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映画レビュー集> 『た行』の映画

タイムマシン

映画:タイムマシン あらすじ
※レビュー部分はネタバレあり

 ジュール・ベルヌの原作をもとに映画化されたタイムマシン。時を超えたタイムマシンでの時間旅行の先にあるものとは…。

 1890年代のNY。アレクサンダーは大学教授として研究に没頭する傍ら、恋人のエマもいて、充実した毎日を送っていた。しかし、ある日、強盗に襲われたエマはあっけなく命を奪われてしまう。

 悲しみにくれるアレクサンダーであったが、研究を重ね、ある計画を実行に移すことにする。そう、タイムマシンで時間を移動してエマの命を救うのだ…。

 果たして運命は変えられるのか。アレクサンダーの時間旅行が始まる。



【映画データ】
タイムマシン
2002年 アメリカ
監督 サイモン・ウェルズ
出演 ガイ・ピアース、サマンサ・ムンバ、ジェレミー・アイアンズ



タイムマシン


映画:タイムマシン 解説とレビュー
※以下、ネタバレしています

★タイムマシンという映画、原作はベルヌ。

 幸せだった二人が引き裂かれ、それからというもの、狂ったように研究に打ち込むアレクサンダー。それでも救えない最愛の人、エマ。

 前半のストーリの運び、80年代のニューヨークの映像の雰囲気の良さに良作の予感を感じて見始めました。
 しかし、後半の急展開にけむにまかれてしまいました。

 タイムマシンの爆発・格闘シーンと派手なアクションになり、モーロック(地底人)を一人残らず殺して新しい恋人と幸福に暮した、というあまりに強引な筋運び。

 ジュール・ベルヌの原作が好きで公開当時、見に行きたかった記憶がある映画なのですが。

タイムマシン
   

 原作タイムマシンと比較して似ている、違うといって映画のタイムマシンを見るのも面白いのです。

 特に、ベルヌの原作タイムマシンは本当に面白いし、奥の深い小説なのでそう思うところはあります。

 が、映画は映画として、小説のタイムマシンとは切り離して見るべきだと思っています。

 タイムマシンを映画館に見に来る人は、映画を見に来るわけで、タイムマシンという映画そのものが、評価できるかできないかが重要です。

 従って、映画レビューの作法として、原作と違うとか、改変されすぎているとかいうのは評価の基準にすべきではないでしょう。

タイムマシン


★2030年、未来の人類が遂げた進化。

 さて、本題に戻って、それでもこの映画は、特に後半が、かなり評価の困難な作品です。

 エマを助ける方法、過去を変える方法を聞きに未来へ行ったはずなのに、「未来を変える」と突如としてモーロックに対する攻撃に出る主人公。

 そして、タイムマシンを自ら放棄してしまう。
 なぜなら、それはエロイたちを助けるため、なのですが、そこに至る心理描写が弱いので、説得力に欠けるのです。

 アレクサンダーがあれだけエマに執着心を燃やし、家に引きこもって友人さえ寄せ付けず、研究に研究を重ね、死後4年もかけてタイムマシンを造った割にはあっさり心変わりしたようにみえます。

 彼は一度、過去に戻った時にエマを救えませんでした。そこで、未来に行っても過去を変える方法はないと悟り、女性とのの新しい人生を選んだ、という筋は分かります。

 それなら、その間の彼の心情表現を重視すべきでした。

タイムマシン


 タイムマシンを造って殺された恋人を救う、というその目標のために思いつめた表情で必死になっていたアレクサンダーが、それでも恋人を救えないと分かったときの苦悶や悔しさは、どのように未来で生きる希望へと転化していったのか。

 タイムマシンの研究に励み、それでも恋人を救えなかった彼が、未来で失った恋人に匹敵する女性に出会い、ついに人生の分岐を選択する決心をするという心境変化には描くべきところがたくさんあります。

 一番納得できないのは地底人=野蛮人モーロックと地上人=善人エロイの善悪二元論に帰着させる脚本の浅はかさ。そもそも、もとは同じ人間だった者たちが善と悪に分かれて進化する、という発想自体にあまりに単純な二元論があります。

 人間は善と悪で区切れるほど、単純な生き物でしょうか。
 そんな簡単な世界は子供だましの極論で、ありえません。

 後半のアレクサンダーの大活劇はモーロックが絶対悪であることが前提で許される元・人間同士の殺し合いなわけで、善であるエロイが勝利し、平和を手に入れることになります。

 野蛮なモーロックから、弱いエロイをアレクサンダーが命を投げ出して救うという構図。アメリカの視点から見た、現実の国際関係の縮図に見えます。

タイムマシン


★そして、現在と未来のそれぞれ。

 家政婦の女性がアレクサンダーの部屋から出ようとして、名残惜しいように佇むシーン。最後の友人が悟ったように振り返るシーン。

 そして、スクリーン上で融合する未来と過去の並行世界。

 アレクサンダーが熱中していたタイムマシンが何らかの成功を得て、もう戻ってこないことを悟り、友人たちは寂しさを感じながらも、彼の幸せを祈っています。

 そして、未来ではアレクサンダーの掴んだ幸せな生活。ようやく落ち着くことができた、その幸福感が胸にしみる秀逸な描写でした。

 こういう表現ができるのか、と感銘を受けたラストでした。タイムトラベル物のなかでも指折りの名シーンだと思います。

タイムマシン
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タクシードライバー

映画:タクシードライバー あらすじ
※レビュー部分はネタバレあり

 ロバート・デ・ニ―ロとマーティン・スコセッシの強力タッグによる最初期の作品。ある一人のタクシードライバーの心理と狂気を描く秀作。カンヌ国際映画祭パルムドール賞受賞。

 ロバート・デ・ニーロは狂気を秘めたV感情を持つトラヴィスの危うげな演技が実にはまっていて、デ・ニーロに静かな恐怖を感じる。

タクシードライバー


 大都会ニューヨークを流すタクシー。元海兵隊員のトラヴィスはベトナム戦争に従軍して退役した後、職業あっせん所に行き、仕事を探していた。

 そこで見つけたのはタクシー運転手の職だった。

 家族もいないトラヴィスは、今は将来の当てもなく、ただ毎日タクシー運転手としてその日暮らしで働いていた。

一方、彼の中では、次第に社会への怒りやいら立ちが募ってきていた。孤独や空虚、そして自分自身を理解してくれる者が誰もいないことを悟った彼は、ある決心をする。
 
 自分自身と言う存在を世間に知らしめるべきなのだ…。

タクシードライバー


 ロバート・デ・ニ―ロのとスコセッシ監督の10作以上にわたるコンビの先駆けとなったタクシードライバー。この作品でロバート・デ・ニ―ロは当時の若者に絶大な人気を博することとなった。

 また、娼婦役で出演するジョディー・フォスターは当時13歳。

 タクシードライバーでアカデミー助演女優賞にノミネートされた彼女は以降、子役から女優として本格的に第一歩を踏み出すことになる。

 アメリカの顔、NYという都会が実に印象的に描かれる。

 ジュリアーニ市長の市政以降はNYの街角は劇的に変化した。
 オフ・ブロードウェイの喧騒や裏通りの猥雑さは今はない。

 そのNYの描写をさらに印象的に引き立てるのはこれが遺作となったバーナード・ハーマンによるサックスを基調にした音楽の流れ。
 タクシードライバーは一見の価値ありの映画だ。



【映画データ】
タクシードライバー
1976年 アメリカ
監督 マーティン・スコセッシ
出演 ロバート・デ・ニーロ,シビル・シェパード,ハーヴェイ・カルテル,ジョディー・フォスター



タクシードライバー


映画:タクシードライバー 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり

★ラストシーン、トラヴィスに残る狂気

 トラヴィスは結局、釈放されて、夜の街をタクシーで流す姿でエンディングを迎えます。この結末、狂気は彼を解放したのでしょうか。    
 答えは否、です。

 ベッツィーを降ろした後、タクシーを走らせる彼がフロントミラーに視線を走らせる場面。そのとき、一瞬のショットが捉えた鏡の中の彼の眼が、いまだ彼の内部に残る狂気を映し出しています。
 
 そう、彼の狂気はいまだ彼の中にあるのです。

タクシードライバー


★トラヴィスの狂気はどこから来たのか

 彼が無謀な計画を立てたのは、このアメリカに腹を立てていたから。

 ベトナム戦争に行って命を投げ出してアメリカに尽くしたのに帰ってきたら職業安定所で職をもらわなければいけない状態。

 毎日のようにニューヨークの街を流し、昼も夜もありません。ポルノ映画を見に行くか、夜はたまに仲間のタクシー運転手とたむろするくらい。あとは一日中同じ繰り返しです。

 おまけに恋人になるはずの女には逃げられ、誰もトラヴィスの近くにはいません。

タクシードライバー


 こんなはずではなかった。

 トラヴィスがアメリカを離れ、遠くベトナムの密林の中で毎日命を銃弾にさらしていた間にアメリカは一体どうなってしまったのでしょうか。

 ベトナム戦争に対するはげしい反対運動はアメリカに厭戦気分をもたらし、アメリカ社会は戦争に対して消極的な雰囲気が漂っていました。その上、敗色の濃い戦争でした。

 トラヴィスら兵士がベトナムで生死の境を彷徨っている間にアメリカ社会は大きく動いていたのです。

 ベトナム戦争は失敗でした。当然、帰還してくる兵士たちもいます。しかし、それ以上に死体袋の数が多すぎました。

 ベトナム戦争はアメリカの歴史の汚点になりました。もはやだれも正面切って触れたがりません。しばらくはそっとしておきたい問題でした。

タクシードライバー

↑ジョン・レノン.アーティストであると同時にベトナム反戦運動の旗手でもあった.1971年10月に「イマジン」発表.


 かくしてベトナム戦争は葬られました。

 戦争から帰還してきた兵士たちに戦争の影響による精神症状や枯葉剤などの化学病の症状が出ても、それがベトナム戦争のせいだとは認めたがりませんでした。

 犠牲が多すぎた戦争、アメリカが負けた戦争。この衝撃は一時的にせよ、アメリカ社会を麻痺させました。

 アメリカ社会にとってのベトナム戦争は忘れたい記憶になったのです。その狭間に落ちたのがトラヴィスのようなベトナム戦争帰還兵でした。

 今日明日の金銭に事欠き、職も十分にありません。
 加えて、大なり小なり体や精神に傷を負った者が多かったのです。そのせいで、長く働けなかったり、解雇されることも多いのも事実でした。

タクシードライバー


 手を差し伸べるべきアメリカ社会は戦争に負けたというアメリカ社会自体が食らった傷の修復に忙しく、帰還兵のことなど構っていられません。

 楽ではない暮らし、むくわれない思い。

 そして、何よりも、このアメリカという国に埋もれてしまっている自分。命を張って闘った自分は今いずこ。

 いまや一介のタクシー運転手に過ぎない。自分が社会的に相当と評価されないことに対するやるせなさ。

 トラヴィスの怒りの根源はベトナム戦争。

 そして、怒りの対象はアメリカそのもの。たまたまターゲットが大統領候補者であったのは、恋人の女の勤め先だから。

 怒りの投影しやすい身近な人々にトラヴィスの怒りの矛先が向けられました。

タクシー・ドライバー
 
↑アメリカ各地にベトナム戦争のメモリアルがある。これはシカゴのもの


★偶然という幸運

 だいたいが、トラヴィスが英雄扱いされたこと自体が偶然にすぎません。彼の計画に明確に裏打ちされた思想性もなく、計画性すら存在しないのです。

 まず、当初の計画では大統領予備選候補を暗殺するつもりでした。しかし、SPに阻まれてあっさり断念し、次の標的を狙うことにします。

 そもそも大統領予備選候補を狙ったのも、単にベッツィーが働いていたのがその候補の選挙事務所だったからにすぎません。特に政治的にどう、という話ではないのです。

 かくして暗殺に失敗したトラヴィスの次なる標的は少女を売春させてシャバ代をとる元締めになりました。そして、その殺害に彼は成功します。

 ここまでならただの殺人ですが、また偶然が味方してくれました。

 少女は家出していたのです。
 このことから、少女の所在が判明し、家族が少女を引き取ることができました。そして両親はトラヴィスに感謝の手紙を出すことに。それで、マスコミによって彼はあっという間に英雄に祭り上げられてしまったのです。

タクシードライバー


★殺人は正義か、狂気か

 ある殺人行為が狂気の仕業とされるか、それとも正義の鉄槌なのか。

 実に相対的ではありませんか。本来、殺人犯として訴求されるべきトラヴィスが無罪放免になってしまったことから分かるように。

 誰が「ノーマル」な人間で、誰が異常な人間なのか、いつたい誰が決めるのでしょう。判定する側が狂っていたならば、「ノーマル」な人間も異常な人間になるのでしょうか。

 そもそも、「ノーマル」な人間の基準って何なのでしょう。何が普通かなんてどうやって決めるのでしょうか。

タクシードライバー


 とりあえず、トラヴィスを放免した社会では、トラヴィスの行為が正義の行為とされ、少女の両親の手紙がそれを後押ししました。

 事実を拡声して伝えるのはメディア。映画中でも、トラヴィスの行為や両親からの感謝の手紙が送られたことを伝える新聞記事が映っています。

 彼を放ったのはメディアに拡大された社会の「多数派」の声。この場合は世間一般の人たちは釈放を選択しました。この場合はそれが「ノーマル」な選択でした。

 トラヴィスを英雄に祭り上げ、無罪にした社会は狂っているのでしょうか。

 でも、社会の大半の人間がトラヴィスの行為を正義だと思っているとき、トラヴィスの行為を罰すべきと考える人間は「アブノーマル」なのかもしれません。

タクシードライバー


★最後に

 世間はトラヴィスの事件でベトナム反戦運動とアメリカ社会の間に落ちたベトナム帰還兵の問題に気がつかねばなりませんでした。

 これに結局気がつかずに事件が終わってしまったことのつけはいつかはそのつけが返ってくるでしょう。

 トラヴィスは無罪放免ですし、アメリカには他にもトラヴィスのように問題を抱えた帰還兵が大勢います。 

 トラヴィスは自己顕示をすることに成功しました。
 彼の誇らしげな気持ちは、自分の記事をスクラップして壁に貼り付けていることから窺えます。

 今、トラヴィスの歪んだ精神は、自身が犯した殺人を正当化し、自分が社会的にも評価されたと思い込んでいます。

タクシードライバー


 トラヴィスが事件を起こそうと決めたのは世間の人たちの注目を集めたかったから。正義を貫きたいからではありません。

 最初の計画通り、大統領予備選候補を暗殺していたらトラヴィスが英雄になることはあり得ませんでした。

 娼婦の少女が家出人でなかったら娼婦の元締め殺しで殺人犯だったでしょう。

 トラヴィスの狂気の根本は何ら解決していないのです。
 
 いまだその狂気は孤独と閉塞感を伴って彼の心に潜んでいます。いつか、また何がきっかけで爆発するかわからない。

 そして、それに気がつくことのできない、もしくは見て見ぬふりをしている社会にもその責任があるのです。

タクシードライバー


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ターミネーター2 拡張特別編

映画:ターミネーター2 拡張特別編 解説とあらすじ
※レビュー部分はネタバレあり

 ターミネーター2が描くのは、ターミネーター(T800型)とサラ・コナーの死闘から10年後の世界。ジェームズ・キャメロン監督の描くターミネーター2はその高い完成度でシリーズ中必見の映画。
 本レビューではターミネーター2 拡張特別編を取り上げる。
 ターミネーター3はこちら

 サラは核戦争とそれに続くスカイネット(自我を持つコンピューター)の支配する世界の到来を警告し続けていたが、妄想癖のある精神病患者とみなされて、精神病院に収容されていた。

 一方、10年前にサラと共に闘ったカイル・リースとの間に生まれた息子ジョン・コナー。

 ジョンはサラの入院により、親戚の家に預けられているが、そこに馴染めず、疎外感を感じている。ジョンもまた、サラの警告は妄想であると信じていた。

ターミネーター2


 そんなある日、2体のターミネーターが未来からやってくる。
 一つはT1000型ターミネーターで、スカイネットが未来世界において反乱軍のリーダーになるジョン・コナーを抹殺しようと送りこんだものであった。

 もう一体は10年前のターミネーターと同型のT800型ターミネーター。

 これは、10年前にサラを襲ったターミネーターと同型で、未来世界のジョンがスカイネット側から捕獲し、再プログラムを施して送り込んできたものである。
 その任務とは、子供時代のジョンとサラをT1000から守ることだった。

 ジョンをT1000の襲撃から救ったT800はその後、サラと合流した。そしてT1000の追撃をかわし、サラとジョン、そしてT800はメキシコに辛くも脱出したのだった。

ターミネーター2


 サラはスカイネットの出現自体を阻止しようと、スカイネット開発をしている技術者を抹殺することを決意する。

 その技術者とはサイバーダイン社に勤めるダイソンという男であった。10年前にサラが破壊し、その死闘の現場に放置してきたT800の残骸から研究を進めているという。

 果たしてサラたちはスカイネットの開発を阻止し、T1000の襲撃を阻止できるのか。再びターミネーターとの戦いが始まろうとしていた。

ターミネーター2


 ジェームズ・キャメロン監督が『ターミネーター』の続編として製作し、大ヒットとしたSF巨編ターミネーター2。

 アクションだけでなく、ストーリーも充実しており、見応えのある作品になっている。

 1作目は予算控えめのB級SFだったのが、ターミネーター2は映像・音響などがちょっとリッチな仕上がり。もちろん、初作が今でも根強いファンを得ているのは、それに負けないドラマがあるから。

 技術はいずれ進歩して、目新しさは失われる。しかし、人の心に響くものは永遠に変わらないものがある。



【映画紹介】
ターミネーター2 拡張特別編
監督 ジェームズ・キャメロン
出演 アーノルド・シュワルツネッガー,リンダ・ハミルトン,エドワード・ファーロング
アカデミー賞4部門受賞(視覚・音響等)



映画:ターミネーター2 拡張特別編 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり

★ターミネーター2で描かれる二つの愛情

 サラたちがT1000を破壊し、スカイネットの開発を阻止することで人類の未来を守るというストーリーがメイン。

 そして、サラとジョンの親子関係の再生がサイドストーリーとしてターミネーター2の重要性を決定づけています。

ターミネーター2 拡張特別編


 ジョンに物ごころがついたころには母親は妄想癖があるとして母親が精神病院に入れられてしまいました。

 そんな母親を頼れないジョンは、母親の愛情というものをよく知りません。預けられた親戚の家でも疎外感を感じ、友達と遊ぶ以外には居所がありませんでした。

 ジョンの母親に対する複雑な感情と孤独は、一方でサラも感じていて、サラはそんなジョンに対してどのように接し、愛情表現をしたらいいのか戸惑いを感じていました。

 そんなジョンとサラの親子の関係は、メキシコへの逃避行、そしてジョンを守るために必死で闘うサラの姿を見るうちに癒されていきます。

ターミネーター2 拡張特別編


 サラとジョンははっきりと感情を出し、直接的に対立するわけではありません。ジョンが母親を責めるわけではありませんし、逆にお互いを気遣っている様子がよくわかります。

 それでも、どことなくぎこちない感じが最初はありました。

 はっきりとセリフでの描写はせず、親子の雰囲気が和らいでいく様子で親子関係の再生を見事に描いていると思います。
 
 なので、親子のドラマと言われるとT2が真っ先に頭に浮かびます。

ターミネーター2 拡張特別編


★友情を超えた感情、そして母との関係の修復。

 さらに、ターミネーター2ではもう一つの関係が描かれています。それはジョンとT800の友情です。

 10年前にサラが闘った相手と同じ型のT800に対し、疑念のぬぐえないサラと、それとは対照的にT800に次第に親愛の情を抱くジョン。

 最初は面白がっているだけであったジョンの感情が次第に変化し、最後はT800に対して涙を流すまでになります。

 サラと違って、機械に対してこのような感情を抱くことのできるジョンは、将来スカイネット支配に対抗する反乱軍のリーダーとしての素質があることを示しています。

そして、何よりも、ジョンにとってT800は、自分のわがままを聞いてくれ、甘えることのできる初めての存在でした。

ターミネーター2 拡張特別編


ジョンはT800に対して、遊び仲間に対する友情とは違う親愛の情をを抱き、そして心を開くということを知りました。

 母親の愛情を受けた記憶の薄いジョンにとっては母親は遠い存在です。

 それに、愛情を受けた記憶がないと、甘えるということを知らず、つい、我を張って素直に自分の気持ちを出すことができなくなります。

 母であるサラも、ジョンに対する思いはいろいろだったでしょう。サラはもちろん、ジョンを愛しています。

 しかし、長い時間わが子に会えなかったサラはジョンに対する愛情だけでなく、罪悪感も感じていたでしょう。

ターミネーター2 拡張特別編


 サラは精神病院に入れられても、自分を押し通す力のある強い女性です。

 ですが、それゆえに自分を強く持つため、常に周囲の人間に対して心を許さず、ガードを固めているところがあります。
 人類の未来を警告しているのに精神病院に入れられ、病人扱いされる環境にあることを考えれば、至極当然の反応です。

 しかし、他人に対する不信感や哀しみで固まった心は容易なことでは解けるものではありません。

 サラには息子に対する愛情とともに、息子に会うことを恐れる気持ちもあったでしょう。
 幼いうちに引き離された息子に対する罪悪感とどう接していいかわからない不安は、余計に親子の心を離します。

ターミネーター2 拡張特別編


 T800がジョンとサラの元にやってきたことで、ジョンは母の予言が真実であることを知りました。

 そして、何よりも、T800とサラとの過去を知ることで、自分の出生に関わる真実を知ることができました。

 母が人類のため、何よりもジョン自身のために、身を呈して警告を発し続けてきたことを悟ったジョンの母に対する気持ちは大きく変化します。

 T800の存在がなければ、いきなり母と会ってもどう接していいか、ジョンもサラもお互い分からずじまいで終わっていたかもしれません。

 母と会うと同時にT800と会えたことはジョンにとって幸運な出来事でした。

ターミネーター2 拡張特別編


★ターミネーターの世界観

 ターミネーター2をはじめとする『ターミネーター』シリーズで取り上げられる世界観は機械の支配する未来世界と、それに対抗する人間たちという設定で、いまでは珍しくない機械vs人間の世界観です。
 『マトリックス』もそれに近いですね。

 しかし、それだけではすぐに忘れられてしまい、過去の作品として時間の経過とともに埋没してしまいます。

 『ターミネーター』及び『ターミネーター2』がそうではないのは、人間としての普遍的な、自然な愛情を重層的に描きこむことに成功しているからでしょう。

 『ターミネーター』ではサラとカイルの男女の愛を、『ターミネーター2』ではサラとジョンの親子の愛をストーリーに織り込みました。

 そして、そのストーリー性ゆえに、この映画は単なるSFアクションの域を脱して、長く愛される映画としての地位を得ているのです。

ターミネーター2 拡張特別編


★『ターミネーター2』後の世界(拡張特別編)

 『ターミネーター2』には拡張特別編が存在します。それはT1000との死闘後にT800も溶鉱炉に沈んだ後の展開です。

 一気に時代は数十年下って、未来の世界が映し出されます。

 そこには老いたサラがターミネーターとの闘いを録音している様子。そして、ジョン・コナーが自分の子供たちと遊ぶ姿。

 そう、未来は救われました。スカイネットの出現はなく、いつも通りの平和な日常が存在します。そして、サラは人類の未来のために、メッセージを残すのでした。

ターミネーター2 拡張特別編


 このエンディングはキャメロン監督のたっての要望により撮られたものです。
 公開されなかったのは、続編が困難になるなど商業的な理由によるものでしょう。

 この拡張特別編は劇場では日の目を見ずに終わりました。
 ターミネーター・シリーズは『ターミネーター3』に続きます。

 レビューも続いてターミネーター3をアップしていきます。賛否両論の続編ですが。

 追記:アップしました。ターミネーター3はここ

ターミネーター2 拡張特別編


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ターミネーター3

映画:ターミネーター3 あらすじ
※レビュー部分はネタバレあり

 『ターミネーター2』でのT-1000との死闘から10年後。母サラは既に他界し、ジョン・コナーは何をするでもなく、平和だが、生きる目的を見失ったかのような生活をしていた。

 そこに送り込まれてきたのはT-X。スカイネットが送りこんできた、最新最強と言われるターミネーターであった。T-Xはジョン・コナーの未来の副官たちを抹殺し始める。

 一方で、ジョンを守るために送られてきたのはT-850型ターミネーター。『ターミネーター2』のT-800の改良型である。以前の闘いで審判の日は回避できたはず、と驚くジョンにT-850は、「審判の日は回避不可能で、ただその日の到来を延ばすことができただけだ」と告げる。

 T-Xの襲撃をT-850の助けによってどうにか回避し、幼なじみのケイトがジョンの副官であることを知ったジョンはケイトとT-850と共に逃避行をすることに。

 ターミネーターシリーズ3作目。キャッチコピーは、「恐れるな、未来は変えられる」。



【映画データ】
ターミネーター3
2003年・アメリカ
監督 ジョナサン・モストウ
出演 アーノルド・シュワルツネッガー,クリスタナ・ローケン,ニック・スタール,クレア・デ―ンズ



ターミネーター3


映画:ターミネーター3 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり

★アクションシーンの大迫力

 アクションシーンのすごい迫力。クレーン車にヘリコプター、車はいくつスクラップにしたのでしょうか、圧倒的な物量とすさまじい爆発力で画面に迫って来ます。

 ただ、あまり、どきどきしませんでした。なぜかな、と思って考えてみたところ、T-Xにその理由がありました。T-XはT-1000と違って、人の形にしか変化しないので、どこから現れるんだろうとか、知らず知らずのうちにもう近くにいるのではないだろうか、とか、いわゆる恐怖感がないのです。

 なので、スリル感という意味では2作目に負けますが、アクションの破壊力や迫力は3作目に軍配が上がりますね。
 シュワルツネッガーのアクションはこうでなくては、という爽快感を求めるなら、ターミネーター3は合格点でしょう。

ターミネーター3


★キャッチコピー「恐れるな、未来は変えられる」はウソ!?

 「未来は変えられる」というキャッチコピーはウソでしょうか?

 なぜなら、審判の日は回避不可能と説明され、実際に、『ターミネーター3』の結末では審判の日が訪れてしまうからです。

 へ理屈を言うようですが、必ずしも矛盾ではないでしょう。自堕落な生活をしていたジョン・コナーの未来は変わったのかもしれません。

 前作で、あれだけの経験をし、精神的成長を見せたはずのジョン・コナーが、すっかり自分を見失ってしまっているのにはあきれずにはいられませんが。

 『ターミネーター』,『ターミネーター2』は未来の人類の指導者であるジョン・コナーを守り、審判の日を遅らせるための戦いだったのでしょうか。

 『ターミネーター3』は前2作と違って、「審判の日」という未来は変えられないという前提のようですので、それに従ってレビューを書きます。

ターミネーター3


★ジョン・コナーの再生

 この映画は、ジョン・コナーの再生の物語、ということでいいのでしょうか。結局、T-Xは倒したものの、審判の日は回避できませんでした。

 ターミネーター3の始まりと終わりで変化したことは、

1, 人類全体としては審判の日を迎えたこと、

2, 無気力な生活をしていたジョン・コナーが抵抗軍のリーダーとしての素地を取り戻したこと、でしょう。

 T2とT3の決定的な違いはここにあります。サラは自分の息子を守るため、ひいては人類の未来を守ろうとターミネーターと闘いました。

 ターミネーター3でジョンが闘ったのは自分自身。それは未来で抵抗軍のリーダーであるはずの自分を、今の行き場を見失っている自分が受け止めるための闘いでした。

 『ターミネーター』ではサラとカイルの男女の愛、そして『ターミネーター2』ではサラと息子ジョンの親子愛を描き、『ターミネーター3』ではジョンの自身との闘いを経た成長を描いたと理解すればいいのでしょう。

ターミネーター3


★ジョンの成長とは?

