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映画レビュー集> 『な行』の映画

ナイロビの蜂

映画:ナイロビの蜂 あらすじ
※レビュー部分はネタバレあり
 
 泣ける映画という言い方は好きではないけれど、このナイロビの蜂は間違いなく泣ける映画に入る。

 それは確かなのですが、ジャスティンとテッサの錯綜した愛情関係は映画的演出のせいもあってか、2人の関係について誤解が生じやすい映画でもあるような気がします。
 そこで、ナイロビの蜂の解説とレビューでは、2人の愛に焦点を当てて解説していきます。

ナイロビの蜂


 『ナイロビの蜂』の舞台はケニア。その灼熱の大地ナイロビで、妻のテッサは死んだ。

 彼女はなぜ、死なねばならなかったのか。
 命をかけて妻の死の謎を追った外交官ジャスティンがみたテッサの愛の軌跡。

 ケニアにイギリス高等弁務官として赴任したジャスティン。
 妻のテッサも彼に同行していた。物静かで落ち着いているジャスティンと意思の強い勝気なテッサは対照的な性格だった。

 テッサはナイロビでも毎日のようにケニア人医師のアーノルドと共に現地を歩きまわり、ナイロビの人々の支援活動に熱を上げていた。
 ジャスティンは彼女の活動を見守っていたが、支援活動の仕事に忙しいテッサとの生活には微妙なずれを感じ始めていたのは否定できない事実だった。
 
 そんなある日、テッサが事故死したとの一報が入る。トゥルカナ湖での自動車事故だというのだ。

 ジャスティンは直後に自宅を訪れた警察がテッサのパソコンや書類一式を全て押収していったということを知る。
 それにを知った彼は、生前の彼女の行動から、彼女に何か秘密があったのではないか、と思い始めた。

 テッサの秘密は何だったのか。そこにはジャスティンの思いもよらぬ陰謀がうごめいていた。

ナイロビの蜂


 今、そこにあるアフリカの危機を、文学的に映画に織り込んだナイロビの蜂は公開当時、高い評価を受けた。

 それは、俳優陣も同様。
 イギリス高等弁務官ジャスティンに扮するレイフ・ファインズの感情を抑えた演技は秀逸。
 控えめだが、滲み出る決意が観客に伝わってくる。

 そして、妻テッサを演じるレイチェル・ワイズの優しさと強さ。
 その透明感溢れる笑顔とともに、爽やかな風をに心に残してくれる。

 テッサを演じたレイチェル・コリンズはアカデミー賞助演女優賞を受賞した。
 これは、外国映画が助演女優賞を取るという初の快挙である。



【映画データ】
ナイロビの蜂
2004年・イギリス  

アカデミー賞助演女優賞受賞

監督 フェルナンド・メイレレス
出演 レイフ・ファインズ、レイチェル・コリンズ


 
ナイロビの蜂


映画:ナイロビの蜂 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり

 テッサの最期の地である美しい湖、トゥルカナ湖。

 塩が吹いたように白く乾いてひび割れた、赤茶けた大地と、絵の具を流したような緑青の浅瀬。
 死を待つジャスティンに照りつける灼熱の太陽。
 心を震わせるラストに畳みかけるように響く印象的な旋律。

 心に焼きつけられる切なくも美しい情景です。

 テッサは謀殺され、ジャスティンは自ら殺される途を選ぶという悲惨なラストである一方で、製薬会社スリービーズ社の巨大な不正が告発される結果になりました。

 テッサとジャスティンが命をかけた真実の追求はそれすなわち、2人の愛の軌跡でもあります。
 
 彼らの愛がどのようなものであったのか、2人の心の旅路に少し近づいてみましょう。

ナイロビの蜂


★テッサ

 秘密の大きさとその重さに疲れ果て、押しつぶされそうになっていたテッサ。

 いらいらして、ときにジャスティンに当たってしまうこともあるほど。
 それでも、口を閉ざした理由はジャスティンを守りたいから。

 あまりに奥の深い陰謀、イギリス政府高官にまで浸透する不正の闇。

 これをジャスティンに告げることは、イギリスという国家に対する告発をする重責を彼に背負わせることになる。
 ジャスティンが真実を知れば、彼の命が危ないかもしれない。

 夫のジャスティンは園芸が趣味の温厚で優しい性格。
 何も疑うことなく今の職務に忠実に生きて来た人です。

 そんな人にいきなりこのような重りを背負わせることは絶対にできない、とテッサは考えていました。

ナイロビの蜂


 「君を守るよ」と言うジャスティンに「私もあなたを守るわ」と応えるテッサ。

 テッサは自分の意見を持ち、自分で考えて行動する女性でした。

 結婚しても仕事にかける情熱は変わりません。
 むしろ、ジャスティンという心の支えを得て、アフリカの救済にかける気持ちは以前より強くなっていました。

 彼を想う気持ちは言葉にできないほどのもの。

 その強い愛情ゆえ、テッサはジャスティンに、スリービーズ社を中心にした大きすぎる陰謀をついに告げられませんでした。。

ナイロビの蜂

テッサを演じたレイチェル・コリンズは映画中でマタニティー・ヌードを披露していますが、実際に妊娠中でした。レクイエム・フォー・ドリームの監督,ダーレン・アロノフスキーとの子供です.写真は別の女性です.

★ジャスティン

 ジャスティンはテッサの秘密に気が付いていました。

 彼女の死で目が覚める思いをしたのはジャスティンです。

 自分が知らなかった恐るべき真実。
 もっとテッサと向き合うべきだった、そう彼は思ったでしょう。

 ジャスティンがテッサの残した仕事に命をかけたのはテッサへの愛、そして強い後悔の念からでした。

 明らかになる闇。
 そして知ることになるテッサの深い愛。

 こんなにも近くにいたのに。ジャスティンの気持ちは如何ばかりでしょうか。

 テッサはジャスティンのためにスリービーズ社の不正を知らせませんでした。堅く口を閉ざしたまま死んでいきました。
 そうだとしても、あまりに無知だった自分。そして知ろうとしなかった自分。

ナイロビの蜂


 自分に責任がある、近くにあった現実を見ようとしなかった自分に。

 ジャスティンはテッサの仕事を引き継ぐことを決意します。
 テッサの仕事をやり遂げるのは彼女の心を知るため。

 テッサが不正を追及したのは正義のため。ジャスティンの場合は、テッサのため。
 それは、いつしか見失っていた彼女の心の軌跡をたどる、テッサへの贖罪の旅路でした。

 ジャスティンはスリービーズ社を追ううちに次第にテッサが現地の人々に抱いた気持ちを共有するようになっていきます。

 それを象徴するシーン。
 テッサの生前、路傍を歩く子供を抱いた少女を家まで送ってほしい、というテッサの頼みをジャスティンは拒みました。
 しかし、今度はジャスティンが、一人でも多くを救おうと飛行機に無理に現地の子供を乗せようとします。

