『映画レビュー集』更新情報をツイートでお知らせ♪♪映画レビュー集,今年の干支はうさぎ♪.gif映画レビュー集,今年もよろしくお願いします.gif


映画レビュー集> 『さ行』の映画
『さ行』の映画記事を全部見る

SAW -ソウ-

映画:SAW -ソウ- あらすじ
※レビュー部分はネタバレあり

ソウ,saw,24.jpgソウ,saw,25.jpgソウ,saw,3.jpgソウ,saw,26.jpgソウ,saw,22.jpg

ソウ,saw,22.jpgsaw1_3.jpg

saw1_3.jpgソウ,saw,13.jpgソウ,Saw,2.jpgソウ,saw,24.jpgソウ,saw,25.jpg


 浴槽の中で溺れそうになり、目を覚ましたアダムは見知らぬ部屋にいることに気が付き、恐慌状態になった。どうして自分はこんなところにいるのか?!薄汚い洗面室のようなこの部屋にはもう1人、男が座っている。彼の名はローレンス・ゴードン。外科医だ。どうやら2人はこの地下室に監禁されたらしい。部屋を見渡したアダムはさらに驚愕する。中央には血だまりが広がり、そこに横たわる男の死体。2人の片足は部屋の隅の柱に鎖で繋がれており、逃げ出すことができない。
 やがて、2人はテープがあることに気が付く。その内容は"ジグソウ"と名乗る男からのメッセージだった。

 シチュエーション・スリラーの最高峰、SAW(ソウ)。ショッキングな映像が多いことでも有名なSAWだが、それ以上に張り巡らされた伏線を読み解くのが楽しい。SAWに隠されたその秘密を探っていこう。



【映画データ】
SAW -ソウ-
2004年・アメリカ
監督 ジェームズ・ワン
出演 ケイリー・エルウィス,リー・ワネル,ダニー・グローヴァー,
トビン・ベル



ソウ,saw,20.jpg


映画:SAW -ソウ- 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり

★SAW -ソウ-

 SAWにはどういう意味があるでしょうか。のこぎりという意味でのSAWはもちろん、です。ゴードンの足を切るのに使われたのこぎりです。そして、「see」の過去形としての、「saw」があります。その意味は「見た」。ジグソウは中央の死体を演じ、ゲームの全てを見ていました。その意味の「見た」。

 そして、もうひとつ、観客の視線もあります。SAWの観客は見ています。SAWの結末を決定づける重要な場面、例えば、映画の冒頭で、浴槽の排水溝にカギが吸い込まれていくのを。そして、結末、「GAME OVER」と表示されるのを。

 観客はアダムとゴードンの運命、全てを見たのです。

saw,ソウ,1.jpg


★アダムとゴードンの生死は如何に?

 アダムとゴードンは死んだのでしょうか、生き抜いたのでしょうか。この点については明らかにされていません。ジグソウは地下室の扉を閉めて歩き去っていきます。残されたアダムは暗闇の中、片足を鎖でつながれ、銃創から出血した状態で放置されます。

 ゴードンはどうでしょうか。彼は片足首を切断し、深手の傷を負いつつ、地上へ助けを求めに行きました。ゴードンは優秀な外科医ですし、足首を切断する前に止血をしています。だから、いずれ出血は止まり、助けを呼びに行けたとも考えられます。一方で、ゴードンは蒼白な顔をしていました。足首を切断した後の彼の表情はもはや死人のようです。声は弱々しく、もはや一息に喋る力すらありません。明らかに死相が出ていました。

 しかも、です。ゴードンはジグソウの提示した条件を履行できていません。ゴードンがアダムを撃ったのは、期限の6時を過ぎてからですし、そのアダムは死んでいません。ジグソウは6時までにアダムを殺さなければ死ぬことになる、とテープに録音していました。その言葉通りなら、ゴードンはタイムアウトで死んでいなくてはなりません。実際、ジグソウの仕掛けた他のゲームでは、時間切れで死亡する被害者がいました。それなのに、ジグソウのルールを破ったゴードンが助かるというのでは、ジグソウのゲームが不成功だったことになります。しかし、ジグソウの堂々の退場シーンでは「GAME OVER」と出てきます。ゲームの世界で、「GAME OVER」と言えばそれはプレイヤーの死を意味するはず。ジグソウのゲームのプレイヤーはゴードンです。ジグソウのルールにのっとって考えるなら、ゴードンは助からなかった、と考えるのが自然でしょう。

ソウ,saw,10.jpg


★ゴードンの死

 ならば、ジグソウがゴードンに追いついて彼を殺したという可能性はあるでしょうか。この解釈はあまりに不自然です。まず、ジグソウは直接に手を下しません。それなのに、ゴードンに限ってジグソウ自ら手を下すとするならば、ゴードンについてのみ、例外を認めることになってしまいます。しかも、仮にジグソウが殺人を犯したとするならば、それは映画"外"の出来事ということになります。

 映画"外"のことについて、例外をありにして解釈することは原則としてできません。特に、ゴードンの事件は一連のジグソウによる殺人事件の続きとして起きた事件と設定されています。そして、ゴードン以前の事件についても、映画内である程度詳しく紹介され、ゴードンの事件がジグソウによる連続した事件の一つであることが強調されていました。それならば、ゴードンの事件についても、これまでのジグソウのルールが適用されると考えるのが自然でしょう。映画の"外"で起きたことについて考察する場合は、映画"内"で提示されたルールに従って解釈するのが筋です。

 ジグソウのルールとは、ジグソウによって提示された条件をクリアできれば生き残り、さもなければ死が待ちうけているというものです。そして、ジグソウは被害者の死に関して直接に手を下しません。これらによれば、ゴードンはジグソウの手によらずして失血死したと考えるのが妥当でしょう。

ソウ,saw,4.jpg


★アダムは死んだのか

 アダムはどうでしょうか。映画の冒頭、浴槽の排水溝にカギが吸い込まれていくのが映っています。アダムの足は浴槽の栓につながるチェーンに絡まされていました。アダムが目を覚ましてもがけば、自然にチェーンが引っ張られ、浴槽の栓が抜けてカギは排水溝へと流れてしまうようになっていたのです。

 これは何を意味するでしょうか。アダムの足が浴槽の栓のチェーンに絡んでいたのは単なる偶然でしょうか?

 仮に、アダムの足が意図的にチェーンに絡められていたとしたら…それは、ジグソウには初めからアダムを助けるつもりはなかったということです。アダムの場合、ゴードンがジグソウの条件に従えば、ゴードンに殺される結末が、ゴードンがアダムを殺さなかったとしても、カギは既に排水溝へと流されてしまったあとで、アダムは逃げ出すことはできないという結末が用意されていました。いずれにしてもアダムを待ち受けていたのは死だったということになります。

ソウ,saw,15.jpg


★アダムの謎


 地下室に閉じ込められた2人の男。1人はゴシップ写真屋のアダム、もう1人は外科医ローレンス・ゴードン。彼らが直面している目下の難題は、双方の足首につながれた鎖を外し、脱出すること…、ではありません。ジグソウが二人に提示した条件をよく見てみましょう。ゴードンは「6時までにアダムを殺せば逃げられる」、アダムは「逃げるか、それとも逃げるために何かをするか」。すなわち、ゴードンはアダムを殺せば逃げられるます。一方、アダムは生きるために何をすればいいのか分からない。この2人は似たような状況に置かれていますが、生き残るためにすべきことはそれぞれ違っています。この違いは何を意味しているのでしょうか。

 ゴードンは患者であったジグソウの恨みを買って、今回のゲームに巻き込まれました。では、アダムはなぜ、この部屋に監禁されたのでしょうか?「SAW」を見ている限り、アダムがジグソウ事件に関係したといえるのは、タップの依頼を受け、ゴードンの写真を撮っていたということだけです。しかし、ただそれだけなら、アダムが監禁され、殺害対象とされる理由にはならないように思えます。

 どうやら、アダムの言動のみからでは、ジグソウとのつながりを探るのは限界があるようです。それでは、アダムの行動はどうでしょうか。

 アダムの行動には不審な点が多数あります。例えば、アダムがいきなり服をめくり、腹を調べたこと。なぜ、彼は急に自分の腹が気になったのでしょうか。そして、ゴードンに対するジグソウの命令がアダム殺害だったにも関わらず、さほど驚くそぶりがないこと。溺れかけて浴槽から起きあがったとき、その後、テープがポケットに入っていることに気が付いたときまではパニック状態だったアダムが、死の宣告を受けたときはなぜ淡白な反応をするのか。さらに、テープレコーダーを最初はゴードンに渡さなかったのに、2度目にゴードンが要求したときはあっさりと投げて寄こしたこと。そして、なぜ、彼の名前は「アダム」なのか。彼の名字は?