 結末で抵抗軍のリーダーとして目覚めることを思わせるジョン・コナーですが、その精神的な成長とは具体的に何でしょうか。

 最初、これはジョンの抵抗軍のリーダーとしての「覚醒」を描くドラマなのだと思いました。しかし、結果的には誤りでした。

 彼は審判の日が回避できなかったこと、そして自らが抵抗軍のリーダーになることや、ケイトが未来の妻であることを「受け入れ」ます。

 なぜなら、それは未来からきたT-850がジョンに告げたから。すなわち「運命」だからです。

ターミネーター3


 ここで、ふと気が付くのです。

 これは、ジョンの「覚醒」を描く映画ではなくて、ジョンの運命の「受容」を描く映画なのだと。
 そして、ここにターミネーター3の致命傷になりかねないポイントがあるのです。

 彼は終始受身です。自己の運命を変えようと闘う者ではない。
 むしろ、未来の自分を知らされ、現在の自分との落差に葛藤しながらも未来のあるべき自分の姿を受け入れようと、今の自分と闘っているのです。

 従って、ターミネーター3の世界観では、ジョンが精神的に成長し、T-Xを倒し、何よりも大切なことですが、ジョン自身に打ち勝っても、人類の未来が変わることはありません。

 ジョンが現在の自堕落な生活を捨てて、指導者として成長し、人類の希望の星になろうが、それともジョンが現在の自堕落な生活を続けようが、人類に審判の日は訪れることに間違いはありません。

ターミネーター3


★アクション映画のドラマ性、そしてT3

 アクション映画に何を求めるかはひとそれぞれ。
 とにかくド派手なアクションで、すっきり爽快感を求めるもよし、ですが、私はアクション映画にはそのアクションシーンを支えるドラマがしっかり描かれていることが大事だと思います。
 人間ドラマがない映画は観たことすら忘れてしまう印象の薄い作品になってしまいます。

 なぜ、人は戦うのでしょうか。

 そこには信念なり、守るべきものなりがあるからでしょう。命をかけて闘うからには何らかの理由があるはず。そこに観客が共感するからこそ、感動が生まれ、闘う者に対するエールが贈られるわけです。

 ではターミネーター3にそのドラマ性があったか。

 基本的に、ジョンの成長を描くという方向性は間違っていなかったと思います。

 審判の日は避けられず、いずれ訪れるという運命の不可変論を前提に、ジョンの精神的な成長を描くという方針はいいでしょう。

 自分の行くべき道を見出せず、葛藤する時期は誰にでもあるはず。悩んで、もがいてようやく自分の道を見出していくものです。

 その意味では、興味深いドラマを造り出すことは可能だったでしょう。

ターミネーター3


 しかし、結論から言ってしまうと、T3はドラマ性の面では失敗しています。

 審判の日という運命が不可変である以上、人類の希望となるべく、ジョンはジョン自身と闘ってなんとか現在の自分を脱皮しなくてはならないのです。

 しかしながら、前述のようにこれはジョンの運命「受容」のドラマなので、ジョンはT-850に言われた未来の自分をさしたる疑問も持たずに次々に受け入れていきます。

 でもそんなことって、あるでしょうか。

 将来の抵抗軍の指導者たる自分と妻はケイトという未来をT-850に言われただけで受け入れるなどということが。

 T-850に告げられた未来に驚き、T-850と多少言い争う程度で既成事実としてさっさと受け入れてしまう主人公には共感が持てません。

ターミネーター3


 ほとんどの人間が死ぬ審判の日にジョンは生き残り、、ケイトと結婚し、人類抵抗軍のリーダーになる、という未来にはジョンにとって悲観すべき要素はほとんどありません。

 しかし、その未来と引換えにジョンは人類の未来に対する大きな責任を背負うことになります。                                          
 そこで、製作者が丁寧に描くべきは、ジョンが精神的成長を遂げ、人類の未来を任される重圧に耐える精神力と責任感を身につける過程でした。

 ところが、それがほとんど描写されていないので、ターミネーター3の結末においてジョンが抵抗軍の指導者として精神的に成長したということを観客に説得できませんでした。

 ターミネーター3の冒頭で荒れた生活ぶりをしていたジョンが、映画の最後には指導者の器にまで成長した、と観客を納得させることに失敗しています。

ターミネーター3


★ラストシーン

 最後のシーンでジョンは、核シェルターで各地から寄せられる通信に躊躇しながら応じています。それでジョンがスカイネットと人間との戦闘の指揮を取り始めるのだな、ということが分かるシーンです。

 ここでも、ジョンがそこにいるから通信が来たわけではなく、国の建設した核シェルターだから通信が来たわけです。
 しかも、なぜ、ジョンがそのシェルターにいるかというと、ケイトの父に騙されて行かされたから。

 最後の最後まで受け身の姿勢で、たまたまそこにいたという偶然に助けられる主人公。これも、定められた運命のなせる業、ということでしょうか?              

 ジョンが審判の日を生き延びた者からの通信に迷いながら応答するシーンは特に残念としかいいようがありません。この後に及んで、まだ覚悟ができていなかったのでしょうか。

 せめて、最初に入ってきた通信に確たる意思を持った返答をするか、もっといえば、騙されてシェルターに行くのではなく、生き残った者たちの指揮を執るために、核シェルターに自ら望んで向かう、くらいの気概と意思を見せる流れであるべきでしょう。

 そうでなければ、ジョンが抵抗軍の指導者たる資格を持つにふさわしい者に成長したのだというメッセージがいまいち伝わって来ません。

ターミネーター3


 最初に述べたように、ターミネーター3ではどうあがいても、最後の審判の日は来ます。多くの市民が死亡する一大惨事が起きるという終末を迎えるわけです。

 悲惨なラストである中での、唯一の希望はジョンが抵抗軍の指導者として立ち上がること。そのジョンの精神的成長を十分に描かずして、一体何を見ろというのでしょうか。

 この部分の描写が不十分なために、ターミネーター3ではその結末の重さだけが伝わってきてしまいます。アンハッピーエンドは嫌いではないですが、ターミネーター3が伝えたいのは審判の日が訪れた人類の悲劇というメッセージではなかったはずでしょう。

ターミネーター3


★最後に

 ターミネーター2の最後においてT-800の死に涙を見せた少年は確かに成長を遂げていました。
 しかし、ターミネーター3ではすっかり落ちこぼれ、生活に破綻をきたしたジョンとして登場します。

 なぜ、ジョンがそれでも抵抗軍のリーダーであらねばならないのか。他の人で代替が効かない理由は何故なのでしょう?運命だからでしょうか。

 運命という答えは全てではありません。ジョンがこれまで未来から来たターミネーターたちと共に闘い、または敵として倒してきた経験やその闘いから得た精神的強さに裏打ちされた運命なのです。

 それは、ジョンにしかないカリスマ性や精神力の強さにつながっていきます。

 その大役がジョンにしか任せられないわけを説得的に見せるために、やはり、ターミネーター3の結末にはもっとジョンの成長を感じられるものが欲しかったと思います。

ターミネーター3


【映画データ】
ターミネーター3
監督 ジョナサン・モストウ
出演 アーノルド・シュワルツネッガー,クリスタナ・ローケン,ニック・スタール,クレア・デーンズ 
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デイ・アフター・トゥモロー

映画:デイ・アフター・トゥモロー あらすじ
※レビュー部分はネタバレあり

 デイ・アフター・トゥモローが描くのは凍結した地球。ジェイク・ギレンホールとデニス・クエイドを主人公の親子を演じる。

 アメリカ、ワシントン。気象学者のジャックは医師である妻と息子の三人家族。ジャックは地球温暖化による地球の遠い将来を熱心に研究している学者である。

 彼は将来の地球温暖化による気候変動に強い危機感をもっていた。そこで、ジャックは政府にも警告を発するが、取り合ってもらえずにいる。
 一方、息子のサムは高校生学力コンテスト参加のため、親元を離れてNYに向かっていた。

 その直後、急激な気候変動によって突然地球に訪れた氷河期。急激な気温の低下と凍結、そして竜巻や雹(ひょう)などの異常気象。
 東京やロンドン、そしてロサンゼルス…世界の大都市が急転直下の大災害に見舞われ始めた。

 地球はどうなってしまうのか。親子は無事に再会できるのか。

 デイ・アフター・トゥモローは当時の最新VFX技術を駆使して、氷結していく世界を表現して話題を呼んだ。自由の女神像の凍結場面は印象的。



【映画データ】
デイ・アフター・トゥモロー
2004年・アメリカ
監督 ローランド・エメリッヒ
出演 ジェイク・ギレンホール,デニス・クエイド



デイ・アフター・トゥモロー,The Day After Tomorrow

↑ニューヨーク,マンハッタンのダウンタウン


映画:デイ・アフター・トゥモロー 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり

 サムをはじめとする避難してきた人たちが窓の外をふと見やると、大洪水で水面が上昇していて、建物の高層階に当たる高さを巨大タンカーが横切っていくシーン。あれはデイ・アフター・トゥモローの中でも衝撃的なシーンでした。

 また、異常な気温の低下に見舞われ、何もかもに氷が張り、煙ったように白く霞む地上の世界が崩壊していく様子には目を見張るものがあります。

 ニューヨーク・マンハッタンの高層ビル街に氷が上から下へ走るように張って、ほんの一突きで建物が氷の破片と化すのではないか、実にはらはらするシーンです。

 氷結していく白と銀色の世界には美しさすら感じてしまうほどでした。
 その意味で、デイ・アフター・トゥモローで映像や視覚効果の発展、またそれに向けられたその努力の素晴らしさは称賛に値します。

デイ・アフター・トゥモロー,The Day After Tomorrow


 一方、安全な場所から見ている映画の鑑賞者が、災害に襲われた者たちの行動に感情移入するには、彼らの行動や感情に共感できなくてはなりません。

 つまり、登場人物の行動と映像の両方にリアリティが必要です。

 ところが、デイ・アフター・トゥモローでは明らかに映像のリアリティに力点が置かれていて、とてもアンバランスになっています。

 映像はこの上なくリアリティに満ち溢れているのにも関わらず、ジャックやサムの行動のあちらこちらにご都合主義が見え隠れします。

デイ・アフター・トゥモロー,The Day After Tomorrow13

↑NY,エンパイア・ステート・ビル。デイ・アフター・トゥモローの中で一気に凍結して氷が走ったビルです。


 ジャックはなぜ、わざわざ息子に会いに来るのでしょうか。

 それは、息子を助けるため。

 別におかしくない、と思ってしまいますが、これはデイ・アフター・トゥモローのストーリーの本筋にして、最大のウィークポイントです。

 現実には外は大吹雪、ニューヨークは大洪水、道は雪道を超えて、もはや道なんてないも同然の大雪原です。そんな道をわざわざ来ようというのでしょうか。

 確かに、ジャックにとっては、サムはかけがえのないわが子でしょう。しかし、視野を転じれば、何百万規模の人々が、襲い来る大寒波に命を危険にさらしているのです。そして、まだ、避難が可能な人々もいます。彼らの救出に人員を割くべきではないでしょうか。

 また、父親は政府に助言できる立場にある研究者です。しかも、今の異常な寒波の襲来を警告できた唯一の気象学者でした。

 彼は、今後の異常気象の詳細な分析や予測をするなり、政府が安全な避難ルートの策定をできるように助言するなり、専門家として人々に貢献すべきことがたくさんあるでしょう。

 人類未見の異常気象の中、多くの人命を救うために、すべきこと、できることは多かったはずです。

 にもかかわらず、仲間を引き連れ、仕事を放棄してできるかどうかも分からない息子の救出に行こうというのでしょうか。

 このシチュエーションでは最良の選択をするべきです。それは、救えることが確実な命を救うことであり、息子の救出に集団で向かうことではありません。

デイ・アフター・トゥモロー,The Day After Tomorrow


 ジャックは、前半では誰にも理解できなかった未曾有の大惨事を予測したのに、後半になると一気に常識的な判断をしなくなってしまいます。

 研究者は、自分の性に合う分野を一点探求し、その生涯をかけて考察を深めようとするものです。だからこそ、他にはないプライオリティーを持った職業でもあります。

 特に、政府に助言できるような立場の研究者ならば、いい加減な研究業績ではないはずです。

 その証拠に、ジャックは誰も信じなかった異常気象の発生を警告していました。
 常に自分の研究分野に対する情熱を持っているジャックだからこそ、誰よりも早く警告をすることができたのです。

 そして、そのような研究者は、常に自分の専門分野に対してはプロフェッショナルとしての矜持(きょうじ)を持っているものです。それが、息子の命の危険というものでぐらついたとしても、最後の一線では留まるものがあるはずです。

 少なくとも、救出に向かうという選択肢を外せないのならば、仲間の応援はなんとしても断わるべきでした。

 仲間はサムの救出以外の仕事に人員として配置し、現在の気象状況の分析と把握を行ったり、多くの被災者の救援策に回すのが、理性ある科学者としての態度です。

デイ・アフター・トゥモロー,The Day After Tomorrow


 父が息子を助けに行きたいという気持ち、それ自体は実に自然な愛情ですし、描かれるべき価値のある題材でもあるでしょう。

 しかし、息子一人のために、仲間全員を犠牲にしてまでたどり着く価値は、他の大勢の避難民の救出を図ることに比べていかほどでしょうか。
 父のジャックは息子の命の危険と仲間の命の危険を冷静に考える余裕もなくなってしまっていたのでしょうか。

 加えて、ラストシーンで流れるニュースもおかしいと言わざるをえません。何百万人単位で亡くなっているのに、いささか不自然なまでに明るいナレーション。

 確かに、ジャックとサムは無事再開を果たしました。
 地上には太陽の光が戻り、急速に(いささか急速すぎますが)氷が解けて、元の世界に戻っていっています。感動的な父と息子の奇跡の再会です。

デイ・アフター・トゥモロー,The Day After Tomorrow


 一方で、この映画では、かなりの人々が命を落とします。

 ニューヨークが大洪水に見舞われる前には東京で雹(ひょう)が降りそそぎ、イギリスではスーパー・フリーズ現象が起き、ロスでは巨大な竜巻が街を飲みこんでいます。

 ところが、それらの人々の死は今回の大災害の悲惨さを演出するバックの一部でしかありません。

 全ては父と子の感動の再会を演出する単なる背景なのです。

 ラストシーンの不自然に明るいニュースのナレーションも、妙に早い天候の回復も、全ては父子の感動の再会を演出するため。

 ここで、観客は他の多くの犠牲を忘れて、感動しなさい、というメッセージを受け取るわけです。

 しかし、その感動を描くために無理に状況を設定すれば、その無理から来る歪みの方が気になって、感動すべき父の行動にさっぱり共感することができません。

デイ・アフター・トゥモロー,The Day After Tomorrow


 人はなぜ、ディ・アフター・トゥモローのような天候の急変を災害だと思うのでしょうか。

 それは、その地に人間の生活があり、人間の命の営みがあるからにほかなりません。自然災害は彼らの生活を破壊するばかりか、彼らの生命をも奪ってしまうのです。

 ところが、この映画は失われる命に対して、恣意的に比重がかけてあります。息子の命は何よりも重く、仲間の命やその他大勢の命は自然災害の強大さを強調する仕掛けの一部に過ぎません。

 この扱いの差が意味するのは、デイ・アフター・トゥモローの中での人間の命は軽い、ということです。

すなわち、大量の犠牲はデイ・アフター・トゥモローでの命の価値を下げてしまっているのです。

 そのため、息子の命もまた軽いものに見えてきますし、命を賭けた父の救出劇はもはや茶番に過ぎません。

 技術は進歩するものです。「ビジュアル・エフェクトの展覧会」のような映画は、次の世代には見向きもされなくなります。

 しかし、そこにある人間のドラマがよいものであれば、作品のVFX技術が過去のものになっても、作品自体の価値が下がることは決してないでしょう。

デイ・アフター・トゥモロー,The Day After Tomorrow

↑NY,エンパイア・ステート・ビルのライトアップ。


次のレビューも(たまたまですが)、ジェイク・ギレンホールの主演映画を取り上げます。親子愛と友情を描く感動作「遠い空の向こうに」です。

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遠い空の向こうに

映画:遠い空の向こうに あらすじ
※レビュー部分はネタバレあり

 4人の高校生がロケット研究に夢をかける実話に基づくストーリー、『遠い空の向こうに』。主演はジェイク・ギレンホール。

 あきらめないこと、夢を見ること。今さらながら映画を見る者にその大切さを思い出させてくれる。

遠い空の向こうに


 1957年の10月5日はアメリカ国民にとって衝撃の日だった。前日にソ連がアメリカに先駆けて人工衛星スプートニクを打ち上げたのだ。

 ウエスト・ヴァージニアの炭鉱町も例外ではなく、5日の夜は町の住民が総出で夜空を横切るスプートニクを眺めていた。

 高校生のホーマーは炭鉱責任者の父と母、アメフトの選手の兄の4人で暮らしている。
 ホーマーもスプートニクを眺めたその一人。彼にとっては運命の日でもあった。

 彼はある決心をする。そう、ロケットを作るのだ。

 さっそく遊び仲間と共に計画を練るが、知識不足は否めない。そこで、いつもクラスで仲間外れにされているクエンティンも仲間に引き入れることに。かくして「ロケット・ボーイズ」4人組が結成されたのだった。

 さっそく、ロケット製作に取りかかる四人。けれども、ホーマーの父ジョンはロケットに夢中な息子に冷淡な反応を示していた。

 次第に4人にはある思いがわいてくる。それは、全米科学技術コンテストに出場して優勝し、大学へ行くための奨学金を得るという計画だった。

ジェイク・ギレンホール関連作品
■「ドニー・ダーコ」『解説とレビュー』はこちら
■「ブロークバック・マウンテン」『解説とレビュー』はこちら




【映画データ】
遠い空の向こうに
1999年・アメリカ
監督 ジョー・ジョンストン
出演 ジェイク・ギレンホール,クリス・クーパー,ローラ・ダーン



遠い空の向こうに

↑シャトル・エンデバーの打上げ


映画:遠い空の向こうに 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり

★遠い空の向こうに、そして炭鉱町。

 本当に心に迫る作品でした。遠い空の向こうに、この映画のキーワードは夢。

 この映画は、ロケット研究に夢を追った少年たちの姿と、ホーマーと父親のジョンの親子の絆の再生を主軸にしています。

 そして、ホーマーたち4人の夢を信じて支え続けてくれた教師、ミス・ライリーや、ロケットの製作に陰ながら手を貸す炭鉱の男たちのように人への信頼や優しさがさまざまなかたちで描かれています。

遠い空の向こうに

↑シャトル・エンデバーの打上げ準備


 なぜ、ホーマーたちは大学に行く奨学金にあれほど一生懸命になったのでしょうか。それは当時の職業事情に大きな理由があります。

 ホーマーたちの住む炭鉱町に限らず、一般的に親の仕事と同じ仕事に子供が就くのは当たり前という考え方が根強かった時代でした。

 また、炭鉱町は炭鉱の労働者が炭鉱の周りに住むことで形成された町です。

 したがって、炭鉱町は住民のほとんど全員が炭鉱で働く労働者でした。炭鉱で働く他に仕事はなく、親子二代で炭鉱に入る者も少なくありませんでした。             

 そして、坑内火災や粉塵爆発、ガス爆発などの事故の犠牲の多さや石油へのエネルギー転換が進む中で、次第に炭鉱は廃坑の憂き目をみるようになります。

 ホーマーの父、ジョンが監督を務めるこの町の炭鉱も同じ。労働者の解雇や給料の削減をはじめ、閉鎖が噂されるようになっていました。

遠い空の向こうに

↑シャトル・アトランティスのエドワーズ空軍基地着陸


★父親のジョンとホーマーの関係。そして、炭鉱で働くということ。

 ジョンは炭鉱の監督という立場ながら、事故が起きれば日夜を問わず、命の危険を顧みずに現場に駆け付ける男。

 今までに何人もの命を救い、その仕事ぶりは部下たちからも慕われ、厳しいが公正な人だと尊敬されていました。

 一方で、そんなジョンは、妻にとってはジョンの命や怪我の恐れが心配の種であり、また、ホーマーにとっては父を誇りに思うと同時に父の厳格さに反発を感じる一因でもありました。

 そんな一家に転機が訪れました。恐れていた自体が現実になったのです。

 それは、ジョンが坑内での事故の救出活動中に負傷したというものでした。家計を支えるために誰かが働かなければなりません。

遠い空の向こうに

↑シャトル・アトランティスの発射成功


 奨学金の決まっていた兄の代わりにあんなにも嫌っていた炭鉱仕事に就くことにしたホーマーでした。

 彼は奨学金の重さを分かっていました。親子二代で炭鉱で働くのが当たり前のこの時代。奨学金は町を離れて、新たな第一歩を踏み出す切符でした。

 早朝から真っ黒になりながら地下の坑道で汗を流し、疲れきって帰る生活。炭鉱労働の苦労を身に染みてホーマーは感じたはずです。

遠い空の向こうに

↑シャトル・チャレンジャーの打上げ

 
 もちろん、ロケットに対する熱意は衰えていません。ミス・ライリーの言葉にも励まされ、炭鉱の仕事を放棄してロケット実験に復帰します。

 けれども、炭鉱の仕事を経験することはホーマーに精神的な成長をもたらす契機になりました。

 炭鉱労働は辛い肉体労働で、命の危険が伴い、負傷者の絶えない仕事。
 これは僕のする仕事じゃない、と少なからず嫌悪していた父の仕事を自ら経験したホーマーには父の仕事に対する敬意が次第に芽生えてきます。

★「博士は僕のヒーローじゃない」

 その証が最後のロケット打上げを見に来てほしいと父親にホーマーが頼むシーンの言葉。

 「(フォン・ブラウン)博士はぼくのヒーローじゃない。」

 そう、彼のヒーローは誰であろう、父親のジョンでした。
 
遠い空の向こうに

↑シャトル・チャレンジャーの事故慰霊碑.1986年1月28日に事故が起き、7人の宇宙飛行士全員が死亡しました.

 父親のジョンが、ホーマーが父の代わりに炭鉱に働きに出ていると知ってぱっと顔を明るくさせた場面が忘れられません。

 彼は息子が炭鉱の仕事をどう考えているか分かっていました。炭鉱労働を忌み嫌う息子に対して寂しい気持ちがあったはずです。

 それでも、やはりジョンはホーマーの父親でした。

  ホーマーのロケット研究にかける夢を応援する気持ちも少なからずありました。そうでなければ息子に頼まれて、仕事場のセメントを分け与えたりはしないでしょう。

 結局は、父はホーマーが炭鉱の仕事を選ばないことは最初から分かっていました。

 すぐにそれを受け入れられなかったのは、彼の素直でない性格はもちろん、彼の仕事に対する誇りと、公正で几帳面な性格のせいでもありました。

 ジョンは炭鉱監督なので、炭鉱を嫌う息子を他の仕事に就かせるとは軽々しく町の人に言いにくいのです。

 ストライキが頻発する状況でホーマーが他の仕事を選ぶことを堂々と応援すれば、炭鉱の仕事が労働条件が良くないことを公言するようなものだからです。

 仕事に対して真面目なジョンは、炭鉱労働者たちの士気を下げるようなことをするわけにはいきませんでした。

遠い空の向こうに

↑シャトル・ディスカバリーえい航の様子.以上のシャトルの写真はNASAにご提供いただきました.ホーマーもNASAの技術者になりましたね.

 さらに、何よりも大きかったのは、息子がジョンの誇りにしてきた炭鉱の仕事をロケット研究に劣る仕事だと考えていたからです。

 ホーマーがロケット技術研究の第一人者、ヴェルナー・フォン・ブラウン博士にサインを貰って喜んでいた誕生日。
 そして、労働問題の逆恨みから銃で狙撃された父親に怒りをぶちまけたあの日。

 しかし、ホーマーは変わりました。あのときと今のホーマーは違います。

 長時間で、辛くて、命の危険のある炭鉱労働という仕事。会社から人員削減を求められ、労働組合はストライキを頻繁に張る状況下で、たくさんの部下をまとめる父の心労。
 
 分かっていたつもりでも分かっていなかった父の苦労をホーマーは身にしみて感じ、父の仕事に初めて心の底から敬意を覚えました。

 ブルーカラーの仕事はホワイトカラーの仕事よりも価値が低いと見ることはありがちなことです。

 ホーマーは、炭鉱労働が自分の将来の仕事ではないと自分に言い聞かせるあまりに、知らず知らずのうちに父の仕事を疎んじていました。

 ロケット研究という夢が父の炭鉱仕事よりも高尚な仕事だ、と思い込んでいたことに気がついたのです。

遠い空の向こうに 13.jpg


 ホーマーの兄を始めとした町の人たちも変わりました。

 最初は冷やかし半分だった町の住人たちが四人のロケット打上げを期待を込めて見に来るようになったのです。
 
 そこには世が下ってスペース・シャトルの打上げを見に行く人たちと同じ心が芽生えていました。

 自分たちの炭鉱町の高校生がロケット研究と言う当時最先端の分野で成功したことへの誇り高い気持ちと、宇宙という未知の場所に対する限りないロマンをロケットに託する高揚感です。

 遠い空の向こうに見たもの。

 それはホーマーたち4人のロケットにかける夢や奨学金で大学に行くという夢だけではなく、閉鎖される運命の炭鉱町の人々の夢、そして宇宙に夢を見るすべての者の夢でした。
 
 夢は見るものではなくて、追いかけるもの。

 『遠い空の向こうに』は夢を追いかけることの素晴らしさ、というシンプルだけど素敵なメッセージをを改めて伝えてくれる映画です。

遠い空の向こうに




 
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遠すぎた橋

映画:遠すぎた橋 あらすじ
※レビュー部分はネタバレあり

 第2次世界大戦中に行われた、連合軍史上最大の失敗。

 それは対独戦線で行われたマーケット・ガーデン作戦。
 この作戦が成功すれば、1945年ではなく、1944年中にドイツを降伏させられるはずだった。

 遠すぎた橋の解説とレビューでは、マーケット・ガーデン作戦を丸ごと解説します。70年代の映画は見る気がしない方も、こういう戦いがあったことを知る参考にしてください。

遠すぎた橋

↑壁に描かれていたナチスドイツのハーケンクロイツ.


 『史上最大の作戦』のコーネリアス・ライアン著のドキュメンタリー『遥かなる橋』を原作にした『遠すぎた橋』は、連合軍最大の汚点といわれるマーケット・ガーデン作戦の顛末を史実に忠実に描いている。

 連合軍だけでなく、ドイツ軍からみたマーケット・ガーデン作戦の視点も加わっていることにも注目したい。

 ドキュメンタリー・ドラマとしては超大作の部類に入る。
 何よりも、『遠すぎた橋』の実写シーンは大迫力。

 今ならCGになるところを実写で撮っているので、質感や存在感がとてもリアルだ。ほとんど全てを実写で撮った貴重な映画である。

 特に空挺部隊の降下シーンは本当にすごい。実際にNATOや某国空挺部隊の協力を得たとか。
 飛行機からばらばらと人間が飛び降り、パラシュートが開いて、降りてくるさまは大量のクラゲがふわふわと空に漂うようだ。

 これだけの空挺部隊の降下シーンは『遠すぎた橋』以外の映画では見たことがない。映画再現を超えて記録映画の域に達しているので必見。

 保存されていなかった当時の軍用機などは実際に作って撮影したという。

 CG全盛の今からするとあり得ないほどの労力が実物再現に投じられている。3機作って鏡で反射させ、6機に見せるなど、いろいろと工夫したようだ。

ww2 1939-1945.jpg

↑第2次世界大戦の碑.大戦は1939-1945まで続いた.