 彼はかつてのテッサになっていました。

ナイロビの蜂


 ジャスティンがたどり着いたのはテッサのいた「場所」。

 ジャスティンは、テッサが調査のために赴いたナイロビの各地に行きました。その長い旅路の果て、ジャスティンがたどり着いたのはテッサの心のありか。

 それは彼の心がテッサの心に重なった瞬間でした。

 ジャスティンは穏やかな性格で、大きな感情の変化を見せることはありません。でもその一見、平静であるがゆえに伝わってくるテッサへの深い愛と強い決意。

 そして、最後の選択のときがやってきます。

 ジャスティンはこの世でやるべきことをやり終えたと思ったのかもしれません。

 テッサの心を探り当てることのできた今、天国でなら再びテッサと一緒になれる。最後にトゥルカナ湖に向かったのは彼なりの選択でした。

ナイロビの蜂


★観客

 この映画を観る人は、テッサの残した手がかりを追うジャスティンが、スリービーズ社をはじめとする陰謀を暴いていく過程を彼とともに経験します。

 ジャスティンはテッサが調べ上げていたことを何も知りませんでした。幾度か彼女を問い詰めたことはあったとしても、深く調べることはありませんでした。

 仮に、テッサの死後にしたようなことをテッサの生前にしていたら、少なくともぼんやりとしたスリービーズ社の陰謀の輪郭くらいは知りえたはず。

 そうしていたら、テッサの命を救えたかもしれない。そう思って彼は後悔したはずです。

 これは映画を観る側も同じ。

 無知や無関心は陰謀に手を貸すのと同じです。
 少し興味を持てば知れる現実を知らないこと、それは知らず知らずのうちに不正に手を貸すことになります。

ナイロビの蜂


 本作の邦題は『ナイロビの蜂』。

 蜂の一刺しは、場合によっては刺された者を死に至らしめてしまうこともあるほど強烈です。
 けれでも、刺した蜂は針が体から抜けてその後に死んでしまう。

 その蜂のごとく、テッサは命を投げ出してスリービーズ社の不正を告発しようとしました。
 しかし、テッサが死んでも疑惑の針は抜けません。ついにジャスティンによって陰謀は暴かれました。

 知のアンテナはいつも高く揚げておく、ということ。
 多くの人が関心を持つようになればなるほど、問題は明らかになりやすく、不正は隠しにくく、それを解決しようとする力も強く働くようになります。

 アジア・アフリカの発展途上国が抱える問題は、映画で取り上げられた貧困・エイズ・民族紛争のほかにも人身売買・売春・難民・環境破壊など多岐に渡ります。

 地球は一つ。
 アジア・アフリカの問題は先進国にも影響を与えるのです。
 常に「知る」そして、できるならば「行動する」。その気持ちを持ちたいものですね。

ナイロビの蜂
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25時

映画:25時 あらすじ

※レビュー部分はネタバレあり

 25時。それは刑務所に収監される前に許された最後の時間数。
 残された25時に何をするべきか。収監の準備をするか、それとも自殺か、逃亡か。

 エドワード・ノートンが文句なしの演技を見せる、社会派スパイク・リー監督の映画『25時』。
 フィリップ・シーモア・ホフマン、バリー・ペッパーがエドワード・ノートン演じる麻薬密売人モンティの親友役で出演。
 いずれも演技派俳優で固められた、実に安心感のある布陣、これが25時の醍醐味だ。
 
 一方で、25時は犯罪者の自業自得を描く映画であるようにも見える。悪いことをした奴が捕まるのは当たり前、そして刑務所に行くという代償を払わされたとしてもそれは自己責任だ。
 それとも、25時はドラッグ犯罪をやった者の人間関係の断絶と破滅を描く映画だろうか?

 25時の解説とレビューでは、25時の描くものとは何かについて考えてみます。

25時


 早朝のニューヨーク。
 朝もやのかかった水辺を眺めながら、ぼんやりと犬とベンチに座る一人の男。

 話しかけて来た男がドラッグの取引を持ちかけるが、彼はそっけなく断る。

 彼の名はモンティ。麻薬密売の容疑で刑が確定し、すでに刑務所への収監が決まっている。

 収監されるために出頭するまでに残された時間は25時間。明日の朝には刑務所に出頭することになっている。
 25時間のうちにすべきことを済ませなくてはならない。

 麻薬密売組織のボスに最後の挨拶をし、今回の逮捕劇の顛末を報告して始末をつける必要がある。
 そして最後に幼いころからの親友たちとクラブで朝まで過ごすのだ。
 何より、一体だれがモンティを警察に売ったのか。商売敵か、組織のメンバーか、それとも恋人のナチュレルか。

 その場しのぎの大金が入る麻薬密売はうまい商売だった。
 とりあえず、欲しいものは手に入ったし、目の前の幸せに目がくらんでいた。
 もう後悔しても遅いのだ。あと25時間でモンティは全てを失う…。



【映画データ】
25時
2002年・アメリカ
監督 スパイク・リー
出演 エドワード・ノートン、フィリップ・シーモア・ホフマン、バリー・ペッパー



25時


映画:25時 解説とレビュー

※以下、ネタバレあり

 25時は、エドワード・ノートンに注目するきっかけになった映画でした。
 バリー・ペッパーやフィリップ・シーモア・ホフマンもそれぞれ紹介したくなるいい映画にたくさん出ていますね。

★25時が描くもの。

 25時は刑務所に収監直前の麻薬密売人モンティが主人公。
 モンティが刑務所に行くのは自業自得。

 でも、本当にそれだけなのでしょうか?

