※レビュー部分はネタバレあり
トム・クルーズ主演、スピルバーグ監督によるSFサスペンス「マイノリティ・リポート」。
舞台は殺人予知が可能になった未来。しかし、"殺人のない社会"の影には深い闇が潜んでいた。
そのカギを握るのは"マイノリティ・リポート"と呼ばれる報告書。
明かされないはずだった秘密が白日の下にさらされたとき、犯罪予知システムの真実が明らかになる。
『解説とレビュー』ではストーリーの解説、マイノリティリポートの2つのメッセージについて書いていきます。



2054年、ワシントンDC。
犯罪を予知できるシステムのおかげで、今の世界には殺人事件が存在しない。近未来の犯行を事前に予知し、殺人を犯すと予知された人間を逮捕・即収監してしまうのが犯罪捜査となっていたのだ。
ジョン・アンダートン(トム・クルーズ)は犯罪予防局・予知犯罪取締り部門のチーフだった。
予知された殺人事件の加害者の名前と被害者の名前は木のボールに刻まれて、設置された器械から出てくることになっている。その名前と、被害者が殺害される場面を予知した部分的なイメージ映像を元に居場所を割り出し、そこに急行するのがジョンの仕事だ。
しかし、ある日、予知されたのは自分の名前。
ジョンが、殺人事件の加害者として、未来に人を殺すことが予知されてしまったのだ。ジョンの立場は一転、追う方から追われる者へ。
なぜ、自分の名前が予知されたのか。
ジョンは殺人が起きるとされた時刻までに真相にたどり着くことを決意する。しかし、それはジョンの知るはずのなかった犯罪予知システムの暗い事実まで暴くこととなるのだった。
【映画データ】
マイノリティ・リポート
2002年・アメリカ
監督 スティーブン・スピルバーグ
出演 トム・ハンクス,リン・ファレル,サマンサ・モートン,マックス・フォン・シドー

映画:マイノリティ・リポート 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり
★犯罪予防システムの仕組み
犯罪予知システムは機械ではありません。
プリコグと呼ばれる3人の予知能力を持つ人間の予知夢を総合して、殺人の被害者と加害者の氏名が特定されます。
つまり、彼らの見る予知夢はそれらをモニターする技師により統合・再構成され、一つの犯罪情報になります。そして、そこから加害者と被害者の氏名を割り出し、特定された被害者と加害者の氏名は木製のボールに刻印されて出てくる、という仕組み。
犯罪予防局・予知犯罪取締り部門では氏名と予知された犯行状況から、殺人の起きる現場を割り出して事前に犯人を逮捕します。
なお、裁判はなしで、即収容所行き。しかも、半永久的に収監されるうえ、収監中はカプセルに入れられ、仮眠状態になって意識は失われます。

★ストーリーと結末
ジョンは逃げることになるわけですが、なぜ、自分の名前が出たのかを知るために、まず、システム開発者の女性に話を聞きに行きました。
開発者のアイリス・ハイネマン博士は園芸家でもあります。しかし、普通の植物を育てるわけではありません。遺伝子操作をした植物を育てることが研究の対象なのです。
ハイネマン博士はジョンに"マイノリティ・リポート"の存在を告げ、その"マイノリティ・リポート"はプリコグの女性の頭の中にあるといいます。
「マイノリティ・リポート」とは何でしょうか。システムの構造を思い返してください。
犯罪予知システムのもたらす犯罪情報は3人のプリコグの予知夢を総合しています。そこでは、3人の予知夢は一致することが原則ですが、まれに、3人の予知夢が一致しないことがあります。
すると、一致しない予知夢のうち、少数派の予知夢はマイノリティ・リポート(少数意見)として却下され、残り2者の予知夢から犯罪情報が構成されて、予知犯罪取締り部門に送られます。
そして、マイノリティ・リポートを出したと思われるプリコグは"アガサ"の可能性が高い、とハイネマン博士はジョンに告げました。ジョンはアガサを犯罪予防局から連れ出し、アガサの脳にハッキングして彼女からマイノリティ・リポートを取り出そうとします。
ところが、出て来たのはやはり、ジョンが人を殺すという未来。

