、シエナ・ミラーが主人公が憧れる村娘役として出演している。

 『解説とレビュー』ではスターダストのあらすじを最初から最後まで再現。スターダストの世界をお楽しみください。
 なお、完全にネタバレしていますので未見の方はお気をつけください。

スターダスト


 「スターダスト」。それは150年前のすてきな物語。

 場所はイギリス、ウォール村。その村に父親と暮らす青年、トリスタンがいた。彼は村で一番の美人と評判の美女、ヴィクトリアに夢中だ。

 毎晩のようにトリスタンは花束を持って出かけて行き、彼女の部屋に石を投げる。そうすると、窓が開き、ヴィクトリアが姿を見せてくれるのだ。しかし、その態度はとてもそっけないものだった。

 そんなある日、トリスタンとヴィクトリアは流れ星が落ちていくのを目にする。

 きらきらと輝いて一直線に落ちていく流れ星。

 トリスタンはそれを見て、ヴィクトリアにあの星を必ず持って帰ってくると約束して村を出るのだった。



【映画データ】
2007年・イギリス,アメリカ
スターダスト
監督 マシュー・ヴォーン
原作 ニール・ゲイマン
出演 クレア・デインズ,クレア・デインズ,ミシェル・ファイファー,ロバート・デ・ニーロ,チャーリー・コックス,シエナ・ミラー,ルパート・エヴァレット



スターダスト


映画:スターダスト 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり

★これぞ、ファンタジー。- スターダストのあらすじ -

 とっても楽しい冒険の物語。たまにはこういう映画もいい。

 ロバート・デ・ニーロが出ていると聞いて観た映画だけれど、すっかり浸っていることに気がついた128分でした。大人も楽しめるファンタジー・ストーリーになっていると思います。

 まずはどんなお話か、結末まであらすじをご紹介しましょう。

スターダスト


 スターダストは150年前の物語。

 イギリス、ウォール村には"Wall"=壁というその名の通り、低いけれど、長い長い壁がありました。村人はその壁を越えたことはありません。

 その壁の中央にはなぜか、壊れた場所があって、そこには見張り番のおじいさんがひとり。

 村に住む青年ダンスタンはその壁の向こうに何があるのか興味しんしんです。

 ある夜、おじいさんに話しかけ、「壁の向こうに行きたい」と言いますが、おじいさんはもちろん通してはくれません。

 ダンスタンは村に戻るふりをし、おじいさんが安心しかけたところでひょいっと壁の向こうに走りぬけて行ってしまいました。

 ダンスタンがそのまま森を走り抜けていくと、何とそこには町があるではありませんか。色とりどりの雑貨が並び、人もたくさんいて、とってもにぎやかです。

 ダンスタンが物珍しげに町の市場をうろうろしていると、青いドレスの女性がこちらを見ています。

 黄色い馬車の前に立つ彼女になぜか惹かれたダンスタンはその女性に話しかけてみることに。すると、女性が差し出したのは白いマツユキソウをかたどったブローチでした。

 「キス一回で売ってあげる」という彼女。自分は王女だ、という彼女をダンスタンは外に誘い出そうとしますが、彼女は足についた魔法の鎖を指さしました。

 この鎖はナイフで切ってもまた元通り。何度切っても切れません。

 困った顔のダンスタンに彼女は「魔女のサルに捕まってしまって逃げられないの」というのでした。

 そのまま彼女と馬車の中で一晩を過ごしたダンスタン。

 翌朝には何事もなかったかのように壁を再び乗り越えてウォール村に戻り、そのことをすっかり忘れてしまいました。

 しかし、ダンスタンに思いがけない贈り物が。

 門番のおじいさんが籐でできたかごを届けに来たのです。おじいさんがいうには、壁の向こうから届いたとのこと。

 そのかごをのぞいたダンスタンの目に飛び込んだのは小さな赤ん坊でした。

スターダスト


 時は流れて18年後。ダンスタンの赤ちゃんは大きくなり、村の青年へと成長していました。名をトリスタンといい、村の食料品店で働いています。

 彼はいま、村一番の美人娘、ヴィクトリアに夢中。毎夜、ヴィクトリアの家に行き、彼女に話しかけますが、彼女はトリスタンには気がなさそう。

 ヴィクトリアには今ハンフリーという村の一番の金持ちで美青年の恋人がいて、これといったとりえのないトリスタンには目が向かないのです。

 その日の夜も、バラの花束を抱えて窓へ石を投げるトリスタン。ヴィクトリアは姿こそ見せてくれますが、とりつくしまもありません。

 そこに恋人のハンフリーがやってきました。トリスタンの姿を見たハンフリーはトリスタンを殴ります。バラの花はあっというまに散らばってしまい、トリスタンは家に逃げ帰って来ました。

 ヴィクトリアは「貧しい人にはやさしくして」とハンフリーにいい、笑いながら窓を閉めるのでした。

 翌日、食料品店で働いているトリスタン。店が混み始め、長蛇の列のできている昼ごろにヴィクトリアがやってきて、トリスタンに話しかけ、あれこれと注文をしはじめます。

 トリスタンは彼女の意のまま。長時間並んで待っている客たちには目もくれず、ヴィクトリアの注文を優先します。

 そのうえ、その食料品を家まで届けてほしいというヴィクトリアの頼みを断れないトリスタンはそのまま彼女の荷物を持って店を出て行ってしまいました。

 忙しいときに店を空けたトリスタンは食料品店の主人からクビを言い渡されます。

 意気消沈し、父親に「クビになった」という報告をしなくては、と鏡に向かってトリスタンが繰り返し練習しているときに父親が帰って来ました。

 「ヴィクトリアにも振られた」というトリスタンに父は、「今がだめってことは、将来は望みがあるってことさ」といい、息子を元気づけるのでした。

 その夜、再びヴィクトリアの家に向かったトリスタン。

 彼女は窓を開けますが、やはり、つまらなそうな様子で2階の窓からトリスタンを見おろしています。

 しかし、トリスタンがシャンパンがあるというと、彼女は下に降りて来てくれました。

スターダスト


 同じころ、壁の向こう側にあるストームフォールド王国では大変なことが起きようとしていました。老齢の国王がいよいよ死を迎えようとしていたのです。

 国王は息子たち3人の王子を呼び寄せて、王位継承者を決めることを宣言しました。
 国王には7人の王子と1人の王女がいますが、王女はどうやら行方不明の様子。

 国王はかつて12人の兄弟を殺して王位についた経歴の持ち主で、プライマス(第1王子)とターシアス(第3王子)、そして末っ子のセプティマス(第7王子)にも、自分と同じように王位を争わせるつもりです。

 残りの4人はどうしたかって?

 彼らはすでに王位継承争いに敗れ、殺されてしまいました。

 死んだ兄弟は幽霊となって、残りの3人を見ています。彼らも誰が王位につくのか興味しんしん。空中にゆらゆらと浮かびながら、長椅子に並んで座り、あーでもない、こーでもないとおしゃべりをしていました。

 さて、国王は第1王子をその場で第7王子に殺させます。

 窓から突き落とされた第1王子はたちまち幽霊たちに仲間入り。幽霊になった兄弟は彼を迎え入れ、誰かが王に決まるまで自分たち幽霊は成仏できないんだ、とたった今死んだばかりの兄に説明します。

 残された第3王子ターシアスと第7王子セプティマスは王の気まぐれで、今回は殺し合いではなく、王の持つルビーの争奪戦により王位を決めることを知らされます。

 王の持つルビーは赤ちゃんのこぶしくらいの大きさがある赤いルビーで、きらきらと輝く素晴らしい宝石。

 これを王が天井に向かって投げ上げた、と思ったら、ルビーはそのまま天高く、なんと宇宙まで飛び出して行きました。

 そして、星に衝突。宇宙から加速度をつけて戻ってきたルビーは星とともにそのまま流れ星となって地球に戻ってきたのです。

スターダスト


 ちょうどそのころ、星空の下でピクニックをしていたトリスタンとヴィクトリア。

 ヴィクトリアは恋人のハンフリーがイプスウィッチまで指輪を買いに行き、それを自分にプレゼントしてプロポーズするつもりであることをトリスタンに話していました。

 それを聞いたトリスタンは折よく空に現われた大きくてきれいな流れ星を見て、「星を持って帰る」ということをヴィクトリアに約束します。

 トリスタンはさっそく、門番のいる壁のところにやってきました。

 星が落ちたのはこの壁の向こう側。何としても、壁の向こうに行く必要があります。

 門番のおじいさんは父のダンスタンが壁を越えたときと同じ人。
 おじいさんはやはり、トリスタンを通してくれません。

 そこで、トリスタンは父と同じように、帰ると見せかけて通ろうとしますが、おじいさんは18年前と同じ手にはひっかかりません。

 トリスタンは門番のおじいさんに杖で殴られ、追い返されてしまいました。

 家に戻り、父のダンスタンに事のてん末を報告すると、父親はあの白いマツユキソウのブローチを息子に手渡し、「母さんがくれたものだ」と告げました。

 そして、息子に宛てられた手紙が赤ん坊だった息子とともに届けられたことを教え、その手紙をトリスタンに手渡します。

 母からの手紙を開くトリスタン。中には黒いバビロンのろうそくが入っており、"このろうそくを使って母のことを思えば、母のところへ来られる"と書いてありました。

 さっそく、父に火をつけてもらったトリスタン。ところが飛んだ先は母のところではありません。

 トリスタンは、大きく地面がへこんでいる周りの様子から、ここが星が落ちた場所だと気がつきました。

 どうやら、トリスタンの心はヴィクトリアにした「星を持ち帰る」約束を果たす方を優先してしまったようです。

 そして、トリスタンは1人の女性がいることに気がつきました。彼女の首もとには赤いルビーのネックレスが。

 その女性、イヴェイトンが星であることを知ったトリスタンは彼女に縄をつけ、さっそくヴィクトリアのもとへ連れて帰ろうとするのでした。

スターダスト


 一方、流れ星の落ちたちょうどそのころ、ストームフォールドにある魔女の城では3人の魔女が星を眺めていました。

 実は、星には若返りの力があり、星を食べると若くよみがえることができるのです。

 その力を欲した魔女たちははるか昔に落ちた星を食べつないで生きてきましたが、再び年老いてきており、もう一度星の心臓を食べることが必要でした。

 彼女たちは一番下の妹ラミアに残してあった星の残りを食べさせて若返らせます。

 ひと口、星を食べるとしわくちゃの老婆の姿は消えて、そこに現れたのは若い女の姿でした。

 ラミアは星の心臓をえぐるための紫暗色の薄い、切れ味のいいナイフを選んで、さっそく城を出発しました。400年待った流れ星。なんとしても捕まえなくてはなりません。

 途中、農家の軒先にいたヤギと荷車を奪い、農家の青年もヤギに変えて2頭に荷車を引かせ、ラミアは160km離れた星が落ちた場所に向かいました。

 ところが、向かった先には星の姿はなく、ラミアは星に逃げられたことを知ります。

 城にいる姉たちに星の行き先を魔法で探らせると、どうやら、間もなく星はラミアのいる場所に向かってくることが分かりました。 

 それならそうと、ラミアは道沿いに宿屋を魔法で出現させ、星を待ち伏せすることにします。

 ヤギ2頭を人間にし、元からヤギだった男は宿屋の主人として、ヤギにされていた農家の青年は女に変えて宿屋の娘にしてしまいました。

 ラミアの魔法はとても便利なのですが、魔法を使えば使うほど、ラミアの外見は衰えていきます。もう、手が元の老婆の手にもどりかけていました。

スターダスト


 さて、魔女が流れ星を追い、トリスタンが流れ星イヴェイトンを村に連れ帰ろうとする中、ストームフォールド王国の王子たちも必死です。

 お城の中では司教が第7王子セプティマスを毒殺しようとして失敗。自分が毒を飲んで死んでしまいました。

 第7王子セプティマスと第3王子ターシアスはそれぞれ星を探しに出かけることにします。

 一方のトリスタン。休憩することにしたトリスタンはイヴェイトンが逃げないように木にロープを縛りつけておきました。

 しかし、トリスタンがいないうちに森からユニコーンが現われて、イヴェイトンを助け出してしまいました。

 彼女はユニコーンに乗って魔女が宿屋を構える街角にまでやってきました。ラミアはすかさず、イヴェイトンをユニコーンから降ろして、宿屋の中に案内してしまいました。

 イヴェイトンに逃げられたトリスタン。

 途方に暮れているところ、空から月が、イヴェイトンを守るため、馬車に乗りなさいと語りかけてきます。

 その言葉通り、道を通りかかる馬車に飛び乗ろうとするトリスタン。

 そして失敗。

 急停車した馬車からは人が飛び出てきました。なんたる偶然か、この馬車は第3王子ターシアスのもの。

 馬車に乗っているのは先に死んだ王子たちの幽霊です。
 幽霊たちは眠っているところを起こされて、びっくり。

 ターシアスはトリスタンが第7王子セプティマスの手の者ではないことが分かると馬車に乗せてくれました。

スターダスト


 彼らがたどり着いたのはやはり街筋にあるラミアの宿屋。

 トリスタンに馬を納屋につながせている間、第3王子ターシアスは宿の中に入っていきます。

 しかし、誰の応答もないので、そのまま風呂に入ってしまいました。
 そこに現れたラミアは第3王子ターシアスののどをかっ切って殺してしまいます。

 第3王子ターシアスも見事、兄弟たち幽霊の仲間入り。

 入浴中だったので、裸のまま幽霊になったターシアスはどこか恥ずかしそうな様子。幽霊たちは第3王子ターシアスを応援していたので、彼が仲間になったことにがっかりしていました。