 
 BBC製作ということで期待して観たが、十分期待に添うものだった。

 『遠すぎた橋』では、連合軍空挺部隊が3か所に分かれて展開し、さらに、地上軍が加わる。連合軍だけで4つの視点がある。そこにドイツ軍の視点も加わるので、複雑になりやすい。

 今、どこの地点を見ているのか、場面転換が分かりにくい部分がないわけではないが、実際にあったエピソードも盛り込みつつ、連合軍の側とドイツ軍の側をそれぞれ描いてそつなくまとめている。

 『バンド・オブ・ブラザーズ』を見た人は多少、『遠すぎた橋』が見やすいかもしれない。

 『遠すぎた橋』のマーケット・ガーデン作戦には『バンド・オブ・ブラザーズ』の主役、米第101空挺師団も参加している。
 『バンド・オブ・ブラザーズ』で、第2次世界大戦の対独戦線の歴史に興味を持った人は面白く感じるだろう。

 『遠すぎた橋』は『バンド・オブ・ブラザーズ』と同様に、元兵士の証言や各種資料に基づく、史実を脚色したストーリーになっている。

 一方で、『遠すぎた橋』は第3者の視点で客観的に、物語が進行する。この点で、個々の兵士の主観で物語が進行し、よりドラマティックに演出されているバンド・オブ・ブラザーズとはかなり趣が違う。



【映画データ】
遠すぎた橋
1977年 イギリス,フランス
監督 リチャード・アッテンボロー
出演 ロバート・レッドフォード、ジーン・ハックマン、マイケル・ケイン、ショーン・コネリー、アンソニー・ホプキンス



遠すぎた橋
↑第2次世界大戦.アメリカ軍のドッグタグ..


遠すぎた橋 解説・レビュー
※以下、ネタバレあり

 始めにマーケット・ガーデン作戦を解説し、後半で『遠すぎた橋』のレビューをしていきます。

1,遠すぎた橋・ マーケット・ガーデン作戦-解説-

★マーケット・ガーデン作戦決行前の戦況

1944年8月にノルマンディー上陸を果たした連合軍は8月25日にパリを奪還、9月4日にはベルギーの一部を占領した。

このような急激な進撃により、連合軍の補給線は進撃に追いつかなくなり、戦線はオランダ南部で膠着状態に陥っていた。

★マーケット・ガーデン作戦決行に至った状況

連合軍の英軍モントゴメリー将軍は前線の停滞を打開すべく、オランダを一気に解放する作戦―マーケット・ガーデン作戦―をアイゼンハワー連合軍総司令官に提案する。

マーケット・ガーデン作戦が成功すると、一気に前線がドイツ国境に迫り、1944年のうちに戦争が終結する可能性が見込めた。

最初連合軍内では反対の声が強かったが、ソ連の先のベルリン解放を危惧する声や折からのドイツ軍のロンドン空襲により、早期の戦争終結の必要が要求されはじめた。

そして、作戦の決行に許可が下りた。

遠すぎた橋

↑オランダに今も残る地下壕.


★マーケット・ガーデン作戦の全容

マーケット・ガーデン作戦の総指揮をとるモントゴメリー将軍の作戦は以下の通り。
なお、当時の連合軍の前線はオランダ南部。

1, ドイツ国境近くにある、ドイツ占領下オランダ領の橋を3地点に分けて押さえる。実行するのは空挺部隊。(下図の灰色部分)

2, 空挺部隊の降下と同時に地上部隊がオランダ南部の連合軍前線から北部へ向けて地上から進撃を開始する。(下図の赤線の四角)

遠すぎた橋


1, で点を押さえ、2, で線を押さえて2・3日で一気にドイツ国境まで戦線を前進させる。点と線の作戦である。
成功すればクリスマス前にドイツを降伏させられる作戦になるはずだった。

★マーケット・ガーデン作戦の欠点

欠点1, 点を押さえる空挺部隊は重装備ができない。

 地上部隊の進撃が遅滞すると敵地の真ん中に包囲される形で降下する空挺部隊は、補給もなく軽装備でドイツの装甲師団を相手にしなければならない可能性がある。

欠点2, 空挺部隊降下先のドイツ軍の装備・兵員の質を読み誤っていた。

 モントゴメリー将軍は「老人と少年兵しかいない」として、装甲師団がいるとの情報を破棄してしまっていた。

欠点3, 英第1空挺師団の空挺部隊の降下先が攻略目標である橋から16kmも離れたところであった。

 よって、兵員を輸送するトラック等をともに降下させる予定であったがこれに失敗。橋の到達までに時間がかかった。

遠すぎた橋


★一日ごとの戦況

攻略地点3点の位置関係は、南から、アイントホーフェン(米第101空挺師団)、ナイメーヘン(米第82空挺師団)、アルンヘム(英第1空挺師団)の順。
従って、連合軍前線の一番遠いアルンヘムは一番危険な攻略地点だった。
主にアルンヘムの悲劇が映画では主軸になる。

以下は南から北に向かって3つの攻略地点の一日ごとの戦況を示していきます。

1日目
・アイントホーフェン
米第101空挺師団がドイツ軍に橋を爆破され、その他の橋も爆破されて確保に失敗。
・ナイメーヘン
ドイツ軍の反撃により米第82空挺師団は橋の確保に失敗。

・アルンヘム(アーネムともいう)
橋の北岸16kmの地点に英第1空挺師団が降下したが、橋までの輸送手段である軍用トラックが輸送失敗。徒歩で移動することに。

 フロスト中佐の大隊のみが橋の北岸にたどり着いたものの、残り2大隊とは分断され、無線も故障で連絡がつかずに師団が2分するかたちでそれぞれ孤立。

師団長はフロスト中佐の元に直接やってくるが、帰路にドイツ軍に見つかりそうになり、民家に隠れて2日行方不明になる。

・ドイツ軍
ドイツ軍は突然降下してきた連合軍の意図が分からず混乱。自分を捕虜にするため降下してきたと判断するモーデルと事態を正確に把握したビットリッヒの見解が対立。橋の破壊を禁じるモーデルに反してビットリッヒは橋の爆破を命じる。

2日目
・アイントホーフェン
米第101空挺師団と前線から北上してきた地上部隊(イギリス第30師団)が合流。爆破された橋を深夜に工兵を使ってかけ直す。

この時点で連合軍は1地点確保。残るは2地点。

・ナイメーヘン
米第82空挺師団がドイツ軍の反撃をしのぎつつ、第2陣の降下を成功させる。橋はまだドイツ軍支配下。

・アルンヘム
作戦第1日目にナイメーヘンに偵察に行っていたドイツSS偵察部隊がアルンヘムの本隊に戻ろうと橋を渡ってきたところをフロスト中佐大隊により壊滅させられる。                      

 英軍第1空挺師団の降下第2陣が降下地点の爆撃を受けてしまい、失敗。多くの兵員が死亡し、物資はドイツ軍に渡った。

遠すぎた橋

↑再掲します.3攻略地点の位置関係を把握すると一日ごとの戦況が分かりやすいです.


3日目
・ナイメーヘン
ボートを使った渡河により橋を奪取することが決定。ボートの到着を待つことに。

・アルンヘム
孤立したフロスト中佐の大隊に疲労の影が。ドイツ側からの降伏勧告を受けるまでになる。

また、ポーランドの第1独立パラシュート旅団が大幅に遅れて降下するが、降下地点をドイツ軍に猛攻撃され、多くが戦死、物資はドイツに奪われた。
しかも、英軍とは川を挟んでおり、合流できず、孤立。

4日目
・ナイメーヘン
米第82師団は彼らと協力して橋を奪取。
その後、進撃を主張する米82師団と英第30師団は対立するが、英側の主張が通り、アルンヘムへの進撃を断念、翌日に延期される。

この時点で、連合軍は攻略地点の2点を確保。残るはアルンヘムのみ。

・アルンヘム
フロスト中佐は持ちこたえ続け、無線機も復活。
しかし、ナイメーヘンからの英第30師団の進撃がなくなった今となってはもはやフロスト中佐の大隊の救出はいかんともしがたいものになっていた。

遠すぎた橋


5日目。
・アルンヘム
英第1空挺師団フロスト中佐の大隊がドイツ軍に降伏。
ドイツ軍と連合軍の力は均衡し膠着状態に。

6日目。
・アルンヘム
ポーランド軍第一独立パラシュート軍団は孤立する英第1空挺師団の応援をするべく渡河を強行し、失敗。52名の渡河にとどまる。

7日目。膠着状態。

8日目。
作戦の終了が決定される。ナイメーヘンが前線として固定され、アルンヘムの英第1空挺師団は撤退命令を受ける。

9日目。
アルンヘムの英第1空挺師団は撤退を開始するが2000名の撤退完了にとどまり、300名は取り残される。彼らはドイツ軍に投降する。
約1万名のうち、脱出できたのは2千名にとどまった。

遠すぎた橋

↑ドイツ空軍機のボディペイント.


2, 遠すぎた橋-レビュー-

★歴史は繰り返す

 歴史から学ばないものは同じ過ちを繰り返すといいます。

 『遠すぎた橋』から学ぶべきことはなんでしょう?

 モントゴメリ将軍は無能だということでしょうか?
 次は失敗しないような作戦を立てるということでしょうか?
 それとも、モントゴメリ将軍がしたように、事前の情報無視をしないということでしょうか。

 ブッシュ政権下のイラク戦争でも、大量破壊兵器がイラクにないという開戦前の国防総省の報告書をラムズフェルド国防長官が黙殺したということがありました。

 しかしながら、この遠すぎる橋が伝えていることはもっと大きなことであるような気がしました。

 それは、戦争というものの実体です。

遠すぎた橋

↑ドイツ軍ヘルメット.


 実際、この遠すぎる橋で、連合軍とナチスドイツ軍がやっていたことは橋を取るか取らないかということです。

 今は、平和に皆が行き来しているであろう橋。そのために何人の犠牲が出たことか。

 戦争というものは実際に前線に出る兵士は当然、真剣です。
 『遠すぎる橋』という戦争映画を安全な場所から観ているだけでも、真剣にフロスト中佐の不運を嘆き、救いはないか、と本気で考え、フロスト中佐の勇気に感銘を受けます。

 けれど、客観的に、冷静に考えたら、一つの橋の取り合いでしかありません。

 戦争というものを考えたとき、実は、橋の取り合いの積み重なりのようなものが戦争だったりするわけです。

 それが塹壕の取り合いだったり、軍艦の沈め合いだったり、形は違うかもしれないけれど、戦争の現実を一つ一つ細かく要素に分解していくと見える戦争というものの実体。

遠すぎた橋

↑第2次世界大戦のドイツ軍メダル


 戦争は絶対にだめだとか、戦争は人間同士の愚かな戦いだとか、そういうことを言うつもりはありません。

 そういう価値判断的なことは一つ、脇に置いて、戦争というものが何なのか、サバイバル・ゲームではない戦争という現実を知ろうとすること。

 その上で、戦争というものの使い方を考えていくという姿勢が必要でしょう。

 実際、主要国といわれる経済・軍事大国の先進国が、先進国同士で戦っていない現在は人類の、誇るべき貴重な歴史です。

 2つの世界大戦がほとんど間をおかずに繰り返されたことを考えれば、奇跡的な事実です。

 こういう時代に戦争をしていない国に生まれることのできた者は、戦争が身近ではないというその幸運を無駄にしない努力を最低限はするべきでしょう。

 今の平和を「奇跡」で終わらせないためにも。

 それが「歴史を知るということ」であると思うのです。

 最後に。
「過去を遠くまで振り返ることができれば、未来もそれだけ遠くまで見渡せるだろう」
 by Sir Winston Leonard Spencer-Churchill

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ドリーム・ガールズ

映画:ドリーム・ガールズ あらすじ
※レビュー部分はネタバレあり

 ショービジネスの華やかな世界。

 スターになることを夢見た3人の女性が駆け上がった成功への階段はドリーム・ガールズの名にふさわしい華々しさだった。
 そして、その裏側にあるきれいごとだけでは済まない世界。

 ドリームガールズに夢を見、理想を託した3人。成功した者とドリーム・ガールズの夢に破れた者。
 ドリーム・ガールズを取り巻く栄光と挫折を描く。 

 大ヒットブロードウェイミュージカルの映画化。ビヨンセ・ノウルズが主演を務めたことでも話題になった。

ドリーム・ガールズ


 1960年代のデトロイト。

 ディーナ・エフィ、ローレルの仲良し3人組で結成した「ドリーメッツ」。
 町のライブハウスの出演をかけてオーディションに臨む。

 その三人に目を留めたのが、中古車ディーラーの傍らプロデュース業をしていたカーティス・テイラー・ジュニアだった。

 彼は当時大ヒットしていたジミー・「サンダ―」・アーリーのバックコーラスとして彼女たちを雇うことにする。

 仕事をもらい、大喜びする3人。
 彼女たちはバックコーラスとしてジミーのツアーに参加し、ショービジネス界で次第に注目されるようになっていく。

 ドリーム・ガールズの成功への道はここから始まったのだ。



【映画データ】
ドリーム・ガールズ
2006年・アメリカ

トニー賞6部門受賞
ゴールデン・グローブ賞作品賞受賞
アカデミー賞6部門受賞

監督 ビル・コンドン 
出演 ジェレミー・フォックス、ビヨンセ・ノウルズ、エディー・マーフィー、ジェニファー・ハドソン  



ドリーム・ガールズ


映画:ドリーム・ガールズ 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり

 i-Podに必ず何曲も入れて持ち歩くらい好きなビヨンセ・ノウルズ。もちろん、デスティニーズ・チャイルド時代からのファン。

 そのビヨンセ・ノウルズが主演を務めるということで、どんなものかと思いながら鑑賞したドリーム・ガールズ。
 
 ところが思わぬどんでん返しが。それは、ジェニファー・ハドソンのビヨンセをしのぐ歌唱力でした。
 ジェニファー・ハドソンの声域の広さを窺わせる豊かな歌声は、圧倒的な声量とともに、観る者の心を動かす力強さを持っています。
 
 一見、ビヨンセが割を食ったように見える本作。

ドリーム・ガールズ


 実は、人物設定に沿った配役になっています。

 ビヨンセ演じるディーナは、自分の美貌が秀でていることを知っていますが、歌唱力ではジェニファー演じるエフィーに劣ることを自覚しています。

 そして、ショービジネスの世界で成功するには実力のあるプロデューサーが必要で、そのプロデュース力に頼ることが必要だと割り切っている女性です。

 そこで、実際にも歌唱力でビヨンセに勝るジェニファーをエフィー役に抜擢するというキャスティングがあらかじめされているのです。

 ビヨンセ自身は、声を抑えたとインタビューで言っているので、わざと歌唱力が劣るように演じたのかもしれませんが。

 なので、割を食ったという表現は、実のところ正確ではなくて、ビヨンセが割を食うのは設定上必然的で想定内でしょう。

 ビル・コンドン監督はビヨンセに遠慮していませんね。  

ドリーム・ガールズ


 現実の世界でも、プロデュース力の弱いレーベルに所属している歌手はやはり売り込みに苦慮するのでしょう。

 ショービジネスの世界は歌唱力のコンテストではないのですから、歌のうまさで全米チャートが付くわけではありません。

 単純に実力では売れない世界。

 その仕組みを知りつくし、うまく自分をその歯車に乗せることに成功した器用なディーナ。

 実力だけではだめなことを頭では理解していながらわが道を行くことを選んだエフィー。

 理想と現実。このギャップに苦しむことは誰しも経験があるでしょう。

 多くの人は現実を選びます。それが常識的な選択だし、世の中で生きていくための手段。その選択を恥じる必要はないでしょう。

 それでも、長い間、その選択をし続けていくうちにいつの間にか人は理想を見なくなります。

 目の前にあるのは現実だけ。

 もしくは現実的だと自分が考えた選択肢だけになっていきます。
 
ドリーム・ガールズ


 なぜ、理想を見なくなるのか。それは現実の自分と理想の自分のギャップに敗れることを想像して、それがつらくなるから。

 エフィーは一人立つことを選びます。ドリーム・ガールズを抜け、ソロで歌っていくという道を。

 もちろん、エフィーも迷わなかったわけではありませんでした。
 お酒に溺れ、荒れた末に出した結論。戻ろうとした先の古巣にはすでに新しいメンバーがいました。
 
 ドリーム・ガールズに戻れず、プロデューサーも失った今、エフィーは歌を辞めることもできました。

 これから、一人で生きていくにはあまりにも障害が大きすぎます。
 日々の生活、ゼロから働き始めなければならない現実。

 そこで出したエフィーの選択は歌を歌い続けること。

 自分ひとりで実力勝負をして見せる。

 エフィーは自分の夢を終わらせないことを選びました。

ドリーム・ガールズ


 事実、エフィーのモデルになったフローレンス・バラードは所属グループ脱退後に音楽界に復帰しています。
 しかし、残念ながら彼女はアルコール依存により、若くして亡くなりました。
 
 けれど、自分の歌のため、その道がたとえいばらの道であっても、歩むことを決意したエフィーの選択はその歌とともにドリーム・ガールズを観る者に夢をくれるものでした。
 
 自分勝手で、自己主張が強すぎてドリーム・ガールズの結束を乱すこともあったエフィー。

 そんな短所もあるけれど、自分の進む道を目指して必死に生きるエフィーの飾り気のない姿に失いたくない人間の意思の力強さを感じるのです。

ドリーム・ガールズ


 最後に、ドリームガールズのモデルになったシュープリームス(スプリームスとも)のメンバーと、映画ドリーム・ガールズのメンバーを紹介しておきます。

女優(映画での劇中名)=モデルになったシュープリームスのメンバー

ビヨンセ・ノウルズ(ディーナ)========ダイアナ・ロス
ジェニファー・ハドソン(エフィー)====フローレンス・バラード
アニカ・ノニ・ローズ(ローレル)======メアリーウィルソン

※ダイアナ・ロスはその後、ソロ歌手として成功.

フローレンス・バラードはグループ脱退後、アルコール中毒になり、音楽界に復帰はするものの、レコードは売れず、失意のうちに32歳で亡くなった.
フローレンスがダイアナよりも歌唱力に優れていると評価されていたのは事実だという.

メアリー・ウィルソンはその後、ドリーム・ガールズの原作の元となった自伝“Dreamgirl: My Life As a Supreme”を書き、ベストセラーになった.

ドリーム・ガールズ
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トータル・リコール

映画:トータル・リコール あらすじ
※レビュー部分はネタバレあり

 アーノルド・シュワルツネッガーの代表作。
 カリフォルニア知事選に出馬した際にも引き合いに出されたほどの根強い人気を誇る映画、それがトータル・リコールだ。

 近年では『マイノリティ・リポート』(2002)や『ペイチェック 消された記憶』(2003)でも題材にされた、人工的な記憶操作を扱う作品。
 近年の作品に比べてもかなり高い完成度。

 若きシュワルツネッガーのアクションは完璧に決まっているし、ストーリーも秀逸で、SFアクションの傑作にあげられるトータル・リコールだが、実は一筋縄ではいかないラストになっている。

 トータル・リコールのラストの意味の全ては「解説とレビュー」で解説する。

トータル・リコール
↑太陽系のモンタージュ写真,NASA提供

 近未来の地球。

 ダグ・クエイドは建設現場で働く作業員で、結婚して8年になる妻のローリーと共に幸せに暮らす毎日。
 一方で、ダグは火星に強い憧れを持っていて、毎日のように火星へ行く夢を見ていた。

 この時代には、火星と地球との往来は自由にでき、多くの人間が火星へ移住している。

 その一方で、火星では酸素が薄く、建物の外には安易に出られないという環境にあった。それに、連日流れるニュースでは火星での暴動の様子が写されるありさま。

 それでも火星への憧れを捨てられないダグは火星への移住をローリーに提案する。しかし、妻はそれを拒絶するのだった。
 
 いつものように出勤するダグ。途中の電車内でふと見かけたリコール社の広告には「記憶を売ります」とのうたい文句が。

 移住できないのであればせめて火星に行った記憶だけでも欲しいと思ったダグは、同僚のハリーに反対されながらも、リコール社へ行くことを決心していた。          



【映画データ】
トータル・リコール
1990年・アメリカ
監督 ポール・バーホーベン
出演 アーノルド・シュワルツネッガー,シャロン・ストーン,レイチェル・ティコティン



トータル・リコール


映画:トータル・リコール 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり

★トータル・リコールのラストの秘密。

 では、トータル・リコールのラストの秘密を解説して行きましょう。

 リコール社では移植される記憶にいろいろなオプションが選べることが分かります。

 ダグは秘密諜報員として火星へ赴き、現地で出会う女性はローリーと正反対のタイプを選択。
 ところが、リコール社では記憶の移植に失敗。

 慌てたトータル社はダグからトータル社の記憶を削除した後、ダグを帰すことにします。

 目覚めたダグが直後にいたのはタクシー車内。
 なぜ、乗ったかもわからないダグには不可解な出来事が次々に起こります。

 同僚ハリーとその仲間の襲撃、妻のローリーにも命を狙われる始末。
 そして自分と同じ顔を持つハウザーという工作員からのメッセージを受け取り、火星への逃避行と火星での大活躍。

 さて、ラストのホワイトアウトに気がついたならば、トータル・リコールが単なるアクション映画ではないことに気が付いたはず。

 ラストのホワイトアウト、リコール社という記憶を売る会社の存在、そして、火星でダグの滞在先のホテルにリコール社の社長が「これは夢なんだ」とダグを説得に来ているという三点から、何らかの形で夢と現実が入り混じっていたと考えるべきです。

 なので、全て現実というのはありえないですね。

トータル・リコール NASA.jpg
↑ハッブル宇宙望遠鏡が捉えた火星.NASA提供.NASAによるとこれが一番美しい写真だとか.


★トータル・リコールのラスト。その2つの選択肢。

 では、トータル・リコールのどこからが夢なのでしょう?
 ラストの選択肢を2つ提供します。

 1, リコール社の記憶の移植が成功し、全てが椅子の上で見た夢。

 2, タクシーに乗せられた後、諜報員としての潜在記憶が見せた夢。

どちらが真実でしょうか。順番に見ていきましょう。

トータル・リコール

↑ハッブル宇宙望遠鏡の捉えた火星.映り方によっては火星のイメージの赤さがありますね.NASA提供.

★ラストの選択肢1, リコール社が記憶の移植に成功したパターン。

 ダグがリコール社の椅子の上で突然わめきだしたのも夢。
 トータル社の社員が、記憶の移植に失敗したといって慌てていたシーンも夢で、まだダグに記憶の移植をしていないと言っているのも夢。

 よって、ダグが火星に行った記憶をダグが持っているというトータル社の社員の発言も夢。

 トータル・リコール社で選択したタイプの女性がそのまま火星で出会った女性メリーナに現れていますし、そもそも夢自体がダグの選択した諜報員という設定です。

 同僚のハリーがダグを襲撃するのは、現実世界でハリーがリコール社へ行くことを反対していたことの裏返しでしょう。

 夢の中でダグは諜報員という設定なので、普通の建設現場労働者であるダグがたった一人で襲撃者の全てをノックダウンできたのです。  

 ここ、最初、騙されてました。ダグをシュワちゃんが演じているので、ついつい、ダグが強いのは当たり前に思ってしまったんですが、トータル・リコールでのシュワちゃんの設定は単なる建設作業員という設定なんですよね。   

 そして、ロリーが裏切るのはダグがリコール社で選んだ女性のタイプがロリーと正反対だからです。

 夢のヒロインはメリーナでなくてはならないので、現実にダグの妻であるロリーにはヒロインの座を降りてもらう必要がありました。

 夢から醒めたダグは見事、火星での冒険譚という記憶を手に入れられたということになります。



 でもここで疑問が。
 なぜ、リコール社の社長はわざわざダグの元に夢から覚めるように説得に来たのでしょうか。
 記憶の移植がうまくいっているのであれば、そのまま、ダグの憧れであった火星での夢を見させておけばいいはずです。

 それとも、リコール社で記憶の移植を失敗したと慌てたように、これも夢にリアリティを持たせるためのリコール社の仕掛けでしょうか。

 本当にダグは単なる建設作業員だったのでしょうか。もしかしたら、本当に火星に行ったことがあるのでは?

 ここで、後者のタクシーの中からが夢という考え方を検討する価値が出てきます。

★ラストの選択肢2, タクシーに乗せられた後、諜報員としての潜在記憶が見せた夢

 リコール社はダグに既に火星に行った記憶があることを発見し、記憶の移植に失敗しました。そして、リコール社に来た記憶まで消してダグをタクシーに乗せます。

 けれども、ダグの記憶の奥底にあった火星の記憶が蘇り、火星の夢を見たというわけです。

 ダグがリコール社で諜報員の設定を選び、好みの女性が黒髪・筋肉質だったのも、火星での過去の潜在記憶がダグにそういう選択を無意識にさせたから。
 そもそも、火星に行く夢を頻繁に見ること自体が、実際にダグが火星にいたことがあったからです。

 ダグは火星で、自分がハウザーであることを否定していましたが、あれは間違いです。

 諜報員ハウザーが潜入活動のためにダグ・クエイドを名乗り、そのためにダグになったハウザー自身からハウザーの記憶を消したのです。

トータル・リコール


 夢の中とはいえ、ダグはハウザーとしての自分を否定しました。

 夢から醒めたダグはその夢を現実に自分が体験したものとして記憶するでしょう。
 従って、実際に諜報員ハウザーがダグの真実の姿であったとしても、ハウザーに戻ることはないでしょうね。

 諜報員ハウザーとしての自分は完全に失われ、ダグ・クエイドはこれからもダグ・クエイドとして生きることになるのです。

 わざわざリコール社の社長がダグの元にやってきたのはダグが本当に諜報員であったから。
 ダグがその真実を知る前に、ダグ・クエイドとしての生活に連れ戻すためです。

トータル・リコール

↑地球は青かった! NASA提供.


★トータル・リコールのタイトルの意味、そしてラストの選択。

 さて、どちらのラストが正しいでしょうか。

 1, リコール社の記憶の移植が成功し、全てが椅子の上で見た夢。または2, タクシーに乗せられた後、諜報員としての潜在記憶が見せた夢。

 いつもならば、どちらのラストが妥当か、結論を出すのですが、トータル・リコールでは、どちらでも筋が通ります。

 では、トータル・リコールというタイトルの意味を考えてみましょう。
 トータル・リコールというタイトルには「全ての記憶力を回復する」「完全な記憶を取り戻す」という意味があります。

 となると、諜報員ハウザーの記憶を取り戻すことのできた2,のラストが正しいか、と思ってしまいます。

 しかし、リコール社は人工記憶を元からあった記憶であるかのように移植するのが仕事です。なので、目を覚ました者はあたかも記憶がとっくの昔からあったように記憶するでしょう。

 結局、トータル・リコールというタイトルはラストの秘密を完全には教えてくれません。

トータル・リコール


 こういう場合には、映画のメッセージを考えてみます。

 映画トータル・リコールの問題意識はどこにあるのでしょうか。

 結論、トータル・リコールが一貫して提起するのは、「自分という存在の不確実性」です。そこにある、と思っているはずの自分が実は自分でないかもしれないという恐怖。

 さて、このメッセージをより強く伝えるラストは1と2のどちらでしょうか。

 それは2のラストです。

 2のラストでは、ダグは自分がハウザーではないと宣言します。
 そこで、彼は真実の姿である諜報員ハウザーという自分を恐らく永遠に失ってしまいます。

 ダグとして生きるか、ハウザーとして生きるか、どちらを自分として選択するかは自分次第。

 毎日いろいろなことに追いまわされて時間が過ぎていくなかでつい見失う自分という存在。誰が本当の自分なのでしょうか。

 自分という存在を動かしているのは、本当に自分自身でしょうか。それとも他人?

 人間は他人という存在を通して、自分という存在を確認します。
 しかし、それも度をすぎれば、他人に流されるだけ。水溜まりに浮かんだ落ち葉のように、風に吹かれて右へ左へ。

 自分という存在は、実はとても不確実な存在なのです。

トータル・リコール


★トータル・リコールのラストの奥深い秘密。

 もっといえば、トータル・リコールの出来事は最初から最後まで余さず夢の中の出来事なのかもしれません。

 ラストのホワイトアウトの後で夢から目覚めた人物は私たち観客が目にしてないダグ・クエイドという人物なのかも。

 思えば、トータル・リコールの冒頭はダグが火星にいる夢を見ているところから始まりました。

 私たちが見ていたのはダグ・クエイドの夢=トータル・リコールという映画そのもの、というわけです。

トータル・リコール

↑地球と火星の大きさ比べ.火星は結構ミニサイズですね.NASA提供.