ジョンは、自分が殺すとされる被害者の住所を訪れることにします。その男はなんと、ジョンの一人息子を殺した犯人の可能性が高いことが判明。
ジョンは男の部屋にあった息子の写真を手掛かりにその男を問い詰め、激昂して銃の引き金に手をかけるものの、最後で踏みとどまり、銃を降ろしました。
さらに、殺そうとしたその男は最終的には犯人でないことが分かります。彼は家族に金が支払われるのと引換えにジョンに殺されることを引き受けたのだ、とジョンに告白したのでした。
「殺してほしい」と頼む男ともみ合いになったジョン。結局銃が暴発して男は死に、誰が買収者かをつかむ大事な手掛かりを失ってしまいます。
ジョンはアガサとともに、息子を失って以来、別居していた妻ララの元を訪れました。
ララは犯罪予防局局長のラマー・バージェスが助けてくれると思い、彼に連絡します。しかし、犯罪予防局がララの家を急襲し、ジョンは逮捕されてしまいました。
システム導入当時におきたアン・ライブリー殺人未遂事件。
アンの娘がプリコグになったアガサです。アンはドラッグ依存症で娘アガサを手放したのでした。
母の死を巡って、アガサは夢を見ることがあり、それをジョンに"Can you see?"(あれが分かる?)と何度も訴えてもいました。
ジョンは以前にアン・ライブリーの殺人者としてカプセルに収監されている男の元に行き、逮捕時の予知夢の状況を調査していました。
しかし、出てきたのはアガサ以外の2人のプリコグの予知夢だけ。

アガサの分のデータは欠落していました。
さらに、被害者アン・ライブリーの情報もありませんでした。
情報は消されていました。しかし、情報は消されても、その情報元であるアガサの記憶は消せません。
アガサはついにアン・ライブリーの記憶をモニターに映し出すことに成功します。その情報はモニター技師からすぐに予知犯罪取締り部門のかつてのジョンの部下に伝達されました。
ジョンは収監先から妻のララに助け出され、ララを通じて犯罪予防局のかつての部下に電話をかけます。そして、部下から転送させたアガサの記憶をパーティー会場に転送させ、真実を暴きました。
アガサの記憶には犯罪予防局局長ラマーがアンを溺死させる場面が映っていました。
そう、アン・ライブリーはラマー・バージェスに殺されていたのです。
犯罪を暴かれたラマーはジョンに対する殺意を募らせました。すると、予知犯罪取締り部門にはラマ―・バージェスを加害者、ジョン・アンダートンを被害者とする木のボールが出てきます。
プリコグはジョンがラマーに間もなく殺されると予知したのです。

ジョンとラマーの対決。
ジョンはラマーに自分を殺して見ろ、と迫ります。
ラマーはシステムの正確性を世に宣伝してきたはず。ここでラマーがジョンを殺さないと、「ラマーが殺人を犯す」という予知は間違っていたことになり、犯罪予知システムに対する信頼性は崩れるぞ、とジョンはラマーを脅しました。
一方で、ジョンはこうもいいます。ジョンが殺人を予知されても、思いとどまって殺さなかったように、自分の意思で未来は変えられる、と。
果たして、ラマー・バージェスは自殺の道を選びました。
その後、犯罪予知システムは廃止されました。、ジョンはララと再び、共に暮らすことになります。ララは妊娠していました。
一人息子を失って以来、疎遠になっていた2人ですが、生まれてくる子供と再び、新しい生活を築くことになりました。
そして、アガサをはじめとした3人のプリコグたちはシステムから解放され、湖畔で平穏な生活を送っています。