 一方、トリスタンはイヴェイトンを見つけ、魔女の手から守ろうとします。

 追い詰められたところをユニコーンが助けてくれますが、ユニコーンはあえなく魔女に焼かれてしまいました。

 万策窮したトリスタンは母がくれたあのバビロンのろうそくを取り出します。
 火をつけ、「故郷を思って!」とイヴェイトンに叫ぶトリスタン。

スターダスト


 飛んだ先は何と雲の上。

 トリスタンは故郷ウォール村を考えましたが、イヴェイトンが考えた故郷は宇宙。

 2人がバラバラだったので、ちょうど中間をとって、雲の上。

 がっかりする2人。どうしたものかと雲に乗ってふわふわと空を漂っていると、上から網が投げかけられ、2人は身動きできなくなってしまいました。

 やってきたのは空飛ぶ海賊船。
 2人は船に乗せられ、縛りあげられて船倉に入れられてしまいます。

 船倉に来たのは船長のキャプテン・シェイクスピア。

 彼は怖そうな顔で、声を荒げ、2人を脅しつけます。それを窓からこっそりのぞく部下の海賊たち。

 トリスタンはイヴェイトンを自分の妻だと言ってかばい、キャプテン・シェイクスピアに故郷イングランドのウォール村に帰りたいと要求します。

 イギリスと聞いたとたん、キャプテン・シェイクスピアはトリスタンを海に投げ込んでしまいました。

 大騒ぎする部下の海賊たち。

 キャプテンはイヴェイトンを船長室に連れてこさせ、部下の海賊たちを部屋から閉め出しました。
 
 驚いたのはイヴェイトン。
 部屋にはトリスタンがいるではありませんか。

 キャプテン・シェイクスピアはイギリスの話が聞きたくてしかたがなかったようです。

 2人に服とドレスを与え、自分が、海賊の船長らしく、恐怖の対象として伝説を作り、演じてきたことに疲れたと語るのでした。

 ところで、キャプテン・シェイクスピアの商売は電気の売買。

 顔見知りの商人のところに行って、1万ボルトを200ドルで売ることに成功します。

 目ざとい商人はイヴェイトンを見つけ、「星はカネになるぞ」とキャプテン・シェイクスピアにささやくのでした。

スターダスト


 一方、地上の世界。第7王子セプティマスは魔女の宿屋があったところにたどり着きますが、湯船につかった第3王子ターシアスの死体があるだけ。

 湯船の中を手下に探らせますが、ルビーはありません。
 しかし、セプティマスは魔女にヤギにされていた農家の青年がいることに気が付きました。

 そして、彼から魔女が星の心臓を狙っていること、星の心臓を食べると若返ることを聞き出しました。

 セプティマスは、星を捕えてルビーも手に入れれば、永遠の命と王国の両方が手に入るとほくそ笑むのでした。

スターダスト


 さて、再び空の上の空飛ぶ海賊船。

 キャプテン・シェイクスピアは船上でダンスパーティを催します。
 トリスタンやイヴェイトンが楽しそうに踊り、海賊たちも思い思いに楽しんでいました。

 その後、キャプテン・シェイクスピアじきじきの操縦により、かなり危うげですがなんとか地上の海に着水。

 陸まで2人を送り届けてくれました。そして、キャプテンはトリスタンにひそひそと何やら耳打ちをします。

 あまりに優しいキャプテン・シェイクスピアの様子に仲間の海賊たちはそわそわ。

 副船長が咳払いをしてキャプテンに知らせ、慌てていつも通りの怖そうな様子を見せるキャプテンなのでした。

 キャプテンと別れて、地上に戻ったトリスタンとイヴェイトンは道を故郷に向かって歩き始めますが、とにかく遠い。

 そこで、通りかかった黄色い馬車に乗せてもらうことにします。

 馬車を走らせていたのは魔女サル。トリスタンの母親を監禁していたあの魔女でした。

 サルは「トリスタンのつけている白いマツユキソウのブローチと引換えならば乗せてやる」、といいます。

 「いいよ」といって母のマツユキソウを手渡すトリスタン。

 途端に魔女サルはトリスタンをネズミに変えてしまいました。母のマツユキソウには身を守る力があったのです。

 ネズミにされたトリスタンはかごに入れられ、荷台に積み込まれます。

 イヴェイトンはサルに飛びついて文句を言いますが、サルにはイヴェイトンが見えない様子。

 イヴェイトンは馬車の荷台に乗り込み、ネズミになったトリスタンにチーズを与えながら、トリスタンへの愛を語るのでした。

スターダスト


 一方、魔女のラミア。彼女は見失った星の居場所を探して商人の元にたどり着きます。

 彼からトリスタンたちが故郷ウォール村にむかったことを聞き出し、おしゃべりな商人の声をカエルの鳴き声に変えてしまいました。

 そして、ラミアはウォール村に向かいます。

 次にやってきたのは第7王子セプティマス。

 彼はカエルの鳴き声しか出せない商人に怒って彼を殺し、キャプテン・シェイクスピアの元に向かいました。

 トリスタンたちを降ろしたまま、地上に停泊している海賊船に第7王子セプティマスは部下とともに乗り込んでいきます。

 海賊の仲間たちが応戦する中、セプティマスはキャプテン・シェイクスピアの元へ。

 キャプテン・シェイクスピアの趣味は実は女装。

 今日もお楽しみの真っ最中で、白いドレスに羽飾りのついたピンクの扇子をもち、楽しげに腰を振りながらダンスの真っ最中でした。

 そこに踏み込んだセプティマス。びっくりしているキャプテン・シェイクスピアを捕え、トリスタンらの居場所を聞きだそうと脅迫します。

 そこに踏み込んできたのは仲間の海賊たち。

 キャプテン・シェイクスピアは助け出されますが、趣味が海賊たちにばれてしまいました。

 ところが、海賊たちは案外平静。かれらはとっくに船長の趣味を知っていたのです。

 「とりあえず、部屋から出てってくれ」というキャプテン・シェイクスピアでした。

スターダスト


 一方、ネズミにされたトリスタン。

 魔女サルはウォール村にほど近いストームフォールド王国の町に着くと、彼をおろして魔法を解いてくれました。
 
 人間に戻ったトリスタンは町の宿屋にイヴェイトンとともに泊まります。

 そして、「馬車の中での話は本当かい?」とたずねるトリスタン。

 イヴェイトンは「まさか、ネズミにされたトリスタンに聞こえているとは思わなかった」「だってチーズ食べてたじゃない! 」といってあわてますが、トリスタンを愛するイヴェイトンの気持ちは本当でした。

 トリスタンは、「キャプテン・シェイクスピアの秘密の話は"真実の愛は目の前にある"ということだったんだ」、とイヴェイトンに告げ、その夜、2人は初めて結ばれます。

 翌朝、朝早くに起き出したトリスタンは、まだ眠っているイヴェイトンの髪の毛を少し切りとります。

 それをハンカチに包み、宿屋の主人にイヴェイトンへの伝言を頼んでから、トリスタンはウォール村に向かいました。

 ヴィクトリアを呼び出し、ハンカチに包んだ髪を「星の一部だよ」と言って手渡します。
 それを開いたヴィクトリア。

 中に入っていたのは灰でした。

 ヴィクトリアは「ただの星くず(スターダスト)じゃない!」そう言って怒ります。

 トリスタンはそれを見て、ウォール村にイヴェイトンがくると灰になってしまうことに気がつきました。

 慌てて、ストームフォールド王国のイヴェイトンのところに戻ろうと走り出すトリスタン。

スターダスト 


 一方、イヴェイトンは朝起きるとトリスタンの姿がないことに気が付き、宿屋の主人から「ヴィクトリアのところに行く、真実の愛を見つけたから」というトリスタンの伝言を聞きます。

 このニュアンスの違う伝言を受け取ったイヴェイトンはトリスタンが自分を捨て、ヴィクトリアのところに戻ってしまったのだと勘違い。
 彼を追ってウォール村との境へ向かっていました。

 イヴェイトンは途中、ストームフォールド王国の市場を通り抜け、そのときにトリスタンの母の目の前を走り抜けていきました。

 母ウーナはイヴェイトンに壁を越えたら灰になることを知らせようと、自分を捕えていた魔女サルを馬車に閉じ込め、馬車を飛ばしてイヴェイトンを追ってきました。

 ぎりぎりのところでウーナはイヴェイトンに追いつき、彼女を何とか引きとめます。

 しかし、そこに現れたのは魔女のラミア。

 ついにラミアは星に追いついたのでした。
 ラミアはイヴェイトンとウーナの2人とも捕まえて馬車に押し込み、魔女サルを殺して自分の城へと逃げ去りました。

スターダスト51.jpg


 トリスタンが壁にやってくると、すでにとき遅し。

 門番のおじいさんは「ウォール村の方からだけじゃなく、ストームフォールド王国の方からも何やらやって来るというのではもう、やっていられない」とぶつくさいいながらどこかへ去って行ってしまいました。

 そこで、トリスタンは難なく壁をこえ、魔女サルの馬車からサルに奪われた白いマツユキソウを回収し、魔女ラミアの後を馬を飛ばして追います。

 そしてその直後にやってきた第7王子セプティマス。かれは魔女サルが魔法の戦いで敗れた痕跡を見て、魔女ラミアに先を越されたことに気が付き、やはりラミアの後を追って馬を駆けて行きました。

 魔女の馬車のわだちのあとをつけてきたトリスタン。そこにそびえたつのは魔女の城でした。

 トリスタンが中を覗き込んでいると、後ろからナイフが突きつけられます。

 第7王子セプティマスが追い付いてきたのです。「協力しよう」、という王子セプティマスにトリスタンは同意し、2人で魔女の城に突入しました。

 たちまち魔女たちと激しい戦いになります。トリスタンはそのとき、初めて母ウーナと出会いました。
 2人は物陰に隠れ、王子セプティマスの戦いを見守ります。

スターダスト


 もちろん、兄弟の王子の幽霊たちもこの戦いを見ていました。王子は当初優勢でしたが、魔女ラミアは一枚上手。

 魔術を施した小さな土人形の手足を折ったり曲げたりして王子の動きをラミアがコントロールしてしまいます。最後にはラミアが人形を水の中に投げ込み、王子は溺死してしまいました。

 トリスタンは母と隠れていましたが、「男らしく戦うのよ」と母に勇気づけられ、トリスタンは魔女に戦いを挑みます。

 まず、魔女たちが閉じ込めていた動物たちを解き放ち、オオカミに姉の魔女を喰い殺させました。
 そして、残るラミアに迫ります。

 トリスタンはラミアを追い詰めますが、そこでラミアが「姉が殺されて、この先、ひとりで生きるつもりはない。もうイヴェイトンを連れて行って」と言いだすではありませんか。

 トリスタンは半信半疑、イヴェイトンを連れて逃げ出しました。
 しかし、玄関に達すると思われた瞬間、バタンと締まるドア、続いて窓が次々に砕け散り、ガラスの破片が四方八方に飛散してトリスタンとイヴェイトンを襲います。

 最後の決戦。見事にトリスタンはラミアをやっつけることに成功しました。

スターダスト


 イヴェイトンを守りきり、イヴェイトンが身に着けていた王位継承者の証であるルビーを手にしたのはトリスタンでした。
 そして、王女ウーナの息子であるトリスタンは王家の血を引く者。

 彼はストームフォールド王国の王位継承者となることが決まったのです。

 そして、そのときまで戦いを見守っていた幽霊たちは次々に天界に召されて行きました。

 トリスタンとイヴェイトンはストームフォールド王国の王位を継ぎ、国王と女王になりました。

 すばらしい、豪勢で華やかな戴冠式には父ダンスタンや母ウーナ、空飛ぶ海賊キャプテン・シェイクスピアにかつての憧れの人、ヴィクトリアと恋人ハンフリーの姿も見えます。

 皆に祝福され、歓迎されたトリスタンはストームフォールド王国を統治することになったのでした。

 その後のトリスタンとイヴェイトンがどうしたか?

 夫婦は我が子の成長を見届けた後、あの、母ウーナがくれたのと同じ、バビロンのろうそくを使って空に飛び立ちました。

 彼らは光り輝く2つの星になったのです。

 今も輝きつづける2つの星はトリスタンとイヴェイトン。ずっとずっと永遠に輝いて、地上の王国を見守っています。

スターダスト


★とにかく幸せな物語。

 トリスタンという村の一青年が冒険を通して次第に成長し、真の愛と幸せを手に入れる絵にかいたようなファンタジスティックストーリー。

 トリスタンは最初はとても頼りなくて、ヴィクトリアの恋人ハンフリーとけんかしても負けるし、門番の97歳のおじいさんとけんかしても負けてしまうくらい弱かった青年。

 ヴィクトリアは美人だけれど、貧乏なトリスタンを馬鹿にしていて、贈り物やシャンパンを持って行かないと、トリスタンなどは相手にしてくれない。恋人は村一番の金持ちで美青年のハンフリー。

 ところが、トリスタンはヴィクトリアにいいようにされても、それに気がつきません。

 流れ星を探しに行き、イヴェイトンに出会っても、彼女をただのヴィクトリアへのプレゼントとしか思っていません。

 それでも、イヴェイトンから、直接に彼女の真剣な気持ちを聞いたトリスタンはイヴェイトンの愛こそが真の愛だということに気が付いていきます。

 「真実の愛」が何かについて、イヴェイトンはトリスタンにこう語っていました。「愛は純粋なものよ」、と。

 イヴェイトンはルビーが飛んできて、地上に落ちてくるまで、空でひとり輝く星でした。
 空から、何世紀もの間、数え切れないほどの人間の争いや戦争、憎しみや悲しみを見てきました。

 そして、イヴェイトンは同時に、人間の愛も見てきていました。

スターダスト


 「愛」こそは人間の持つ素晴らしいもの。空に輝く星ですら手に入れられない、温かくて、いとしいもの。

 イヴェイトンはトリスタンへの愛をねずみにされたトリスタンに向かって語りかけ、最後に「私の心をあげる」と言います。

 トリスタンのヴィクトリアへの「愛」は常にモノが付きまとう愛でした。

 彼女を呼ぶときにはいつも花束をプレゼントする恋人のハンフリーに対抗するため、必ず赤いバラの花を一ダースも抱えて行きます。

 また、ピクニックに誘うため、彼女の歓心を引こうと、なけなしの金をはたいてシャンパンを持ち出しました。

 さらに、ヴィクトリアは「ハンフリーがプロポーズのため、指輪を遠くまで買いに行くのよ」と自慢します。

 彼女はトリスタンにはハンフリーにとても張りあえないことを見越していました。

 トリスタンはハンフリーにお金では勝てないため、「流れ星を持ち帰る」とヴィクトリアに約束しました。
 幾多の困難を乗り越えて、本当に流れ星を持ち帰ったトリスタン。

 ところが、星はスターダストに。イヴェイトンの髪は灰になっていました。

スターダスト


 このシーンはヴィクトリアの愛に対する考え方が本当によく現れているシーン。

 彼女はまず、キャプテン・シェイクスピアのおかげで、ずいぶんとあかぬけて、外見が良くなったトリスタンに今までとは明らかに違う態度を見せます。

 喜びの声をあげ、トリスタンに抱きつき、キスをしようとするヴィクトリア。

 ところが、贈り物を受け取り、中身がスターダストだと知ると途端に態度が豹変し、トリスタンを責め立てます。

 ヴィクトリアにとって、愛は何か形のあるもの。

 彼女は本当に星を持ち帰り、約束の日を守ろうとしたトリスタンのその忠実さを評価しません。

 彼女にとっては「自分が相手から何を得られるか」、ということが一番大事。

 ヴィクトリアの愛はとても物質的で、相手に対して、形のあるものを自分に捧げるように求めてきます。

 しかしイヴェイトンの愛は違う。イヴェイトンが捧げ、トリスタンに求めたのは心からの愛。

 この点で、イヴェイトンの愛とヴィクトリアの愛は対象的なのです。

スターダスト


★約束を守る、ひとつのことをやり通す。

 トリスタンはとにかく正直でまっすぐな性格。

 ヴィクトリアに冷たくされても決してあきらめず、毎晩、彼女のもとに通います。

 仕事でさえ、ヴィクトリアの次。彼女のためなら仕事も放り出し、結局はクビになってしまいました。

 トリスタンは、イヴェイトンとの真実の愛を見つけたあとも、ヴィクトリアとの約束を守ろうとします。

 約束の日に遅れまいと早々にイヴェイトンのもとを抜け出し、ヴィクトリアの家まで行って流れ星を届けます。

 しかし、その流れ星がスターダストになっていました。

 仮に、約束に遅れて、イヴェイトンとトリスタンが一緒にウォール村に来ていたらイヴェイトンは灰になってしまうところでした。

 トリスタンが約束を忠実に守ったからイヴェイトンの命は救われました。

 また、トリスタンは故郷の村に星を持ち帰る、そのことのために、さまざまな危険にさらされますが、すべてを乗り越えてきました。

 約束を守ること。そして、一つのことをやり通そうとする意思と行動力。忘れたくない人間のちからです。

スターダスト


★アンチ・ファンタジー

 人間としてこの世に生まれ、10年も生きていれば、世の中はとてもファンタジスティックには回っていないことが分かってきます。

 全てが正義ではないし、不合理なことの方が通ることもある。
 「本当に、それでいいのか?」と疑問に思うことも少なくない。

 現実が見えてくると、人間は夢や理想を見なくなってきます。

 ファンタジーはウソ八百。世の中には素敵な王子様も、美しい王女様もいない。火を吹く竜もいなければ、目を見張るように立派な大きなお城もありません。

 ファンタジーが好きだった幼いころはパン屋さんやサッカー選手、花屋さんや宇宙飛行士になりたい、そう言っていた子供たちが大きくなるとそうではなくなる。

 それが人間の成長というもの。
 これは、マイナスに成長するということではありません。

スターダスト


 自分を知り、社会の仕組みがどうなっているのかを知る過程で、自分の人生を考えるから夢は変化していくのです。

 夢が"変化した"、ならいいのですが、夢を現実に合わせて小さく"削った"という記憶があると少し哀しくなるかもしれません。

 それでも"夢を見る"ことのできる人間は素晴らしいと思いませんか?