 見て見ぬふりをしてきたのは周りの人間たち。親友のフランクとジェイコブ。父親のジェイムズ。恋人のナチュレル。

 友人たちはモンティの麻薬密売に大学時代から気がつきながらも、見て見ぬふりをしてきました。幼いころからお互いを知っている親友なのに。

 そして、父親もモンティを止められませんでした。
 酒浸りの挙句、退職後に持つことのできた今の店。いったい誰のお金で買ったのでしょうか。

 ナチュレルはモンティと同じ家に暮らしながら、モンティの麻薬密売を止められませんでした。特に仕事をするわけでもなく、綺麗な家に住み、お洒落をしてクラブに出かける彼女の暮らしは誰のおかげなのでしょうか。

 皆がみな、モンティのすぐ近くにいました。

 友人、父親、恋人…モンティを取り巻くあらゆる人々。彼らはモンティを止めることのできる距離にいたはずでした。
 誰一人として麻薬の密売をモンティにやめさせることのできなかったという事実がそこにはあります。

 それぞれがそれぞれの立場でモンティを愛し、大切に思っていたはずなのに。
 友人たちは最後の日にモンティの誘いに応じてクラブに来ますし、ナチュレルもモンティを警察に密告したわけではない。彼らは彼らなりにモンティを大切な存在と考えていました。

 それでも、やはり、麻薬取引で金を生む商売をやめさせる、そこまではモンティに踏み込むことができなかったのです。                               
25時


★25時の友情。それは、フランクとモンティの友情。

 今回の逮捕、そして刑務所行きはモンティの自業自得。それは否定できません。それでも親友のフランクは彼を止めなくてはならなかった。いずれはこうなることは分かっていました。

 もちろん、モンティは自分のしたこと、自分の犯罪行為にに責任を持つべきですし、フランクには、モンティの麻薬密売を止める「義務」はありません。 
 
 しかし、25時で描かれるモンティとフランクの関係は「義務がある」、「ない」という話ではありません。

 彼らの友情は、モンティの麻薬密売を止めさせるべきだった、その責任が自分にはあった、とフランクを後悔させるほど固い絆であったということ、その前提を理解しなくてはなりません。

 フランクはモンティの幼友達で、早くからモンティの行為に気が付いていた一人でした。自分は止める責任がある立場にいたはず、と思いながらもそれを認めたくないフランク。

 「モンティのしたことだから、モンティの責任だ」、と口に出してジェイコブに言うのはその表れ。もう出所後のモンティとは今までのようには付き合えないとも。

25時

 
 フランクは金融業界で華々しく働く優秀な男です。上司を出し抜いて大儲けするシーンが冒頭にありますが、彼は仕事に対しても自分に対しても非常に高いものを求める性格。

 彼の生き方は自分を貶めることを良しとはしません。仕事は順調、実績も挙げて、バリバリ働く優秀な金融マンが友人の問題でつまづくなんて。

 フランクはモンティに意見をしなかった自分、意見できなかった自分を認めたくありませんでした。

 それに、本当に意見ができなかったのか。
 美しい恋人ナチュレルがいて、麻薬を売って大金を稼ぎながら気ままに暮らすモンティにどこかやっかみを感じてはいなかったのか。

 内心、モンティが捕まっても自業自得さ、と思っていた自分はいなかったか。
 
 それでも、フランクは最後に泣きます。

 「この顔では刑務所に行けない、顔を殴れ」というモンティ。
 しかし、フランクは本音ではモンティに対して責任を感じているので、とてもモンティを殴ることなどできません。

 そこで、モンティはフランクを挑発します。
 これはモンティの優しさでした。
 フランクが責任を感じ、今までのことを悔いているのを分かった上での行動だったのです。

 フランクは、挑発に乗り、怒りにまかせてモンティを殴ります。
 そうすることで、フランクは自分の殻を破り、心に秘めた自責の念を吐き出すことができたのです。

 モンティに対して、正直な気持ちが言えなかったフランクが堰を切ったように流した涙。
 それは、モンティの麻薬の密売を止められなかったことへの言葉にならない謝罪でした。

25時


 モンティの逮捕で全てが変わり、モンティともう同じ関係ではいられないと言っていたフランク。

 本当にモンティに対する友情が深かったからこそ、フランクは強がってみせたのです。
 プライドの高いフランクにとって、親友を救えなかった自分と言うのは到底認められない、認めてはいけない存在だったからです。

 モンティと今までと同じ関係でいられなくなるとフランクが思ったのは、フランクとモンティの関係が変わるからではありません。

 そうではなくて、自責の念に苦しめられるフランク自身が変わってしまうから。

 フランクがモンティに本当の感情を伝えた今は、改めて強い絆が二人の間にできたはず。

 モンティの顔の殴打傷はその友情の証でもあるのです。

 本当に親友だと言える人との間には紆余曲折があるものです。けんかすることだって、気持ちがすれ違うことだってあります。
 そのときに、2人の間を修復する過程が一番大事。このときを乗り越えれば、前以上に強い絆が2人の間にできるのです。

25時


★ついに来る25時、そしてモンティの選ぶ道。

 父は息子に逃げてほしい、父が息子に望む人生を歩んでほしい、と25時の最後になって逃亡を勧めます。

 今まで自分が息子に頼って生きて来た自覚と息子の人生を文字通り「見殺し」にした自責の念と共に。今回のモンティの逮捕と刑務所への収監という問題に限らず、自分がモンティのいい父親ではなかった、という思いも父には強くあるようです。

 せめて、息子に選択肢を与えてやりたい、モンティに対する罪の意識が父に逃亡を勧めさせるのでしょう。

 叶わぬ夢と分かっていても、逃亡という選択肢は父と息子に幻想を抱かせます。

 手に入れられたはずの幸せ、こうでありたかったという願い。

 息子を逃がせば父は息子には永遠に会えなくなります。
 父親は家族を失って孤独な人生を送ることになるでしょう。

 その代償を払ってもいい、息子を逃がしてやりたいという父の思い。その思いは真実に違いありません。

 それでもモンティは刑務所へ。刑期を務めることになるでしょう。逃亡は夢物語に過ぎません。

25時


 この親子の唯一の救いは、2人の絆が確かなこと。

 モンティとその父の会話の端々からは、過去に起きたさまざまな問題をモンティと父が乗り越えて来たことが窺われます。過去に何があったにせよ、その問題は2人を完璧に引き離すには至らなかったようです。

 刑務所という社会から隔絶した世界に頼りにする者もなく飛び込むことになるモンティにとって、刑務所の外に確かな関係があるということは想像以上に自分の強さとなります。

 親子の絆は、友情とともに、モンティの支えになるに違いありません。

 ここまでくれば、既に明らかなこと。25時という映画の主眼は社会から隔離される男と分断される人間関係、そしてもしかしたらあり得るかもしれない彼らの絆の再生を描くことにあるのです。
 
 そして、モンティは刑務所内で生き抜くに違いありません。

 友人に殴りつけられ、顔面に傷を負ったモンティは、辛くても刑務所で生き抜く意思は固まっているはず。
 自殺という選択肢はとうに消えています。

 必死に生きようとするやつは助けてやると言ってひん死の犬を助けたモンティ。

 今は彼が必死に生きようとしている。今は彼自身があの時の「犬」なのです。

25時
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21グラム ( 21g )