ソウ,saw,17.jpg


★アダムの過去

 これらの問題点をすっきりと説明するには、アダムには何らかの秘密があったと推測するのが適当でしょう。ゴードンの過去はアダムとの会話を通して次第に明らかになっていきますが、アダムの過去はほとんど語られません。最初から最後まで、映画を通して分かるのは、彼の職業くらいです。ゴードンの場合は、その生活ぶりや家族、不倫、仕事の詳しい内容や経歴、仕事ぶり、ジグソウ事件の犯人と疑われたことなどはつぶさに明らかにされるのに、アダムの場合はブラックボックス。アダムはどこかから急に現れた異邦人のようです。明らかに、アダムにはゴードンに話していない過去があると考えてよいでしょう。

 そして、この事件に巻き込まれた以上、アダムにはジグソウと何らかのつながりがある。アダムとこの事件を仕組んだジグソウにはどんなつながりがあったのでしょうか。

 ジグソウが自らの姿を現したのは、ゴードンが助けを呼びに部屋を後にしたのちのことでした。ジグソウは自らの姿をアダムにのみ、さらします。ジグソウはゴードンではなく、特にアダムに対して、自らが現場に最初から最後までいたことを教えたかったと解釈できる結末です。そして、ジグソウはアダムの鎖を外す鍵がバスタブの中にあり、それが既に排水溝に流れた後と知って絶望するアダムを見たかったとも解釈できます。

 アダムの絶望を知って、ある種の喜びを感じる、それは復讐心に他なりません。そして、ある人に復讐心を抱くということは、その人と何らかの深い関係を持っていたと考えるのが自然でしょう。つまり、アダムとジグソウはこれが初めての接触ではありません。ジグソウとアダムは、今度の事件が起きる前に、何らかの関係を持っていたことが確実です。

 では、ジグソウとアダムにはどんな関係があったのでしょうか。アダムは写真家でした。それも、金さえもらえば、盗撮でも何でもする類の写真屋です。彼はタップに頼まれて、ゴードンの後を付け、写真を密かに撮っていたことをゴードンに告白していました。ここから推測できるのは、これがアダムにとって初めての盗撮の仕事ではないだろう、ということです。アダムはこのような仕事を他にもしたことがあるのでしょう。

 さらに、思い起こされるのはジグソウ事件の被害者で、放火犯のマークの事件です。ジグソウはマークにこうメッセージを残しました。「君は病気だそうだが、写真では元気そうに見えるな」。ここから分かるのは、ジグソウがマークを直接に観察したことはないということです。ジグソウは写真から、マークの様子を推測している。

 ジグソウが自ら、マークの写真を撮りに出かけたのでしょうか。もし、そうであるならば、ジグソウはマークを直接見る機会があったはずですから、「写真では元気そうに見える」などという必要はないでしょう。

 しかも、ジグソウは末期の癌に冒された病身です。タップの相棒、シン刑事を罠にはめて殺した後、立ち去るジグソウは足を引きずっていました。アダムに種明かしをした後に立ち去るジグソウも、ふらふらした様子です。このジグソウ自身がマークを尾行し、写真を撮る体力があるのか疑問です。

 従って、マークの写真を撮ったのはジグソウではありません。ここで注目すべきはアダム。彼は写真を撮るのが仕事、尾行して盗撮する仕事を手掛ける男です。ジグソウがマークの写真を撮ることをアダムに依頼していたとしても不思議ではありません。つまり、アダムの依頼人にはジグソウとタップという2人のジグソウ事件関係者がいたと結論付けることができます。

ソウ,saw,7.jpg


★アダムの恐怖

 アダムはジグソウの共犯者でした。当然、ジグソウの手口についても熟知していた。浴槽で溺れかけ、目を覚ましたアダムは自らの置かれている特異な状況を知り、即座にジグソウの関与を疑いました。目の前には、ついさっきまで尾行して写真を撮っていたゴードンがいます。ゴードンはジグソウの次のターゲットだったはず。ということは、アダムはジグソウのゲームのプレイヤーとしてではなく、ゲームの一部として用意されたに過ぎない…。

 アダムは慌てて服をめくり、腹を確認します。以前、ジグソウがアマンダの事件で使った手口を思い返したからです。あのときは、プレイヤーのアマンダは目の前の"死体"、実際には生きていた男の腹をナイフでかっさばくことを強要されました。アダムはジグソウを裏切ったことを自覚しています。だから、ジグソウのゲームであの腹を裂かれた男と同じ、死体役をやらされるのではないかと疑ったのです。

 腹に何も異常がないことに一安心した彼ですが、今度はポケットに入れられたテープに気が付きました。ジグソウはいつも、被害者に対してメッセージを送ります。テープに気が付いたアダムは再びパニックになりました。これはやはり、ジグソウのゲームだ…ここで、アダムは自分がジグソウのゲームに参加させられたことを覚悟しました。かくして、テープの声はジグソウの声。だから、ゴードンのテープで「アダムを殺せ」とジグソウが命令しているのを聞いても、さほど驚かなかったのです。ジグソウを裏切った自分には死が宣告されることを予期していたからです。

 彼はまた、ジグソウが現場でゲームの進行を見守る男であることも知っています。だから、アダムは地下室の窓がマジックミラーになっていることに気が付いたとたんにガラスを割りました。ガラスの向こうからジグソウが見ているかと思ったからです。

 ただし、アダムはジグソウと面識はありませんでした。会ったことがあるならば、背格好で中央の死体がジグソウであることを疑ったかもしれません。しかも、ジグソウは顔をアダムの方に向けて横たわっていました。いくらメーキャップをしていたとはいえ、ジグソウの手口を熟知するアダムは、ジグソウがどこかでゲームの進行を見ていることを察知していますから、死体をジグソウと見抜く可能性があります。

 ジグソウのメーキャップは、必ずしもアダムから顔を隠すためだけではなかったでしょう。ジグソウは死体の役を演じていました。ジグソウは死んだ顔をしていなければなりません。ジグソウがメーキャップをしていたのは、中央の死体を演じるためという理由も大きかったと思われます。

ソウ,saw,6.jpg


★ジグソウの怒り

 アダムはジグソウのゲームの片棒をかついでいたことを知っていたでしょうか。答えは、もちろん、です。ジグソウは被害者を拉致し、ゲームに参加させる前の下準備に、アダムの写真と報告を使っていました。アダムは恐らく、写真を撮り、被害者の生活パターンを調べてジグソウに報告していたのです。ジグソウはそれを受けて、拉致のタイミングを計り、ゲームを開始すします。アダムとジグソウは実質的な共犯関係にありました。アダムが自らの依頼人の正体に気が付かなかったわけがありません。ジグソウからゲームの詳細を知らされてはいなかったでしょうが、ジグソウ事件が報道され、自らが写真を撮っていた人間が次々に殺されていくのを知っていれば、ジグソウの正体など、おのずと推測できます。アダムはジグソウが自らの依頼人であることを知って、沈黙していたのです。

 アダムは金さえもらえば、沈黙を守っていました。しかし、あるとき転機が訪れます。タップの訪問です。相棒のシン刑事を殺されたタップは警察を辞めてまでジグソウ事件の捜査にのめり込んでいました。そのかいあってか、タップはアダムにたどり着いたのです。タップがどこまで、アダムとジグソウの関係を掴んでいたのかは分かりません。タップはアダムからジグソウの情報を引き出そうとしました。アダムがここで、情報提供を拒んでいれば、ジグソウのゲームに巻き込まれることもなかったでしょう。しかし、アダムはタップの依頼を受けました。アダムはタップにジグソウの情報を流したのです。

 ジグソウはこの事実を知りました。ジグソウはアダムに激怒します。これは裏切りです。アダムはジグソウに嘘をつき、ジグソウを売ろうとしている…ここで思い当たるのはアダムとイヴの物語です。天上の楽園で暮らすアダムとイヴは神にリンゴを食べてはならないと言われていたのに、蛇の誘惑に負け、リンゴを口にします。怒った神は彼らを地上へと追放しました。アダムは神を裏切ったのです。その制裁は死。地上へと追放されたアダムには寿命という死が与えられることになりました。