 今そのときを生きるのみならず、夢を見、想像することのできる人間は豊かです。

 ああだったらこうだったら、ああしたいこうしたい、という夢の世界を頭の中で想像できる人間に生まれることができたことは喜びです。

 もし、今何をすべきなのか、行き場を失ったり、進むべき道が見えなくなったら、かつて自分が思い描いたものがどこにあるかを思い出せばいい。

 そうすれば見えなかったものが見えてくるときもきっとあります。

 どうせなら、人間に生まれたことを楽しみましょう。
 夢を見ることを忘れたならば、また「スターダスト」を思い出して。

 「スターダスト」は大人になった人間にもまた、「夢の見かた」を教えてくれるかもしれません。

スターダスト
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ストレイト・ストーリー

映画:ストレイト・ストーリー あらすじ
※レビュー部分はネタバレあり

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 ストレイト・ストーリー。タイトル通りのシンプルな映画。難解かつ不可解な映画の得意なデヴィッド・リンチ監督にしては、「普通」なストーリーなのが逆に新鮮。

 主役のアルヴィンを演じたリチャード・ファーンズワースはストレイト・ストーリーで主演男優賞にノミネート。そしてストレイト・ストーリー公開の翌年には拳銃自殺により亡くなりました。

 アイオワ州ローレンスに住むアルヴィン・ストレイトは70歳を超える老人で、娘のローズとともに暮らしている。彼はもともと体が思うように動かなくなってきていたのだが、ある日、ついに転倒してしまい、病院に運び込まれる事態に。それ以来杖を2本使って歩くようになっていた。

ある日、ローズは電話でアルヴィンの兄が脳卒中で倒れたという知らせを受ける。

 アルヴィンと兄ライルは長いこと音信不通で、二人はこの数十年は顔も合わせていない仲。ローズはアルヴィンにどうするか尋ねるが、彼は何も言わない。しかし、数日後、アルヴィンは驚くべき決意をローズに告げる。「兄に会いに行くことにする」、と。

 アルヴィンは杖なしでは歩けないほどなので、車の運転はおろか、バスにも乗ることも難しいとローズは思っていた。しかし、そんな彼女の心配もよそに、なんとアルヴィンは芝刈り機で560キロ余り離れたウィスコンシン州マウント・ザイオンまで行くと言い出す。



【映画データ】
ストレイト・ストーリー
1999年・アメリカ,フランス
監督 デヴィッド・リンチ
出演 リチャード・ファーンズワース,シシー・スペイセク,ハリー・ディーン・スタントン



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映画:ストレイト・ストーリー 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり

★あらすじ -アルヴィンの道程と出会った人々-

 ローズは反対しながらもソーセージを買い込み、準備を手伝う。そしてアルヴィンは出発するが、すぐにエンジンが故障。町に戻ってくる。中古のトラクターを購入し、すぐに再出発。

 最初にあったのは家出したヒッチハイカーの少女。彼女は妊娠5カ月で、家族にそのことを言えずに家を出たという。アルヴィンは彼女に「家族は心配しているぞ」、と言い、家族というものは寄り集まった小枝の束のように、パキリと折れることはないものだ、と語る。

 翌日の朝、彼女の姿はなく、代わりに木枝の束が束ねられて置いてあった。

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 次に出会ったのは芝刈り機でゆっくり進むアルヴィンの横を自転車で走り抜けていく若者の集団。彼らのテント地に夜になって合流したアルヴィンは、年寄りの一番つらいこと、として「若いころを忘れられないこと」、そして、いいこととして、「正しいものとそうでないものを見分けられるようになったこと」だと告げる。

 さらに進むアルヴィン。今度はエンジンが再び故障。坂を転がり落ちるようにして町に入り、そこで農機具メーカーに勤務していた男性に助けられる。彼の家の庭でキャンプしながら、修理を待つ。

 待っている間に同い年の男性がやってきて飲みに誘う。町の酒場で酒を飲みながらかつて従軍した戦争の記憶を話す二人。どうしても忘れられない戦争の記憶は二人の心にいまだ残る傷でもあった。

 トラクターを修理したのは双子の兄弟。喧嘩ばかりの彼らに、アルヴィンは散々値切った末、年の近い兄弟と言うものは本当にお互いのことが分かりあえるありがたい存在なのだという。顔を見合せる双子。

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 宿泊先の男性にも礼をいい、早朝に出発。彼はカーテンの陰からそっと見送っていた。

 兄の家の近くまであと少しというところまで来たアルヴィンは教会の墓地の近くで野宿する。そのとき、牧師が出てきてアルヴィンの焚火の近くに座る。話をするうち、牧師が病院で運び込まれた兄ライルの姿を見かけ、話をしたとアルヴィンに言う。兄は自分の教区民だと。アルヴィンは無事かどうか尋ねるが、牧師はその後は会っていないので知らない、という。

 ここまでくればもう少し。酒場に立ち寄り、戦争後に復員してから酒びたりになってその後断酒して以来一滴も飲んでいなかったビールを飲む。ミラーのライトを指定し、満足そうに飲むアルヴィン。

 酒場のマスターに教わった道を進んでいくと、後ろから大型トラクターがやってきて、最後の道順を聞く。大型トラクターに先導されて、アルヴィンの小さなトラクターはついに兄ライルの家にたどり着く。

 兄の名をよぶアルヴィン。しばらく応答がなかったが、やがて出て来たのは紛れもなく年老いた兄の姿だった。脳卒中の後遺症で歩行器に頼って歩く兄の姿に感極まるアルヴィン。やがて夜が更け、兄弟は揃って星空を眺めるのだった。

 アルヴィンが家を出てから、6週間が過ぎ去っていた。

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★家族、兄弟、そして愛。

 とにかく、自分の力でたどり着くことに執念を燃やし、兄の元にたどり着くアルヴィン。彼の頑固さはしかし、道中で出会った多くの人を勇気づけ、人生に対する考え方をちょっとだけ変えました。

 彼を見ていて誰もが思うのは家族への気持ち。家出した少女は家族に妊娠を責められるのが嫌で家出したわけですが、アルヴィンは妊娠したことよりも、わが子が家出したことの方が心配になるもんさ、といって少女を諭します。

 彼女はアルヴィンが起きた夜明けにはすでにいなくなっていましたが、家に戻る決意を固めたのでしょう。あとに残されていた小枝の束がそれを表しています。細い木の枝も、束にされたら折れることはない。少女の折れそうな心も、きっと家族は支えてくれるはず。アルヴィンの心は少女に伝わったようです。

 言い争う修理工の双子には年の近い兄妹は宝だと言うアルヴィン。誰だって、家族が大切、兄弟が大事、なんていうことは他人に言われなくても分かっています。少なくとも多くの人は分かっているつもりなのです。

 しかし、ずっと近くにいると見失ってしまう。"本当に大切なものは目には見えないもの"などといいますが、家族というものはまさにそれです。実際にもアルヴィンだって、兄と酷い仲違いをして何十年と音信不通だったのです。何が原因だったのか、そのままアルヴィンと兄は別々の人生を歩み、いつしか数十年。あんなに仲の良かった農場育ちの兄弟でも、お互いを見失ってしまうことがかつて、ありました。

 時折映し出される美しい星空。満天の星が空に輝いています。かつて兄と見たあの美しい星空は年月を経た今も変わらずそこにある。今、アルヴィンの見る空も、兄の観る空も同じ空。

 大きな時間の流れの中で、数十年の時の流れは一瞬にもならない。宇宙から地球を眺めれば、この小さな青い星の上にいるひとりひとりの人間はとても小さい存在。昔のいざこざなんて、問題にもならない、ささいなことではありませんか。それよりも、もっと大事なものがあります。

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 人間がこの世に存在して良かったと思えるのはなぜ ?

 ただ、この地球に「いる」だけではなくて、意味があって、そこで生きていること。人の優しさや愛情はその人がただそこにいるというだけではなく、そこに存在する意義があることを教えてくれる。人の優しさを受けたときに人は優しい気持ちになれる。そして、相手から愛情を受けていると感じたときに、自分がそこにいるということの本当の意味を理解する。その相手は家族でも恋人でも友人でも。誰だっていいでしょう。

 人間と人間の間の「絆」は目には見えないけれど、"本当に大切なもの"。お金で買えるものではないし、急に欲しいと思っても手に入るものではありません。けれど、一度芽生えた「絆」はずっと残るもの。ちょっとした行き違いや、けんかをすることがあって、疎遠になってしまったとしても、それでまったく絆がなくなってしまうわけではありません。アルヴィンの場合は、兄との「絆」をもう一度、取り戻す決意をしました。

 年の近い、仲の良かった兄。すっかり疎遠になってしまったけれど、かつての懐かしい思い出がアルヴィンを兄のもとへと向かわせました。そして、やっとのことでたどり着いた兄の家。ほどなく出て来た兄は年こそとっているにしろ、思いがけない弟の訪問に対する驚きと、かつてと変わらない優しさをもって迎えに出てくれました。年月は2人の間の愛情を消し去ってはいなかったのです。むしろ、

 年月は兄弟の心を穏やかにして、家族への愛と家族がいることへの感謝の念を生みだしていました。兄と弟がその夜に見た星空は昔と変わらない輝きをもって2人を迎えてくれたことでしょう。

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★アルヴィンの秘密。

 アルヴィンは第2次世界大戦に従軍していました。途中、トラクターの故障で立ち寄った町で、同年の老人と共に酒場で話しているときにアルヴィンは自分の秘密をその老人に打ち明けます。

 アルヴィンは狙撃兵でした。戦争も末期、ドイツ軍には少年兵も多くなってきており、年若い小柄な兵士も多く戦場にいました。
 そんな状況下、アルヴィンの部隊には小柄な兵士が一人いました。彼は優秀な斥候兵でした。アルヴィンは戦闘のごたごたのなか、彼が斥候に出ているとは知らず、その兵士をドイツ軍兵士だと思い込んで狙撃してしまいます。

 戦闘ののちに見つかった射殺死体。部隊の仲間は彼がドイツ軍に射殺されたと思いましたが、アルヴィンだけは自分が撃ち殺したことを分かっていました。「今も戦友たちはドイツ軍に射殺されたと思っている」とアルヴィンは語ります。

 アルヴィンは顔見知りでもない、初めて知り合ったばかりのこの老人に秘密を打ち明けました。それは、この老人が昔の戦争の記憶に苦しんでいたからです。この老人は戦争が終わって数十年がたっても、いまだ、目の前で爆死した戦友たちのことが忘れられずに苦しんでいます。彼はその苦しみを打ち明けられる相手がいないことにも悩んでいました。そんな中にひょっこりやってきた同年代の老人。

 彼はさっそくアルヴィンを誘い、打ち明け話をします。アルヴィンは彼の苦しみがよくわかりました。なぜなら、彼も戦後、復員してからアルコール依存になり、酒がなくては生きていけないほど苦しんだから。

 同じ傷を持つ者として、アルヴィンは自分の秘密をこの老人と共有することで、彼の苦しみを和らげてやろうとしたのでした。アルヴィンとの間に生まれた絆です。人の優しさや共感は人間の心を和らげ、苦しみを癒してくれる。絆が生まれるとき、人の心は安心感を得て、人生はまた少し、明るく輝きます。

ストレイト・ストーリー


★The Straight story ストレイト・ストーリー。

 「ストレイト・ストーリー」の「ストレイト」とは、アルヴィン・ストレイトの姓。ストレイトさんの物語です。弟のアルヴィンが兄に会いに行くまでを描いたストーリーなので、そのものずばりのタイトルです。
 
 他には兄の家までまっすぐに伸びている一直線の道、それをアルヴィンがまっすぐに進んでいくことを指してもいます。そして、アルヴィンの性格。

 Straight には誠実な・正直な、真面目な、という意味もあります。アルヴィンのまっすぐで、頑固なまでの性格は出会う人々の心に響くものがありました。どんなに心配されても、自力で会いに行くことにこだわるアルヴィン。

 皆がアルヴィンに感銘を受けた理由は3つ。ひとつは、アルヴィンが兄にトラクターで何日もかけて会いに行く、というその姿そのもの。そして、2つ目は、アルヴィンの兄に対する誠実さや愛情。最後に、今までの人生に裏打ちされた率直な生き方に心打たれたからです。

 彼の正直で包み隠さない性格は、彼の人生そのもの。彼の生きて来た人生がどんなものであったのか、この長い6週間の旅は伝えてくれます。彼のちょっと頑固だけど、実直で、正直な生き方は、何度見ても変わらない優しさと強さを「ストレイト・ストーリー」を見る者に与えてくれるのです。

ストレイト・ストーリー
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シャッターアイランド

映画:シャッターアイランド あらすじ
※レビュー部分はネタバレあり

 「今」は現実か、それとも狂気に囚われた妄想の世界か。両方の世界を垣間見た男の葛藤をレオナルド・ディカプリオが見事に演じ切った。『解説とレビュー』では結末についての3通りの解釈と、ディカプリオ演じる主人公のテディの心理について読み解いていく。


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(C)2009 by PARAMOUNT PICTURES.All Rights Reserved.


 アメリカ本土から遠く離れた孤島、アシュクリフ。この島には重大犯罪を犯した精神病者たちが収容されるC病棟があった。”伝説の男”と呼ばれた優秀な連邦保安官・テディ・ダニエルズは女性患者の失踪事件を捜査するため、アシュクリフへと向かう。しかし、テディを出迎えた島の警察官や医者たちはどこかよそよそしく、何か隠し事をしているかのようだった。

 アシュクリフでは何かが起きている―捜査を続けるテディの前には彼の過去が関係する恐るべき“真実”が明らかになろうとしていた。



【映画データ】
シャッターアイランド
2010年・アメリカ
監督 マーティン・スコセッシ
出演 レオナルド・ディカプリオ,マーク・ラファロ,
ベン・キングスレー,ミシェル・ウィリアムズ


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左からDr.コーリー、相棒チャック、テディ・ダニエルズ連邦保安官。
(C)2009 by PARAMOUNT PICTURES.All Rights Reserved.


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(C)2009 by PARAMOUNT PICTURES.All Rights Reserved.