 考えれば考えるほど分からなくなるラストですが、唯一確かなことは自分という存在の不確実性というトータル・リコールのメッセージです。

 でも、これは悪いことばかりではないのです。

 「自分という存在の不確実性」は、自分を見失ってしまう理由にもなりますが、いつでも自分を変えられるということでもあります。

 自分の生き方を決めるのは自分。

 自分が嫌になるときは、嫌になった自分を捨ててしまいましょう。
 その先にあるのは、今までにない、新しい自分なのです。

トータル・リコール
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天使と悪魔

映画:天使と悪魔 あらすじ
※レビュー部分はネタバレあり

 トム・ハンクス主演の「天使と悪魔」は、ヴァチカンの抱える問題点に切り込む意欲作。

 同時に、人間の中に潜む"天使と悪魔"にも焦点を当てている。

 『解説とレビュー』ではこの2つをテーマに解説しているが、特に興味深いのは、「現実のヴァチカン」を"映画の中のヴァチカン"に当てはめてストーリーを作っていること。

 一方で、日本人にはなじみの薄い、ローマ教皇をめぐる事件。

 そこで、『解説とレビュー』の後半では現実にヴァチカン起きた事件や出来事がどのように「天子と悪魔」に反映されているのかを見ていく。

天使と悪魔
天使と悪魔


 ストーリー的にはまったく関連しないが、「天使と悪魔」は「ダヴィンチ・コード」に続く2作目。1作目同様、ダン・ブラウン原作の映画化だ。

 キリスト教に絡む秘密を謎といていく展開とミステリーの雰囲気の濃いストーリーは前作に共通する。

 簡単なあらすじはすぐ下。結末まで知りたい方はその下の『解説とレビュー』をご覧ください。
   
 ローマ教皇が逝去し、間もなく新教皇の選出が行われようとしていたヴァチカンで大事件が起きた。

 4人の枢機卿が誘拐され、脅迫状が届いたのだ。「今夜8時から枢機卿を1人ずつ、1時間ごとに公開処刑に処する」。

 事件の背後にイルミナティという秘密結社の存在があるのではないか。
 ロバート・ラングドンはヴィットリア・ヴェトラというスイスから来た女性科学者とともに、ヴァチカン警察の協力要請のもと、誘拐事件の捜査を進めていく。



【映画データ】
天使と悪魔
2009年・アメリカ
監督 ロン・ハワード
出演 トム・ハンクス,アィエレット・ゾラー,ユアン・マクレガー,ステラン・スカルスガルド,ピエルフランチェスコ・ファヴィーノ



天使と悪魔


映画:天使と悪魔 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり

★超簡単なあらすじ

 教皇が死去したヴァチカン。新しく教皇を選ぶため、間もなくコンクラーベ(枢機卿による次期教皇の選出会議)が開かれようとしていた。

 そんな中、大事件が起こる。なんと、次期教皇候補として有力視されていた4人の枢機卿が誘拐されてしまったのだ。

 ハーバード大学にいたロバート・ラングドン教授はヴァチカン警察の要請を受け、急きょアメリカを発ち、ヴァチカンに向かう。

 犯行声明を出し、脅迫状を送りつけてきたのは「イルミナティ」とよばれる秘密結社。

 イルミナティとはかつて科学者が教会の教えに疑問を抱き、それを秘密裏に研究をしていたところ、教会に弾圧され、地下に潜った者たちが結成した秘密結社のこと。

 その秘密結社イルミナティが報復を始めたのだ。そして3人もの枢機卿を誘拐し、殺害。

 しかし、実際に殺人を実行していたのは雇われた者で、その男に報酬を支払い、イルミナティを装って計画を実行させていたのはカメルレンゴ(教皇の側近・付き人)のマッケナ神父だった。

 マッケナ神父は前教皇も注射により毒殺していた。そして、真相に気がついたリヒタースイス衛兵隊長とシメオン神父を罠にハメて身辺警護をしている者に射殺させ、自分で地下に仕掛けた反物質を発見したかに装った。

 彼はヘリに乗って一気に上昇し、空中で反物質を爆発させて、人々の命を守った。しかし、それは人々に自分を英雄視させ、その力を利用して枢機卿らにローマ教皇に指名させようという計画の一環だったのだ。

 コンクラーベにマッケナ神父が呼ばれ、あわや教皇に選出されようかというときに、ラングドン教授はリヒター隊長の部屋から隠しディスプレイを発見した。

 そこには、マッケナ神父と話すリヒター隊長の隠しカメラ映像が残っていたのだ。その映像に残されていたのは、リヒター隊長を罠にはめるマッケナ神父の姿だった。

 真相を知った枢機卿たちはマッケナ神父をコンクラーベの部屋から追い出し、逮捕されそうになったマッケナ神父は計画の発覚を悟り、「父よ、私の霊を御手に委ねます」と最後の祈りをささげ、焼身自殺をするのだった。

天使と悪魔


★堕ちた天使

 反物質の爆発で白んだ空は夜の闇と混じって赤と黒、紫が混じったような不気味な色をしている。その空から白いパラシュートで降りてくる天使。

 爆発から人々を救い、パラシュートで地上に降りてきたマッケナ神父は確かにあのとき、天使でした。しかし、彼こそが、誘拐犯であり、殺人犯でもありました。

 「天使と悪魔」。"天使か悪魔か"、ではありません。天使か、それとも悪魔かは単純に2分できません。

 1人目の枢機卿が殺され、放置されていたカペラ・デッラ・テーラ礼拝堂。この"土の礼拝堂"には、半分天使、半分悪魔の彫像が出てきます。あの彫像こそがこのテーマの主題。

 神に仕える者であるはずの神父が、教会を守ることを目的に人殺しというもっとも神から遠い手段であるはずの悪に染まっていきました。

 だから、「天使と悪魔」。
 天使と悪魔、その境界線はとても曖昧なようです。

天使と悪魔
天使と悪魔


 "宗教を標榜した殺人"というものは世界に多くあります。

 "神のため"を標榜するテロはその最たる例でしょう。実行している者は"神のため"、"宗教のためだ"といいます。しかし、神からみればそれは単なる殺人なのかもしれない。

 神のため、そう声高く叫びながら、その実は自分の偏狭な考え方やエゴに凝り固まってはいないでしょうか。

 高いところにあるはずの崇高な思想を個人的な動機のもとに、自己に引き付け、都合のいいように神の思想を歪めているのです。

 マッケナ神父が神を呼ぶ声は神ではなく、"悪魔"に届きました。悪魔が装う神にだまされ、悪魔の意のままに操られる。

 人間は天使にも悪魔にもなれます。そして天使か悪魔か、その境界線上は霞みがかっていてはっきりとは見えません。

 かつては白かった天使の羽が黒く染まってきてはいないか、人は常に気をつけていなければならないようです。

天使と悪魔
 

★"神の意思"は誰が決めるのか?

 神の意思による殺人だと主張して殺人を行う者がいる。では、その殺人が、神の意思にかなうのか、そうでないのかは誰が決めるのでしょうか。

 それと同様に、神が許す科学か許されない科学は誰が決めるのでしょうか。

 神でしょうか?

 「神がどのように考えているのか」について2つの異なる考え方が現われた場合、どちらが正しいか、それを決定することはできません。神が言葉を発して正誤を告げてくれることはないからです。

 しかし、少なくとも、神の考え方が何であるかによって人間が殺し合いや争いを起こすことは神の意思に明確に反することになるでしょう。そのことだけは、神の言葉を待つまでもなく、明確であるように思います。

 今までも、人間は常に神の名を借りた戦争や暴力・破壊行為を行ってきました。

 神の名によって人間を裁き、神の名によって、報復を誓う。

天使と悪魔


 映画「天使と悪魔」のなかではカメルレンゴのマッケナ神父がその落とし穴にはまることになりました。しかし、マッケナ神父だけではありません。

 ローマ教皇の座するヴァチカンもその落とし穴にはまっています。教会による異端審問や魔女裁判はその最たる例。秘密結社「イルミナティ」も教会に弾圧された科学者による地下組織でした。

 ガリレオ裁判しかり、ヴァチカンに批判的な聖職者への弾圧しかり。ヴァチカンは処刑という暴力を行使して、もしくはその可能性をちらつかせて、教会の教えに反すると考えられた者を処断してきました。

 その暴力の行使は神の教えに沿うものなのでしょうか。神の名を借りた殺人にすぎないのではないのでしょうか。暴力を行使する主体がローマ教皇をいただくヴァチカンだからといって、全てが正しいと考えるべきではありません。

 客観的に、冷静的に物事を観察したとき、ヴァチカンとマッケナ神父がしてきたことは、実は同じ論理をたどっているのではないか、ということに気が付きます。

 「神の意思」ということで全てが正当化されることはありません。

 「神の意思 」を標ぼうすることで、何もかもの免罪符となるかのように扱うことは非常に危険です。何もかもを「神の意思」に求めるのは、単なる思考停止に過ぎません。

 「神の言葉」を語るのは人間です。「神の意思」が何であるのか、今しようとしていることが「神の意思」にかなうのか。これらは、全て人間が決めること。

 究極的には人間ひとりひとりの判断です。その判断には間違いがあることもある。これを忘れないようにしなければ、「神」を称する悪魔に、人間はいとも簡単に操られてしまうことがあるのです。

 天使と悪魔。天使と悪魔は紙一重の存在。天使になる者は悪魔にもなることができます。

 天使と悪魔を見分け、天使に与するのか、それとも悪魔の手先に堕ちるのか。それは、その人自身にかかっているのです。

天使と悪魔


★宗教の堕落

 枢機卿の誘拐そして殺人を実行した男は雇われの殺し屋でした。
 彼が言った言葉を覚えているでしょうか。

 彼は自分が宗教に雇われる殺し屋であり、他の宗教にも雇われたことがあるのだといっています。さらに、神の使いなのだから追跡するなら覚悟するように、とも。

 これは、マッケナ神父に雇われたのみならず、他宗教でも「仕事」を請け負い、陰謀に加担したことがあるということでしょう。

 「神の使い」といったのは、黒幕がカメルレンゴのマッケナ神父だから。

 マッケナ神父はカメルレンゴとして、次期教皇選出までの間、ローマ教皇の権力を一時的に継承する立場にあるマッケナ神父がカトリックの最高位聖職者として最も神に近い立場にあるからです。

 しかし、その神、つまりマッケナ神父は殺人という行為に堕落した聖職者だった。

天使と悪魔


 宗教とは何なのでしょうか。
 そして、神に最も近いとされる聖職者とは。

 宗教に人は何を求めるのでしょうか。"安らぎ"、"平穏"、"死後の世界"。人が生きるべき道を指し示し、道を誤ることのないように導くものが宗教ではないのでしょうか。

 とするならば、殺し屋を雇い、殺人さえいとわないということと宗教の間には甚だしい矛盾が存在していることになります。"殺人さえいとわない宗教"というのは、もはや、宗教としての資格を喪失してしまっているのです。

 そして、人間を導くために神の意を受け、人を導く聖職者がおり、その聖職者たちを導く最高の権威者としてローマ教皇がいます。

 しかし、現実、教皇位を巡っては、ローマ教皇の権威を我が手にしたい、進歩派VS.守旧派の聖職者たちによる闘争の場になってはいないのでしょうか。

 ローマ教皇が当初予定されていたものではなく、単なる権力闘争の目標になっているのであれば、もはや、最も神に近い聖職者という位置づけからは遠く離れてしまっているようにも思えます。

天使と悪魔


★「天使と悪魔」、そしてヴァチカン

 「天使と悪魔」。キリスト教圏ではタブー視される「ヴァチカン」を正面から扱うという意味では衝撃作でした。

 しかも、ヴァチカンの主であるローマ教皇の選出にからめて、ヴァチカン内部で繰り広げられるの思想抗争を大々的に扱っています。

 「ゴッド・ファーザー」の3作目が思い出されます。ゴッド・ファーザー3部作のうち、3作目のみが低い評価を受けました。参考までにアカデミー賞受賞歴を見ても、前2作がアカデミー賞作品賞を受賞したのに、3作目は7部門ノミネートどまり。

 「ゴッド・ファーザーPART3」がそれほど悲惨な出来だったかといえば、まったくもってそうではありません。

 「ゴッド・ファーザーPART3」が一部で酷評されたのは、あるタブーを破ったためだといわれています。

 そのタブーとは、"ヴァチカンの暗部を扱う"ということ。
 ヴァチカンの熾烈を極める権力闘争、マフィアをはじめとした闇社会とのかかわり。

 つまりはマフィアの金をヴァチカンが洗ってやったのではないかというマネーロンダリングの疑惑、そして殺人です。

天使と悪魔


 マフィアとヴァチカンの関係は公然の秘密です。

 1970年代にヴァチカン銀行の総裁がマフィアに不正融資したとの疑惑が存在しました。なお、この事件のてん末は、鍵を握る人物が死体となって発見され、真実は闇の中。

 それを正面から描いた「ゴッド・ファーザーPART3」はあまりに危険な映画でした。

 1990年に公開された「ゴッド・ファーザーPART3」。それから19年の歳月が流れ、2009年に「天使と悪魔」がメジャー級の映画として世界規模で公開されました。

 歳月の流れはどのように"映画の中のヴァチカン"を描かせるのでしょうか。

 結論的には、「ゴッド・ファーザーPART3」ほどの問題提起性は「天使と悪魔」にはありませんでした。しかし、それでも、十分のインパクトを持った映画になっており、歳月の流れを感じました。

 それでは、具体的にどのように天使と悪魔がヴァチカンに向き合ったのか、それを見ていきましょう。

 「天使と悪魔」のストーリーは現実のヴァチカンの動向と密接なリンクを示していて、主要な出来事は実際の出来事のメタファーになっているのです。

天使と悪魔


★進歩派か、保守派か

 映画「天使と悪魔」の冒頭で亡くなられたローマ教皇は「進歩的な教皇の死」とメディアがその死を報じているシーンがありました。

 さらに、ラストでは、マッケナ神父がその罪を告白する前に、教皇の考え方が教会を打ち壊すものであり、教皇が科学に弱腰で軟弱だったから殺したと語ります。

 ここでは、進歩的なローマ教皇VS.保守的なマッケナ神父という基本的な対立構造が提示されているわけです。

 では、実際のローマ教皇はどのような考え方をもっているのでしょうか。

 現教皇ベネディクト16世の前任者、ヨハネ・パウロ2世は保守的な立場を貫きつつも、「行動する教皇」「寛容な教皇」と呼ばれ、他宗教とカトリックの融和を促進する立場をとりました。

 具体的にはイスラム教のモスクを訪問し、ムフティと呼ばれるイスラム法学最高権威者と合同で礼拝をおこなったり、宗教を否定していた社会主義政権下のソ連を訪問したりしています。さらに、ヒンドゥー教が9割を占めるインドを訪問したこともありました。

 また、ヨハネ・パウロ2世はガリレオの名誉回復をした最初のローマ教皇です。そして、十字軍による侵略行為の謝罪を教皇として初めておこない、政治的にはポーランド民主化運動を支援する発言をしました。

 また、枢機卿を世界各国から任命し、このとき日本人も2名枢機卿として任命されています。それまでの枢機卿就任は西欧人ばかりだったので、この任命はカトリック教会に波紋を呼びました。

 一方、ヨハネ・パウロ2世の行動や発言は教会内の保守派を激しく刺激しました。

 結果、彼は2度の暗殺未遂を起こされています。

天使と悪魔


 1度目はサン・ピエトロ広場でトルコ人に銃撃され、重傷を負いました。さらに、1982年にはポルトガルのファティマでスペイン人神父にナイフで襲われて負傷しています。

 なお、2度目の暗殺未遂については非公表とされ、ヨハネ・パウロ2世の死後に公表されました。

 映画「天使と悪魔」には枢機卿のネームプレートが映される場面があり、「Takahashi」という日本人名が大写しにされます。

 これはたまたま映ったのではなく、ヨハネ・パウロ2世による日本人枢機卿任命の実績と重ね合わせて、映画中の教皇の「進歩性」を表現ために写されたもの。

 そして、誘拐された枢機卿の1人も、実際にヨハネ・パウロ2世が銃撃されて重傷を負ったサン・ピエトロ広場で殺されていますし、そもそも、映画中で亡くなった教皇は注射により毒殺、つまり暗殺されていました。
 これは、ヨハネ・パウロ2世を襲った暗殺事件の焼き直し。

 つまり、進歩的な教皇とそれに反対する保守派マッケナ神父の陰謀は、現実にヨハネ・パウロ2世を取り巻いていた思想対立や、暗殺未遂事件の時・場所・方法を変えた再現になっているのです。

天使と悪魔


 また、映画「天使と悪魔」では"反物質"という科学が「神への冒涜」だと考えるかどうかが問題になりました。

 現実において、問題とされている科学的問題については特に生命科学分野で多く存在しています。

 そのなかで発表以来争われている古典的な問題であり、アメリカで議論が真っ二つに分かれるのははダーヴィンの「進化論」。

 その進化論が発表されて以来、それが神の教えに背くものかどうかが争われ、守旧派は「人は神によってつくられた」として、進化論を否定しています。

 ヨハネ・パウロ2世は進化論について、容認するかのような態度をとったとして報じられたことがありました。

 これは、必ずしも進化論を肯定する趣旨ではなかったといわれていますが、いずれにしろ、あいまいな態度を見せただけで、進化論否定派からは激しい非難がなされました。

 映画「天使と悪魔」では教皇は"反物質"を容認し、「研究を公表するように」といったうえ、「神の存在を科学的に証明することが科学と宗教の溝を埋めてくれる」、と発言したとされています。

 この映画中の教皇の発言は、ヨハネ・パウロ2世の進化論に対する態度が物議をかもしたという実際の出来事にリンクさせています。

 つまり、進化論の存在を肯定することで、サルからヒトへの進化という"奇跡"に神の力をみることができる。

 そのように、映画「天使と悪魔」は主張していると見ることも可能でしょう。

天使と悪魔


★保守的なヴァチカンと現実のかい離

 2005年にヨハネ・パウロ2世が逝去し、2005年4月からはベネディクト16世がローマ教皇に就任しています。

 彼は1990年、枢機卿だったころに、ガリレオ裁判をした教会を擁護したことがある経歴の持ち主で、教皇就任後の2008年11月にはホロ・コーストを否定する発言をして、破門されていた司教の処分を撤回し、復帰させることを決定しました。

 ガリレオ裁判については教皇就任後の2008年12月に地動説を認め、破門撤回については、後に、ベネディクト16世自身が司教のホロコースト否定発言を「知らなかった」と釈明しています。

 さらに、2009年にはエイズのはびこるアフリカでコンドームの使用が感染予防のために奨励されていることについて、コンドームの使用に反対すると述べたことがあります。

 また、ローマ教皇庁は一貫して第2次世界大戦中のユダヤ人虐殺に沈黙を保った当時のローマ教皇ピウス12世を擁護する態度を崩していません。

 また、前教皇のヨハネ・パウロ2世は妊娠中絶や安楽死を「死の文化」として反対し、同性愛や女性聖職者についても否定する考えを持っており、ベネディクト16世も同様の立場をとっています。

 つまり、進歩的とされたヨハネ・パウロ2世、そしてベネディクト16世が代表するヴァチカンは基本的には保守的な思想を基調としていることが分かります。

 ローマ教皇の発言は世界に10億人いるカトリックに影響を与え、政治的・国際的な影響力は大きなもの。

 そのため、ローマ教皇に誰が選出され、どのような思想を持っているかには常に注目が集まります。

 ガリレオ裁判ですら、1992年にようやく否定されたばかり。
 妊娠中絶、安楽死については、教会の教義に直接かかわるばかりに肯定されることはないように思えます。

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 しかし、コンドームの使用や、ホロコーストについては、現実を見るべきです。

 エイズの感染が爆発的に拡大する国でコンドームの使用を否定したら、悲劇の拡大を放置することになります。

 エイズ感染は死に至る病気であり、決定的な治療薬はいまだ存在しません。さらに、エイズの進行を抑える薬すら大幅に不足しているアフリカの深刻な状況下で、一番効果的なのは、エイズの感染拡大を防ぐこと。

 それなのに、コンドームの使用を否定することは、エイズが子供から親を奪い、国自体を崩壊させてしまいかねない病気であることにあまりに鈍感なのではないでしょうか。

 また、ナチスによるホロコースト否定発言をして破門された司教を復帰させたことにも疑義があります。そのような発言をベネディクト16世は「知らなかった」と釈明してはいます。

 しかし、ローマ教皇を始めとするヴァチカンが、ホロコーストを否定する発言をする聖職者を擁護する立場にあり、また、そのような人種迫害に対して鈍感であることを世に示す結果となったことは否めません。

 ホロコーストで具体的に何が行われたのか、その点に主張の相違があるにしても、人種迫害があり、多くの人が殺されたということは揺るがない事実です。

 コンドームの使用についても、ホロコーストの問題にしても、教会の事情や、教義ありきではなく、事実を事実として認め、そのうえで思考するという順序で考えていくべき問題です。

 そうでなければ、程度は違えど、「神の意思」を標榜して卑劣な行為を繰り返す者と同じ、思考停止の悪循環に陥ってしまうのではないでしょうか。

 人間は「現実」を生きています。
 "理想郷"を生きているのではない。生きるために必要なことや、そのために捨てなくてはならない理想もあります。

 そのときに、迷う心のよりどころとなるのが、宗教の役割。現実に沿うあまりに、道を踏み外さないように人々を導くもの。

 宗教の何たるかを忘れ、それまでの考え方に執着し、現実とのかい離がはなはだしいものとなれば、人々は幻滅するでしょう。

 そのときどきの状況に応じ、必要なところでは柔軟な態度をとる。それが"寛容"で"開かれた"宗教であることの条件ではないでしょうか。

 人に救いを与え、導くものが宗教であるとするなら、その方向性は間違ったものではないでしょう。

天使と悪魔

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ダークナイト【あらすじ】

映画:ダークナイト あらすじ
ネタバレあり

 アメコミの傑作、バットマン・シリーズから映画化された「ダークナイト」。
 アメコミにはなじみがないという方も多いと思います。そこで、文章でダークナイトを読めるように、最初から結末まであらすじを書きました。

 完全にネタバレしていますので、未見の方はご注意ください。

ダークナイト

Presented by WARNER BROS. PICTURES.


 あらすじの後に「ダークナイト」について詳しく解説をしていきます。
 解説だけ読みたい方、お付き合いいただける方はこちらのページへどうぞ。このページは最初から最後まであらすじのみです。(解説は本日中にアップします。もう少々お待ちください…)

 なお、あらすじ中で解説できる部分はあらすじ中で解説しました。文章の都合上、時系列など、ストーリー・あらすじの流れはこちらで再構成しています。

【映画データ】
2008年・アメリカ
「ダークナイト」
監督 クリストファー・ノーラン
出演 クリスチャン・ベール,ヒース・レジャー,アーロン・エッカート,マギー・ギレンホール,モーガン・フリーマン,ゲイリー・オールドマン,マイケル・ケイン,キリアン・マーフィ,エリック・ロバーツ

ダークナイト

PRESENTED BY WARNER BROS.PICTURES


★ダークナイト あらすじ  

 高層ビルの立ち並ぶ、ゴッサム・シティの街かどに集まってきたピエロのマスクの男たち。
 白昼堂々、彼らは銀行を襲撃しようとしていた。

 銀行の屋上から、正面ドアからと次々に侵入し、あっという間に銀行内を制圧する。

 手際良く金庫が開けられ、警報が解除された。
 しかし、その警報の通報先が警察ではないことに気がついた一味の男。相棒はあっさり仲間を射殺した。

 皆がジョーカーというボスから指令をうけていたのだ。「用済みは殺せ」。
 
 金庫を開けた仲間はその場で射殺、銀行内に突入させた脱出用のスクールバスに金を運んだ仲間もそれが終われば射殺。
 あっという間に銀行内には死体が転がり、静寂が漂う。

 たった一人残った男はゆっくりとピエロの仮面を脱いだ。
 仮面の下にあったのは、同じくピエロの顔。その男の顔は白く塗られ、眼もとは黒く太く縁取られている。そして、広く裂けたように描かれた赤い口。三日月形に描かれたその口のせいか、彼は笑っているように見えた。

 金を積み込ませたスクールバスで逃走しようとする男。その男こそが、ジョーカーだった。

 そこに、さっき仲間が射殺したはずの銀行の支店長が声を上げる。
 彼はジョーカーに銀行のカネがマフィアのカネであることを警告したのだ。
 ジョーカーは笑って警告を聞き流し、彼の口に手りゅう弾を詰め込んでその場を立ち去るのだった。
 
ダークナイト


 ある立体駐車場の一角。今まさにドラッグの取引が行われようとしているところだった。

 仲間を引き連れた売人と、ボロを被り、顔を隠した仲買人が、「前回の取引で受け取った麻薬の質が悪すぎる」と交渉している。
 すると売人の目に車の陰に潜む黒い人影が映った。

 「もしや、バットマンか? ! 」彼らが一瞬ひるんだすきに、黒ずくめのバットマンのかっこうをした男たちが飛びかかってきた。銃を連射し、売人たちが次々と射殺されていく。

 そこに、改造したスポーツカーのような、真っ黒な車が突如として現われた。バットモービルだ。
 唖然とする男たち。皆が凍りついたその瞬間、バットモービルがミサイルを発射し、駐車場の一隅が大爆発を起こした。

 そして、その後に現われたのは、ひときわ上背のある体格のいい黒マントの男。彼こそがバットマンだった。

 バットマンのふりをしていた男たちは逃げ出し、違法ドラッグの取引をしていた男たちはバットマンに叩きのめされていく。

 車で逃げようとした男はいったん、バットマンを振り落として立体駐車場を抜け出そうとしたものの、数十メートル下まで男の車めがけて飛び降りたバットマンにより、捕えられた。

 ホッケーの防具を付けた偽バットマンの男は「自分たちもバットマンを助けたかったんだ」と言い訳したが、バットマンは「助けなど要らない」そう言い残して去っていくのだった。

ダークナイト

 
 一方、ゴッサム・シティの市警本部。ジム・ゴードン警部補は部下のワーツ刑事とラミレス刑事とともにバットマンについて話しているところだった。
 バットマンは市民から無法者として指弾されており、ゴッサム・シティの治安を乱すものとして逮捕を望む声が連日のようにニュースで報道されていたのだ。

 その後、ゴードン警部補は地下の証拠の保管庫に降りていく。
 鉄格子で仕切られたその室内でふと彼が横を向くと、そこにはバットマンの姿があった。
 ゴードン警部補は驚きもせず、彼に証拠品である印付きの紙幣を見せる。

 実はゴードン警部補はバットマンの理解者で、マフィアのマネーロンダリングの捜査協力をしているのだった。
 ゴードン警部補によると、この特別にあつらえた印付き紙幣が見つかったのは5行目だという。
 つまり、5行もの銀行がマネーロンダリングに関与している疑いがあったのだ。

 さらに、ゴードン警部補は防犯ビデオにわざわざ顔を映し、こちらを見ているピエロの化粧をした男"ジョーカー"の映像を見せた。
 そして、ゴードン警部補は新任検事が着任したことをバットマンに告げ、新任検事に働きかけて、彼をマネーロンダリングの捜査に協力させるという。

 一方、ゴッサム・シティの地方検事局には、くだんの新任検事ハーヴェイ・デントが着任していた。
 若く、正義への気概にあふれた彼は、ゴッサム・シティの治安を回復し、無秩序な世界を変えるためのエネルギーを持つ男だった。
 現在、デントはマフィアの根絶に向けて精力的な捜査と立件・公判を重ねており、それを支えているのは地方検事補で、恋人でもあるレイチェル・ワイズだった。
 
ダークナイト


 今日は、マフィアの幹部マローニの裁判がある日だ。

 レイチェルは開廷ギリギリにやっと現われたハーヴェイ・デントを待ちうけていた。
 デントは「今日の公判をどちらが担当するか決めよう」とコインをひょいと投げ上げて見せる。