 ジグソウは自らを神に等しい存在と考えていました。命を無駄にしている者たちへ制裁を与える神。その神を裏切ったアダムには、死の制裁を与えねばなりません。ジグソウはアダムに対して死のゲームを用意しました。結末は死。どうあがいても、アダムには死しか残されていないのです。だから、先に指摘したように、ジグソウのメッセージも、ゴードンに対するものとアダムに対するものでは微妙に違います。ゴードンには「アダムを殺す」という、命の助かる道が明らかに示されている。ゼップにも「ゴードンの妻子を殺す」という道が示されている。これに対し、アダムに対しては具体的に何も示されません。アダムはこのゲームで死ぬことが初めから決まっていました。

ソウ,saw,11.jpg


★ゴードンに知られてはならない

 アダムはゴードンに対して、ゴードンの写真を撮るように依頼してきたのはタップであると告げています。しかし、これは半分の事実しか告げていません。タップ以外にも、ゴードンの追跡を依頼していた人物がいました。それは、ゴードンを次のターゲットと見定めていたジグソウです。アダムは金でジグソウを売りました。アダムはタップに次のターゲットがゴードンであることを教えたのでしょう。だからタップはゴードンの自宅前のマンションの一室を借り、ゴードンの動静を窺っていました。タップがゴードン宅前で張り込みをしていたのは、ゴードンがジグソウではないかと疑っていたからではありません。ジグソウの次のターゲットであるゴードンを見張っていれば、ジグソウが姿を現すと踏んでいたからです。

 また、アダムがテープレコーダーをゴードンに渡すのを渋ったのもここに理由があります。アダムのテープには何が吹き込まれているか分かりません。ジグソウの共犯者であったことがばれてしまう内容が吹き込まれているかもしれない。仮にそうなら、アダムはテープの再生を停止し、ゴードンに聞かせないようにする必要がありました。だから、何かと理由を付けて、アダムはゴードンにテープレコーダーを渡さなかったのです。しかし、その心配は杞憂に終わりました。テープの内容だけでは、アダムがジグソウと共犯関係にあったことを推測するには足りません。だから、アダムはテープの再生後に、ゴードンに再びテープレコーダーを要求されたときには素直に渡したのです。

 アダムは絶対に、ゴードンに対して、自分がジグソウの共犯者であることを知られてはなりませんでした。もし、ばれてしまえば、ゴードンは躊躇なくアダムを殺す恐れがあったからです。アダムは最後までこの秘密を守り切りました。

ソウ,saw,8.jpg


★ゼップ

 病院の清掃係、あるいは雑用係のゼップ。彼もまた、ジグソウのゲームに招かれた一人でした。ゼップの巻き込まれたジグソウのゲームは、ゴードンの妻子を殺せ、さもなければゼップは死ぬ、というもの。しかし、アダムが途中でテープレコーダーを止めてしまったため、再生されるテープのメッセージが聞けるのはここまでです。「ただし、ルールがある…」とジグソウは続けていました。ゼップがゴードンの妻子を殺す場合には何らかの条件が付されていたことが推測できます。ではそのルール、あるいは条件とは何だったのでしょうか。

 まず、1、ゼップが妻子を殺すのは6時以降であること、です。これはゴードンのゲームで、アダムを殺す期限が6時以降に設定されていたことに由来します。さらに、2、ゴードンの妻子殺害はゴードンがアダムを殺せなかったときに限る。そして、3、ゴードンがアダム殺害に失敗したときは、ゼップは妻子及びゴードンを殺さねばならない。というルールだったと思われます。

 そうであるとするならば、ゴードンを射殺しようとしたゼップの「遅すぎる…それがルールだ」という言葉も難なく説明できます。「遅すぎ」たのはアダムを殺すというゴードンの決断のことでした。

 また、ゼップはゴードンの妻子を殺そうとしてあえなく失敗しています。彼は逃げる妻子を追いかけるものの、すぐにあきらめ、ゴードンのもとへと急ぎました。しかし、仮に、ゴードン殺害に成功したとしても、ゼップは妻子の殺害に失敗しており、どのみちジグソウのルールに反しています。しかも、妻子を放っておけば、警察に通報されてしまうでしょう。それにも関わらず、ゼップがゴードンを殺害することを優先したのはなぜでしょうか。

 それは、なにより、ゼップ自身の命を助けるためです。恐らく、ゼップはこう、ジグソウから脅されていました。「お前の体は遅行性の毒に侵されている。時間が経てば、死ぬ。ルールに従えば、解毒剤をやろう」。ゼップには警察に通報されるかどうか以前に、毒による命の危険が迫っていました。

 さて、この解毒剤の場所が問題でした。解毒剤を持っているのはゼップに毒を盛ったジグソウです。ゼップはあらかじめ、いざというときにゴードンを殺せるように、ジグソウからゴードンの監禁場所を聞かされていました。さらに、これまでのジグソウの犯歴を考えれば、ジグソウ本人はゲームの現場にいて、状況の進行を生で見ているはずであることが容易に推測できます。すなわち、ゴードンのいる場所にジグソウはいる。そう考えたゼップは、ゴードンを殺して解毒剤をもらうために、妻子の殺害を早々にあきらめ、ゴードンの監禁場所へと急いだのです。

 ゼップがゴードンの妻子の殺害をあっさりあきらめたのは、ゴードンのアダム殺害が失敗した今、ゴードン殺害が必須条件になったからです。ジグソウが見ているはずの監禁場所でゴードンを殺せば、妻子の殺害失敗がジグソウに知られる前に解毒剤を得られるはず、そうゼップは考えました。

ソウ,saw,19.jpg


★ゼップの心理

 ゼップはこのゲームを楽しんでいました。ゴードンの家に侵入し、アリソンと娘のダイアナを縛り上げ、恐怖におののく彼女らに銃口を突き付けるゼップはこの状況をたっぷりと楽しんでいました。彼女たちの頬に銃を向けて小突いているゼップは支配する者の優越感をたっぷりと味わっていました。6時が過ぎても、ゼップはすぐには妻子を殺しません。ゼップの口ぶりは死のゲームに怯える被害者には到底見えません。ゼップの顔が画面に映るまで、妻子を監禁しているのがジグソウであるかと疑う人は多かったのではないでしょうか。ゼップはまるで、このゲームを仕掛けた張本人であるかのように、死と恐怖のゲームを楽しんでいました。

 ゼップとはどういう人でしょうか。彼の仕事は病院の雑用の仕事です。表に立つことはなく、常に裏方の仕事をやる。医師や看護師から命令され、使われる。また、人はゼップの仕事に対して、あるいはゼップその人に対しても、敬意を払おうとはしません。

 それはゴードンの態度からも明らかでした。入院患者を名前で呼ばないゴードンに対し、ゼップは脇から口をはさみます。これに対してゴードンは、「当院では雑役係と患者の絆が深い」。これは明らかな嫌みです。場違いな発言をするゼップに対して、ゴードンがいらいらしていることが良く分かります。ゴードンはゼップを無視し、「続ける、患者は…」と相変わらず「患者」という言葉を使って話し続けていました。

 このように、ゼップに対して小馬鹿にする態度をとるのは、ゴードンだけではないのかもしれません。医学生に対して実習講義をしている最中に、まったく関係ないことを言いだして横やりを入れるゼップは明らかに場の空気から外れています。ゼップは周囲の人間に溶け込みにくく、人からバカにされやすい性格であることが推測できます。

 ゼップはそんな日常が大いに不満でした。誰だって、人からバカにされていると思えば、不快に感じます。ゼップも例外ではありませんでした。不当に低い社会的評価に甘んじ、人から軽んじられているという意識は、彼の精神面に影を落とします。その暗い心はジグソウのゲームにおいて、ゼップから残酷な一面を引き出してしまいました。

 縛りあげられ、悲鳴を上げてもがくゴードンの妻子は今や、ゼップの手中にあります。彼の好きにできる。生かすも殺すも、ゼップ次第。いつも支配される側だったゼップが、命令し、支配できる立場に立てたのです。権力を持てない者が、突然に権力を得た快感。ゼップ自身に迫る生命の危機は別にして、ゼップはジグソウのゲームを心から楽しんでいました。