映画:シャッターアイランド 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり

★アシュクリフの患者だったテディ・ダニエルズ

 テディ・ダニエルズは殺人犯でした。彼は最愛の妻を殺し、それ以上に愛していた大切な子供たちを死から救うことができなかったのです。逮捕されたテディは孤島にひっそりと建つ精神病犯罪者のための病院・アシュクリフに収容されることになります。これは2年前の出来事でした。

 彼は仕事熱心な連邦保安官ですし、事件の真相究明にかける熱意は本物でしたが、彼は自分自身について""真実""を見つけることができないでいました。つまり、テディの頭の中では、自身は現役の連邦保安官であり、唯一の家族である妻を放火により失った独り身の男だったのです。そして、アシュクリフには妻を殺した放火犯”アンドリュー・レディス”なる男が収容されているはずであり、テディにはアシュクリフに隠された暗い真実を究明すべき使命があるのだと考えていました。

 今、アシュクリフでは事件が起きました。3人の自分の子を殺したレイチェルという患者の逃亡事件です。テディはレイチェル捜索とアシュクリフの陰謀をあぶり出すことを目的にアシュクリフに降り立ちました。

 ところが、これは全部テディの妄想です。レイチェルなんて女はいないし、アンドリュー・レディスなんて放火犯も存在しません。テディには3人の子供がいて、放火をしたのはテディの妻ドロレスでした。その後、ドロレスとテディは3人の子供たちを連れて湖畔の家に引っ越します。本当の悲劇はそれからでした。ドロレスが子供たちを湖に沈め、全員殺してしまったのです。帰宅してそれを知ったテディは逆上してドロレスを殺してしまいました。これがテディの過去の全貌だったのです。

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★シャッターアイランドの結末―3通りの解釈―

 さて、シャッターアイランドの結末については幾通りかの解釈ができます。まずはどのような解釈が考えられるかを考えてみましょう。

 まず、1.最初から最後まで全て夢という解釈が成り立ちます。テディは島に着いたのち、薬を盛られて幻覚を見始め、最後には自分が妻を殺した殺人犯だという妄想を抱くに至りますが、その妄想から醒めたテディは相棒の"チャック"だと思い込んでいる男に島からの脱出計画を打ち明けたため、病気が治っていないと思われ、ロボトミー手術されてしまいました。従って、テディは妻殺しをしていないし、現役の連邦保安官です。

 2つ目の解説はこうです。テディに投薬治療をしていたというDr.コーリーの言うとおり、テディは妻を殺してアシュクリフに収容された精神病者です。そして、妻を殺したという現実から逃げていました。今回、妻を殺したという現実に一瞬向き合うことができたのですが、再び、自分が現役の連邦保安官だという妄想に逆戻りしてしまいました。そのため、Dr.コーリーは外科的処置を主張する同僚の医師にテディを委ね、テディはロボトミー手術をされることになってしまいました。従って、妻を殺したテディは最後まで妄想から覚めることはありませんでした。

 3通り目、最後の解説をしてみましょう。それは、途中までは2通り目の解説と同じです。すなわち、テディは妻を殺したが、その事実を受け入れられず、現実逃避をしていました。しかし、Dr.コーリーの投薬治療を受け、覚醒することができます。テディはDr.コーリーが述べている通り、今までに何度も覚醒と逃避のサイクルを繰り返していましたが、今度の覚醒は本物でした。彼は自分が妻を殺し、3人の子供たちを助けられなかったという現実を受け入れました。

 しかし、です。この真実はテディにとってあまりに酷いものでした。そこで、テディは決断します。彼の下した結論は「死ぬ」ということ。彼は再び狂気に囚われたフリをすることにしました。テディは"相棒チャック"こと、主治医のレスター・シーハンに素知らぬ顔で"連邦保安官"テディとして話しかけます。

 テディのもくろみは当たり、Dr.シーハンはDr.コーリーに目で合図しました―「テディの狂気は抑えられていなかった」、と。Dr.コーリーは外科手術を主張する医師にテディを委ねました。ロボトミー手術をされたテディはロボット同様の人間となってしまうことでしょう。テディは彼の望み通り、テディは人間としては死んだのです。

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★シャッターアイランドの結末―どの解釈が真実か―

 テディは最後の場面で主治医のレスター・シーハンに言います。「ここにいるといろいろ考えさせられる。モンスターとして生きることと、善人として死ぬこと、どちらが嫌だ?」

 Dr.シーハンはその瞬間に理解したことでしょう。「テディは正気だ」、と。しかし、Dr.シーハンはテディを手術へと連れて行かせるままにしました。Dr.シーハンはそれがテディの望みであることを知ったからです。テディは妻を殺した殺人犯として生きることを望んではいない。彼は"連邦保安官テディ・ダニエルズ"として死ぬことを望んでいる。

 Dr.シーハンが正気のテディを制止しなかったのは主治医として、何よりわずかな時間ながらも"相棒チャック"としてテディに付き添い、妄想の中ではありますが、危険を冒してチャックを救おうとしてくれたテディに対する、できる限りの優しさだったのかもしれません。

 このテディとDr.シーハンの最後の会話は「シャッター・アイランド」の結論を方向付けています。先ほどの解説でいえば、最後の解釈です。ここでもう一つ、テディが妻を殺したというのは、妻を失ったテディの心の傷につけこまれて治療薬で見させられた妄想で、テディはそれを真実と思いこんだ。そして、最終的に狂気を装ってロボトミー手術を受ける決断をした、という解釈がありえます。

 しかし、それでは説明が付かないことがあります。それは、この映画が「誰にでも内在する人間の暴力性」をテーマにしていることとの関連です。テディは一見、正義感に溢れた男でとても人殺しなどしそうにない人間に見えます。しかし、その実、妻を殺していました。

 自身の奥底に潜む人間の暴力性。これに自分自身も他人も全く気が付いていません。テディも例外ではありませんでした。このサブテーマに説得力を持たせるためにはテディの暴力性を裏付ける事実が必要になってきます。そこで、テディが妻を殺していた、という事実は真実でなくてはなりません。従って、シャッターアイランドの結末を説明するには、3番目、最後の解釈が妥当でしょう。

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★"人間"を殺すアシュクリフ

 テディの話も全てウソではありません。アシュクリフで行われている外科的脳手術。過剰な薬の使用。廃人になった患者たち。

 Dr.コーリーは優秀な精神科医師であり、精神病は薬の使用により、治療すべきという考え方を持つ医師です。一方、外科的処置、すなわちロボトミー手術によって治療をすべきという考え方の医師もいました。どちらが正しかったか、は歴史を見れば分かる通り、ロボトミー手術は現在は行われていません。この点ではDr.コーリーは正しかったといえるでしょう。

 しかし、問題は"患者"の位置づけです。確かにDr.コーリーは優秀ですし、テディを薬によって救おうとはしていました。一方で、テディは精神医学界の論争におけるモルモットでしかなかったというのは否定できない事実です。テディがだめなら、Dr.コーリーは次の患者を探すまで。

 Dr.コーリーは誰でもいいから、1人でも医学的に”重症”の患者を回復させ、自己の治療法が正しいことを確かめたいだけなのです。Dr.コーリーがテディに述べたように、テディの治療の成否は精神医学会の最先端にいる」のは事実ですが、そこでは患者は「人間」ではなく、研究の「対象」としかみられていません。患者はもはや、人間ではありません。

 テディはC棟に行ったとき、そこに収容されているゾンビのような囚人たちから「あんたも俺も皆死んでる」と言われます。皆、病院に閉じ込められ、ここから出る希望はありません。重大な犯罪を犯したとしてC棟に収容された患者たちが治療が成功したとして退院する日は決してやってきません。脳を手術されて廃人になるか、薬漬けになって廃人になるか。いずれの道を選んでも、そこに人間として生きるという道は残されていません。人間として扱われていない彼らには未来への希望はないのです。

 海岸の洞穴に隠れていたレイチェルは言います。「灯台では脳の手術をしている。ゴーストを作ってる」。ロボトミー手術にせよ、Dr.コーリーの主導する投薬治療にせよ、いずれの治療法によっても「ゴースト」を作りだすことに違いはありません。外科的に神経回路を切断するか、それとも、薬漬けになるかの違いしかないのです。行きつく先は人間としての尊厳を失った、ただのロボット人間。

 レイチェルは大量のナトリウムの使用に疑問を持ったといいます。このレイチェルという女性医師はテディの妄想が作りだした幻覚ですが、その主張する内容はテディが認識していたアシュクリフの現実そのものでした。

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★解放されたテディの暴力性

 脳手術にせよ、投薬治療にせよ、アシュクリフにおいて、なぜそのような治療法が要求されるかといえば、前科のある精神病患者の"凶暴性"を抑制するためです。この暴力性を奪い取って、穏やかな人間にすることができれば、"治療"できたと言えることになるかもしれません。

 しかし、暴力性の発言や抑制を司るのは人の脳です。個人の暴力性を他者が外側からコントロールしようとすれば、コントロールされる側の自主性を制限するか、はく奪せざるを得ません。暴力性をコントロールしようとする視点から患者を扱えば、彼らの人間性や尊厳は奪われざるを得ないことになるのです。

 テディはかつて兵士として経験した第2次世界大戦の記憶に悩まされていました。ダッハウ強制収容所に積み上げられた収容者たちの死体。母と子が抱き合うようにして死んでいるのが見えます。怒りに駆られた連合軍の兵士たちは逃げ遅れたナチス親衛隊(SS)の兵士たちを壁際に並べ、一斉に銃殺します。その中にはテディの姿もありました。

 戦争には命の奪い合いが必然的に伴いますが、テディにとってこれは異質の体験でした。テディはダッハウに至るまで、数々の戦闘を経験してきました。しかし、反撃する武器もなく、追い詰められた人間を殺すという経験は、テディにとって初めての経験だったのです。

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★暴力性との対面

 強制収容されていた人々を家畜を殺すように"処分"したSS、そして、無抵抗のSSを容赦なく射殺したテディたち。戦争は人の暴力性をむきだしにしていきます。最前線に投入されたテディたちのような兵士たちは自己に潜む暴力性をその場で初めて自覚することになります。

 戦争が終わっても、その惨たらしい記憶が簡単に消えることはありません。また、何よりも、自分の暴力的な面を見てしまったという生々しい記憶は人間の心に消えることのない深い傷を残します。無意識下に追いやられていた人間の暴力性に気が付いたテディはそれを忘れるため、酒を飲むようになりました。

 収容者をむごたらしく殺したSSとその彼らを問答無用で銃殺したテディに何か、差があるのか。テディ自身の中にも、SSと同じ、暴力性が潜んでいる。テディは自分の取った行動に対して恐怖を抱いていました。

 テディが思い返す妻との生活は絵にかいたような幸せな生活です。しかし、テディと妻との生活は本当に幸せなものだったのでしょうか。テディのきれぎれの記憶のなかには、酒瓶をあおる自分の姿が見えてきます。テディの前に現れた妻は「私は不幸せだった」とテディに言っていました。

 一度解放された暴力性は人に鋭い爪あとを残していきます。人間の暴力性は暴力の対象となった人間のみならず、その暴力性を解放した自分自身にも大きな傷跡を残すのです。テディはただ忘れたかったのです。自分が取った恐ろしい行動を。あれは自分ではなかったと思いたい。しかし、引き金を引いたのは紛れもない自分自身の指でした。テディは酒に逃げ、仕事に逃げました。辛い記憶を忘れるために何か、他のことに熱中すれば良かったのです。

 テディの熱中した仕事が保安官という仕事だったことは象徴的です。テディは犯罪が許せなかった、それ以上に、一方的に行使される暴力に我慢がならなかったのです。それはかつて、自分がしたことを想起させるから。いずれにしろ、自分のことで精いっぱいのテディには妻のことまで気にかける余裕はありませんでした。

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★残酷な真実、死という選択

 その間に妻ドロレスは病んでいきました。酒に溺れる夫、そして仕事にしか興味がない夫。夫の心の中に妻の存在する余地はないようです。彼女は寂しかったでしょう。テディの心を自分に向けさせるため、気を引くためにマンションに火をつけてしまいます。移り住んだ湖畔の家では幸せな生活が約束されているはずでした。しかし、相変わらずテディは仕事にばかり執心し、毎日のように家を空ける生活を続けています。
これは、すっかり気の滅入っていたドロレスには打撃でした。病んだ彼女は3人の子供たちを殺してしまいます。

 一方、テディにはドロレスが病気になっているという事実は認めたくない真実でした。なぜなら、妻が病気になりかけていると認めるなら、酒に溺れていた自分、仕事にしか目が向いていない自分が妻をそこまで追い込んでしまったということを認めることになるからです。テディは妻に対する罪悪感を背負いたくないために、妻の病気を病気と認めなかったのです。

 テディはドロレスの病気に気がつかぬふりをすることにしました。うすうす気がついてはいつつも、大丈夫、と自分に言い聞かせてごまかしていたのです。だから、テディの記憶の中の妻は理想の女性。放火犯でもなく、子供を殺してもいません。妻は大家に放火されたときに、煙にまかれて死んだということになっています。そして、テディは目の前に現れた妻が湖畔の家で暮らしたころは楽しかったわね、と言うまで、湖畔の家に引っ越したことすら忘れていました。テディにとってあの家は最愛の子供たちを失った場所という辛い記憶でしかないからです。

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★病む兵士たち―『タクシー・ドライバー』と『シャッターアイランド』―

 「君は凶暴な男だ」。副所長はテディに対して意味深な言葉を投げかけます。テディは不審な顔をしていましたが、結末を知った今となっては、副署長の一言はテディの真実を突いていたことが分かります。
辛い記憶から逃げ続けてきたテディ。そのテディが真実に直面したときに知った現実の世界は妄想の世界と同じくらい、いや、それ以上に“狂っている“という事実でした。

 アシュクリフは脳手術と投薬で「ゴースト」を作りだし、戦争は人間の暴力性を解放させて「ゴースト」を作りだしました。アシュクリフも、戦争も、共に、テディの人間性の崩壊に手を貸しました。戦争とアシュクリフの両方を経験したテディは最期の選択をします。それは正義感に燃える連邦保安官―「伝説の男」として"死ぬ"という道でした。

人間の肉体はただの容れ物でしかありません。その中身がなくなってしまえば、残った肉体はただの空容器でしかない。自ら考え、行動し、喜怒哀楽がある。理性や感情を失った人間はもはや人間とはいえなくなります。暴力性ですら、"人間らしさ"の一つです。それを奪おうとすれば、人間は人間でなくなります。理性や感情は外から出し入れすることのできず、他者や外部からコントロールすることもできないものです。

 "普通の"生活をしていれば、テディのように、自らの暴力性と対面を強いられることはありません。それを知ることなく、暮らすことができるということが、いかに幸せなことか。そして、その暴力性を知ってしまった人間がいかに脆い生きものとなってしまうのか。

 現実と妄想、真実と嘘が入り混じる世界―戦争から帰還した兵士の病んだ精神を描く名作として、シャッターアイランドと同じ、マーティン・スコセッシ監督、ロバート・デ・ニーロ主演の『タクシー・ドライバー』が挙げられます。

 戦争という"むきだしの暴力"に身をさらすしかなかった人間の精神はかくも脆いものとなる。暴力との出会いと精神の崩壊を描く「シャッターアイランド」は『タクシードライバー』と共通のテーマを持っているといえるでしょう。

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【追記】
記事を上げて以来、さまざまなコメントを頂きました。記事本文中、説明不足と思われる部分がありましたので、コメントへ付けた管理人の回答部分をコピーし、【追記】というかたちでここで補足させて頂きます。


(問題点)

■テディは妻を殺したか
■レイチェルは実在するか
■テディの顔になぜ傷があるのか(2010年11月19日/加筆訂正の上、追記)
■テディの額の傷は手術の跡か【2010年11月19日追記】

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■テディは妻を殺したか

 テディが妻を殺したという根拠として、この映画におけるテーマとして、「内なる暴力性」があることを挙げていました。確かに、このテーマを根拠づけるだけなら、テディが戦争中に無抵抗のSSを殺したことだけで足りるとも思えます。

 そこで、他の根拠を挙げておきます。

 テディが真実に覚醒したにも関わらず、狂人を装ってロボトミー手術を選んだという結末を前提にした場合、テディがあえて、狂気を装った動機が必要となってきます。正気に戻ったテディはなぜ、ロボトミー手術を受けるという死に等しい選択をしたのでしょうか。
 
 それは、「死んだ方がまし」な真実を知ってしまったからです。では、その真実とは何でしょうか。収容所にいたSSを殺したことでしょうか。たしかに、彼らSSは無抵抗でした。テディがまるで、人形を撃つかのように、彼らを銃殺したことは事実です。

 しかし、それが、死を選ぶ動機になるでしょうか?あれは戦争中の出来事でしたし、殺した相手は敵軍の兵士です。そのときのテディには殺すしか選択肢がなかった状況であるともいえます。