映画: 21g (21グラム) あらすじ
※レビュー部分はネタバレあり

21グラム。それは人が死んだときに軽くなるという重さ。

 ナオミ・ワッツ,ショーン・ペン,ベニチオ・デル・トロ,シャルロット・ゲーンズブール。屈指の演技派俳優たちが織りなす命の物語。

 解説とレビューでは21グラムのあらすじを映画の始めから結末まで時系列順で完全再現。

 さらにラストシーンの解説、21グラムの結末後に待ち受けるこれから、そして映画にこめられた21グラムの秘密を解説しています。

21グラム,21g


 夫と2人の幼い娘と幸せに暮らすクリスティーナの家族。

 そして、病気で余命1カ月の大学教授のポールとその妻メアリーの夫婦。

 刑務所で服役していたが、出所後に定職を持って立ち直り、今は平穏な毎日を暮らすジャックと妻、その幼い娘と息子の家族。

 突然起きたひき逃げ事故をきっかけに、交り合うはずのなかった運命が交差する。

 人は死んだときに何を得、何を失うのか。生と死、愛と憎しみ。たった21グラム。人間の魂を揺さぶる何かがそこにある。



【映画データ】
21g (21グラム)
2003年・アメリカ
監督 アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
出演 ショーン・ペン ,ナオミ・ワッツ ,ベニチオ・デル・トロ ,シャルロット・ゲーンズブール



21グラム,21g


映画: 21g (21グラム) 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり

 21グラムは時系列を交差させる構成で少々複雑です。まずは時系列順にあらすじで21グラムを再構成してみましょう。

 一気に結末までネタバレして書いていますので、ラストを知りたくない方はお気をつけください。

★21グラムの時系列順あらすじ

 ポールは病気で自宅療養と入院の繰り返し。妻のメアリーとは別居していたが、ポールが余命1カ月となり、ポールの子供が欲しいとメアリーは最近ポールの元に戻ってきている。

 メアリーは不妊治療に熱心だが、ポールはそれほど関心がない。メアリーはかつてポールとの子を中絶した過去があるが、夫には話していない。

 ジャックは刑務所から出てきてまだ日が浅いが、友人のつてを頼って就職し、今は落ち着いた生活を家族とともに送っている。彼は信仰に目覚め、教会に熱心に通っていた。

 クリスティーナは家族円満、幸せな毎日。

 しかし、ある日突然に、娘と夫をひき逃げ事故で失う。夫は脳死状態になり、クリスティーナは心臓移植の書類にサインした。

 そして、夫の心臓は大学教授のポールに移植された。もちろん、クリスティーナは誰に移植されたかは知らない。ポールもドナーの名前を知らされない。

 クリスティーナの夫と娘2人をひき逃げしたジャックは動転して帰宅する。自宅でパーティを開いていた妻は驚き、慌てて客を全員帰らせる。そして、ジャックからひき逃げしてしまったと聞く。

 思わぬ事態に妻は動転する。彼女は泣きながら夫の車を洗車して、車から血の跡を全て洗い流す。ひき逃げの痕跡を消すためだった。そして彼女は夫の出頭を引きとめようとするが、ジャックはすでに出頭する決意を固めていた。

21グラム,21g


 心臓移植手術は成功、ポールは無事に回復し、妻とともに自宅で退院祝いのパーティをする。その席上で妻のメアリーが不妊手術を受け、人工授精で妊娠するつもりだと客に話してしまい、夫婦の仲には隙間風が。
 さらに、医者からメアリーの中絶手術の過去を知り、夫婦仲の亀裂は決定的になってしまう。

 ポールは自分に心臓を提供したドナーを私立探偵を使って調べ上げ、ジャックの起こしたひき逃げ事故によって、クリスティーナの娘2人は死亡、夫がポールのドナーになったことを知る。

 ポールはクリスティーナのあとをつけ回す。そして、ジムで初めてクリスティーナに話しかけ、夜にクラブで泥酔した彼女を彼女の家まで送る。ある日、彼女をランチに誘い、好きになったと告白するが、クリスティーナは夫がいると言ってポールを拒絶する。

 しかし、その日の夜にクリスティーナがポールの自宅に電話をかけてくる。すぐに来てほしいというクリスティーナ。彼女は家族を一度に失った苦しみに耐えきれず、情緒不安定になっていたのだった。

 ポールはクリスティーナの家に行き、彼女を慰めるが、彼女に自分がクリスティーナの夫から心臓移植を受けたことを話すと彼女はポールを再び拒絶。ポールを家から閉め出してしまう。

 ポールはクリスティーナの家の前に停めた自動車の中で夜を明かす。翌朝、ポールの車に気がついたクリスティーナが車にいるポールのところにやってくる。クリスティーナはポールを受け入れたのだった。

21グラム,21g


 ポールには心臓移植の拒絶反応が起きており、激しいおう吐に悩まされる。医者の診察を受けたポールは2回目の心臓移植手術をしないと死ぬことが分かる。

 ポールは入院するよう勧められるが、死ぬなら外で死にたいといって拒絶する。

 ポールは久しぶりにクリスティーナの家から自宅に帰るが、妻のメアリーは怒って家を出ていく。ポールはクリスティーナの家で暮らすようになる。クリスティーナはドラッグを止められず、ヒステリックに泣くことが多かった。

 彼女はポールに「夫と娘を亡くした辛さが分かる?」といって彼を責め立てる。さらにポールは、クリスティーナにひき逃げ犯のジャックを殺すように要求される。

 一方、ジャックは警察に出頭した後、拘置所に入れられるが、妻が大枚をはたいて弁護士を雇う。そして、証拠不十分で釈放。

 ジャックは釈放書にサインして拘置所から家に帰ることができた。しかし、彼は罪悪感にさいなまれており、子供にも親子をひき殺したことを尋ねられる。ついに耐えきれなくなった彼は妻子を置いて家を出ていく。

21グラム,21g
 
 
 ジャックはモーテル暮らしをしている。ポールとクリスティーナはジャックと同じモーテルに宿泊し、彼の働いている採石場のすぐ脇を車で通り過ぎながらジャックの姿を確認する。

 ある日の早朝、ポールはクリスティーナの寝ているすきに、モーテルの駐車場でジャックを呼び止め、銃で脅して彼のすぐわきの地面を撃つ。ポールは今すぐここから立ち去れとジャックに命じ、それから彼を解放する。

 クリスティーナはポールがジャックを殺したと思い込み、モーテルの部屋でポールを休ませるが、そこにジャックが踏み込んでくる。彼はポールに自分を撃つように迫り、ポールとジャックはもみ合いになる。

 ポールは床に落ちたグラスを踏み割ってしまい、ジャックに跳ね飛ばされるが、クリスティーナはジャックを室内灯の柄でめった打ちにする。

 クリスティーナがジャックを殺してしまうと思ったポールは、クリスティーナに止めろ、と声を出して止めようとするが、移植の拒絶症状が酷く、弱っていたポールにはその声を出す力がない。