 以前から、ゼップはジグソウの事件に注目していました。ゼップが毒に冒されていると信じ込んだのはジグソウが以前にも遅行性の毒という手段を使ったことがあったからです。また、ゴードンの元へ行けば、ジグソウがいるとゼップが思ったのも、ジグソウはゲームの現場をその場で見ていたというこれまでの事件を想起したからです。すなわち、ゼップは自らがゲームに巻き込まれる以前から、ジグソウの事件に興味を持っていたことが分かります。

 なぜ、ゼップはジグソウ事件に興味を持っていたのでしょうか。
 
 それは、ゴードンがジグソウではないかとの嫌疑をかけられたからでした。ゼップのことを軽んじるゴードンに対して、ゼップは日ごろから不満を持っていました。また、優秀な外科医として成功し、妻と娘のいる幸せそうな家庭を持つゴードンに対して妬みも感じていました。しかし、完璧なゴードンの生活に影が差したのが、ジグソウ事件の嫌疑でした。ゼップはうっぷんが晴れる気持ちだったでしょう。そして、ゴードンを陥れようとするジグソウにゼップは興味と親近感を持ったのです。

ソウ,saw,5.jpg


★毒は本当にあったのか

 本当に、このような遅行性の毒があるかどうかは定かではありません。本当は、ゼップは何の毒にも冒されていなかった可能性があります。しかし、ゼップはジグソウの犯した以前の事件を思い出し、毒を盛ったというジグソウのメッセージを聞いて、毒を盛られたと思い込んだのです。

 以前の事件とは、放火犯マークの事件として映画中に取り上げられていたものです。しかし、この事件でも、マークは毒で死んだのではありません。彼は解毒剤を探そうとして失敗し、焼死しています。従って、この事件でも、本当にマークに毒が盛られたのかは定かではありません。

 また、ゴードンとアダムの中央に横たわる死体は遅行性の毒に冒され、頭を撃って自殺したとジグソウは告げていました。これは嘘で、死体はジグソウ本人だったのですが、いずれにしろ、毒は盛られていませんでした。

 ジグソウの事件では何度も毒が登場します。しかも、決まって、即効性ではなく、遅行性の毒です。しかし、毒によって死んだ者は一人もいません。これにならえば、ゼップの事件にも、遅行性の毒なるものは存在しなかった可能性があると言っていいでしょう。

ソウ,saw,6.jpg


★狂気の中の生きる希望

 「SAW」という映画にはいろいろな謎があります。それは簡単に解けるかもしれないし、あるいは難しい問題かもしれません。しかし、そのいずれを理解するうえでも欠かせないのは、アダムもゴードンもパニックだったという事実です。彼らは突然の監禁に驚愕し、命の危険に怯えていました。さらに、人殺しを命令され、あるいは殺されることを知らされています。そんな中で彼らが取りうる行動は限られていました。

 そもそも、片足をつながれ、自由が著しく制限された状況下では、できることは著しく制限されます。片足だけ、というのがポイントです。両手足を縛られ、、文字通り、手も足も出ない状況なら、彼らは脱出することをあきらめ、神に祈ることしかできなかったかもしれません。しかし、拘束されているのは片足だけ。立ち上がることもできるし、一定範囲を歩き回ることもできます。しかも、両手は完全に自由。

 ジグソウはこの不自由でいて、完全に動けないわけではない状況を作り出すことでアダムとゴードンに脱出の希望を持たせることに成功しました。逃げることができ「そうな」状況なら、人間はもがきます。しかも、五体満足、ベストな条件で逃げ出すことを望むでしょう。拉致されて監禁されるという、ただでさえ冷静でいられない状況の中で、生き残る希望を持たせ、その希望に向けてもがくしかない状況をジグソウは作り出しました。優秀な外科医であり、長時間の外科手術をこなす理性と冷静さ、そして理性を備えているはずのゴードンですら、我を失ってしまうほどの過酷な環境を作り出すことに成功したのです。

ソウ,saw,12.jpg


★偽りの神

 ゴードンには無傷で脱出できる方法がありました。それはアダムを殺すことです。しかし、ゴードンはアダムを殺すというジグソウの条件を最後まで蹴りました。これはゴードンの譲れない一線でした。彼は医者としては冷静で、合理的な男でした。これは「患者」という呼び方を巡るゼップとの一連のやりとりの中で端的に現れています。ゴードンは医者として有能だったし、優秀な男でしたが、患者は患者としてそれ以上にも、それ以下にも扱う気はありませんでした。

 その点は非難されるべきかもしれません。患者もひとりの人間である、と。患者にもっと気を遣うべき、と批判される余地はあります。ただし、ゴードンは人間として、自らに最後まで忠実でした。これは自らの命が脅かされても変わりません。アダムを殺すということは人を殺すということです。人を殺すということは、医者であるという以前に、人間としての倫理性を問われる行為でした。

 ジグソウはゴードンに医者としての道徳を問いました。死期の迫った患者にも、人間として生きる権利がある、患者はモルモットではない、と。一方、ゴードンは自らに人間としての道徳を問いました。人間には人を殺す権利はない。

 ジグソウの行為はゴードンに対する報復行為でした。確かに、ジグソウには、患者をモノのように扱い、人としての尊厳を認めないゴードンを非難し、不倫していたゴードンの私生活を正し、家族を省みないゴードンに生きるとは何かを知らしめるという意図がありました。しかし、このようなジグソウの目的は報復行為を正当化する後付け論理に過ぎないのではないでしょうか。

 ジグソウはこの世に生きる価値のない者たちに生死の意味を知らしめる裁きの神を演じていました。しかし、ジグソウがジグソウになったその契機は死に至る病にかかったこと。その本質は死の病にかかったジグソウの生への執念であり、他人の生に対する妄執です。

 死の淵に追い込まれたジグソウは生きることにとり付かれていました。また、自分の残り少ない命を思うと、他に無駄にされている命があるのに、という思いが強くなっていきました。その前提には、自らの命には意義があるというジグソウの自己評価があります。彼は命を与えもするし、奪いもする万能の神を演じることで、残り少ない自己の命に高い意義を見出していました。

 生きるべき命が不当に短く、価値のない命が不当に長らえる。これは、世の中の不条理であり、正されねばならない―。ジグソウは他人の生殺与奪を握ることで、その矛盾を正せると思い込んだのです。

 人には生きる権利があります。そして、自らの人生をどう生きるかの決定権も。その人生における選択に誤りがあったとしても、それがその人の人生です。人生には間違いがつきもの。過ちも愚かさも、全てを包含するところに人生の豊かさはあります。失敗のない人生や、挫折のない人生など、きれいすぎてつまらない。他人がその選択に口を出すことはできる。非難をしてもいい。しかし、間違いを犯した者の人生全てを奪うというかたちで罰することは許されるべきではありません。

ソウ,saw,16.jpg


★生きる価値のある者

 ジグソウにあるのは、自らが正しいという、ある種の醜い思い込みです。ジグソウは死の病に冒され、それがもたらす狂気の渦のなかに沈んでいました。

 患者を軽くあしらい、不倫をし、家族を省みないゴードンはジグソウにゲームを仕掛けられるまで、決して褒められた男ではありませんでした。ジグソウはそのようなゴードンに憤怒して今度のゲームを仕掛けたのですが、それは皮肉にもゴードンの真髄を明らかにしました。彼は自己が生きるためだけに他人の命を犠牲にしなかったのです。

 ゴードンもアダムも死を前にしてパニックでした。ジグソウは前頭葉をガンに冒され、偏執的な生への執念のとりこになっていました。タップは相棒のシン刑事をジグソウに殺され、復讐心とジグソウへの執念に凝り固まっていました。SAWの人々は皆、精神的に何らかの恐慌状態にあったのです。しかし、狂っているのとパニックになっているのは違います。狂気のなかでも、一線を踏み越えられずにいられた者は最も生きるに値します。

 ジグソウは死の恐怖を他人に転嫁し、タップはジグソウ逮捕への執念に絡みとられ、ゼップはジグソウのゲームにより暴力性を開花させました。

 その中で、ゴードンは踏みとどまりました。彼は生きるに値する価値がある者でした。しかし、皮肉なことにも、ゴードンはジグソウのゲームによって、命と引き換えにようやく自らの価値を知ることとなったのです。

ソウ,saw,23.jpg


ALL pictures in this article from this movie belong to Lions Gate Films Inc..


