※レビュー部分はネタバレあり
泣ける映画という言い方は好きではないけれど、このナイロビの蜂は間違いなく泣ける映画に入る。
それは確かなのですが、ジャスティンとテッサの錯綜した愛情関係は映画的演出のせいもあってか、2人の関係について誤解が生じやすい映画でもあるような気がします。
そこで、ナイロビの蜂の解説とレビューでは、2人の愛に焦点を当てて解説していきます。
『ナイロビの蜂』の舞台はケニア。その灼熱の大地ナイロビで、妻のテッサは死んだ。
彼女はなぜ、死なねばならなかったのか。
命をかけて妻の死の謎を追った外交官ジャスティンがみたテッサの愛の軌跡。
ケニアにイギリス高等弁務官として赴任したジャスティン。
妻のテッサも彼に同行していた。物静かで落ち着いているジャスティンと意思の強い勝気なテッサは対照的な性格だった。
テッサはナイロビでも毎日のようにケニア人医師のアーノルドと共に現地を歩きまわり、ナイロビの人々の支援活動に熱を上げていた。
ジャスティンは彼女の活動を見守っていたが、支援活動の仕事に忙しいテッサとの生活には微妙なずれを感じ始めていたのは否定できない事実だった。
そんなある日、テッサが事故死したとの一報が入る。トゥルカナ湖での自動車事故だというのだ。
ジャスティンは直後に自宅を訪れた警察がテッサのパソコンや書類一式を全て押収していったということを知る。
それにを知った彼は、生前の彼女の行動から、彼女に何か秘密があったのではないか、と思い始めた。
テッサの秘密は何だったのか。そこにはジャスティンの思いもよらぬ陰謀がうごめいていた。
今、そこにあるアフリカの危機を、文学的に映画に織り込んだナイロビの蜂は公開当時、高い評価を受けた。
それは、俳優陣も同様。
イギリス高等弁務官ジャスティンに扮するレイフ・ファインズの感情を抑えた演技は秀逸。
控えめだが、滲み出る決意が観客に伝わってくる。
そして、妻テッサを演じるレイチェル・ワイズの優しさと強さ。
その透明感溢れる笑顔とともに、爽やかな風をに心に残してくれる。
テッサを演じたレイチェル・コリンズはアカデミー賞助演女優賞を受賞した。
これは、外国映画が助演女優賞を取るという初の快挙である。
【映画データ】
ナイロビの蜂
2004年・イギリス
アカデミー賞助演女優賞受賞
監督 フェルナンド・メイレレス
出演 レイフ・ファインズ、レイチェル・コリンズ
映画:ナイロビの蜂 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり
テッサの最期の地である美しい湖、トゥルカナ湖。
塩が吹いたように白く乾いてひび割れた、赤茶けた大地と、絵の具を流したような緑青の浅瀬。
死を待つジャスティンに照りつける灼熱の太陽。
心を震わせるラストに畳みかけるように響く印象的な旋律。
心に焼きつけられる切なくも美しい情景です。
テッサは謀殺され、ジャスティンは自ら殺される途を選ぶという悲惨なラストである一方で、製薬会社スリービーズ社の巨大な不正が告発される結果になりました。
テッサとジャスティンが命をかけた真実の追求はそれすなわち、2人の愛の軌跡でもあります。
彼らの愛がどのようなものであったのか、2人の心の旅路に少し近づいてみましょう。
★テッサ
秘密の大きさとその重さに疲れ果て、押しつぶされそうになっていたテッサ。
いらいらして、ときにジャスティンに当たってしまうこともあるほど。
それでも、口を閉ざした理由はジャスティンを守りたいから。
あまりに奥の深い陰謀、イギリス政府高官にまで浸透する不正の闇。
これをジャスティンに告げることは、イギリスという国家に対する告発をする重責を彼に背負わせることになる。
ジャスティンが真実を知れば、彼の命が危ないかもしれない。
夫のジャスティンは園芸が趣味の温厚で優しい性格。
何も疑うことなく今の職務に忠実に生きて来た人です。
そんな人にいきなりこのような重りを背負わせることは絶対にできない、とテッサは考えていました。
「君を守るよ」と言うジャスティンに「私もあなたを守るわ」と応えるテッサ。
テッサは自分の意見を持ち、自分で考えて行動する女性でした。
結婚しても仕事にかける情熱は変わりません。
むしろ、ジャスティンという心の支えを得て、アフリカの救済にかける気持ちは以前より強くなっていました。
彼を想う気持ちは言葉にできないほどのもの。
その強い愛情ゆえ、テッサはジャスティンに、スリービーズ社を中心にした大きすぎる陰謀をついに告げられませんでした。。
テッサを演じたレイチェル・コリンズは映画中でマタニティー・ヌードを披露していますが、実際に妊娠中でした。レクイエム・フォー・ドリームの監督,ダーレン・アロノフスキーとの子供です.写真は別の女性です.