 「コインの裏表で私とのデートも決めたの?」というレイチェルに「いや、それは自分で引き寄せたんだ」というデント。
 デントのコインは父親から受け継いだ幸運のコインなのだという。

 公判が始まってみると、検察側証人だったはずの男が、マフィアのボスに昇格したマローニを目の前にして見事にデント検事を裏切った。
 そればかりか、デントを射殺しようと拳銃を取り出したのだ。

 デントはそれをかわして男を取り押さえたが、これで公判を維持してマローニに対する有罪判決を得ることはできなくなってしまった。
 
ダークナイト


 レイチェルは午後にデートに行こうとデントを誘うが、残念ながらデントにはゴードン警部補と面会の約束があった。

 デントが検事室に戻ると、ゴードン警部補がやってきて、マフィアのマネーロンダリングについて話し出す。
 ゴードンはバットマンについて「ならず者の自警市民」と批判してみせるが、ハーヴェイ・デントはジム・ゴードンの芝居には騙されなかった。

 デントはゴードンとバットマンとの協力関係を察し、バットマンに肯定的な態度を取って見せる。
 そして、デントは銀行への捜査令状は出すし、マネーロンダリングの捜査には積極的に協力するとジム・ゴードンに約束した。

 一方で、デントはジム・ゴードンに警察内部の汚職を一掃するように努力すべきだと要求した。
 マフィアから金をもらっている警察官の数があまりに多く、汚職の状況は深刻で、捜査に支障も出かねないというのだ。

 ハーヴェイ・デントの要求にゴードン警部補は口をにごした。

ダークナイト
 

 ゴッサム・シティ中心地に自社ビルを構えるウェイン・エンタープライズ。
 今日はラウ・ファンド社との合弁事業の是非を論じるべく、ラウ社長自らがウェイン・エンタープライズの社長・会長以下幹部の面々にプレゼンテーションをしていた。

 プレゼンテーションが終わり、ルーシャス・フォックスはウェイン社社長としてラウ社長に礼を述べるが、ブルース・ウェイン会長は会議の末席で眠りこけている。
 フォックス社長は「会長は徹夜で寝ていないのでしょう」と言い訳し、会計士のリースとともにエレベーターホールまでラウ社長を見送ったものの、リースにウェインの態度をなじられる始末だった。

 リースにラウ社の財務内容の見直しを指示した後、フォックスはブルース・ウェイン会長にラウ社の年率8%の固定的な成長には裏帳簿があるはずだと報告する。

 ウェイン会長はあっさり合弁事業計画の取消しを指示。
 そしてフォックスにある図面を渡す。それはバットモービルの改良案だった。
 ブルース・ウェインこそバットマンその人であり、ルーシャス・フォックスはその理解者だったのだ。
 
 その夜、レイチェルは恋人のハーヴェイ・デントが予約した有名レストランでディナーを楽しんでいた。

 そこに現れたのはブルース・ウェイン。
 ボリショイ・バレエ団の美人のプリマ(主役を踊るバレリーナ)を同伴し、2人のテーブルに近づき、声をかけてくる。
 席をあわせて4人で話をするうちにバットマンの話題に。
 プリマはバットマンに批判的だが、ハーヴェイ・デントはバットマンの活躍について、悪がはびこるうちはバットマンが必要なんだ、と言いきった。

 ブルース・ウェインはその議論を黙って聞いていたが、ハーヴェイ・デントに資金集めのパーティを開くことを約束した。
 ブルース・ウェインの人脈と資金力をもって、ハーヴェイ・デントの地方検事への当選を確実にしてやるというのだ。
 
ダークナイト


 倉庫のような薄暗い場所にマフィアの面々が顔をそろえていた。
 彼らは銀行に預けていた組織の資金を強奪にあったうえ、マネーロンダリングの捜査の手が及んできており、資金繰りに窮していたのだ。

 目に見えない印のついた紙幣が発端で警察の捜査が無視できなくなってきたのだが、そういう特殊な紙幣を作るカネも技術も市警にはなく、紙幣がバットマンの差し金だということにマフィアは気づいていた。

 彼らはバットマンに対する防衛策を話し合うために集まってきていたのだ。

 その相談を中継で受けていたのはウェイン・エンタープライズに投資を持ちかけていたラウ社長だった。
 テレビに映るラウ社長はマフィアに金を自分に預けるようにもちかけていた。彼が投資をして増やしてやるというのだ。

 マフィアとラウ社長が相談に集中していたとき、1人の招かれざる客がやってきた。

 白い顔に裂けたような赤い口。ジョーカーだった。

 ジョーカーは彼を止めようとしたひとりのマフィアを殴り殺し、テーブルに着いた。
 そして、中国人は必ず裏切るぞ、とマフィアを脅し、資金の半分と引換えにバットマンを殺してやると持ちかけるのだった。

 マフィアの男が「ジョーカー殺害に懸賞金を賭けている」と言いながら、ジョーカーをけん制しようとするとジョーカーは紫色のコートの下にびっしりとぶら下がった手りゅう弾を見せびらかした。
 そして、「気が変わったら電話してくれ」と番号を書いた紙を残し、後ずさりしながら部屋を出ていくのだった。
 
ダークナイト


 ある日の深夜。とあるビルの屋上に集まったデント検事とゴードン警部補、そしてバットマン。

 彼らはラウ社長が香港に逃亡してしまったことの対策を話し合っていた。
 デントもゴードンも地方検事局か市警本部かどちらかから情報漏れがあったはずだと主張して対立していたのだ。
 結局、ラウ社長が香港に逃げた以上、中国政府は引き渡すはずがないという点では、意見が一致した。

 バットマンはラウ社長を拉致してゴッサム・シティに連れ戻すことを引き受け、その場から消えるのだった。
 
 翌日、フォックス社長は「合弁事業申し出の拒否をラウ社長に直接伝えに香港に行け」とブルース・ウェイン会長から言い渡される。
 電話でもいいのでは? というフォックスにウェインは含みを持たせ、フォックスは暗黙のうちにウェインの指示の趣旨を了解するのだった。

 そして、ルーシャス・フォックスはブルース・ウェインに新しいバットスーツを見せる。
 軽量化した分、ナイフや銃弾には弱いが、動きやすいという。
 
 翌日、ハーヴェイ・デントとレイチェル・ワイズがボリショイ・バレエ団の公演にやってくると、何と公演は中止になっており、『億万長者がボリショイ・バレエ団を引き連れてボートでバカンスに』との見出しの新聞が代わりに貼ってある。
 その通り、ブルース・ウェインがバットマンとして仕事をする間、執事のアルフレッド・ペニーワースに用意させたアリバイは洋上ボートのバカンスだった。

 ブルースはクルーズを楽しみながら航行し、途中で水上に着水した飛行機で香港へ。
 あらかじめルーシャス・フォックスはラウ・ファンド社に赴き、ラウ社長と面会して社屋のデータを取ってきた。

 このデータを使えばバットマンがスムーズに侵入することができるのだ。
 その夜、バットマンはラウ・ファンド社に侵入。さらに、社屋の一部を爆破し、ラウを拉致。
 そこに飛来した飛行機から出されたロープに捕まり、バットマンはラウ社長を抱えたまま、社屋の爆破口から脱出に成功した。
 
ダークナイト


 ゴッサム・シティの市警本部前。
 ラウ社長は”ゴードン警部補まで配達”と書かれたメモを付けられて放置されていた。

 ラウ社長を尋問している様子をみていたハーヴェイ・デントは、組織犯罪関連で立件できると踏む。
 RICO法の適用があれば、組織犯罪として芋づる式にマフィアを検挙できるというのだ。

 ジム・ゴードン警部補は安全のため、刑務所ではなく、市警本部に留置することをハーヴェイ・デントに主張した。
 デントは刑務所より市警本部が安全といえるかどうか、懐疑的だったが、結局は留置所にいれることになった。

 ラウ社長逮捕のニュースはゴッサム・シティのマフィアたちを慄然とさせた。
 彼がカネの流通経路をしゃべれば、たださえガタがきているマフィアの資金網が壊滅的被害をこうむりかねない。

 もはや、バットマンをこれ以上のさばらせておくわけにはいかない。
 マフィアの中枢部はジョーカーを雇ってバットマンと決着をつけるということで意見が一致していた。
 
ダークナイト


 ハーヴェイ・デントはマフィアを一斉検挙した。
 549人を捕え、サリロ判事の許可を得て一気に裁判にかけたのだ。

 ゴッサム・シティの市長は「乱暴すぎる」とハーヴェイ・デントに注意するが、デントは意に介さない。
 549人を一気に裁けば、「18か月は平和になる」し、「ボスは大金を積んで保釈されるだろうが、幹部クラスはカネがないから司法取引に応じて口を割るはずだ」というのだ。

 市長は「確かに君は市民から支持され、再選が確実になるだろうが、報復を恐れるべきだ」と忠告する。
 デントに背を向け、窓際に立った市長は驚愕した。

 突然上から死体が降ってきたのだ。死体はロープで吊るされ、ピエロの化粧をし、バットマンの服を着ていた。
 
 ブルースはゴッサム・シティ市内に構える秘密の隠れ家でアルフレッドにハーヴェイ・デントの資金集めパーティを開くことを伝える。

 と、そこにテレビからジョーカーのメッセージが流れてきた。ひどく揺れる画面だが、そこにはやはりジョーカーが映っている。

 そして、バットマンのかっこうをした男。"ブライアン"とジョーカーに呼ばれているその男はどうやら、バットマンの真似をしていた一般市民のようだ。
 ジョーカーは「バットマンがマスクを取って正体を見せるまで毎日市民一人を殺してやる」、と宣言し、男を殺すのだった。
 
ダークナイト


 ハーヴェイ・デントとレイチェル・ワイズはブルース・ウェインが主催するハーヴェイ・デントの資金集めパーティにやってきていた。
 ゴッサム・シティのセレブが集まる華やかなムードのパーティだ。

 ゴッサム・シティ中心部にある高層階のペントハウス。
 ガラス張りの会場ではシャンパンや料理が振舞われ、お洒落に着飾った男女が談笑している。

 ハーヴェイ・デントはパーティのムードに少し気後れしている様子。
 ブルースの姿が見えないとデントが思ったそのとき、ものすごいルーター音とともに、ガラスの向こうにヘリが見えた。
 今夜のパーティのホスト、ブルース・ウェインは何とヘリでご登場だ。両脇に美女を従え、堂々とした足取りでパーティ会場に姿を見せる。

 そして、彼はレイチェル・ワイズが自分の幼なじみの女性であると紹介した後、ハーヴェイ・デントを「ゴッサム・シティの希望の星」である新任地方検事として招待客に紹介するのだった。

 テラスにいるブルース・ウェインのもとにレイチェル・ワイズがやってくる。
 ブルースはレイチェルに、デントは「マスクをつけずに一網打尽にできる」「素顔のヒーロー」だと言うのだった。
 
ダークナイト


 一方、ジム・ゴードン警部補はブライアンの死体を捜査していた。
 そこで、部下のラミレス刑事から報告が入る。ジョーカーが死体に残したカードから3人のDNAが検出されたというのだ。

 1人はサリロ判事、もう1人は市警本部長のローブ、残る1人はデント検事だった。

 「これはジョーカーの殺害予告に違いない」。すぐさまゴードン警部補は3人の保護命令を出した。
 
 サリロ判事は自宅にいた。警護に駆け付けた刑事から他の場所への避難を要請され、避難先の住所が書いてあるという封筒を手渡された。
 中を開けると"UP!"という文字が。途端に爆発、車は炎上してしまう。

 さらに、ゴードン警部補は自らローブ市警本部長のもとに出向き、避難を要請した。
 しかし、市警本部長がそのときに飲んでいた酒に毒が。
 ゴードン警部補の目の前でローブ市警本部長は毒殺されてしまった。
 
 標的のうち2人が殺され、残る一人はハーヴェイ・デントのみ。
 ゴードン警部補の連絡を受けたブルースはデントをペントハウスの奥にある安全な部屋に避難させる。

 その間に、パーティ会場に姿を見せたのは何とジョーカーその人だった。

 招待客が怯えて遠巻きに見守る中、客の間を動き回り、銃を突き付けてデントの居場所を聞き出そうとし始めた。
 そのうち、ジョーカーは白髪の男性に目をとめた。

 父親に似ていると言いながらナイフで彼を脅しているとき、レイチェルが名乗り出た。
 彼女がハーヴェイ・デントの恋人であることに気がついたジョーカーはレイチェルの顔を掴み、ナイフを押しあてながら引きまわす。

 そこにバットマンが現われ、ジョーカーと一騎打ちとなる。
 しかし、ジョーカーはガラス張りの壁を銃撃して破り、レイチェルを外に放り投げてしまった。

 高層ビルの最上階から一気に落下するレイチェル。
 彼女を追いかけて飛び降りたバットマンはすんでのところで彼女を守った。
 レイチェルはハーヴェイ・デントの安否をたずね、「ありがとう」というのだった。
 
ダークナイト


 ウェイン・エンタープライズでは会計士のリースがルーシャス・フォックス社長に会計について報告に来ていた。

 ラウ・ファンド社との取引を調べる過程で、ウェイン・エンタープライズの不明朗な会計支出が判明したというのだ。

 それはルーシャス・フォックスが多額の資金をつぎ込んで、バットモービルの製作をしているという事実だった。

 リースは年間1千万ドルを口止め料として要求したが、「皆のために戦うヒーローから金をむしり取るのか」、とルーシャス・フォックスはリースの要求をきっぱり拒絶した。
 
 ゴッサム・シティ市内のアパートの一室にジム・ゴードン警部補が入ってきた。
 中では2人の男が死んでいる。ジョーカーの仕業だった。机に乗っている酒瓶の下には新聞記事が置いてある。

 ゴードン警部補が酒瓶を取り上げると、その下にある新聞記事の写真が目に飛び込んできた。

 ゴッサム・シティの市長だ。
 市長の顔は白く塗られ、ジョーカーの化粧をされている。
 ジョーカーの次の標的はゴッサム・シティの市長だった。
 
ダークナイト


 今日はローブ市警本部長の葬式の日。ゴッサム・シティ警察を挙げての葬式になる。
 儀仗兵がつき、ローブ市警本部長の棺が市内のメインストリートをゆっくりと進んだ。
 そして、式典では弔辞をゴッサム・シティ市長が読むことになっていた。
 
 ブルースはあらかじめ、アルフレッドに指示して市長を狙撃可能な位置を割り出し、4か所に絞らせていた。
 そのうち、もっとも確率の高いのは精神病者の住人メルヴィン・ホワイトが住んでいるアパートの一室だという。

 その部屋にブルース・ウェインがバイクで急行すると、中には下着姿にされた男たちが柱に縛り付けられていた。
 彼らによると制服も拳銃も奪われたというのだ。
 
 一方、葬式の式典は順調に進行していた。市長がステージに立って弔辞を読み終えたところだ。

 儀仗兵に号令がかかり、儀仗兵が1度目の弔砲を撃つ。2度目の弔砲が撃たれようとしたそのとき、儀仗兵の全ての筒先が壇上の市長に向けられ、発砲された。

 儀仗兵はジョーカーとその仲間だったのだ。
 しかし、市長は無事だった。
 一瞬早くゴードンが市長をかばって押し倒していたのだ。被弾したのか、倒れて動かないのはジム・ゴードンだった。

 儀仗兵の1度目の弔砲が撃たれたちょうどそのとき、ブルース・ウェインは部屋の隅に置いてあった望遠鏡で式典をのぞこうとしていた。
 しかし、その望遠鏡には仕掛けがあったのだ。

 ブルースが望遠鏡に触ったとたん、仕掛けられた糸に引っ張られた窓のシェードが急に上がった。
 そのとき、儀仗兵の2度目の弔砲が市長に向けて発射される。その発砲音にまぎれて警備に当たっていた警察官がブルースを狙撃。

 ブルースは素早く伏せたが、危うく撃たれるところだった。ブルースを狙撃した警察官はジョーカーの仲間か、買収されていたのだ。
 
ダークナイト


 その夜、ダンスクラブで女と遊ぶマフィアのボス・マローニのところにバットマンがやってきた。
 マローニの部下を叩きのめして彼を非常階段に連れ出し、2階から地上へと突き落とす。

 マローニは痛さにわめくが、それでもマローニは、バットマンに「ジョーカーのことを売る奴など誰もいないし、ジョーカーのことは何もしゃべらない」というのだった。
 
 一方、ハーヴェイ・デントも追い詰められていた。
 ゴードンが殺されたいま、レイチェルも危ない。
 市警本部で仕事中のレイチェルに電話すると、レイチェルは「ブルースのペントハウスが一番安全だからそこに避難する」という。

 ブルースが踏み込んだ部屋の住人メルヴィン・ホワイトは儀仗兵の1人になりすましていた。
 ジョーカーの仲間に違いないと踏んだハーヴェイ・デントは銃を突きつけて尋問するが、ホワイトはにやにや笑うだけで何も話そうとしない。

 コインの裏表で撃つかどうか決めてやるとデントが言い、危うく撃つかと思われたとき、バットマンが現われた。

 バットマンはデントを制止し、「ハーヴェイ・デントにはゴッサム・シティの"希望"でいてほしい」と言う。
 そして、バットマンは、明日記者会見を開くようにデントに頼み、「ゴッサム・シティは君に託す」とデントに告げるのだった。

 バットマンはこれ以上の市民の犠牲を防ぐため、ジョーカーの要求通り、マスクを脱ぐ決意をしたのだ。

ダークナイト

 
 その日、ペントハウスに戻ったブルースは避難していたレイチェルと会う。
 「バットマンのマスクを脱いだら僕と結婚する、そうかつて君は言っていたけど、本気だったか?」とたずねるブルースに、レイチェルは「そうよ」と応えた。

 2人は熱いキスを交わす。
 しかし、レイチェルはこうも告げる。「正体を明かせば結婚なんて夢よ」。

 しかし、ブルースの決意は固かった。彼は、「正体を明かすのはゴッサム・シティー市民へのせめてもの償いだ」と思っていたのだ。
 
 翌朝の記者会見。ハーヴェイ・デントは集まったたくさんの記者と市民を前にバットマンの正体を明かすことを宣言した。
 その時にそなえて、ブルース・ウェインも記者会見場の端に姿を見せていた。デントを見つめるブルース。

 デントは躊躇していた。
 「本当にバットマンの正体を明かすべきか、もう一度考えるべきだ」と記者会見で主張したのだ。

 しかし、これ以上のジョーカーの殺人には耐えられないと批判され、バットマンがマスクを脱ぐべきとの声が上がり、バットマンの正体を明かさずにはいられない雰囲気が漂っていた。
 仕方なく、デントは説得をあきらめ、バットマンの正体を明らかにすることにする。

 「バットマンは私だ。」

 たちまちデントの立つ壇上には警官が群がった。警官たちはハーヴェイ・デントに手錠をはめ、連行していく。ブルースは黙ってその様子を見ていた。
 
ダークナイト


 アルフレッドのもとを訪れたレイチェルはブルースがデントが逮捕されたときに黙ってそれを見ていたことを非難する。
 しかし、アルフレッドは「全て市民を守るためでした」といってブルースをかばうのだった。

 「彼の理解者なのね」。

 そういって、レイチェルはため息をつき、白い封筒に入った一通の手紙をアルフレッドに渡した。
 「そのときがきたらブルースに渡して」。

 アルフレッドが"そのとき"とはいつのことなのか尋ねると、「内容を見ればわかるわ」という答え。
 「さよなら」。レイチェルはそういって出て行った。
 
 バットマンとして逮捕されたハーヴェイ・デントはジョーカーをおびき寄せるため、護送されることになった。
 レイチェルは彼を止めようとするが、デントの決意は固い。

 「真実を話すかどうかはコインで決める」。

 相変わらずのハーヴェイ・デントに、レイチェルは「自分の命をコインに任せないで」という。
 デントは護送車に乗る間際、レイチェルにコインをトスして渡した。
 
ダークナイト


 デントを乗せた護送車が車列を組んでメインストリートを走行していると、前方に消防車が赤々と燃えているのが目に入った。
 思わぬ障害物だが、これを避けるには地下道に入るしかない。

 そうなると、航空支援が受けられないが、他に道はなく、止むを得ずに、車列は地下へ入った。
 そこに大型トレーラーが突っ込んでくる。ジョーカーの仕業だった。

 ジョーカーはトレーラーの荷台に仲間とともに乗っている。そして、護送車や護衛するパトカーを次々に襲撃し始めた。
 そこにバットマンが現われ、ジョーカーのトレーラーに体当たりを試みた。

 バットモービルはクラッシュし、完全にダウン。

 バットモービルは機密を守るため自爆したものの、バットマンはバットポッド(バットモービルの左前後二輪と車体の一部を利用したバイク)で脱出した。

 護送車は地上道路に抜け、ヘリの支援を受けるが、ジョーカーはロープを張ってヘリを引っかけ、墜落させることに成功する。

 一般車両の間をバットポッドで疾走しながらバットマンはジョーカーを追った。
 街の道路だけでなく、ショッピングモールの中を走り抜け、一般車両をクラッシュ・爆破させながらもバットマンはジョーカーを必死に追う。

 ついにジョーカーのトレーラーに追いつき、トレーラーを転覆させることに成功した。

 中から降りてきたジョーカーはその場に仁王立ちになる。バットポッドに乗り、エンジンをふかせて対峙するバットマン。
 一直線の道路で2人はにらみ合った。

 そして一瞬の間を置いたのち、バットポッドが疾走。ジョーカー目指して突っ込んでいく。

 笑い声をあげるジョーカー。バットポッドはすんでのところでジョーカーをそれ、後ろに回りこんで転倒した。

 バットポッドから落ち、気絶したかのように見えたバットマン。ジョーカーの仲間が駆け寄るが、ジョーカーはそれを跳ね飛ばしてバットマンに馬乗りになり、ナイフをかざす。
 そのとき、さっきの仲間がジョーカーの背後を取った。銃を突きつけ、警告するその声はゴードン警部補その人だった。
 
ダークナイト


 ジム・ゴードンは生きていた。彼は殺されたふりをして、ジョーカーを追っていたのだ。
 ジョーカーを見事、逮捕したゴードンはその手柄によって、市警本部長に昇格。ジョーカーを市警本部の留置場に放り込み、彼は家族に安否を報告するため、一時帰宅した。

 一方、市警本部の留置場でジョーカーは警官たちの憎悪の視線を浴びていた。
 何人もの同僚の警官がジョーカーに殺されているので、警官たちのジョーカーに対する憎悪は人並み以上のものがあったのだ。
 警官たちはゴードンに「ジョーカーに手を出すな」と警告されていた。
 そこで、ゴードンが帰宅した後、ジョーカーと同じく警官を殺して留置されていた男をジョーカーの同房に放り込んだ。
 
 家族に無事を知らせるゴードン。
 息子に「バッドマンは命の恩人?」と聞かれ、「逆だよ、僕が助けたんだ」とゴードンは答えるのだった。

 そこに一本の電話。またもや緊急事態だった。
 
 なんと、ハーヴェイ・デントとレイチェル・ワイズが帰宅していないという。
 ゴードンはさっそく、ジョーカーの取調べに入った。しかし、ゴードンがジョーカーを問いただしても、一向にしゃべろうとしない。

 やむなくゴードンはバットマンに尋問を交代した。
 バットマンはジョーカーの頭を殴り、ジョーカーにデントの居場所を吐かせようとするが、やはり何もしゃべらない。

 逆に、ジョーカーは、レイチェルの名前を出してバットマンを挑発した。

 バットマンはドアを椅子でふさぎ、マジックミラーの向こう側で見ているゴードンたちが入ってこられないようにした後、激しい暴行をジョーカーに加える。
 ジョーカーはついに、ハーヴェイ・デントとレイチェル・ワイズを誘拐したことを認め、彼らを別々の場所に監禁したと白状した。
 ジョーカーはバットマンにそれぞれの監禁場所の住所を教え、どちらかを救いに行けば、時間的に間に合わずにもう1人は爆死すると告げる。

 デントかレイチェルか、「どちらかしか救えない」。「どちらかを選べ」、とジョーカーはバットマンに要求するのだった。

ダークナイト

 
 デントとレイチェルが監禁された部屋にはそれぞれ電話が置いてあり、2人はそれで話すことができた。
 デントはレイチェルに「大丈夫だ、助かるよ」というが、レイチェルは「生き残るのはどちらかで、それを選ぶのはお友達だ」と言われたことをデントに伝えるのだった。
 
 ジョーカーはゴードンとバットマンが救出に向かった後、警備に着いた刑事をうまく挑発し、刑事が襲ってきたところを逆に人質に取ってしまう。
 そして、警官に電話をさせろと要求。

 ジョーカーが電話をかけると留置場が爆発した。

 さっきジョーカーと同房にさせられていた警官殺しの男の腹にジョーカーが爆弾を仕込んだのだ。
 ジョーカーはラウ社長を連れて市警本部を脱出し、パトカーでまんまと逃げだしたのだった。
 
 バットマンが来た場所、それはデントの居場所だった。
 バットマンはハーヴェイ・デントの救出を選択したのだ。

 バットマンがデントを救出した瞬間に2人の背後で大爆発が起きた。レイチェルは爆死し、ハーヴェイ・デントは顔半分が焼けただれる重傷を負ってしまったのだった。

ダークナイト
 

 翌朝、アルフレッドはブルースの朝食の支度をしていた。

 そして取り出したのは、レイチェルから預かった手紙。

 彼女が死んでしまった今、この手紙を渡す方がいいだろうと考えたのだ。手紙を開け、中を見てみるアルフレッド。
 綴られていたのは"レイチェルがハーヴェイ・デントを愛していること"、"彼と結婚することを決めたこと"、そして"ブルースがバットマンを捨てる日が来ることが考えられないこと"。

 そして、仮に、ブルースがバットマンをやめるときがきたなら、そのときはあなたのそばに”親しい友として一緒にいることを約束する”と書かれていた。

 アルフレッドはその手紙をさりげなくジュースと皿の間に挟み、トレイにのせてブルース・ウェインのもとに運んで行った。

 ブルースはまだバットスーツを着たまま。
 心ここにあらずといった様子でガラス張りの部屋から見える高層ビル街を眺めている。

 アルフレッドはすぐ立ち去ろうとしたが、ブルースは彼を呼びとめ、「狂気や死が蔓延したのは自分のせいではないか」と嘆いた。
 アルフレッドは、「悪党の顔につばを吐いたのだから、彼らが狂気に走るのは当然のことであり、混乱の後に平和は来るものです」、とブルースを諭す。

 一方、ブルースは「必要なのは真のヒーローであり、それはデントだ」、といい、さらに「デントには絶対に言えないが、レイチェルは僕を選んだんだ」というのだった。

 アルフレッドはその言葉を聞き、そっと手紙に手を伸ばした。
 ブルースは「それは何だ?」と聞くが、アルフレッドはうまくごまかしてレイチェルの手紙を持ち去ってしまった。
 
ダークナイト


 ジム・ゴードン市警本部長は病院に入院しているハーヴェイ・デントのところに見舞いにやってきた。

 デントの顔の左半分は見るも無残な状態だ。
 皮膚がなくなり、顔の筋肉組織や歯が露出していて、眼窩が異様に大きく見える。

 ゴードンは薬も飲まず、皮膚移植も拒否しているデントに、治療を受けるように勧めるが、デントは苛立ってゴードンを責めた。
 ゴードンが市警察にいる内通者を放っているから、今度の誘拐事件が起き、レイチェルは殺されたというのである。

 ゴードンの部下にジョーカーもしくはマフィアに情報を流している者がいるとデントは非難した。

 そして、ゴードンは、ワーツ刑事がデントを連れ去ったことを認め、「後悔している」とデントに言った。
 しかし、デントは「いや、まだ足りない、これからだ」と言い放つ。

 そして、デントが内部調査部にいた時代に、ゴードンたちが何とデントを呼んでいたのか言えと迫ると、ゴードンたちはハーヴェイ・デントのことを"ハーヴェイ・トゥーフェイス Harvey two face"とよんでいたことを告白する。
 ハーヴェイ・デントはそれを聞いて口元を歪め、「それが本当なのに、何故隠す必要があるのか」、とゴードンに言ってのけるのだった。