タグ:SAW ソウ
『SAW -ソウ-』のトップへ

『映画レビュー集』のトップへ

ショーシャンクの空に

ショーシャンクの空に あらすじ
※レビュー部分はネタバレあり

ショーシャンクの空に,18.jpgショーシャンクの空に,8.jpg


 アンディ・デュフレーンは妻とその不倫相手のプロゴルファーを殺した容疑をかけられ、逮捕される。アンディは無実を主張したものの、終身刑の判決を受け、ショーシャンク刑務所に収監されることになる。この大規模な刑務所ではノートン所長が絶対的な権力を振るい、囚人たちを支配していた。ショーシャンク刑務所では、服役囚に対する刑務官の暴力や、囚人同士のけんかや暴行が日常茶飯事だった。

 刑務所内には日用品やタバコ、はては映画女優のポスターに至るまで外部から調達してくる"調達屋"レッドがいた。アンディと同じ終身刑を宣告されたレッドは二十年以上もこのショーシャンクで服役していたが、仮釈放の見込みがいっこうに立つ気配はなかった。レッドと知り合ったアンディは少しずつ、刑務所の生活になじんでいく。やがて、銀行の副頭取だったアンディは刑務所長の会計係を務めるようになるのだった。


 人を罰するとはどういうことなのか。""犯罪者""であるがゆえに、闇に消える問題がそこにはある。無実の罪で収監されたアンディー、そして殺人罪で服役するレッドの運命を通して、刑事司法制度の抱える問題点に鋭く切り込む。

 スティーヴン・キングの中編を集めた作品集『恐怖の四季』に収録されている「刑務所のリタ・ヘイワース」が原作になっている。アンディーを演じるのはティム・ロビンス。突然にショーシャンク刑務所に入れられた人間が、それでもなお、希望を持ちながら生きていく姿を演じている。また、アンディーの良き友人となる""調達屋""レッド役のモーガン・フリーマンの演技も秀逸だ。長い刑務所生活で失ってしまったものを見つけることができるのか。あきらめとかすかな希望が交錯するレッドの感情を見事に写し取っている。


【映画データ】

ショーシャンクの空に
1994年(日本公開1995年)・アメリカ
監督 フランク・ダラボン
出演 ティム・ロビンス,モーガン・フリーマン,ウィリアム・サドラー,ボブ・ガントン,クランシー・ブラウン,ギル・ベローズ,マーク・ロルストン,ジェームズ・ホイットモア



ショーシャンクの空に 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり

★波乱の人生

 アンディー・デュフレーンは妻を殺し、ショーシャンク刑務所に収監されました。彼に課されたのは終身刑。仮釈放が認められるまで、この刑務所で過ごさねばならない日々が始まります。彼は入所早々からボグスら一部の囚人たちから付け狙われていました。レッドいわく、「生傷が絶えなかった」。特に親しい仲間もなく、刑務所内の労働と、ボグズらから逃げ回る日々。レッドの言うとおり、これは「悪夢の2年間」でした。

 レッドはアンディーを気に入っていました。屋根を修理する屋外作業のメンバーにアンディーが入れたのはレッドのおかげです。その作業の途中、ハドレー刑務主任に相続税対策について助言したことがきっかけになり、アンディーは刑務官たちの資産運用や納税書類の作成などの仕事を引き受けるようになりました。

 そんなアンディーを見込んだノートンから命じられ、アンディーは賄賂や裏金といったノートンの貯め込んだ表に出ない金を管理するようになります。アンディーは刑務所内の図書室の再建や、囚人たちの教育にも熱心に取り組みました。アンディーが特に目をかけていたトミーは高卒の資格を取ることに成功しました。

 一方で、アンディーがしようとした再審請求はノートンにより阻まれました。ノートンはアンディーを外に出したくなかったのです。アンディーはノートンの不正蓄財の事実を知り過ぎていました。ノートンの命令により、アンディーは2カ月あまりを太陽の光も入らない穴倉のような懲罰房で過ごし、ようやく外に出ることが許されました。彼は元通り、所長の会計係としての仕事を続けます。

 アンディーにはある計画がありました。それは脱獄です。入所してからというもの、アンディーは聖書をくりぬき、その中に隠し持っていた小さなロックハンマーでこつこつと壁をくりぬいていました。その壁の穴はレッドの調達してきた映画女優のポスターで隠されていたのです。女優が何代も世代交代したのち、ようやく脱出口は完成しました。そして、アンディーはついにショーシャンクからの脱出に成功したのです。

 アンディーはノートンが貯め込んだ裏金を銀行から全て引き出し、メキシコ国境の町へと逃亡しました。今、彼は自由の身となり、太平洋の見える町で暮らしています。仮釈放されたレッドがアンディーを訪ねていくと、彼は海辺に置かれた古いボートを修理しようとしているところでした。かつて、ショーシャンク刑務所でアンディーがレッドに語っていた海辺のホテルとボートの夢は今、ようやく叶えられようとしています。

ショーシャンクの空に,12.jpg


★終身刑、そして刑務所へ

 「ショーシャンクの空に」、この映画はアンディーが冤罪により逮捕され、終身刑の判決を受けて収監されたショーシャンク刑務所から脱獄するまでが主なストーリーとなっています。アンディーは、何度も彼を襲った囚人ボグズらをショーシャンクから追い出し、会計係をしながらノートン所長を騙し、最後は見事に脱獄し、金も手に入れました。そして、ショーシャンクでの不正を暴かれた所長のノートンは自殺し、刑務主任のハドレーは逮捕されました。そして、結末には、かつて語った夢の通り、太平洋の見える町での生活が待っています。

 散々に苦しんだアンディーが地獄のショーシャンクを抜け出し、彼を苦しめた者たちに悪事のつけを払わせるさまは見事です。ずっと溜まってきたもどかしい思いが吹き飛ぶ瞬間です。しかし、この胸のすく瞬間だけがこの映画の本質ではありません。アンディーがショーシャンクで服役していた間、刑務所の問題がたくさん見えてきました。

 まずは、"ショーシャンク刑務所"という場所そのものに問題がありました。刑務主任のハドレーによって囚人に虐待といえるまでの過剰な暴力が振るわれるショーシャンク刑務所。ハドレーは暴力によって囚人たちを支配し、絶対的な権力を握る自分自身に満足し、それを楽しんですらいます。そして、ノートンはそれを黙認している。何より問題なのは、そのような重大な問題を抱えるショーシャンク刑務所が、法に則った存在であるということです。ショーシャンク刑務所があるのは刑事司法制度の一環として、です。そして、「終身刑」という問題。アンディーが逮捕され、終身刑を言い渡され、刑務所に収監されたのは刑事司法上の手続きに則った結果でした。

 終身刑、そして刑務所への収監。人を殺すという罪を犯した者への当然の流れであるように思えます。罪を犯した者には相応の応報を。そこから先のことは、それ以上考えようとはしないのが大概の場合であるように思います。罪を犯した者は社会システムからはじき出された存在であり、彼らの刑務所での生活環境など、一考の余地はない。囚人というだけで、通常なら許されないような行為が黙認されてしまう。それが当たり前、と考えられてしまう。何の疑問も持つことはありません。そこに闇が生まれる瞬間があります。「囚人」という言葉が人々の目を曇らせるのです。

ショーシャンクの空に,3.jpg


★何のための罰か

 何のために罰を与えるのでしょうか。犯罪を犯した者への制裁でしょうか。それとも社会の秩序を保つためでしょうか。もしくは、犯罪者に矯正の機会を与え、社会復帰を促すためでしょうか。

 現代社会において、親しい者が殺され、怒りに燃えて殺された者のために加害者に暴力をふるい、逆に殺してしまったら、それは殺人罪に該当します。このような"仇討ち"、すなわち私的制裁が犯罪とされる社会に暮らす者にとって、刑事司法制度は"仇討ち"に代わるものです。国家が被害者、あるいは社会一般の報復感情に代わって犯罪者に懲罰を加えるのです。

 仮に刑罰の目的が、このような犯罪者に対する制裁というものであるなら、犯罪者は永遠に刑務所に閉じ込めておけばいいように思えます。人の命を奪うという大罪を犯した者にとって、一生を塀の向こうで暮らすことは当たり前のことであるように思えます。目には目を、歯には歯を。犯罪者は自らの犯した行為に等しい罰を受けねばならず、犯罪者は永遠に許されるべきではない、そう考えるのは自然なことでしょう。