★ジャスティン
ジャスティンはテッサの秘密に気が付いていました。
彼女の死で目が覚める思いをしたのはジャスティンです。
自分が知らなかった恐るべき真実。
もっとテッサと向き合うべきだった、そう彼は思ったでしょう。
ジャスティンがテッサの残した仕事に命をかけたのはテッサへの愛、そして強い後悔の念からでした。
明らかになる闇。
そして知ることになるテッサの深い愛。
こんなにも近くにいたのに。ジャスティンの気持ちは如何ばかりでしょうか。
テッサはジャスティンのためにスリービーズ社の不正を知らせませんでした。堅く口を閉ざしたまま死んでいきました。
そうだとしても、あまりに無知だった自分。そして知ろうとしなかった自分。
自分に責任がある、近くにあった現実を見ようとしなかった自分に。
ジャスティンはテッサの仕事を引き継ぐことを決意します。
テッサの仕事をやり遂げるのは彼女の心を知るため。
テッサが不正を追及したのは正義のため。ジャスティンの場合は、テッサのため。
それは、いつしか見失っていた彼女の心の軌跡をたどる、テッサへの贖罪の旅路でした。
ジャスティンはスリービーズ社を追ううちに次第にテッサが現地の人々に抱いた気持ちを共有するようになっていきます。
それを象徴するシーン。
テッサの生前、路傍を歩く子供を抱いた少女を家まで送ってほしい、というテッサの頼みをジャスティンは拒みました。
しかし、今度はジャスティンが、一人でも多くを救おうと飛行機に無理に現地の子供を乗せようとします。
彼はかつてのテッサになっていました。
ジャスティンがたどり着いたのはテッサのいた「場所」。
ジャスティンは、テッサが調査のために赴いたナイロビの各地に行きました。その長い旅路の果て、ジャスティンがたどり着いたのはテッサの心のありか。
それは彼の心がテッサの心に重なった瞬間でした。
ジャスティンは穏やかな性格で、大きな感情の変化を見せることはありません。でもその一見、平静であるがゆえに伝わってくるテッサへの深い愛と強い決意。
そして、最後の選択のときがやってきます。
ジャスティンはこの世でやるべきことをやり終えたと思ったのかもしれません。
テッサの心を探り当てることのできた今、天国でなら再びテッサと一緒になれる。最後にトゥルカナ湖に向かったのは彼なりの選択でした。
★観客
この映画を観る人は、テッサの残した手がかりを追うジャスティンが、スリービーズ社をはじめとする陰謀を暴いていく過程を彼とともに経験します。
ジャスティンはテッサが調べ上げていたことを何も知りませんでした。幾度か彼女を問い詰めたことはあったとしても、深く調べることはありませんでした。
仮に、テッサの死後にしたようなことをテッサの生前にしていたら、少なくともぼんやりとしたスリービーズ社の陰謀の輪郭くらいは知りえたはず。
そうしていたら、テッサの命を救えたかもしれない。そう思って彼は後悔したはずです。
これは映画を観る側も同じ。
無知や無関心は陰謀に手を貸すのと同じです。
少し興味を持てば知れる現実を知らないこと、それは知らず知らずのうちに不正に手を貸すことになります。
本作の邦題は『ナイロビの蜂』。
蜂の一刺しは、場合によっては刺された者を死に至らしめてしまうこともあるほど強烈です。
けれでも、刺した蜂は針が体から抜けてその後に死んでしまう。
その蜂のごとく、テッサは命を投げ出してスリービーズ社の不正を告発しようとしました。
しかし、テッサが死んでも疑惑の針は抜けません。ついにジャスティンによって陰謀は暴かれました。
知のアンテナはいつも高く揚げておく、ということ。
多くの人が関心を持つようになればなるほど、問題は明らかになりやすく、不正は隠しにくく、それを解決しようとする力も強く働くようになります。
アジア・アフリカの発展途上国が抱える問題は、映画で取り上げられた貧困・エイズ・民族紛争のほかにも人身売買・売春・難民・環境破壊など多岐に渡ります。
地球は一つ。
アジア・アフリカの問題は先進国にも影響を与えるのです。
常に「知る」そして、できるならば「行動する」。その気持ちを持ちたいものですね。
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