 意気消沈したゴードンが病室の外に出ると、そこにはマフィアのボス・マローニが待っていた。

 彼に「ピエロを箱から出したのは誰なのか」と非難するゴードン。マローニはジョーカーの行方をゴードンに教えるのだった。

 ゴードンは素早く戦術部隊を派遣し、「ジョーカーは殺してもかまわないが、ラウ社長は生け捕りにしろ」と指示を下した。
 
ダークナイト


 ジョーカーは約束通りの金をマフィアからせしめていた。倉庫に高く積み上げられたドル紙幣の山。
 彼はその周りにガソリンをまく。そして、火をつけた。あっという間に何千万ドルが灰になっていく。マフィアの資金もたちまち灰の山だ。

 ジョーカーは金など要らないと吐き捨て、逆にマフィアたちを「カネの亡者だ」といってこき下ろす。

 そして、ウェイン社の会計士リースがテレビに出演し、ウェイン社とバットマンの関わりを暴露しようとしているところに割り込んだ。
 バットマンの正体を暴いても、「つまらないから気が変わった」と言いだしたのだ。

 そして、今度は会計士のリースを殺せと生放送をした。60分以内にリースを殺さないと市内の病院のいずれかを爆破するという。
 
 たちまちテレビ局の前は大混乱になった。
 リースを殺そうとする市民が殺到したのだ。実際に、リースは市民に銃撃され、命からがら、テレビ局を車で脱出した。

 ブルースはランボルギーニに乗って市内を疾走し、リースのもとにむかう。
 ゴードンは市内の病院から患者を連れ出し避難させるように手配をし始めた。
 
 一方、ジョーカーはハーヴェイ・デントのところへ向かっていた。看護師を装って、デントのところへ入り込み、病室で寝ている彼に話しかける。

 ジョーカーに怒りをあらわにするハーヴェイ・デントに、「小さな無秩序で世の中は混乱する」と言い、自分は「混乱の使者」だと名乗った。
 そして、銃を取り出すと、自分の額にあて、デントの手を引き金にかけさせる。2人の間には緊迫した雰囲気が漂い始めた。
 
 ブルースはリースの車に体当たりしてきた市民の車を自分の車を割り込ませて守り、リースを保護することに成功した。

 一方、ハーヴェイ・デントの病室から出てきたジョーカーは病院を丸ごと爆破。
 病院から避難しようとしていた患者の乗っている50人乗りのバスに乗り込み、そのバスで逃走した。
 
ダークナイト 


 ふたたび、テレビにジョーカーの声明が発表された。

 ジョーカーは、「市民にゲームに参加しろ」、「それが嫌ならゴッサム・シティから出て行け」と呼びかけた。
 たちまち、市内は避難しようとする人々で大混乱し、ゴッサム・シティから出て行くフェリーは満杯になった。
 同様に、ゴッサム・シティの市警本部でも、囚人を護送することを決定し、およそ3万人の市民を乗せた船”リバティー号”と同規模の囚人を乗せた”スピリット号”がゴッサム・シティから出航した。
 
 そのころ、ウェイン・エンタープライズで仕事をしていたルーシャス・フォックスに緊急警報装置の作動を知らせるアラームが鳴ったことが知らされた。

 フォックスが発信元の地下に降りて行くと、そこにはバットマンの姿が。
 しかし、バットマンがいたことよりも、フォックスは壁一面の液晶パネル、そして、そこから聞こえてくる音に驚愕した。

 なんと、この巨大装置はゴッサム・シティ市民の携帯電話および全ての通信機器の内容を傍受しているのだ。
 バットマンはこの装置をルーシャス・フォックスの手に委ね、これを使ってジョーカーの居場所を探ってほしいと依頼する。
 そして最後に、ルーシャス・フォックスの名前を入力すれば装置は破壊されるというのだ。

 フォックスは装置が道義に反するというが、ジョーカーを探すためだけに使うのならと引き受けるのだった。
 
ダークナイト


 そのころ、市民を乗せた”リバティー号”と囚人を乗せた”スピリット号”では共に停電が起きていた。
 乗組員が船底に降りて調べたところ、100個の樽に入れられた大量の爆薬と起爆装置が発見されて大騒ぎになった。

 そこに船内スピーカーからジョーカーの声が流れてくる。
 それによると、”スピリット号”で見つかった起爆装置は”リバティー号”の起爆装置だという。
 反対に”リバティー号”には”スピリット号”の起爆装置が積んである。

 午前12時までにどちらかの起爆装置が押されない限り、2隻とも爆破される。
 起爆装置を押せば、片方は爆破されるが、起爆装置を押した船は助かる。早い者勝ちだ。

 “スピリット号”が先手を打ってボタンを押すか、それとも”リバティー号”に押されて爆破されるか、それとも12時まで待って2隻とも爆破されるか。

 ”スピリット号”では囚人と起爆装置を持つ刑務所長とのにらみ合いが始まった。

 一方、一般市民の乗る”リバティー号”では議論の末、投票が行われることになった。
 起爆装置を押して囚人たちの乗る”スピリット号”を爆破するかどうか、投票するのだ。

 結果は賛成396対反対140。圧倒的にボタンを押すことを選択する者が多かった。
 
ダークナイト


 バットマンは”リバティー号”と”スピリット号”から聞こえたジョーカーの声を傍受したルーシャス・フォックスから連絡を受け、ジョーカーがプルイット・ビルで指揮をしていることを突き止めた。
 ゴードンに連絡し、SWATをビル周辺に配置し、突入のタイミングをうかがう。

 ガラス張りのビルを双眼鏡で見ると、ピエロのマスクを被った人影が何人も見える。
 バットマンは先に偵察をしたのちのSWAT突入を主張したが、ゴードンは「早く解決しないと船が爆破されてしまう」と言って、即時の突入を主張して譲らない。
 ゴードンにより、SWATに突入命令が下されるのに先んじて、バットマンは単独でビルに侵入した。
 
 ビルのガラス壁面に立っていたピエロを押し倒し、マスクを剥ぐと、ジョーカーの仲間ではなく、病院からバスごと誘拐された患者の1人だった。

 バットマンはすぐにゴードンに連絡し、ピエロは人質であること、白衣を着て医者のかっこうをしている者がジョーカーの仲間であることを告げる。
 再び、バットマンはルーシャス・フォックスのサポートを受けながら、ジョーカーの居場所を突き止め、突入した。

 しかし、ジョーカーは犬を放って襲わせ、バットマンを弱らせる。
 ジョーカーはついにバットマンをビルの先端まで追い詰め、もう少しで突き落とせるところまできた。
 と、そこで、ジョーカーは手を緩め、時計を気にする。

 もう少しで12時なのだ。
 「花火を見よう」というジョーカー。

 どちらの船が先に火柱を上げるか、それが気になって仕方ないのだ。
 一方、バットマンは「花火は上がらない」とジョーカーに言い返す。
 
ダークナイト


 “リバティー号”。投票では圧倒的にボタンを押すことに賛成する者が多かったが、誰も実際に起爆装置を起動させようとはしない。
 皆顔を下に向け、視線をそらしている。

 そんな中で一人の白人男性が立ち上がった。

 「私が押そう」。

 船長が起爆装置を差し出すと彼はボタンに指をかけた。
 
 一方の”スピリット号”でも緊張が頂点に達していた。
 2m近くはあろうかという黒人の大男が刑務所長に歩み寄り、「起爆装置を渡せ、そうしなければ、ここにいる囚人たちに殺されるぞ」と迫る。
 そして、「囚人たちに脅迫されて渡したと言えばいい」、そう言って所長から起爆装置を受け取った。

 「10分前にすべきだったことをしてやる」。

 次の瞬間、その囚人は起爆装置を窓の外に放り投げた。そのまま海に起爆装置が沈んでいく。
 
 再び”リバティー号”。
 ボタンを押しかけた男は起爆装置を箱の中に戻した。そして、「やはりできない」といって汗をぬぐった。

 12時がすぎる。爆発は起きなかった。
 
 いつ、爆発が起きるか、と船の様子を眺めていたジョーカー。予想外の結末に笑いが止まらない。
 そのすきにジョーカーを突き落とすバットマン。

 ジョーカーはなおも笑いながら地上へ落ちて行く。

 しかし、バットマンはロープでジョーカーを捕え、引き揚げた。

 逆さづりにされながら、「モラルを捨てない頑固な奴だ」とジョーカーは悪態をつく。
 「希望があるから戦いつづけるんだ」とバットマンが言うと、ジョーカーは「デントのことを知らないのか?」とバットマンをあざけった。

 「ゴッサム・シティーの"希望の星"をおれたち悪党に落としてやったのさ!」
 
ダークナイト


 バットマンとジョーカーが死闘を繰り広げ、2隻の船が爆破装置を巡って争っているころ、ハーヴェイ・デントは何をしていたのか。
 
 ハーヴェイ・デントはあのジョーカーとの病室での対面の後、病院を抜け出し行方不明になっていた。

 デントの目的は一つ。
 レイチェル・ワイズの死に関係がある者に復讐することだ。

 まずは自分を誘拐したワーツ刑事のもとに行き、酒場で飲んでいるワーツを銃を突きつけて脅迫し、もう1人の「レイチェルを誘拐した刑事を言え」と迫った。

 そして、命乞いをするワーツに「表か裏か」。あのコインをはね上げて、結果、ワーツを射殺した。

 ワーツはもう1人の裏切り者の名前を知らなかった。
 そこで、次はマローニのところへ向かう。彼は、ジョーカーを雇い、ワーツ刑事を始めとする警察の内通者に金を払っていたマフィアのボスだ。
 マローニの車に乗り込み、裏切り者の刑事の名を聞き出すと、再びコインを投げる。

 今度は”表”だ。次はマローニのドライバーの分だと投げたコインは”裏”。ドライバーはすかさず射殺され、車はクラッシュした。

 その次は、マローニから聞き出した裏切り者のところへ。それは、レイチェルを誘拐した刑事、ラミレス。
 彼女を脅迫して、ジム・ゴードンの家族に連絡させ、妻と子供を家の外へ呼び出させた。

 そして、デントはゴードンの家族を廃墟となったビルへ連れ出した。
 
ダークナイト


 ジョーカーの話を聞いたバットマンはSWATにジョーカーを引き渡し、一足早くデントのもとに向かったジム・ゴードンのもとに急行した。
 廃墟ビルの2階でデントはゴードンの家族を人質に立てこもっていた。

 警官隊がデントを遠巻きに包囲する中、ゴードンはハーヴェイ・デントを説得しようと試みるが、デントは「ゴードンの部下にレイチェルを殺された」、と怒りをあらわにする。
 「最愛の1人だけ殺してやる」と叫ぶデント。

 外にパトカーが止まり、包囲されていることを知ったデントはもう終わりだと言い、ゴードンの息子を殺そうとする。
 
 そこにバットマンが割り込み、「ジョーカーはハーヴェイ・デントのような男でも悪に染まると証明したかったのだ」といってデントを説得しようとする。

 ところが、デントにはもう、誰の言葉も届かない。

 デントはコインを投げ上げ、”裏”が出たとバットマンを撃ち、被弾したバットマンはその場に倒れた。
 そしてデントは自分の分だと言ってコインを投げる。

 今度は”表”だった。次はゴードンの息子の番だ。デントはコインを投げる前に、「息子に「大丈夫だ」とウソをつけ」、とゴードンに要求する。
 ゴードンが言われた通りに息子に「大丈夫だ」というと、デントはゴードンの息子を射殺しようとした。

 バットマンは素早くデントを押し倒し、デントもろとも階下に墜落した。起き上がったのはバットマン。

 ハーヴェイ・デントは死んだ。
 
ダークナイト


 ゴードンの息子は無事だった。
 問題はデントの犯行を市民に向けて、発表するかだ。

 バットマンは「隠せ」という。
 しかし、デントは5人殺しており、そのうちの2人も警察官がいる以上、隠し通せないとゴードンはいうのだった。

 それを聞いたバットマンはある決意を固めた。

 「ならば、自分がその殺人者になろう」。

 バットマンはゴッサム・シティのため、デントの罪を被るというのだ。

 新任検事ハーヴェイ・デントはゴッサム・シティの"希望"とされていた。

 ハーヴェイ・デントは"光の騎士"。いまさら、ゴッサム・シティの市民を絶望させるわけにはいかない。
 
 バットマンは即座にその場を離れた。ジム・ゴードンは茫然として彼を見送る。その後を大勢の警察官が追い、警察犬が猛然と走り始めた。

 バットマンはこれからもお尋ね者だ。警察も犬もバットマンを追い続けるだろう。バットマンはこれからも逃げ続けねばならない。

 危機が迫るときにバットマンを呼ぶバットシグナルも壊された。ゴッサム・シティが表立ってバットマンを呼ぶことはできない。

 それでも、バットマンは街の守護者。

 彼こそが"ダークナイト THE DARK KNIGHT"なのだ。
 
ダークナイト


長々とありがとうございました。あらすじは以上ですが、あらすじ中で解説できなかった『ダークナイト』を解説してみたいと思います。

こちらへどうぞ
 

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ダークナイト【ジョーカー研究】

映画:ダークナイト 解説とレビュー
※レビュー部分はネタバレあり

ダークナイト 

Presented by WARNER BROS. PICTURES.


ダークナイトを文章化した詳しいあらすじを公開しています。
完全ネタバレなので未見の方はご注意ください。→ここ

「ダークナイト」の『解説とレビュー』を4つのタイトルに分けてご紹介しています。その2つ目のタイトルとなる本ページでは「ダークナイト【トゥーフェイス研究】」を掲載しています。



「ダークナイト【トゥーフェイス研究】」はこちら
「ダークナイト【バットマン研究】」はこちら
「ダークナイト【バットマンの世界観と論理】」はこちら



ジョーカーはバットマンとハーヴェイ・デント、ゴードンの「正義」が食い違っている点に目をつけ、それを利用して一連の計画を立て、ハーヴェイ・デントを"トゥーフェイス"に変貌させました。

そこで、1, バットマンとハーヴェイ・デント、ゴードンのそれぞれの「正義」を概観したうえで、
2,【ジョーカー研究】【ハーヴェイ・デント研究】【バットマン研究】と題してそれぞれを分析していきます。

【ハーヴェイ・デント研究】【バットマン研究】のページはこちら(本日中にアップします)

ダークナイト


★狂気と正義

「死ぬような目に遭ったやつはイカれる」これはジョーカーの言葉。

 ダークナイトには3つの狂気がでてきます。ジョーカー、ハーヴェイ・デント、そしてバットマン。
 一見、3人はばらばらなように見えるけれど、奥底にあるものは皆同じ。

 抗えない気持ちのやり場を向けた場所がそれぞれ違うだけ。それぞれが世の中の不条理をかいくぐって生きてきました。

 皆が「生きること」にキズを抱え、それがふとした拍子にうずきます。そして、なんとかその傷跡を癒し、覆ってしまおうと生まれるエネルギー。
 
 そのエネルギーを、ひとりはそれを「正義」に向け、ひとりはそれを「悪」にむけました。そしてもうひとりはそれを「力」にむけました。
 その3人が出会ったとき、ゴッサムシティーを揺るがす戦いが始まることになります。それを描いたのが『ダークナイト』。
 
 ジョーカーが目を付けたのは、デント、ゴードン、バットマンの3人が「正義」を巡ってすれ違っていること。
 「正義」を巡って内部対立が生じている、ジョーカーはそれを見逃しません。そこにつけ込み、デントをトゥーフェイスに変貌させました。
 そこで、デント、ゴードン、バットマンの3人の正義とは何だったのか、それを考えてみましょう。

ダークナイト


★レイチェル爆死のきっかけ 【「正義」とは:ハーヴェイ・デントの場合】

 ハーヴェイ・デントは最愛の人、レイチェル・ドーズを失った悲劇の人であり、"トゥーフェイス"として殺人を繰り返す殺人者でもありました。

 一方で、地方検事として働くデントは「正義」を信じ、自分を「善」の体現者と任じていました。
 ハーヴェイ・デントはゴッサム・シティーの「正義」を象徴する人。そんな彼が「悪」に染まってゆく。その様子をジョーカーは楽しんだことでしょう。

 トゥーフェイスになる前、本来のハーヴェイ・デントは「正義」の人。「悪」や「不正義」を許さない正義の人でした。完璧な「正義の味方」だった彼をゴッサム・シティの市民は熱狂的に支持します。

 ハーヴェイ・デントは市民の待ち望んだ"光の騎士"でした。

 彼の「正義」はバットマンの「正義」やジム・ゴードンの「正義」とは違う。そこが重要な点です。
 ハーヴェイ・デントの「正義」は純粋な正義でした。
 
 それが象徴的に現われるのは、ゴッサム・シティ警察にはびこる汚職の問題。
 ハーヴェイ・デントはその摘発に内部調査部時代から熱心に取り組んでいましたが、ジム・ゴードンはそうではありません。ハーヴェイ・デントのことを"トゥーフェイス"と呼んでいたことからも分かるように、この件に関してはゴードンは熱心ではありませんでした。

 ゴッサム・シティの警察は本来正義の側です。正義であるはずの警察に汚職という悪がはびこるのはおかしいではないか、これがハーヴェイ・デントの考え方。

 一方、ジム・ゴードンは違います。今は、マフィアの資金源が摘発されようとしているとき。そうならば、汚職という小さな悪はさておき、マフィアの壊滅という「大きな正義」を実現すべきだ。

 ささいなすれ違いにも思えます。実際、デントもゴードンも些細な考え方の食い違いであると思っていました。

 内部調査部にいたとき、新任検事として着任したとき、ラウ社長がさらわれたとき。

 映画「ダークナイト」の中で、最低でも都合3回はデントはゴードンに内部汚職を告発します。そのたびに、2人は衝突しながら結局はうやむやになっていました。

 結局は、その些細な違いが大きな事件に発展してしまいました。
 もちろん、レイチェルが爆死し、デントが重傷を負ってトゥーフェイスになるきっかけとなったあの事件です。
 
ダークナイト 


★警察汚職を放置した理由 【「正義」とは:ジム・ゴードンの場合】

 ジム・ゴードンはなぜ、ゴッサム・シティ警察の汚職を放置したのでしょうか。

 実際、ゴードンも内部汚職の深刻さは理解しているのですが、ゴードンは今、マフィアの捜査で手がいっぱいです。

 ゴッサム・シティ警察の汚職摘発をすることになれば、人員が不足するばかりか、マフィア捜査にあてていた捜査官からも逮捕者が出てくる可能性がある。

 そうなると、今までの捜査の信ぴょう性が疑われ、捜査の積み上げがふいになり、もうすぐ摘発にこぎ着けられるところまで来たマフィア捜査がとん挫しかねない。

 ところが、それだけではありません。

 ハーヴェイ・デントが内部調査部時代から指摘していたということはかなりの年数、警察汚職が放置されていたということです。恐らく、マフィアのマネーロンダリング摘発が本格化する前からです。

 それなのに、何ら改善されなかった。

 ゴードンは警察組織の身内意識の強さをいやというほど知っています。それに、ジム・ゴードンもやはり警察の人間です。結局、身内の犯罪を暴くことにはどうしても熱が入らない。

 彼は警察組織の汚職については支障がない限りは目をつむることで対処し、捜査を動かしてきました。その結果、マフィアのマネーロンダリングの摘発直前までこぎつけた。

 ゴードンは今まで汚職があるにせよ、警察をうまく回してきたという思いがあったに違いありません。そうであるならば、わざわざ火種を掻きまわして火を大きくするようなことはしたくない。しかも、摘発直前というこの時期に。

 彼自身、マフィアのボス・マローニとはそれなりの付き合いがありました。ハーヴェイ・デントの病室の外にマローニが待ち受けていたのは決して偶然ではありません。

 マローニはゴードンの言うとおり「ピエロの箱を開けた」人その人です。しかし、マローニはジョーカーが"やり過ぎ"であり、このままではゴッサム・シティ自体が崩壊して、マフィアの稼ぎ場所がなくなってしまうことを心配していました。

それで、ジム・ゴードンにジョーカーを逮捕させ、収集をつけようとしたのです。この時点で、ゴードンとマフィアの利害はジョーカー逮捕に関して一致したわけです。

 利害が一致したなら敵であっても柔軟に利用する。これがゴードンの考え方です。

 結果的には間に合いませんでしたが、ゴードンはマローニからの情報をもとに、ジョーカー逮捕の手はずを整えました。

ジョーカーが「マローニは来ないのか?」とマローニの手下にたずねながら、金を燃やして喜んでいた、あの倉庫に踏み込む予定だったわけです。
 
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★正義を「力」で実現する 【「正義」とは:バットマンの場合】

 ジム・ゴードンは「正義」が「善」とイコールではなく、正義の語る「善」には限界があることを知っていました。

 だからこそ、警察内部の汚職という小さな悪には目をつむり、マフィアの資金源摘発という大きな「正義」を実現しようとしたのです。

 この構図は程度の差はあれ、バットマンに共通する「正義」の考え方。バットマンはゴードンと同様に「正義」が「善」とイコールではないことを知っています。

 だからバットマンとジム・ゴードンは長年に渡ってコンビを組むことができるのです。
 バットマンはゴードンがやろうとしてもできない、もしくは警察官としてしてはならない類の実力行使をして「正義」を実現しようとします。
 
 バットマンはハーヴェイ・デントに「きれいなままでいてほしい」「ゴッサム・シティの市民の"希望の星"でいてほしい」と言いますし、ハーヴェイ・デントのことを「素顔のヒーロー」だと語ります。最後にはバットマンはデントの殺人を全て引き受けて去っていきます。

 「正義」=「善」ではないことを知っており、実際にその考え方を行動に移して暴力や破壊をいとわないバットマンにはいわゆる"ヒーロー"の称号は与えられません。

 ゴッサム・シティの一般市民にとって、"ヒーロー"とは「正義」。そして正義とは「善」。そして、ハーヴェイ・デントはそれらを体現する者。ゴッサム・シティの市民が希望を抱く"ヒーロー"になれるのはハーヴェイ・デントのみ。

 ゴッサム・シティの市民に夢を与えるため、"ヒーロー"になれないバットマンはハーヴェイ・デントに「きれいなまま」でいてもらう必要がありました。

 さて、ここまで、デント、ゴードン、バットマンの3人の正義観について見てきました。次に、ジョーカー、デント、バットマンのそれぞれを詳しく掘り下げて考察していきます。

 彼らの抱える感情、過去の経験がどのように「ダークナイト」に影響したのか。

 じっくりと見ていきましょう。
 その過程を見ていくうちに、ダークナイトのストーリーをより深く理解することができるはず。

ダークナイト

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【ジョーカー研究】 

★ジョーカー

 これだけ魅力的な悪役がこれまでにいたでしょうか?
 ゴッサム・シティーの悪事を一手に引き受け、バットマンを向こうに回して大立ち回りを演じて見せた、したたかな悪役。

 一見脈絡がなく、"ゲーム"と称しては思いつく限りの数々の悪事を働いているように見えますが、その実、それぞれの計画が有機的につながって、次の計画への下敷きとなり、橋渡しになっています。

 そして、その顔には常に道化の化粧をし、ピエロというマスクを手放しません。相手の心をつかみ、ときに心酔させ、ときに相手の心を怒りで満たして操るたくみさ。

 ジョーカーを嫌ったとしても、ジョーカーを自ら望んだとしても、いずれにしても、その相手はジョーカーの手のひらの上で踊るしかありません。

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★レイチェルとデントは同じ監禁場所にいた?!
 -レイチェル爆死の真相・ジョーカーの計画のすべて-

 レイチェルを実際に誘拐したラミレス刑事はマフィアから賄賂を受け取り、レイチェルを誘拐しましたが、彼女はただの駒だったはず。

 実際にレイチェルに爆薬を仕掛けたのはマフィアであり、もっといえば、それはジョーカーの発案に違いありません。

 特に、縛られて動けない2人を互いに顔の見えない別の部屋に監禁し、わざとつながる電話を置いてレイチェルとデントを話させるあたりに底知れない悪意を感じます。

 つながる電話があったことで、デントはレイチェルとどちらかしか助からないことを知ってしまったばかりか、「大丈夫だよ、きっと助かる」などとレイチェルに声をかけることになりました。

 この最後の会話がトゥーフェイスに変貌するきっかけにもなったことを思えば、ジョーカーがこの計画を練ったに違いありません。
 
 ジョーカーは、わざとゴードンに自分を逮捕させました。ジョーカーが逮捕されたのは、レイチェルとデント2人の監禁場所を自分自身の口からバットマンに教えるためです。

 しかも、ジョーカーはバットマンに2人の監禁場所が違うと言って別々の住所を告げてバットマンを騙します。

 実際には2人は同じ場所に監禁されており、それはデントの居場所として告げられた場所でした。このとき、バットマンがレイチェルを選択し、レイチェルの居場所と告げられた住所に行っていたらバットマンは空振りです。

 レイチェルもデントも2人とも助けられなかったでしょう。
 
ダークナイト


 そもそも、ジョーカーがゴードンには居場所を告げず、バットマンを怒らせてから居場所を告げたのはなぜか?

 バットマンがジョーカーを殴ったから? もちろんそうではありません。
 冷静なバットマンにレイチェルとデントのどちらを選ばせるかを突きつけても全く面白味がありません。

 ジョーカーとしては、混乱したバットマンが「正義」と「個人的感情」の間で苦しむ姿を見たい。
 そこでジョーカーはハーヴェイ・デントを引き合いに出してレイチェル・ワイズとブルース・ウェインの関係に突っ込み、バットマンに自分をめちゃめちゃに殴らせました。

 バットマンとして活動するときはゴッサム・シティの正義のため、バットマンの立場から判断しているブルースですが、レイチェルとの関係を突かれた彼はバットマンとしての思考を失い我を忘れます。

 そんなときに、どちらかしか助けられないと言って2つの場所を教えたらどちらを選択するでしょう?

 バットマンは最初、「レイチェルを助ける」といって飛び出していきますが、そのときの彼の思考はブルース・ウェインとしての思考。バットマンとしての思考ではありませんでした。

 しかし、結局彼はゴッサム・シティの守護者、バットマンとして非情な決断を下します。
 「ゴッサム・シティの"希望"ハーヴェイ・デントを助けに行くべきだ」。結果、レイチェルは爆死します。
 
ダークナイト 


 さらに悲惨なのは、バットマンが真っ黒な焼け跡から見つけたコイン。
 片面が焼けて潰れてしまっています。このコインは護送車に乗せられるデントが別れ際にレイチェルに渡したもの。

 そのコインがデントを救出に来たはずのバットマンのいる場所にあるということは?

 恐らく2人は一部屋と離れた場所にはいなかったのです。
 つまり、2人は同じ建物にいて、監禁された部屋が違うだけ。レイチェルはバットマンの目の前で爆死していました。

 しかも、レイチェルはバットマンが自分を助けに来たことをなじるハーヴェイ・デントの叫び声を電話を通じて聞いてしまいます。

 このとき、レイチェルは自分が間もなく死ぬことばかりか、バットマンならぬブルース・ウェインが自分を選ばずにデントを助けたことを知ってしまうのです。
 
 そうまでしてブルースが助けたハーヴェイ・デントは最後にはトゥーフェイス・殺人者となり、バットマンが友人でもあったトゥーフェイスを殺害する結果になってしまいました。

 ジョーカーは頭に血が上ったバットマンが、結局はレイチェル・ワイズではなく、ハーヴェイ・デントを助けに行くことまで読んでいました。
 そして、バットマンに助けられたハーヴェイ・デントをトゥーフェイスに変貌させることまで計画のうち。
 
 ジョーカーの計画は完璧なはずでした。
 唯一の計算違いは、ゴッサム・シティの市民がフェリーの爆弾を起爆させなかったこと。

 必ず囚人か市民のどちらかの船が起爆装置を押すに違いないと思ったジョーカーは12時を過ぎたらジョーカーの手で2隻とも爆破するための手立てをとっていませんでした。

 ジョーカーはまったく惚れぼれするような頭脳を持つ究極の悪役であるようです。
 
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★"Why so serious?"