★犯罪予防局長ラマー・バージェスはなぜ、アンを殺したのか
ラマーはなぜ、アンを殺したのでしょうか?
そこには、密接に関連する2つの理由があります。
理由1: 犯罪予知システムを維持するため
ドラッグ依存症から立ち直ったアンはアガサと一緒に暮らしたいと思うようになります。
そこでアンは、ラマーに娘アガサを自分の元に返すように求めます。
しかし、アガサは犯罪予知システムの命綱でした。
プリコグのなかでも、最も優秀なアガサはどうしても犯罪予知システムに必要な存在だったのです。
アガサを外せば、犯罪予防システムの機能がダウンする恐れがある。
そこで、ラマーはアンを殺すという決断をします。

理由2: 犯罪予防局長の地位を維持するため
アンがアガサを返すように要求してきたころ、議会では、犯罪予知システムの信頼性は揺るがないことを前提に、犯罪予防法の可決の是非が争われているところでした。
このシステムを現在管轄するのは犯罪予防局。つまり、システムはラマーの管轄下にあり、ラマーが取り仕切っていました。
ですが、この犯罪予知システムを巡っては司法省が自らの管轄下に置くことを熱望しており、司法省と犯罪予防局で熾烈な権力闘争が行われていたのです。
最近、特に、司法省との駆け引きは激化しており、司法省の役人であるダニー・ウィットワーが足しげく犯罪予知システムの視察にやってきていました。
司法省が犯罪予防局を攻める武器になるのは「人権問題」です。
犯人を犯罪行為に及ぶ前、犯罪の結果が発生する前に犯罪者として逮捕する今の犯罪予知システムには、人権面で大きな問題要素をはらんでいるからです。
仮に、システムの欠陥が見つかれば、無実の人を犯してもいない犯罪で収監している可能性が出てきます。
そうなれば大問題になり、犯罪予防局には監督官庁が必要だということになるでしょう。そうしたら、司法省は犯罪予防局を下部組織としてその傘下に組み込むことができます。

ラマーの率いる犯罪予防局は、独立した捜査権限を失うどころか、犯罪予防局自体が廃止されるかもしれません。
局長として捜査権限を一手に握り、絶大な権力と名声を得ていたラマー・バージェスは司法省の介入を疎ましく思っていました。
何より、ラマー・バージェスは犯罪予知システムの欠陥の「恐れ」どころか、犯罪防止システムには欠陥が「ある」ことを知っていました。
その客観的な証拠が"マイノリティ・リポート"の存在。
マイノリティ・リポートがあるということは3人のプリコグの予知夢が一致しないことを示し、すなわち、犯罪の予知が100%の正確性を保てないことを明らかにしてしまいます。
だから彼はマイノリティ・リポートを犯罪記録から削除していました。アン・ライブリーの記録にアガサのマイノリティ・リポートがなかったのはそのためです。
もちろん、アンの事件のマイノリティ・リポートを隠滅した一番の理由は、そのマイノリティ・リポートにラマーがアンを殺す場面が映っているからということもあったのですが。

まとめ
ハッカーの男が経営するバーチャル・エンターテイメントを提供している遊び場に犯罪予防局が踏み込んだとき、客の一人の男が正装した人々に取り囲まれて、彼らから称賛を浴びる、というエンターテイメントプログラムを楽しんでいました。
これはラマー・バージェスの犯行動機である虚栄心を暗示するもの。
そして、ラスト、パーティー会場でラマーの殺人が暴かれるとき。
ラマーは彼の功績を賞賛する客たちに取り囲まれて得意の絶頂にいるところでした。遊び場にいた客の男の状況と全く同じ。
やはり、意識して遊び場のカットを入れられているのでしょう。
ラマーがアンを殺したのはアガサをシステム内に留め置き、犯罪予知システムを維持するため。
殺人まで犯して、犯罪予知システムを維持するのは自らの地位を保ち、名誉欲と権力欲を満たすためででした。