 そこで、ポールは最後の手段に出る。左胸を自ら撃ったのだ。そこで我に返ったクリスティーナはポールの元に駆け寄る。そしてジャックの運転する車で病院に運び込み、緊急手術を受けさせる。

 輸血が必要と言われ、クリスティーナは自分の血を献血するが、違法ドラッグを多用していたクリスティーナの血は使い物にはならなかった。その代わり、彼女が妊娠していることが発覚。

 手術は成功し、ポールは一命を取り留める。病院の待合室の窓辺に立つクリスティーナ。ジャックは彼女から一歩離れたところに立ちつくすのだった。

 21グラムのあらすじは以上です。

21グラム,21g


★長すぎるので、映画:21グラム ( 21g ) 解説とレビューを2つに分けさせていただきます。すみません。

★ラストシーンの解説
★★ポールとクリスティーナ、ジャックのこれから
★★★21グラムの意味

これらのテーマで続編の解説とレビューをお届けします。

追記:映画:21グラム ( 21g ) 解説とレビュー 続きをアップしました→ここ


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21グラム ( 21g ) 続き

映画:21グラム ( 21g ) 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり




21グラムの解説とレビュー続きです。前回はあらすじのご紹介でしたが、この解説とレビューでは21グラムの内容を詳しく解説していきます。

21グラム前回分解説とレビューは→こちら



21グラム,21g


★21グラムの描く人生、そして感情。

 ひき逃げ事故。それが全ての始まり。

悲劇と幸運、そして下降と上昇。二転三転しながら人生は動いていくもの。

 いつしか、それが終着点を迎える。それが死。

 その死を迎えるまでに、人間は何を経験するのでしょう。

 愛、憎しみ、怒り、希望、孤独。数え切れないほどの感情の激流が死に向かって流れていきます。

 そして、それが生きている人間と死んでいる人間の違いでもあります。
 生きている限り、何も感じないなんていうことはない。喜び、怒り、哀しみ、浮き沈みする感情があることで人間は生きていることを実感するもの。

 それでも、ときにはそんな感情の流れが速すぎてついていけなくなることがあります。

 自分が感情を抱くのではなくて、自分が感情に押し流されてしまうのです。それがクリスティーナ。

 彼女の感情の高まりはポールにジャックを仕向け、クリスティーナとジャックが対峙するラストへと3人を押し流していきます。

 そしてやがて引いていく波。思い切り高ぶった感情のあとにあったのは何だったのでしょうか。

21グラム,21g


★クリスティーナ、ポールそしてジャック。

 激しい運命の変転に翻弄される3人。

 それが夫を亡くしたクリスティーナと心臓移植を受けたポール、そしてひき逃げをしたジャックでした。

 ジャックはクリスティーナの家族をひき逃げし、罰も受けませんでした。

 そして、ポールはクリスティーナの夫の心臓を移植されたにもかかわらず、心臓移植の拒絶反応により間もなく死ぬことになるでしょう。

 クリスティーナは家族だけではなく、続いてポールも失うことになるのです。

 3人の運命が激しく波打ったのはジャックの起こしたひき逃げ事故のせいでしょうか。

 ジャックが事故を起こさなければ移植できる心臓はなく、ポールは病気で死んでいました。
 ポールが死んでいたら、ポールとクリスティーナは出会わず、クリスティーナがポールの子を身ごもることもなかったでしょう。

 そもそも事故がなければポールもクリスティーナもジャックもみんな赤の他人。お互いがそれぞれ別の道を歩んでいたはずでした。

 もちろん、21グラムは事故が起きた後の人生と事故がなかったらあったはずの人生と、どちらが良い人生だったろうかということを問う映画ではありません。
 
 21グラムが描くのは、ただ、ひき逃げ事故が「起きた」ということ。そして、その事故にもかかわらず、時は流れ続ける。生き残った人々が、事故がなかったら、と思い続けて苦しんだとしても、やはり時間は確実に流れていくのです。

 「たら」、「れば」、では語れない世界。それが人生です。

21グラム,21g


★ラストシーンの意味。そして21グラムの結末とは。

 何かが起きると誰のせいでこうなったのかを考えたくなります。

 人間は機械ではありません。感情があります。

 だから、ただ時間がそれまでと変わらず過ぎていくのだとしても、ひき逃げ事故が過去に「起きたこと」というようにあっさりとは割りきれません。

 取り戻せないと分かっていても、ああだったらどうだったろうか、こうだったら、と尽きることない思いを巡らせ、悩み続けます。

 クリスティーナはこう思います。ひき逃げ事故で夫と娘たちが死んだのはジャックのせい。

 ポールはこう思いました。クリスティーナをドラッグ依存にし、悲しませるのはひき逃げ事故を起こしながら釈放されたジャックのせいではないか。

 ジャックはこう思うでしょう。出所して立ち直り、手に入れた幸せな生活をぶち壊すひき逃げ事故を起こしてしまったのは神様が守ってくれなかったせい。

21グラム,21g


 しかし、ジャックだって、ひき殺したくてひいてしまったわけではありません。あれはアクシデントでした。

 もちろん、彼の責任であることは確かなことです。それでも、ジャックは警察に出頭し、なすべき責任は果たしました。

 そのあと、釈放されてしまったことまで彼の責任にはできないでしょう。

 もちろん、人としての責任があります。しかし、ジャックは心から悔いていました。

 家を出て1人で暮らし始めたのは、クリスティーナの家族を奪い、彼女の生活をめちゃくちゃにした自分が、家に戻ってまた何事もなかったかのような生活をすることができなかったからです。

 そして、ジャックがポールに銃で脅されて二度と戻るなと言われ、それでもモーテルのポールとクリスティーナの部屋に踏み込んで来たのはなぜか。

 それは、ポールかクリスティーナが自分を殺して、自分が傷つけたクリスティーナの心が癒されるならそれはそれでいい、と思ったからです。

 さらに、ジャックは自分のした罪の大きさにこのままでは耐えきれそうにありませんでした。

 クリスティーナにめった打ちにされて彼ほどの大男が抵抗しなかったのは、抵抗できなかったからではありません。あえて、抵抗しなかったのです。

21グラム,21g


 では、あのような暴力をジャックに振るおうとしたクリスティーナとポールを責めるべきでしょうか。

 クリスティーナは危うくジャックを殺すところでした。

 しかし、クリスティーナの感情を分からない人はいないでしょう。突然奪われた幸せな生活、大事な家族。それだけで理由は十分です。

 ポールは自分の愛する人を苦しませ、悲しませる男をクリスティーナの代わりに罰しました。

 ポールがやらなければ、クリスティーナが罪になる暴力をジャックに振るうおそれがありました。

 彼女に罪を犯させないためにも、クリスティーナに代わってジャックを罰する必要があったのです。

 ポールもクリスティーナもジャックも皆、それぞれに責任があって、それぞれに理由があったのでした。

21グラム,21g


 ポールはもう長くない。今回の事件で、自ら左胸を撃って重傷を負いましたし、もとより拒絶反応により体には限界が来ています。そして、新たな移植手術を受ける気は彼にはありません。