 ジョーカーの口には唇が裂けたように赤く大きく引かれたライン。その下に隠されているのは唇から耳元まで残る傷跡です。
 ジョーカーはその傷跡が父によってつけられたと語ります。

 毎晩のように泥酔して帰ってくる父親。その父が母に暴力をふるい、母親が自分の身を守ろうとナイフを持ち出しました。
 しかし、父は母からそのナイフを奪い取り、母を殺害。

 母は死にました。それを怯えながら見ていた少年時代のジョーカー。

彼が次に見たのは自分の目の前に立つ父親。父は息子に"そのしかめつらは何だ?""笑い顔にしてやるぜ"といいながらナイフをかざしたという話でした。

 一方で、ジョーカーはパーティでレイチェルを脅迫したとき、こうも語っています。

 かつてジョーカーの妻はレイチェルに似た美人でした。しかし、彼女の楽しみはギャンブル。次第に積み重なり、膨大な額になっていく借金。返済をせまられたあげくに暴行された妻が負ったのは顔面の大きな傷。

 彼女は毎日、顔に残った傷を眺めては手術でこの傷を治す金がない、そういっては泣いていました。

 ジョーカーは妻の笑顔が見たいと思いました。そして傷があってもいいと伝えたくて、自分で口を裂いたといいます。
 しかし、妻はジョーカーの「醜い顔が見ていられない」と家を出て行ってしまいました。

 そして、その妻の口癖は"Why so serious?"。
 
 どちらの話が本当なのでしょうか。

 仮に父親に傷つけられたと言うなら、すでに妻と出会ったころにはその傷跡はあったでしょうから、今さら「醜い顔が見ていられない」などといって妻が出て行くことは考えにくいでしょう。

 父親に切られたのか、自分で傷をつけたのか。どちらが真実の話でしょうか。

 以下では、それを考えてみます。
 
ダークナイト


★ジョーカーの傷の秘密

 ジョーカーは狂っています。

 ジョーカーが言い分は錯綜していて、どれが本当かを判断するのは難しい。
 しかし、ジョーカーが繰り返し語る、口の傷跡。そこにはジョーカーがジョーカーとなった一番の理由があるように思われます。

 ジョーカーはウソもつきます。
 しかし、こと、この傷跡の話に関して、ウソは言っていません。それをこれから見ていきましょう。
 
 上でも書きましたが、仮に、父親にやられた傷だ、というなら、妻に出会ったころにはジョーカーの顔には大きな切り傷が残っていたでしょう。
 妻が結婚した後になって、今さらその傷が醜くて見ていられない、と言いだすことは考えられません。

 そして、妻は自分に残った傷跡を気にして泣き暮らしていたといいますから、妻は外見を気にする女性のようです。

 それほど外見というものを気にする女性なら、「醜くて見ていられない」ほどの、顔面に目立つ傷跡のあるジョーカーと最初から結婚をしなかったでしょう。

 つまり、父親に顔を切られたとすると、そもそもジョーカーに妻がいたとの話は全部ウソということになります。

 しかし、レイチェルを見てナイフを振りかざし、あれほど執拗に話を続けるジョーカーがウソ八百の作り話を延々と披露していたのでしょうか?

 もちろん、全部狂人の錯綜した考えが生んだ空想の産物ということも全く否定はできませんが、空想するにも、その基礎となる部分に何らかの真実は含まれているとみるべきでしょう。

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 結論。

 ジョーカーは自分で傷をつけたのです。自分でナイフを口に入れ、左右にかっ切った。

 そして、矛盾するようですが、父に傷つけられたという話もウソではありません。

 ジョーカーは父親の話を2回もしています。1回目は死体のふりをした自分を運び込ませてマフィアを殺すとき、そして2回目はレイチェルを脅す前にパーティ会場で白髪の男性を脅したとき。彼を「父親に似ている」と言いながらナイフを押しあてていました。

 父親とジョーカー。

 これはジョーカーをジョーカーたらしめたゆえんのエピソード。父と息子の関係はそのままジョーカー誕生の物語でもあります。
 
ダークナイト


★ジョーカーと父親 - 父はどういう人だったのか -

 父親が泥酔しては母親を殴る。

 幼いころ、両親が口喧嘩しているだけでも子供は心底怖い思いをするもの。その父と母がナイフを持ち出して争った末、母親は殺された。

 人が目の前で殺され、血が流れる。しかも、殺されたのは自分の母親。酔っている父は母を殺した興奮からか、わが子に向けてもナイフをちらつかせました。

 幼い少年は"殺される"、そう思ったでしょう。

 もしかしたら、母の血がついたナイフを口に入れられるぐらいのことはされたかもしれない。"そのしかめつらはなんだ?"といいながら。

 父が息子を解放しても、その恐怖は消えません。
 消えないどころかどす黒いしみとなって少年の心に沁みつきました。

 「父に殺されかけた」。

 その拭いきれない恐怖感は大きな傷となって永遠にその子の心に刻みつけられました。

 この傷は物理的なものではなくて、心理的なもの。

 目に見える傷ではありませんが、幼い日のジョーカーに確かに刻まれた消し去れない傷跡です。
 
 ジョーカーは確かに父親に傷つけられました。ジョーカーはあのとき、確かに心に傷を負ったのです。

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★ジョーカーと妻 - 妻はどういう人だったのか -

 成長したジョーカーは1人の女性に出会います。のちに妻となる女性です。

 彼女はジョーカーとは対照的に華やかで社交的、よくしゃべり、よく笑う女性でした。

 一方、ジョーカーはその生い立ちや、あの父親に殺されかけた過去が影響して、どちらかといえば陰にこもったところのある性格。おとなしい、目立たないタイプの青年だったでしょう。

 そんな彼は自分と正反対の性格の女性に惹かれました。2人は結婚。
 しかし、妻の楽しみはギャンブル。そして借金がかさんでいきます。結果、妻は顔に大きな傷を負わされてしまいました。

 傷があったとしても、ジョーカーが愛したのは妻という女性そのもの。
 妻を愛する気持ちは変わらず、今までどおりの明るい、笑顔の絶えない女性であってほしいと思います。
 しかし、妻の気持ちは晴れません。毎日、鏡を見てはため息をつき、泣く。

 そんな彼女に自分の思いを伝えるにはどうしたらいいのでしょうか。

 ジョーカーが選んだのは究極の選択。

 そこでジョーカーは左右に口を切り裂きました。妻の言うとおり、常に笑っていられるようにしたかったから。

 妻の笑顔を期待したジョーカーは見事に裏切られました。
 妻は家を出て行ってしまったのです。ジョーカーの口に残る大きな傷跡。そんな醜い顔は見ていられない。

 このとき、ジョーカーは再び傷を負うことになりました。愛する者に再び裏切られたという痛み、そして今度は、肉体的な損傷を伴う傷です。

 この世界で保ちたかったつながりを全て失ったジョーカー。
 もはや、ジョーカーは狂気への道を転がり落ちて行くしかありませんでした。
 
ダークナイト


★ジョーカーがジョーカーになるまで

 父親に殺されかけたジョーカーは心に大きな痛手を受けました。そのときの痛みは精神的なもの。しかし、その傷は何にもまして深くて大きくて痛いものです。その痛みは消えることはなく、常にうずきつづけました。

 妻に出会ってもその傷は癒えません。
 妻の以前からの口癖は"Why so serious?"。しかし、父親との一件以来、ジョーカーの心は笑うことを許しませんでした。

 ジョーカーはその傷の痛みに一生耐えなくてはならないのです。

 その傷の痛みはジョーカーの性格を影のある、深刻なものへと変えてしまっていました。

 鬱々とした表情の多いジョーカー。そんな彼に投げかけられる妻の言葉は"Why so serious?"。

 父の言葉と同じだ。

 妻がその言葉を言うたびに、自分を殺そうとした父の幻影が甦ってきます。
 父のことを思い出してしまえば、笑うどころではありません。ますます内にこもるようになり、妻と話すことも少なくなっていくジョーカー。

 妻は満たされない寂しさからギャンブルに走りました。家に帰れば、暗い雰囲気しかない。

 それなら、外の賭け場でギャンブルをし、はしゃいで騒ぐ方がどれだけ楽しいか。彼女は満たされない寂しさを吹き飛ばしてしまおうと、ますますギャンブルにのめり込んでいきます。

 ジョーカーは妻を愛しています。ただ、それを伝えるだけのコミュニケーションをうまく取ることができないのです。

 自分が抱えている傷の重さを妻に打ち明けることもできません。そして、全部自分で抱え込んでしまう。

 悪循環です。

ダークナイト


 妻は顔面の傷を気にして泣いてばかり。ジョーカーは言葉で気持ちを伝えられないから、行為でその気持ちを表そうとする。
 そして、ついに妻は家を出て行きました。
 
 父親に殺されかけたという心の傷は妻との関係も破綻させました。

 父は肉体的にジョーカーを傷つけなかったかもしれませんが、確実にジョーカーの心、そして彼の人生そのものを破壊したのです。

 そして、父が切り刻んだジョーカーの心には大きな傷が残され、疼きつづけるその痛みは彼を狂気の世界へと追いやってしまいました。

 ジョーカーが父から受け継いだもの。
 それは、目の前で流された母親の血とナイフの痛み。暴力とナイフ、そして狂気。

 ジョーカーが人を自ら殺すときはナイフを好んで使用します。ナイフでないと、「味わえないから」だといいます。

 ナイフでないと味わえないもの。

 それは死にゆく者の恐怖とナイフでえぐられる痛みです。そして、その恐怖と痛みはジョーカーが父親に味わわされたものと共通しています。
 
ダークナイト


★おしゃべりなジョーカー

 ジョーカーはよくしゃべる。しゃべり過ぎるくらいしゃべる。

 結末、バットマンに高層ビルから突き落とされているときには笑い続けていますし、バットマンにロープで吊るされ、助けられたときにもバットマンに悪態をつきながらしゃべりっぱなしです。

 よく笑い、よくしゃべる。話している内容を抜きにすれば、道化師として、ジョーカーは優秀なエンターテイナーです。
 
 しかし、狂気に落ちる前のジョーカーはそうではありませんでした。
 今まで書いてきた通り、どちらかといえば内向的な性格でした。それが、道化師を演じられるほどに舌のよく回る男になりました。
 
 ジョーカーはゴッサム・シティでの居場所を見つけたのです。
 父親には心を打ち砕かれ、妻には裏切られました。この世界には自分の居場所はありませんでした。

 狂気に落ちた男はジョーカーとなり、そして見たのはゴッサム・シティの裏の世界。

ダークナイト


 狂気に満ちた裏側の世界ならジョーカーはジョーカーでいられる。ジョーカーという今の自分をありのままに受け入れてくれる世界。

 表の世界では底辺をはいずりまわるしかなく、自分の抱く痛みや苦しみを覆い隠そうと苦労しなくてはなりませんでした。

 しかし、この裏の世界でなら、彼は堂々と顔をあげていられます。
 父親や妻に与えられた痛みや苦しみは全て怒りとして吐き出してしまえばいい。

 殺人・狂気・混沌・恐怖。

 そのなかにいると、今も疼く傷の痛みが軽くなる。それら全てを支配する者としてジョーカーは裏の世界に君臨することになりました。

 今の彼は自分を解放しています。彼は自分の居場所をついに見つけたのです。
 
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★だからジョーカーはバットマンを殺さない

 彼がバットマンを殺さないのは、バットマンの信じる「正義」や「善」に憎しみやあざけりを覚えるから。

 「正義」なんてものが本当にこの世にあるなら、なぜ、ジョーカーの受けた苦しみ、今も彼を苦しめる痛みが存在するのでしょうか。

 父親に殺されそうになったあの経験はウソではない。「正義」が本当にこの世にあるのなら、なぜ、あのようなことが起きてしまうのか。
 
 バットマンの正義に対する嘲りはジョーカーが"ゲーム"を続ける原動力になる。

 「本当に正義があるのなら、自分を負かして見ろ」。

 正義を否定するのに一番有効なのはバットマンを悪の道に誘い込むことです。そこで、ジョーカーは「今日、お前もルールを破れ」とバットマンを誘います。

 バットマンが怒りにまかせて、ジョーカーを殺してしまえばジョーカーの思うつぼ。

 くだらない「正義」の側に立つバットマンを「悪」に落とし込むことはジョーカーにとって究極の目標なのです。
 
 しかし、それでもバットマンはジョーカーを殺しません。ダークナイトの結末でも結局はジョーカーを救い、司法の手に委ねました。
再び、対決することがあっても、やはりバットマンはジョーカーを殺さないでしょう。

ダークナイト


 ジョーカーは「悪」そのもの。
 その「悪」をどこまでも追ってくるバットマンは貴重な存在です。

 悪をやっつける存在があるから、悪は悪でいられる。

 ジョーカーはマフィアでさえ恐れる闇の帝王です。「ダークナイト」でもジョーカーを雇ったマフィアのボス・マローニは最後にはゴードンにジョーカーを売った。

 マフィアも制御できない悪、それがジョーカー。

 しかし、ジョーカーが完全なゴッサム・シティの覇者として、表も裏も両世界の支配者になってしまえば、悪は「悪」でなくなる。
 なぜなら、もはやジョーカーを「悪」として追う者がいなくなってしまうから。ところがそれではジョーカーは面白くない。

 ジョーカーは、嫌われ疎んじられる存在としての「悪」でありたい。

 ジョーカーの願いはゴッサム・シティの支配者として堂々と君臨することではありません。悪が放置されているなら、それは「悪」ではない。嫌われ、うとまれてこそ、このゴッサム・シティに恐怖と混沌をもたらすことができるのです。

 「悪」をやっつける存在があるから悪は「悪」でいられる。これがすべて。

 ジョーカーにはバットマンが必要なのです。

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 【トゥーフェイス研究】【バットマン研究】につづく

 ★【トゥーフェイス研究】【バットマン研究】の内容 ★
  ・なぜ、デントはジョーカーを殺さなかったのか
  ・デントのコインの秘密
  ・バットマンとジョーカーの関係
  ・燃やされたレイチェルの手紙  などなど。

ダークナイトを文章化した詳しいあらすじを公開しています。完全ネタバレなので未見の方はご注意ください。→ここ

「ダークナイト【トゥーフェイス研究】」はこちら
「ダークナイト【バットマン研究】」はこちら
「ダークナイト【バットマンの世界観と論理】」はこちら

ダークナイト
    

   
 


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ダークナイト【トゥーフェイス研究】

映画:ダークナイト 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり

引き続き、ダークナイトの『解説とレビュー』をお届けします。
今回は"トゥーフェイス"に焦点を当てます。

「ダークナイト【あらすじ】」はこちら
ダークナイトを文章化した詳しいあらすじを公開しています。完全ネタバレなので未見の方はご注意ください。

「ダークナイト」の『解説とレビュー』を4つのタイトルに分けてご紹介しています。その2つ目のタイトルとなる本ページでは「ダークナイト【トゥーフェイス研究】」を掲載しています。



「ダークナイト【ジョーカー研究】」はこちら
「ダークナイト【バットマン研究】」はこちら
「ダークナイト【バットマンの世界観と論理】」はこちら



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【ハーヴェイ・デント・"トゥーフェイス" 研究】 

★ジョーカーを殺さなかったハーヴェイ・デント

 なぜ、ハーヴェイ・デントはジョーカーを殺さないのか。
 ジョーカーこそが憎むべき者、レイチェルの殺人者。後はジョーカーの額に押しあてられた拳銃の引き金を引くだけでした。

 しかし、ハーヴェイ・デントはジョーカーを殺さずに、逃がした。その後、デントはトゥーフェイスに変貌します。
 
 レイチェルは「悪」に殺されました。

 しかし、その「悪」が問題。
 レイチェルを誘拐したのはラミレス刑事です。彼女は警察の人間でありながらマフィアから賄賂を受け取り、今回の犯罪に直接加担しました。
 
 ラミレス刑事はデントに協力すべき「正義・善」の側の人間だったのに、デントを裏切って「悪」となった。
 一方で、ジョーカーは「悪」そのもの。この違いがジョーカーを逃がした理由になっています。
 
 ハーヴェイ・デントはゴッサム・シティの星として華々しく登場し、期待通りの成果を上げてきた新任地方検事です。
 デント自身は「善」であり、「正義」そのもの。市民からはそう思われていましたし、デント自身もそう思っていたはず。

 デントは「正義」=「善」だと思っていました。

 デントの正義感はゴードンやバットマンの正義感とは違うのです。
 "小悪を許して、巨悪を制す"という考え方のゴードンやバットマンとは違い、デントの正義とはまっさらで真っ白な善そのもの。

 ハーヴェイ・デントには小悪を許すという考えはないのです。

ダークナイト ばら.jpg


 デントはバットマンとゴードンの仲間でもありましたが、一方で、デントはバットマンのことを「正義」だとか「善」だとかは思っていません。
 ハーヴェイ・デントはバットマンを利用するだけ。あくまで、デント自身が「正義」であり、「善」の体現者でした。
 
 ハーヴェイ・デントがラミレスやゴードンに怒りを向けたのは自分が信じていた「善」の側の人間が裏切ったから。

 ラミレス刑事は裏切り行為を働き、ゴードンはそれを放任し、ある意味では追認していた。

 デントが信頼していた「正義」の側からの裏切り行為は「悪」であるジョーカーがした行為よりもずっと憎むべきものであったのです。

 「悪」であるジョーカーがレイチェルを殺害するのはある意味、あたりまえ。それがジョーカーというものだから。しかし、ラミレスやゴードンは違う。彼らは一見、デントの側に立つもの。それなのに、「悪」を働いた。
 
 「善」=「正義」の側に立つ者が「悪 」として振舞い、挙句の果てに最愛の人を殺した。これは絶対に許すことはできない。

 ハーヴェイ・デントは自分とレイチェルが誘拐されてレイチェルを殺される前は、「正義・善」に絶対の信頼を置いていました。そして、その世界観にそって、自分は徹底的に犯罪摘発の仕事に打ち込み、命を投げ出し、体を張ってきました。

 それだけに、信頼していた「正義・善」の側から裏切り者が出たということはデントの世界観を徹底的に破壊したのです。
 
 それで、デントはジョーカーは殺さず、逆に、ラミレス刑事はもちろん、汚職を放置したゴードンをも殺すことを決めました。

 ここで、注意したいのは、ハーヴェイ・デントの世界観を壊したのはラミレス刑事やジム・ゴードンであるということ。ジョーカーは「悪」として当然の行為を働いたまでのこと。彼はデントの世界観から外れることはしていません。

 デントはマフィアのボス・マローニの車に乗り込んで、ラミレスの名を聞き出すときに、「ジョーカーはただの狂犬だ」と言っています。

 これは、デントがジョーカーはただの「悪」に過ぎないと考えていることを示すもの。レイチェルを殺したジョーカーは「悪」として当然の行為をしたまでです。やはり、デントの信頼を裏切ってはいないのです。
 
ダークナイト ハイト.jpg


 まとめましょう。
 トゥーフェイスは”レイチェルを殺した者たち”としてラミレス刑事とゴードン刑事、そしてジム・ゴードンを憎みましたが、その憎悪には別の意味もありました。
 トゥーフェイスは2人を”自分の世界観を壊した者たち”としても憎んでいたのです。

 デントが抱いた2つの怒り。それは1, レイチェルを殺された怒り、と2, 「正義かつ善」というハーヴェイ・デントの世界観を壊された怒り、に分けることができるのです。

 ここで、ジョーカーは『1, レイチェルを殺された怒り』の対象者には該当するけれど、『2, 「正義かつ善」というハーヴェイ・デントの世界観を壊された怒り』の対象にはならない。

 デントがトゥーフェイスとして標的にしたのは、1と2両方の怒りをぶつけられる者です。

 言いかえれば、1, 汚職に関与したか、放置した者であり、2, 「正義かつ善」であるはずの人間、この2つの条件を満たす者です。

 ワーツ刑事、ラミレス刑事、そしてジム・ゴードンは汚職をしていたか、汚職を知って放置していた者であり、かつ正義と善を実現すべき警察の人間だった。彼らはこの2つの条件を満たします。

 なお、2つの条件を満たさないマフィアのボス・マローニもトゥーフェイスは殺しています。しかし、マローニが狙われたのは、最初に狙われたワーツ刑事がラミレス刑事のことを知らなかったため。マローニは、ラミレスの名を聞き出すために狙われたに過ぎません。
 ワーツ刑事がラミレスの名を知っていたら、マローニはトゥーフェイスに狙われなかったでしょう。
 
 端的にいえばこういうこと。
「ジョーカーはデントの信頼を裏切るような真似はしていない」。

 この差が、ジョーカーの生死を分けました。そして、ジョーカーは自分から銃を自らの額に向けさせたわけですから、ジョーカーを殺さないというハーヴェイ・デントの心理を読み切っていました。

 結局はトゥーフェイスもジョーカーの手のひらの上で踊らされていただけ。ハーヴェイ・デントがトゥーフェイスとなり、かつての友人であるゴードンやバットマンを苦しめることはジョーカーの計画の一環に過ぎません。
 
 ハーヴェイ・デントが「悪」に落ち、トゥーフェイスとなった瞬間、ハーヴェイ・デントがあんなにも憎んだ「悪」に彼は負け、ジョーカーは勝利をおさめたのです。
 
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★ハーヴェイ・デントのコインの秘密

 ハーヴェイ・デントがトゥーフェイスとなってからはもちろん、正義感にあふれた新任検事だったころから愛用していたコイン。
 デントは父から受け継いだもの、と法廷に遅れ気味にやってきたときにレイチェルに語っています。

 このコイン、裏表がありません。
 レイチェルは、バットマンとして護送されるデントが護送車に乗り込む前に、このコインをデントから預かりました。そして、両面が表になっているコインだということに気がつきました。

 だから、表面/表面だったときはコイントスをしても結果はひとつ。
 トスする前から結果は決まっています。コイントスをしてもしなくても、決めるのは自分。だからデントがレイチェルに語ったように、レイチェルとのデートを決めたのも、「自分の意思」。
 
 ところが、表面/裏面になったとき、コイントスをするとコインは2分の1の確率で表か裏かを示すようになります。

 最初はなかった裏面。
 コインに「あった」のではなく、「できた」のです。

 レイチェルが爆死し、真っ黒に燃え尽きた現場からコインを拾い上げるバットマンの姿があります。彼はそのコインをハーヴェイ・デントの病室に届け、サイドボードに静かに置きました。
 そしてバットマンは、意識なく眠るデントに「悪いことをした」と言うのです。

 やがて目覚めたハーヴェイ・デントは自分の顔半分を覆う大きなガーゼと、ベッド脇のサイドボードのコインに気が付きます。

 コインに手を伸ばすデント。見れば表/表だったコインの一面が焼けただれ、真っ黒になっています。その瞬間にこのコインを預けたレイチェルの顔がデントの脳裏によみがえってきました。

 慟哭するハーヴェイ・デント。
 この瞬間に彼はトゥーフェイスになったのです。
 
 表/表だったコインが表/裏になったとき、自分次第だった人生は次第にコインに支配されていくようになります。

 信じて疑わなかったこの世の「正義」。
 デントは正義に裏切られたのです。

 あの事件のためにコインには裏面ができてしまいました。
 黒く焼けただれたコインのように、デントの傷ついた心は彼の人格に闇の人格"トゥーフェイス"を出現させました。
 
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★2つの"トゥーフェイス"

 人はこの世に生を受けたときは表も裏もありません。
 おなかがすけば泣くし、不快な気分になればやはり泣く。そうすれば、大人が助けに出てきて、その食欲を満たし、不快感を取り除いてくれる。

 しかし、年を重ねるにつれ、いつまでも自分の思い通りには物事は運ばないということが分かってきます。そして、やりたいように振舞い、自分の思う通りに生きたいという自分をコントロールして抑制し、外の世界で生きていくための統制された自分を次第に形作っていくようになります。
 
 人間は成長するにつれて、自然と外向きの自分と内向きの自分を使い分けるということを習得していきます。

 外向きの自分は周囲の人間に合わせ、社会の歯車に乗って回る自分。内向きの自分は自分の考えに沿って、その通りに行動しようとする。自分の欲望や願望に正直な自分です。

 多くの人は、それぞれの場面において、自分の意思でこの2つを使い分けて社会生活を送っています。
 つまり、社会生活を送る人間なら誰もが2面性を持っているということ。

 誰もがトゥーフェイスなのです。
 だからこそ人間社会というものが成り立っているともいえるでしょう。皆が自分の欲望に忠実な者ばかりなら、人間社会はたちまち破綻するからです。
 
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 ハーヴェイ・デントも同じです。
 トゥーフェイスになる前のデントも、もともと2つの顔を使い分けていました。

 内部調査部時代には"ハーヴェイ・トゥーフェイス"と呼ばれていたという彼。この場合のトゥーフェイスとは警察官の仲間であるはずのデント、そして仲間でありながら同僚の汚職を摘発するデントという2つの顔のことを指して"トゥーフェイス"と言っています。

 警察汚職を厳しく摘発するデントを苦々しく思っていた警察官たちが付けたあだ名、それが"ハーヴェイ・トゥーフェイス"なのです。

 従って、このころの”トゥーフェイス”には悪に加担する要素はありません。レイチェル爆死後のトゥーフェイスとは異質なのです。
 
 レイチェルが爆死する前までのハーヴェイ・デントのコインには表しかありません。そこで、どういう道を彼が選択するかは全て自分次第。

 外向きの、警察官の仲間としての自分を選択して汚職を見逃すか、それとも、内向きの、正義感に正直な自分として、汚職を厳正に摘発するのかはそのときどきで使い分けていました。

 内部調査部時代には職務に忠実に警察官の汚職の摘発をしていました。
 ”トゥーフェイス”のあだ名を頂戴するほどですから、厳しくやっていたのでしょう。

 デントは地方検事になってからも、ゴードンに対して汚職の一掃をするように要請を繰り返してはいました。

 しかし、デントはマフィア捜査を優先させたいというゴードンの立場にもそれなりに理解を示し、正義感を優先させるあまりに強引に警察汚職に踏み込むようなことはしていませんでした。

 幸運は"自分で引き寄せる"と言っていたデント。そこには運まかせではない、自分の意思が介在しています。

 すなわち、自己の持つ強固な正義心にどこまで従うかはデント自身で決定し、コントロールしていたのです。
 
 ところが、コインに表裏ができてから、すなわち、レイチェル爆死の後からは、強固だった正義心は徹底した憎悪へと変貌。そのたぎる怒りと憎しみに身をゆだねるかどうかはコインに任せてしまうようになりました。

 デントは、自分自身の2面性をコントロールすることを放棄したのです。

ダークナイト


★コイントスは本当にフェアか ? 

 表が出るか、裏が出るか。
 トゥーフェイスは「運」は公平で、偏見もなく、フェアな手段だといいます。

 トゥーフェイスは自ら意思決定する代わりに、コインの裏/表に従います。出た結果を自分のすべきこととしてその通りに実行する。
 つまり、コインが示す裏/表が自分の意思になっています。
 
 コインが出て、その結果により人間の意思が決まる。そうならば、ある意味では本当にフェアだといえるでしょう。
 しかし、人間の意思はそんなに簡単に割り切れるものでしょうか。

 コイントスをするよりも早く、こいつには裏面が示されるべきだと思うときがあるでしょう。

 仮に、表面が出たならば、それは何らかの"誤り"が起きたのだ。そうならば、自分の意思が反映された"正しい結果"が出すため、何らかの方法でコイントスを続けよう。

 そう思わないときがないといえるのでしょうか?
 