★なぜ、ラマーの殺人が犯罪予知システムに予知されなかったのか?
アン・ライブリーは犯罪予知システムの初期に"被害者"として救われた人物です。それなのに、ラマーに殺されていました。
なぜ、犯罪予知システムはラマーの殺人を見抜けなかったのでしょうか。そのからくりを説明しましょう。
アンに殺意を抱いたラマーはまず、ホームレスに殺人を依頼し、湖の湖畔で彼女を襲わせます。そこに犯罪を予知した犯罪予防局の捜査官たちが現れてアン・ライブリーを助けます。
アン・ライブリーはホームレスの襲撃者からは逃れましたが、助けに来た捜査官の中にラマー・バージェスがいました。
ホームレスと同じ服装をした彼はアンを湖に沈めて溺死させます。
さて、プリコグたちは犯罪を予知しますが、その際に、何度も殺人事件の経過を反復して経験します。
プリコグたちの予知夢はモニター技師によって重複部分を削除されて一つの情報として犯罪予防局に伝達されていました。
アンの事件に関して、プリコグたちはホームレスによる殺人及び、ホームレスの格好をしたラマーによる殺人の2つのイメージを見ていました。
しかし、2件とも被害者がアンという同一人であり、殺害場所も湖畔で同じ。しかも、ホームレスの男とラマーはまったく同じ服装だったため、殺人者が2人いるとは思われず、モニター技師は同一人によるアン殺害事件と認識してしまいました。
技師は"重複する"と考えた予知夢部分を削除して、犯罪予防局に情報を伝達します。
結果、ホームレスの男1人によるアンの殺人が予知されるのみ、となったのです。ここで、削除がされていなければ、ラマーの名前も加害者として木のボールに刻印されていたでしょう。

★ジョンの"マイノリティ・リポート"は隠滅されたのか
ジョン・アンダートンは自らが殺人を犯すことを予知されていました。
この予知はウソだったのでしょうか。
それとも、マイノリティ・リポートは存在していたけれども、隠滅されてしまったのでしょうか。
結論から言うと、ジョンは本当に殺人を犯す予定でした。息子を殺されたことを動機とする衝動殺人です。
ジョンの未来に関してはマイノリティ・リポートは存在しなかったのです。ジョンの殺人はプリコグの3人一致の予知夢でした。
ジョンはラマーに殺人を犯すように、仕組まれていたことは事実です。
ラマーはジョンの息子の誘拐犯を仕立て上げ、ジョンがその男が誘拐犯だと思い込むように男の部屋に息子の写真をばらまき、ジョンがその男を殺してしまいかねない状態においた。
しかし、ラマーはあくまで、ジョンが殺人を犯してもおかしくない、という状況を作り上げただけです。ジョンのマイノリティ・リポートを隠滅したりはしていません。

それはアガサの脳に直接ハッキングしても、ジョンが殺人を犯すという予知夢しか出てこなかったことからも明らかです。
仮にアガサがマイノリティ・リポートを出しているなら、出されたマイノリティ・リポートはいわばアガサの脳内イメージの写しです。その写しはラマーに廃棄される可能性はあるでしょう。
しかし、彼女の脳にはいわばマイノリティ・リポートの原本が残っています。これを消去することはできません。
アガサの脳にハッキングしてもマイノリティ・リポートが出てこないということは、最初からそれがなかったということです。
さらに、アガサは必死に被害者の元に向かうジョンを止めようとしました。アガサがマイノリティ・リポートを出しているなら、ジョンが殺人を犯してしまうから止めなくてはならない、とは思わなかったでしょう。
彼女も、ジョンが殺人を犯す予知夢を見ていたからこそ、全力でジョンを止めようとしたのです。
従って、ジョンが殺人を思いとどまったのは自分の意思の力です。決して、マイノリティ・リポートの予知夢通り、というわけではありません。
結末でもジョンはラマーに、「自分の意思の力で未来は変えることもできる」、と語っています。
これはジョン自身が殺人を思いとどまり、自分の未来を変えたから。
"未来は変えられる"、これは映画「マイノリティ・リポート」のメッセージでもあります。