 また、テディがSSを銃殺したことを回想しているのは、テディがまだ狂気の中にいて、自分が連邦保安官であると思い込んでいるときです。

 つまり、テディは狂気の中にいたときから、SSを殺害した記憶を保っています。正気に戻ったときに、改めてSSの記憶に驚き、死を選択する理由にはなりません。

 従って、「死んだ方がまし」な真実とはSSを殺した記憶のことではありません。また、同様の理由で、狂気の中にあったときに保持していた記憶は、「死んだ方がまし」な真実には該当しないことになります。

 さらに、決定的なのは、テディが正気に戻ったときに、1952年の春、妻ドロレスを殺したことを思い出していることです。映画の冒頭、テディの妻は「死別した」と紹介されていました。「死別した」はずの妻を、本当は自らの手で殺していた…これほどショッキングな真実はありません。

 正気に戻ったテディがその後にとった行動は、"連邦保安官"テディとして"相棒チャック"ことDr.シーハンに話しかけることでした。先の3番目の解釈によるならば、テディはこのとき正気を保ったままです。彼があえてロボトミー手術の道を選ぶまでの短い時間に判明した真実には「妻の殺害」以外のものはありません。

 従って、「死んだ方がまし」な真実とはテディ自身が妻を殺したこと、であり、従って、テディは妻を殺していたということになります。

■レイチェルは実在するか

 次に、レイチェルの問題についてお答えしていきます。レイチェルは実在するのでしょうか。

 レイチェルの隠れていたところは、崖の下の岩場のようなところでした。また、彼女はアシュクリフの医師たちに見つからないように、頻繁に住みかを変えているとも言っています。

 しかし、そんなことが本当に可能でしょうか。アシュクリフのあるこの島はさほど、大きな島ではありません。医師の他にも、警察もいます。また、島は隔絶した環境にあり、食料や日常品の入手も難しい状況です。女ひとりとはいえ、アシュクリフの住人たちにまったく見つからずに暮らすことはほぼ不可能です。

 さらに、"レイチェル"という名前にも問題があります。レイチェル。この名前は最後の方でもう一度出てきます。それはテディの娘の名前として、です。

 テディの子供は3人いました。1人はサイモン、もう1人はヘンリー。そして、最後の1人は「レイチェル」。テディの娘は何度も登場してきます。テディが狂気の中に囚われているときも、テディの娘は繰り返し登場し、テディに話しかけてきていました。

 夢の中の娘はテディに何度も助けを求めます。「どうして助けてくれなかったの?」

 これはテディにとって、重たい言葉でした。テディは妻の狂気を知って放置していたからです。そして、テディが留守にしているときに、妻は3人の子供を殺してしまった。

 テディは苦しい記憶から逃れるため、"レイチェル"という娘の名前を忘れようとします。彼は「元医師で、アシュクリフの医師たちから隠れ住むレイチェル」という別人を作り出し、我が娘の記憶から逃れようとしていました。

 さらに、RACHEL SOLANDO(レイチェル・ソランド)という名前の綴りにも秘密が隠されています。これを並び替えるとDOLORES CHANAL。これはテディの妻の名前です。さらに、テディの名前EDWARD DANIELS(エドワード・ダニエルズ)をテディの本名、ANDREW LAEDDIS(アンドリュー・レディス)に並び替えることができます。以上の根拠から、やはり、アシュクリフに隠れていた医師のレイチェルが実在の人間であるということは難しいでしょう。【この段落のみ2010年10月24日追記】

 ここから先は、コメントに即してお答えしていきます。"少し違う"さんのコメントによると、『主人公は精神医学の専門家でないのだからロボトミー手術、投薬治療には知識が無い』はずとのご意見です。だから、ロボトミー手術等について語っていたレイチェルは実在するというわけですね。

 確かに、レイチェルはアシュクリフの精神治療のやり方について批判していました。しかし、彼女の話している内容を見てみると、向精神薬の使用や、ロボトミー手術の手法の概略を話しているのみです。彼女の話している投薬治療やロボトミー手術の知識は決して特殊な知識ではありません。

 テディがアシュクリフにやってきたのは、レイチェルの捜索を名目にこの精神病院を調査し、病院で行われている陰謀を暴くためでした。精神を侵されたテディがそう思い込んでいただけとはいえ、連邦保安官を自称する仕事熱心なテディならば事前に何らかの文献を読むくらいの下調べはしたでしょう。

 従って、テディの妄想の中の人物である元医師のレイチェルが投薬治療やロボトミー手術について批判的な物言いで説明をするのはさほど、不思議なことではありません。 

 次に、"レイチェルが実在である根拠"さんのコメントによると、テディが一度寝て、起きてもレイチェルがいたことが実在の根拠であるとのご指摘をいただいています。

 ここで整理しておきたいのは、「精神異常」と「夢」は別物であるということです。夢ならば、寝て起きれば醒めますが、精神異常ではそうではありません。寝ても起きても、妄想の世界に囚われたままです。

 テディは精神を侵されていました。テディが寝て起きても、妄想の世界から帰ってくることはできません。従って、テディが寝て起きたときに、レイチェルがその場にいたことはレイチェルが実在した根拠にはなりません。

 また、『主人公は狂人だが、レイチェルはまともな医者であることに真の恐怖がある』、との趣旨のコメントを頂いていますが、本当にそうでしょうか。

 「シャッターアイランド」は「精神病者は怖いね」という映画ではありません。この映画は「狂人」と「健常者」の対比を見せて、「狂人」に恐怖を感じさせる映画ではないのです。

 主人公のテディ、その妻ドロレス、そしてアシュクリフの医師たち。テディは妻を殺し、ドロレスは子供たちを殺し、アシュクリフの医師たちは患者を殺しています。

 医師たちは「殺人」という言葉に憤慨するでしょう。しかし、人間を廃人同様にしてしまう治療はもはや、治療とはいえません。テディも、ドロレスも、医師たちも、皆、それぞれの論理に従って、"殺人"を行ったのです。

 ここで分かるのは、それぞれの人間たちに人を殺す力があるということです。それは「内面的な暴力性」として既に取り上げた問題です。その暴力性が発揮された場面によって、テディのように「狂人」として扱われることもあれば、医師たちのように「治療」の一環と評価されることもある。

 テディは言います。「俺はダッハウを見た。そこで、人間が人間に何をするかを見た」。

 テディはダッハウ強制収容所で残虐な行為を目の当たりにし、自らもその行為を行った一人となりました。テディは人間の暴力性を目の当たりにしたのです。SSのユダヤ人虐殺は時と場面によっては、ナチス=ドイツの論理によって正当化されたでしょうし、テディの行為は戦争の論理によって正当化されました。どちらも突き詰めればただの「人殺し」なのですが、その暴力はときとして正当化されることがあるのです。

 そして、その正当化の枠を外れた暴力のみが、排斥され、非難される。テディの殺人のように。テディの妻殺しと医師たちの殺人はどちらも同じ、人間の暴力性に由来するものでありながら、医師たちの殺人は「治療」として正当化されるのです。

 「人間が人間に何をするかを見た」。全ての人に暴力性は内在しています。それがどのようにして発現するかは分からない。真の恐怖は、発揮された暴力性が正当化され、自らに内在する暴力性が自覚されないことにあるのです。

■テディの顔の傷【2010年11月19日/加筆訂正の上、追記】

 レディスはなぜ、映画の冒頭から顔に傷を作っていたのか。

 彼は自分を連邦保安官テディ・ダニエルズだと思っていましたが、その実、テディことレディスはアシュクリフの患者です。そして、レディスの収容されていたのはC棟。C棟は「危険な患者用の棟」とマクファーソン副署長に紹介されていました。つまり、C棟は人に危害を加えるような暴力を振るう患者が収容される棟です。

 前頭葉ロボトミー手術は、極度の興奮状態や強度の不安症状に襲われ、その感情を自身で抑制できない患者が対象とされる手術です。レディスはこのロボトミー手術の対象者でした。C棟の患者でもあったレディスは、恐らく、我を失って暴力を振るうときがあったのでしょう。暴れる患者は力づくで職員に取り押さえられる。そのようなときにできた傷が映画冒頭のテディに残る傷であると考えられます。


 つまり、テディの顔の傷は彼が患者の一人であることを示唆するものの一つとなっています。

 次に、レディスの顔の傷がなぜ、湖畔の回想シーンではなかったのかという点について、お答えいたします。

 湖畔の回想シーンというのは結末のあたり、レディスが、子供たちを殺した妻ドロレスを自宅湖畔で発見し、彼女を自身の手で殺したことを思い出しているシーンのことでよろしいでしょうか。

 まず、この回想シーンにキズがなかったことは簡単に説明がつきます。この回想シーンは、レディスが正気だったころのものです。彼はこの時点では、実際に保安官として働いていました。妻の狂気から目を背け、あえて仕事に熱中していたレディスが捜査のため、家を空けた隙に妻は子供たちを殺してしまった。彼はこの後、狂気の世界へと陥り、アシュクリフへと収容されました。

 回想シーンではまだ、レディスは正気です。だから、顔に傷はなかったと考えられます。

■テディの額の傷は手術の跡か【2010年11月19日追記】

 メールで質問を頂きました。そのまま転載させて頂きます。

 "デカプリオの額にあるキズテープは手術の後?"

 レオナルド・ディカプリオの演じるテディことアンドリュー・レディスは、映画冒頭から顔に傷をつけています。そして、その傷がなぜついたのかについては、上の項目で説明しました。「■テディの顔の傷」の項目をご覧ください。

 では、その傷が手術痕ではないか、という点について説明いたします。まず、この傷は手術痕ではないと思われます。レディスがロボトミー手術を受けるのは時間的にもっと後のことですから、少なくとも、額の傷は手術痕ではありません。

 また、テディが受けることになる前頭葉ロボトミー手術で手術痕が残るとすれば、側頭部になるようです。全ての症例でそうなのかは分かりませんが、典型的な手術法によれば、側頭部から頭蓋骨に穴を開け、そこからメス状の手術用具(ロイコトーム)を挿入し、上下に動かして前頭葉と他の脳部位と切り離します。図解を付けておきますので、参考になさってみてください。

シャッターアイランド,前頭葉ロボトミー手術の仕方(Freeman,W.&Watts,J.Psychosurgery 1942,Charles C.Thomas).gif

前頭葉ロボトミー手術の図解(Freeman,W.&Watts,J.Psychosurgery 1942,Charles C.Thomas/財団法人東京都医学研究機構・東京都神経科学総合研究所) 

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コメント・メールを頂きました方々に改めて、お礼を申し上げます。ありがとうございました。


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サイレントヒル Vol.1【詳しいあらすじ】

映画:サイレントヒル あらすじ
※レビュー部分はネタバレあり

 サイレントヒル。その町に踏み込んだ者は果てしない恐怖を味わう。

 コナミの製作したゲームを基にしたホラー。続編の製作も発表されている。

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(C)2006 Silent Hill DCP Inc. and Davis Films Production


 母のローズと娘のシャロン、そして父のクリス。父と母は娘のシャロンを愛し、大切にしているが、心配事が一つあった。シャロンはたびたび夜中にふらふらと歩きだし、家の外へ出て行ってしまうのだ。

 そして、シャロンがつぶやく「サイレントヒル」という町の名前。ウエストバージニアにあるというその町はかつて炭鉱町として栄えたものの、炭鉱火災を起こして今は廃墟と化した町だ。「わが子を救いたい」。母親ローズの思いがサイレントヒルへと母娘を向かわせた。

 果たして待ち受けていたのは…サイレントヒルの果てしない恐怖と魔力。ローズはシャロンを救えるのか。



【映画データ】
2006年・アメリカ
サイレントヒル
監督 クリストフ・ガンズ
出演 ラダ・ミッチェル,ショーン・ビーン,ローリー・ホールデン,デボラ・カーラ・アンガー



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映画:サイレントヒル 解説とレビュー【あらすじ】
※以下、ネタバレあり

★サイレントヒルのあらすじ―完全版―

 謎の多いサイレントヒル。まずはこの謎を探るべく、あらすじで映画を振り返ってみましょう。その後、サイレントヒルの謎を詳しく解説していきます。なお、あらすじは最小限の解説を加えて、再構成してあります。

このページではサイレントヒルのあらすじのみを結末までご紹介していきます。詳しい解説とレビューを見たい方はこちら→『映画:サイレントヒル 解説とレビューVol.2』

★序章

 娘のシャロンを連れてサイレントヒルに向かったローズ。サイレントヒルの町のある地域までやってきた。ガソリンスタンドに入り、店員にサイレントヒルの場所を聞くが、店員はサイレントヒルについてあまり話したくなさそうだ。支払いをクレジットカードでしようとするが、使用を停止されてしまっていて使えない。どうやら夫のクリスがカードを止めたらしい。

 夫クリスは妻ローズが電話に出ないので、心配していたが、やはり思っていた通り、ローズがシャロンを連れてサイレントヒルに行こうとしていることを電話で聞き、彼女を止めようとする。

 クリスはシャロンを入院させたがっており、そこでの治療を優先すべきだと考えていたのだ。しかし、ローズはクリスの説得に応じようとはしない。彼女はウエストバージニア生まれのシャロンをウエストバージニアに連れて行けば、何かが分かるかも知れないと考えていた。(この時点で、ローズの口ぶりからどうやらシャロンがローズの実子ではないことが分かる。)

 ガソリン代の支払いを現金で済ませて出てくるローズ。ふと見ると一人の警官がローズの車をのぞき込んでいる。警官に何かお手伝いすることがありますか、と言われるが、ローズはそっけなく何もないわ、と返事をして車を出した。すると、バイクに乗った先ほどの警官がサイレンを鳴らして追いかけてくる。ローズは一度車を止めるものの急発進。執拗に追いかけてくる警官から逃れようとローズは無我夢中で運転する。ひどい車の揺れにシャロンは泣きわめいている。ついに、ローズはハンドルを切り損ねてしまった。

 暗転。

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★サイレントヒルへようこそ

 ふと気がつくと、シャロンがいない。車から降りてローズはシャロンを呼ぶが、誰もいる気配がなかった。そして、空から何かふわふわとしたものが降ってくる。ローズがそれを手にとってみると、手には黒いすすがついた。それは灰だった。そして、路肩の大きな看板には"Welcome to Silent Hill"の文字が。

 彼女はついにサイレントヒルに来たらしい。そのままシャロンを探しながらサイレントヒルの町に入っていくローズ。両側には食料品店や理髪店など、店のショーウィンドウが立ち並び、一見普通の田舎町と変わらない。

 ただ一つ、違うのはこの町には人気がないこと。誰一人歩いておらず、誰も住んでいる気配もしない。それは当然だ。この町はあの火災以来、廃墟と化しているのだから。不気味に沈黙する建物を両側に挟みながら、ローズは町の通りを歩いていった。すると、ふと横切る人影がある。ローズは慌ててその影を追うが、すでに姿はない。影が消えたと思われる場所に行くと、地下へ通じる階段が。しかし、その階段は異様に長く、降りていく先が見えないほど深い。

 ローズは途中まで降りたが、その先は光の届かない闇だ。躊躇した彼女はシャロンの名を呼ぶが、やはり返答はない。そこにサイレンが鳴り響く。火事を知らせるときに鳴るような警告のサイレン。ローズはゆっくりと階段を下りて行くのだった。

 地下に到達したローズはどこまでも続くような長い廊下を歩いていく。ほとんど真っ暗で何も見えないうえ、じめじめとしていて気味が悪いことこのうえない。シャロンを呼びながら進んでいくローズ。そのとき、また何かが。

 ローズはそれを追って走り出した。その先にいたのは気味の悪い形相のゾンビのような人間。人間かどうかも定かでないような者たちがたくさんうごめいている。ローズは激しい恐怖に襲われ、慌てて逃げようとするが彼らに捕まってしまう。