 マフィアのボス・マローニは、地方検事デントの命を、検察側証人として出廷させた部下に銃で狙わせました。それどころか、財力に物を言わせて警官にカネを渡し、汚職を誘発している親玉です。

 「こいつがいなければ、ゴッサム・シティで警察は堕落せず、レイチェルが爆死することはなかっただろう。」
 「マローニは死ぬべきだ」。

 しかし、コインは”表”を示しました。ならば、運転手はどうか。

彼は”裏”。そこで運転手を殺すことで車ごとクラッシュさせ、マローニを殺しました。

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 運転手は本来レイチェルの死に無関係な人間のはず。なぜ、彼の分までコインが振られたのでしょうか。

 それは、マローニが死ぬべきだというデントの意思があらかじめ、固まっていたからです。
 マローニに対して”表”を指したコイン。
しかし、運命はトゥーフェイスのために、その場に運転手というもう1人の人間を用意しているではありませんか。

 そして振られたコインは運転手に対して”裏”というトゥーフェイスに「望まれた結果」を示しました。

 トゥーフェイスのコイントスがゴードンの息子のときに”表”を示したら、トゥーフェイスはゴードンをそのまま無罪放免したでしょうか?
 トゥーフェイスがゴードンの妻に対してコイントスをしないという保証がどこにあるのでしょう?

 結局、コインを何回振るかはトゥーフェイスの心持ち次第。

 「コイントスで決められた運に偏見がない」などというのは虚構でしかありません。
 トゥーフェイスとなったハーヴェイ・デントが主張するほどフェアでもなければ、公平でもないのです。

続きの「ダークナイト【バットマン研究】」はこちらからどうぞ

ダークナイト 


「ダークナイト【あらすじ】」はこちら。最初から結末まで文章で「ダークナイト」を再現しています。
「ダークナイト【ジョーカー研究】」はこちら
「ダークナイト【バットマンの世界観と論理】」はこちら

ダークナイト
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ダークナイト【バットマン研究】

映画:ダークナイト 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり

 ジョーカーとトゥーフェイスについてここまで見てきました。ここではバットマンに焦点を当てていきます。

「ダークナイト【あらすじ】」はこちら
ダークナイトを文章化した詳しいあらすじを公開しています。完全ネタバレなので未見の方はご注意ください。

「ダークナイト」の『解説とレビュー』を4つのタイトルに分けてご紹介しています。その3つ目のタイトルとなる本ページでは「ダークナイト【バットマン研究】」を掲載しています。



「ダークナイト【ジョーカー研究】」はこちら
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【バットマン研究】 

★バットマンとジョーカー

 ジョーカーはバットマンに「おまえはバケモノさ』と言い、「俺と同じ」だと言ってのけます。

 まさか、と思うでしょうが、これは事実。
 狂気と混沌がなければ2人とも存在できないという点で2人は似ています。暴力をいとわず、どんな方法も躊躇せずに選択する2人はその方向性が違うだけ。

 ジョーカーは狂気と混沌を広めようとしますが、バットマンはそれを抑えようとします。
 正反対の方向に動こうとする2人だけれど、2人ともお互いがいなければ存在価値がありません。

 ジョーカーの凶悪性を止められるのは、バットマンだけですし、バットマンの「力の正義」はジョーカーくらいの強さのある「悪」に対してのみ行使されるべきもの。
 
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 上のマトリックスを見てください。

 ジョーカーとバットマンは線を一本隔てた場所にいるだけ。
 ひょいと飛び越せば、バットマンはジョーカーになり、ジョーカーはバットマンと入れ替わることができる。

 では、ジョーカーとバットマンを分け隔てるものはなんでしょうか。

 ラストシーン、高層ビルからバットマンに突き落とされ、落下しかけたところをバットマンにロープで吊りあげられたジョーカーはバットマンのことを「モラルを捨てないガンコな奴だ」、「高潔な精神を持ってるらしい」といって悪態をつきます。

 ジョーカーは、バットマンがジョーカーを殺さないことを知っています。
 それはバットマンとジョーカーを明確に隔てるものがあるからです。それは「モラル」・「ルール」あるいは「正義」と呼ばれるもの。
 
 レイチェルとデントの居場所を聞き出そうとするバットマンに「ルールを破れ」、そうジョーカーは呼びかけます。「ルールを無視するのが賢い生き方だ」とも。

 ジョーカーによれば、「モラルや倫理なんてのは善人のたわごと」であり、「足元が危うくなればポイ」されるもの。

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 しかし、バットマンは違います。

 基本的には敵を殺さず、持つ力はゴッサム・シティのために使い、私利私欲のために使わず、もちろん悪のためにも使わない。
 そして、ジョーカーも殺さない。バットマンにはゴッサム・シティの市民を守るという強い使命感があるのです。

 ジョーカーとバットマンは薄い壁一枚隔てたところにいます。バットマンは最も「悪」に近い者。

 ジョーカーとバットマンを分けているのは使命感というロープ一本。
 バットマンは「悪」と「善」の境界線上の存在として、危ういところでバランスを取っているのです。

 これは並大抵の精神力や使命感ではできないこと。

 ひょっとした拍子にバランスを崩し、まっさかさまに「悪」に落ちて行くことがある。”トゥーフェイス”のように。

 マトリックスをみてください。ハーヴェイ・デントは一番「悪」から遠い存在だった。なのに、レイチェルの死という一事をもってまっさかさまにジョーカーの仲間入りを果たしてしまいました。
 
 「善」と「悪」、「正義」と「不正義」の危うい駆け引き。

「ダークナイト」という映画はこの綱引きを見事に表現して見せた映画だということができるでしょう。
 
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★ブルース・ウェインとレイチェルの愛

 バットマンも完全無欠ではありません。
 「バットマンの正体を明かせ」、と迫るジョーカーの策略により、市民が殺され、市長が狙われ、それでも現われないバットマンにゴッサム・シティの市民たちはいらだちを募らせます。

 「人が死んでいく」。ブルースはアルフレッドに溜まった胸のうちを明かしました。
 「もう限界だ」「もう憎しみには耐えられない」。

 そしてマスクを脱ぐ決意をします。
 一方、バットマンの私生活、ブルース・ウェインとしての生活も満たされません。

 ウェイン・エンタープライズの会長であるブルースにはカネも地位も、権力も名声もあります。女性にも不自由しません。それでも愛するレイチェルの心はハーヴェイ・デントに向いていました。

 ボリショイ・バレエ団のプリマを連れて高級レストランに現われ、レイチェルとデントに出くわしてみせたり、自分のレストランだといって指一本で席の支度をさせたりする。

 ハーヴェイ・デントの資金集めパーティを企画し、支援者となる金持ちやセレブを集めて華やかなパーティを開く。そして、そのパーティに、美女を両脇に添え、派手にヘリで登場する。ブルースはパーティの主賓であるはずのデントよりも目立って見せます。

 ブルース・ウェインはプライドが高い。

 ウェイン・エンタープライズの会長、高級マンションの豪勢なペントハウスに暮らし、人もうらやむ生活をしている。悩みや不満など一切見せない、強くて、魅力にあふれたブルース・ウェイン。

 ブルースはそういう自分、世間が考えているブルース・ウェイン像に沿った演出をしています。

 バットマンとしての自分を人には話せない、あまりにも大きな秘密を抱えているという事情ももちろん、ブルースの心をより複雑にはしています。
 しかし、根本的に、ブルース・ウェインは不器用な性格なのでしょう。

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 だから、レイチェルをハーヴェイ・デントに奪われたことはブルース・ウェインのプライドをひどく傷つけましたし、彼女を愛する1人の人間としても、ブルースは傷つきました。
 ブルースがデントの前で必要以上に見栄を張り、対抗心をむき出しにするのはその傷を見せまいとしているからです。

 レイチェルはブルースのその心を分かっている。あまりにも一生懸命なのがかわいそうになるほど、ブルース・ウェインはレイチェル・ワイズを愛している。このことをレイチェルは理解していました。だから、デントのプロポーズにも即答しなかったのです。

 もちろん、レイチェルはハーヴェイ・デントを愛しています。
 しかし、ここでデントと結婚してしまえば、ますますブルースを傷つけることになるでしょう。

 レイチェルはブルースをおもんばかって、プロポーズに即答することはできなかったのです。
 
 しかし、レイチェルはアルフレッドに託したブルース宛ての手紙にこう、したためました。
 「ハーヴェイと結婚するわ。あなたはバットマンを捨てることはできない。もし、あなたにマスクを脱ぐ日が来たなら、私はそばにいるわ。親しい友としてね」。
 
 レイチェルはブルースがバットマンであることを知っています。そして、レイチェルはブルースのことを良く理解しています。

 「バットマンをやめたらブルースと結婚する」。

 その気持ちは本当だとしても、レイチェルにはブルースがその使命感の強さから絶対にバットマンをやめることなどできないことを知っていました。

 このバットマンの強すぎる使命感はバットマンをジョーカーと隔てる唯一のもの。
 バットマンは正義と悪の狭間で生きる者、「ダークナイト」です。この使命感に妥協した瞬間に、危ういバランスは崩れ、”トゥーフェイス”の二の舞になる。

 この使命感はすべてゴッサム・シティを狂気と混沌から守るため。レイチェルと結婚するために妥協することはあり得ないし、レイチェルもそのことをよく分かっていました。

 この使命感はバットマンを悪から守ると同時に、ブルースを悪との戦いに駆り立てる原動力でもあります。
 だから、レイチェルはブルースがバットマンをやめられるはずもないことも分かっていました。
 
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★燃やされたレイチェルの手紙

 ブルースが「マスクを脱いだら結婚するとの約束は本気だったか?」と聞いたとき、レイチェルの答えは"Yes."。

 アルフレッドはレイチェルが"デントと結婚する"と書いてよこした手紙を燃やしました。ブルースは結局手紙のことは知りません。

 アルフレッドはバットマンが市民に憎まれる存在であっても、バットマンには「人にできない、正しい判断ができるはず」といって、ブルースを励まします。

 バットマンとしてゴッサム・シティの市民の憎悪の対象となっても、その市民を守るために活動し続ける使命感を支えているのは何でしょうか。

 それは「レイチェルがブルースを選び、愛していてくれたのだという思い」です。バットマンを悪と隔て、正義の側につなぎとめるのは強い使命感。その使命感の源はレイチェルの愛です。

 ここで、レイチェルが実際にはデントを選び、デントとの結婚を決めたということをブルースに知らせて、何になるでしょうか。

 アルフレッドはそれを理解していました。彼女の愛を失ったと知れば、バットマンはもはやバットマンでいられなくなるかもしれない。

 信じるものに裏切られたハーヴェイ・デントは”トゥーフェイス”となりました。レイチェルの愛を信じているブルースにその愛を失ったと知らせれば、ブルースの心が壊れてしまうかもしれない。

 ブルースにこれからも”バットマン”でいてもらうため、アルフレッドは手紙を燃やすという選択をしたのです。

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★人は「真実だけでは満足しない、幻想も満たさねば」

 これはバットマンが最後にゴードンに告げるセリフ。
 「真実」とは、ハーヴェイ・デントが人殺しだったという事実、そして、「幻想」とは、ゴッサム・シティの市民がデントに抱く"光の騎士"としての幻想です。

 ゴッサム・シティの市民の幻想はそのまま「希望」となり、市民が良心を失わずに生きる"よすが"となっていました。
 その希望を奪ってはならないと考えたバットマンは最後にトゥーフェイスの罪を引受け、闇に姿を消すのです。
 
 人は幻想を抱いて生きている。それはときに希望ともよばれるもの。
 その希望に現実味があると信じ、「いつかは実現できる」と思って今を生きています。
 
 バットマンも人間です。ブルース・ウェインもまた、幻想を抱いて生きています。
 彼の場合は、レイチェルがデントと結婚せず、ブルースをそのレイチェルの人生の伴侶に選んでくれたという幻想。

 現実にはレイチェルはハーヴェイ・デントとの人生を選択していました。しかし、その秘密はアルフレッドの心に秘されています。

 ブルースはこれからもレイチェルがデントを選んだという事実を知らず、レイチェルの愛という幻想を抱いたまま、バットマンとして生きていくことになるでしょう。

 デントが市民の希望の星であることも、ブルースがレイチェルの愛を信じていることも、客観的に見ればすでに2つとも敗れた夢です。

 しかし、市民はデントが人殺しであることを知らないし、ブルースはレイチェルの愛を失ったことを知りません。
 
ダークナイト


 つまり、「幻想」が現実化する希望があるうちは「幻想」は希望の対象となるでしょう。しかし、「幻想」が幻想であることが分かれば、どうなるでしょうか。
 
 例えば、ハーヴェイ・デントが信じた「正義」や「善」は絶対的に正しく、最後には「悪」に勝つものであるはず。

 しかし、レイチェルを殺したのは「善」であるはずの警察側の人間でした。

 デントが信じた絶対的な「正義」や「善」は幻想でした。

 「幻想」が幻想だと分かったとき、現実味を失った「幻想」は"希望"ではなくなります。その通り、「正義」が「善」ではないことを知ったデントはこの世界に希望を失い、トゥーフェイスに変貌しました。

 バットマンはゴッサム・シティの市民に「幻想」、すなわち"希望"を抱かせ続けるために自分がデントの身代わりとなり、市民に憎まれる存在となることを選びました。
 もちろん、レイチェルの愛という「幻想」を抱きながら。

 ハーヴェイ・デントも、バットマンも何かの幻想を持っていました。
 やはり、人間は「真実だけでは満足できず、幻想も満たさねばならない」ようです。

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 次はいよいよ最後の『解説とレビュー』、バットマンの世界観を通したダークナイト全体の考察に入っていきます。続き、「ダークナイト【バットマンの世界観と論理】」はこちらです

「ダークナイト【あらすじ】」はこちら。最初から結末まで文章で「ダークナイト」を再現しています。
「ダークナイト【ジョーカー研究】」はこちら
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ダークナイト【バットマンの世界観と論理】

映画:ダークナイト 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり

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「ダークナイト」の『解説とレビュー』を4つのタイトルに分けてご紹介しています。その最後、4つ目のタイトルとなる本ページでは「ダークナイト【バットマンの世界観と論理】」を掲載しています。



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★エスカレートする「正義」

バットマンはアルフレッドに、バットマンとしての行動がゴッサムシティに「狂気や死を蔓延させた」とこぼします。

つまり、バットマンが犯罪を摘発すればするほど、マフィアの犯罪は凶悪化し、ついにはマフィアにすら忌み嫌われていたジョーカーをゴッサム・シティに降臨させ、そのジョーカーは毎日市民を殺しているということ。

これをバットマンは「狂気と死」と表現したのです。

バットマンの苦悩は、自分の良かれと思ってする行動が逆に犯罪者を刺激し、犯罪が凶悪化するという悪循環にあります。

 この構造は、どんな種類の犯罪捜査をする際にも起きる問題。バットマンに限った事ではありません。犯罪摘発が緻密なものになればなるほど、犯罪者たちはその摘発をのがれようと、より巧妙な手口に走る。

 分かりやすい例が「紙幣の偽造」です。
 カラーコピーした紙幣を偽造として見破られないなら、カラーコピーの偽造で十分。しかし、当然、カラーコピーでは見破られます。そこで、紙幣をそっくりまねて本物よろしく印刷するようになりました。

 そこで、偽造対策に透かしを入れることにしました。
 しかし、すぐに透かしの入った偽造紙幣が出回るようになります。

 透かしの入った偽造紙幣の対策として次は、ホログラムを入れました。しかし、すぐにホログラムがついた偽造紙幣が出回りはじめます。

 結局、警察が偽造紙幣を追いかければ追いかけるほど、偽造者はより巧妙化された手口の偽造を始める。

 紙幣の偽造なら、身体生命への影響は直接的にはないかもしれませんが、これが、人命に関わるものとなれば深刻です。

 例えば、アメリカでは、犯罪者、もしくは犯罪者と疑われる者に対する警察官の発砲と射殺に対するハードルが低い。

 犯罪者には警察がすぐに撃ってくるという認識があります。そこで、撃たれるより先に、と彼らは銃を撃つ。警察は彼らがすぐ撃ってくるから、先制して射撃しようとする。

 この循環でどんどん銃犯罪がエスカレートしていきます。
 バットマンの苦悩も基本的にはこれと同じ論理をたどります。

 バットマンは手段を選ばず、マフィアを追い詰めます。
 マフィアはバットマンに徹底的に追われるから、バットマンを殺そうとジョーカーを雇う。ジョーカーはそれをいいことに、市民を巻き添えにして殺人ショーを展開する。

 犯罪が先か、バットマンが先か。

 バットマンが法を破り、強引な摘発方法に走れば走るほど、犯罪者も過激な方法に訴える。

 犯罪はエスカレートし、巻き添えで死ぬ市民が増える。

 それは、はたして正義といえるのか?

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★正義と平和は「力」で実現する

 バットマンは苦悩しますが、作品の方向性としては、もちろん、これを「正義」と位置づけています。

「ダークナイト」の結末で、バットマンはゴッサム・シティの守護者であり、街の監視者として必要な人だと語られます。
 つまり、バットマンのことを、"必要悪"としての「正義」だととらえています。

 そして「その混乱の後に平和が来る」。これはアルフレッドの言葉。

 犯罪者という「力」に対して、正義の「力」で対抗する。
 これがバットマンの論理。

 そして、アルフレッドによると、いつか迎える未来には「正義」が勝ち、平和が訪れる。
 これがバットマンの世界観。

 そう整理できます。
 はたして、「力の正義」を追求した果てに、「平和」は実現されるのでしょうか?

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★"超法規的"行為か、"違法"行為か

 これが是か非かはもう、価値観の問題でしかありません。

 完全に間違っているとは言えないし、完全に正当だとは言いきれないでしょう。

 だから、映画「ダークナイト」では、バットマンのことを「必要悪としての正義」、つまり「ダークナイト(闇の騎士)」と呼ぶのです。

 バットマンの行為は、完全に正義を目的としていますが、やっていることは監禁、誘拐、傷害、脅迫です。

 つまり、法律を外れる行為をしながら、ゴードンやデントをはじめとする警察や検察はそれを見逃していることになります。

 この文脈でいけば、"ダークナイト"たるバットマンの行為は、違法でありながら取り締まられず、逆に黙認されている"超法規的"行為ということになるでしょう。

 現実的に見て、"超法規的"行為とは"違法"行為のこと。

 例え話をしましょう。
 自分の自転車が盗まれたとします。次の日、隣家の軒先に自分の自転車が停めてあるのを発見しました。
 しかし、それを勝手に取り返してきたら、あなたは立派な泥棒になります。

 客観的に見て、隣家に止めてある自転車を勝手に持ち帰ってくるのは泥棒といえます。
 しかし、その自転車が自分の物であるなら、それを「取り返す」行為は、かえって正義を回復するためにした泥棒ともいえるでしょう。

 この点、バットマンが正義のために悪人を誘拐してくるのと同じ論理が働いています。客観的には犯罪行為になるとしても、正義を回復するための行為ならば、それは違法行為とは言えないという論理です。

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 では、このような、"超法規的な"方法がなぜ、現代社会で許されないのか。

 それは、社会そのものを守るため。
 皆が自警行為を始めれば、それが"自警行為"なのか、それとも単なる"違法行為"かの区別がつかなくなるからです。

 例えば、隣家から取り返した自転車が実は似ているだけの別物だったら?
 自転車が本当にあなたのものだったとしても、隣人はその自転車をリサイクル店から事情を知らずに買ってきただけだとしたら?

 隣人が自転車を盗んだ犯人でなかった場合、隣人は権利を主張して、あなたの家に自転車を取り返しに来るかもしれません。
 あなたも再び権利を主張して、隣人から自転車を取り戻したらどうなるでしょうか。

 延々とこれが繰り返されるおそれがあります。
 また、これがかたき討ちになったら大変です。命の取り合いが延々と続くようでは、恐ろしくておちおち寝ていられません。
 
 それなら、代わりに、法的機関がそれを解決する。

 これが「法治国家」を称する現実社会の論理構造です。

 つまり、バットマンはその枠外にあるものであり、本来は存在してはいけないはずの存在です。
 彼の存在を堂々と認めるということは、国家がその法的統治機能を放棄したと宣言するに等しい行為。

 バットマンがいるということは必然的に社会のあるべき姿を乱します。

 バットマンは社会のはみ出し者なのです。

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★それでも、バットマンは必要か?

 法を外れた、"超法規的な力"として、しかも、バットマンが永遠に正義の側に立つ者だとして、バットマンが必要だということを認めたとしましょう。

 この場合、犯人を訴追し、犯人を有罪か無罪かを判断して、有罪ならば刑罰を科す、検察や裁判所といった法執行機関は、"超法規的な手法"に頼ってはならないでしょう。

 バットマンのみならず、合法的な国家機関まで法の枠外に外れたならば、誰も「正義」の暴走を止められなくなるからです。

 だから、ハーヴェイ・デントがしたように、検察官が「549人をまとめて訴追し、裁判をする」とか、サリロ判事のようにそれを「許可」して549人をまとめて裁くということは許されるべきではありません。

 デントはこの訴追で「18か月は平和になる」といいます。
 確かに、犯罪に苦しむゴッサム・シティの人々には評判がいいかもしれませんが、長期的にみて、非常に危険な行為です。

 デントの行為は、"適正な裁きを裁判所で受ける"という権利を侵すもの。
 それだけでなく、その侵害行為を裁判所という国家機関で合法なものとして扱わせてしまった。

 結果、公の場で"超法規的な手法"による解決法が堂々とまかり通ってしまいました。

 裁判所が完全に正義の側に立っている間はそれでもいいかもしれません。
 しかし、ゴッサム・シティ警察のように、買収がまかり通るようになってしまったら、その"超法規的な"方法は犯罪者に有利に使われるかもしれないのです。

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 同じことはバットマンにも言えるでしょう。彼は正義の信念が強い人のようだから、彼がいるうちはそれでいいかもしれない。

 しかし、その"超法規的"な方法による解決に頼り続ける限り、バットマンが活動を止めたとしても、警察や検察は次の「バットマン」を必要とするでしょう。

 なぜなら、バットマンのように法律に縛られない存在はとても便利だからです。警察や検察が捜査をするには、法律による制約があります。

 例えば、ゴードンは銀行への強制捜査をしたい、と令状の発布をデントに頼んでいました。このように、捜査の種類によっては、いちいち令状を用意しなくてはなりません。

 一方、バットマンなら、合法であろうが非合法であろうが、どんな手段でも取ることができます。

 バットマンが現役の今だって、ジョーカーに殺されたブライアンという一般市民のように、バットマンの真似をする自警市民が出ています。

 彼らは、バットマンのように超人的な力を持たないから、犯罪者を殺してしまいます。生け捕りにするまでの能力がないからです。

 フォックスやアルフレッドという優秀な理解者たちから情報を得られるバットマンと違って、犯罪者でない者を殺傷してしまうかもしれません。

 それに、"自警市民"を標榜し、自警行為を装いながら、その実、勢力拡大のために、犯罪組織の仲間を殺す内部抗争が起きたら、どう収拾をつけるのでしょう?

 それは犯罪者を殺すという意味で自警行為かもしれませんが、一方では内部抗争のために人を殺すという犯罪行為でもあります。

 バットマンのような法を越えた存在は逆に治安を乱す要因になってしまうかもしれません。 

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★ゴッサム・シティは平和になるか、地獄になるか

 バットマンという存在は終わりのない議論を提起します。
 そして、彼を必要とする議論にも、不要とする議論にも一理あるといえるでしょう。

 しかし、いずれの立場を取るとしても、共通して理解し、議論の土台とすべきなのは、彼の持つ力の使い方によってはゴッサム・シティは平和にもなるし、地獄にもなるということ。

 それをひとりの手に委ねていることの危険性を認識しておかねばなりません。
 
 力で悪を抑え込むことの限界がここにあります。

 悪をどう抑え込むかではなく、なぜ、バットマンがいるにもかかわらず、悪が根絶されないのかをも、併せて考える必要があるのではないでしょうか。

 根本的に悪がのさばる原因を考えなくては、バットマンVS.悪のパワーゲームが始まります。

 バットマンに恐れをなして、悪人どもが犯罪をやめればいいのですが、現実はそうはなりません。彼らはバットマンをあの手この手で出し抜き、隙あらばバットマンをこの世から消し去ろうとするでしょう。

 そうなれば、バットマンと犯罪者の対立がエスカレートし、死人が増えるだけ。

 ゴッサムシティにはバットマンが必要だとしても、永遠にバットマンを必要とするゴッサム・シティでいるつもりでしょうか?

 ゴッサムシティに平和をもたらすことはバットマンだけではできません。

 バットマンの力は悪を消滅させる方に働きますが、悪の力を平和を構築する力に転換することはできません。

 平和をもたらすのは、悪事を働く人間に対する救いの手。
 悪事を働かなくても、暮らしていけるように、救いの手を差し伸べることができるかは、ゴッサム・シティの市民を始めとする市全体の姿勢が問われています。

ダークナイト


★揺るぎない真理

 バットマンが長きにわたって愛されるのは、その根底にある論理や世界観に感じるところが多いからです。だから、何年たっても古臭いストーリーになることはありません。

 人間というものは本質的には変わらないものであるということ。

 それは必ずしも嘆くべきことではありませんが、それを知って放置しておくことにもためらいを感じていいでしょう。

 バットマンがかざした力の論理。彼が苦悩しつつも、そのやり方を変えなかったこと。その論理から現代に生きる者たちは何を感じ取っていくべきなのでしょうか。
  
 その答えは人それぞれに見つけるものです。
 以下では、その一例として、対テロ戦争を取り上げました。これで、「ダークナイト」の『解説とレビュー』のまとめとしたいと思います。
 
ダークナイト 夜.jpg


★バットマン = アメリカ

 「力で悪を抑え込む」。
 
 バットマンVS.悪の構図は、今、世界中で展開されているアメリカVS.テロの戦い。

 パワーゲームの始まりです。
 アメリカはアフガニスタンのタリバンを叩きのめし、イラクのフセイン政権を倒すことで、テロ組織がアメリカを恐れてに手を出さなくなると考えていました。
 こうすれば、9.11の悲劇の二の舞は防げると考えたのです。

 しかし、アフガニスタンやイラクではアメリカ軍の兵士は毎日血を流し続けています。
 テキサスの米軍基地ではイスラム原理主義に共鳴した少佐による乱射事件が起きました。
 
 はたして、アメリカはその巨大な軍事力をもって、力ずくでテロ組織を壊滅させることができるのでしょうか。

 もちろん、アメリカがテロ組織によって疲弊させられているさまを、ただ冷笑的に見ていればいいという話ではありません。

 テロ組織が厳然として世界に存在するのは事実です。そのテロ組織に対峙するため、軍事力は必要でしょう。アメリカが戦争をしなければ世界は平和になる、というような平和論には与することはできません。

 それに、アメリカがアフガニスタンのタリバン政権やイラクのフセイン政権を倒したことにより、自由を享受し、抑圧的な政策から解放された現地の人々がいたことは事実です。

ダークナイト


 しかし、アメリカの軍事行動が独善的だと非難しつつ、その軍事行動を待たなければ、アフガニスタンやイラクの状況を動かすことができなかったのは事実ではないでしょうか。

 戦争とバットマンのもたらす結果は同じ。
 バットマンと同じく、戦争は相手を消滅させるだけ。そこから平和を作り出すことはできません。

 バットマンだけではゴッサム・シティに平和をもたらすことはできないように、アメリカの戦争だけではイラクやアフガニスタンに明日への力をもたらすことはできません。

 なぜ、テロが起きるのか。
 どういう事象がテロに力を与えているのか。

 テロとの戦いは軍事力だけではありません。

 世界はアメリカを非難しつつ、アメリカの圧倒的なパワーを永遠に必要とするつもりなのでしょうか。
 ゴッサム・シティがバットマンを非難しつつ、バットマンの圧倒的な力を必要としているように。

ダークナイト

Presented by WARNER BROS. PICTURES.


長々とありがとうございました。
ダークナイトは本当に奥の深い映画だと思います。
さまざまなご感想があるかと思いますが、その一つとしてご参考にしていただければ幸いです。

明日は、再びクリスチャン・ベール主演の映画。「マシニスト」をアップしていきます。よろしくお付き合いください。

「ダークナイト【あらすじ】」はこちら。最初から結末まで文章で「ダークナイト」を再現しています。
「ダークナイト【ジョーカー研究】」はこちら
「ダークナイト【トゥーフェイス研究】」はこちら
「ダークナイト【バットマン研究】」はこちら
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