 けれども、ポールの命はクリスティーナとの間にできた新しい命に引き継がれました。

 クリスティーナはジャックを殴り、喪失感とやりきれなさ、言葉にはならないほどの感情を流出させました。ラスト、病院にいる彼女の姿にはどこかこれからの決意のような、静かな強さを感じさせるものがありました。

 ジャックはクリスティーナの怒り、その感情を自分自身をもって受け止めました。彼は家族の元に戻ることでしょう。愛する妻と幼い娘、そして息子が待っています。

 そして、ラストで病院の窓際に立ちつくすジャックとクリスティーナの間には感情をぶつけ合った後の虚脱感と共に、お互いを受容する空気感がありました。

 そして、ジャックがあんなに熱心に信仰していたキリスト教の精神は「赦し」にあります。

 クリスティーナの暴力を赦し、クリスティーナにひき逃げ事故で娘と夫を死なせた自分を赦してもらうこと。それがジャックにとって今、最も必要なことでした。

21グラム,21g


 ジャックは出所後、信仰に傾倒していました。度をこした、敬虔すぎるクリスチャンでした。それは一方で、ジャックの更生の手掛かりになっていました。

 ジャック自身も信仰のおかげで自分が救われたと考えていました。それは事実でしょう。

 「神のおかげで」とジャックは思っていたかもしれません。

 しかし、それだけではありません。
 ジャックは彼自身によって立ち直っていました。そして、今回のひき逃げ事故も神が守ってくれなかったからではありません。ひき逃げ事故はジャックの起こしたこと。

 つまり全ては自分のなしたこと。神がジャックの人生を決めているわけではありません。人生の全てを神に頼り続ける限り、ジャックは自分の人生を自分で歩むことはできません。

 神はジャックの人生を見守るだけ。

 自分の人生は自分のもの。最後に自分を救えるのは自分だけです。

 「神に見放された」と感じたジャックは「生きる」ことをひき逃げ事故を起こした後に身を持って学びました。それはあまりにも大きな代償でした。

 しかし、「それでも人生は続く」。ジャックの人生もこれから続いていくのです。

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★21グラム。その重さ。

 「生きるということ」。それが21グラムのテーマです。

 悪いことも良いことも、罪を犯しても、善行をしても、いずれにしろ、人生は続き、そして生きているということ。それが21グラム。

 誰もにある21グラムは良い人にはあって、悪い人にはない、というものではありません。

 死ぬと失われると言われる21グラムは人間の全て。何もかもを包含するもの。

 21グラムこそが人間の全てであり、「生きる」重さでもあります。21グラムの重さにはその人の人生全てがつまっています。

 「その人が人生で刻んだ感情のすべて」。それが21グラム。

 その21グラムのためだけに人間は生き、そして死ぬのです。

 生きることは辛いこと。生きるより死ぬ方が楽だと思うこともあるかもしれません。

 それでも生きるということ、人生はいいことも悪いことも全てを包含しています。幸せな瞬間ばかりが人生ではない。生きることの苦さや痛みが、よりその人の人生を魅力的にするのです。

21グラム,21g


 21グラムの重みを持たない人はいません。

 この21グラムを感じて生きることができるかどうか、少なくとも、今、呼吸をしている人全てにこの21グラムがあるのです。

 もし人が死んだら21グラムはどこに行ってしまうのでしょうか。

 「死んだらそこで終わり。21グラムが体から抜けていってしまう」というのは本当なのでしょうか。

 21グラム。たったの21グラム。

 もし、天国があるのだとしたら、死んだ人間の魂が21グラムを携えて、天国に行くのかもしれません。

 21グラムは人間が人間として生きるためにはどうしても必要な部分なのだから。

 ポールの命は尽きても、クリスティーナと生まれてくる子、そしてジャックの人生は続きます。

 これからも、何があろうとも人生は続いていくのです。

21グラム,21g


お読みいただきましてありがとうございます。
明日はスティーブン・スピルバーグとトム・ハンクスが監督・製作総指揮をした戦争ドラマ「バンド・オブ・ブラザーズ」をアップする予定です。よろしければお付き合いください。
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9〈ナイン〉〜9番目の奇妙な人形〜

映画:9〈ナイン〉〜9番目の奇妙な人形〜 あらすじ
※レビュー部分はネタバレあり

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 人間と機械が争った後に訪れた荒廃した世界。人間は滅び、機械が支配している。そんなある日、人形の9〈ナイン〉が目を覚ました。しかし、彼の周りには誰もおらず、彼は仲間を探しに外に出ることにする。

 そこでナインは彼と同じ、人形の"2"に出会う。話すことができなくなっていた9〈ナイン〉は2に故障を直してもらい、話せるようにしてもらった。しかし、その直後に2はマシンにさらわれてしまった。9〈ナイン〉は他の仲間たち―1,5,7,8らに出会い、2を助けに行こうとするが…。

 アカデミー賞短編アニメ部門にノミネートされた約11分の短編アニメ『9〈ナイン〉』を気に入ったティム・バートン監督が長編映画として生まれ変わらせた。人間がいなくなった後の荒廃した社会を背景にしたシュールでダークな世界観が魅力。麻袋でできた人形の9〈ナイン〉が経験する異色の冒険ファンタジーだ。イライジャ・ウッド、ジェニファー・コネリーなど、豪華な声優陣にも注目したい。



【映画データ】
9〈ナイン〉〜9番目の奇妙な人形〜
2009年(日本公開2010年)・アメリカ
監督 シェーン・アッカー
出演 イライジャ・ウッド,ジェニファー・コネリー,ジョン・C・ライリー,クリストファー・プラマー



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映画:9〈ナイン〉〜9番目の奇妙な人形〜 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり

★ルールを守れ!