 しかし、現代において、刑事司法制度は必ずしもそうなってはいません。殺人を犯した者が必ず死刑になることはないし、被害者や遺族が死刑を望んだからといって、望み通りの刑罰が科されるわけではありません。また、刑罰の種類は法律によって定められ、法律に則って裁判が行われます。

 法を越える制裁を裁判所が科すことが認められないのはもちろん、例え、法律があったとしても、憲法上、残虐な刑罰を科すことは認められません。だから、釜ゆでの刑によって死刑にするとか、かつての魔女裁判のように火あぶりの刑に処するなどの死刑の執行方法は法律で定めることはできませんし、そのような法律があったとしても、その法律が憲法に違反しているとして、法律の合憲性を争うことができます。

 また、刑を終えた者には社会への復帰が認められるのが原則です。刑期を終えたのちに改めて同じ罪について刑罰が科されることはなく、所定の刑期は終えたが、まだ反省していないなどの理由で刑期が任意に延長されることはありません。

 刑事司法制度において、犯罪者は永遠に犯罪者ではなく、一定の刑罰を科され、それを消化した後は社会に彼らを復帰させるというのが原則になっています。それはなぜでしょうか。

 刑事司法制度は犯罪者を糾弾するためだけの仕組みではありません。彼らを人間以下の存在に貶め、永遠に社会から追放するという私的報復、社会的制裁のためだけの制度ではないのです。犯罪者に対する私的な制裁とは違い、刑事司法制度には、いずれ犯罪者を社会に戻すという「社会復帰」の仕組みが前提として存在しています。

 国家は"仇討ち"を禁止し、そのような私的制裁を加える権利を個人から取り上げました。それは社会秩序を維持し、犯罪者に矯正の機会を与えるという刑事司法制度を十分に機能させるためのものでした。国家が刑罰権を独占したのは、私人による制裁を""代行""するためでないことに留意する必要があります。

 犯罪者に対する処罰感情が先に立てば、冷静な議論は期待できません。従って、刑事司法制度の在り方について議論するときには、犯罪者だから罰せねばならないという感情的な側面を脇に置き、刑罰論の目的を踏まえて検討せねばなりません。処罰感情は刑事司法制度において一つの根幹をなす要素ではありますが、それが"全て"、ではないのです。

ショーシャンクの空に,17.jpg


★外に出るという恐怖

 国家による刑罰は犯罪者に対する制裁であり、かつ社会復帰に向けてのためのものです。では、どのような刑罰がそれにふさわしいのでしょうか。

 "終身刑"という刑罰があります。この刑罰はいわゆる不定期刑で、仮釈放が認められるまで、刑務所で過ごすというものです。他の懲役刑や禁固刑等と違い、明確に何年という区切りはありません。アンディー、自殺したブルックス、そしてレッド、いずれも終身刑の宣告を受けてショーシャンク刑務所で服役していました。

 レッドが仮釈放評議会の委員たちと面談している様子が何度も出てきます。そのたびに繰り返されるお決まりの質問にお決まりの答え。20年経っても、30年経っても、レッドの答えは変わらず、評議会の結論も同じです。書類に押されるのはいつも「仮釈放不可」の赤いスタンプ。これは他の囚人たちも同じでした。

 ブルックスが釈放されたのはショーシャンクに入所して50年が過ぎた後、レッドは40年。仮釈放されたとしても、社会から隔絶された数十年という時間を取り返すことは不可能です。20歳で収監された若者が刑務所を出たときには60歳、70歳になっている。刑務所の外で新しく生活を始めるにはあまりにも年を取り過ぎています。高齢ゆえに、社会の変化に適応することはより難しくなり、生活の糧を得るために働くこともままならないでしょう。

 誰が年老いた前科者を雇うでしょうか?当然、十分な金を稼ぐことはできず、仕事口から住居まで、行政が世話をせざるを得ません。ブルックスは「頑張ってはいるが、手の関節が痛む」と手紙に書いていました。老人ゆえに動きが鈍く、慣れない仕事にあたふたするブルックス。店長はそんなブルックスを嫌っているようです。何十年も刑務所暮らしをしてきたおかげで、外の世界に知りあいはなく、完全に一人ぼっち。公演のベンチに座り、鳥に餌をやるブルックスの曲がった背中は孤独に押しつぶされていました。

 「刑務所へ戻りたい」。ブルックスの本音です。彼は仮釈放が認められたとき、仲間のヘイウッドの首にナイフを突き付け、今にも付き刺さんばかりでした。彼はぎゅっと目を閉じ、ヘイウッドの首から流れる血を見ないようにしています。ひと思いにやってしまえば、仮釈放が取消しになる。幾度もこの思いがブルックスの頭をよぎったことでしょう。「仮釈放になど、なりたくない」。彼はショーシャンクにいるときから外の世界に恐怖を感じ、そして結局、外の世界に生きる場所を見つけることができませんでした。

 「ここしか知らない」。レッドの言葉です。高齢、貧困、孤独そして偏見。刑務所を一歩出た途端、すべてが襲いかかってきます。「私などが死んでも迷惑はかからんだろう」。ブルックスが首を吊ったのは生きる希望を見つけることができなかったからでした。ブルックスはこのショーシャンクの世界しか知りません。外の世界に出れば、「ただの老いた元服役囚」。世間の冷たい視線がブルックスを待っています。

 自由になりたい。しかし、外の世界に出て何になる?「あの塀を見ろよ。最初は憎み、次第に慣れ、長い月日の間に頼るようになる」。長過ぎる刑務所生活は刑務所に対する憎悪をかき消し、施設依存ともいえる精神状態を生みだしていきます。そして次第に増大するのは外の世界に対する恐怖。"見知らぬ"世界に対する不安と恐怖は、外界から隔絶した刑務所にいればいるほど増大し、元の世界へ戻れなくなっていくのです。

ショーシャンクの空に,13.jpg


★生きる希望

 「終身刑は人を廃人にする刑罰だ。陰湿な方法で」。レッドはこう語ります。仮釈放のある終身刑だったとしても、社会から隔絶された時間を取り戻すことは不可能です。また、刑務所で長い時間を過ごすことは人に大変な精神的ダメージを与えます。精神的に""壊れて""しまうのです。

 アンディーはチェスの駒づくり、会計係の仕事、図書室の整備、囚人の教育、そして脱獄のための穴掘りとさまざまなことをして刑務所の時間を過ごしていました。脱獄のための穴掘りは脱出への希望を与えてくれます。アンディーにとって大事だったのは何かやることを見つけて、気を紛らわすこと。これからの長過ぎる服役生活を忘れさせてくれる環境を自分自身に与えることです。そして、本当に脱獄できるかどうかを考えるよりも、ショーシャンクを抜け出せるかもしれないという希望を抱くことが重要でした。そして、その後の自由な人生を生きるという希望です。

 アンディーは常に希望を忘れませんでした。しかし、皆がアンディーになることはできません。大抵はレッドやブルックスと同じように、ただただ、時をやり過ごし、来ることのない仮釈放のときを待つしかありません。長い長い時間です。先の見えない長い時間。希望や夢などは口にするのも嫌になる時間です。太平洋の見える町の夢を語るアンディーのことがレッドは不快そうでした。「そんな夢は捨てろ」。

 以前、レッドはアンディーに警告していました。「希望は危険だぞ」。なぜ、希望が危険なのか。年老いて腰が曲がるころにならなければ仮釈放は認められないことは周囲の囚人を見ていれば分かります。しかし、自分は違うかもしれない、そう期待してしまう。仮釈放を期待して評議会に出席し、不可の判を押されるというサイクルを繰り返すうちに、ショーシャンクから出ていく希望は失われていきます。ショーシャンクを出られないなら、自由になれないなら、胸に抱いた希望は消えうせる。ショーシャンクを出られるのは棺桶に片足を突っ込んだころ。そんな年になって、外の世界に出たところで何ができるだろうか。やはり、夢はかなわないのです。

 希望を失ったという喪失感は、もともと何も期待していない者に比べてより大きなショックをその者に与えます。それならば、最初から期待しないこと。夢や希望など、最初から何もなかったのだ、そう自分に言い聞かせておくことです。

 レッドはアンディーにハーモニカを贈られました。レッドにとってハーモニカはシャバにいたときの思い出です。「昔、ハーモニカをよく吹いたが、入所してから興味を失った」。レッドはハーモニカを吹けなくなったからやめたのではなく、吹く気を失っていました。アンディーに送られたハーモニカを見たレッドはアンディーの目の前ではハーモニカを吹こうとはしません。夜中、独房に帰ったのち、レッドはハーモニカに少し息を吹き込んだだけで箱にしまいこんでしまいました。