 暗転。

 再び気がつくと、ローズは部屋の一室にいた。室内の古びた様子から窓の外をみると、どうやらサイレントヒルの町にある建物の一室にいるらしい。

 ローズは再び、町の通りに降りて、走り出す。行きついた先には断崖絶壁が。思わず息をのむローズ。

 そこにボロボロの衣服を身にまとい、長い髪をぼさぼさにした不気味な女が現われる。彼女はローズに向かって「闇に住む者だけが町に通じる扉を開けられる」と言う。ローズがわが子を探していることを告げると、その女も自分の子を亡くしたのだ、と返す。シャロンの写真をその女に見せるローズ。すると、その女は「私の子!」と叫んでシャロンの写真にすがりつくではないか。驚いたローズは写真をしまい、女から逃げ出す。その女は「憎しみの炎に焼かれた娘…」と悲しげにつぶやくのであった。

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★灰の町

 一方、父親のクリスはローズとシャロンを探してサイレントヒルにほど近い町までやってきていた。サイレントヒルに行きたいクリスは町の人にサイレントヒルのことを聞くが、その町に行くと「灰を吸って死ぬ」と言われる。

 ローズは何とか、自分の車までたどり着いた。車のドアを開けるとそこには娘の絵が置いてある。書かれているのは学校のようだ。描かれた建物に大きく"school"と書いてある。

 ローズはクリスに電話をかけて、「ひとりじゃ無理、助けに来て」とメッセージを残す。エンジンをかけて車を出そうとするが、車は動かない。そこに警官がやってくる。ガソリンスタンドから追跡してきたあの警官だ。

 娘がいないことを疑われたローズはその場で逮捕され、手錠をかけられる。警官は無線で連絡を取ろうとするが無線が通じない。警官の頭からは血が流れている。警官もローズを追いかけていて事故に遭った際に気絶していたという。

 父はローズのメッセージを聞くが、とぎれとぎれで雑音がひどい。とりあえずはサイレントヒルに通じる橋まで到達。橋の入り口はフェンスで封鎖してあり、警官が見張りに立っている。クリスが車を降りて「妻がジープに乗っている」、と交渉すると、警部に会わせてくれた。警部は「ジープは見つかりました、ケガをした様子もないので落ち着いてください」とクリスに言う。それでもサイレントヒルに妻と子供を探しに行くというクリスに、警部も同行することになる。

 警官とローズは町の方へと歩いていく。その警官が言うには、2年前に男が子供をさらってサイレントヒルに連れ込む事件があったのだという。ローズはサイレント・ヒルの町が普通ではないことを警官に伝えるものの、彼女の言葉を警官は信じようとしない。

 そうこうするうちに、先ほどローズがぼろをまとった女と話していたあの絶壁まで来てしまった。警官はその絶壁を見て驚愕するものの、やはりシャロンがいなくなったというローズの言葉は信じようとしない。

 そこに何か、人影が見え、無線に雑音が入った。向こうからふらふらと歩いてくる者が見える。近づいてくるにつれ、その人影が異様な形状を持った人間であることが分かる。警官は警告するが、なにか吹きかけてきたため、警官に射殺された。そのすきにローズは逃走する。

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★ミッドウィッチ小学校

 ローズが向かったのは小学校。ミッドウィッチ小学校という学校がサイレントヒルの町はずれにあることを町にある地図看板で確認し、そこにむかう。玄関を入ると十字架のステンドグラスがある。そこを通り過ぎ、用務員室のような部屋で引き出しから懐中電灯を見つけ、大きな鍵束も見つける。

 一方、父親のクリスは警部とともにサイレントヒルに来ていた。拡声器を使って警部がシャロンとローズを呼ぶものの、返事はない。警部はクリスにサイレントヒルで起きた'74年の火事で父が死んだこと、町の半数の人間が死んだが、その中には当然の報いというやつもたくさんいたことを話す。

 ローズは教室を手当たり次第に探すがローズの姿はない。そのとき、ある机が目にとまった。机の表面に"WITCH"と刻まれており、その部分だけほこりが取りのけてある。机の中を見ると、教材に"アレッサ・ギレスビー"と記名してあった。

 彼女は女子トイレに入る。個室が並んでいる中、一つだけドアが開かない。しかし、中からは泣き声が聞こえるのだ。彼女はその声に怖がらないで、と優しく語りかけるとドアが開いた。開けると中にあったのは死体。古びて黒く変色し、ミイラのようになっているが、間違いなく人の死体だ。ローズは驚きと恐怖で足がすくみ、逃げようとする。そこに何者かがやってくる。ドアをガンガンたたき、中に入ってこようとしている。ローズは持ち出した鍵束でドアを施錠しようとするがうまくいかなかった。

 そこに突如としてサイレンが鳴り響く。前も聞いたあのサイレンだ。サイレンが鳴り響いたとたん、ドアの向こうにいた何かは去って行った。

 サイレンが鳴り終わるとさっきも経験した悪夢が再びやってくる。
 壁がベりべりと剥がれ落ち、赤い血のような色をした壁が姿を見せ、クモのような形をした人間がローズに迫ってくる。もはや人間とはいえない、不気味な形相になっている。ローズは逃げ出すが、目の前に金網が立ちはだかり、倒れてしまう。

 一方、父クリスと警部はローズを探し続けていた。彼らは実は化け物に襲われているローズと壁一枚くらい隔てた場所にいたのだが、なぜかローズの悲鳴が聞こえない。クリスは妻の香水の匂いがするのを感じ、ローズの名を呼ぶが、返答はなく、やはりローズの姿は見つからない。

 ローズは何とか切り抜け、水のボタボタ垂れる地下へと再び逃げ込む。そこに何かが這いながら向かってくるではないか。ローズは絶体絶命になるが、誰かがローズを扉の内側に引き込んで助けてくれた。あの警官だ。彼女らはドアをふさいで安全を確保し、警官にローズは手錠を外してもらう。

 聞こえてきたのは金属音。大きな刃がドアに突き刺さり、真っ二つに引き裂く。何度も襲いかかる巨大な鉈のような刃。しかし、突如として金属音が遠ざかり、壁が元に戻っていく。

 助かったようだ。ローズはシビルと名乗るその警官に娘のシャロンを探すのを助けてほしいと協力を頼む。

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★アレッサを追って

 一方のクリスと警部。彼らはサイレントヒルでの捜索を諦めて、町に戻ってきていた。サイレントヒルの話になると歯切れの悪い警部。クリスは彼が何か隠しているに違いないと思い、問い詰めるが、警部は何も話そうとしない。

 クリスは町の公文書館に電話し、サイレントヒル警察の資料を見せてくれるように頼むが、秘密扱いの資料なので見せることはできないと言って断られてしまう。

 ローズと警官のシビルは町のホテルにやってきていた。中に入ると、女性がいて、ダリアに石を投げている。彼女はアンナと名乗る。人間がいることに驚くローズたちは、彼女に他にも人が住んでいるのか尋ねると、アンナは教会に皆で非難をしているという。「信仰心があれば助かるのよ」とアンナ。母親に何か食べ物を持っていきたいとこのホテルに来たのだという。

 ローズがダリアと会ったことを話すとアンナはダリアを激しく嫌う。彼女によれば、ダリアは追放された罪人なのだから当然なのだという。そして、魔女を焼けばこの世の終わりを防ぐことができるのだというのだった。

 シビルはホテルのフロントから「炎に包まれている子」を描いた絵を発見。その絵は子供が描いたようだ。それが111号室のところにあったことから、彼女らは111号室に向かう。ところが111号室が見つからない。番号が飛んでしまっているのだ。ローズは不自然な壁があることに気がつき、それをナイフで破る。中にあったのは111号室の扉。扉を開けると、壁が大きく破られている。その穴から、すぐ隣の建物に飛び移り、中をみるとどうやら工場跡のようで、黒くすすけており、かつてここで火事があったようだ。そこに人影が見える。

 再び泣き声がする。人影を追ってきたローズは部屋のすみに座り込む小さな女の子を見つけた。彼女が優しく語りかけるとこちらを向く少女。その子の顔見てローズは驚いた。なんとシャロンそっくりなのだ。少女はアレッサという名前だった。ローズに「燃えてるの」というアレッサ。その後、ローズは意識を失う。

 目を覚ますと女の子はいない。アレッサのことを話そうとするとアンナにアレッサの名前を口に出さないで、と言われてしまう。「闇の者に捕まってしまうわ、走って!」と叫ぶアンナ。

 再びサイレンが鳴り始めていた。教会に向かってローズとシビル、アンナは走り出す。教会にはたくさんの人が集まり始めていた。そこにはダリアの姿が。ローズはダリアに気がつき、ダリアの娘アレッサに会ったことを話す。アンナはダリアに軽蔑したような態度を見せるが、ダリアは「羊の皮を被った狼たちよ」と教会に向かう人々に対して吐き捨てるように言うのだった。

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★クリスタベラの登場

 再びあの悪夢が始まる。ぼろぼろと崩れ落ちる壁と襲い来る怪物たち。アンナは教会の扉まで行きつけず、怪物たちに殺されてしまう。いのちからがらローズとシビルは教会の中に入り込んだ。

 しかし、彼女らを待っていたのは温かい歓迎ではなかった。人々がローズとシビルを魔女だと言って騒ぎ始めたのだ。クリスタベラという女性が現われ、人々を静める。「祈りましょう」とクリスタベラが呼びかけると、人々はクリスタベラの唱える文句に合わせて追唱するのだった。

 一方、クリスは孤児院にいた。その孤児院はシャロンを引き取った孤児院だ。シャロンは養子だったのだ。クリスは孤児たちの世話をする修道女を捕まえて、シャロンのことを聞こうとするが、彼女はひどく怯えて話したがらない。そこに警部が現われ、公文書館の侵入罪でクリスを逮捕してしまう。警部はクリスに手のひらにある痕を見せる。警部の手にはまるで十字架に磔にされたイエス=キリストのような、大きな傷跡があったのだ。

 クリスタベラに別室に呼ばれたローズとシビラ。ローズが、娘シャロンを探していることを訴え、その行方を知る方法があれば教えてほしいと懇願する。クリスタベラはローズにシャロンは悪魔のもとにいる、と教える。そして、悪魔に会いに行くことは止めないが、戻った者はいない、と言い、さらに、信仰があればあるいは助かるかもしれないと告げる。

 ローズはシャロンに会った瞬間に「母親になる」と決めた、と語る。それを聞いたシビルは「子供にとって、母親は神と同じよ」と言うのだった。

 クリスタベラが先導し、病院だった建物のエントランスまでローズとシビルは案内される。クリスタベラはローズに悪魔はB151の部屋にいると告げ、無垢な者の姿を借りて、悪魔が姿を現すと警告する。 「案内図を覚えて」とクリスタベラ。もしものときには記憶を頼りに逃げられるから、ということだった。 

 シビルはクリスタベラを信用しておらず、ローズに「罠よ」と警告するものの、ローズは必死に案内板を記憶しようとする。もう、やるしかないのだ。

 クリスタベラはローズの持っていたシャロンの写真の入ったロケットネックレスを帰そうとするが、その瞬間にロケットが開き、シャロンの写真が見えてしまう。クリスタベラはシャロンの写真を見てアレッサであることに気がつき、ローズを「魔女だ」と糾弾した。

 それを聞いたクリスタベラの護衛がローズに襲いかかる。シビルは素早く割って入り、ローズを守ってくれた。シビルはローズをエレベーターで地下に行かせ、ひとりで応戦する。しかし、銃弾がつき、シビルは激しい暴行を受ける。

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★地下へ―アレッサとの対面

 ローズはエレベーターに乗って一直線に地下に向かっていた。止まることを知らないかのようなエレベーター。ものすごい速度で落下していく。やがてエレベーターが止まると、そこは再び闇の世界。ローズの懐中電灯が闇の者たちを目覚めさせてしまう。ローズは電灯のスイッチを切り、彼らの動きを止めることに成功。闇の者たちの間をすり抜けて奥へ向かう。

 たどり着いた病室に一歩踏み込むとそこにはアレッサの姿があった。彼女はここまでたどり着いたローズに「おめでとう」と言い、「ご褒美に真実を教えてあげる」と言う。

 アレッサの語る真実は実に恐ろしいサイレントヒルの隠された裏歴史だった。ごく普通の田舎町に思えたサイレントヒル。そこのミッドウィッチ小学校に通うアレッサは母親しかいない、いわゆる未婚の母から生まれた子だった。母のダリア以外はアレッサをひどく嫌い、親戚も寄り付かなかったのだ。

 アレッサは同級生の親たちから陰口をたたかれ、親からそれを聞いた子供たちもアレッサを汚いもののように扱った。アレッサは学校でひどいいじめや暴行を受けていたのだ。クリスタベラはアレッサを汚れた者と考え、彼女に"清めの儀式"を行うことにする。

 ところが儀式は失敗。アレッサは全身の皮膚を失うほどの大やけどを負って病院に担ぎ込まれる。アレッサが感じた激しい恐怖と耐えがたい痛みはやがて消し去れない憎しみへと変わるのだった。

 そして、とアレッサは言う。「罪のない好奇心でさえ、許せなくなったの」。彼女は好奇心から自分の病室を覗いた看護師を部屋に閉じ込め、今に至るまで自分の看護をさせていたのだった。

 アレッサはローズを招き寄せ、ベッドに横たわるもう一人のアレッサを見せる。ベッドにいるアレッサは髪がなく、全身にやけどを負っている状態だ。驚くローズに、アレッサは自分の体から憎しみや怒りなど、負の部分を分離し、善の部分も分離したのだという。そして、今ローズと話しているのは「負」の部分のアレッサ。「善」のアレッサはサイレントヒルの外に出した、と言う。

 (ここで、アレッサは3人存在することになる。1人はやけどを負って寝たきりのアレッサ。この子が本来のアレッサであり、この子から「負」のアレッサと「善」のアレッサが生まれた。2人目は「負」の部分のアレッサ。3人目は「善」の部分のアレッサ。この3人目の善のアレッサはシャロンと呼ばれ、孤児院に預けられたのち、クリスとローズ夫妻に引き取られた。)

 夫クリスは警部に伴われて町の入り口まで連れてこられた。警部は子供と奥さんの捜索はまかせるように、と言い、クリスを追い返そうとする。警部によると、ローズとともに行方不明になっている警官のシビルは2年前の事件のときにも子供を救い、3日間サイレントヒルで救助を待っていたという優秀な警官だという。クリスはまた必ず探しに戻ってくる、と警部に告げ、帰途につくのだった。

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★決着―怒りのアレッサ

 一方、クリスタベラは部下を率いてシャロンの捜索をしていた。クリスタベラは抵抗するダリアを捕え、ダリアの部屋の中に匿われていたシャロンを発見した。そして、ダリアとシャロンは教会へと連れてこられた。

 教会のなかには薪が積み上げられ、十字架が用意されている。その十字架には警官のシビルが縛り付けられていた。彼女は火刑に処されようとしているのだ。シビルはシャロンの姿を認め、「子供の前でこんな残酷なことをするなんて」、「いかれてる」と訴えるが、熱狂的な群衆は歓声を上げて大騒ぎしている。

 やがて火がつけられ、シビルの体が炎に近付けられていく。やがて耐えきれない高温に達するそのとき、シビルは母への思いを口にして死んでいくのだった。

 シビルの次はシャロンの番だ。悪魔を滅するために子供を焼き殺せ、と教会のなかは蜂の巣をつついたような騒ぎ。そこに母のローズが現われる。教会の戸口に立つローズの姿。今度はローズに対する非難が集中した。「魔女だ!」「焼き殺せ!」騒ぎ立てる彼らにローズは「真実を言いなさい」とクリスタベラに迫る。ローズは「この世の終わり」という恐怖でサイレント・ヒルの住民たちをコントロールするクリスタベラを非難するのだった。