★「マイノリティ・リポート」のもう1つのメッセージ
"未来は変えられる"、いい言葉ですが、これだけではありません。「マイノリティ・リポート」の提起するのは犯罪予防という考え方の是非。
現代において犯罪を処罰するには、原則として「結果の発生」が必要条件です。結果の発生がなければ、原則としては処罰の対象にはなりません。
殺人未遂や強盗未遂などの未遂犯は結果発生の危険を生じさせたという点を処罰するので、あくまで例外的な処罰のかたちなのです。
そう考えると、付きまとい行為、いわゆるストーカーの処罰が難しいこともよく分かります。
ストーカーが特定の人をつけ回し、待ち伏せをするなど、その人が「殺されるかもしれない」と恐怖感を抱いたとしても、実際には何も結果が起きていません。
つけ回し・待ち伏せ行為は「結果の発生」がなく、刑法上の犯罪には当たらないので、処罰できないのです。
(そこでストーカー規制法による処罰規定がもうけられました。逆にいえば、「結果の発生」のない行為は特別に法律がないと処罰できない、例外的な犯罪類型ということです。)
要するに、犯罪処罰には結果発生がなくてはならない、それが現在の処罰原則です。
これを大幅に改変するのがマイノリティ・リポートの世界。
この未来においては殺人は計画しただけで処罰されます。しかも、殺人未遂ではなく殺人罪で処罰されるのです。

★マイノリティ・リポートの世界の思考方法

「1, 人を殺す意思決定」→「2, 殺人実行」→「3, 殺人の結果発生」のうち、2,3,の行為を罰するのが現在の法制度。(1,の段階の処罰は相当限定される)
マイノリティ・リポートの世界では例外なく「1, 人を殺す意思決定」の段階で処罰されます。
人を殺そうと決めてから殺人に至るまで(1→2の間)をさらに分析的に見てみましょう。

「1, 殺人の動機となる何かが起きる」→「2, 殺意を抱く」→「3, 凶器を準備する」→「4, 殺人を実行する」、この流れです。
現行の犯罪処罰では「1, 殺人の動機となる何かが起きる」→「2, 殺意を抱く」の段階での処罰はほぼありえません。
「3, 凶器を準備する」の段階に至ればどうにかグレーゾーンです。3,の段階でも凶器の準備だけでは殺人未遂すら成立しません。せいぜい、殺人予備罪になるかならないか程度です。
マイノリティ・リポートの世界では殺人が起きる前の段階から殺人予知をすることができます。つまり、「1, 殺人の動機となる何かが起きる」の段階で処罰してしまうことができます。

これをどう思われますか?
殺人が起きていないとしても、近い将来確実に人を殺すような奴ならば、収容所に入れられてしまっても構わない、と考えることも十分に可能です。
ジョンのことを思い出してみてください。
彼はとても殺人を犯すような人間ではありませんし、本人も殺人をしようなどとは考えていません。
しかし、現実に殺人を犯すという未来が予知されていて、実際にもジョンは人を殺しかけました。
彼は土壇場で思いとどまりましたが、人間全員が彼のように思いとどまれるとはとても思えません。
ならば、本人に殺人をする意思がたった今はないとしても、将来の殺人が予知された時点で殺人犯として捕まえないと、人間の命が危険にさらされることになるでしょう。
本人に殺人をする意思が芽生えているのならば、なおさら危険が高まります。
殺人をする自由があるとは思えません。
また、殺人が起きてしまった場合、被害者の遺族や、何より殺された本人に対しては言葉もありません。
それでも、現代社会において、殺意を心に抱くだけでは絶対に処罰されません。その限りでは、自由ということです。

なぜ、自由とされているのでしょうか。
それは、犯罪として罰を与える対象を出来るだけせまくし絞るため。
処罰するということは、その人の人生を奪うことになるため、結果が生じない段階での処罰には慎重でいましょうということになっているのです。
それよりも、もっとも重要なことは人間は「変化する」、ということです。
仮に、人間の意思や未来が固定されているなら、間違いなく、殺人の意思を持った段階でさっさと拘束しておくことが一番、世のため、人のためになります。
現在、殺意を持つのみでは処罰対象にならないのは人間の可変の可能性に期待をかけているものであると考えることができるのです。
マイノリティ・リポートの世界ではこの人間の可変可能性が全く無視されています。"人間は変わらないもの"、ということが前提になって結論が導かれています。
そして、人間の意思が変わらないとするならば、人間は想定通りに行動するので、導かれる結果も変動することはありません。
発生する「殺人という結果」が固定されるならば、殺意の発生を待つ必要はなくなります。それ以前に犯人を確保してしまうことが、より合理的ですし、被害者保護になるでしょう。
こういう論理構造をたどって、殺人なんて考えてもいない時点での逮捕も可能になったのがマイノリティ・リポートの世界です。