 レッドにとってハーモニカは自由な世界を思い出させるもの。アンディーはハーモニカを贈ることで、希望が大切だといいたかったのでしょう。しかし、レッドにとって、自由になる見込みがない以上、自由を思い出させるハーモニカは危険な存在でした。

 希望を失った人間はどうなるでしょう。全てを捨てて、自暴自棄になるか、それとも、ただただ淡々と、その日その日を過ごしていくか。希望がない。外の世界にも、刑務所の生活にも、夢を抱く余地はありません。死を願ったとしても、刑務所では死ぬのも自由ではありません。過酷な生活環境で、希望もなく、半強制的に生き続けねばならないという「冷酷な現実」は人の精神を破壊していくのです。

ショーシャンクの空に,7.jpg


★無期懲役

 日本には無期懲役という仮釈放ありの無期刑が存在します。無期懲役の運用がどうなっているかを見てみましょう。平成21年、無期懲役で収監されている者の人数は1772人です。新規に仮釈放が認められ、実際に仮釈放された者は6人。新規に無期懲役を受刑した者は81人、現在、いかに仮釈放される人数が少ないかが分かります。

 平成12年から平成21年の10年間のデータを見ると、仮釈放者数の最高人数は平成15年の14人。それ以外の年は一ケタの年が多く、10人を超えたのは平成12年から平成21年までの10年間でわずか3回です。一方で、無期懲役受刑者の平均受刑年数は増加する傾向にあり、平成12年には21年2月だったのが平成21年には30年2月になっています。

 また、統計上には現れませんが、そもそも、仮釈放が不可能な受刑者が多数存在するという問題があります。彼らは刑務所で服役するうちに重度の精神病を患い、仮釈放されても自活するだけの能力を失っているのです。ある長期服役囚を収容する刑務所では約半数にも上る長期服役囚が精神上の問題を抱えており、仮釈放不適格と判断されるという現状があります。そして、彼らを除いた残り半数のうち、継続して服役することが相当とされたのがその半分。残った半分の人についてのみ、仮釈放の見込みありと判断されました。

 しかし、仮釈放が認められたとしても、それで終わりではありません。仮釈放が認められた人の場合も、精神上の疾患を抱えており、自立して生活することが難しい状況のため、釈放後も住居の用意と生活上のサポートを必要としていました。

 結局、刑務所の外に出た後も、行政のサポートが必要になってきます。住居の用意はホームレスの支援団体等に協力を依頼し、生活支援は社会福祉協議会によってされることもあります。まともに生活費を稼げない場合は、生活保護等の現金支給も必要になってくるでしょう。

ショーシャンクの空に,16.jpg


★遠い自由

 「ショーシャンクの空に」で問われるのは長期不定期刑の問題です。犯情の重い犯罪者を長期に渡って社会から隔離する必要は否定できません。しかし、それによって生じる弊害を同時に理解する必要があります。

 かつて、日本で無期懲役刑を科された場合、仮釈放、保護観察を経て、完全に自由の身になるまでは約30年が目安でした。しかし、刑法改正で刑罰が加重されたことの影響で、現在では無期懲役を科された場合、仮釈放そのものを認めない方向へと動いています。先ほどのデータを見ても、数少ない仮釈放対象者は平均30年以上服役しています。現在では、仮釈放されたのち、完全に自由になるまでには30年では済みません。

 これからも刑は長期化し、科される刑罰は重くなる可能性があります。仮釈放なしの終身刑は現在、日本には存在しません。しかし、実際の運用面では、無期懲役が仮釈放なしの終身刑としての役割を果たしています。しかし、死刑に準じる制度として、こういった類の刑罰を導入しようという声は常に存在します。死刑を廃止した国では、仮釈放なしの終身刑を導入している国があります。

 刑罰は犯罪者に対する制裁であり、今までの量刑が軽すぎた、とするならば、厳罰化の方向性は歓迎されるべきでしょう。長期不定期刑を科される場合は加害者によって被害者の命が奪われています。場合によっては、複数の人間の命が。レッドやブルックスのように、人を殺してしまい、服役している者たちです。人の命を奪う行為に対し、その刑が数十年というのでは軽すぎる、その思いは無視されるべきではありません。しかし、それのみを重視してしまえば、犯罪者の社会復帰への道はどんどん閉ざされていきます。

 処罰を厳しくするのであれば、それの弊害についても理解せねばなりません。精神を破壊し、社会に復帰することが不可能な状態にまで犯罪者を追い詰める刑罰は果たして、社会が本当に必要とする刑罰なのでしょうか。また、人間一人を刑務所に閉じ込め、一生出てこないだけの年数を支える社会の負担がいかほどになるのか。

 仮釈放のない長期服役囚を次々に抱えることになる刑務所は飽和状態になり、刑務所の運用コストは確実に膨張していきます。さらに、刑務所の中ばかりでなく、長期に渡って社会から遮断された者を社会復帰させるために必要となる人的・金銭的コストも決して無視できません。

 いかなる刑罰を科すか、いかなる刑罰が必要なのか。これは正解のない永遠の課題です。死刑が人道的ではないとして、これを廃止する代わりに、仮釈放のない終身刑を導入している国は数多くあります。また、死刑と有期刑を橋渡しする刑罰として、死刑と仮釈放なしの終身刑を併存させている国もあります。仮釈放のない終身刑は本当に必要なのでしょうか。どのような刑事罰を科すことが社会のためになるのか、感情論ではない、冷静な議論が望まれます。

ショーシャンクの空に,11.jpg


★刑務所に入れることだけが刑罰か

 犯罪者はできるだけ長く閉じ込めておきたい、その思いの根底にあるのは、犯罪者に対する不安でしょうか、それとも、憎悪でしょうか、怒りでしょうか。それは処罰するにあたって加味されるべきではありますが、刑罰が厳罰化の方向を歩み、刑期が長期化するにつれて、刑務所の収容人数がこのまま増加していくことになれば、一考が必要となります。

 どんな犯罪者であれ、全ての者を刑務所に放り込むだけが刑罰ではありません。例えば、トミーは家宅侵入罪で2年の懲役刑を科されてショーシャンクにやってきました。彼はこれまでにも、何度も罪を犯し、刑務所を出たり入ったりの生活をしているようです。快活で人当たりがよく、好感の持てる青年ですが、彼の前科はこの若さにして相当積み上がってしまっているようです。

 また、アンディーは「外ではまじめ人間だったのに、服役して悪党に」と自嘲していました。アンディーの場合はノーマン所長の不正蓄財のごまかしを半ば強制的に手伝わされたためでしたが、服役した場合の問題の一つは、刑務所で仲間ができ、刑務所から出た後も、彼らとのつながりが続いてしまうことです。服役を終えたものの、経済的に苦しい状態が続いたとき、そこに刑務所仲間から声がかかれば、再び犯罪へと走ることは容易です。そしてまた、服役。負のサイクルが続き、気がつけば年を重ね、前科は山のよう。犯罪から足を洗うことが難しくなっていきます。

ショーシャンクの空に,6.jpg


★刑務所に入れないという選択

 トミーに必要なのは教育でした。トミーには家族がいて、彼らのためにも、今の生活から抜け出したいという希望がありました。高卒の資格を取るために頑張っていたトミー。彼のような人間をその他の重罪犯とまとめて刑務所に放り込んでおくのは不合理なことです。犯罪者を一律に悪いと決めつけて処分するのが本当に良いのか。

 軽い犯罪歴のためにその者を刑務所に入れ、余計に犯罪傾向を強めてしまうのでは本末転倒と言わざるを得ません。刑罰の趣旨が制裁と矯正にあるとするならば、犯罪の内容、種類によっては、矯正を重視する処分をすることが必要です。軽い犯罪をきっかけにして重い犯罪へと転がっていくことがあります。刑務所がその契機とならないように、処罰の在り方を考えなければならないでしょう。

 犯罪者に対する不安は常に存在します。しかし、彼らを閉じ込め、目に見えない場所へと追いやり、彼らの存在を忘却することで満足していては、社会と犯罪の問題は永遠に解決できません。長過ぎる刑罰を科すことによって廃人を作り出し、社会復帰できない者たちを刑務所に大量に抱え込み、あるいは軽い犯情の者に重罰を科して刑務所に放り込むことだけが社会のためになるということはできません。