 言葉に詰まったクリスタベラはローズを黙らせようと心臓をナイフで一突きする。ローズは倒れ、血が流れ出す。「神を冒涜した」とクリスタベラ。そのとき、ローズから流れた血が教会の床に浸みこみ、突如として世界が反転し始める。壁が後ろに倒れ、鉄条網が空を舞い、逃げる人々を突き刺していく。そして、ローズが地下の病室に行ったとき、ベッドに寝ていたあのアレッサが現われたのだ。

 サイレントヒルの住民もクリスタベラも皆、アレッサの放つ鉄条網から逃げられない。這うようにして襲ってくる鉄条網にからみ取られ、殺されて行く。

 シャロンのもとにローズはかけより、娘を抱きしめる。そして、目を閉じていなさい、とシャロンに言うのだった。シャロンがこっそり薄目を開けてみると、そこにあったのは母ローズの顔ではなく、「負」の部分のアレッサの顔だった。

 暗転。

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★結末へ―帰宅

 シャロンとローズは助かったようだ。教会は何事もなかったかのように、綺麗に元通りになっている。ベッドに寝たきりのアレッサや人々の姿は消え、鉄条網もない。そこにいたのは母娘と、そしてダリア。ダリアは助かったのだ。なぜ、助かったのか分からないという彼女にローズは、「母親だからよ」と告げる。

 外にでたローズとシャロン。車に乗ってサイレントヒルを後にする。途中でローズは夫のクリスに電話をしようと自宅にかける。留守録に「もうすぐシャロンと家に戻るわ」と入れている途中、自宅ではクリスが電話に気がつき、受話器を取る。しかし、ローズはクリスが電話に出たことが分からない。相変わらずローズは電話で話し続けるが、声はクリスに届かない。クリスに聞こえるのはザーッという雑音だけだった。

 やがて家に着いたローズは玄関先に車を止め、シャロンとともに家のドアを開けてソファのあるリビングに入っていく。そこはいつもと変わらない我が家だった。が、ローズはクリスがいないことを不思議に思う。

 クリスは電話が切れたあと、ソファで仮眠を取っていた。ふと風が妻の香水のにおいを運ぶ。目を覚ましたクリスが玄関に行くとドアが半開きになっていた。もしや、と思い、外に出てみるが誰の姿もない。

 クリスはそこに立ちつくすしかなかった。


『映画:サイレントヒル 解説とレビューVol.2』では詳しいサイレントヒルの解説とレビューを掲載しています。ぜひ、ご覧ください。

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『サイレントヒル Vol.1【詳しいあらすじ】』のトップへ

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サイレントヒル Vol.2【解説とレビュー】 

映画:サイレントヒル 解説とレビュー Vol.2
※以下、ネタバレあり

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(C)2006 Silent Hill DCP Inc. and Davis Films Production


 こちらは『映画:サイレントヒル 解説とレビュー Vol.1』の続きです。前のページではサイレントヒルの結末までの詳しいあらすじと簡単な解説をご紹介しました。

 このページではサイレントヒルの謎を詳しく解説・レビューしていきます。完全にネタバレしていますので、ご注意ください。

最初から読みたい方はこちら→『映画:サイレントヒル 解説とレビュー Vol.1』


★サイレントヒルの結末―サイレントヒルの世界観

 サイレントヒルは分からない?確かに簡単なストーリーではありませんが、サイレント・ヒルの世界と言うものを大づかみで捉えてしまえば、そんなに難解なものではありません。

 テキストで説明してもいいのですが、図を使って直感的に理解するのが分かりやすいので、図解で説明しましょう。

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 まず、サイレントヒルには大きく分けて2つの世界が存在しています。1つは現在の世界、もう片方はサイレントヒルの世界です。現在の世界にはクリスと警部らがいて、サイレントヒルの世界にはローズとシャロンがいます。

 さらに、サイレントヒルの世界だけを取り出してみましょう。サイレントヒルの世界には表の世界と裏の世界の2つがあります。

 表の世界と裏の世界はサイレンを合図に定期的に入れ替わります。そして、この世界を支配しているのは表の世界ではクリスタベラ。そして、裏の世界ではアレッサです。

 クリスタベラは表の世界で、人間たちを支配し、コントロールしています。一方、アレッサは闇の者たちを操り、クリスタベラの支配下にある人間たちを襲っています。そして、現在の世界とサイレント・ヒルの世界は並行的に存在しています。しかし、この2つの世界は混じり合うことはありません。

 なぜ、ローズとシャロン、警官のシビルはサイレントヒルの世界に来てしまったのでしょうか。

 それは、シャロンがいたからです。シャロンはアレッサの「善」の部分だけが分離されてできたアレッサの分身です。シャロンはそのことを自覚していませんでしたが、心のどこかで自分が分身に過ぎないことを分かっていました。

 シャロンはどこかにいるはずのもう片方の「悪」の分身と結合して、一体化したいという気持ちが強かったのです。一方、「悪」の分身の方も、「善」の分身が母親に愛され、幸せに暮らしていることに強い憧れを抱いていました。

 結局、「善」の分身シャロンと「悪」の分身がお互いに呼び寄せあった結果、サイレントヒルの世界への道が開いたのです。

 そのきっかけが事故でした。

 つまり、ローズが事故を起こしたからサイレントヒルの世界に行ってしまったのではありません。事故がなくても、ローズがシャロンを連れている以上、サイレント・ヒルの世界に2人が行ってしまうことは必然的だったのです。

 逆に、シャロンがいなければ、サイレントヒルの世界への扉は開きません。だから、普通に廃墟となったサイレントヒルに訪れたからといってサイレント・ヒルの世界に飲み込まれるということはありません。

 その証拠にクリスや警部はサイレントヒルに行っていますが、無事に帰ってきています。それに、2年前の誘拐事件のときはシビルは誘拐された子供とともに3日間サイレントヒルで過ごしましたが、無事救出されています。

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★サイレントヒルの結末―ストーリー解説・その1

 先ほどは、サイレントヒルの世界観をお話ししました。それではその世界観を前提に、結末について、解説します。

 サイレントヒルの世界でローズはクリスタベラに出会います。彼女によると、「悪魔」だけが子供の居場所を知っていて、そこに案内もできるが、悪魔に会いに行った者で戻った者もいないとのこと。ローズはそれでも、悪魔に会いに行くという決心を固めます。

 しかし、シビルはローズに「罠よ」と警告。これは本当でした。クリスタベラは「悪魔」=アレッサであることを知っています。クリスタベラは2人をアレッサのもとに追い払うことで、よそ者を始末できると踏んでいました。

 しかし、クリスタベラはローズを病院に連れてきて初めてシャロン=アレッサだと知りました。そうなれば、ローズを地下へやったとしても、ローズは再び戻ってきてしまうでしょう。「悪魔」=アレッサがローズを殺すはずがない。

 クリスタベラは焦り、「魔女だ」と糾弾して手下にローズらを襲わせます。しかし、ローズはシビルの犠牲で地下に逃げることに成功しました。

 ローズに逃げられたクリスタベラはシャロンを探します。しかし、その居場所は明らかでした。ダリアが匿っているに違いない。なぜ、そう思ったのかというと、ダリアは闇の者に襲われないから。ダリアのもとにいれば、サイレントヒルの世界でもシャロンは生き延びられる。はたして、シャロンはダリアのもとで発見されました。

 一方、地下に降りたローズ。ローズはアレッサの思い通りに人影や手掛かりを追って、ついにはアレッサの病室まで来てくれました。「悪」の分身アレッサはローズに真相を話したあと、ローズのなかに入り込みます。

 そして、教会で寝たきりのアレッサがクリスタベラら、人々を殺している間、ローズはシャロンを抱きしめて隠れていました。その時に薄目を開けたシャロンの眼に映ったのはローズの顔ではなく、「悪」の分身アレッサの顔。ローズのなかから抜け出た「悪」の分身アレッサはシャロンのなかに入り込み、同一化します。

 そして、教会が静まり返り、全てが終わったとき、そこにいたのはシャロンの体を持つアレッサ。アレッサは教会を出て行くとき、ダリアをじっと見て、視線を合わせてから出て行きます。

 本来、「善」の分身シャロンならば、ダリアは知らない女の人であるはず。でも、今のシャロンには「悪」の分身アレッサが同一化しています。「悪」の分身アレッサは実の母であるダリアを当然知っています。シャロンは「悪」の分身アレッサと同一化したため、ダリアを見つめていたのでした。

 また、ダリアは「闇の者すら近づかない」と言われていましたが、実は「近づけない」、というのが正確。闇の者はアレッサのしもべです。アレッサが母ダリアには手を出すな、と命令していたから、ダリアは教会の外にいても、無事でした。

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★サイレントヒルの結末―ストーリー解説・その2

 クリスタベラは「悪魔」=アレッサだと知っていました。ダリアが襲われない本当の理由も分かっていたはずです。しかし、クリスタベラは、サイレントヒルの住民たちには本当の理由―すなわち、悪魔がアレッサだから母であるダリアは襲われない、ということを話すことはできませんでした。

 それを言ってしまうと、アレッサの悪魔払いにクリスタベラが失敗したことが明らかになり、クリスタベラの指導力に疑問の声が出る恐れが高いからです。それでクリスタベラは、闇の者すら「嫌う」のだ、と、ダリアが教会に逃げなくても助かる理由を住民たちに説明していました。

 クリスタベラの行った悪魔払いの儀式について考察してみましょう。ダリアは火災の起こる前のサイレントヒルにおいて、アレッサの唯一の庇護者であり、彼女の母親でもありました。そんなアレッサとダリアの親子にクリスタベラはある提案をします。

 それは、"罪を清める儀式"というもの。ダリアはわが子を愛していましたが、クリスタベラは当時、ミッドウィッチ小学校の校長。サイレント・ヒルの実力者として大きな影響力を持っていました。そんなクリスタベラにダリアは抗いきれません。ダリアはクリスタベラの執拗で激しい説得に応じて、娘アレッサをクリスタベラの手に委ねてしまったのでしょう。

 これが、悲劇の始まりでした。ついに、ダリアは母親としてアレッサを守ることができませんでした。クリスタベラにアレッサを引き渡した後、ダリアは激しく後悔し、アレッサを取り戻そうとしますが、ときすでに遅し。

 アレッサは母を愛していました。その気持ちは悪魔に魂を売ってからも変わらなかった。だからこそ、ダリアは闇の者に襲われず、教会の殺戮の後でもダリアは生き延びられたのです。ダリアはアレッサに憎まれていると思っていましたが、母であるダリアをアレッサはやはり、愛していました。

 アレッサは母を欲しました。「シャロンのように、母に愛されたい」。その気持ちがローズを呼び寄せ、ローズをサイレントヒルの世界に引き込みました。

 本来、「悪」の分身アレッサがほしかったのは自分のかたわれであるシャロンだけのはずでした。しかし、「悪」の分身であるアレッサはシャロンが母親に愛されているのを見て、母と一緒に暮らしたいと思う気持ちが強くなります。そこで、ローズもシャロンと一緒にサイレントヒルの世界に呼び込むことにしました。ローズの目の前にちらちらと現われて見せ、絵を残したりして手がかりを与えていたのは「悪」の分身アレッサです。

 ローズは地下にいたアレッサの説明を聞き、目の前にいるのが「悪」の分身アレッサ=悪魔であることを理解しました。その上で、彼女の復讐心を受け入れ、自分のなかにアレッサが入ることを許容したのです。

 そして、シャロンに会ったときにはシャロンと同一化することも。

 そうしなければ、シャロンを生きて連れ帰る見込みがなかったからです。愛するシャロンのため、ローズは悪魔を受け入れました。

 クリスタベラは「信仰があれば悪魔を遠ざけられる」と説きました。ローズが仮に信仰心に従ったなら、アレッサを受け入れることを拒んだでしょう。しかし、ローズは神よりも子供への愛情を選択しました。

 結果、ローズはシャロンを取り返すことに成功します。しかし、悪魔をも体に併存させることになったシャロンはサイレントヒルの異世界から抜け出すことはできませんし、悪魔を受け入れたローズもまた、サイレントヒルの異世界から抜けることはできません。2人は悪魔を受け入れた代償として、この世界にとどまらざるを得ないのです。
 
 また、母の愛というつながりで指摘しておくと、シビルと母のつながり、アンナと母のつながりもポイントとして入れられています。シビルは死ぬ間際に母への言葉をつぶやいていましたし、アンナが危険を冒して教会の外に出て、ホテルにいたのは、母に食べ物を届けたいがため。アンナが教会に間に合わず、闇の者に殺されたとき、アンナの母親はひどく嘆いていました。これも母子の愛を描くものといえるでしょう。

 これと対照的なのはクリスタベラの権力欲。彼女はダリアのアレッサへの愛を理解しませんし、アンナが死んだのも、教会の外に出るなど勝手なことをしたからだと言います。クリスタべラの存在によって、母の愛の温かさがより際立つものになっています。

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★サイレントヒルの結末―悪魔と契約したアレッサ

 サイレントヒルを見終えたとき、強い違和感を感じました。あとで間違いだと分かったのですが、「悪魔」がいないと思ったからです。

 サイレントヒルではとにかくキリスト教が強調されます。皆が逃げ込む場所は教会ですし、クリスタベラは狂信的なクリスチャンです。サイレントヒルの町の壁面には随所に神を賛美するフレーズが刻まれており、小学校正面には十字架のステンドグラスがありました。凝ったところでは、ホテルの111号室は= 1+1+1 = 3。つまり、 三位一体を表す番号です。

 それなのに、悪魔が出てこないではありませんか。キリスト教、そして、地獄を思わせるサイレントヒルの世界。裏の世界に跋扈する怪物たちは悪魔のしもべです。悪魔が出てくるべき舞台や条件は整っているのに、「悪魔」がいない。これはおかしい。

 悪魔は目の前にいました。「悪」の分身アレッサとそして、シャロンです。正確には「悪」の分身アレッサと同一化したシャロン。シャロン=「善」という先入観にとらわれてしまい、映画が終わっても、首を傾げていたのです。

 ローズが取り返したシャロンは「悪魔」。もしくは悪魔の一面を持つ子でした。

 そもそも、アレッサが悪魔になったわけを説明しましょう。

 それは、やけどで死にかけたアレッサが悪魔と契約したから。アレッサの清めの儀式が行われたのと同じ日に地下火災は起きています。これがもとで彼女は命が一日もつか持たないかの大けがを負い、病院の地下室に収容されました。

 アレッサの「地下」病室→「地下」火災。「地下」というつながり。つまり、火災が起きたのはアレッサが原因であることは間違いありません。加えて、アレッサは死の恐怖に怯え、耐え難い痛みに全身を貫かれ、その恐怖と痛みは強大な憎しみへと変化していったとローズに告白しています。

 憎しみを抱えたローズには激しい、抑えがたい復讐心が沸き起こります。しかし、アレッサの命はあとわずか。クリスタベラたち狂信者に復讐するためにはどうしたら良いのか。憎しみは悪魔の大好物です。憎しみがある人間の心に付け入るのはたやすい。

 アレッサは彼女のもとに降臨した悪魔と魂を売る契約を交わします。これによって、アレッサは悪魔の力を手に入れました。怪物たちはかつてアレッサをいじめることを黙認し、またはアレッサを嫌った大人たちがアレッサの力によって変化させられた姿。彼らは悪魔=アレッサのしもべとなり、アレッサの意のままに動きます。そして、アレッサは彼らをコントロールして、彼女が復讐したいサイレントヒルの住人たちに襲いかかるのです。

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★サイレントヒルの結末―シャロン誕生の秘密

 瀕死のアレッサは「悪」のアレッサと「善」のアレッサを分離させました。もちろん、ただの女の子であるアレッサにこのようなことはできないので、悪魔の力を借りたのです。アレッサはなぜ、このようなことをしたのでしょうか。