★マイノリティ・リポートから犯罪予防を考える
犯罪結果の発生を前提にして、人の意思を推定し、その自由を拘束する。「マイノリティ・リポート」の犯罪予知の論理構造は、現在の犯罪予防の考え方と同じです。
犯罪予防の見地から処罰をする場合、処罰対象は犯罪結果発生の「危険性」です。発生した具体的な「結果」ではありません。
となると、危険性の有無や危険性の程度が処罰対象になる程度に高まっているか、価値判断を迫られることになります。
あまりにも早い処罰は確かにその人の自由を著しく拘束することは事実ですが、それで犯罪の発生が防げるならば、必要な犠牲であるのかもしれません。
この見解を押し進めれば、マイノリティ・リポートのように最速の段階での処罰が可能になります。
しかし、「危険性」という概念は曖昧です。
どの時点で処罰するべきなのか。どういう行為を犯罪として処罰すべきなのか。
犯罪を予防するために処罰する、ということは結果発生が起きる前に処罰する、ということであるのを忘れてはなりません。
犯罪予防と言う見地から考えたとき、犯罪と犯罪ではない行為の境界線は実に曖昧になってくるのです。犯罪防止を考えるにあたって、どうしても抜けられないジレンマがマイノリティ・リポートには描かれています。

★放棄された"殺人ゼロ"の社会
先に挙げた、ストーカーの問題。
ストーカー行為がエスカレートした結果、凄惨な殺人事件が何件も起き、それを防げなかった警察に非難が集中しました。「何もしてくれなかった」、「被害者から被害相談を受けていたのに」、と。
殺人が起きるまで警察が対処できなかった裏には一体何があるのかについて冷静な検討が必要です。
現在の法制度の元において、犯罪と犯罪ではない行為のグレーゾーンがあるということ、そして、犯罪予防に名を借りたそのグレーゾーンの安易な拡大の裏で失う危険のあるものについて、十分に比較し、冷静な検討の元に犯罪予防の仕組みを考えていかなくてはなりません。
「マイノリティ・リポート」でも再三繰り返されていましたが、どんなに優秀な犯罪予知システムだったとしても管理・運用するのは人間です。
ミスや改ざんが加わって、システムの運用を阻害することがないとは言えないでしょう。
現に"マイノリティ・リポート"は局長によって廃棄されていただけではありません。
開発者のアイリス・ハイネマン博士らによっても、犯罪予知システムの完全性を宣伝するため、"マイノリティ・リポート"の存在は機密情報として秘匿されていました。

絶対的に正しい犯罪予防対策というのはありません。
現段階でベストの犯罪予防法制度を作り上げたとしても、その法制度の運用に当たるのは人間です。
社会の一員として、犯罪予防としての、新しい犯罪類型の創設と運用について、その暗部にも目を向ける必要があります。
マイノリティ・リポートの未来社会では、犯罪予知システムを廃止しました。すなわち、"殺人ゼロの社会"を放棄したのです。
犯罪が起きるリスクと、結果的に殺人を思いとどまった者や、誤った予知がされた潔白な者を逮捕・収監してしまう可能性のリスクを秤にかけた結果、彼らは犯罪が発生したとしても、潔白の者を犯罪者にはしないという選択をしました。
犯罪予防のため、結果の発生前に逮捕ができるという法律を作るということは、重大な結果の発生が減少するというメリットばかりではありません。
犯罪の危険に怯えなくてもいいという犯罪からの自由が、逆に不自由を生む危険のあること、"早すぎる逮捕"を招く可能性のあること。
それを、マイノリティ・リポートの犯罪予知システムは示唆しているのです。