 犯罪者への制裁と犯罪者の矯正という両輪は共に回転していなくてはなりません。やみくもに厳罰化を志向することは、このバランスを崩してしまいます。犯罪者を徹底的に追い詰め、彼らの人生を破壊することは正義にかなうものでないばかりか、社会に新たな負担を背負い込ませることになります。何が本当に社会のためになるのか。この一点を忘れてはならないでしょう。

ショーシャンクの空に,10.jpg


★「神に誓って更生しました」

 「昔の自分とは違います。今は真人間です。神に誓って更生しました」。レッドがどんなにきれいな言葉を並べたてても、仮釈放がされることはありません。レッドにとって、この言葉は必ずしも嘘ではなかったでしょう。しかし、仮釈放はされませんでした。

 世間は"更生した犯罪者"という一つのイメージを作り上げ、罪を犯した者にこの枠にはまるように振舞うことを強制します。彼らのイメージ通りに犯罪者たちが振舞えば、安心できるからです。従順に50年を牢屋で過ごし、年老いてよぼよぼになった者なら、仮釈放してもいい、これは一つの"更生した犯罪者"のモデルです。どんなに心から罪を悔いていても、10年や20年では釈放されない。本心をどれだけ、言葉で訴えても、仮釈放はされません。

 仮釈放がされるのは、その者をこれ以上刑務所に入れておく必要がなく、社会に復帰させてもよいという判断がされるからのはずなのですが、個々人についての判断よりも、服役年数という機械的判断が先に考慮されてしまうという矛盾が生じています。50年放り込んでおいたから更生しただろう、いいかげん年を取ったからもう悪いことはしないだろう、その判断で仮釈放がされる限り、囚人たち一人ひとりの変化は全く考慮されません。仮釈放はされないのが当たり前、50年経ったらようやく仮釈放が期待できる。レッドの相対した仮釈放評議会の委員たちが見ているのはレッドが「更生」したかではなく、何年服役したか、なのです。

ショーシャンクの空に,5.jpg


★「更生」、そして「後悔」

 人々は犯罪者に「更生」することを望みます。更生するとはどういうことでしょうか。「更生?更生ね。どういう意味だか」。レッドは仮釈放評議会の委員に「更生したと思うか」と問われ、こうやり返していました。

 また、罪を犯した者に対しては、その罪を悔い、懺悔することが求められます。「罪を犯して後悔してるか知りたいのか?」レッドは評議会の委員に逆に問い返していました。

 ノートン所長の"青空奉仕計画"。彼によれば、「囚人を更生させるための進歩的なプログラム」だったようです。この新プログラムに参加し、労働するだけで、本当に囚人は更生できるのか。

 「更生」あるいは「後悔」。罪を犯した者にはこれらの言葉が一生ついて回ります。犯した罪を後悔する、その感情は人間として自然な感情です。誰かに強制されて沸き上がる感情ではありません。自分がした行為について、何を感じることができるのかは、その人自身に託されています。

 これらはあくまで、心の中の動きです。それが外見上、何かしらの変化となって表出するわけではありません。しかし、外からは「更生」したか、本当に「後悔」したのか分からないため、彼らは永遠に目に見える後悔や謝罪を表す行動を求められ続けねばなりません。

 無償労働奉仕をすればいいのか、被害者に手紙を書き、遺族に泣いて謝ればいいのか。何をしても、罪は消えません。レッドの言うように、「罪を背負って」生きていかねばならないのです。本当に罪を悔いている者に目に見える変化、世間が望むような感動的なパフォーマンスは必ずしも必要ありません。それを強制することは真実の「更生」ではない。心が伴わずとも、それらしき行動をすることはできるからです。

ショーシャンクの空に,2.jpg


★再び社会へ

 犯罪を犯した者を社会に戻す。この試みは常に試行錯誤の繰り返しです。全ての犯罪者を隔離し続けておくことはできません。必要なのは、犯罪者の隔離ではなく、地域への再受容です。特に、罪状が軽く、家族等の支えがあって生活環境が整っており、本人の性質としても社会復帰を早めに促した方が、刑務所に入れるよりも早期の更生が促せると認められる場合には、刑務所に入れないという選択肢を積極的に選択すべきでしょう。

 高卒の資格を取らせるため、アンディーが熱心に学習指導をしていた若者トミーのように、妻と子供がいて、将来への意欲が高く、罪状も軽い者の場合は、ショーシャンク刑務所のような刑務所に閉じ込めておくよりも、生活能力を高める手助けをして、犯罪の道から足を洗う方向へと導いてやるほうが、社会経済的にも効率がいい。社会からの隔離はトミーの人生にとって何らプラスにならないばかりか、社会の金銭的コストを増大させるだけです。

 このような者を社会に戻すため、被害者と加害者、コーディネーターが同席して話し合いをするという試みが行われています。これは被害者に心情的な"赦し"を強制するものではありません。これは加害者との関係を整理するための場です。被害を被ったことに対する金銭的な賠償等も話し合われますし、加害者側から被害者への謝罪がしたいとの申し出があれば、その場や後日改めての謝罪等、謝罪の方法についての取り決めがされることがあります。

 また、加害者が社会復帰したのちの彼らの生活についても話し合われます。また、被害者が二度と顔を見たくないというのであれば、加害者側の生活圏を区切る、あるいは万が一、顔を合わせても素知らぬ顔で素通りするなど、細かい実際的な取り決めをすることもできます。

 このような話し合いは犯罪を犯した者を円滑に地域に戻すために行われるものです。犯罪を犯したとはいえ、いつかは刑期を終えて彼らは社会に戻ってきます。特に、少年犯罪など、その地域に生活基盤があることの多い犯罪類型については、被害者が同じ地域に住んでいる可能性が高く、加害者が地域に戻ってくることに対する不安感を取り除くべき要請が強まります。家宅侵入罪で捕まったトミーのように、家族が地域に定住しており、彼自身にも未来への意欲がある人間の場合はこのような解決手段が望ましいといえるでしょう。

ショーシャンクの空に.jpg


★さいごに

 ショーシャンク刑務所から脱出したアンディーは両手を広げ、天を仰いで絞り出すように声を上げていました。彼が感じていたのは喜びでしょうか。ついに手にした自由を感じていたのでしょうか。恐らく、彼が一番に感じていたのは、辛い19年間を耐え抜いた自分に対する感嘆と天への感謝の念でしょう。ショーシャンクで一番に辛いのは自由がないことではありません。絶望し、心がすさんでしまわないように、正気を保つことが一番に難しいことです。人を狂気と絶望の淵に追い込むことが本当に刑務所の果たすべき役割なのか。

 「ショーシャンクの空に」はつい見過ごしてしまいがちな問題を鋭く指摘しています。"犯罪者"、というレッテルが貼られるだけで、社会からはじき出され、闇の中へと消えてしまう者たちがたくさんいます。彼らの罪を赦すべきというのではありません。彼らの犯した罪ゆえに、すべてに盲目となり、彼らが厳しく処罰されただけで満足する。罰っせられただけで満足していいのか。彼らのその後に無関心になってしまってよいのか。彼らをブラックボックスに放り込んでしまうことが本当に社会のためになっているのか。

 犯罪という社会的正義に反する行為であるがゆえに、罪を犯した者に生じる問題のすべてを葬り去られることが許されるのか。「ショーシャンクの空に」は一つの寓話です。冤罪によって処罰されながらも、希望を持ち、過酷な刑務所暮らしを切りぬけた男。ショーシャンクという場所に一歩、足を踏み入れたとたん、もう、彼は人間として扱われなくなる。

 アンディーが冤罪によってショーシャンク刑務所に入れられたという設定、そしてアンディーが海辺のホテルの夢をかなえる結末。これらは「ショーシャンクの空に」を観る人々に感情移入を促すための装置にすぎません。重要なのは、レッドやブルックスら、真実、罪を犯し、刑を宣告されて服役している者たちの抱える問題です。遠い刑事司法の世界。そこにはひとりひとりが考えるべき問題が山積しています。

ショーシャンクの空に,15.jpg


【参考資料】
法務省『無期刑の執行状況及び無期刑受刑者に係る仮釈放の運用状況について』平成22年11月版

All pictures in this article from this movie belong to Waener Bros. Entertainment, Inc..
『ショーシャンクの空に』のトップへ

『映画レビュー集』のトップへ

無料アクセス解析
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。