 それは、もう使いものにはならない、やけどを負った体ではなく、きちんと機能する新しい体を得ておきたいから。悪魔と契約し、魂を売ったアレッサにとって、「善」のアレッサは、いつか人生をやり直すための希望でした。いつか、「善」のアレッサと一緒になることができれば、アレッサは復活を果たすことができます。

 このとき、アレッサはサイレントヒルの外の世界でのやり直しを望んでいたのかもしれません。しかし、悪魔と契約した以上、実はどう転んでも、サイレントヒルの世界から抜けだすことはできないのです。

 悪魔はサイレントヒルの外の世界でやり直したいと思ったアレッサの心を知ってか知らずか、アレッサの提案を受け入れ、アレッサを「善」と「悪」に分離してやりました。

 なぜ、悪魔はアレッサに協力したのか。お情けでしょうか。そうかもしれませんが、そうでないともいえます。なぜなら、アレッサを分離しておけば、いつか、その分離した体をサイレントヒルの世界に呼び戻して同一化し、悪魔は肉体を得られることになるからです。

 肉体を得た悪魔はこれまで以上に自由に動くことができます。それに、その体がローズに愛されるシャロンの肉体であれば、母の愛を受けることもできます。また、悪魔にとってアレッサの「善」の部分はいらない存在。悪魔に必要なのは「悪」の部分のアレッサの魂で、善のアレッサがいなくなっても悪魔は困りません。悪魔にとって、アレッサの分身に協力するのは悪い話ではありませんでした。

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★サイレントヒルの結末―止まった時間

 アレッサは全身にやけどを負わされ、一日も持たないと言われる命だったとグッチ警部は言っています。一日も持たない命のはずのアレッサがなぜ、火事が起きたのち、30数年も生き延びているのか。

 しかも、アレッサも、クリスタベラを始めとする町の住人も、全く成長をしていないし、老いてもいません。皆、30数年前の火事のときの姿のままです。

 サイレントヒルの世界が現在の世界と並行して存在し、時の流れがずれているだけだと考えた場合、少なくとも、時は流れて行くわけですから、皆年を取るはずです。ところが、火災の起きた1974年と、ローズたちの迷い込んだ2006年当時ではサイレントヒルの住人達は外見が全く衰えていない。

 ここから導ける結論、それはサイレントヒルでは時間が進行しないということです。ここでは時間は止まったまま。あの火災の起きた日のまま、時間が止まっているのです。

 それでもクリスは妻の香水の匂いや2人が帰宅した気配などを感じ取っています。おそらく、場所としての共通性は2つの世界にあるのでしょう。自宅に行けば、自宅はありますし、電話をかければ、電話がつながる。しかし、時間がずれているので、話をすることはできません。

 時間の止まった世界でこれからもローズとシャロンは暮らし続けることになるのでしょう。決して元の世界に戻ることはできません。

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★サイレントヒルの結末―サイレントヒルは死者の世界か?

 サイレント・ヒルの世界に暮らす者たち、ローズやシャロンは死んでいるのでしょうか。これはそうとも言えるし、そうではないとも言えます。

 死ぬということが現在の世界から消えるということならば、彼らは死んだといえるでしょう。ローズもシャロンもサイレントヒルの住民たちも決して、現在の世界に戻ってくることはありません。永遠に戻ってこないという意味においては「死」と同様だということができるでしょう。

 しかし、ローズやシャロンはサイレントヒルの世界においては生きています。苦しい時間を乗り越えた母娘は現在の世界に並行するサイレントヒルの世界で平穏な生活を手に入れることができました。

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★サイレントヒルの結末―全てを知る者 -グッチ警部-

 地下火災がアレッサによって引き起こされ、多くの住民が死傷しました。もちろん、生き残った人たちもいるわけです。クリスと行動を共にしたグッチ警部もサイレント・ヒルの生き残りです。なぜなら、彼は父親がサイレント・ヒルに住んでいたと言っています。火事が起きたのは1974年で、今から32年前。現在、警部は40歳前後だとすると、火災の当時は約8歳です。その年齢ならば、父親と一緒に住んでいるでしょうから、彼もサイレント・ヒルの住人だったことが分かります。

 彼は「町の半数が死んだが、その中には死んで当然というやつもいた」とクリスに言っています。グッチ警部はサイレントヒルで起きた魔女狩り事件の真相を知る一人。何がされ、何が起きたかを全て知っている。そして、それは知られるべきではないサイレントヒルの恐ろしい過去であり、汚点です。

 彼は今や、サイレントヒルを実際に知る貴重な生き残りです。そして、サイレントヒルに寄ってきて過去を暴こうとする者を遠ざける役割も果たしています。

 クリスもシャロンを引き取った孤児院で修道女に詰め寄って聞き出そうとしたところでタイミング良く現れた警部に家へ帰れとうまく追い返されてしまうわけです。そんなにうまく警部が現われたのはクリスを尾行していたからでしょう。公文書館に忍び込んで、アレッサの写真を見たことも全てお見通し。これ以上クリスがサイレントヒルの秘密を知る前に、クリスを追い払う必要がありました。

 警部は「サイレントヒルのことは俺に任して家に帰れ」、そうクリスに言います。とても意味の深い言葉です。彼は「妻子のことは俺に任せて」とは言いません。彼は、もうローズとシャロンが戻らないことを知っている。グッチ警部の言葉からサイレントヒルに潜む秘密の大きさ、それをクリスは感じ取ったことでしょう。だからこそ、クリスは警部の説得に従って、家に帰ることにしたのです。

 「また、来るぞ」というクリスの言葉には、これからもサイレントヒルの隠された秘密を追いかけてやるという決意が見えるようです。しかし、別世界に行ってしまったローズとシャロンに2度と会うことはできないでしょう。それを思うと、胸が痛みます。

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★サイレントヒルの結末―住民たちは何者か

 教会にうじゃうじゃと集まっていたクリスタベラが統率していたサイレントヒルの住民たち。彼らは何者でしょうか。

 瀕死のアレッサが現われ、最後の殺戮が行われたときに彼らは全員殺されます。ということは彼らは全員、クリスタベラの支配下にあり、魔女事件を引き起こしたサイレントヒルの住民たちなのでしょう。

 サイレントヒルの地下火災の生き残りであるグッチ警部に代表されるように、サイレントヒルの世界が形作られたとき、住民の全てがサイレント・ヒルの世界に閉じ込められたわけではありません。グッチ警部も、「善良な人」もたくさん死んだと言っています。

 アレッサが悪魔と契約して作りだしたサイレントヒルの世界に囚われたのはアレッサの死に関与した者のみ。

 彼らは世界の終わりが近いと説くクリスタベラの振りまく恐怖、そして、闇の力の恐怖に怯え、クリスタベラは彼らの恐怖心を利用して住民たちをコントロールしていました。

 クリスタベラは彼女の行った清めの儀式が失敗してアレッサを瀕死の状態にしてしまい、それがきっかけでアレッサによってサイレントヒルの世界が誕生したことを知っていたと思われます。

 しかし、自分の指導力を疑われないように、そのことを住民たちには伏せていました。「悪魔」=アレッサだということも伏せていました。一方で、住民たちはアレッサが悪魔になったことに薄々勘付いていました。

 しかし、今の住民たちにとって、頼るものはクリスタベラしかいません。そこで、あえて「何も知らない」ことにしました。クリスタベラを疑わず、アレッサにも正しいことをしたのだと信じて疑わない。臭いものにはふたをする、ということです。

 信者の一人アンナがアレッサの名を出されたときに「その名を口にするな」といってローズを止めたのは、アレッサが悪魔だということを思い出したくないから。そのことを思い出せば、クリスタベラの能力を疑いたくなり、そうなれば、頼るものを失い、毎日が不安でしかたなくなってしまいます。

 毎日、闇の者に命を脅かされる生活のなかで、住民たちはクリスタベラを熱狂的に支持することで不安を忘れようとします。「クリスタベラこそ、もっとも神に近い者」。自分にそう思い込ませ、彼女についていさえすれば、命は守られるのだと信じることによって、死の恐怖からのがれようとしているのです。

 「ちょっとおかしいな」、と思っても、皆が賛成しているのならそれでいいか、と思い、つかの間の安心を得るために、真実を犠牲にする。サイレントヒルの住民たちを通して、群衆心理が表現されています。

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★人間は天使をも裁くべき者

 サイレントヒルのある地域の幹線道路に設置された大きな本型のオブジェ。これらは聖書をかたどっているかと思われます。描かれているのは"我々は御使いをも裁くべき者"。

 このオブジェは映画中2回も登場します。確かに、サイレントヒルにはたくさんの神のフレーズが登場しますが、2回も映されるのはこの文句だけ。

 1度目はサイレントヒルに向かうローズがシャロンと町のガソリンスタンドに寄る前に、車を降りてここで休憩しているシーン。そして2度目は父親のクリスがグッチ警部に家に帰れ、と言われて2人が別れるシーン。2人はこの聖書型のオブジェの真下で話をしています。この文句には何らかの重要な意味があるに違いありません。

 言い回しが難しいので、分かりやすく訳してみます。そうすると、「私たちが、天使を裁けることを知っているか?」となります。(映画中の原文:Do you know that we will judge angels?)

 これは新約聖書の中の「コリント人の信徒への手紙」の一節。しかし、これだけでは意味不明です。そこで、この前後の文章をつけてみましょう。分かりやすいようにかみくだいて訳します。

 『キリスト教を信じる者はこの世を裁く者。そうならば、些細な事件を解決するのはたやすいはずでしょう。そして、キリスト教を信じる者は天使をも裁くことができる。となれば、この世の事件などはたやすく裁けるはずではないか。』

 そして、さらにこう続きます。
 『私がこのように言うのはあなたがた信者を恥ずかしめるためです。信仰者同士の争いも仲裁できないなどとは本当に情けない。そもそも、相互に訴え合うこと自体がすでに、信者として失格です。なぜ、甘んじて不義を受けないのか。なぜ、だまされたままでいないのか。』

 要はこういうことです。
 このコリント書の文章を書いたのは聖パウロです。聖パウロは信者同士で争うことに怒っています。そして、信仰者ならば、天使すら裁くことができるのだから、信仰者同士の争いなどは自分で解決しなさい、お互いに争うくらいなら、裏切られたとしても、だまされたとしても、そのまま受け入れなさい、と言っています。

 では、コリント書からサイレントヒルを読み解いてみましょう。

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★コリント書から分かるサイレントヒル【その1】

まずは、サイレントヒルでおきたアレッサ対住民たちの対立。アレッサも住民たちもクリスチャンです。しかし、アレッサを排斥した住民たちは結果として悪魔になったアレッサと対立します。

 聖パウロの視点からすると、住民とアレッサが対立すること自体が神の教えに反します。そして、アレッサが復讐心のために悪魔に魂を売るのはもってのほか、アレッサはその不正義を甘んじて受け入れ、信仰者として神の国に来るべきであったということになります。

 あれだけのことをされたアレッサにそれを赦せというのは相当な勇気がいります。しかし、キリスト教は「愛」の宗教です。相手を愛し、赦すことで問題を乗り越えていこう、ということを説くもの。アレッサにも「赦すこと」を神は求めたのでしょう。

 聖パウロは、キリスト教徒は「神の栄光のために何をすべきかを考える者」であれ、といいます。この考え方に立てば、「神がアレッサの復讐を許されるか」を考えるべきではないということになるでしょう。
言いかえれば、どこまでやることが許されるのかを考えるのではなく、何が自分にできるかを考えなさい、ということです。後ろ向きではなく、前向きに考えよ、ということですね。

★コリント書から分かるサイレントヒル【その2】

 そして、天使さえ裁ける信仰者たちにとって、人間同士の争いを裁くことはたやすいはずです。つまり、人間同士で争いが起こったとしても自分たちで決着をつけねばなりません。逆にいえば、神はそのような些細な争いには関与しません、ということです。

 いわば、神はアレッサの復讐を「許した」のではなく、「放置した」というのが正解でしょう。アレッサとクリスタベラたちの対立に神は関与しなかったのです。

★コリント書から分かるサイレントヒル【その3】

 さらに、クリスとグッチ警部が"我々は御使いをも裁くべき者"のオブジェの下で別れたこと。これはとても象徴的な出来事です。ここでは画面の半分以上にこの文句の刻まれた聖書のオブジェが映され、あえて、強調されています。誰でも気がつくように撮ってあるのです。

 その真意とは?

 グッチ警部は不思議な人です。何もかも知っている人で、過去を隠そうとはしていますが、悪い人ではない。ローズやシャロンを助けたい気持ちはゼロではありません。

 しかし、その一方で、グッチ警部はこのサイレントヒルの守人でもあります。彼はアレッサの存在を薄々感じています。そして、サイレントヒルの異世界が存在することも感じている。しかし、それをどうにかしたいとは思わない。サイレントヒルに異世界が誕生してしまったのはいってみれば、人間同士の争いが原因です。その争いを裁く者は神ではなく、やはり人間。神はその争いに関知しません。

 「サイレントヒルのことは任せてほしい」というグッチ警部。彼は手のひらに磔の痕のようなキズ、キリスト教でいう"聖痕"を持つ信仰者です。彼はオブジェの言葉通り、サイレントヒルのアレッサとクリスタベラら狂信者の争いはその2者間でのみ決着すべきだと考えていました。

 だから、彼はその争いに介入することを望みませんし、クリスのような他人が介入してくることも望みません。グッチ警部は決着がつくのを待っている。シャロンとローズが異世界に行き、アレッサと狂信者たちの決着がついたならば、サイレントヒルの異世界は閉じられ、争いは解決されます。

 グッチ警部はローズたちの救出よりも、サイレントヒルの守人としての立場を優先させた、といえるのかもしれません。

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★サイレントヒルの正義

 サイレントヒルにおいて、「正義の鉄槌」は下された。それは真実なのでしょうか。

 アレッサは自分を苦しめた者たちに制裁を下しました。それは悪魔の力を借りたものでした。悪魔の力を借りて、裁きを下すことは「正義」なのでしょうか。言いかえれば、どんな手を使っても、「悪」を懲らしめることが「正義」といえるのか。

 サイレントヒルで、クリスタベラたち住民に裁きが下されたのは"神の家"たる教会においてです。教会において、あの流血の事態を起こすことを神は許した。そう取れるストーリーでした。

 クリスタベラたち住民が、教会に逃げ込んでいたのは、教会が安全な場所だと思ったからです。彼らは狂信的ですが、ある意味では信心深い者たち。クリスタベラは「あらゆる勝利は全農の神の手にあり」「信仰だけが闇を遠ざけてくれる」と言っています。

 しかし、この場合「勝利」とは虐げられた者=アレッサの復讐の完遂であり、「闇」とはクリスタベラたち狂信的な住民たちのことでした。彼らはこれらの文句を唱えることで、それと知らず、自分たちを非難していたのです。

 神は悪魔の手を借りたアレッサを赦しました。そして、アレッサの復讐を果たさせました。しかし、その代償は、永遠の彷徨。サイレントヒルからは抜け出すことを許さなかった。

 正義とは実に相対的です。最初の場面、アレッサが父親のいない子としてひどい扱いを受けたころまでは、アレッサは圧倒的な善の立場にいました。しかし、悪魔に魂を売った時点で彼女は少なくとも「神」の側にはいられなくなってしまった。神もその領域からアレッサを手放すしかありませんでした。

 しかし、アレッサに悪魔と取引させたのはクリスタベラたちサイレントヒルの住民たち。アレッサと住民たちの対決においてはもはや、どちらが善ということはできません。

 クリスタベラが校長を務めていたミッドウィッチ小学校には"正義を憎む者は罰せられる"という言葉が刻まれていました。

 「正義」。

 何が正義なのでしょうか。結末、アレッサはサイレントヒルの世界に閉じ込められました。神はアレッサが復讐することは認めたが、アレッサの復讐を「神の正義」とは認めなかった。それだけは確かであるように思います。

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