 良くも悪くも、人間にそっくりな人形たち。勇敢でもあり、優しくもあり、親切でもあります。その一方で、ずるくて、卑怯で、自分本位なところがありました。人間がいなくなった世界で、人形たちはしっかり"人間らしさ"を受け継いでいます。

 この世界では凶暴な機械獣が常に人形たちの生命を脅かしています。マシンにすっかり怯えきった人形たちは死の恐怖と隣り合わせに生きていました。その恐怖は彼らに一つのルールを生みださせます。少なくとも、この"ルール"に従ってさえいれば、安全に暮らせるはず。1を始めとした人形たちはこのルールをかたくなに守り抜くことで、襲い来る恐怖感を和らげようとしていました。

 1たちは"ルール"に縛られ、"ルール"から外れることはしません。なぜ、そのルールがあるのでしょうか。そして、そのルールは本当に必要なのでしょうか。1たちの頭にはこんな疑問は浮かんできません。

 ルールは1たちの生きるよすがでした。今までかたくなに守ってきた"ルール"の存在意義を疑わせるような疑問は存在してはならないのです。そのルールが実は意味のないものだったり、間違ったものだと分かってしまったら、ルールを変えなくてはならないかもしれないし、ルール自体がなくなってしまうかもしれません。

 ルールを変えたり、ルールを失くしてしまったら、機械獣に襲われ、命を落とすかもしれません。それなら、少々、窮屈なルールであっても、我慢した方がいい。

 そこで、彼らは全く何も考えず、ルールを守り、ルールに沿って機械獣から隠れるようにして暮らしてきました。いわば、安全に、危険を避けて生きることが至上命題だったのです。

 このルールから外れる者は少なからずいました。2のように。2の趣味は「現世の遺物」のコレクション。彼は遺物収集のために、機械獣のうろつきまわる外の世界を出歩いていました。2が機械獣にさらわれたとしても、それは2のせい。ルールを破った2が悪い。

 ルールはうまく機能していたのです。ルールがあるおかげで、命をかけて2を助けに行かなくても済むのです。自らの正義感に素直に従うならば、2を助けに行こうとなるはずです。そこで、助けにいかないとなれば、何らかのいい訳を考えなければならなくなるでしょう。しかし、ルールがあれば簡単です。堂々と、2を見捨てることができることができるのです。

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★盲目的服従

 9〈ナイン〉は問います。「なぜ1の言うことに従う?」5の答えはこうでした。「リーダーだから」。人形たちは何も考えていません。リーダーだから従う、ルールだから従う。

 ルールの機能は、ルールの範囲内ならしてもいい、ルールの外ならしてはいけない、と明確に分けるということにあります。つまり、ルールに従おうとする人間はルールのこと以外、何も考えなくても済む、ということでもあります。これはすなわち、脳が思考停止にある、ということです。何があっても、ルールを言い訳にできるからです。

 この人形たちの奇妙な思考停止状況は人間たちにも存在していました。人形を作った博士は"人工知能"の研究に没頭し、それが結果として人間を破滅に導きました。博士の研究は国家的なプロジェクトとして賞賛され、期待されていたものでした。

 この研究は"合法"でした。"ルール"に沿ったものだったのです。しかし、倫理的にはどうだったのでしょうか。博士は人工知能がこの世に誕生することによる弊害に何も気が付かなかったのでしょうか。あるいは、薄々気が付きつつも、考えないことにしていたのでしょうか。

 いずれにしろ、博士は国家と世間の支持を得ている研究を自ら中止するという決断をすることはなかったのです。むしろ、国家の保護と世間の称賛を言い訳に、人工知能の研究を継続していました。

 一方、政府の方も、酷い思考停止状態に追い込まれていました。彼らは人工知能が暴走し始めた際に、人工知能を開発した博士を訴えたのです。"違法"な研究を行ったというかどで。政府も法律に従っていました。博士が違法行為をしたというわけです。人間が滅ぶかどうかの瀬戸際に、訴訟をしている場合ではありません。

 しかし、政府は博士が法律に違反していたから訴えました。それが"ルール"だから従ったのです。なぜ、ルールに従うのか。この問いが投げかけられることはなく、人工知能の暴走はもはや人間の手に負えないものになっていきました。

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★仲間だから、助ける

 機械獣に攻撃したものの、逆に反撃された7を見て、1は吐き捨てます。「英雄の最後はあれだ。安全な場所を探そう」。1にとって、大事なのは命。そして、命を守ってくれるはずのルール。

 ルールに従うのは実に簡単でした。隠れ家にただじっと隠れ住み、外出しないこと。それさえ、守っていれば、命を長らえることができました。しかし、9〈ナイン〉にとっては違います。彼にとって大事なのは、仲間。そのためには、自分の命を危険にさらしても仲間を助けに行くことを選ぶのです。

 機械獣と人間の違いはなんでしょうか。マシンは破壊されたらそれで終わり。"人工知能"は破壊されたマシン以上に強いマシンを作ろうとするだけです。破壊されたマシンに対して、哀惜の念を抱くことはありません。人間は違います。仲間という連帯意識、仲間に対する愛情は人間にしかないものです。そして、ナインの世界では、人間の意識を受け継いだ人形にしかない感覚です。

 自分の命が一番の1だって、本当は、仲間に対する愛情がありました。けれど、機械獣に対する恐怖心から、安全を最優先してしまいます。ルールはその言い訳でした。1の本心に「仲間を助けたい」という気持ちがなかったら、1は機械との最後の戦いで皆についてこなかったでしょう。1人、どこか安全な場所に逃げて隠れていることもできたのに、彼はそうしませんでした。

 結果、1は命を落とします。1だけでなく、2も6も8も、多くの仲間が命を失いました。しかし、人間は殺されたら終わりではありません。死んだ彼らの生き方は記憶となって残った者の心に残ります。

 9〈ナイン〉を作った博士は言います。「私たちの世界は終わろうとしている。しかし、命は続いていく」。"命が続く"とは死んだ者の記憶を引き継ぎ、今を生きる者がそれを糧として新たな生を紡ぐこと。過去の記憶は今を生きる者の土台を作っています。

 たとえ、自らの命を失ったとしても、人として誇るべき生き方をしたならば、彼の人生は後に続く者の過去の記憶の一部となり、彼の人生は他の者の人生に引き継がれていくのです。命を落とした1も、2も、5も、6も、自らに誇れる人生を生きました。彼らは皆、残された9や7の人生の一部になっていきます。

 「僕たちがこれからの世界を作るんだ」という9〈ナイン〉。ナインの中では、テクノロジーの追求と人工知能の開発に成功し、そして機械に敗れた人間たちの記憶と、命を落とした仲間たちの心が確かに生きています。人間は、死んだら終わり、ではないのです。

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ナイト&デイ

映画:ナイト&デイ あらすじ
※レビュー部分はネタバレあり

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バニラ・スカイでの共演から9年、トム・クルーズとキャメロン・ディアスのコンビで送るアクション・ムービー。コミカルな場面が多く、気楽に楽しめる映画になっている。

ジューン・ヘブンズは飛行機に乗るため、空港内を急いでいた。何とか飛行機に乗れた彼女はロイ・ミラーという男に出会う。すっかり意気投合した2人。しかし、ロイは政府機関のエージェントだった。ロイの持つ「ゼファー」という永久エネルギー源を巡り、争奪戦が行われていたのだ。この騒ぎに巻き込まれたジューンはロイとともに逃避行を繰り広げることになる。

とても気楽に見られる映画。とにかく、楽しんでみることが絶対条件。この映画で考えたら負けです。解説や解釈なんて要りません。というわけで、今回のレビューはとても短く(いつもの4分の1にもいきません)気楽に書かせて頂きます。


【映画データ】
ナイト&デイ
2010年・アメリカ
監督 ジェームズ・マンゴールド
出演 トム・クルーズ,キャメロン・ディアス,ピーター・サースガード

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映画:ナイト&デイ 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり

★簡単なあらすじ―ロイとの出会いから結末まで―

ジューン・ヘブンズは妹の結婚式に向かう途中、ロイ・ミラーと名乗る男に出会う。ロイ・ミラーは元エージェントで、「ゼファー」という永久エネルギーを有する物体を持っていた。この「ゼファー」をジューンのキャリーケースにロイが仕込んだことから事件が巻き起こっていく。

ロイの本名はロイ・ナイト。彼は家族を捨て、友人とも連絡を断つことを条件にCIAと契約を結んだエージェントだった。ロイはゼファーを狙うFBIエージェント、フィッツジェラルドからゼファーを守るため、ゼファーを開発したサイモンという青年、そしてジューンと共に逃避行をする。

 フィッツジェラルドはこのゼファーをスペインの武器商人アントニオに売るか、もしくはサイモンを拉致してアントニオに引き渡し、大金を得る計画を立てていた。スペインでの途絶なカーチェイスの末、ロイは、ジューンとサイモンを助けることを優先し、ゼファーをフィッツジェラルドに渡す。

フィッツジェラルドはこのゼファーを持ってヘリに乗り込むものの、ゼファー自体に設計上の問題があったため、ヘリごと爆発。ゼファーともども木端微塵になった。

 ロイの上司、イザベルによって、ロイは再び、エージェントとしてCIAに連れ戻されそうになるが、ジューンの機転によって助け出され、2人はジューンの夢だったホーン岬までのドライブへと走り出していく…。

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★ジューンの周りのズレた人々

 ジューンの周囲の人々はどうも、彼女としっくりきていません。エンジニアで車の改造が大好きなジューンは妹の結婚式のため、父の遺品である車を完全に改造して結婚祝いにするつもりでした。父と妹と3人でよく部品を買いに出かけたものよ、とジューンは家族の思い出を幸せそうにロイに語ります。

 ジューンはロイの(ゼファー」騒ぎに巻き込まれ、飛行機をどうにか不時着させて命からがら脱出し、何とか妹の結婚式にたどり着いたというのに、肝心の妹は「パパのGTOを売りたい」。妹はパパのGTOよりも、夫と暮らす新しい家が欲しいようです。ジューンは家族の思い出を懐かしく思い出し、理想の家族像を描いています。ところが、妹はジューンが思っているほど、家族に思い入れはないようです。

 さて、ジューンには、ジューンに想いを寄せるロドニーという男友達がいました。飛行機の墜落に巻き込まれ、次々に起こるアクシデントに悲鳴を上げたい気分のジューンはロドニーに相談しようとするものの、ロドニーは自分のことばかり話していて、まったくジューンの話を聞こうとしません。ジューンが話そうとしていても、ロドニーは勝手に何か別のことを喋っている。

 ロドニーはジューンに結婚を申し込みたいようですが、果たして、今の状況がその場面なのかどうか…。ロドニーはどうも頼りありません。ロイがジューンに追いつき、ロドニーと同じテーブルについても、ロドニーは愛想よくロイの相手を始めます。ジューンがロイが問題を起こすトラブルメイカーその人だとロドニーに合図しているのに、まったくロドニーには通じません。あげくの果てに、ロイがジューンに手錠をかけて連れ出したときにロイは負傷。

 ロドニーは悪い人ではないのだが、どうも要領がわるく、なんともつまらない男。ロイに負傷させられたおかげで、ロドニーはジューンを守ろうとして怪我した男としてヒーロー扱いされ、今や、街の英雄になっていました。次にジューンが会ったときにはロドニーの横にはぴったりと美女が寄り添っていました。ロドニーはどうやら単純すぎる男のようです。

 というわけで、ジューンの周りの人間たちはジューンとすれ違いっぱなし。助けてくれたのは結局、ロイだけ。ロイは話も面白いし、やることがスマート。命からがらの脱出劇の後、自宅で意識を取り戻したジューン。彼女が朝起きると、「会えてよかったよ、ジューン」のメモ。キッチンに行けば、焼かれたオムレツとともに、冷蔵庫に「朝食を食べろ」のメモ。ジューンはそんなロイに助けられて悪い気はせず、彼と逃避行を続けることに。元はといえば、ロイのせいで巻き込まれたハプニングなのだけれど、ジューンも途中からしっかり楽しんでいる。

 ジューンの妹は結婚します。父も母もいないジューンにとって、唯一の肉親である妹の結婚は喜ぶべきである一方、ちょっと寂しいもの。自分も素敵な男性と出会って結婚したいと思っているジューンにとってロイとの出会いはまさに運命でした。

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★ナイト&デイ

 武器商人のアントニオに自白剤を飲まされたジューンが話すことと言えば、ロイのことばかり。「彼といると何でもできるように感じる」とジューン。熱に浮かされたように、愛について語り続ける。うんざりしたアントニオはジューンを殺せと部下に命じますが、ジューンは全く動じない。なぜなら、ロイが助けてくれると信じているから。実際、このとき、ロイはアントニオの屋敷の屋根の上に立っていた。というわけで、やっぱり助けてくれるロイ。

 ロイの本名はマシュー・ナイト。そして、この映画のタイトルは「ナイト&デイ」。そのままならば、昼も夜も、一日中というような意味になりますが、英語タイトルの綴りはKNIGHTになっています。これは「騎士」の意味のナイト。騎士と過ごす日々という意味でとった方がこの映画の内容にぴったりでしょう。ジューンはナイトに守られるお姫様。ロイを信頼しきっているジューンの幸せそうな顔はまさにそんな感じです。

 一方で、倒れて病院に運び込まれたロイをイザベラらCIAから取り返したジューンはロイを守るナイトそのもの。ロイとジューンは互いのナイトであり、守られる人でもある。2人は共に運命の人を見つけました。愛し合う2人の理想像がここにあります。

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All pictures in this article from this movie belong to Twenties Century Fox Film.
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